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2016年6月18日 (土)

いずれの御時にか…

源氏供養 上巻  橋本治  中央公論社

 源氏物語を語るとなると、どの人も皆一家言あるじゃまいか?でして、源氏読みって、成程、人皆同じよーでいて、全然違うとゆー事か?じゃね?だから、この物語は千年経っても読み継がれるんだなぁと納得ってか?読み手一人一人に、源氏解釈ありなんじゃないかと本書を拝読して思い至りますた(笑)まっ大まかなソレでも男性と女性じゃ評価のポイントが違ってね、な世界じゃね(笑)それにしても、世界にはどれだけ源氏解説(解釈?)本があるんだろぉ(笑)

 とはいえ、「光源氏に感情移入の出来る男性というのは、現代ではそうそういないと思います」だそで、しかも「「源氏物語を読んだ」と言う女性は結構いても、「源氏物語を読んだ」と言う男性があまりいない」そで、うーん、なのに源氏物語専門家の学者先生はほぼ男性ばかりなりで千年きたよですから(笑)仕事じゃないと読まないのか?殿方は(笑)

 ちなみに本書の著者は、男女の読み手の差を「源氏物語を読む女性は、そこに登場する様々なヒロイン達の中に「自分」というものを発見するこどが出来るけれども、男の場合は、「自分=光源氏」ということにならなければ、まったくこれを読む意味がない」からじゃね?って事らすぃ…とゆー事はヒーローは源氏一人って事がジャスティスってか(笑)

 それにしても現代感覚でいくと光源氏って何様?なイメージだけど「完全に「女を守る男」です」とな…「女を道具にして、男達が権力への道を確固として行く摂関政治の全盛期にあって、この主人公のあり方は、さすがに女性作家の筆になるものだと、私ははっきり思います」になるそで、この「「女を守る男」という一点によって、光源氏なる主人公は「理想の男」とされたのです」だそな…平安時代においてはあれが理想の殿方の姿だったのか…あれ以上やったらファンタジーって奴なら、平安時代って…

 しかも紫式部のは「普通の色好みの男達とは一線を引いたところにいる色好みの男」とな…でもって著者の源氏観、更に絶世の美男で「現代の男女関係の常識から見ればかなり残酷なことを平気でやる男」とゆー事になる模様…

 アリス的には、小説としての起源って事になるのかなぁ?な源氏物語って奴でしょか?「恐らく世界で最も古い"小説"だと思います。ここには永遠に古くならないような人間の心理の葛藤というものが見事に描き出されていて、「人類はこの作品によって、初めて文章で描き出された人間の心理を手にした」と言っても過言ではないと思います」になるそな…そーだったのか?アリス(笑)

 まず最初は、簡単に源氏物語の構成からいってみよーで、「「桐壺」から「明石」まで、不遇の貴公子が女性遍歴を繰り返して罪に落とされ、それがめでたく許される部分は、全体のほぼ四分の一」それから「「澪標」から「藤裏葉」までの四分の一は、権力闘争の正面に出た光源氏がこの世の栄華をすべて独り占めにして行く話」ところがどっこい「権力の頂点にある源氏が新しく迎えた若い妻に裏切られてゆっくりと翳りを見せていくのが、「若菜」から「雲隠」の四分の一」、更に源氏の死後に続く最後の四分の一で、物語は彼の息子達の話から、「さすらえる女性・浮舟」へと中心が移って行く」とな…光源氏的には「若い時期」「権力者の時期」「衰亡の時期」「無関係の時期」に四割つされるとゆー事じゃね?らすぃ…

 これを作者紫式部視点で見ると、最初は主人公押し、次に押した後の結果としての頂点キタコレだけどどよが来て、第三場となると本当にこれでいいのか?のNOと言える作者キタコレになるのか?であえなく没ってゆー、見よーによっては源氏物語とは男の敗北物語なのかもしれないってか?四番目の匂宮と薫も勝者にならずだしなぁ(笑)

