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2015年12月31日 (木)

勝者は美しいが分からない(笑)

人はなぜ「美しい」がわかるのか  橋本治  筑摩書房

 タイトル通りの本なんだと思われですけど、今年読んだ本の中で一番、何が書いてあるのか分からなかった本じゃなかろーか?相変わらず読解力がなくて済みませんでして…結局言いたい事は表題通りなんだろーなぁ?なんですが、著者の思い出話があちこちに出現して、それに共感するまではともかく、それと結論に結びつくリンクがよく頭に入って来ないんです…すまん、頭悪くって…

 と、ゆー訳で著者の幼き日の思い出とか、二十年前の話とか、軽井沢での散策とか、自作の登場人物の心理とかは何とかついていっても、美しいが分かる分からないはどーよ?ってどーよ?なんですが、それでも分からないなりに最後まで読破したとこが本書の凄いとこかなぁ?自分史的に(笑)いや、次を読めば分かるのだろーか?と思いつつページめくっていったら最終ページまで行き着いてしまったとゆー事になるのだろぉか(笑)

 取りあえず、著者的には、美しいが分かる分からないについて「どうして人には、"分かる"という、主体的でそれゆえに個別的なことが起こるのか?」で、美しさが分かるのか?ではなくて「人はなぜ「美しい」がわかるのか」だそーで、「「分からなければ美ではない」と、私は考えます」とな…美とは分かるか?分からないか?もしくは美を、人が分かるか?分からないか?美と人のセット販売なんだろか?とどこまで言っても霧の中な読み手が通りますよって…

 アリス的に美しい…美の審美感についてだと、やはりその手の感度が一番高いのは天農画伯になるのだろーか?職業的に?アリスの場合は美人に弱いとゆーノリのソレかなぁ?ロシア紅茶のとか、スウェーデン館のヴェロニカさんとか、描写力が一挙に上がっているの気がするのは気のせい(笑)

 他にアリス的なとこでは、対象に対しての対応についてのとこで、人が人を見た時、ここでならまず美の話なんですが、「なにかが向こうからやって来た。それがなにでどんなものであるのかを考えず、いきなり、「これに対して自分はなにをすべきか」を考えてしまう」の件で、その対応の一つに「これがもっと極端になってしまうと、「自分のどこかを刺激したものに対して殺意を感じてしまう」になります。そんなやつがいるからこそ、無残な殺人事件も起こるのです」って、そーだったのか?准教授?

 それと美術品の価値についてで、何故に美術品は高価なのか?が「そもそも「美術品は高価であってもいい」という前提があればこそ、その製作に関わる芸術家のギャランティは高くなる-つまり、美術品とはそもそも製作原価が高いものなのです」って、そーだったのか?アマノン?何故にそんな了解事項が罷り通っているかというと「「値段は高くてもかまわない。自分の勢威を誇示するためななら、高ければ高いほどいい」と言う、王侯貴族のために作られたものだからです」って、なるほろ。美術品とか宝飾品って、全ては見栄の為に存在していたのか(笑)セレブやねんってか(笑)

 クリエイターとしてどよ?では「今の私たちは「作る」ということに関してあまりにも鈍感になっていて、「作る」ということが、無数の「出来ない」を克服した結果なのだということを忘れています」かなぁ…作家的にどーなんでしょ?アリス?

 作家的といえば「作家志望の人間が、作家になったつもりで-あるいは作家になるつもりで、書く。その時に起こりやすい間違いは、「既成の作家の書くようなことを、既成の作家が書くようにして書く」です」「自負心の強い人間なら、「既成の作家のように」はせずに、「自分に影響を与えた作家のように」を選択するでしょう。そして、自分のオリジナリティを失う」とな…で、この失った事を気付くか?否か?が運命の分かれ道って奴でしょか?むしろ、「自分が、自分を魅了するような存在と一つになっていると思って喜ぶ」にいっちゃっているかもしれないってか?作家の創作性って、厳しー…

 も一つ作家的というより小説的なとこで、自作と登場人物と作者の関係かな(笑)著者は自作をテストで使用された時の解答が違うんじゃね?と疑問をていしていらっさいます(笑)よくある自分の作品を使用した問いに作者が間違うという奴ですね(笑)ここで作者は何を思っているのでしょうとか指摘しているのでしょうとか、全然違くね?という作者は物凄く多いよーな気がする(笑)ていうか、むしろ合ってるという作家を見た事ないんだが、どこかにいるんだろーか?ちなみに著者によると「作者が地の文で書いた説明をそのまま我が事として理解する「登場人物」がいるでしょうか?「作者はこうだと言う、しかし、作中人物はそれを理解しない」というところで、小説というのものは成り立っているのです」は、作家的にどーなのだろぉ?とアリスに聞いてみよーってか(笑)

