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2016年6月17日 (金)

まろはみな人にゆるされたれば(笑)

アーサー・ウェーリー 「源氏物語」の翻訳者  平川祐弘  白水社

 東は東、西は西って事でしょか(笑)英国、翻訳事情とも言うなんだろか?で、源氏物語世界デビューはこの人から始まったとゆー事らすい?まぁそれなりに読みでのある本ですので、これはまずは読んでみてちょっ(笑)の世界だと思ふ…源氏物語と、翻訳というものに理解がある方にしてみれば、なるほろな本じゃまいか?と?後は異文化間コミュニケーションとか?こちらになると社会学か?後、英国近現代史とか?

 そんな訳で、序文にも英国で源氏物語六分冊発刊(1925-33)のポイントとは何か?で、一「その意義と巨視的にinterculrura; relations、いいかえると国際文化関係論の中で考察すること」、二「作品それ自体を微視的に世界の文学の中で観察し吟味すること」の二点が大事じゃね?とゆー事らすぃ…マクロで見るか?ミクロで見るか?それが問題だってか?

 源氏物語が日本人的には、国内的には、不動の、不朽の名作である事は自明の理なんですけど、果たして世界的にはどよ?って事ですかねぇ?いえ、知ればおのずと分かるものですけど、時代的背景的に、まぁ今もかもしらんが(笑)世界は日本(語)を必要としていない、にましてや日本文学なぞもっと必要としていない、じゃね?と(笑)

 日本にいるとというか、日本人は、よそからきたの?的なのが大好きな国民ですから、翻訳をせっせとやるのっていうのに、違和感のない国民性でして、何せ中国(アジア)からうん千年、漢字キタコレかなもキタコレからでも千五百年以上の歴史ありますよってにで、戦国以降はスペイン、ポルトガル、オランダ語erc.もキタコレですから…そして、明治維新以降は、それこそ和魂洋才で欧米か(死語?)の翻訳が怒濤の世界だったろし(笑)よーするに翻訳慣れしていて、更に翻訳受け入れ慣れもしていたんじゃまいか?ですよねぇー?じゃね?

 ところが、当時の欧米からして見れば、日本など三等国、観るべきものは何もなしとゆー、欧米世界が世界中でただ一つ輝ける文明、文化じゃねで、これは不動のものなのよ?と西洋優位性を上も下も盲信していた時代じゃまいか?ある意味、全欧米人が藤原道長状態じゃね?(ちなみにこれは江戸以前の中華圏も一緒(笑)「徳川時代を通して日中間には貿易が行われ、日本はおびただしい数の漢籍を輸入したが、清朝シナは和書を輸入していない。もちろん和書を漢文に翻訳などしていない」とな…自称大国のメンタリティってどこも似たよーなもんなのか?)

 まっそんな訳で、日本語学というか、日本文学の権威だったバジル・ポール・チェンバレン、ちなみに東大教授も務めていたお人、所謂お雇い外国人教師という事になるのだろーか?「「日本文学には思想・論理的把握能力・深み・幅・多面性が欠けている…もっとも欠けているものは天才である」と持論した」お人らすぃ…まさに当時の欧米人、大英帝国人とも言うべきなのか、上から、超上から目線乙な人物だったらしー(笑)そんな人が、日本文学の世界的権威、本当にありがとうございました…戦前のこの手のアレは今更ですけど、何がアレって、こゆのに同調するというか、完全に同意なんて洗脳学者がいぱーい日本人学者から出てくるとこだよなぁ…自国をくさす事に血道をあげる文化人って昔から日本はこれまた事欠かない訳で(笑)

 そんな時代的風潮というか、文壇、文学界、学会、学界etc.の中で、そんな事なくね?と一人、源氏物語を翻訳して出版した人がいたとゆーから…これまた腐っても大英帝国、文化人なめたらあかんぜよってか?教養の蓄積が違いますって事なんですかねぇ?まさにロンドンに雷落ちた並のインパクトあったんじゃね?な(笑)

 この一石投じたお人が、本書の主人公アーサー・ウェーリーとなる模様…独学で中国語と日本語を身につけた、真の語学の天才あらわるじゃね?なんですよ、奥さん(誰?)

 アリス的に、源氏物語、翻訳家、英国人ときたら、ここは英都大の文学部講師としてウルフ先生を外す訳にはいかないんじゃまいか?まいか(笑)よーするに一昔前はというか、戦前戦後の欧米のエスタブリッシュメントは、ウェーリー版の源氏物語で、日本文学を知ったというか、開眼したとゆー事になるらすぃ…それなりの教養人ならば皆知り、そして、プルーストとかセルバンティスとかと比較する話にまでいってた模様…何せ、東の果ての野蛮な未開国に、千年前の小説キタコレで、しかも王朝文学で、女性が書いたとなれば、それってマジですかぁーっ?と世界は騒然としたよな?