 それにしても「源氏物語の「二大クラシック現代語訳」」って谷崎潤一郎訳と与謝野晶子訳なのか?でもって「関西(堺)出身の女性に手になる"与謝野源氏"の方が男性的で、関東(日本橋)出身の男性の手になる"谷崎源氏"の方が女性的」なんだそな…何だかなぁ…

 また源氏物語がどの順で書かれたのか?もいろんなとこで話題になるけど、本書的には不明としながらも、帚木→空蝉→夕顔がワンセット、それに若紫、更に桐壺は別系統の話で、それが末摘花以降で一つの流れになってんじゃねという解釈らすぃ…も一つ不明なのは、あの輝く日の宮はどこへ?でしょかねぇ(笑)

 も一つ言えるのが源氏物語はもしかして下剋上物語か?で、身分の低い人が上を目指す、もしくは上と接点を持った時何が起きるか?みたいなギャップ萌えの世界なんだろか?うーん?

 その一例が敬語とは何か?で、身分制がきっぱりくっきりはっきりしていたら、これから逃れる事はまず出来ないんじゃまいか?で源氏物語が主語がなくて長文なのは有名だけど、この敬語多様のおかげで分かるじゃまいか?もあるじゃまいかで(笑)現代人からすると敬語は難しいだけど、当時の人からしたら敬語分かりやすい、もしくはありがてぇーの世界だったかも?かも?

 というのも当時は完全な身分制社会、自由に発言できてもおのずと「決してはずしてはならない"一線"というものがある。そこを押さえるのが敬語という習慣で、敬語による序列ということは完全に守られなければならないけれど、しかしそれさえ守っていれば、どんなひどいことを言ったり書いたりしても安全だということはあります」って…も一つ、背景に物語とは所詮女子供が書いた夢物語、そんなの現実にまともとりあげられる訳がないとゆー殿方の確固たる認識とゆー土壌があったとゆー事らすぃ…フィクションに一喜一憂キャハハウフフしてる女ってめでたいなぁ位の…

 だからこその源氏物語かもしれんねぇとゆー事らすぃ…竹取物語の公達実名じゃねの体制批判か?のノリは、源氏物語にもキタコレになるのか?こちらは摂関藤原家一本やりの世界って違くね、というNOと言っちゃえの紫式部でしょか?だから「藤原氏の権力を倒す源氏の物語を書く人」になってしまったのかも?よく考えたら物凄い問題作だけど、物語だから許されたって、それどっかで聞いた覚えのある話のよな…時代を超えて、物語、小説、フィクションはそゆ世界を背負っているもんなんでしょか?

 ちなみに「「桐壺」の巻で光源氏と藤壺の女御が、「光君と輝く日の宮」として並び立つのは、やはりこの二人が、時の"悪"に立ち向かう正義のヒーロー、ヒロインだからでしょう」って、そーだったのか?源氏と藤壺?不義密通から始まるヒーロー、ヒロインって…

 そんな紫式部の女性観は、アンチ藤原で、親宮家、皇統の姫君達だったとゆーのが源氏物語のメインストリームですかねぇ?だから、葵の上や弘徽殿女御の扱いはからく、藤壺以降宮家の姫には甘いと…ただ、同じ宮家でも末摘花もあるじゃまいかで、ただし宮姫でも芯の通った姫に限るみたいなノリですが、とはいえ、この「皇統の女性対藤原氏の娘」の対立が「理想の政治形態対現実の権力構造」となるのはともかく、それを描いている紫式部は実は藤原氏の娘ってとこに、物凄いものが含まれているよな…舞台裏パネェ…更にその同じ藤原の中でも、摂関家というトップとその下に追従する一族もある訳で…平安貴族、どこもかしこも対立構造と思うのは気のせいか?

 そーして見ると明石の上の立ち位置っていうのがいかに凄いか分かるのか?だいたい明石の上の父親、入道からして、身分制、貴族制からの外にいる存在とゆー事になって、その娘となれば、貴族のキの字にも入らんわぁーっのノリらすぃ…「明石の女」は、どう考えたって「上」という扱いなんか受けられるはずがないというのが、当時の常識です」になる模様…それが後の帝の祖母になる訳だから、二階級特進どころの騒ぎじゃないのか?当時的には?

