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2016年8月31日 (水)

甘党?

お菓子の歴史  マグロンヌ・トゥーサン=サマ  河出書房新社

 うーん、取り敢えずタイトル通りの本なんだと思うんだが、世界のというより、欧米のというより、仏ののよーなとゆーか、それがメインかなぁ?まぁ、スイーツ…果物そのもの的なもの以外になると、まさに文明とは何か?な世界に突入していくよな(笑)食は食でも、日本人的に言うなら、米、味噌、醤油みたいな生活必需品品目より、贅沢品、ゆとりあってナンボなとこ多しじゃね?で、そゆのがチラりでもあって初めてお菓子キタコレになるよな?まぁお菓子の定義をどーするか?でかなり変わるかもしらんが?

 そんな訳で「スペインのヴァレンシアに近いアラーニャの洞窟に描かれた一万二〇〇〇年前の壁画や、最近見つかったインド中部のパシャマディの壁画から、それを確認できる」そで、そんな昔から人類は甘味と共にあったよーです(笑)ハニーハンターってか(笑)

 そんなそんな訳で、「砂糖が登場する西暦一〇〇〇年代の初めまで、甘味料といえば蜂蜜があるだけだった」とな…「一二世紀の終わりになってようやく、フランスやイギリスで、食事の最後に出される料理をデセルト」と呼ぶよーになったとな…更に「デザートつまりデセールという言葉は一六三二年に「コトグラーヴ辞典」に入った」んだそな…ちなみに「中世のデザートには、コンポートや新鮮な果実、ドライフルーツや砂糖漬け果実の盛り合わせ」とフルマンテ(小麦粉と牛乳と卵の煮込み生姜やサフラン風味)に「鳥獣肉まで食卓に並んだ」というから、何でもありか?ただし「一四世紀になると小さな菓子も供せられるようになった」そな…

 ただし「中世において上等な食事が実際に終了するのは、そのあとにイシューが出されてからであった」そな…何じゃそら?とゆーと「食後のイシューにはきまって香料入りのワイン、イポクラース酒が小さな焼き菓子とともに出された」で、この後に出てくるのがプート・オール、「これも香料入りのワイン」だそで、それと同時に提供されるのがボンボン、「「部屋のスパイス」と呼ばれる糖菓」でこれが「ボンボンの元祖である」とな…そーだったのか?ボンボン?

 そして「ルネサンスとともに、砂糖が普及し、カカオ、コーヒー、ヴァニラ、各種の果実など新世界の食べ物がどっと入ってきたため、デザートに供される料理は非常にヴァラエティー豊かになった」とな…しかもこの頃から「果樹栽培が飛躍的に発展」したそで、果実の収穫量が増加するのは勿論、「果実が甘味に加わるようになった」とな…

 で、歴史で有名な伊から嫁キタコレの仏王室ですけど、これによって仏のデザート文化キタコレにもなると(笑)詳細は本書をドゾですが、やがて「一五六三年一月二〇日、シャルル九世が裕福な者たちに贅沢な食事を控えるように命じた政令には、デザートに「果実、タルト、パイ、チーズなどを六皿以上出してはならない」と書かれていた」とゆーから、ドンダケェー(死語?)しかも一度ならずに六度出されてるとゆーから、仏貴族って…なるほろ、仏万歳になる訳だよなぁ?ええ、パンがなければお菓子を食べればいいじゃないなんですよ、奥さん(誰?)

