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2016年10月19日 (水)

百年ひと昔?

国立競技場の100年  後藤健生  ミネルヴァ書房

 サブタイトルは、明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツなんですが、明治以降の日本のスポーツ史かもなぁじゃまいか?何とゆーか、スポーツって、近代の賜物って感じで、特に20世紀キタコレそのものなのかもなぁと(笑)でまぁ、本書を拝読して、結構な分量なんですが、四の五を言わずまずは読めの世界かなぁ?いやぁ、たかが百年、されど百年でして、一口で言える話じゃないんですよ、奥さん(誰?)

 この夏にリオ五輪があって、四年後に東京五輪が控えていて、その舞台となるのが国立競技場って事で、新国立競技場について未だもめていますが(笑)間に合うか?というより、で・き・る・か・なぁー(笑)の世界に突入しているよな(笑)まぁモノのデザインとか、建造とか、納期より何より気になるのはお幾ら万円って事だよなぁ(笑)でもって、それ最終的には誰が払うのか?←ここ一番大切(笑)まぁ都で払うならば、競技場の名前に都民(納税者)全員の名前つけてみるとか如何なものか(笑)寿限無じゃないけど、世界一長い正式名称の競技場になるだろなぁ(笑)

 さて、そんな国立競技場ですが、国立競技場と言えば、神宮外苑にあるアレというイメージでおりましたが、そのルーツは、「一九二四年(大正一三年)一〇月二五日。すでに秋の色は濃くなっていたが、青く澄みわたった空の下、明治神宮外苑競技場の竣工式が行われた」から始まるらすぃ…日本にもスタジアムきたこれってか(笑)

 とゆー事で、まず明治神宮ありきの世界から始まる訳だったりして、こちらの詳細は本書をドゾ。まぁ明治天皇のお墓は京都だから、東京は神社造ろうぜとゆー事になったらすぃ(笑)で、その神社的なそれのとこが内苑とゆー事になって、ちょっとした森もでけたとゆー…で、外苑はどよ?というと、「渋沢や阪谷らの構想には、明治神宮内苑だけでなく、明治天皇を記念する建造物などを含む明治神宮外苑を民間の献費で建設する計画も含まれていた」とな(笑)

 そんな訳で外苑には、西洋式公園キタコレで、葬場殿記念建造物、聖徳記念絵画館、憲法記念館、競技場を建てよーじゃまいかと計画キタコレだったらすぃ…

 まぁ予定は未定というか、紆余曲折の果てが今の国立競技場に続くとなで、本書は進んでいく訳ですね(笑)ある意味、金と戦争のラプソディって気がしないでもないけど(笑)スポーツって政治と切り離して考えるが建前だけど、時の政局と連動相場制な気がするのは気のせいか?

 アリス的には、国立競技場…代々木、東京という事で、どよ?かなぁ?まぁスポーツ的には、武道館とか、片桐さん的にはあると思いますか?何せ九段下は神保町のお隣だし(笑)

 関西のスタジアム事情というと、「中等学校野球の会場となったのは、大阪府豊能郡豊中村(現在の豊中市)の豊中運動場だった。箕面有馬電機軌道(一九〇七年創設・阪急電鉄の前身)が一九一三年に建設した陸上競技場で、グラウンドの有効活用の途を探っていた同社と大阪朝日新聞社の思惑が一致して豊中グラウンドで中等学校野球大会が始まったのだ」そな…

 大々的に開催されて会場も人いぱーいに報道されたけど、その実豊中グラウンドの実態と言えば「三〇〇人から四〇〇人収容の木造スタンドがあるだけで、あとはテントが五つばかり張ってあり、その他の観衆は土手に座って観戦していたのだという」程度だったらすぃ…

 そして第三回大会からは今度は兵庫県武庫郡鳴尾村(現・西宮市)の鳴尾運動場に舞台を移す。「こちらは阪神電鉄(一八九九年に摂津電氣軌道として設立)所有のグラウンドだった」そな…でもってこのグラウンドの経緯がこれまた凄い…「一九〇七年に武庫川の右岸(西側)に鳴尾競馬場が造られたが、競馬場はすぐに経営不振に陥ってしまい、飛行機の飛行演技が行われたくらいでほとんど使用されていない状態だった」そな…「その競馬場の経営権を阪神電鉄が取得し、一九一六年には競馬場内側に陸上競技のトラックを設置して鳴尾運動場とした」そな…更に「陸上トラックの内側に野球場二面を作って、ここで第三回中等学校優勝野球大会が開催されたのである」とな…競馬場の中の陸上トラックの中の野球場…マトリョーシカのよーな気がするのは気のせいか(笑)

