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2016年9月 5日 (月)

人間の馬鹿さ加減には限界があると信じてる(笑)

人びとのかたち  塩野七生  新潮社

 所謂一つのエッセイ集と思われなんですが、メインテーマは映画かなぁ?ちょい古のソレなので1990年前後といった辺りの映画評も多しなんですが、そーいっても著者の映画のベースは、50年代のそれじゃまいか?で…やっぱ、思うに映画とはその人の青春時代がその人自身のベンチマークになるんだなぁと(笑)

 ハリウッド的に眺めるだけでも、50年代、せいぜい60年代までは米にとって幸福の時代でそれを反映しているけど、60年代後半からは不幸の時代にどっぷり浸かり、21世紀からもー絶望の時代に突入してまいか?じゃね?だけど、このハリウッド黄金期をリアルタイムで知っているか?否か?は相当に違うんだなぁと、ふつくしいおもひでな土台があるという強みが、どーんと出ている感じとでも言おーか(笑)

 で、初っ端はまずエヴァ・ガードナーの凶報から始まるんですが、今時、どの位の人がこの女優の名前を知っているのか?はともかく、今の女優と昔の女優の違いというのは、この圧倒的なゴージャス感だよなぁ…今も昔も美女は美女、ましてや今のメイク術やエステなんて神業の世界ですから、相当に凄いはずなんだけど、このオーラというか、迫力というかがハリウッド・ビューティーからは失われたよーな気がする…まさにスターって感じなんですが(笑)小手先で勝負していない感がパネェというか(笑)

 それと、現代映画についての著者評が「ダスティン・ホフマンとジャック・ニコルソンとロバート・デ・ニーロの三人がアメリカ映画をダメにした、と私は思っている」と断言するとこが凄い…なぜなら「昔は、彼らのような演技の達者な俳優は、脇をかためるほうにまわっていたのである」「それが今や、巧みな演技者イコール、スターの時代になってしまったのである」とな…出来過ぎもまたアレだという事でしょか?著者の解釈の詳細は本書をドゾですが、自然と不自然の間で、フィクションとはどこまでか?の話になるのかなぁ?気持ちよく騙されるラインとでもいうか(笑)

 アリス的には、やはり46番目のブルース・ウィリスで、ダイ・ハードからかなぁ?かくて「もしもサダム・フセインがチャーチル並みの映画好きであったなら、そして「ダイ・ハード」を観ていたとしたら、クウェート侵攻は思いとどまっていたのではないか…と」な、ってそーだったのかぁーっ?どゆ事とゆーと「アメリカ人とは、自分たちの考える正義のためならば、高層ビルがメチャクチャになろうがヘリコプターが爆破されようが人が殺されようが、文字どおりダイ・ハードで突き進みたいと願っている民族であることが、この映画を観るだけでも理解できたと思うのだ」は全くもってご尤もじゃまいか(笑)何か、時々米人って猪の霊でもとりついている感じだもんなぁ(笑)

 でもって「アメリカ人が始終、正しい戦争か否かを問いつづけるのは、彼らはイギリス人とちがって、正義のために戦う民族であるからだろうか。ただし、正義には落とし穴がある。「義」なのだから、アラブの大義をもってこられるとますます、こちらの義は「正」であることを強調する必要に迫られるのだ」も、何も今更の話じゃまいか(笑)で、ハーバートからして正義とは何かとぶちあげるとこなんですが、何か(笑)

 後は、グレタ・ガルボ…この方スウェーデン生まれなんですよ、イングリット・バーグマンといいスウェーデンは美女の産地か?ヴェロニカさん(笑)

 他にアリス的というと「シャイニング」のとこで、「とくに、インスピレーションが頼りの小説家の場合、書けないときの苦悩は大変なものに違いない」って、そーだったのか?アリス?アリス的やさぐれ感というと、オノコロ島と、潮騒理髪店だろか?