 そして、アントルメきたこれになる訳ですが、こちらの詳細も本書をドゾ。ただ現代ではアントルメとは「甘い料理であり、食後の最後に「デザート」として供される」んじゃね?に落ち着いたのか(笑)仏料理のサーヴィス、お皿の数?の発展史みたいなもんだよなぁ…

 それと、スイーツの話では忘れてはいけない、おやつ、の時間はどよ?ですよねぇ…日本で言うなら十時と三時のおやつタイム、こちらにも歴史ありでして、こちらの詳細も本書をドゾ。ただ、セレブ的にはおやつ(グーテ)は俗なお言葉じゃねって事で、軽食(コラション)ってお言葉を使うそな(笑)言葉にも差別、格差ありってか(笑)

 で、18世紀にはセレブ達は「午後の軽食をさらにエレガントにして、一般に午後の五時ごろとっていた」とな…しかも「アジア原産の琥珀色の飲物にかけて、それを「お茶」と呼ぶようになった」とな…成程、ヴェルサイユへいらっさいってか(笑)

 アリス的には、スイーツ…甘ったるいもの好きの准教授ですから、そんなの関係ねぇー(死語?)ではないと思うんですが(笑)どよ(笑)

 スウェーデン館他のチョコで、まず「チョコレートの原料であるカカオの学名は、スウェーデンの偉大な博物学者カール・フォン・リンネが一七三七年につけたものである。科学界の習慣にしたがってギリシア=ラテン語でつけられた学名はテオブロマといい、「神の食べ物」という意味であった」とな…アステカでの飲み物チョコアトルもキタコレなんですが、「カカオが実際にヨーロッパに広まったのは一五八五年以降のことだった。その年、ヴェラクルスから運ばれたカカオ豆の最初の積荷は、値段が高かったにもかかわらず、飛ぶように売れたのである」とな…まっ当時は、新な薬キタコレだったかもしれないが(笑)詳細は本書をドゾ。

 「チョコレートが最初に菓子の材料になったのは、一七七四年、ムノンの「ブルジョワの女料理人」においてである」そな…ちなみに「一六五九年から固形チョコレートが作られるようになったことである」で、板チョコあったのか?

 「一八世紀をつうしで、チョコレートの流行はイギリスとドイツから始まりヨーロッパに広がったものの、なおしばらくのあいだ薬として使われていた」そで、菓子か薬がそれが問題だってか?まっどちらにせよ、セレブ限定商品だったろーけど(笑)経過についての詳細は本書をドゾですが、仏的には「ナポレオンの帝政が終わると、再びカカオ豆が豊富に出回るようになり、あらゆる人々がチョコレートを口にするようになった」そで、「一八二八年ごろ、すでにヨーロッパ随一のチョコレート製造所を所有していたオランダ人のガスパルス・ヴァン・ホーテンが、脂質つまりカカオバターの一部を機械で取り除くというアイデアの特許を取った」とな…「それによってチョコレートの粉末が簡単に作れるようになり、菓子作りにしても飲み物にしても、チョコレートパウダーを安い値段で利用できるようになった」とな…

 しかも「ヴヴェー出身のスイス人ダニエル・ビーターによって、一八七五年にミルクチョコレートが発明された」とな…まぁその後のチョコの発展については今更なので…今では世界中でショコラティエとゆーかショコラショップだらけじゃね?じゃね?

 他にアリス的というと、変態性欲の権威の准教授ならご存知かも知れないが、「宗教の儀式では、ボルノグラフィとは言わないが、宗教心を示すために、いかがわしい形をした菓子を食べることがあった」の件でしょか?こちらの詳細も本書をドゾですが、例えば「「アフロディテの胸をかたどった」キリバネス」とか、「シラクサの三角形の菓子ムロイ」とか、また「デュオニソス祭では大きなファルスの形をした菓子が配られる」そで、「上品な人々もそのような菓子に慣れっこになっていたのだ」そな…

 後、アリス的というと、准教授の好物メロンで、「中世から、生の果実は食事の初めに好んで食され、こんにちでもメロンに関してはその習慣が見られる」んだそな…そーだったのか?メロンってゆーか、もしかしてよくオードブルなんかにある生ハムのメロン添えなんて、そゆ事なんだろか?うーん?

 それと婆ちゃんの好物バウムクーヘンで、「ベルリンのバウムクーヘンは年輪の形をしたロール型のブリオッシュに、ナツメグとシナモンで香りをつけたアーモンドを飾ったものである」って、そーだったのか?バウムクーヘン?

