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2016年1月 2日 (土)

うましくに、みけつくに~

伊勢参りと熊野詣で  茂木貞純  青春出版社

 頭書きが、図説地図とあらすじでわかるでして、コピーが、なるほど、そんな繋がりがあったのか!…日本人が熱狂した二大巡礼の聖地をたどる、とな(笑)そー言えば、熊野古道が世界遺産になるのだから、熊野の三社もそりゃスゲェの世界だよなぁと今更思い出す始末…いやぁ伊勢と違って熊野って断崖絶壁系というか、健脚じゃないとお参りいけない雰囲気があって今一トーシロ的にどよ?と躊躇していたんですが、今なら大丈夫なのか?初詣で的にどよ?と…すいてる時に休み休み行けばパンピーでもオケ?

 それはともかく、熊野って古代人達は「「隠国」、すなわち、外界とかけ離れた異界への入口、死者の霊魂がこもる死者の国と見なしてきた」とな…そーだったのかぁー?ちなみにイザナミが葬られた場所が花窟神社だそで、ここはイザナミの陵、黄泉国の入り口とされた場所という事になる模様…熊野の神社ってどこもいわくが凄そー…そんな訳で「この地では水葬や風葬、納骨の伝承が残されるなど、他界への入口と見なされていたことがある」そで、「水葬された人々の霊は常世国へ赴くと常世神となり、海の彼方から来訪して豊作をもたらすと信じられていた」そな…神様に近い国ってか?

 一方伊勢の方はというとこちらは「古くから土着の太陽信仰」があったそな…「伊勢国はもともと、太陽神の猿田彦命が二十万年も治めていた地だという」って…神様の時間軸は相変わらずパネェ(笑)ちなみに大和国から見て朝日の昇る方向にもあるそで…かくて天照に結びついたんじゃね?って事にもなると…

 こーなってくると伊勢と熊野の対比って、計算されたかのよーな気がしてくるんだが?気のせいか?日本の聖地って(笑)

 アリス的に伊勢と熊野…まぁアリス関西人なので結構行っている気がしないでもないんですが?ダリ繭と朱色的に近いのか?でもって、アリス的というなら伊勢の夫婦岩ですかねぇ?「猿田彦命の神体は二見浦の海中に祀られ、夫婦岩がその鳥居の役目を果たしている」そで…更に凄いのが「夏至の頃には、この夫婦岩の真ん中から注連縄をくぐるようにして朝日が射し昇る」そな…成程伊勢の日の出は違う…それにしてもあの二人行く先々で恋人岬とか、夫婦岩とか鑑賞している訳で、やはり違う(笑)

 後は海奈良その他で出てくる近松門左衛門で「当世小栗判官」でしょか?近松ものは結構色々あるけれど小栗判官が舞台の一つが熊野とは知らなんだ…正確には湯の峰温泉ですか?根底にあるのが「浄不浄を問わず救済するという熊野信仰」らしーんですが、そーだったのか?熊野?何気によみがえりの国だったんですねぇ…今で言うパワースポット全開ってとこでしょか?

 他にアリス的というと乱鴉と朱色で、牛玉宝印ですかねぇ?「熊野三山の牛玉宝印は、和紙に木版刷りで社名が記されている。文字は、熊野神の使者とされるカラスの姿を図案化した烏文字が用いられ、さらに、神仏の「みたま」の印である如意宝珠印が朱墨で記されている」そな…で、これが何か?というと「武士の起請文にもしばしば用いられた」そで「牛玉宝印の裏に約束事を書き記すことで、熊野権現に誓願したのと同じ意味を持つとされた」とな…

 で、これがどゆ事を意味するかというと「もし約束が守られなかった場合、熊野のカラスが三羽死に、約束を破った者は血反吐を吐いて地獄に堕ち、殺したカラスから責め苦を受け続ける」とな、それどこのプロメテウス…

 武士に二言は無い系の話も時代が下ると庶民にまで行き渡る事になる訳で、ここで朱色じゃないけど落語きたこれで「古典落語「三枚起請」は、三人の客に同じ起請文を渡した遊女をめぐる話である」とな…所謂一つの三またをかけた遊女の話なんですが(笑)「嘘の起請文を書くたびに熊野でカラスが三羽死ぬ、罰当たりだと言い募る男らに対し、遊女は「いっそ世の中のカラスを全部殺してしまいたい」と言う。「そんなカラスを殺してどうなるんだ」と男らが問うと、遊女は「朝寝がしたいんだよ」と答える」とな…そーだったのか?遊女?じゃないけど、これ三千世界の鴉を殺しって、確か長州の幕末の志士と遊女の色っぽい話というか、都都逸のはずが、元ネタは朝寝坊のススメだったのか(笑)なんてこったぁーい(笑)