 他にアリス的というと有明の月、十二月の月の描写のとこですかねぇ?王朝人は十二月の月、それも二十日過ぎの月は大嫌いだったとな…王朝人的に言うなら「見るべきではない」になるそな…というのも「王朝人は「終わる」ということが好きではありません」だそで、だから十二月は嫌い、一月は好き、月の終わりも嫌い、有明の月は好き、かくて夕焼けも嫌いだとな…よーする終わりを示唆するものは皆嫌いというか、排除していた模様…そーだったのか?京都上流階級人(笑)夕日はかろうじてあるらすぃ…夕陽ケ丘的にはどよだけど、どちらかというと黄昏とか夕靄の方があると思いますの世界だった模様…どこまで曖昧なままがいいという事らすぃ…

 さて、本書トータル的どよ?というのがピンときていないので、ちまちまと拾い上げるしかできないので、いつも以上に細切れなアレなんですが、まずは美を前にした人の在り方?で冷静に見る、批評家になって見る、に感動はないとゆーとこでしょか?「疲れることでつまんないことです。そんなことをするよりも、さっさと感動をしてしまった方がいいのです」で、美を前にすれば人は素直に感動する生き物らすぃ…ただしその美が分かれば(笑)

 こゆのは見た瞬間に分かるとゆー奴でしょか?で著者は言うんですね、「「美しい」に関する理解は、「恋の訪れ」と同じものになります」とな…この説明が実に凄いんですよ「人は、まず恋をして、その後で、自分の恋した相手がどんな人物かを知ろうとします。他人に関するデータだけを集めて、そのデータに恋をして、「恋」を前提にしてその相手に会うというのは、恋なんかではありません。それは、「自分の幸福に対する打算」です」って、成程、何故お見合いがつり書きから始まるのは良く分かった気がしてきた(笑)

 後、男性は何故美しいとか、奇麗という言葉を言わない傾向があるのか?で、それを「口にするのは男らしくない」、「という教育を受けて、それを禁圧してしまったのです」からなのか(笑)そんな言葉を使うのは女々しい、もしくは恥ずかしいになってしまうんでしょか?ある種、社会的抑圧(笑)

 で、も一つ男性と女性ではニュアンスが微妙に違うなソレが、いい男といい女の評価らすぃ…美しい男=いい男なのか、美しい女=いい女なのか、ここに「やりたい」の概念が絡んでくると(笑)この辺りの葛藤についての詳細は本書をドゾ(笑)

 そもそも美しいは理解するものなのか?の問いも興味深い事になるのだろーか?「「美しい」をわからなくて、「美しい」を苦手とする人達は、理性的であることが好きで、合理的であることが好きで、「なんでも自分で判断して決めたい」と思っているか、「なんでも自分で判断して決めなければならない」と思い込んでいる、主体的が好きで、意志的が好きな人達です」とな…「こういう人達には「理解力」があります。「理解力」だけがあって、「類推能力」がありません」かくて彼らは主張するってか「分かることは分かるんだから、"なに"が美しいか教えろ-そうしたら、理解して覚える」…成程、美とは覚えるのものなのか(笑)ただ、この理解も曲者だよなぁ(笑)というのも「それはもちろん、「「当人の理解に合致するように説明されたから」の限定付きですが」になんですよね(笑)

 美の概念の一つとして合理的なものは美しいというのもあると思いますなのか?これを見た日本人は「「うるはし」とか「カッコいい」という感動の言葉を発します」だとな…そーだったのか?アリス(笑)でもって、これも知らなかったけどカッコいいって国語辞典に載っていない言葉だったのか?所謂一つの「「俗語」扱い」という奴らすぃ…辞書業界的にはそれがジャスティスなんだろか?カッコいいとは利己的な言葉で、利己的な判断という事になるのか…まぁ確かにあの人カッコいいと発言した場合、賛同をえるか?否定をえるか?は人それぞれだろしなぁ(笑)

 さて、美の判断基準は那辺にありや?で、自分の外にあるのか?内にあるのか?それが問題だ?ですかねぇ…「自分の内側にその判断基準はなくて、常に「外側にある判断基準の適用」ばかりを考えています」になっちゃうと判断ミスや「恣意的な判断が罷り通る」事にもなっちゃうよの例がこれまた秀逸「それはつまり、「法の遵守を本分としていながらも、官僚による不正はやたらと起こる」と同じです」って、はい、ここ笑うとこでFA(笑)