 後、ロシア紅茶でジャムだろか?かの有名なノストラダムスの「ジャムと化粧品について」他、ジャム論についての詳細も本書をドゾ(笑)

 他には、ダリ繭の卵焼きで、「ポルトガルの菓子では、ペイラ・リトラルの驚くべき卵の「ナツメウナギ」、「ランプレイア・デ・オヴォス」が、ポルトガルの高級ワインと同じくらい有名である」ってホンマでっかぁーっ?甘いオムレツらしーのですが、詳細は本書をドゾ。

 それと国名シリーズ的にはモロッコ水晶で、マグレブ地方(モロッコ、アルジェリア、チュニジア)のスイーツの特徴は「非常に甘く香りの強いものをとくに好む点」で、材料は蜂蜜、スペルト小麦、少量のバター、多量のオイル、新鮮な果物(マルメロの実、イチジク、柑橘類)、感想果実(ナツメヤシ、レーズン、クルミ、松の実、アーモンド)、香りの強い香料(橙花水、シナモン、アニス、サフラン)、種子(スイカ、アニス、ゴマ、栗、ピスタチオ、落花生)、ジャム、卵とな…

 ちなみに「客が来ると主人にあらかじめ知らせてあれば、あの手がべとべとする、熱々の揚げ菓子をどっさり盛った皿が出される。こうした揚げ菓子が結局のところ、北アフリカでいちばんのごちそうなのである。モロッコやアルジェリアで出される「スフェニ」は、北アフリカのドーナツのように輪の形をしているが、とろりとした蜂蜜がたっぷり塗ってある」んだそな…何とゆーか、カロリー高そうに見えるのは気のせいか?

 またモロッコでは、女性達が「いまでもウアルカという、ブリックに似た生地を作る役目を負っている。薄い生地は一〇回も折りたたまれ、天板で焼いてシナモン入りの砂糖をふりかけてあり、「パステーラ」という折り込みパイとなる」そで、「「ブリウート」の場合は、生地を細長い帯状に切り、子牛肉やミルク・ライスをこねて丸めたもののまわりに巻き、油で揚げ、粉砂糖をまぶして出される」とな…もしかして、北アフリカは油と砂糖がお好き?なんだろか?

 後、英国庭園で英のスイーツ、こちらは色々ありますので詳細は本書をドゾ。一例としては「Cakeという言葉は、ヴァイキング(スウェーデン人はいまでもカカKakaと呼んでいる)がテムズ川の沿岸に伝えたものである。北フランスのクークcouqueと同じく、煮たり焼いたりすることを意味するインド・ヨーロッパ語の古い語根、cou…ないしはco…に由来する」のだそな…そーだったのか?ウルフ先生?

 ロシア紅茶でロシア菓子では「フレッシュチーズのケーキ、パスハ」きたこれってか?も一つ、伝統菓子として「ワトルーシカ」もありまっせとゆー事らすぃ…他、「ナレスキ」「ブリヌイ」と掲載されていますので、興味のある方は本書をドゾ。

 スイーツ基礎知識で、まず言葉ありきですけど、お菓子の名前って仏語多いよなぁと思っていたけど、英語も多いなぁだったんだなぁと…そんな訳で、基本仏語でいくと、それって何?な話がいぱーいってか?よーするに、お菓子の名詞が具体的に何を指しているのか?トーシロには今Ⅰピンと来ないのもあるじゃまいか?で、その度にこれはどんなスイーツ?と立ち止まらなくてはならないんですよ、奥さん(誰?)

 そんな訳で、簡単、仏語でのスイーツ講座…「一三二八年以来、パティスリーPatisserieはまず、煉り粉Pate(ギリシア語のPaste「粉を混ぜたスープ」に由来)で作られる食品を指した」んだそな…「パートとは小麦粉と水または新鮮なチーズを練り合わせたもので、この生地で細切れにした肉や魚や果実を包んで焼いたものがパテ(パイ)である」とな…で、この「パテを作る人はパスティツェリーPastitzerieからパスティスリーPasticerieになって、やがてパティシエPasticierと呼ばれるようになった」そな…そゆ訳でパティシエとは、「昔もいまも、塩味や甘味のパイ、トゥルト(パイの包み焼き)やタルト、各種の菓子、デザートやジャムを専門に作る人のこと」なんだそな…ついでにいうと仏革命までは、「菓子職人の地位は料理人より上だと考えられていた」って、ホンマでっかぁーっ?

