« むっさーは(笑) | トップページ | 天までとどけ(笑) »

2016年10月 1日 (土)

流れに乗るか、流れに逆らうか、流れから身を引くか?

ローマ人の物語 38 キリストの勝利 上  塩野七生  新潮社

 さて、コンスタンティヌス「大帝」が亡くなったのが紀元337年5月22日、ちなみに彼が「定位争奪戦に加わった年から数えれば三十年、ライヴァルのマクセンティウスを敗死させ、帝国の西方を手中にしてからならば二十五年、そして、最後に残ったリキニウスをも倒してついに唯一の最高権力者になってから十三年」という、実に長期政権だった事が分かるってか(笑)独裁政権パネェ、でもって、お取り巻きもっとパネェ…

 帝位が長いのではアウグストゥスが一番ですけど、彼の場合は右肩上がりのローマの為の礎づくりでしたけど、コンスタンティヌスの場合は、だだ減りのローマというか、その名の元の帝都ローマを棄てて自分の名を冠した首都、独裁都市コンスタンティノープルに遷都しましたが何かで、民に選ばれし者ではなくて、神に選ばれし者で一神教擁護キタコレですから…帝国は皇帝と聖職者達の為にある一直線の果てにってか?

 さて、では次の帝位は誰か?なんですが、コンスタンティヌスには四人の息子がいたとな…前妻との間のクリスプス、そして後妻との間にコンスタンティヌス二世、コンスタンティウス、コンスタンスとな…ちなみにクリスプスは後妻との不義密通事件を仕立て上げて既に「死に追いやった」となれば、実の息子が三人いた事になると…

 でもって、コンスタンティヌスの異母弟二人には四人の息子がいたとな…ダルマティウス、ハンニバリアヌス、ガルス、ユリアヌス…

 そこで、コンスタンティヌスは後継者に、「長男のコンスタンティヌス二世-ガリア、ヒスパニア、ブリタニア、次男のコンスタンティウス-小アジア、シリア、エジプト、三男のコンスタンス-イタリア、パンノニア、北アフリカ、甥のダルマティウス-ダキア、トラキア、マケドニア、ギリシア、甥のハンニバリアヌス-北部メソポタミアにアルメニア王国」自身が亡くなる二年前に帝国を五分割していたとゆー(笑)

 そして、六月にコンスタンティヌスの葬儀が行われ、あけて七月「首都コンスタンティノープルの皇宮を血で染めた粛清が起こったのである」とな…「殺されたのは、コンスタンティウス一人を除いた、大帝の葬儀に出席していた肉親全員だった。大帝の肉親の中で殺害を免れたのは、十二歳のガルスと六歳のユリアヌスの二名のみ」とな…「これほども数多くの地位の高い人々を、しかも皇宮内でほとんど一夜のうちに粛清しつくすことができたのだから、計画は事前に充分に細部に至るまで煉られていた、と考えるほうが常識だ」けど、詳細はほぼ不明、何せ七月の何日なのかも分からない位ですから、お察し下さいってか?独裁国家パネェ…

 「コンスタンティウスは皇宮内にいたが、この事件にはいっさい関与していないこと。殺害者たちは彼らの一存で行動し、それは、ローマ帝国の帝位は亡き大帝の実の息子三人で占められるべきとする、決意に基づいて成されたこと」って…何とゆーか、独裁政治って恐怖政治で、邪魔者は消せで、殺してナンボの世界なんだなぁと…何せ、誰か聞いてもおかしくね?な殺人事件がまかり通るんだから、最早法律なんて皇帝の御心のままにってか(笑)

 こーして実の兄弟で分け前を三分割する事になると…「ダキアと呼ぶようになっていたドナウの南岸部とその南に位置するマケドニアにギリシアは、三男のコンスタンス」に、ドナウ河が黒海にそそぎこむ地域一帯」「北部メソポタミア」は次男のコンスタンティウスに、下る事になると…

 さて、これで帝国は落ち着くか?というと、そーは問屋が卸さないってか(笑)どこの世界も絶対権力者は己一人でいいじゃないか?で、椅子取りゲームは続くよ、どこまでもぉってか(笑) 

 アリス的に、ローマ…もーここまで来ると何だかなぁですが(笑)でもまぁ、コンスタンティウス前であれば、まだ、犯人は貴方ですはありえたかもしれないが、以後ではそれはありえへんの世界に突入しましたが何か?だしなぁ…ミステリーって、万人にそれなりに法と秩序があってはじめて成り立つものなのか?

