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2015年11月12日 (木)

遅くなってもしないよりはまし(笑)

いまファンタジーにできること  アーシェラ・K・ル=グウィン  河出書房新社

 所謂一つのエッセイ集というか、講演集というか、著者が現代社会とファンタジーについて語っている感じかなぁ?何とゆーか、ファンタジーとは児童文学、ヤングアダルト文学であるみたいなのが、グローバル・スタンダードなんだろか?子供にも理解できるから、それは大人が読むものでもなく、文学として取り上げるものでもないとゆー不文律が、少なくとも米文学界にはあるみたいです。著者的には、そんな事はないんじゃない、とお話している感じかなぁ?

 世間一般の認識では、ファンタジーとは「登場人物たちは白人」、「中世っぽい時代に生き」てる、「善と悪の戦いを戦っている」とゆーイメージらすぃ…世の中そんなに単純か?というか、ファンタジーは全てその範疇におさまると思っているのか?

 まぁある意味、もっと注意深くファンタジーを読みなされ、の世界かもしらんなぁ(笑)ただし、昨今は有象無象のファンタジーだらけですから、モノホンのファンタジーを探せ、もしくは出会えるかもあるかもしれんねぇの世界かもしれないけど(笑)

 いやもー、何とゆーかさすがゲド戦記の作者、ただものじゃありません(笑)でもって反骨の精神は未だ健在というか、まさにそれじゃね?かもなぁ(笑)というのも「ファンタジーは、善と悪の真の違いを表現し、検証するのに、とりわけ有効な文学です」に続いて「わたしたちの現実が見せかけの愛国心と独りよがりの残忍さへと堕落してしまったように思われる、このアメリカで、想像力による文学は、今もなお、ヒロイズムとは何かを問いかけ、権力の源を検証し、道徳的によりよい選択肢を提供しつづけています」となるそな…

 正義とは何か?と声高に叫ぶよりも説得力があると思うのは気のせいか(笑)

 アリス的にはファンタジー…ある意味ミステリの対極にあるよーな気がするが(笑)関係ありそーなとこをチョイスすると「ミステリー、ホラー、ロマンス、SFなどのいわゆる「ジャンル」フィクションについていえば、そのどれも子ども向きではない」とな…ミステリーはティーンエイジャーからなんでしょか?アリス(笑)まぁファンタジーのキャパと比べると、どの文学ジャンルもどよ?って事にならね(笑)

 後はアリスなだけにアリスだろか(笑)ファンタジー文学を語る上で、幾つかの作品が出てきますが、勿論あの不思議の国も、鏡の国も出てくるんでございますよ(笑)そして「ルイス・キャロルはあの子に向かって、あの子のために書いた。彼女に見えないところで、大人たちにウィンクしたり、にやにやしたりすることはなかった」とな…どゆ事かとゆーと「何よりも重要なことは、聞き手のあどけなさのゆえに、物語へののめりこみを控える方向に-つまり「調子を下げて」書く方向に向かうことはなかったということだ」とな…

 「大切なのは自分の感情について嘘をつかないという厳しい基準」を守って書けているか?否か?作家的にはそこが問題だ、そな(笑)まぁある意味、手抜きはあかんどすえの世界じゃなかろーか?ちなみに「この点で、オスカー・ワイルドのお伽話は落第だ。ハンス・アンデルセンもときおり落第する」と断言するから手厳しい…「それらの作品は、子どものため、というふりをしているに過ぎない。大人の自己憐憫に感情的なむごたらしさの偽装をさせるのは、残念ながらとても効果的な作戦だ」とな…

 どゆ事かとゆーと上から目線乙は子供対してどよ?とゆー事ですかねぇ…「見下して下を向いて話をされるのに比べたら、ずっといい」という事になると…まぁある意味、子供は貴方がどんな大人であるか、ずっと理解しているよとゆー事か…

 後は、同じアリスでも鏡の国に出てくる猫とは何か?でしょか?アリス的というより准教授的に?ちなみに「猫は異なる世界の間を行き来するものなのだ」って、そーだったのか?ウリ、コジ、モモちゃん?ちなみに「「アリス」の本は、心の中の動物がもっとも純粋な形で現代小説に現れた例である」になるそー…