 著者的視点の一つが男と女ぁーでダバダーな世界についての考察がこれまた凄いかなぁ(笑)例えば、「月の輝く夜に」のニコラス・ケイジの科白「おしゃれしてくれて、ありがとう」…うーん、これをリアルで言える男性がいるのだろーか?は神のみぞ知るだが?ホストやジゴロじゃなくて素直に口にできる殿方がいたら拝んでみたいものよのぉ、越後屋の世界かな(笑)日常、女性を褒める人が珍しいのではなくて、女性に感謝する人が果たしてどれだけいるのか?物凄く疑問だなぁ(笑)

 そんな事が本当にあるのか的なのは「生活の設計」ですかねぇ?男二人に女一人というだけで波乱万丈な気がするが、これ男優の一人がゲーリー・クーバーなんですよ、奥さん(誰?)でもって、監督があのルビッチ…それだけで観る価値は十分にありそー(笑)も一つ、そんな関係があり得るのか的なそれでいくなら「恋人たちの予感」でしょか?それにしても著者の指摘は鋭い、最初の出会い、NYまでの自動車旅行の時に、相手がビリー・クリスタルではなくて、「クラーク・ゲイブルやゲイリー・クーバーであったらどうしたろう」というのは…笑うしかないよーな(笑)

 後は政治的というか、軍事的というか、人心掌握術的とでもいうか、歴史的というかで、「兵士というのは、平然と味方を犠牲にする将には絶対に従いていかない」の件は、今はどこもリストラしてナンボの世界で、良心の欠片も傷まない政財界人ばかりなりだからなぁ…このままでは遠からずどーなるか?は歴史が示す通りなんだろなぁ…

 も一つ「古代の戦争では、最高司令官がシビリアン・オンリーであった場合に加えてミニタリー・オンリーであった場合のいずれも、戦いに敗けているのである」「勝ったケースは、政治家兼武将であった場合だった」とな…成程バランス感覚、これ一番大事という事か?今の日本にそんな人いるのか?は皆まで言うなだけど、今の世界にそんな人いるのか?も、いと虚しゅーございますか(笑)

 「真昼の決闘」で、戦いとは以前に士とは何か?を著者は問うていらっさいますが、戦わないという選択についての著者の考察がパネェっす…「この映画は、宗教上の不戦主義者は登場させても、家憲によって不戦主義であるとする人物は登場させていない」と指摘しているとこでしょか?「アメリカ人をふくめた西欧の人々にとっては、神との契約である宗教上の不戦主義は理解できても、人間の間でのとり決めでしかない法律を理由にした不戦主義は理解できなかったのであろう。おそらく現在でも、理解できないことでは変りはないような気がする」とな…てゆー事はどこぞの国の憲法なんて、向こうからしてみれば想定外って奴でしょか(笑)しかも理解のない想定外だから、皆まで言うなの世界か(笑)

 まぁどこぞでは紙に書いてある事は金科玉条、世界中そーだと盲信している人達がいるみたいですけど、そゆのは「なぜなら人は、口では法だ平和だ秩序維持だと言うが、腹の中ではどうでもいいので、彼らはほんとうにこの必要を認めさせるには、彼ら自身がそれに直面して目覚めるしかないのだ」の件になってしまうのか?ですけど、直面しても目覚めていない人の群れがゴホンゴホン…

 さて、「八月の狂詩曲」なんですが、アレ原爆問題にも触れていたのか…まぁある家族の中での話というミクロな中でのワン・ピースなんですが、それにしても黒澤明パネェでござるってか…それを踏まえて、著者はWWⅡについて「総括とは、個々ばらばらのものを一つにまとめることである。日本現代史の研究者たちが怠けていたわけではない。ただ、それらの仕事をまとめて一つにする作業は誰もしなかった。おかけで、われわれはいまだにこれについてはっきりした視点をもてないでいる。日本人がもてないでいるのに、外国人がもてるわけがない」の件は、確かにですけど、総括とはこの国の人間が一番苦手な事じゃまいか?かなぁ…

 更に「この種の総括に必要なのは、「怖れいりました」というたぐいの反省ではない。また、ある種の主義に寄りかかっての責任追及や糾弾の態度でもない。そんなことをしてるかぎり、不毛はいつまでも続くだろう。総括に必要なのは、厳格な客観性である。あらゆる資料を集め、それらを客観的な視点で整理し、まとめること」というのも、この国の人間が一番苦手とする事じゃまいか?だいたい、日本人に客観視できるのか?あらゆることが思い入れで動いてる人達だからなぁ…も一つ言うなら曖昧好きというか、はっきりさせる事をよしとする文化じゃないしねぇ(笑)国際的云々はさておき…

