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2016年10月 9日 (日)

満員御礼(笑)

花園が燃えた日  鎮勝也  論創社

 サブタイトルは、高校ラグビー北野vs.伏見工なんですが、高校野球の聖地が甲子園としたら、高校ラグビーの聖地は花園じゃね?とゆーのは、スポーツ音痴の己でも知ってはいたんですが、それがどこにあるのか?とゆーと全然知らなかったりして…大阪府東大阪市にあるそで名称も近鉄花園ラグビー場とゆーらすぃ…

 本書はその花園での大会の一コマと言う事になるのか?時は1988年1月1日「元旦の午後二時」キックオフとな…第67回全国高等学校ラグビーフットボール大会三回戦」の大阪府立北野高校対京都市立伏見工業高等学校の試合とな…

 何で数ある大会の試合の中で、これなのか?と言えば、この試合の観客数が過去最大は勿論、とんでもない数字を叩き出したから…「当時の花園の公式収容人員は一万二千人」位だったらすぃ…なのに「売り出したチケットの総計は二万一四〇一枚。記者発表人数は二万」これだけでも倍以上に人数なのに、「チケットを買わず、不法侵入した人間を合わせれば、もっと大きな数字になる」ですから、その場にいた観客の実数は誰も知らないの世界か?

 いくら地元校(関西圏)同士の対決とはいえ、これは異常事態では、何故、地元民、観客は会場に詰めかけたのか?とゆー花園の一日をドキュメンタリータッチで書き上げた一冊だろか?

 いやー、実に昭和なお話しなんですけど、何か、関係者各位、選手、監督、関係者、メディアに会場担当者と皆それぞれ熱いんですよ、奥さん(誰?)アマチュアの大会なのに、出てくる人達は全て仕事を全うしている感じとでもいおーか?

 後、本書を拝読しておべんきょにもなりました…例えば、「日本のラグビーは母国・イングランドから伝わった」そで、時は「一八九九年、慶應義塾大学予科の語学教師だったケンブリッジ大出身のエドワード・ブラムウェル・クラークと同じく同大で学んだ田中銀之助が東京、三田綱町の慶應義塾グラウンドで教えたのが公式には最初である」とな…成程、ラグビー事始めってか(笑)

 ちなみに「高校ラグビーの1回大会が全同志社、三高、全慶應、京都一商の四チームで開かれたのは一九一八年」の事らすぃ…となると高校ラグビーももーすぐ百年って事だろか?

 アリス的に、ラグビーはともかく、花園は同じ大阪府民として地元って事になるのだろぉか?後、北野高校も大阪の高校みたいだし?ちなみに、地元では有数の進学校らすぃ…昭和の頃はまだ、公立の進学校も幅を利かせていた時代だからなぁ…今は私立が席巻しているけど(笑)今の北野は完全進学校に特化しているんでしょかねぇ?文武両道なんて、建前と本音が一番乖離してしまったからなぁ…

 他にアリス的なとこでいくと、大学ラグビーなエピのとこで、同志社大が出てくるとこでしょか?同志社、関西ラグビー強豪校らすぃ…

 とにかく、花園史上最多動員数を誇ったこの試合の理由は何じゃ?そりゃ?とゆーと、「一番の理由は大阪を代表する進学校・北野の四十六年ぶりの復活である」とな…も一つは「ラグビー自体の人気もあった」とな…

 まぁどんだけ人が集まったかの一番実感あるお言葉は、選手自身のソレじゃねで「試合前のウォーミングアップをして、ロッカールームに戻る時、観客がいっぱいで歩けなかった。驚いた。ものすごい人だった。結局、制服を着たガードマンが来てくれて、観客を整理して、道を作ってくれた。それでロッカーに戻れた」(@高橋晃仁/伏見工・副将)って、始まる前から立錐の地なしですか?そーですか(笑)

 で、しかも「完全アウェーだった」(@高橋/伏見工)ってドンダケェー(死語?)九割方、北野サポに囲まれて午後二時四十五分、キックオフってか?