 その他、「ガトーgateauという言葉が現在の形で使われるようになったのはルイ十三世の時代」からで、カール大帝の俗ロマン語(古語)の昔の名前で出ていますの頃は{どろりとした粥のような食べ物全体をさしていた」そな…

 更に「甘いものをさす「フリアンディーズfriandise」という言葉がフランス語に入ったのは一四世紀半ばで、frilansという言葉から派生し、とくに宮殿の美味な食べ物を示していた」「「フリアンティーズ」はしばらく、甘いもの好きの意味で使われた。しかしまもなく、その意味では「グルマンティ゛ーズ」という言葉が使われるようになり、その言葉で非常に美味な料理も示すようになった」とな…

 で15世紀初頭、グルマンディーズ「という言葉がいきなり食卓に登場した」らすぃ…ちなみにグルメは「ワイン商の召使の通称」とな…で、「「グルマン」と「グルメ」は混同されて、まずがつがつ飲み食いする人をさすようになった」とな…「一七世紀初めから、「グルマン」はとくに甘いものを好む人に対して使われ」たそで、「洗練された料理を好む人を「グルメ」と呼ぶようになった」とな…グルメの歴史も半端ない…まぁキリスト教徒的にはグルマンティ゛ーズの方がそれが問題だかもしれないが、何故って、例の七つの大罪の四番目がグルマンティ゛ーズだったからして…それが「一七世紀以降、グルマンティ゛ーズはもはや暴飲暴食ではなく、甘いもの好きを示すようになったのである」だそですから…言葉の変遷って…

 さて、歴史的には昔々あるところ以前からキタコレで、例えば、「紀元前二五〇〇年にはもう、エジプトのパン職人がアッシリア人のように日常のパンや特別においしいパンを作っていたことが確認できる」そで、パン菓子キタコレになる模様…更にギリシア・ローマ時代キタコレでこちらの詳細も本書をドゾ。

 後は、「はるか昔の青銅器時代、つまり紀元前二〇〇〇年代の最初の数世紀」の頃、「パレスチナのヘブロンに近いマレで、こんな出来事が起きた」、アブラハムに三人の人がキタコレで、彼は妻のサラに「パン菓子をこしらえなさい」と言ったとなとゆーのが、「菓子について書かれた最初の記述である」のだそな…何となくトーシロ的にはパンと菓子は別物と思っていたら、その実、同じというか似たとゆーかなモノだったらすぃ…それともパンとついてもその後に菓子とつけば菓子の範疇に入るのだろか?この辺りの明確な区分けがトーシロにはむつかしー…

 尤も聖書的には「ヘブライ語で書かれた原典には、ケーキ類(OUGA)についてはたくさん語られているが、ただのパン菓子(MATZOT)についてはそれほどでもない」とゆーから、これまた違うのか?それが問題だってか?

 でエジプトに戻って、最も愛された料理長キタコレでクヌムホテプでしょか?こちらの詳細も本書をドゾ。第五、六王朝期の方らすぃですが彫像が残っているとこからお察し下さいってか(笑)とにかく、「エジプト人は多くの文書を書き残したが、料理に関する本は書かなかった」そな…ナイルの恵みがあんなに豊かだったんだから、さぞかしとゆー事で、実にもったいないと思うんだけど?エジプト人的にジャスティスなのか?