 まぁ血筋的なとこでいくと、面白いのは紫の上で、「桐壺の更衣の父は「按察使の大納言」だった。そして紫の上の母も、「按察使の大納言の娘」だった」とな…とゆー事は光源氏の母(桐壺)と紫の上の母は姉妹だったとゆー事になるじゃまいか?ってか?物語では紫の上の父(兵部卿宮)と藤壺が兄妹だったという点が強調されているけど、どよ?それにしても、この紫の上の母は兵部卿の正室じゃなかったはずで、となると按察使大納言家の姉妹って、片や天皇の妻(更衣だけど)と片や兵部卿の側室…もし桐壺が入内していなかったら、兵部卿程度の殿方にさえ正室になれていなかったかも?レベルって事なんでしょかねぇ?うーん…大納言家の娘でもその扱いって、もしかして父親が長生きの娘が一番盤石なのか?まっこれも失脚したらそれっきりかもしらんが…

 ちなみに「源氏物語の世界で、"大納言"というものは、「そこを限りとする中流貴族の出世の限界」」なんだそな…そーだったのか?源氏物語?だからこそ、その限界が見えてしまいましたの明石の入道キタコレになるのか?ちなみにちなみにこの明石の入道の父は、その按察使の大納言と兄弟ですから、もしかして影の主役は按察使の大納言か(笑)

 大納言つながりではないですけど、元はと言えば、光源氏本人も桐壺の実家で育てられていたとゆー事でして、それを桐壺帝が引き取ると…宮中で養育されているとこの印象が強いから、そんなイメージでいたけど、衰退している、もしくは荒廃している元大納言家と、この世の中心の宮中では同じ生活でも全然違くね?とゆー、この対比がこあい…幾ら、光源氏と言えど、もし幼少期に父親に引き取られなければ、どーなっていたか?とゆーのは、もしかしたら朱雀帝をおしのけて東宮になっていた以前に、人生の岐路ありますたの世界じゃね?そんな訳で、本書の著者は「こういう現実の中から出た"政治家"光源氏が、容赦ないニヒリストと、女に対する尋常ならざる理解の深さを同時に持つようになるのは、当然だと思います」に至る訳か…

 その点からすると、本書の著者による桐壺帝の設定のパネェで、桐壺帝の年齢は幾つ?で、今まで勝手に中年のおじさん、若い嫁(桐壺)きたのでよろめいてはまってしまいしまたのパターンかと思っていたら、著者は「十八歳の青年には、既に四歳になる長男と、それを生んだ妻がいる。その妻には権勢家の父がいて、その力を彼女自身も誇りに思っている」そして帝は「宮中という密閉された世界の外はほとんど知らず、苦悩とか不幸というものとは無縁のところにいる。そしてその彼の前に、美しい「更衣」という身分の女が現れた」とな…王子サマは外を知らないというのはパターンなんですかねぇ?何かお釈迦さまを思い出してしまった…そして王子(帝)が外を知ると…劇的なカタストロフィ、激震が走ると…

 まぁ王子が知るその後のパターンが、冷泉帝と光源氏父親事件で、その後、スケールダウンして薫と柏木父親事件発覚でしょか?ただ、問題は冷泉帝の父親は生きている、でも薫の場合は源氏も柏木も当事者は亡くなっている訳ですから…この場合の息子の深刻度ってドンダケェー(死語?)なのか?それが問題だってか?

 さて、もしかして源氏物語は世界初人間の心理を描き切った小説じゃまいか?ですけど、この心理という言葉を前にして、当時と今では若干ニュアンス違くね?らすぃ…「前近代というのは、人間が心理を自分の外に置いていた時代ではないか」とな、むしろ「他人と共有するものだったのではないか」じゃねと…ちなみに「近代人は、心理というものを自分の心の中に持っています」となるそで、この差は大きくね?