 関西で野球人気キタコレですけど、会場は仮設っぽくね?とゆー事で「主催者である大阪朝日新聞社は阪神電鉄に対して新スタジアムの建設を申し入れた。そして、それを受けて、阪神電鉄は一九二四年に甲子園運動場を建造したのである」とな…聖地、甲子園来たぁーっ(笑)ちなみにこれが「日本で初めての本格的な野球場だった」そな…そーだったのか?甲子園?

 で、第十回大会からは甲子園で開催される事になったとな…甲子園についての詳細は本書をドゾ。そのうちアリスも聖典で詳細な細部に至る解説キタコレを期待したいんですが?どよ(笑)

 その他の競技場では、「阪急は戦後一九四六年になって兵庫県西宮市に西宮野球場と球技場を整備した。その他、大阪府中河内郡英田村(現・東大阪市)には大阪電気軌道(一九一〇年設立。一九四四年に近畿日本鉄道=近鉄となる)が花園ラグビー場を完成させ、現在では第一から第三グラウンドまで三面のグラウンドを持ち、関西ラグビーの中心地となっている」とな…こちらの詳細も本書をドゾですが、関西の競技場事情の特徴というのは、「民間企業によって建設され、また所有されていることだ」そな…

 そんな訳なのか「野球以外のスポーツで本格的なスタンド付きのスタジアムが作られたのは大坂市立運動場が初めてのことだった」となる模様…こちらの詳細も本書をドゾ。それにしても大阪も昔の市長達は街づくりに余念がなかったんだなぁ…本当に必要なんですかというスタンスではなくて、本当に必要なんですという信念があったのか…とはいえ、これ現在は八幡屋公園になっているらすぃ(笑)

 他にはラグビー関係で、「国際試合には、東京では明治神宮外苑競技場、関西では甲子園南運動場と花園運動場が使用されたが、オーストラリアのウェストフィールド主将は、「東京の芝は滑る。大阪の方がプレーしやすかった」と感想を語っている」そで、東京と大阪では芝が違っていたのだろーか?

 まぁともかく、日本の競技場をとゆーのはどこから来たか?とゆーと「一九一四年五月一二日に日本YMCAのギャレン・フィッシャー、ジョン・デビス、フランクリン・ブラウンらが嘉納治五郎大日本体育協会会長や阪谷芳郎東京市長らと懇談した際に、ブラウンがアメリカの地方自治体と体育行政の関係について紹介し、これを聞いた阪谷市長が市営競技場建設に関心を持ったことだった」とな…例の西洋に追いつけ追い越せキタコレなんでしょかねぇ?公園と競技場ワンセットというか、神社と競技場ワンセットというか、思うとこは色々あれどでしょか?ちなみに神社と競技場のセット販売って、意外とあるあるだったりするんですよ、奥さん(誰?)例えば、三ツ沢運動公園(護国神社/神奈川)とか、橿原神宮競技場(橿原神宮)とか…こちらの詳細も本書をドゾ。

 ちなみに芝公園にも「競技場と水泳場などが設置されていた」とか、日比谷公園にも「陸上競技のトラックと芝生のグラウンドが設けられた」とか、あると思いますらすぃ…

 何はともあれ、土地活用って事になるんじゃね?で、公園にしても、競技施設にしても、広大な、もしくはある程度の土地が必要となれば、地主との戦いもキタコレで、「当時の選挙はまだ普通選挙ではなく、有産者のみに選挙権が与えられていたので、当然、政党は有産階級=土地所有者の意向に強く影響を受ける」でして、そーは問屋が卸さないとゆー事態に突入した模様(笑)日本のセレブに、ノブリス・オブリージュなんて、そんなの関係ねぇー(死語?)ってか(笑)

 ちなみに「一九二〇年代というのは、世界各地で近代的な大規模スタジアムの建設がようやく始まったばかりの時期だった」そな…そんな訳で、世界の有名どこの競技場もこの頃いぱーいでけたらすぃ…ついでに言うと、陸上トラック一周が400mもこの頃かららすぃ…