 昔のスイーツあれこれについても詳細は本書をドゾですが、幾つかへーと思ったとこを「ギリシア人は中近東の人々やローマ人と同じく、(牛の)バターをまったく評価せず、バターの代わりに新鮮な凝乳を用いていた。もしくは植物油(オリーブ油)か豚か子羊の脂を使っていたのである」とな…

 そして「ローマ人はギリシアの菓子をほとんどすべて取り入れ、製粉からパン作り、菓子作り、砂糖菓子作りまで、ほとんどすべての仕事をギリシア人の職人とその助手のガリア人にまかせていた」そな…こちらの詳細も本書をドゾ。

 そして暗黒の中世キタコレで、ローマ滅亡で底辺に下がった菓子文化が、またちょっとずつ浮上してくるとゆー事らすぃ…まぁ一部の特権階級だけだけど(笑)でまぁこの辺りに出没する菓子が、現代の伝統菓子、もしくは普通の菓子の起源キタコレになるらすぃので、これまた詳細は本書をドゾ。

 色んなお菓子が出てくるのですが、タルトとかクリームとかマカロンとかええ(笑)トーシロ的に一番不明なのが、パン・デピス、蜂蜜パンとか香料パンとかになるらすぃんですが、これが一体何に一番近いのか?イメージが追い付かないんですけど、欧米的にはポピュラーなものらしく、やたらとあちこちで顔を出すんでございますよん…レシピを見る分にはパンというより、ハードな甘食、クッキー、みたいなノリなんだが?うーん…まぁともかく、仏菓子の種類パネェとゆー事でしょか?他にもたくさんいろんなスイーツが出てくるので本書をドゾ。

 さて、菓子職人、まっセレブのお抱え職人の一つですが、「菓子作りは料理とはっきり分かれ、配膳室の仕事」だったのか?ついでに「サラダやフルーツといった新鮮な生の料理も、配膳室係りが担当していた」とな…成程、台所には窯があるって事で、灰かぶりじゃないけど、汚れ仕事って事になるのか?その点、スイーツは埃や灰のかぶらない清潔なとこでよろしくって事らすぃ…

 まぁこちらの詳細も本書をドゾですが、やはり仏という事でこの人だけは忘れてはいけないアントナン・カレームじゃまいかでしょか(笑)もーこの人の逸話はそれこそ枚挙につきないので、本書をドゾ。ただ、仏的には、この人とタレーランとのタッグが歴史的には一番か?所謂、菓子外交キタコレですよ、奥さん(誰?)

 「外務省の食膳係りはアンシャン・レジームの慣習にしたがって組織され、正真正銘の貴族であるタレーランはそれに深くかかわっていた。カレームはそこで、食事の出し方を学んだ。どんな重要な食事であろうと、食事につきもののしきたりがあった。伝えるべきメッセージにしたがって装飾をほどこさなければならないのである。内輪の夕食は深い感情と秘密めいた偕楽をかき立てるものでなければならない。正式なディナーでは、気前よく接待してこちらの力を見せなければならず、招待客の重要度にしたがって敬意を示さなければならない」とな…差別じゃないんです、区別ですってか(笑)

 まっともかく「菓子はこの戦略全体の秘密兵器となっていた」そで、「料理のメニューにもまして、ピエス・モンテや装飾菓子は舞台の主役であった」そな…よーするにデザートとはパフォ、ショーであるとゆー事らすぃ…まさに文句があるならベルサイユへいらっさいを地で行っていたとゆー事か(笑)まっ舞台はパリだけど(笑)外交とは、はったり効かしたもん勝ちって事だろか?欧米って…

 そゆ19世紀文化って…なんですが、実は20世紀末になっても「パリ市芸術委員会は、カレームの作品を「ありのままに」再現した。王さまのパティシエともパティシエの王さまとも呼ばれる筆者の友人、名匠S・G・サンデルが製作したもので、彼自身、カレームの親しい協力者であったギュスターヴ・ヴァントロープの直系の弟子である」って、まさに今に続く伝統なんですよ、奥さん(誰?)ちなみに「サンデル自身も、周知のように、ベルギーのボードゥアン国王やイギリスのチャールズ皇太子のためにあっと驚くような、いつまでも人々の記憶に残るウェディングケーキを作り上げた」そで…