 他にアリス的というと作家として「実際、ものを書く人は、出版社とゆるぎない信頼関係に結ばれない限り、息の長い大仕事はなしとげ得ないものである」とな、そーだったのか?片桐さん(笑)

 後、アリス的というと、これは准教授の事じゃないのか?な「ウェイリーは孤独な人であった。しかし彼ほど学問の出来る人にとっては学問の出来ぬ同僚などは傍にいない方がむしろ気楽であったろう」じゃね?英都大始まって以来の最年少准教授、あれだけ異端ならば水面下では色々ありそーと思うのも邪推のし過ぎだろか?英都大教授会?

 世界でいち早く源氏物語の価値を見抜き、世界にお披露目した天才、アーサー・ウェーリーとは誰か?何か?そして、世界は?ついでに日本は?とゆーのが本書のメインですかねぇ…もー情報量は並じゃないので、こちらは本当に本書を読んでくらはいとしか言いよーがないよーな?

 まぁ、物が源氏で、舞台が欧米かで、翻訳とは何か?で、英国とは何か?まで言っているよーな気がしないでもないが…

 それにしても文化というのは、知ってるから正しいとか、理解しているから正しいの世界じゃないんだなぁと思い知りますた(笑)こーゆーと、本当に何言ってけつかるねんになっちゃうかもしれないが、何が大切って、そこに愛があるか?なんだなぁと…もしくは偏見のないフラットな心情があるのか?だろか?誰しも陥り易い、自国が一番、自国文化が一番、自国民が一番という感覚から抜け出せないと、真のコスモポリタンにはならねって事じゃね?うちにはないけど世界にはこんな凄いものがあると、認める、言える人ってのは、世界的にも物凄く少ないんだなぁと痛感しますた…だから、裸の王様があるんだなぁ…人は他者を見下す生き物であるってか(笑)

 まぁ欧米かのスタンスは「産業革命以来の西洋は、地球上で自他ともに先進文明であることを誇っていた。しかしその先進性を誇るがゆえにアジアの文明を全面的に吸収しようなどとは思わなかった。またこれからも思わないであろう」ってのは、まさに本音乙なんですかねぇ(笑)アジア、アフリカを学ぶ必要性は「植民地化やキリスト教化の参考を供するため」であって、それ以上でも以下でもないって事でジャスティスってか(笑)

 蛇足ですが、「そもそも日本が広く西洋人の意識に上るようになったのは、岡倉天心が皮肉をこめて言ったように、一九〇五年の日露戦争における黄色人種の国の意想外の勝利以来の新現象だったのである」とな(笑)何とゆーか欧米わかりやすい(笑)

 蛇足の蛇足ですが(笑)「それまで西洋に流布していた日本観は「日本文明は派生的であって独創性に欠ける」という中国文明との比較で日本を見下す見方であった」そな…「西洋の学問世界でその見方を強力に支持したイギリスのシナ学者の一人がハーバート・ジャイルズ」だそで、「その見方を内外にさらに強く広めたいま人は」チェンバレンという事になるらすぃ(笑)「「日本事物誌」の中でこのイギリスの日本学者は「風呂桶を除けば、日本のそれ以外の文物制度はすべて中国に起源を持っている」と日本を虚仮にしてて面白おかしく書いたのである」とな…ディスカウント・ジャパンってこの頃からなのか?そーなのか?というか、その頃から日本の外務って本当にいい仕事してますねだったんだなぁ(笑)も一つ、何かその手の人って皆起源って言葉が好きな気がするのは気のせいか?

 蛇足の蛇足の蛇足ですけど、「大英博物館に勤めていた当時のウェイリーは、職業柄鑑定を頼まれたことが何度かあるが、中国のものではなく日本のものとわかると一様にがっかりする英国上流階級の反応と偏見に違和感を覚えた、とも述べている」そな…文化財も投資だもの、ですしおすしってか(笑)

 文化とは知ろうとする方に花開くって事らすぃ…知る、話すにしろ、読むにしろ、辞書必要だよねで、おのずと「辞書製作の大国の道を歩みだしたのである」になる訳で…これ日本だけでなくて、露もなのか?まっだから、こそ逆パターン、露文学を訳したコンスタンス・ガーネットとか、中国、日本文学を訳したアーサー・ウェーリーなどは非常に稀な、物好きなお人とゆー事になるとな(笑)逆に言えば、そゆ人材を持てた大英帝国半端ないになるのかも(笑)