 まぁともかく、コンスタンティヌス以後に台頭してきたものは何か?と言えば、キリスト教と宦官(エウヌコス)じゃねで…いやぁ宦官というと中国の皇宮史キタコレな世界かと思いきや、ローマ、お前もか?って…

 三兄弟の性格についての詳細は本書をドゾですが、三者に共通していた履歴としては「軍事上の実戦ゼロ」「三人ともが親友という存在には無縁」「去勢された男の高官が取りしきる、宮廷内で育てられたこと」って…

 まぁ宦官が台頭してきていい話って歴史的に聞いた事がないよーに、「この種の組織に支配的な感情は、憎悪と背中合わせの関係にある嫉妬になる。そして、嫉妬は容易に、陰謀にエスカレートする。排他的な組織は、自らを守るためとはいえ、スパイ網に転化しやすいのだ」とな…で、どゆ事とゆーと「四世紀のローマ皇帝たちは、去勢官僚たちの嫉妬に注意を怠ることは許されなくなったのである」とななな…

 とはいえ、独裁政権なんだから、いつものよーに邪魔者は消せで宦官一掃したら、「オリエント化する一方の皇宮は機能しない」とな…かといって宦官の囁きに従えば、「帝国にとって有益な人材でさえ処刑場へ送ることになってしまう」と…まぁ有能な人材を活用てぎなくなれば、国は終わるのも、これまた歴史は繰り返すで…皆まで言うなか…

 そして問題は、内政がこの宦官達の手の下にとゆー事じゃね?もっと端的に言えば、「税を徴収する側は肥え太る一方、徴収される側は痩せ細る一方」が常態になっていますが、何か?になっているとこじゃね?リメス突破がこれまた帝国の常態になった今、国家安全保障の為の軍事費は増大している訳で国庫は火の車、なのに、宦官と聖職者達は左うちわってどよ(笑)今まで、どの政権を見るまでもなく、増税をした政権は潰れるし、富の再配分が公平でないとゆー事は社会不安につながると…ええ、どこぞの格差社会を見るまでもなく…

 話は三兄弟に戻るけど、五人から三人になったけど、その領土の分け前一人貰っていない人がいるんじゃね?で長男コンスタンティヌス二世キタコレってか?こちらの詳細も本書をドゾ。長男vs三男は、三男に軍配が上がり、長男退場(死亡)…これが大帝死後三年の後の話…

 さぁ椅子取りゲーム参加者は、残り二人となりますた(笑)そして紀元350年、三男のコンスタンスは部下(騎兵)によって殺害されると…大帝死後13年たって、次男コンスタンティウス一人になりますたパチパチパチってか(笑)

 ただし、コンスタンスを廃した部下達は自分達の皇帝を擁立していたと…かくて、内乱キタコレになるとな…次男コンスタンティウスvsマグネンティウスきたこれってか?尤も、その前にコンスタンティウスは戦闘続行中のペルシア王シャプールとの停戦を結ぶ事が先ですが(笑)まぁこちらの詳細も本書をドゾ。

 とはいえ、戦いに赴く前に後事を任せる人がいるって事で、この場合は皇帝の留守をというより東方ににらみをきかせる為に置いとく副帝がいるじゃまいかじゃまいか?

 だがしかし、コンスタンティウスには子供がいなかった…そして、身内はそして誰も死んでしまったとゆーか、粛清済と殺し合いの果てにで誰もいないじゃまいか?