 これに対する思考の違いが、自然とは何か?かもしらんと…「自然は人間にとっての心理そのものである」という感覚があって当時と違って、今の人にはそれが喪失されたと、だからこその「エコロジーだの自然破壊だのが問題」になるんじゃまいか?近代以降は人って皆、中の人ではなく外の人なのか?でもそんなの関係ねぇー(死語?)ってか(笑)

 面白いと言っていいのかアレだけど、文化とは何ぞや?も現代日本人の感覚ってどよ?って奴らすぃ…「文化国家日本を覆う最大の不思議は、日本の男達の圧倒的多数が、「文化とは自分と関係のないもの-だからこそ文化は"教養"で、崇めなければならないもの」という錯覚に陥っていることですね。こんなヘンな考え方をしているのは、恐らく日本人だけでしょう。どこの国の人間だって、「文化というものは"そこに自分がいるもの"で、そこに自分を発見出来るから自分達の文化は素晴らしく、だからこそ自分は自分達の文化を誇りに思う」という前提に立っているのに」じゃないのか?ですよねぇー(笑)

 だいたい「この源氏物語を生んだ国で、源氏物語をまず、「自分達とはあまり関係がなくて、だからこそ高級で難解な文化遺産だ」と思われている」点からしてどよ?だろしなぁ(笑)「一番重要なことは、「源氏物語が何故おもしろいのかといったら、そこに自分がいるからだ」という、そのことです」だそな…そこまで達観できるよーになるのに、どれ位かかるのだろーか?じって手を見るってか(笑)

 心理というものに着目して、心理的葛藤は色々あらーなでして…近代ならば「自我の目覚め」「生まれ出ずる悩み」「性の苦悩」だったりするそで…現代青年ならばついて回る「性的飢餓」とは何ぞや?は源氏にはないとな…逆に恋の遍歴となる訳で…「「正妻」という制度からの不満が、「藤壺への思慕」という恋愛欲求になり、「それをしたい」と思った瞬間、それを可能にする為の下準備が作動する。それが、「空蝉→小君→軒端の荻→夕顔」という流れなんだと思います」そんな訳で、「夕顔は、光源氏が初めて「現実に愛した女性」」となるそな…そーだったのか?夕顔?

 とゆ事は「それ以前、源氏物語には「光源氏と関係を持った女性」は登場しても、「光源氏に愛された女性」は登場しません」という事になるそな…ちなみにここまでが前振りで、よーやく源氏は「藤壺の女御への恋愛」と「紫の上の登場」が可能になるそな…もっと端的に言えば、自慰行為以前と以後の違いとゆー事になるそな…となると夕顔以前の女性の立場は…

 でもって、最愛の人紫の上というのが定番ですけど、「光源氏が紫の上だけを愛するようになる-愛さざるを得なくなるのは、六条院に朱雀院の最愛の娘である女三の宮が降嫁してニッチもサッチも行かなくなってからのことです」って、どゆ事とゆーと、それまでは最愛の人は最愛の人として、だけ、ではなかったと(笑)

 恋愛問題では、源氏物語は三角関係が多いという事にもなるらすぃ…それも「男二人と女一人」によるパターンとな…まぁ藤壺の父帝桐壺との云々から始まって、最後の匂宮と薫と浮舟まで、そー言われればそーかもしれんねぇですけど(笑)まっ頭の中将が絡んだのは、皆まで言うなだし、ええ永遠の恋のライバルですから(笑)

 「源氏は、男とは争わずに女を手に入れ、女達は争って源氏を手に入れようとする」そんな物語の進行らすぃ…

 でもって本書の著者の主張は「平安時代に男性同士の同性愛はなかった。あったらそれは、隠しようのない大スキャンダルとして存在するはずで、それが記録にないんだから、これは存在しなかったんだろうと、私はそのように思います」でして、そっすると前に出てきた小君はどーなるんだと思うが、あれはお稚児趣味だから違うのか?うーん…ついでに言うと院政になったら大っぴらにそんな世界に突入していたよーな気がするが、あれはある日突然にの展開だったのか(笑)

 というのは、「男というものは「自分」というものを空白にしておく代わりに、その空白を剥き出しにしないような保護というものを十分に厚く身に纏うもので、男の世界の「制度」とか、それに由来する「地位」というものは、男という「個」を持てない生き物の最大の武器です」とな…だから簡単にゲイに走るってもんじゃねぇとゆー事らすぃ…「制度でガッチリと仕切られた男社会の男達は、制度という自分を支えるものを越えて、そうそう簡単に他人に頭なんか下げないものですけどね」とな…「社会的な愛情関係だけで、個人的な愛情関係にまで至れないのが、男というものの弱点だと、私なんかは思います」なんだそー…この辺りは殿方ならば共感てぎる心理なのだろか?うーん?