 競技場の歴史の詳細も本書をドゾ。古代ギリシャや古代ローマから現代まで紆余曲折変遷ありますたですしおすし(笑)ちなみに「オリンピックのために大きなスタジアムが造られたのは、一九〇八年のロンドン大会が初めてのことだった。ロンドン西部に建設されたホワイトシティー・スタジアムは六万八〇〇〇人の収容力を誇っていた」そな…

 そしてWWⅠ後、「各国政府は社会の安定、国民の統合のためにスポーツを積極的に利用するようになり、戦争ではなくスポーツの国際試合がナショナリズムをかき立てるようになっていった。スポーツの強化は国家事業となり、オリンピックは国と国との対抗戦と化し、自国選手の活躍が国家発揚と結び付けられるようになっていった」とな…下心ありの国の世界デビューってか(笑)

 そゆ世界情勢からの各国についての詳細も本書をドゾですが、一例として英の場合、「ヨーロッパ大陸諸国の政府が積極的にスポーツに介入するのを見て、伝統的にスポーツへの政治介入を避けてきたイギリスでもオリンピック派遣費用の助成などを始めるようになった」そな…そーだったのか?ウルフ先生?

 まぁそんな訳で世界のスタジアムとしては、当時、パナシナイコ・スタディオン(アテネ/希)、ロンドン・スタジアム(ホワイトシティー)、ウェンブリー・スタジアム(英)、ドイッチェシュタディオン(ドイツ・スタジアム=ベルリン/独)、コロンブ(仏)、オリンピック・スタジアム(ストックホルム/瑞)などがありますたと…

 日本のスタジアム史的には江戸以前に日本にスタジアムなしは当然として、明治以降の競技場というか、運動場というか事始め的なのは横浜キタコレになるのか?よーするに外国人駐留者によるその手の施設キタコレらすぃ…「横浜の開港直後、イギリスとフランスは「自国民保護のため」と称して、幕府の許可なく一方的に横浜に軍を進駐させたが、山手地区の高台にあった駐屯地はスポーツ・グラウンドとして使われた」そな…成程、英仏、今も昔も平和外交乙ってか(笑)

 も一つ日本のスタジアム史的には、どこの管轄か?だろかなぁ…またの名を利権はどこへ?とも言うか(笑)こちらの詳細も本書をドゾ。内務省、文部省、明治神宮、体育協会、東京市(都)、厚生省etc.と使う分には自分とこ、払う分にはおてめえがとゆー実に今でしょ(死語?)なお話か?建前と本音、これは日本の伝統芸だよなぁ(笑)あっ世界中もか(笑)

 後は、競技場なので国内大会はともかく、国際大会の歴史もパネェ…戦後の五輪以下はともかく、戦前のそれはアジア大会がメインかなぁ?いえ、五輪もストックホルム大会から日本選手も参加はしてますが、あくまでもとほい異国での話であり、日本国内で国際大会を開催するとなるとアジア大会的なソレじゃね?で極東選手権大会とか、こちらの詳細も本書をドゾ。まぁ、一応幻の東京五輪(1940年開催予定)があればまた話は違ってくると思いますが(笑)

 極東選手権大会エピは色々あってなですけど、一例として第六回大会のとこを「特筆すべきは「開会式の場でアメリカ人が一人も演壇に立たなかったこと」だった。極東選手権大会はもともとフィリピンYMCAのブラウン体育主事の提唱で始まった大会であり、YMCAのアメリカ人主導で開かれた大会だった。フィリピンだけでなく、中国でもYMCAが主導的な立場に立っており、二年前の上海大会でもインドから中国YMCAに転任してきたばかりの体育主事ジョン・グレイ博士が大会を取り仕切っていた」そな…今も昔も米の正義ってパネェ(笑)

 それに対して、「日本は「極東大会はアジア人の手で」というスローガン」を掲げて、日本人で大会運営して見せたとゆーから、この頃から日本人って…出来た事によって、さすがと見られるか、それとも出る杭はガンガン打たれる事になるのか、その後の歴史が語っているよなぁ、何事も(笑)

 ただ、これまた今でしょ(死語?)に続く話じゃまいかで、審判の質はどよ?とゆー話もキタコレで、アジア人で全て行うとなれば、審判もとゆー事で、「これまでのように手慣れたアメリカ人てばなく、フィリンピン人が担当していた」そで「皮肉にもそれが審判問題を惹起したということになる」もキタコレで…アジア人審判問題、昔からの伝統芸能だったのか…