 で、ここで難を逃れた二人の従兄を思い出したらすぃ…ちなみに「この少年二人は、小アジアもアルメニアに近い山の中にある城砦に送りこまれて、キリスト教の司教の厳しい監視の下、事実上の幽閉生活を送っていたのである」とな…それが「紀元三五一年三月、「皇帝」コンスタンティウスから「副帝」に任命されたガルスには、帝国東方では最大の都市、アンティオキアで、昨日までとは打って変わった生活」キタコレってか(笑)御年26歳、ついでに結婚しちゃえって事で、「皇帝の妹」「ハンニバリアスの妻だった人で、マグネンティウスに接近して兄をいら立たせていたコンスタンティーナ」とである…

 ちなみにもう一人の従兄ユリアヌス20歳は「小アジアやシリアでの学究生活を送る赦し」キタコレになった模様…

 結局、コンスタンティウスのした事って、何事も振り出しに戻るというか、元の木阿弥なんだろか?うーん…何でそーなるの?が「考えもなしに決行したからではなくまじめな熟慮の末」だそーだから、本当にありがとうございました(笑)彼の場合「良かれと思ってやったことが、ほとんど常に彼の予想していたのとは逆の結果に結びつき、おかげで後始末まで彼がやる羽目になる」って、それどんなマッチポンプ(笑)

 まぁともかく、紀元351年ドラーヴァ河がドナウ河に流れ込む平原にて、ムルサの会戦キタコレってか…まぁこちらの詳細も本書をドゾ。何にせよ、昔日のローマ軍団、戦法は遥か昔の事になりにけりってか?「戦場の各所で衝突が繰り返されているという混戦状態」って…そしてそんな乱戦、混戦となれば死傷者の数は膨大なものになるのは必定ってか…マグネンティウス側2万4千人、コンスタンティウス側3万人…かくて、この会戦以後「ローマ帝国の軍事力が決定的に低下した、と言われる原因になった」とな…

 まぁこちらの内戦の詳細も本書をドゾで、結果戦死者数ではコンスタンティウスの方が上でも元の分母が違うって事で、コンスタンティウスが勝利する訳ですが、これまでのコンスタンティウス的行動を見れば分かると通り、敵将のクビだけでなく、「マグネンティウス側であったと目された人の全員は、裁判もなしの虐殺の犠牲になったのである」しかも、軍人以外にも、追放と資産没収キタコレで「小心者のほうが、かえって残忍になれるのである」の件は、成程カエサルってやっぱ大物だったんだなぁ…

 で、結果何が起きたかと言えば「この徹底した粛清の結果、ガリアは事実上の無防備地帯になってしまった」って事じゃまいか?

 さて、今までのローマの歴史からすると「一度目は失敗に終わっても、もう一度機会を与えてみるやり方。とはいえ二度目は、その人の資質が何に向いているか見極め、それに沿った方向で機会を与える」だったじゃまいかですけど、独裁政権キタコレ以後は、「失敗すればそれで終わりで、チャンスは二度と与えられない。ゆえにリーダーのやることはただ単に、人間を入れ替えるだけになる」とな…しかも専制君主制が色濃くなればなるほど、退場者には処刑をとゆー事態になる訳で…成程、粛清がある国って終わりにまっしぐらなんですね、分かります…

 敵になる者は全て排除、味方である臣下達とも「距離を置くやり方」がどんどん徹底されていくとゆー…では、そのつなぎは誰がしたか?といえば、ここにあの宦官官僚なんですよ、奥さん(誰?)コンスタンティウスの場合は去勢高官のエウセピウスじゃね?ちなみに「去勢者は、子というつながりも肉親という背景ももっていない。だからこそ才能よりも忠誠が重んじられる専制君主の宮廷で重要な役職をまかされてきたのである」とな…

 て、ゆー事は、宦官から見た権力者というのは「自らの運命が仕える主人の意向に左右される度合」が大きいって事じゃね?となれば、どーしても「主人の感情を自分の好都合な方向にもっていくことが不可欠だ」となり、それには「主人を常に不安にさせておくことであった」とな…それは何故かといえば「心配の種がつきないかぎり、主人は彼の言に耳を傾けつづけるからである」って…まさに悪魔の囁きってか(笑)

 何とゆーか、男というものは男というものがこの世で一番信用できない生き物なのか?生きている男は皆、自分の地位と命を狙う生き物として目に映っているって事でFA?だから、やられる前にやれで、身近には男でない宦官を侍らせるって…

 まぁ徹頭徹尾、コンスタンティウスが小心者だった結果なんだろーなぁとゆーか、小心者の二代目ってこんなもんなんだろぉなぁってか?