 試合展開についての詳細は本書をドゾ。試合結果も…いや何とゆーか、試合経過をそれぞれの当事者が語るソレは非常にスペクタクルな気が(笑)本人談ってやっぱ臨場感が違うよなぁ(笑)

 本書的には生徒も熱いが、指導者達も熱いで、北野の監督と部長、実質、総監督とコーチみたいな二人ですが、この関係が凄い…「当時は自見先生や一部OBが盾になってくれて、うるさ型のOBに何も言わせなかった。早稲田式とか慶応式とかラグビーのやり方があったけど、自分の思うように、伸び伸びできた。ありがたかった。自見先生とはよく一緒に飲んだ。先生を理解できないOBもいたけど、厳しさの中に暖かさがあった。「お前は好きにやれ。俺は一年生をしごく」と。その「ジミ練」と呼ばれた基礎トレーニングが生きて、あの花園出場につながった」(@田中(旧姓原田)伸明/北野ラグビー部長)の件でしょか?部下をかばう上司なんて、昔は確かに居たんですねぇ?天然記念物というか絶滅危惧種というか(笑)たいていのトップとは想定外だから責任ありませーんとバックレる人ばかりなりじゃね(笑)

 後は、北野高校の戦い方は、その後のボール系というか、チーム系の日本代表の戦い方と被るものがあるよな?どゆ事とゆーと、本書ではコンタクトフィットネスという言い方をしてますが、よーするにフィジカルじゃね?結局、どんなに上手くて、戦略も戦術も浸透していて、選手個々にその場での判断力が備わっていたとしても、ガタイの差はいかんともしがたいというか、大きく立ちはだかる壁じゃね?じゃね?王者の王道って、最後までガタイ押し多しだしなぁ…パワーをどこまでしのげるのか?それが問題だってか?どの分野もそれで世界で負けているよな?ラグビー日本代表でいうと英大会でのスコットランド戦みたいな?フィジカルで逃げなかったのはあの大会のジャパンの強さだったけど、でも力で圧倒は出来なかった、それが出来ていればというタラレバ、あると思いますと思うのは気のせいか?まぁパワフルだけで勝てる程、勝負は甘くもないけどね(笑)

 ちなみに北野の印象を「例えればフィジーのようなラグビーをしていた。今っぽい、ボールがよく動くラグビーをしていた。歳を重ねた今なら北野のレベルの高さが理解できる」(@永山宣泉/同志社香里)とな…当時の同年代の代表校のライバル達から見ても、時代の先をいっていたとゆー事らすぃ…おそるべし北野ってか?高校生でありながら、型にはまらず、全員が有機的につながりながら個々で判断して動くって、言うはたやすいけど、そーそー出来る事じゃないよねぇ?何せゲームの現場は相手あってこそですから…

 面白エピというと不謹慎か、感動のエピになるんだろーなの伏見工の「先生は「自分はスタンドから見ている。苦しくなったらオレを見ろ」と話していた。あれだけ満員だったのに、スタンドを見ると、先生の顔に視線が行った」(@高橋/伏見工)の件は、かの苦しくなったら私の背中を見なさいの名言と被らね(笑)ナデシコの澤を思い出してしまったが、もしやスポーツ界ではこの手の科白が浸透しているのか?

 豆知識的には、花園が聖地になったのは「六三年、42回大会からである」そな…「それまでは近鉄ラグビー部のホームグラウンドとして、大学や社会人の試合に使われていたが、当時、高校大会で使用していた兵庫県の西宮競技場が、名神高速道路建設の影響で縮小されたため、開催グラウンドが花園に変更された」からだそな…そーだったのか?花園?

 花園豆知識その二、「花園第一グラウンドは、排水のため中央が60センチだけ盛り上がっている。タッチラインから投げ入れようとすると、大げさに言えば坂の上にいる相手に投げる感じになる」そな…60cmって結構な傾斜だと思うんだけど?気のせい?

 花園豆知識その三、「当時の第一グラウンドは夏芝」でしかも「芝生保護のため目の細かい砂もまかれており」、これまた当時はティーではなく盛り土でボール立ててたから、選手達は「時々スリップした」世界が展開していらっさった模様…ちなみに「現在では冬芝」になりますたで真冬も緑の芝生キタコレになったらすぃ(笑)

 これは試合の豆になるのか?「当時、タッチジャッジは、現在の日本ラグビー協会や下部組織の関東、関西、九州の三地域協会のレフェリーソサエティが、レフェリーと一緒に指名するのではなく、各チームから出していた」って、ホンマでっかぁーっ?何か、牧歌的時代だったんだなぁ…

 蛇足ですが、ちなみに「現在、日本ラグビー協会の主催する国際試合及び国内全グレードの試合の笛を吹けるA級は六人。麻生彰久、大槻卓、谷口かずひと、戸田京介、平林泰三、そして原田(隆司)」とな…ちなみにちなみに「プロは原田と平林の二人」となるそー…意外とラグビーの審判って全国区的に少なくね?