 とはいえ「原爆について堂々と発言した日本人は黒澤明ただ一人である。日本の教養ある、ということはこの種の総括をできる能力をもつオトナたちは、それを恥ずかしいとは思わないのであろうか。私は恥ずかしい」は、だいたい自分個人に降りかからない限りは恥を恥とも思わないのが、出世するコツじゃね?と、それもともかく、結局、時代をみつめてきた人はその道を通らざる得ないのかなぁとちょっと思いますた…というのも、宮崎駿は何故「風立ちぬ」を作らなければならなかったのか?その一因が垣間見えたよーな…

 そして独はどーだった?というと「ニュールンベルグ裁判」の項をドゾ。ディグニティという言葉の意味深さについて立ち止まって考えてみるとか…とゆーか、ここでも米と欧というものの違いがくっきりきっぱりしているんだなぁ…歴史ってゆーか、歴史の厚みってパネェ…そしてこれも「裁判の終わりも近くなった頃に、ベルリン封鎖の事件が起る。ドイツ人をこらしめるという使命に熱心であったアメリカ人が、一変して、裁判の結果を軽くするように主席裁判官に暗示する始末だ。コミュニスト・ソ連に対抗するために、今度はドイツ人の協力が不可欠であるとして」とな…さすが正義の国、米、そこにしびれるあこがれるぅ(笑)

 豆知識的なソレで行くと伊のニュース…「時間なら三、四十分だが、国際関係は以前から、NHKも問題にならないくらに充実している」とな…まぁNHKに国際問題を流す気があるのか?以前に、能力があるのか?の世界だからなぁ(笑)それでも公正、公平、中立らすぃが(笑)

 伊的つながりでアルバニア問題…「このアルバニアとはおだやか海をへだてるだけのイタリアは、援助金や補助物資を送っていればよい段階は過ぎた。難民がイタリア行きの船に殺到するのを防ぐために、軍隊を送っている」って、そーだったのか?伊ェ…何かどこも難民問題、対岸問題は頭痛いの世界なんだなぁ…ちなみに「アルバニア当局が、暗にこの種の流出を望んでいることである。難民たちは、かの国にとっても必要ない国民なのだ。教育もなく手に職もない人々が他国に行けば、自分たちがスリムになって出直すのに好都合だからである」って…国が国民をリストラする世界があるという事ですか?そーですか…

 いや何かもー「先進国では人が一人死んでも大騒ぎするが、ある種の国ではこうした博愛精神は存在しない」という現実見ろよの世界か?でもって、彼らは「先進国には、博愛精神をもって難民に対処するよう求められているのである」とな…建前がブーメランの如くやってきたとゆー事でしょか?いらないものは全て先進国へ、先進国は今までの建前を貫けよとゆー、そゆ事か…そしてやってきた難民は、自国民のよーに稼働してくれよだけど、「半世紀近くもの間、働いた果実がどこかへ消えてしまった経験しかもたない彼らには、こう説いたところでどれほどの説得力があろう」となるそな…人の重みについて考えるってか?じっと手を見るとか…

 更に伊にはマフィア問題も横たわっている訳で…こちらも年々勢力範囲は広がっている模様…詳細は本書をドゾですが、それにしても暗殺が日常の世界ってマジあったんだなぁ…「山猫」じゃないけど、「獅子や山猫が去った後にくるのは、人の弱みを利用して私服を肥やすことしか頭にない、ジャッカルだけだろう」は、真実って奴ですかねぇ…どこぞの一画もジャッカルだらけなのは今更ですが、それにしてもジャッカルがのさばる世界にノブリス・オブリージュはないとゆー事じゃまいか?で…「品格もパワーの一つに成りえることを忘れていると、社会はたちまち、ジャッカルやハイエナであふれかえることになる」とは、品格のあるセレブ…これまた皆まで言うなの世界か(笑)

 それと、伊だけではなく欧州全体の問題としての失業問題にも言及しているとこかなぁ?むしろ全世界的にどーよ?という問題か?特に「ホワイトカラーの生産性の低さをどうにかしなければならない」のは、どーよ?だからなぁ…で、リストラする?もどーよだし…「私見もよいところだが、現代のほとんどの問題は、失業が解決されれば、完全とは言わないまでも相当な程度に解消されれば、解決できるのではないだろうか」じゃまいか?ですかねぇ…リストラなき社会が一番じゃね?