 そしてもう一人、副帝だったガルスの薄氷の上の権力って奴ですか?そーですか?で、疑り深いトップを持ったNo.2の宿命キタコレになったとこだろなぁ…コンスタンティウスは「副帝と副帝配下の将兵たちの親密な関係の樹立を、あらゆる手段を講じて阻止したのである。軍事力を手中にしたガルスが、自分に反旗をひるがえす可能性の、根さえも張らせないための策だった」とな…

 そんな関係が長続きするとは普通誰も考えないんじゃね?で、ご想像通りに処刑されて歴史の舞台から退場とあいなったと…「紀元三五四年の十二月、二十九歳の死であった」とな…まぁこちらの詳細も本書をドゾ。

 まさにそして誰もいなくなったを地でいっている話なんだけど、この時点で、コンスタンティウスに実子なし、兄と弟にも実子なし、となると残るは従兄弟のユリアヌスただ一人になってしまったじゃまいか?とな…

 そんな訳で哲学の一研究者していた青年は副帝になってしまうとな…時は紀元355年11月の事でございましたとな…でもって、24歳の試練じゃないけど、「自由勝手に闊歩しているのは蕃族で、なるべくそれらとは遭遇しないよう身を隠しているのがローマ軍という状態のガリアに、文字どおりの身一つで放りこまれたのである」とな…

 紀元355年の暮、ユリアヌス、ヴィエンヌ到着。「私的な供は四人しか連れていくことが許されなかった」そで…それが副帝の実態って事からお察し下さいってか…新地での数少ない味方との出会い、フラヴィウス・サルスティウス(ガリアの軍事長官)も得たけど、敵の方が圧倒的に多いのは間違いなしで、しかも「宦官高官のネットワークは、ガリアにも張りめぐらされていたのである」んですよ、奥さん(誰?)

 まぁ大方、実践知識のない若造の副帝が失敗すると見えたガリア制圧ですけど、これをユリアヌスは三年でほぼ実行したとゆー事でしょか?何事も実効支配これ大切ってか(笑)尤も内政的には、「ガリアの内政を担当する高官たちの、副帝ユリアヌスに対する、明確な不服従ではなくてもサボタージュ」軍事の方も「消極的な協力」ですから、皆どこぞの霞が関の住人か(笑)

 よーするに、副帝に表向きは仕えていても、顔色は常に正帝コンスタンティウスの方を向いているんだから、そんなの関係ねぇー(死語?)ってか?恐怖政治ってパネェ…

 その中でも何とか勝ちをもぎ取ったユリアヌスの奮闘についての詳細は本書をドゾ。そしてガリアの地で、ユリアヌスは「法の公正な執行」と「徴税の公正な実施」をはかるとな…

 まぁこちらの詳細も本書をドゾですが、こちらの最大の敵が宦官高官だったのは今更にしても、コンスタンティウスもありますよってにで…「宦官のやることは、このように常に陰湿だったし、それを容れるか容れないかを決めるコンスタンティウスは、自分一人で責任を負うことができない人だった。世間には、他人の業績を、半分褒め半分けなすことをモットーにしているのではないかと思う人がいる。この種の人は、この奇妙なバランスをとることで、責任を回避しているのだ」とな…まったいていの事は、想定外だから責任ありませんじゃなかろーか?多分、これも法的に問題ないんだと思うよ(笑)素晴らしきかなセレブってか(笑)

 さて、大帝のソレからキリスト教の台頭というか、バックを期待しての皇帝とキリスト教の蜜月キタコレでしたけど、その流れはどよ?とおさらいすると、紀元313年のミラノ勅令キタコレからキタコレなんですよ、奥さん(誰?)

 その内容は「他の諸々の宗教同様に、キリスト教も公認されたこと」「弾圧時代に没収された教会資産の返還を命じ、それに必要な補償は国家がすると決めたこと」とな…ちなみに「「ミラノ勅令」は、諸宗教の信仰の自由を保証した文面になってはいるが、それは建前であり、本音はキリスト教に公式な立場を与えることにあるのは、文面を追うだけでも明白だろう」って事じゃまいかとな(笑)よーするにその後のコンスタンティヌスは「キリスト教優遇への道をひた走りすることになる」訳ですけん(笑)