 でもって、アジア、スポーツ、大会といきたら今も昔もこれまた変わりなしなのかで、「今も昔もアジア情勢は複雑で、国旗や国歌もすぐに政治問題化するのである」の件かなぁ…こちらの詳細も本書をドゾ。

 何せ激動の20世紀前半ですから、満州国キタコレで、「一九三二年に開催されるロサンゼルス・オリンピックへの参加を計画するのである」でして、「一九三一念五月、ロサンゼルス・オリンピック組織委員会は「満州国」の参加を一旦は承認したのだ」そな…これに対抗して中国は初めて五輪に出場する事になり、「「満州国」のオリンピック参加は、「満州国」が国際陸上競技連盟に加盟していないという理由で、結局認められないことになった」とな…さすが、米の正義っ歪みないっ(笑)

 そんな日本に五輪をとゆー事で東京五輪(1940)キタコレも「バイエ=ラトゥールはもともとヨーロッパから距離的に遠い日本での開催には消極的だった。前年のIOC総会での杉村の政治的な動きに対して不快感を抱いていたが、オリンピックを世界的な大会にしたいというIOC前会長クーベルタン男爵の説得を受けて東京開催に賛成するに至ったという」で決まったらすぃ…これまた今も昔も東京大会って水面下の思惑で決まるのがお・や・く・そ・くってか(笑)

 でもって「当初は東京市が主導したオリンピック招致だったが、開催が決まると、オリンピックはたちまち政府主導の国家行事化していく。そのことについてバイエ=ラトゥールIOC会長は快く思っていなかったというが、当時の日本のような国では国家の全面的な関与なく大会を開くことは不可能だったろう」とな…この問題はその後の五輪全てに繋がっていくよーな?後のモントリオールを忘れるなってか(笑)

 更に「東京市と大日本体育協会、政府の三者が緊密に協力しなけりば、アジア初のオリンピック開催という大事業を成功に導くことはできない。だが、三者の思惑は微妙にズレており、大会の準備は混乱を極めることになる」って、これこそまさに今でしょ(死語?)じゃね(笑)

 凄いなぁと思うのは「大会開催二年前になって、ようやくメイン・スタジアムの計画が決まった東京大会。政府、東京市、軍、内務省(明治神宮)、大日本体育協会など各団体の思惑は一致することなく、競技場に関しての決定が何度も先送りになった。これに対してIOCのバイエ=ラトゥール会長は懸念を示し続け、大会の取り消しやロンドンでの代替開催案が取りざたされたこともある」の件は、もしかして、はいここわらうとこ、なんだろか?まぁ大会二年前になっても設備云々に関しては今でもどこぞではゴホンゴホン…それよりおろろいたのは、当時は取り消しとか代替開催を簡単に口に出来たんだなぁ…21世紀の今、大会2年前にいきなり代替開催できる都市(国)なんて、どこかにあるんだろーか?

 そしてWWⅡ後キタコレで、アジア大会キタコレか…「アジア競技大会は、アジア地域の国々が参加して開かれる総合競技大会で、第二次世界大戦前に開かれていた西アジア競技大会と極東選手権大会の二つの大会を発展させて戦後に始まった大会だ。国際オリンピック委員会(IOC)公認の大会で、オリンピックの中間年に開かれることになっている」そな…そーだったのか?アジア大会?

 ちなみに「一九四八年に戦後初めてのオリンピックがロンドンで開かれたのを機に、インドのグル・D・ソンディIOC委員からアジア各国に「アジア諸国の総合競技大会開催」を呼びかける招待状が発送され、一九四八年八月にニューデリーで初会合が開かれた。これがアジア競技大会の始まりだった」とな…経過についての詳細は本書をドゾですが、1951年3月にニューデリーで第一回大会が開催されたとな…

 ちなみにちなみに本大会に日本が参加する事に「フィリピンは講和条約締結前の日本の参加に反対したが、一九五〇年七月にはインド主導で日本のアジア競技連盟加盟が認められ、第一回大会への参加が可能になった」のだそな…成程、フィリピン…フィリピンではスポーツというものはそゆものなんだなぁ…