 かくて、翻訳とは何か?となると「すぐれた翻訳とは、訳者自身が属する世代の母語のスタイルのうちに外国作品を受容する。言い換えると、すぐれた翻訳作品とは、世間が考えるような原点の模範的翻訳というよりも、後世の人の眼には、むしろその翻訳が現れた時代の訳者の母語の文体の好個の標本として見られる言語芸術作品である場合が多い」って、そーだったのか?翻訳本?でもって、それを単独でやってのけたのがウェーリーという事になるらすぃ…

 文化的出会い編というか、交遊録も何だかパネェで、例えば「ウェイリーは中国研究に入る初期から日本人の漢学研究に深い関心を寄せていた。そのような道を介して中国文化にふれた人にはすでにアーネスト・フェノロサがいた。フェノロサの場合は、意図的に日本の漢学研究を利用したというより、たまたま日本で日本の漢詩人や漢文知識のある人から中国の漢詩を習ったからである。そして、フェノロサの遺構を未亡人メアリーから受取ることで謡曲や漢詩の英訳者となるエズラ・パウンドも、間接的に同じ道をたどったからである。それでパウンドのCathayて李白はLi PoではなくRIHAKUなのだ」って、そーだったのか?パウンド?

 「ロンドン時代のウェイリーは、いつからかはっきりしないが、パウンドらと週一回日を決めて一緒に食事をしていた。エリオットとはそれ以外にも一緒に会食をしていた。ウェイリーはそのような交際を通して英国詩壇の最前線にきわめて近くにも位置していた人なのである」また「ケンブリッジ時代、ウェイリーが属していた文芸クラブ「カルボナーリ」は英語におけるヴィクトリア朝風の打倒を担っていた」そな…

 この交友関係系でいくと、謡曲、能関係ともかかわってきて、「フェノロサが梅若実や平田禿木の協力を得て作成した未定稿の謡曲英訳を、フェノロサ未亡人から託されたエズラ・パウンドは、それを読んで様式夢幻能に惹かれた。英語でいえばghost亡霊が主人公であることが非常な魅力であった。パウンドばかりか彼が当時秘書として仕えたイェイツもまた能に魅せられた」そな…詩人って…

 交友関係ではブルームズベリー・グループとか私人としての、そしてその交友関係辺りの詳細は本書をドゾ。何とゆーか、ある意味、英の文学界のセレブ的なお人だよなぁ…当時の最先端、脱ヴィクトリア、そして今となっては古き良き英紳士の最後の世代じゃね?的な…

 ブレナン、ベリルについても本書をドゾで、アリスン・グラントのそれはまさにドラマだよなぁ…ある意味、世紀の恋愛の結果なのか?ウェイリー没後のアリスンのそれもドラマじゃねでしょか?ちなみにアリスンはNZからきたNZではお嬢様なお人だったのかなぁ…それに対して「イギリスの上流はよそ者や成上り者を排除する術にたけている。インテリのべリルは、南海の果てから来たアリスンをつかまえて「あなたはマオリ族ですか」などとわざと失礼な質問をした」とな…ちなみにアリスンをウェイリーは夕顔と呼んだかもだそで、お察し下さいの世界らすぃ…そして、どこの世界も弘徽殿女御や六条御息所は生息しているのはお約束ってか…成程、英で源氏物語翻訳が受け入れられた訳か…

 とにかく詳細は本書をドゾなんですが、帝国の逆襲もとい、ウェイリーの死後アリスンは自伝を発刊したと…「ケンブリッジの教授も、ペン・クラブの元会長も、アメリカのフェミニストも、アリスンの自伝について内容に嘘いつわりが多いと非難する。中にはどうかしてあの本の出版だけは差し止めてやろうと思ったと私に話したウェイリーの弟子筋の女教授もいた。読みかけて気持ち悪くなって先を読むのをやめた、という人もいた。ウェイリー先生に対する思い入れがひとしお強いと、ほかの女は排除したくなるからであろう。南半球の植民地からの成上者は許せない、という感情はそれほど根深いのである」とな…今でしょっ(死語?)ってか(笑)

 アリスンとはどゆ人かとゆーと、ウェイリーの長年の事実婚の相手のベリルの晩年を世話して看取って、ウェイリーの晩年を世話して看取って、ウェイリーの死のひと月前にウェイリーと結婚したウェイリーの未亡人という事になって、しかもウェイリーの遺産相続を夫人枠無効で結婚前の遺言状で行ったにもかかわらず、英(上流?文学?学問?)社会ではNOを叩きつけられる事になると…まさに桐壺更衣か、夕顔か、そんな身分の下の面白みのない女って事になるのか?下々はエリートに尽くして当たり前、同じ土俵に上がるなんてふざけんなの世界だった模様…大英帝国の栄光が続くって事は大英帝国の因習も続くって事なんですねぇ…