 話は戻って、合理的な美はありか?で所謂一つの機能美だと思われなんですけど、世の中それだけで美を語れるか?と言えば、そーじゃないだろ?もあって、ああ、美しいってむつかしー(笑)ある(もの)と対して、それを美しいとするか?否か?は「「自分の都合」によって、すべてのものを解釈し直しているだけです」になっちゃうのか?勝手にそこにあるもの、または自然にそこにあるものを、自己責任もとい自己判断に基づいて、美しいカテゴリーあると思いますになると(笑)でもって、人間の悲しいサガの利害も絡んでくると…この辺りの詳細も本書をドゾですが、まっこれも一つのそんなの関係ねぇーそんなの関係ねぇー(死語?)になるのだろぉか(笑)

 ただ、あるという事で「自然界に「危険なもの」はあっても、「醜いもの」は存在しないからです」と著者は分類するんですよね…「「醜い」は、人間にだけ関わるものなのです」となる模様…これまた「存在に美醜はない」という立ち位置にいらっさるよーだけど、でも例外が一つある、それは「人間の存在にだけは美醜がある」じゃまいか?という事らすぃ…というのも「人だけが「自分の存在」を作るからです」とな…何とゆーか存在とは怖いものだったんだなぁ…かくて「人の「存在」の美醜は、容貌とは直接の関係がありません。自分の容貌をどのように解釈するかが「人の都合」で、人の美醜はその下にあります」とな…何の事かさっぱりとゆー人に、「「存在」という言葉がややこしかったら、「ありよう」というルビをお振り下さい」で、スッキリぃーってか(笑)もしくは永田町や霞が関を思い浮かべるとか(笑)

 それにしても「「醜い」と言われることを、人間は恐れます。だから、「存在の醜さ」を隠そうして、「容貌の美しさ」に走るのです」って、それって側の話ですよねで、服装メイクはともかくもしかして整形なんかも入るのだろぉか?とふと思ってみたり…「人にとって、「美貌」というのもまた、貴族的な社会特権なのでしょう。「特権があれば生きやすくなる」というのもまた、人間の思う「都合」の一つでしかありません」って、そんな一刀両断…そこにしびれるあごかれるぅ(笑)

 で、この存在は何ぞや?も「人間は、放っておいても「人間」にはなれません。そのことは、二十世紀末から二十一世紀初めの日本人のていたらくが証明しているでしょう」って、これまたそんなドキッパリと言い切っていらっさるし(笑)で「人間は、人間になるのです。「なる」という意志によって、人間は「自分という存在」を作るのです」とな…

 さて、本書で思わずそれってありですかぁーっ?とクスっとしてしまうとこの一番がこの清少納言と吉田兼好の対比じゃなかろーか?枕草子と徒然草の比較とも言うですけど、清少納言がある意味バブル真っ盛りのイケイケ系とするならば、吉田兼好は現代のリストラされた親父の哀愁って奴ですかねぇ…

 と、その前に、平安時代の日記文学パネェでござるの巻ですけど、これどれも女性が書いたものじゃね?な話で、「王朝の貴族の男達はいくらでも日記を書いていますが、それは「文学」として扱われません。王朝の時代のありようを記録する「史料」として存在します。女性の書く日記が「文学」として扱われるのと大違い」という事になるらすぃ…そーだったのか?アリス(笑)

 それだけでも枕草子と徒然草、出すまでもないよーな気がするが、男だってそゆの書いてみたいと思いませんか?の具現が徒然草だったのか?それが「言ひつづくれば、みな源氏物語云々」と兼好も一言おことわりを書いていらっさると…既にあるけど書きたいんだから書くそれでいいではないかってか(笑)とはいえ、「「徒然草」の作者は、既知の常識を並べたてるだけで、「自分の目で見たこと」を書こうとはしません」とな…

 何が問題か?というと所詮は二番煎じじゃね?という事かなぁ?「「影響を受ける」というのは、「落とし穴に落ちる」と同じです」になる訳で、そっから脱出するには「「努力」がいります」になる訳で、「「自分の存在を作る」とは、いつの間にか落ちていた落とし穴から出るということで、努力がいります」とな…よーは真似で終わっちゃうよという事か…コピーかこわるいになるのだろーか(笑)どこぞではコピーしてオリジナルだと臆面もなく言い張ゴボンゴホン…

 えと徒然草に戻ると「「徒然草」は「王朝の美学」を語ることに挫折した男による、日本で最初の「人間世界」を語るエッセイ集です」となるそーな…どゆ事かとゆーと兼好的には「気がつけば「王朝の美学」はもう遠く去っていて、自分の目の前には「美」を欠いた雑な「人間世界」があった。つまり、「現実に目を向けた」です」…ねっ男の哀愁でしょー?むしろ諦観か?本当に見たい世界は霧散していて、今を見るしかないとゆー、じっと手を見るってか?憧れは所詮憧れに過ぎないとゆー奴、人生諦めが肝腎、分相応、何にしてもコレ上向きな話じゃないよなと(笑)