 とはいえ、アリス関連のそれは珍しくも世界的に認知されているファンタジーという事になるらすぃ…「誰もが「不思議の国のアリス」が何を意味するかを教えたがります。でも、そういう人たちがチャールズ・ドジソンやヴィクトリア朝の道徳観や数学やリビドーについて語れば語るほど、その人たちはルイス・キャロルとアリスから遠ざかります」とな…何だかなぁ(笑)

 本書的に不思議に思ったとこは、作家に対しての質問で「どの作家(たち)の影響を受けましたか」という質問のとこかなぁ?著者は、「影響を受けなかった作家(たち)なんていたかしら?」と率直な疑問を思い浮かべているんですけど、米では(?)他の作家から影響を受けたと告白する事は何かしらの躊躇があるよーで…「偉大な作家たちから影響を受けていることを認めることで、自分の存在がゆるがされるように思う作家たちは、お伽話についてはどう思うのだろうか、お伽話こそ、本格的なパニック発作の原因になってしかるべきではないか」とな…

 何でこんなに作家が神経過敏になっているのか?ですけど、どーも米のマッチョ信仰も極まれりの世界らしくて、それは作家業にも及んでいる模様…よーするに女流作家の作品から影響を受けていると知れると、男性作家の沽券にかかわるみたいな認識だったよーで…ヴァージニア・ウルフなんかこわくないなんですよ、奥さん(誰?)もしくははいここわらうとこなんだろか?「男たちがパラノイアのように影響を恐れているのを尻目に、わたしたちは、影響を讃えて祝っていた」そーで…成程、米でフェミニズム運動が盛んになる訳だと納得したり…ついでに言うと米で源氏物語は評価されにくいだろぉなぁ(笑)米ってもしかして、女の腹から生まれたものに負けはせぬなスコットランドの王様きどりとメンタル一緒なんだろか?

 まぁ人生においてファンタジーとはとマジで考える人が余程少ないのが現状らすぃです…でも「わたしが興味深く思うのは、これらの「一生もの」の児童書のほとんどがファンタジーであることだ」の件でしょおか(笑)誰しも持っているはずの幼年期のおもひで的にどよ?ですかねぇ(笑)

 ではファンタジーは子供向けなのか?で「モダニストたちが、ファンタスティックな物語は本質的に子どもじみたものだと宣言することによって、この誤解を広げた」とな…今や「モダニズムはわたしたちにとって過去のものとなり、ポストモダニズムもおそらくもう終わっているのに、未だに多くの批評家や書評家が、キャリバンを永遠に児童文革の檻に閉じこめておこうと心に決めて、ファンタジーを取り扱う」とな…こちらは男らしさ、マッチョ思考から女性の影響を受けたくない、受けていないと否定するのに似て、子供らしさからも否定する人達の群れがいぱーいという事らすぃ…「そう、自分の大人っぽさが脅かされたと考える知識人が示す不安ゆえの残酷さをそう(マチュリスモ)と呼ぼう」とあるから、米では相当にファンタジーの立ち位置低いのか?ましてや著者の場合、女性作家で、ファンタジー作家だからなぁ二重の刻印ってか…

 面白いのはあのハリポタが流行った時の噂「魔法使いの学校の話で、すごく独創的だ。こういうのは今までなかった」を聞いた時の著者の内心の感想かなぁ?「初めてその言葉を聞いたときは、白状すると、わたし自身が書いた「影との戦い」を読めと言われているのだと思った」って(笑)

 そんな訳でハリポタってファンタジーの系譜の中の一作品じゃね?だけど、ハリポタの「独創性を讃えた人々は、この作品が属している伝統にはまったく無知であることをさらけだしたのだ」とな…所謂、学校もの、と、ファンタジーの領域において(笑)「こんなに多くの書評家や文芸評論家が、フィクションの大ジャンルについて、こんなにも知識が乏しく、素養がなく、比較の基準をほとんどもたないために、伝統を体現しているような作品。はっきり言えば紋切り型で、模倣的でさえある作品を、独創的な業績だと思い込む-どうしてそんことになるのだろう?」というのが、米の文芸界、文学メディアという事になる模様(笑)