 まぁ戦後の国際スポーツ的なソレでいくとサッカー如何っスかぁで、スイスW杯予選…「本来はホーム&アウェイで行われるはずの予選だったが、韓国の李承晩大統領が日本チームの入国を許可しなかったため、試合は二試合とも神宮外苑競技場で行われた」の件でしょか?「李承晩大統領は当初、試合をすること自体に反対したというが、韓国のサッカー界の幹部が大統領を説得して試合開催に漕ぎ着けた」そな…

 さて、ついに東京五輪(1964)来るぞと…そして国立競技場が建設されたと…こちらの詳細も本書をドゾ。まぁこちらのエピとしては管理運営を特殊法人「国立競技場」がする事になった件でしょか(笑)「国の直営、東京都による経営、日本体育協会などスポーツ団の管理委託など、いくつもの案があったが、直営では公務員の定数増が必要となり、事業にも制約が生じるために十分な営業活動ができず、収入が減るとの見通しがあった」ために特殊法人設立となったとな…元祖第三セクターきたこれってか(笑)

 それにしてもプレ五輪じゃないけど、五輪前の大会としてアジア大会を国立でやってみたの件も詳細は本書をドゾ。ただ、戦後のアジア情勢を抜きに、アジアのスポーツ大会は語れないでして、ここにも色々あってなの世界が展開していた模様…「第二次世界大戦中は抗日のために合作して戦っていた中国国民党と中国共産党だが、日本の敗戦によって「共通敵」が消滅すると、すぐに内戦が始まった。そして、一九四九年一〇月に毛沢東共産党首席が北京の天安門上で中華人民共和国の成立を宣言するのだが、蒋介石総統率いる国民党政府は台湾に逃れて政権を維持。中華民国も中国全土の代表権を主張し続ける」とな…二つの中国問題キタコレってか?

 そして東西冷戦キタコレで、「一九五〇年に始まった朝鮮戦争では中国(北京政府)の人民義勇軍とアメリカ軍中心の国連軍が交戦したこともあって、アメリカ合衆国は台湾の中華民国を中国の正統政府として承認し続け、また、中華民国は全中国の代表として国連の議席を維持していた(安全保障理事会の常任理事国の地位もそのまま保全していた)」とな…

 とゆー事はサンフランシスコ講和条約以後の日本も米に追随で、「台湾の中華民国政府と日華平和条約を締結し、北京の中国政府とは長く対立関係が続いていた」となるとな…

 そんな訳で「中国はアジア競技連盟には加盟していなかったが、非同盟中立政策を掲げるインドで開かれた第一回大会にはオブザーバーを送り込んでいた」そな…でも第二回フィリピン大会、第三回日本大会では「まったく参加していない」とな…逆に「両大会には台湾の中華民国が中国を代表して参加しており、同時にイギリスの直轄植民地である香港も別個に参加していたのだ」とな…

 でもって「第三回アジア大会が開かれていた一九五八年当時、中国では政治路線が転換しようとしていた。それまでは、より現実主義的な劉少奇国家主席や周恩来総理が実権を握っており、国交のない日本とも貿易・経済関係が発展しつつあったし、スポーツ界でも中国は孤立していたわけではなかった」そな…何とゆーかホンマでっかぁーっ?かなぁ(笑)21世紀にそれ知る人は国を問わずどれだけいるんだろー?

 そして日本では長崎国旗事件が起こり、中国では「毛沢東中国国家主席が大躍進政策を発動し、この後、中国は左傾化し、その後の対外政策も先鋭化していくのである」とな…そゆ訳で「中国は台湾政権が加盟している国際競技団体から次々と脱退していってしまう」とな…さすがの中国サマやでぇー(笑)いやぁどこまで中国ですが、こちらの詳細も本書をドゾ。

 そんな波乱含みのアジア情勢でしたが1962年8-9月に第四回アジア大会inインドネシアきたこれってか…「この大会に、インドネシア政府がイスラエルと中華民国(台湾)の選手団に対して身分証明書(IDカード)の発行を拒否。結局、両国選手団が参加できなくなってしまったのだ」って、これまたホンマでっかぁーっ?

