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2016年8月30日 (火)

花鳥風月桜富士山?

江戸時代の和菓子デザイン  中山圭子  ポプラ社

 何の本かと言えば、タイトル通りなんですが、江戸期、茶会開くには、御菓子手配をしないといけないよねで、そのお菓子どんなのにしますとゆーカタログ集だったりする…所謂一つのセミオーダーメイドって奴でしょか?でもって、当時ですから、一つ一つのお菓子が絵になっていて、しかも色付き、フルカラーなんですよ、奥さん(誰?)

 今見ても、うっとりの美しさでして、まるで宝石箱やぁの世界かも?一品一品、まるで宝石のよーに鎮座していらっさいます。てな訳で、こー言っては何だが、本書をまずは見ろの世界でして、何とゆーか、日本という国は江戸の昔からこんな国だったんだなぁと納得の一覧のよーな気がする…幾ら当時お菓子が高価で貴重品だとはいえ、お菓子一つにここまでするか?のノリですから…

 ちなみに当時のお菓子カタログ、図書館とか老舗の菓子店なんかにも保存されているらすぃですけど、本書のは「徳川家御用達菓子屋(店名不明)のものです」「名古屋市蓬左文庫所蔵「御蒸菓子御見本」「御干菓子御見本」を使用させていただくことができました」なんだとな…名古屋という事は尾張徳川家って事でオケ?それにしてもお菓子の絵図町って、モノホンは本当に和綴じの古本って感じなんだなぁ…

 ちなみにちなみに「現存では禁裏御洋菓子屋を務めた虎屋所蔵の元禄八年(一六九五)「御菓子之畫圖」がもっとも古いと考えられます」とな…「上菓子は十七世紀後半、京都を発祥の地とし、江戸ほか各都市に広まり、贈答品としても好まれました」そで、やっぱ茶の湯の影響なんでしょかねぇ?

 アリス的には、スイーツ…甘ったるいもの好きの准教授ですから、そんなの関係ねぇー(死語?)とゆー事はまずないよな(笑)

 鍵のカステラで、玉椿、「カステラ生地で「薯蕷餡」を巻いた抽象的なデザイン」が画期的?ってか?かすていらんとか、異形のお饅頭で、苗代饅頭、瓜饅頭、梅干饅頭、日の出饅頭、麻の実饅頭、杢目饅頭、織部饅頭、千代饅頭、求肥饅頭、蕨饅頭、金玉饅頭、汐見饅頭、蕎麦饅頭、煎子饅頭、白朧饅頭、道明寺饅頭、琥珀饅頭とか、暗い宿の羊羹で、丸羊羹、青練羊羹、へっこうかん、小倉かん、八重成かん、紅羊羹、羊羹、百合かん、小車かん、大角かん、百合羊羹、薯蕷羹、栗羊かん、西瓜かん、ふとうかん、琉球かん、麩かん、冬瓜かんとかありまする。

 また、白い兎で、玉うさぎ、兎羊羹、兎、兎饅頭とか、アポロンの亀で、新万代、亀甲饅頭、萬年羹、浦嶋巻、亀甲餅、幾萬代、宝莱かんとか、オノコロ島で、淡路島とか、ダリ繭だったか?朱色だったかの夫婦岩で、二見の浦、二見かんとかもこれまたあるよで(笑)

 アリスときたら月は忘れてはいけないで、梅月とか、形的には、雪南天なんて三日月の形してるし、雲月かん、月の都、黄朧、黄朧月、堅田月、す磨の月、三日月、最中月と月がついたのもこんなにあるし(笑)

 後、京都絡みで、亀の尾山「京都右京区嵯峨にあった亀尾山のことか」とか、嵐山「桜の名所、京都の嵐山にちなむ」とか、高雄山「紅葉の名所」とか、池の尾「池尾は、京都宇治川のほとりの地名」とか、井出の里、玉川の里「京都府綴喜郡井手町は山吹の名所」なんだそな、また「井出の玉川周辺の、黄色い山吹を見立てたのだろう」とな…祇園林「八坂神社境内および、その周辺の林」って、昔は木がいぱーいってか?嵯峨饅頭では「京都市右京区の西部一体の地で、貴族の別荘や寺院が置かれた」そな…祇園焼、貴船河、大井川は「桂川の部分名である大堰川のこと」とな、となせかんは「「戸無瀬」で、大堰川の部分名」、桂川は「大堰川が桂橋を境に桂川となる」そな、小倉山、宇治錦、宇治の里は「宇治は茶の名産地」って事で抹茶キタコレか、うし橋、清瀧川は「京都市右京区清瀧、愛宕山麓を流れ、大堰川に注ぐ川のこと」とな、大徳寺金鈍は「京都大徳寺の茶会でよく使われことにちなむ」とか、地名にちなんだものもあると…

 他に大阪絡みでは、住の江「松や浪とともに歌に詠まれた名所で、現在の大阪市住吉区の一帯を指す」んだそなもありますとな…それにしても、これ尾張徳川家からのでして、名古屋にて京都の地名がバンバン出てくるとこ見ると、当時的には京都の地名、全国区的だったのか?

 さて、和菓子の歴史的には、「江戸時代中期以降には砂糖の流通量が増加し、製造技術も向上したため、四季の風物をかたどった上菓子、庶民的な桜餅や大福など、今日見るような菓子のほとんどが作られるようになり、あらゆる階層でさまざまな菓子が楽しまれました」とな…江戸っ子は上も下も関係なく、食いねぇ食いねぇ菓子食いねぇの世界だったのか?

 ちなみに「江戸時代、幕府御用を務めた菓子屋には、大久保主水、桔梗屋河内、鯉屋山城、宇都宮内匠、金沢丹後などがあり、行事や贈答などに菓子がよく使われました」とな…その例として6月16日の嘉定で、「登城した臣下に菓子が下されました」とゆーから、公家も武家も関係なく、菓子の日キタコレになるのか?徳川家で面白いと言ってはアレだけど「元亀三年(一五七二)の三方ヶ原の戦いの出陣に際し、徳川家康が、大久保主水の先祖から献上された菓子を家臣に分配したという逸話」もあるそな…それにしても三方ヶ原の戦いって、信玄との戦で家康惨敗したそれじゃなかったっけ?お菓子のご利益はなかったのか(笑)

 歴史的エピ的に言ったら、「安政四年(一八五七)、条約締結の交渉のため、将軍謁見を赦された初代米国総領事タウンゼント・ハリスには、十三代将軍徳川家定から檜の四段重ねの重箱に入った菓子が贈られています」とな…四段重ねの重箱入りってだけで日本人なら相当に凄い菓子キタコレなのは分かるけど、貰った方のハリスにもそれなりにアレだったよーで「それらは、どの段にも美しくならべられ、形、色合、飾りつけなどが、すべて、ひじょうに綺れいであった」「私は、それらを合衆国に送ることができないことを大いに残念に思う」と記していたとな…米人にも分かる人はいたんだなぁ…

 ちなみに嘉永六年(一八五三)長崎に来航し、幕府側と日露間の条約締結の交渉に努めたロシア艦隊司令長官兼遺日使節のプチャーチンにも、凝った細工のさまざまな菓子が用意されたことが、同行した作家ゴンチャローフの日記からうかがえます」とな…露側の反応が本書にないところ、まぁそんなもんだったんだろーなぁ(笑)

 他にも、たくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。それにしても両口屋是清って尾張徳川家御用達だったのか?

 目次参照  目次 スイーツ

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