 またウェイリーの職歴としては「一九一三年以来、大英博物館に勤務する学芸員であった。千九百十年代・二十年代の英国には東洋学関係の教職などのポストはほとんどなかった」そな…ちなみにその数少ない教職の実態は、「十九世紀以来大英帝国は、その東洋進出に反映して、東洋学でも西洋をリードしていた。ジェイムズ・レッグは初期の巨人である。香港から戻ると、一八七六年、レッグはオクスフォード大学の初代シナ学教授となった。イギリスにはオクスフォード大学以外にもケンブリッジ大学にシナ学のポストが一八八八年に設けられ、初代教授には年齢すでに七十のウェードか就任した。中国語のローマ字表記のウェード方式の制定者で元外交官だった人である。そのウェードが一八九五年に世を去ると、その後をついでハーバート・アレン・ジャイルズが一八九七年から教授をつとめていた。死ぬ前の年まで教えていたという。ジャイルズは一八六七年に英国外務省領事館勤務の職に就き、そこから叩き上げた人で、渾名を翟理斯チャイリーズといった」そな…

 ちなみにウェイリーは「一九〇七年から一九一〇年にかけてケンブリッジ大学キングズ・カレッジに学んだ人である」そだけど、大学当時は東洋系は流していた模様で、本格的に中国語、日本語を学んだのは大英博物館学芸員になってからみたいとな…

 まぁウェイリーの出自はユダヤ系でもあるのですが、そのウェイリーが「阿片戦争の非道に対して無関心でいられるような人間はナチスの残虐に対しても冷淡でいられるような人間だ」と言ったお人というだけで、そのひととなりは推測つくよな気にさせられるけど、どよ?も一つおまけに「毛沢東の詩ですか。ヒトラーの絵よりはましですが、チャーチルのよりは出来はよくないようですね」もありまっせと(笑)

 まっ日本の古典発見は、日露以後で事なる模様で「小泉八雲ことラフカディオ・ハーンですらも、日本に豊かな古典文学があるとは知らずじまいであった」とゆーから、これ如何に(笑)世界における日本の古典の受容についても、日露以後、翻訳以後という事になるのか?ハナからないと馬鹿にして飛ばしていたら、鉱脈があったでござるの巻か?

 まっ文化的優位の根拠の一つが「大文学は欧米にのみ存在している」と信じていたとゆー事らすぃ…その最右翼がチェンバレンという事になるのか(笑)こーゆー人が欧米での日本文学の第一人者ってどよ(笑)「日本文学はせいぜい第二芸術だ」そーですよ、奥さん(笑)ちなみにそんなチェンバレンが高く評価したのが「東海道中膝栗毛」だそで「十返舎一九については「日本のラブレー」と呼んでいる」そな(笑)

 蛇足ですが、「新渡戸稲造の「武士道」という英文著書を新日本が発明したナショナリズムの新宗教の一種とみなして、いちはやく否定的な見解を披歴していた」もあったりして(笑)世界的日本(文学)の権威の日本に対する態度、行動に歪みなしってか(笑)いっそ清々しいじゃまいか(笑)

 そしてそんなチェンバレンですが、「内外には学者チェンバレンを高く買う人が結構多い。現在ケンブリッジで日本文学を教えるリチャード・パウリングとか、アンソニー・スエイトとか、マッギルで教える太田雄三とかそうである」って…情報が少なかった戦前の話かと思いきや、今でしょ(死語?)もとい今でもか?なのか(笑)さすが大英帝国サマの教育は違うってか…「西洋人が西洋の優越を認めるチェンバレンを西洋を捨てて日本に帰化したハーンより好むのは人情の自然なのかもしれない」そで、所詮学問も私情の世界か、そーですか(笑)

 も一つ、「英国人にとってフランス語やドイツ語の習得は比較的容易だが、日本語のように語族を異にする言語に出会うと、途端に異常な困難を覚える。そんなカルチャー・ショックがあるだけに、チェンバレンが「日本語を習得するのはほとんどヘラクレス的な難事業である」と述べたことに西洋人はたちどころに同感し、それをマスターした人を感嘆の眼で仰ぎ見るということになったのである。今日でも在日西洋人がチェンバレンを奉る心理の一半は、彼らの言語的劣等感に由来している」そな…そーだったのか?ウルフ先生(笑)

 更に「少数語学の世界は窮屈なものである。それに西洋人学者の敵対感情には異常に厳しいものもある」そな…論争が終わったらにっこり握手ノーサイドなんて、やっぱ都市伝説か(笑)