 「驚くべき出張菓子職人、サンデルは、オランダ女王の結婚式、ベルギーのボードゥアン国王の結婚式、イランのシャーとファラ王妃との結婚式にも才能を発揮した。さらにスウェーデン国王の誕生日など、おもな仕事を挙げるだけでもたいしものだが、彼がいちばん誇りにしているのは、菓子作りが趣味のイギリス皇太后にメレンゲの作り方を教えたことである」とな…

 で一方、「ブルジョワの妻がやや見下して、「あの人たち」と呼ぶ人々のあいだで、シンプルな家庭のアントルメやタルトが好まれ」ホームメイドきたこれもあり、また、ミサの後で菓子店キタコレもあるとゆー、スイーツ文化キタコレもあるとな…

 後、戦争とお菓子な関係で、「第二次大戦中に食べるものがなくなって窮乏生活を送らなければならなかったという話は、記憶にとどめているにしても、第一次大戦でとりわけ砂糖や小麦粉といった食糧がかなり不足したことを知っている者は少ない」とな…「さらに昔の一八七〇年のパリ包囲では、ねずみまで食べたが、これもいまでは小話や伝説の中の出来事である」とな…そーだったのか?パリ市民?だけど、昔の事が笑い話ですんでいるなんてうらやしましス…

 ちなみにWWⅠでは「一九一七年一月二〇日の法律により、パティシエは週に二日、火曜と水曜に店を閉めなければならなくなった」そで、「五月には、パティシエが小麦粉とライ麦粉とトウモロコシ粉を用いることが禁じられた」そな、更にバターや新鮮な卵も不足していたが、「一八六九年にメージュ=ムーリエという人物がマーガリンを発明していた」とな…ところがどっこい「一九一八年二月になって、生菓子であれ焼き菓子であれ、あらゆる菓子を販売することが禁じられた」とな…しかも終戦後に「「ジャムの販売、製品の質、認められる材料の含有量に関する」制限が撤廃されても、菓子に対する禁止令は一九二二年七月までつづいた」とな…確かベルサイユ会議が1919年だから、デザートはどーしたとゆーより別腹だったんだろか?うーん…

 まぁ仏だからなぁ…かのWWⅠ中も「塹壕から塹壕へと薄いシチューを配る野戦用の調理車の前に兵士たちが行列を作るいっぽう、司令部の連中は摘発した城館の美しい食堂ですばらしいディナーを味わっていた。高級将校は戦争を遂行する責任がある。だから、国の将来を安泰にするため、彼らはフランスでも一流の料理人やパティシエの世話になる恩恵に浴していた」そな…さすが、自由、平等、博愛の国、仏、そこにしびれるあこがれるぅーっ(笑)

 仏エピでもう一つ、裁判官のスパイスきたぁーっで(笑)「裁判官のスパイスは、同じく果実や香辛料の砂糖漬けを、訴訟人や裁判を受ける人が裁判官に贈ったものである」でして、元は「訴訟に勝ったときの謝礼であった」そな…ところが「用心にこしたことはないというわけで、審議の前に贈り物が渡されるようになった。そのため、原告と被告の双方から贈り物をもらった裁判官は、結局のところ自由に採決を下させたのである」とな…で、裁判官はその「砂糖菓子を香料商人に転売して、かなりの収入を得ていた」となな…仏の正義って…ちなみに「フランス革命の行った最初の仕事のひとつは、「裁判官のスパイス」を廃止し、司法をうまく機能させることであった」とな…

 面白エピ的には、パウンドケーキ…仏で言うとこのカトル・カール…神聖なお菓子かと思っていたら「こんにちでもプロの職人にカトル・カールの話をすると、馬鹿にしたような笑みを浮かべる。そのようなものは作るに値しないというわけだ」とな…そーだったのか?カトル・カール?