 「流行から遠ざかり、「無難が一番」に徹し、「無意味」とか「センスが悪い」以前に、「センスがない」と思われている「日本のお父さん」の原型が、兼好法師です」って…もー現実感ダダ漏れな気がしないでもないが…だから徒然草って殿方に人気があるのか?うーん…まぁそれもともかく「清少納言は、「最上流ならざる中流」を許さず、その「最上流」が崩壊してしまった後の時代に生きる兼好法師は、かつての「中流以下」を容認するしかない」の件は、昨今の殿方のお話に戦後の高度成長期前辺りを回顧してるんだか、懐古してるんだかが多いのは気のせいじゃなかったのか?日本がまだ貧しかった頃良かったですよ、みたいな(笑)

 さて、本書は美がメインなので吉田兼好とは何ぞや?となれば「中流的で平均的な日本の中年男」だそで「「美しい」が分からないわけではない。「美しさ」への自負心もある。その「知識」だけはあって、でも気がつくと、いつの間にか「美しい」とは遠いところに来てしまっている」なお人らすぃ…「「自分はたいした特性はない。無難が一番だから、無難を選択するしかないな」と思って、でも自負心ばかりはまだ残っているから、「無難に埋没している中年男」なんてことを他人から言われたくない」中年男の葛藤なめたらあかんぜよって事か?本音はポルシェ乗り回したいなんでしょか?兼好?

 いやぁ、本書で一番圧巻なのは、この兼好法師講じゃまいか?ですので詳細は本書をドゾ。是非ここだけでもドゾと個人的にお薦めしとこー(笑)涙なくして読めません(笑)

 美をおいかけてと言うよりその回りをグルグルしている感じだが、美の発見とは何ぞやで、ある群れの中から、ある場所から、自分が見つけてしまう美…とは「「美しい」という感情は、そこにあるものを「ある」と認識させる感情で、「ある」ということに意味あると思うのは、すなわち「人間関係の芽」です。「美しい」は、「人間関係に由来する感情で、「人間関係の必要」を感じない人にとっては、「美しい」もまた不要になるのです」といきなり突飛な話じゃまいか?ですけど、言われてみればその通りな話かなぁ…

 と言うのも「「美しい」を実感する能力を養うために、「豊かな人間関係」は不可欠です。それがあって、人は安心して外部に目を向けることが出来ます」だからだそな…ストレスなくして初めて、外に視線を向ける事が出来るという事か?ただ、豊かな人間関係があっても現状が一番外なんか見る必要なしとか、逆に殺伐としていたら「とても悠長に「美しい」を実感している」なんてことを許しません」となるそな…内にリラックスな生活があって、更に外に現状より上の美があるとゆー、こゆ環境がないと「「美しい」は育ちません」となるとな…美しいを認識するって結構場所と空間を選ぶのか(笑)

 他に美しいと思うもので、「キラキラ輝くもの」も、そじゃね?でしょか?例えば、金、銀、宝石、太陽、月、星、町の灯、夜景等を人は「どういうわけだか、「光るもの」を「美しい」と思います」とな…世界は皆キラキラしているなんて、それは恋か?の世界かもか(笑)さて、著者は自作登場人物の父と息子を出して、愛情と美、についても解説していらっさいますので、詳細は本書をドゾ。

 さてさて、美しいが分かる人、美しいが分かる社会とかまぁ色々あってなの世界が展開していると思われなんですが、最後まで読んでも、で、わっかるかなぁー?わかんねぇーだろーなぁー?な世界だと思うのは気のせいというより、やっぱ読解力がないからなんだろーなぁ(笑)ちなみに著者は本書の中で、「私の話の分かりにくい最大の理由は、「自分なりに理解しているはずの"美しい"に対して、自分とは違う"他人の基準"を押しつけられているから」です」っておっさっていたりして(笑)

 他にもいぱーいエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。そして分かったらこっそり教えてくらはい(笑)こちらは未だに、本書って前向きなのか、嘆き節なのか、全然わからないの中を漂っておりますゆえ…

 そんなノータリンにも一発で分かったとこを一つNHKのディレクター氏のお言葉「視聴者にうける番組をやっていると、受信料の不払いを言い立てる人の数も減る」のとこでしょーか(笑)だからうける番組制作をらすぃのですが、さすが、公正、中立、公平を謳うNHK、言う事がしんしじゃまいか、そこにしびれるあこがれるぅー(笑)

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