 一方、現代米的なとこで、「ライジング・サン」…原作者クライトンの意図は「著者自身が「後書き」で明記しているように、著者の同胞であるアメリカ人を勇気づけ、彼らに、対日本人への決起をうながすことにある」とな…何かもー欧米は猫も杓子も煽ってナンボの世界に生きていらっさるのだろーか?一部、人種差別だと問題になったよーですが、そーだったのか?ちなみに「根本的な問題解決にはまったく役立たなかったことが歴史的に証明されている人種差別主義だが、ほとんどの場合、愛国主義という仮面をかぶって登場したことも事実なのである」は意味深だよなぁ…

 日本人とは何か?で五百年前のイエスズ会の宣教師の報告なんかも出てきますが、詳細は本書をドゾ。結局、ライジング・サンの、主人公の、クライトンの日本憎悪は、「日本がこれからもずっとアメリカの後塵を拝する第二の地位に留まりつづけるならば、彼の日本人への憎しみも消えてなくなり」の類の話なんですよね、って事は、日本の問題というより、おてめぇの、米の問題じゃね?何とゆーか、米的にはキリスト教が唯一絶対であるよーに、合衆国が唯一絶対なんだなぁ…成程、そゆ点から見れば60年代位までは幸福の時代だったのはよく分かる…ベトナムで負けてからは,ジワっジワっとゆーか、ヒタヒタとくるものがあるんだろーなぁ…常に自信満々でないと調子悪いってそれもそれでどーよ?

 著者の至言はそれこそいたるところにありですけど、例えば「人間が、誰もわかってくれないと思いはじめたらどうなるか。過激化、である。尖鋭化は、孤立感の結果であることが多い。そして、孤立感から過激化した人は、他者の同情は得られても、敬意までは得られない」とな…リスペクトってむつかし…かなぁ、エバリンボは概して尊敬はされない訳で…思いはじめたらというより、受け入れられるか、どーか?じゃまいか?かなぁ…今すぐに評価を得たいというのなら、確かにだけど、いつか誰かが一人位分かってくれるかもで何とかなれば、過激に走る必要もなしだろしなぁ…気休めですが(笑)

 人間の能力のできるできないのできるに思い切り針がふれたところ辺りは、「想像力、発想の転換をできる能力、さらに先見力」的にどよ?というと、どよ(笑)もっと問題なのは「非秀才から秀才たちを見たときに感ずる心配がある。それは彼らや彼女たちの、人間洞察力の貧弱さである」「人間は、どんなに資質の劣る人であっても、理解されていると感じさえすれば正道に戻れ、能力も発揮できるようになるのである」とな…こーなると秀才とは他の人間を活かす能力のない人が多いって事なのか(笑)なるほろ(笑)

 後、日本人として心して聞いておいた方がいいこと(笑)欧米でクリスマスに招待された場合、うけるのならば「サンタの小父さんに徹しなければならない」になるそーな…どゆ事かと言えば、家族全員分、更にその日集まる親族一同分全員のプレゼントを用意できなけばならないとゆー事だそー…本場のクリスマスだぁーっとホイホイついていくとえらい事になるとゆー事か(笑)何せ「キリスト教的慈愛の精神」の大バラマキの日ですから(笑)手ぶら、駄目絶対らすぃ(笑)

 と、他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので本書をドゾドゾ。最後に二つ、女についてのとこで、「アメリカの大衆は、気の強い女は許すのである。才能に恵まれた女も許すのだ。しかし、その女が人並みな幸せまで手中にすることは許さない」そで、その典型例があの「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラ、女優でいうならキャサリン・ヘプバーンだそな…なるほろ…独り立ちの出来る女性って奴ですか?

 も一つが学習院の女子学生…著者通学当時の話だから、どーなのだろー?とは思うが「彼女たちの考える結婚相手というのが、オーナー社長の息子とか、東大は法学部か慶応ならば経済学部か、そして司法試験とか外交官試験とか上級公務員試験とかの合格者であることが、ほとんど自明の理であっただけである」とな…間違っても「お百姓」は結婚対象にならない人達だったそな…さすが私立文系で一番高い学費の大学は違うという事か?お嬢様しかいないのはともかく、今現在そゆ何とか夫人になっている人達が著者のご学友という事になるのか?話の詳細は本書をドゾですが、「お百姓」でもOKの著者とご学友達の婚活の選択肢の幅は如何に(笑)肩書か?資質か?それが問題だってか(笑)

 目次参照  目次 文化・芸術

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