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2015年9月25日 (金)

大正浪漫湯煙事情?

温泉めぐり  田山花袋  岩波書店

 どゆ本というと作家の温泉エッセイだろか?でもって、著者名を見れば分かるよーに、近代文学でならった自然主義小説家じゃまいか?とな…とゆー訳で1871年生まれで1930年没という事で明治大正昭和の時代の温泉事情が分かるってか?とにかく、ほぼ全国の温泉を網羅しているというか、行脚しているというかでして、著者の温泉に対する情熱がパネェです(笑)特に、凄いとこは、当時の交通事情だと、鉄道と馬車はあるんですが、一番の移動手段が徒歩なんですよ…それも駅から五分というノリではなくて、あの山をマジで歩いて越えての世界…今の感覚でいくと気軽に湯治のイメージではないんですけど、著者的には気軽に行っていらっさる雰囲気…まさにそこに温泉があるからだのノリだなぁ(笑)

 本書の特色としては温泉ガイド的な要素がなきにもしあらずですけど、何とゆーか、情報量と情報の質が違うよーな?なので一つ一つの温泉についてのページ数も少ないんですが、その中に書かれている事も、温泉そのものもあるし、宿とか交通事情とか、名所旧跡といった見学すべき何ちゃらや風景とか、出てくるとこもあるんですけど、著者の事情とか、感想とかが紙幅を費やしているとこもある訳で…例えば知人・友人の渡欧の送別会代わりに温泉で一献とか、家族サービス的な湯治とか、その温泉(地)についても、個人的な感情とか…なるほろな事もあるけど、何じゃそりゃもある訳で、それでも最後まで読ませるところがさすが作家というとこだろなぁ…文章が上手いとか(笑)

 巻末の解説によると「本書は入念な美文で書かれているわけではない。時々は漢文の辞句を散らし、また自作の和歌などを引いてもいるが、だいたいにおいては武骨な文章で、自分の行動や観察、あるいは思うことを、気取りなく、率直に述べている。そこにある種の自由自在さが醸し出されていて、読む者からも同様に率直な反応を誘うのである」とな…

 アリス的に温泉というと、異形の客だろか?本書でいくと近畿地方のとこで「この附近にすべて温泉がない。ただ、強いて指を屈すれば、笠置山の麓、木津川の対岸にある有市鉱泉くらいなものであろう」とな…そーだったのか?アリス?他には「大阪市をめぐった地方には、例の宝塚温泉がある。それから少し遠いけれど有馬温泉がある。神戸には、布引温泉、諏訪山温泉の二つがある。これなどは近畿地方にあって特に指を屈すべきものであろう」だそな…兵庫の方が温泉あるって事なんだろか?うーん?

 その他「近畿が持った海の温泉場としては、此処と熊野の勝浦のこの二つがあるばかりであった」とな…それにしても大正の頃というのは温泉に行くのに汽船で行くというのが普通だったのだろーか?交通手段としてよく出てくるんですよねぇ?

 まぁ著者は京都、大阪より神戸好きみたいなので「京都は全くの山国である。冬は寒く、夏は暑い。大阪は平野の海に尽きた三角州に出来た都会であるために、風が強く砂塵が常に地を捲いて起る。それに樹木の緑が少い形も東京に似ている。それが一度神戸に来ると、そうした嶮しい気象は、何処かに行ってしまったかのようになくなってしまう」とな…気候的には神戸が住みやすいという事なんだろか?うーん?

 それと附近の温泉地について「近畿地方は温泉に乏しいがために、上方の人たちは、温泉と言うと、きっと北国へと出かけて行くのが例になっている。従って、加賀の山中、山代とか、能登の和倉とかは、一面近畿の人たちのために備えられた温泉と言っていいようなものである」って、そーだったのか?アリス?ちなみに「せめて、近江にでも好い温泉があれば、そう遠くまで出かけて行かなくても好いのであるが、生憎そこには鉱泉すら湧出しなかった」って、ホンマでっかぁーっ?

 後、アリス的というと、異形のお饅頭で「松任では旨い饅頭が出来た」のとこかなぁ?温泉地というと温泉饅頭が普通にあるイメージでいたら、本書での饅頭記述はここだけなんですよねぇ?昔はお饅頭そんなにポピュラーじゃなかったのだろぉか?

 さて、本書は本当に著者の温泉地に対しての死角なしな世界かなぁ?素直というか、率直というか、普通のガイド本ならまず掲載されないレベルの発言ありというか?何かもー私的な日記的なソレに近いよーな気がするが…個人事情的ならば、友人・知人が渡欧するというので、温泉で壮行会しましたみたいなのもあれば、家族で湯治みたいなのもありで、その辺りは件はともかく、温泉地についての忌憚なきご意見もまた凄い…「私の経験では、食うものの一番乏しいのは、平野の温泉場だ。汽車の交通の便はあるのだから、肴でも何でも自由に入りそうなものだが、どうもやはりそうは行かない」とゆー事らすぃ…ちなみに最後に「大抵平凡で、都会の人の口をよろこばせるようなものはない」って言い切っているし(笑)そーだったのか?温泉地?