 まぁ恋愛事情というより、夫婦事情になるのだろぉか?の宮様と結婚した場合、式部卿の北の方の発言から推察するに、「女は夫の甲斐性のなさに怒り、その甲斐性のない夫は、自分の生活は人並以上には保証されていることに満足して、それ以上のことは無理をしてまで望もうともせず、その余ったエネルギーを「色好み」という方面に専ら発揮して、そのことによって更に、妻の「甲斐性なし!」という怒りを誘う」とゆー…何かどこかで聞いた話のよーな…中年以降の不倫事情って無能な男の逃げ場なのか(笑)まぁ仕事で成功していたら、次から次へとトロフィーワイフに走れるものなぁ(笑)まぁとりあえずこれが今も昔も仕事のできない男の「上の部類の実態」なんだそな…

 凄いのはあれほど大騒ぎで大問題じゃねと思っていた藤壺と源氏の不倫問題ですけど、後に柏木は、女三の宮との不倫問題が発覚した時に、「帝の妃との密通は大変な重大事ではあるけれども、この事の恐ろしさに比べればまだましだ」と述懐しているそで…罪としては、帝の妃との密通の方が大きいかもだけど、恐さで言ったら時の権力者(源氏)の力の方がずっと恐いとゆーのが当時の人の考え方なんだそな…建前と本音は違うとゆー、だからこそ権力こそ全てになって、東宮妃、皇后、大后争い、もしくは持ちが問題になるのか…

 まぁ男の愛の情けなさでいくと八の宮…大君と中君の父親ですけど、これも娘達への愛情より、「娘がつまらない男と関わりを持って家名を汚されたら困るから、結婚はするなと言っておこう」に至る訳で、でも自分は女房に手をつけて、妊娠発覚、母子共に追ん出すという事を平気でやってきたお人なんですよねぇ(笑)この後仏道三昧だからいい人なのか、そんな人に心酔する薫って、この感覚も平安だからなのか?そーなのか?

 何とゆーか、娘というのは父親のていのいいコマで、コマとして使えないなら己の足は引っ張らなければ結構という存在らすぃ…凄いな平安時代、さすが男社会だけあるってか…

 そんな娘のなれの果ての一人というか究極が浮舟になるのか…匂宮と薫との三角関係も凄いけど、その前に、実父、継父、元婚約者、義理の姉(中君)と、何かもーこの人間模様がみんな悪人とまではいかないにしても小悪人というか、自己中多しって気がしないでもないんだけど?

 とはいえ、本書の著者の見立ては「浮舟は、死ななかった夕顔-女の嫉妬に殺されなかった夕顔であり、出世を拒んだ玉鬘でもありましょう。源氏物語の影を作る女の流れは、この「夕顔-玉鬘-浮舟」なんです」となる模様…そーだったのか?浮舟というより、男の人は夕顔好きだよなぁ(笑)

 豆知識的には、宮廷女官、女房達の事ですが「当時のお坊ちゃん=公達連中にとって、女房クラスの女は一時しのぎの恋のお相手-もっと端的に言ってしまえば、セックス処理の道具だったという側面もある」とな…とゆー事はどゆ事?とゆーと「女房というものは、恋のドラマの中で男の踏台になるようなもの」つまり「「立派な男」の恋の対象になる「立派な女」の踏台」って事になるらすぃ…女房の人権は?でもそんなの関係ねぇー(死語?)ってか?