 これは日本国内の学者もさしてかわらん実態と見えて「外国語で上手に自己表現できない人はとかく外国に対して劣等感を抱くものである。また外国語ができると、自分は普通の日本人ではないと相手側の立場に同化してこれまた日本を見下しがちなものである」になると…卑屈に権威に同調するのは学者世界のお家芸じゃなかろーか?どこかには気骨のある学者先生もいるんだろーけど、フクシマ見る限りは、どこもかしも御用学者しかおらんのか?じゃね?研究費は神様ですってか(笑)

 まぁ、戦前までが「大英帝国の最盛期の産物」といえる人材がいた頃でしょか?それが「イギリスが文明国として真に鮮やかな光芒を発した時期」の賜物って奴ですかねぇ?「その世代を最後に第二次世界大戦後、西洋の日本研究の中心はヨーロッパからアメリカへ移った」そで、それが「イギリス人サンソムがアメリカ合衆国へ移って教え始めた千九百五十年代がその分岐点であったといえるかもしれない」とな…

 その後1980年代にケンブリッジ大学出版局から「Combridge History of Japan」が発刊されたそだけど、この執筆陣は英国人は数名、殆どが「米国の日本学者や日本人学者」なんだそな…尤も、その米にしても「戦争中に日本語の特訓を受けた語学将校-彼らは対日戦勝利者としての集団的偏見がなかっとはいえないが-で戦後日本学者の道を選んだ世代が一つの大きなピースであって、その後は世代を凌駕するような巨人はなかなかでがたいようである」そで、何とゆーか「中には「よくまあこれでピュリッツァー賞を受賞できたものだ」とがっかりさせるような、イデオロギー的解釈に走る日本研究者も反ベトナム戦争世代からは続けて出ている。そして日本のみならず諸外国の左翼の学者・新聞記者・政治家と連携してこざかしく立ち回っている」というのは、もしかしてはいここ笑うとこなんだろか(笑)何せ続けて「サンソムやウェイリーのように複数の言葉のニュアンスを解した人は、物がよく見えていたから、イデオロギーで歴史を裁断するような、そんな青臭い、知的不誠実はとうてい行ない得なかったのだろう」って、まさに今でしょ(死語?)じゃまいか?なんでしょかねぇ?教えてエロイヒト(笑)

 さて、肝心の源氏物語云々のとこでは本書をドゾ。これは完全にウェイリーの孤軍奮闘だよなぁ…だいたい当時の日本関係の外国人ご一同様は多かれ少なかれチェンバレン感覚派、ジョルジュ・ブスケ、アーネスト・サトウetc.自称コスモポリタン、でも「ヨーロッパ文明の優越性は」「自明のこと」「ヨーロッパ中心主義」ですが、何か?が当然だった模様…

 ちなみにそれ以前に末松譲澄の英訳もあるにはあったりしまする…こちらの詳細は本書をドゾ。

 さて、ウェイリー自身は源氏物語の立ち位置をどー解釈していたか?の一つが「「源氏物語」は人間関係の複雑さを掘り下げようとはしないフィクション-例えば「千夜一夜物語」や「マザーグース」-に比べれば「心理的」といえるかもしれないが、スタンダール、トルストイ、プルーストと比較すれば、「源氏物語」の心理的複雑さはグリムの童話よりは少しはまし、という程度に落ち着いてしまうだろう」なんだそな(笑)だがしかし、「「源氏物語」は、グリムを含むカテゴリーよりはプルーストを含むカテゴリーに属すると断言することができる」とな…何故ならば「紫式部は今日の小説家と同じく、物語中の事件そのものよりもその事件が登場人物の心理に及ぼす影響の方により関心を寄せているからである。このような作品こそ小説novelと呼ぶにふさわしく、それ以外の作品はstoryとかromanceとかいう名前をつけるがよいと思われる」とな…そーだったのか?アリス?小説家として小説とは何か?では、どーアリスならば解釈するんだろぉか?でもって、英国人として、文学者としてウルフ先生の見解は如何に(笑)

 後ストーリーテラーとしての紫式部についてのウェイリーの見解も見えてしまいました系の覚悟か?のノリかなぁ?「「源氏物語」におけるリアリティーの感覚-これは一連の事件が実際に起こったとしてもおかしくない話だと読者に感じさせるあの迫真の感覚は、一体なにに由来するのか。それは-とウェイリーは説明する-それは西洋では絶滅してしまった種類の語りの才能に由来する。いいかえると、もっとも適切なことをもっとも効果的な順でいう紫式部の能力に由来する」とな…事は単純だが「ここに紫式部のアートの秘密の一半は損するのだ」そな…でもって「西洋の批評家の過半はこの単純な真実に気づいていない」とな…で、何で気付かないのか?に西洋の小説とは昔から徹底的にゴシックだったから…「西洋の小説は昔からずっといつもゴテゴテしていた、とウェイリーは断じたのである」って、そんなはっきり言っていいんですかぁーっ(笑)まぁこれは文芸の世界だけじゃなく、美術系もそーじゃね?欧米はずっと足し算の芸術で、それ以外の、特に引き算の芸術なんててんから頭になったんじゃね(笑)