 でもって、温泉での子供についても「子供たちは大人がいくら制しても、言うことをきかずに、ひろい浴槽の中をはっちゃけて泳いで廻った」とか、子供の喧噪についてくさす件が出てくるんですが、これが自分の子供となると「夕飯には、子供たちを相手に、私は火燵板の上で酒を一本飲んだ。別に変わったこともなかったけれど、こうした幼い子を伴れた旅も面白いと私は思った」とか、「私は男の児を二人伴れていた。私は松島の旅から海岸線に来て、此処に一夜をすごそうと思っていた。「もう眠いだろう?」こんなことを言いながら私は歩いた」とか、いや、人の感覚としてはそんなもんか?

 湯治客筋というものがこれまたアレで、「附近の山村の農夫たちが、深雪に埋もれた無為の時間を利用して、醤油味噌を負って、皆そこに出かけて行くので、どうしても雑沓して静に落附いていることは出来なかった」とか、「これで百姓の味噌醤油連さえ雑沓しなければ好いと思うが、これはどうも田舎のこととで為方がない」とか、生活密着タイプはどーも苦手だった模様(笑)

 温泉地自身についても、「伊東では久須美の汽船の寄港地からずっと不揃な人家の屋根、汚い溝、ゴタゴタした子供の多い町」とか、「「藪塚は汚くてってとても駄目だが、西長岡なら、我慢が出来るよ。ちょっと面白いところだ」こう私は後に度々人に勧めた」とか、夏に行くと「夥しく雑沓する。室なども多くはふさがっていて、謝絶されるようなことはよくある。夏出かけて行った人で、伊香保を好く言う人は余り沢山はない」とか、「妙高温泉はそう大して好い温泉場ではなかった。それに、いくらか俗である。湯も遠く引いて来るので温い」とか、「風呂場は汚くて、浅くって、とても入っている事が出来なかった」とか、「越後には、温泉はかなりにあるけれども、それほど大きな有名な温泉はなかった」とか、「鳴子の停車場のあるところは、鳴子温泉のあるところで、いかにもゴタゴタした、またいやに淫らな空気で満たされているが」とか、「あの俗な岩山、薄っぺらな旅舎の番頭の追従、家ばかり大きくって湯の少ない物価の高い温泉場を私は思い出していた」とか、「武雄温泉は旅舎の構造や設備は、頗る立派で、始めて訪ねて行った旅客の目を驚かすけれども、温泉は既に老衰して、その湧出量は少く、土俗また浮薄で多くを言うには足らないようなところであった」とか…ここまで赤裸々な表現はまず、今だと使えないんじゃまいか?かなぁ?何よりこれに一番おろろいたよな…今の温泉ブックって良い事しか書いてないから…当時は名誉棄損とかクレームとかなかったんだろーか?今だとすぐにヘイトとか言われそうだし…正直者乙な感想は、どこまで表現の自由として許されるか?かなぁ?忌憚なきご意見乙とか?

 その他、温泉地事情として「東北の三楽園、それは何処かと言うと、羽前の上の山温泉、羽後の湯の滝温泉、それから会津の東山温泉であった」って、そーだったのか?というか、どーも温泉地って皆それぞれに生活密着型とか、奥座敷型とか、長期温泉療法とか、ひっきーとか、機能別にあったのか?でもって、俗なとこは「女と男と戯れ合った温泉場を見ることが出来た」になるよーで、「ここでは芸妓でも揚げて、騒がなければ面白くない。酒を飲まなければ面白くない。女を相手に一夜寝なければ持てないという風である」になるそーな…

 他にも色々温泉事情豆知識も満載で、例えば「熱海は日本でも二つしかない間欠泉の一である」とか、宿の対応で「客の取扱方にあまり上下の隔ても置かず、いやに客にしつこくちやほやせず、放って置いてそして親切にするという取扱い方である。私も初めはあまりに素気なさすぎるように思ったが、度々行くにつれて、その最初の感じの誤っているのがわかって来た」とな…客としてはそゆ温泉宿に泊まりたいものじゃね?

 時代事情が出ているなぁ的なとこでは「上海、香港、乃至は印度地方の酷暑の中で働いている外国人たちは、夏はよく海をわたって、日本島の涼しい場所に避暑にやってきた」そな…なるほろ軽井沢的なソレか?と思っていたら、それ九州の話なんですよ、日本人からしたら九州って温かいイメージでいたら、あっちから来ると涼しいイメージとはこれ如何に(笑)「そうした外国の避暑客、富んだ、贅沢な、金を使うことを何とも思わない人たちのやって来るところは何処かと言うに、それは島原半島の東の海岸、あの温泉嶽の裾の海に落ちたところにある美しい互甍粉壁、即ち小浜温泉がそれであるのであった」とは知らなんだ…そーだったのか?オバマ、もとい小浜(笑)

 と、例をあげていったらキリがないので、興味のある方は本書をドゾ。最後に本書で一番瞑想的なとこを一つ、とある温泉地で著者は「私は其処で始めて「無窮」ということに触れた。三千年前にも私が生きており、三千年後にも私がやはり生きているということを私は此処で考えた。非常に「重荷」であった「時」というものに対する解脱の第一歩を私はその静な三階の一間で得た」とな…温泉パネェ、超パネェでございます(笑)俗世間の垢も落ちるところとゆーとこでしょか(笑)

 目次参照  目次 宿泊・温泉

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