 身分的なとこでは「身分の大本になるのは「官位」です。朝廷が「位」という身分を授けるのが、平安時代の身分なのです」とな…その位は、「一位を頂点として、三位から上が「上達部」」、「四位五位が「殿上人」」、「六位から下は「なんでもない」」って、こーして見ると夕霧が嘆くのもよく分かる構造か(笑)ちなみに「平安時代の貴族は、みんな「官僚」」ですから、上層部もいれば下っ端もいると(笑)かくて、幾ら身分の高い家に生まれても「出世しなければ身分は低い」というのが平安貴族階級のシステムだったらすぃ…

 これは皇族も同じで、幾ら「皇統に生まれても親王・内親王としての位を授けられなかったら、その人は皇族ではないというのが当時の常識」だったのな…そんでもって、まさにそれが光源氏の立ち位置だったと…

 どゆ事かとゆーと、聖なるものトップ、帝、次点「下り居の帝」(譲位した天皇=上皇)なんだそな…では帝の息子はどーなるのか?「帝の子として生まれれば「聖なるもの」だから、「御子」ではあって、その「御子」が「帝の御子」である「皇子」であることは将来ともに変わりはないけれども、その「みこ」が「親王」になるのには、ある手続きがいる、ということです」とな…それが「親王宣下」なんだそな…

 源氏の場合は、勿論親王宣下なし、臣下に下り直人になったとゆー事らすぃ…

 親王になったら親王用の官位ってのがあって、「こちらは「品位」と言います」とな…「一番上が一品、一番下が四品」この中に入らないと「無品の親王」とゆー事になると…

 何故、源氏が臣下に降りなければならなかったか?は、もし源氏が親王になった場合、帝の一番のお気に入りなんだから、この品位も上じゃなくちゃおかしい事になる、それは次の東宮狙いじゃねとゆー警戒アラームが更に上がるとゆー事になると…そーすれば弘徽殿キタコレになる訳で…それなら低いランクの品位なんなより無品の親王にした方がマシだけど、無品の親王とは「体のいい飼い殺し」じゃね?で、臣籍降下の方がマシとなる、何で源氏になったのか?は、足して足してじゃなくて、引いて引いてったらそれしかなかったとゆーノリだった模様…

 天皇の子供とはいえ、御子か、皇子か、親王か、色々あったらすぃ…更に諸王なんてのもあったらすぃし(笑)大人の思惑というか、生母の身分と後ろ盾、これで仕訳キタコレになるのか…

 ちなみに「親王の子供は、普通「王」です」で「孫王」なんだそな…「「孫王」というのは、帝から数えて五代目までが該当します」たそな…って事は玄孫の次の来孫までって事なんだろか?うーん?

 豆知識、京都の街事情では、「一条から二条までは、よその街区の三倍の広さがあって、ここは大内裏のある区画で、官庁街のようなところ」、「勢力のある高貴な人が住む二条・三条の区画」だそで、ちなみに「源氏の邸が「二条の院」、藤壺の中宮の邸が「三条の宮」、右大臣・弘徽殿の女御の住まうところも「二条の院」だったとな…そーだったのか?院と宮?

 かくて「四条・五条と下って行くに従って、町の様子は徐々に庶民的なものに変わって行く」とな…だから「五条は庶民の町」となる訳で、そこに住んでいたとゆー事で夕顔の立ち位置もはっきりしてたって事か?ちなみに「源氏が夕顔の女を伴って出掛けて行った「某の院」のモデルとおぼしい、寂れた「河原の院」があったのは、六条大路の五条側」だそで…

 そして六条以下どよ?というと「ここから先は「都の郊外」」という事になるそで、六条に「大きな屋敷があるとすれば、それは高貴な人の"別邸"という形になる」とな…そんな訳で六条御息所キタコレになるのか…ついでに言うと後の六条院となると…こちらもちなみに「幼い頃の源氏が、ひそかに伴われて高麗人に人相を見てもらいに行った、鴻臚館という"外国人用宿舎"があったのも六条」なんだそな…

 お名前編あるあるでは「前」のというのは先代のという意味ではないそな…今だと元の方の意味の方が近いのか?とにかく「「故人はまずその最終的な肩書によって示される」というのが、当時の常識」という事らすぃ…