 詳細は本当に本書をドゾですけど、これだけは上げとかないといけないだろで、ウェイリーは源氏物語を弦楽四重奏にたとえたそな…一「事件の語りである「物語」、二「対話というか「人の言葉」、三「心理というか「人の心」、四「作者のコメントというか「作者の心」」だそで「この四重奏が実に見事にとけあって、そのバランスがすばらしい、とした」そな(笑)まっバランスというか、抑揚と抑制、過剰でありがちな王朝絵巻でもそれをやったら紫式部って、やっぱ心底日本人なんだろなぁ(笑)

 ウェイリー訳の源氏についての詳細も本書をドゾですが、源氏物語自身がいかよーにも突っ込みどころというか、ひっかかり、とっかかりが多すぐる作品だからなぁ(笑)細かく引っかかっていくと幾らでも上げていける訳で、本書としては一例として物の怪キタコレのとこで「島田謹二は葵上に六條御息所の物の怪が憑いた場面は西洋文学ではエドガー・アラン・ポーの短編「リジーア」を想起させる、「リジーア」はこれと軌を一にする物語である、と説いた」そな…ポーお得意のゴシックホラーな気がしないでもないが、詳細は本書をドゾ。ただ、著者は物の怪とか亡霊とかホラーとかゆー範疇だというなら大まかにそーかもしれんのーかもしれんのーだけど、「ポーの一八三八年作の「リジーア」はいかにも人工的に書かれたわざとらしい作品という嫌味を覚える。紫式部の筆の運びと違って、ポーの筆は自然ではない。リジーアの美貌や学識やさては彼女の執念が微に入り細を尽くして描かれる。だがポーが描写に描写を重ねれば重ねるほど作品としての品格が落ちてゆく。紫式部をポーごとき小作家と比較してよいものか。やんごとない宮中の女官と浮浪の薄汚れた詩人と比べ゛るのは、どこか不釣合という印象を否めない」って…著者、厳しい…ちなみにそれはポーだけではなく、かの三島由紀夫にまで及んでいたりして…なるほろ、紫式部の上に紫式部なし、紫式部の下に紫式部なしなんですね、分かります(笑)

 では、そのポーの母国、米での源氏物語評はどよ?っていうと、「第二次世界大戦以前はアメリカの文芸批評家とはロンドンやパリでの発言に注意する人々であった」そで、レイモンド・モーティマーやマーク・ヴァン・ドーレンとか出てきますので、こちらも詳細は本書をドゾ。どちらにしても一貫してるのは、プルーストと似ている(もしくは上?)、らすぃ(笑)まっプルースト的だよね、な印象を持った人達とゆーのでは、「ユルスナール、オルダス・ハックスリー、V・S・プリチェットなどがいた」そだから、時の文壇的に源氏物語は今でしょ(死語?)だったのか(笑)

 そんな中でもこの人を忘れてはいけないヴァージニア・ウルフきたこれで、「ウルフは十一世紀というイギリスがまた未開野蛮の粗野な格闘の時代に、紫式部が「大人」の読者に恵まれていたことを羨ましく思った。平安朝とはなんという文化の洗練されていた社会なのだろう」とな…文学って作家がいないと作品としては始まらないけど、それを受容する読み手があって初めて完結するものだったんだなぁ(笑)評価する人がいないと、残りぁーしないってか(笑)リテラシーって「戦争や政治の猛威から免れている」ところにあるものなのか?

 何とゆーか、源氏物語と私(作家とか学者とか読み手とか/笑)、もしくは他作品についての件も本書をドゾ。比較するものが多すぐるなんですよ、奥さん(誰?)また、翻訳文としてのウェイリー源氏物語についての件も本書をドゾ。翻訳だけあって、翻訳の良し悪し双方あるよねって話ですが(笑)

 それにちなんでサイデンステッカー訳とか、谷崎現代語訳なんかの件も本書をドゾ。まぁ英語というより米語とは何か?とか、日本の場合は、文学界の和文派と漢文派とは何か?の世界に突入しているよーですが(笑)そしてどこの世界も文壇界のしがらみもあるとなもし(笑)色々出てきますが「いまの米国には平明なサイデンステッカー訳で「源氏物語」の筋を追う学生がウェイリー訳を読む者より圧倒的に多い。だがキーンはウェイリー訳をなによりも良しとするという態度を崩さなかった」そな(笑)