 貴重な歴史エピ的には、「戦前、旧制中学での最後の出場は24回大会(四二年)である。前年十二月八日に始まった太平洋戦争の影響で、七月、文部省は「学徒の全国的移動禁止措置」を通達した。野球などのスポーツ大会は中止に追いやれたが、ラグビーは特別扱いを受け、主宰の大阪毎日新聞は関西と九州の地域別開催を企画。史上初の二場所開催が決まる」って…五輪じゃないけど、平和でないとスポーツなんてやってられねぇーって事らすぃ…それにしても、ラグビー、当時は野球より扱いが上だったのか?

 も一つ、これも歴史的エピになるんだろーか?のメディア系のお話し「高校ラグビー中継は、二〇〇三年に視聴率低下を懸念する東京放送の方針や、住友グループがメインスポンサーを離れたことで、中核を成していた「全国民間放送43社会」は解散した。その後、トップリーグのチームを持つ神戸製鋼が住友グループの代わりにメインスポンサーをつとめ、大会運営に協力している」そな…おさすがのTBSでございますでしょか(笑)まっそれよりもそれよりも上を行く住銀か?どこぞの電力会社のメインバンク様は違うってか(笑)うーん、それにしてもどんな時もいざという時に頼りになるのは金融業より製造業なのか?そーなのか(笑)

 ちなみに、ラグビー良いとこ探しの件で「ラグビーは弱いやつをかばう。みんなで盛り立てる。メンバー全員が強かったらいいけど、そんなことはまずない。だから、その中で助け合うということがいいんじゃないかな。それが社会の縮図だしね」(@村上清司/毎日新聞社・大阪本社運動部記者)とな…できない奴はさっさとリストラすればええねんの結果が、どーなったか?は、まさに今でしょ(死語?)だもんなぁ(笑)

 これはラグビーあるあるというか、古き良き何ちゃら?なのか(笑)選手プロフィール…あの身長とか体重が掲載されている奴ですが、「小柄なチームほど、相手になめられないために、数字をごまかした」そな(笑)ちなみに「大学トップの明治大学などでは、相手にインパクトを与えるため、逆に過小申告がなされているが、そんなチームは稀だった」そーで、どこも大目に盛ってナンボの世界だったらすぃ…

 ラグビー系ではディフェンスとは何か?で、当時は一「「マーク」、二「その派生型で「詰め」」、三「この時代の流行だった「ドリフト」」とな…よーするにマンマークとその変形と、サッカーで言うゾーンディフェンスって奴だろか?

 蛇足の蛇足なんですが、本書のその後のエピ的なとこで、それぞれの関係者のその後が非常に興味深いんですが、それの詳細も本書をドゾ。一例をあげるならば「この北野のチームから二人の政治家が出る。WTB橋下は弁護士から大阪府知事、大阪市長、そして日本維新の会共同代表になった」で参院選で当選した新人議員の一人が「三十年来の親友、木下だ。三井物産を退社し、小選挙区の大阪八区で立候補、当選を果たした」そな…そーだったのか?維新?森元首相といい、元ラガーマンって政治家に結構多いんだろか?うーん?

 ついでに言うと、北野高校ラグビー部のその後の後輩達の中には、何と「日本代表主将もつとめ、東芝ブレイブルーパスでWTBとして活躍する広瀬俊朗は百十三期生である」って、ホンマでっかぁーっ?広瀬さんって大阪人だったのか?

 とはいえ、現在の北野高校ラグビー部、進学校故に部員が足りず、単独で公式戦に出場できないから「他の人数の少ない高校との合同チームで公式戦を戦っている」って…本当に文武両道の厳しい時代になったんだなぁ…高校時代にちょっと寄り道をなんて事が許されたのも昭和までか?もしかして…

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。

 目次参照  目次 スポーツ

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