 「第二次世界大戦後に独立したインドネシアでは、独立運動の指導者スカルノが大統領を務めていた。スカルノ大統領は一九五五年にジャワ島中部のバンドゥンでアジア・アフリカ会議を開くなど第三世界のリーダーを自任する政治家であり、アラブ諸国や中華人民共和国との関係が深く、そのために対立関係にあるイスラエル、台湾の参加を拒否したのだ」って…そーだったのか?デ〇ィ夫人?

 詳細は本書をドゾですが、著者的表現でいくならば「政治的理由の是非は別として、アジア競技連盟や各競技団体の加盟国である台湾、イスラエルの参加拒否は、大会主催国として許されない行為であろう」となる訳で…成程、インドネシアとはこゆ国なんだなぁ…何か、インドネシア高速鉄道ふにおちたわぁー(笑)

 かくて「台湾、イスラエル問題は未解決のまま、アジア大会自体は強行開催された。しかし、国際陸上競技連盟などは、加盟国である台湾が参加できなかった同大会を正式な国際競技大会とは認めないことを決定。翌一九六三年にはIOCがインドネシアの資格停止を決議する」とな…何か昔のIOCの方が今よりずっと毅然としていたのだろか?

 ところがどっこい「インドネシアを支持するアラブ諸国が東京オリンピックのボイコットを示唆するなど、事態は紛糾した」のでござるってか…

 そんな訳で「インドネシアは一九六三年四月、ついにIOCを脱退。中華人民共和国やソ連、アラブ諸国などともに、オリンピックに対抗する「新興国競技大会(GANEFO)」の開催を発表。第一回大会が同年十一月にジャカルタで開催された」って、ドンダケェー(死語?)何か、どこぞの孔子〇和賞とか思い出すのは気のせいか?つつがなきや?

 それに対して「IOCや国際陸上競技連盟、国際水泳連盟などはこの大会に出場した選手を資格停止とすることを決めた」とな…

 で、更に続くで「各競技連盟は、新興国競技大会に出場した選手の資格を停止した。しかし、インドネシアと北朝鮮は、資格停止処分を受けた選手を含めたリストで東京オリンピックにエントリーしてきたのだ」って、ホンマでっかぁーっ?

 北朝鮮は新潟に選手団が到着していたりするんだぜ…「結局、北朝鮮とインドネシアは「処分自体が無効」という立場で、全選手を引き上げてしまい、東京オリンピックには参加しなかった」そな…

 ちなみに「インドネシアでは、その後一九六五年九月三〇日に右派軍人によるクーデターが発生してスカルノ大統領は失脚。一九六七年に予定されていた第二回大会は開かれず、新興国競技大会はそのまま立ち消えとなった」って…有為転変は世のならいってか…凄いなインドネシア…

 さて、五輪に戻って、日本国内の方は五輪に向けて準備しますで、まず元予備練兵場、現ワシントンハイツの返還要求してみますたで「一九六一念に日本政府がアメリカ合衆国に対してワシントンハイツの一部返還を要求。当初は返還に難色を示していたアメリカだったが、結局、「一部」ではなく全面返還することに決定。返還されたワイントンハイツには仮説の選手村と屋内競技場が建設され、オリンピック終了後は選手村は取り壊され、屋内競技場以外は森林公園(のちの代々木公園)とすることが決まった」とな…ちなみに米の移転先は調布飛行場のご近所って事で、これも1974年までに返還されて「跡地には二〇〇一年に東京スタジアム(味の素スタジアム)が建設された」事になるそな…何とゆーか、都内の大型施設ってこの手の跡地が結構あるのか?

 そして五輪大会中の十月、国際情勢はめまぐるしく変わっていた模様…ソ連の三人乗り宇宙船「ヴォスホート一号」キタコレだし、フルシチョフ首相の失脚、中国初の核実験、英では13年ぶりに労働党政権発足etc.など世界が動いた政治的シフトきたこれだったらすぃ…こちらの詳細も本書をドゾ。戦後も激動の時代だったんだなぁ…

 大会の度に揉めて上等な気がしてきたが、これユニバーシアードでもあると思いますなのか?第五回東京大会(1967年8月)も「大会前には、東京オリンピックの時と同じように北朝鮮をめぐって事態が紛糾した」って…「日本政府は国交のない北朝鮮が正式国名「朝鮮民主主義人民共和国」を使用することを認めず、北朝鮮がこれに反撥したのだ」とな…かくて「組織委員会は参加国を国名ではなく各国の大学スポーツ連盟の略称で表示することに決めた」って…