 蛇足ですが、ウェイリーが中国語訳にも堪能だったところから、白楽天の漢詩なんかも翻訳していらっさるんですが、例えば歌舞の場合、長安に大雪が降った日の情景なんですが、これの英訳を著者が和訳したそれが「こうした貴人には雪の風も興のあることだろう、裕福な人には飢えや寒さの憂いはないのだから」って、白楽天ってドキュメンタリー派だったのか?「村居寒に苦しむ」では「この元和八年、十二月には、五日もの間雪がひっきりなしに降りしきった。竹も柏もみな凍えて枯れた。それなのに私は知っている。外套一着すらない人がいるのを」とあって、その後縷々と一般庶民の貧窮を語るのですが、終わりの方になると、自分の現状の話になって「立派な家の奥に住んで、上等の毛皮にぬくぬくとくるまれて、座るにせよ寝るにせよほかほか暖かい。運よく生まれついたのか野良仕事もしなくてよし、飢えや寒さの苦しみも知らぬ。だがほかの人のことを思うと恥ずかしい気もする。私は自分自身にたずねる、いったいこれはなぜだ」で終わるんですね(笑)白楽天って写実派だったのか?辛辣だよなぁ…

 「この詩は西暦でいうと八一三年に書かれたのだが、それから千二百年後の今日でもほとんどそっくりそのままの光景が中国の農村には見られるらしい。それに心を痛める人と、昔からこうなんだから、と無関心な人に分かれたままでいるのも、太子党とその他の派閥が争うのも、古今を通して変わりないらしい」の件は、中国四千年の文化とリテラシーがこれだってか?ちなみに「八三五年、唐の皇帝と組んだ宦官と世襲的官僚との対立の際にも、それから千百数十年が経った昨今も、政治問題については自由率直な発言を慎むことが、かの国の人にとっては依然として保身の智慧となっているからである」そな…成程、常に大躍進のお国の伝統は違うって事か…

 時代的なとこで、日本とは何か?だと「十九世紀の中葉、南アジアの諸地域は植民地化という形で西洋との接触を強いられたが、東アジアの国々はことごとく西洋に対して鎖国していた。それら東洋の国の中で、いちはやく目を中華の国の古代の聖賢から転じて範を西洋近代に求めようとしたのは日本であった。非西洋の中で日本はロシアについでいち早く西洋化運動を始めた国である」となるのか…歴史的には…

 も一つ時代的なとこではWWⅠで日本は仏の同盟国であったせーか、「日本についてのラフカディオ・ハーンの作品がフランス語に次々と翻訳された。スイスでもフランス語圏のジュネーヴでは日本というとなにかとハーンが話題となった」そな…そして「戦後、国際聯盟が組織されジュネーブに事務局が設けられたのは結構だが、日本人が事務次長に就任した。新渡戸稲造である」とな…

 日本的な豆知識としては能、「江戸時代この方、上演する際の五番立ての演目で分類されてきた」そで、一「神事にまつわる脇能」、二「軍事にまつわる修羅能」、三「女にまつわる鬘物」、四「曲の性格は種々で狂女・武士・怨霊など広範囲にわたる」、五「切能で切とはその日最後に演ずる能で鬼・畜類・天狗にまつわるものが多い」とな…とはいえ「舞台で能を見る機会に恵まれず、そのこともあって能をもっぱらその脚本である謡曲を通して詩文学として読むことに傾斜した西洋人にとっては、そのような五番の分類には興味が薄かった」とな…

 も一つ、「能の一形態である夢幻能」とは「前場・後場の様式の仕立てで、前場では土地の普通の人と思われていた前ジテがその実は亡霊であって後場で後ジテとしてその正体をあらわす。そしてその人の人生の危機的な瞬間を再現してみせる-しかしそうして舞台の上で繰りひろげられたものはすべて旅先でワキの僧が見た一場の夢幻なのかもしれない。ヴィジョンでしかないのかもしれない。これが複式夢幻能の構造である」とな…更に「ヴィジョン・プレイとは、能を現在能と夢幻能に二分類した際の後者の謂いで、主人公であるシテは亡霊である。主人公が現在の人間である現在能とその点が違う。現在能ではいわゆる直面物の能が多く、仮面を用いない。能楽で仮面を用いるのはその人がこの世の人ではないからである。例外もあろうが複式夢幻能の特色は、あの世とこの世が橋がかりという装置を通じているところにある」んだそな…そーだったのか?夢幻能?