 とゆーのも「英文学科の学生たちは、子どもの本からも、子どもと大人の両方を惹きつける本のほとんどから逃げるによう教えられた」そーで、「文芸誌がミステリーやSFの書評を掲載することを余技なくされたとしても、それらの書評は離れた場所に置かれ、ひねった見出しの陰に隠される」のだそな…これは米人的にはお得意の差別だぁーっにはならないんだろか(笑)

 ちなみに「モダニズムの大立者たちのすべて、そしてポストモダニズムのお偉方の一部は、ある言語学教授によるファンタジー三部作が、二十世紀の英語の小説のうち、もっとも愛されているものだと聞いて、ショックを受けた。彼らはどうして驚いたのだろう?」って…何か専門家ってどっかの国の純文学並にいっちゃってる感じなんだろか?まぁ学界で頑張ってくらはい(笑)

 ちなみにちなみに「わたしたちが事実に即した(ファクチュアルな)語りと虚構の(フィクショナルな)語りを区別するやり方もかなり最近のもので、便利ではあるが、どうしようもなく、あてにならない」とな…「話を語れば、それはたちまちフィクションになる(あるいは、ボルヘスが言ったように、すべての語りはフィクションである)。いわゆる「科学を重んじる西洋」のわたしたちは、この避けがたい過程に抵抗しようとして、あるいはそれを否定しようとするあまり、事実のふりをする。もしくは事実そっくりに見えるフィクションに、法外な価値を置くようになったのだと思われる」ってのは、意味深だよなぁ(笑)まさに認めたくないものだな、の世界じゃね(笑)

 まぁ真っ当な大人ならばファンタジーなんかに現を抜かすとはけしからんというのが、定説になっているとゆー事らすぃ…特に学界系は(笑)「彼らの考えでは、大人の小説としては欠陥があるに違いないということになるのだ。そこでまた、あの呪文が始まる。原始的、逃避的、単純素朴」とな…何とゆーか、かわいい現象の時にも思ったが、欧米は大人と子供の境界をきっちり分けるのがお好きだよなぁ…でもって子供っぽいというのは、評価されないんだよね(笑)完全に格下に見ている訳で、ある意味、女子供のやる事にな価値観が頑健に成り立っている世界とでもいおーか?頭固くね?

 でまぁ著者にはそれが我慢ならないとゆー事らすぃ…「子どものために書かれたから、あるいは、子どもが読むからという理由で、本をまじめな考察の対象から外し、投げ捨てるというのは、反知性主義的な野蛮な行為にほかならない」んじゃねと…「だが、学問の世界では、それが日常的に行われているのだ」とな…まぁ米の文系、今更な気もしないでもないけど(笑)

 も一つそんなもんか?で「テキストを政治経済的な観点からしか見ない習慣のせいで、マルクス主義ならびに新マルクス主義の批評家たちの多くは、ファンタジーと名のつくものをさっばり読まなくなった」そな…「彼らはユートピア小説あるいはディストピア小説として読めず、社会的問題に明確に関わるものとしても読めないファンタジーは、下らないものだと片づけてしまいがちだ」になるそー…トーシロから見ると資本論も壮大なファンタジーに見えるが、それにどっぷり浸るとそれ以外はあきまへんえになってしまうのか(笑)まぁ神聖にして侵すべからずだろーから、同じ俎上にのせるなんてフトドキ者になってしまうんだろなぁ…

 動物小説系のお話のところでも、それってどよ?とゆーか、自然についての感覚が、やっぱ欧米か?の世界か?鬱蒼と茂る森とか、森の帝王たる動物たちとか、そゆ世界観ってゆーのも欧米人の感覚的にどよ?らすぃ…