 まず、聖職者とは何か?で、多神教のローマの神々のそれの場合、市民の兼業だったのが普通だったのに対して、キリスト教の場合は専業…となれば日々の生活費は寄贈に頼る事になり、それらはキリスト教会にとって「これ以上にないありがたい存在」じゃね?そんな訳でコンスタンティヌスは、教会を建てて寄贈、農耕地寄贈、手工業や商店も寄贈する太っ腹ぁーな寄贈三昧キタコレってか…

 更に「キリスト教会の聖職者たちの公務免除の法制化」、「課税免除」、「独身者にとって不利であった点の解除」と、大帝は徹底的に擁護したとな…まっだからこそ大帝の冠キタコレなんだろーけど(笑)

 そして次に続いた息子のコンスタンティウスはこの免税枠を更に拡大するとな…「司教、司祭、助祭」という教会関係者だけだったのが、「教会関係の使用人や教会所有の農地や工場や商店に働く人々までもが、「徴税者名簿」としてもよい「census」から外されると決まったのである。こうして人頭税を払わず、ついには地租税も払わなくてよくなるとな…

 さて、この結果どゆ事になるのかは火を見るより明らかじゃね?聖職者になれば税金払わなくていいのなら、資産家は身内に一人聖職者出して、それの資産とすればウハウハやん(笑)タックスヘイブンきたこれってか?ええ、どこがいうよーに「法的に問題ない」んですから、何か?って、それはどこぞの元都知jゴホンゴホン…

 成程、免税とは脱税への道へこれまたまっしぐらなんですか?そーですか(笑)しかも、他の宗教に対しては弾圧も忘れていませんで、「ローマ伝来の神々に捧げる公式の祭儀」「それに伴う犠牲を捧げること」も禁止キタコレで、後にこれに「違反したものは死罪に処す」までキタコレってか?凄いな専制君主、何でも邪魔者は消せっ徹底しているんだなぁ…

 しかも偶像崇拝あきまへんで、禁止、ついには神殿閉鎖令もキタコレとなれば皆まで言うなの世界か?よーするに「第一段階、公認することで、他の諸宗教と同等の地位にする」「第二段階、キリスト教のみの優遇に、はっきりと舵を切る」「第三段階、ローマ伝来の宗教に、他宗教排撃の目標を明確にしぼる」とな…

 いくら、皇帝とは人選ではなく、神選、その後ろ盾を保証してくれる存在としてのキリスト教会という、皇帝と聖職者の代官と越後屋関係とはいえ、権力の為ならば人ってここまで平気で出来るもんなんだなぁ…

 で、結局、キリスト教で一番揉めているのは、実は教会内部の派閥争いというから、これ如何にで、こちらの詳細は本書をドゾ。キリスト教って自派でないものは皆、アンチ・キリストなんですか?そーですか?

 で、パンピーはといえば「中近東は、世界の三大宗教のうちの二つ(もう一つのイスラムは後のことにしても)を産んだ地方である。市井の人々までが、良く評せば宗教的なのだ」って事でお察し下さい…まぁこちらの詳細も本書をドゾ。

 豆知識的には、ローマの伝統的な賛意の示し方「左手でささえる盾を右手にもつ剣でたたいて音を出す」事なんだそな…軍隊的拍手みたいなノリか?

 まぁこんな中、孤軍奮闘するユリアヌスのあっちはどっちだは次巻を待てってか?でもまぁ「税金の不当な取り立てをくり返すしか能のない皇宮内の無神経な盗人どもから、民衆を守るのはわたしの役割ではないだろうか」なんてまともな事言う人が長生きするとはまず…

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。さて、こんなローマの斜陽期、帝国のエリート、というか、元エリート達とでも言うべきか?な人達はどーだったかとゆーと、諦観でしょかねぇ…かくて「独身で、子もいない」「帝国の将来に希望がもてなくなった時代、一生を独身で通す者が珍しくなくなっていたのである」でしょか?少子化って、都市化が原因と言われてますけど、それよりも、将来の希望じゃまいかってか?よーするに施政者の失政が反映した結果じゃね(笑)

 目次参照  目次 文系

|

« むっさーは(笑) | トップページ | 天までとどけ(笑) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

文系」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 流れに乗るか、流れに逆らうか、流れから身を引くか?:

« むっさーは(笑) | トップページ | 天までとどけ(笑) »