 ちなみに「外国人の日本理解の上で、日本人の亡霊の心理をよく摑めるか否かは決定的に大切である。複式夢幻能の幽霊の出現に心動かされた人は、その世界に近づいた人である。駐日フランス大使ボール・クローデルは明らかにその人だった」そな…こちらの詳細は本書をドゾ。まさにわっかるかなぁ?わかんねぇーだろぉーなぁ?ってか(笑)

 他に日本的豆知識としては、「日本人でシェイクスピアを俳句にするとどうなるかという、いまでいえば比較文化論的な実験をした人に夏目漱石がいる」って、そーだったのか?漱石?

 源氏系では「昔から日本の若い女性にとって「源氏物語」は良き文学作品であると共に良き性教育の手引きでもあったにちがいない。プロテスタント諸国で人々がかつてはタブーのようにして公然とは語らなかった男女の交わりが「源氏物語」には、上品にしかも大胆に、語られている」とな…そーだったのか?源氏物語?だけど、欧米で性風俗についての云々は、かのヴィクトリア朝のピアノの脚にまで卑猥だからとカバーかける倫理観と呼応していたのでは(笑)

 そしてこれはかなり強烈だと思われなとこで、実はウェイリーは他にも日本文学を訳しているお人であるが、その中に枕草子も入っていて、その序文で「清少納言のものを見る目のデリケートな正確さに比べると、イギリス宮廷に仕えて日記を残した女官たち-思い浮かぶままに名前をあげるだけだが、たとえばアンヌ・クリフォード夫人など-は単なる半文盲のホッテントットのように思われる」とまで言っているから、これ如何に…ウェイリーは枕草子を高く評価した人だけど、これ今言ったら差別表現でアウトかも?

 言葉的なとこでは、「ウェーリーは外国語会話がはやく上手になるのは男よりも女である、と書いているが同感である」とな…そー言われてみれば、通訳の人って女性多くね?

 そして翻訳は「原則として外国語へ訳すよりも母国語へ訳す方が出来映えが良いのは当然であるといい、従来日本文学が主として外国人の手で翻訳されてきたことを遺憾とする日本学術振興会の言い分に同調しなかった」そな…誤訳か、意訳か、それが問題だってか?

 後ウェイリー好みとでもいおーか?歴史の眼ともいおーか?で、ウェイリーは「出典が記されていないノン・フィクションとか称するジャンルは軽蔑していた。ロマンス化した歴史など取るに足りないとした」そで、これに著者は完全に同意していらっさいます。「私は日本におけるノン・フィクション物にはいかがわしいものが多いと感じ、それがもてはやされる読書界の知的水準に疑念を抱いているので、そうした点でもウェイリーに共感する」とな…ノン・フィクの質って…

 豆知識的なとこで、英では何事も「卒業時の成績が後々までものをいうお国柄なのである」そな…そーだったのか?ウルフ先生?

 本書を拝読すると、源氏物語はラッキーだったのかもなぁと思ふ(笑)というのも、最初の決定版を出したのがウェイリーによる翻訳本だったから(笑)これを英の真のエリートが訳出した僥倖はかなりのとこ大きいんだと思ふ(笑)どこもエリートがエリートでいられた時代は、遥か昔になりにけりですけど(笑)

 エリートつながりで「今日の日本は-最上部を占めるべきエリート層の水準こそ嘆かわしい状態にあるが-、中間層の水準そのものは諸外国に比べて必ずしも低くはない。日本は実は世界でも相当高度な高学歴社会なのである」と著者後書きにあったりして…本読む読者層も減った減ったとはいえ一定水準あるしってか(笑)

 源氏物語に関しては「私は尊敬すべき各国文学の専門家の同僚に恵まれたが、こと「源氏物語」に関しては同僚の夫人たちの方がはるかによく通じている場合が多かったからである」に、日本の現状も露呈している気がしないでもないけど(笑)

 それにしても、おろろいたのが、日本人って、漢詩、漢文のおかげで、くだし文読みとはいえ原文を見る、読める知識ありで、更に最近の英語教育キタコレもあるけど、英文も全く読めないレベルでもなく、更に母国語としての日本語もありで、知らず三点視点を持とーと思えば持てるのか?というか、スラスラはいかなくもアレっ?と思うとっかかりは持てているかも、意識せずに(笑)

 かくて表を見せて、裏を見せる紅葉もとい源氏かなの世界に突入している模様(笑)

 さて、本書は本当に英の一翻訳家の本ではありますが、何とゆーか、凄い文化遺産だよなぁと、本当おべんきょになりました…他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。というか、日本人なら読んで損はないよな(笑)最後に一つ、本書で一番なるほろとおもわされた一言を、「人生とは心の幻覚との争いだ」(@イプセン)で〆たいと思いまする、合掌(笑)

 目次参照  目次 文系

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