 というのも「ユダヤの砂漠の部族は」「大地を、養ってくれる母体とは思わず、敵だとみなした。相互依存のネットワークではなく、支配するべき王国だと考えた。動物は人間からも神からも完全に切り離された。人間は神に委託されて、ほかのすべてを支配すべきだということになった」という世界観らすぃ…家畜化や都市化によって「自分たちをほかの種から切り離し、違いを強調し、自分たちのほうが上だと主張して、近縁関係とそれに伴う義務を拒否することが容易になった」とな…かくて「ヨーロッパでは、動物とともにコミュニティーをつくり、隣人として暮らすという考えが非常にまれになり、アッシジのフランチェスコはそう主張しただけで、変人で聖人ということになった」とな…どこぞの環境保護団体は、まず中世のご先祖達に対してどゆ見解を示しているんだろーか?70年前だと謝罪しつづけなければならないらすぃが何百年前だと…

 まぁ何とゆーか、宗教に束縛されてきた側面に対してどよ?とゆー事かなぁ…「旧約聖書の神は言う。「光あれ」その聖書によれば、人間だけが神の姿をかたどっているそうだ。ゆえに、神と「わたしたち」だけが「光あれ」と言える。でも、そうなら、朝の四時に雄鶏はなんと言っているのだろう」コケコッコーじゃないでしょーか(笑)

 とはいえ、動物文学的な表現もどよ?かなぁ?というのも野生の馬とか牛の集団ではリーダーが雌じゃね?とゆー事らすぃけど、たいていの小説はその群れのボスとかリーダーは強いオスって決まってんからなぁ(笑)生物学的なとか、自然をあるがままに見てとかになるとマッチョの旗色って…その点もなんだかなぁな世界なのか(笑)

 そんな訳で数多ある動物文学についての考察についての詳細は本書をドゾ。ピーターラビットだってあるじゃまいか?ですけど、これもマッチョ視点なのかなウォーターシップ・ダウンもある訳で…ちなみにウサギも母系集団だとな(笑)

 文学的にはメインストリームというよりは辺境にいたみたいなファンタジーですけど、それでもそゆ慣習から自由であったかとゆーと、著者がファンタジー畑に入った頃は「ファンタジーは特に男性中心のジャンルでした」とな…

 後は、著者の現代社会に対する警鐘的な嘆きかなぁ?「アメリカ人の思考は戦争や戦闘というものにとりつかれています。人生の戦い、善と悪の戦い-これらは常にいんちきな比喩でした。究極の兵器がある今の時代には、積極的に危機をもたらします。これらは聞こえのよい表現で暴力を是認することによって、思考を停止させます」の件は、米人自身が米人に対して発しているけど、その大半の米人がどー受け取るのかは、まさに神のみぞ知るだなぁ(笑)

 また、「未熟な人たちは、これは良い、これは悪いという道徳的確信を渇望し、要求します。このわかりにくい世の中で、ティーンエイジャーたちは確かな道徳的足場を求めてあがきます。彼は自分が勝ち組にいると感じていたいのです」の件も、何もそれはティーンエイジャーに限った話ではないよーな…何事も勝ち負けに異常に、もとい非常にこだわりすぎるのが米人の特徴の一つではなかろーか?正義とは勝利の免罪符なりとか?

 そして現代、ファンタジーの現状はとゆーと、「巨大な商業的ジャンルになってしまった」に尽きるよーです…「不気味な地名をちりばめた地図が一枚あればそれれでよい。誰もが剣をもち、魔法を使う。経済の基盤がどうなっているのかはわからず、なくてはならない善と悪の戦いが続く」しかも「善玉と悪玉を見分けるのは難しい。というのは、全員がすべての状況への反応として、またすべての問題の解決策として暴力を行使するからだ」とな…かくて「善玉とは三部作の第三巻で勝利を収める側のことだ」となる模様…もしかして、はいここわらうとこ、なんだろか?

 子供向けの分かり易さとステレオタイプの分かり易さは分かり易さが違うと思うけど、何だかなぁ…ファンタジーとは何ぞや?とゆーか、自由自在なファンタジーが、そのファンタジー自身が不自由な存在になりかけているのはこれまた何だかなぁ…

 最後に本書で一番笑わせてもらったとこを一つ、なんちゃってファンタジーのお馬について…「ファンタジーランドの馬たちときたら、トヨタのプリウスみたいに、日夜休みなく駆けつづけるのです」そーだったのか?トヨタ?

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。まぁある意味本書はモノホンの分かるモノホンの読者へ捧ぐじゃなかろーか?

 目次参照  目次 文系

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