 さて、伊勢の設立というか、歴史については今更なんで詳細は本書をドゾなんですが、「朝廷が神宮の整備に本格的に着手するのは、645年の大化の改新以後となる」とは知らなんだ…「天皇を中心とした中央集権体制を推進する朝廷は、祭祀制度の確立に向けて孝徳天皇の時代に度会と多気に屯倉を設け、伊勢神宮の政務を処理する神たち司を設置している」とな…(ちなみにたちの字はまだれに寿の字)と飛鳥時代に確立していたという事か?で奈良、平安と続いていく訳ですが、こちらも詳細は本書をドゾ。

 一方、熊野の方は浄土教の聖地となったり、蟻の熊野詣でとかもあったりでこちらも詳細は本書をドゾですが、アリス的には熊野古道の紀伊路(中辺路)でしょか?というのも、このルート「京都から船で淀川を下り、摂津で上陸。天王寺、住吉を経て和泉国を南下し、紀伊国に入る。さらに南下して藤代坂、蕪坂などを経て田辺に達する。そこから東に方向を変え、山路をを本宮に向かう」とゆー道筋で、何と天王寺が通過ポイントになっているんですよ、奥さん(誰?)アリスん家、昔から主要道の要所だったのかぁーっ(笑)

 事件的には八代荘停廃事件(1162)による伊勢・熊野信仰の同体説のとこが非常に興味深いです。詳細はこれまた本書をドゾですが、所謂一つの荘園の横領事件なんですけど、ものが神社、神域に属するものですから、神様の持ち物を盗んだ事になる訳で、で、それがどこの神社に属するんじゃーっ?とゆー事で罰の重さが違うんですよ…まず熊野ならば流罪、ところがこれが伊勢ならば死罪になると…伊勢パネェ…それにしても神様の物を盗む人って昔から居たのか…

 時代は武家と進んで、源頼朝は「伊勢の度会氏の水軍が侮りがたい力を持つこともあり、伊勢に関心を寄せていた」そで…「神宮への年貢納入などを諸国に厳命して保護している」とな…それにしてもこれまた知らなかったのですが、「伊勢は、もともと平維衡以来伊勢平氏の本拠地であり、伊勢湾で組織された水軍は、平清盛の時代までは熊野の海民や北九州・松浦の水軍と連合し、西日本の制海権を支配する存在だった」とな…

 で、平清盛が勢力拡大するとそれに反対する者も出てくる訳で…熊野水軍もそんなとこ?の世界が展開していた模様…でこれが壇ノ浦に繋がる訳だから歴史ってこあい…一方、伊勢の方はというと南北朝時代、伊勢は南朝についたとはこれまた知らなんだ…いやー神社も歴史と一蓮托生ってか…かくて室町時代は冷遇の時代だったよーで伊勢の式年遷宮も中断する事になると…で、これが復活したのが織田信長のおかげだったとは知らなんだ…信長によって多額の寄進によりでけたとな…で秀吉、家康と武家支配の下に宮社としてこれまた存続していく事になると…

 でで、江戸時代は「伊勢と熊野はともに紀伊藩の支配下にあった」ってそーだったのかぁー?いえ、地理に疎いのでどーもアレなんですけど、紀伊半島の下半分は紀伊藩と見ていいんだろーか?武家政権下の社寺のあり方というのは「勧進活動の規制と、領地の制限」だそーで…一揆ダメ絶対とゆー事か(笑)一応、伊勢は家康から朱印地として見とれられていたのでその他信徒とかの浄財もありで経済的には安定していた模様…そんな中の伊勢参りなんでしょねぇ(笑)江戸一大旅行ブームってか(笑)

 他にも豆知識満載なんですけど詳細は本書をドゾ。個人的に一つ上げるとするなら八咫烏のとこかなぁ?八咫烏と神武天皇のエビは日本書紀をドゾですが(笑)「古代の神話において、カラスは神に近い「霊鳥」と見なされていた」そで熊野八咫烏の神話は勿論ですけど、他の地域でも結構あったんだなぁと感心しました…津島神社の烏呼神事(旧暦正月22日)とか、熱田神宮の烏祭(2月と11月)とか、多賀大社の先食行事(4月22日)とか、上賀茂神社の烏相撲(9月)とか、厳島神社のお烏喰神事とか、あるある(笑)

 いやー日本の神様、神社パネェとお正月に振り返ってみるとか、気分はディスカバージャパンってか(笑)

 目次参照  目次 文化・芸術

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