 生活あるあるでは、平安時代には磁器がない、土器の世界だったそで…「女性の袴は、この時代に下着です」だから着る順としては、まず袴からなんだそな…だから軒端の荻のトップレスもどきがあり得たとゆー事らすぃ…着付けって…

 生活あるあるお家事情建物編では(笑)「婚姻の末に男と同居することになった女性は「北の方」と呼ばれますが、これは彼女達が寝殿の裏にある「北の対」に住んでいたからです」とな…妻は北の対に住み、夫は西とか東の対に住む、家庭内別居当たり前の社会ですから(笑)ただ、「その中で中心となる「寝殿」というのは、普通、家族が居住する生活の場所ではないんですね」とな…じゃ何?とゆーと「儀式のための大広間であり応接間のような役割を果たしている「客殿」」「特別な「晴の場所」という事らすぃ…

 そんなとこですから、「主の男の娘が後宮に入って后」などになっていて里帰りの場合に使用するのが、この寝殿なんだそな…聖なる女性が住む場所ともなると…てな訳で、女三の宮も「崇められるべき妻」として寝殿に住む事になるそな…だから、女三の宮って北の方じゃないんだそー…高貴がメインって事ですか?そーですか?

 生活あるあるになるのか?養育問題で、「当時の娘の教育となると、これはどうやら父親の仕事のようで、父親が娘に対し、女として必須の教養を教え込む」のが普通だったらすぃ…

 そして職業倫理みたいなとこでいくと、「江戸時代の封建道徳は、上に対する忠義というものをすべての国民に要求したから、下々の人間は、下品であっても、上に対する仕え方を知っていた」そな…ところがどっこい、平安時代はそんなものは徹底していなかったとな…それの一番の端的な例として、女三の宮の下に源氏が渡り、紫の上は一人になる…その場面で彼女の女房達は、彼女の前で堂々とひそひそ話をするとな…しかもそれは「紫の上に関する噂話」を…

 どゆ事かとゆーと「紫の上は、自分の使う女房達から、一番いやな話題を、一番いやな時に聞かされることにもなるんですね」とゆー事じゃまいか?「光源氏最愛の女性である紫の上の周囲になら、恐らく才色兼備の素晴らしい女房は一杯いたはずなんですが、しかしその中に女主の不幸を悲しんだり口を噤む女房はいなかった。女主の気晴らしをしてあげようと考える女房や、共に不幸に泣いたり同情で声を詰まらせる女房がいなかった」という不思議…でも、これは当時全然不思議ではなく、よーするに当時はモラルがなかったとゆー、彼女達にしてみれば本当の事なんだから何言ってもいいんだってゆー世界だったよーで…

 礼儀とか思いやりとか気配りという要素もないんじゃね?とゆーのもあるんだろーけど男女共、何よりも、コネこそ全て、出世こそ全て、ならば、常に一番都合の良いところにつけばいー訳で、今自分にとって一番条件の良いところにいるだけなんだかららすぃ…リストラ上等の前に、使用人(労働者)側もいつでも主を見限る方向で目を光らせていたとすると、そりゃ仕事はしないよなぁ…そこでのし上がっていこーとするのは長く居る事になるからで、いつでもよりよいとこに移動が普通とするならば、如何に自分に楽させて儲けさせてくれるか?が選択基準ですから苦労や我慢までしている必要はないと…誰もが自分の居心地しか頭になかった時代ともいうなんだろか?

 逆に、逆風でも主から離れないパターンて、「愛情からではなくて「他に行き場がない」という無能さの証明」なんだそな…出来る人は皆その時の一番の権勢に靡く、それが世の習いとゆー物らすぃ…もしかして、平安時代ってスーパードライな世界だったのか?

 これも豆知識と言えるのかで、「宝塚歌劇の作劇の基本は「三角関係」」だそで、「「その中心になったヒロインが最後には死んでしまう」-このドラマが最も観客に受けるんだそうです」って、そーだったのか?宝塚?

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピいぱーいですので、興味のある方は本書をドゾ。

 目次参照  目次 文系

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