 またビスケット、クッキーの類のとこで「こんにち、ビスケット産業は、フランス国内の企業、あるいはしだいに増加する傾向にある多国籍の農業食品関連の大企業にとって、ある意味で経営の柱となっている。それはつまり、穀物生産や商業、さらに公的な予算にとっても、この産業は重要だということである」とな…たかがビスケットされどビスケットなんですよ、奥さん(誰?)最早、国策?国の浮沈もかかっているぅってか?

 後は、仏とは「南のオック語の地方と、北のオイル語の地方」に二分されるそで、「南フランスの人々がガトー・デ・ロワを食べるのに対して、ロワール川以北ではガレットが好まれている」んだそな…そーだったのか?仏?

 それと「主の奉献の祝日である二月二日は、冬至と春分のちょうど中間にあたり」「シャンドールと呼ばれている」そで、まっ詳細はいつもよーに本書をドゾですが、この日「たとえ無信仰であっても、この日にクレープとベニエを食べない者はまずいない」日なんだそな…ちなみにクレーブって「こんにちでも、再生、豊穣、光、闇と寒さに対する勝利する太陽といった、私たちが無意識に行っている祝いの行事に欠かせない食べ物であった。つまり、こうした素朴な菓子を食べることは、世俗の暦にのる以前に、かつては魔術的な土地の儀式のひとつだったのである」って、ホンマでっかぁーっ?原宿で歩きながら食べているアレはもしかして欧米的には一体…

 ちなみに、ここでも仏は二分されるよーで、「北部ではクレープが好まれ、南部ではベニエを食べることが多いのである」のだそな…ちなみに蕎麦粉のクレープ?カレットはクレープではないそで、「クレープとカレットを混同してはならないのである」って…お菓子のカテゴリーも色々あるんだなぁ…ちなみにベニエって何とゆーと揚げ菓子、よーはドーナツじゃね?って事かもかも?

 後はこれってどよで「二〇〇〇年を迎える直前に、フランス人はひとり当たり年間六リットルのアイスクリームを食べていたが、イギリス人は八リットル、アメリカ人は一六リットルである」そーだから、メタボなんてそんなの関係ねぇー(死語?)ってか?

 他に豆知識的というと、折り込みパイで「ハンガリーには、イラスム教徒の軍隊が通過したあらゆる土地と同じく、織り込みパイ生地で作る菓子が見られる」って…折り込みパイって東から来たのの一つだったのか?

 ちなみにハンガリーエピパネェで、まず一つ目、「第二次大戦までは、ハンガリー菓子店ジェルボーがウィーンのデメルと人気を二分していた」そで、「一時的な国有化によって店の質が落ちたのは、かえすがえすも残念である」って…もしかして、はいここわらうとこなんだろか?うーん…

 そしても一つは「立体的にカットしたチョコレートケーキがいまでもたいそう人気があるが、この「リゴ・イアンシ」は、一九二七年に死去したジプシー楽団のリーダーを記念して作られたものである」そな…しかもこの人物「当時、このミュージシャンは、ベルギーのシメー皇太子のお妃を奪って世界中の新聞をにぎわせた。もっともこのお妃はアメリカの大富豪の娘だったが」って…

 まぁホンマでっかぁーっ?な話続きで、「米のタルトがシャ・ヴォラン(跳び猫)協会の紋章になっていた」って、ドンダケェー(死語?)ちなみに「彼らの使命は、ヴェルヴィエールの薬剤師サロレアの実験を引き継いで、空気より重いものを飛ばすことだった」って…秘密結社って…

 日本的なとこでは、「現代の美学は極東の料理から強い影響を受けているように見える。二一世紀のスシの流行によって刺激を受けた新しい芸術的菓子作りは、洗練された簡素さと-すばらしくシンプルに作るのは難しいのだ-びっくりするような色使いの中に表現されている。それを砂糖やフォンダンやチョコレートで表現するわけである」とな…日本じゃなくて極東なんですね、分かります(笑)でも確か寿司の起源は東南アジアだったよな(笑)

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。スイーツ半端ないです(笑)

 目次参照  目次 スイーツ

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