 そしたら今度は「国名問題がその正統性にも関わってくる分裂国家。韓国や北朝鮮、東ドイツなどが反発し、結局、北朝鮮選手団が大会参加を拒否。これに同調してソビエト連邦や東ドイツなども参加を取りやめることになった」って…国際大会おステキすぐる(笑)

 戦後スポーツ事情として、サッカー(W杯)、ラグビー(W杯)、陸上(世界陸上)etcについての詳細は本書をドゾ。世界は完全にアマチュアからプロ化し、メディア上等にシフトしていますが、何か?だよなぁ(笑)

 日本豆知識的というか、歴史的というかでは、「日本における近代スポーツは、学生つまり社会のエリート候補の間で普及した」という事じゃねでして、社会人が主役に躍り出るよーになったのは戦後、それも高度経済キタコレで選手を社内でお抱えできるよーになってからとゆー事らすぃ…

 後は、これまた日本のお約束じゃないかと思わされたのは選手と役員の対立(笑)詳細は本書をドゾですが、これも一例として「日本からフィリピンへの船で役員が一等船室に宿泊したのに対し、選手団が環境の悪い三等船室を利用させられるなどの待遇面の不満」キタコレってか(笑)アスリートファーストって何だっけ?何だっけ(笑)多分、法的には問題ないから問題ないんだと思ふよ、どこぞの前都〇事みたいに(笑)

 他に日本的なとこで秩父宮ラグビー場のエピはラガーマンパネェ…こちらの詳細は本書をドゾ。さすが知恵を出せの名言のあるスポーツだもの、だよなぁ(笑)

 後は、第二回パラリンピックも東京五輪の後十一月に開催されたそですが、こちらの詳細も本書をドゾ。ただ、このパラリンピックという名称は日本初、日本発だったのか…「「パラリンピック」という言葉が使われたのは、一九六四年の東京大会が初めてだった。「骨髄損傷患者(パラプレジア)」という言葉と「オリンピック」を合わせたいかにも日本人らしい語呂合わせによる造語だったが、その後、この名称は次第に国際的にも愛称として起用されるようになり、最終的には大会の正式名称となった」そな…これも一つのメイドインジャパンなんでしょかねぇ?

 豆知識的というか、日本の国のメディアだものキタコレで「野球害悪論」キタコレでしょか(笑)「「野球害悪論」というのは、一九一一年八月から九月にかけて、「東京朝日新聞」が行ったキャンペーン記事のこと」とな…さすが、天下の朝日昔から歪みねぇー(笑)ちなみにこれは「近代スポーツ一般に対する批判でもあった」とな…伝統主義者の反発キタコレってか?

 メディア系では、LA五輪(1932)でのエピですが、「オリンピック組織委員会とアメリカの放送局NBCの交渉が決裂して生中継が不可能な状況だったが、アナウンサーが競技場で観戦してすぐにスタジオに戻って、メモを見ながらまるで現場にいるかのように再現しながら放送したという(これを「実感放送」と称した)」って、ホンマでっかーっ?

 さて、さて、そして東京五輪開催が決定しますたとゆー事でこちらの詳細も本書をドゾ。2020年東京で会いましょうっですか?そーですか(笑)待ち合わせは有楽町の数寄屋橋前ではなくて、渋谷のドラム缶前になるんでしょーか(笑)

 何とゆーか、歴史は繰り返すじゃないけど、東京五輪と競技場の変遷は、40年、64年、20年と、符丁が合ってね?じゃね?例えば、40年の東京市は、「当初メイン・スタジアムを「埋立地」に建設する方針だった」りして…でも二転三転して「メイン・スタジアムは東京西部の駒沢に建設されることになった」けど、五輪返上を余儀なくされこれも頓挫すると…

 WWⅡ後の64年の東京五輪では「明治神宮外苑競技場の跡地に国立競技場が建設されてメイン会場として使用され、駒沢は第二会場として開発された」とな…

 そして三度目の五輪誘致には「再び「埋立地案」が提出されたのだ」と…しかし2016年の招致は失敗し、20年「結局、明治外苑地区が表舞台に立つこととなった」って…埋立地でやろうとすると毎回待ったがかかるとこ、まさかの神業か(笑)

 何かメインスタジアムは、代々木(というか千駄ヶ谷)にあるべしという、神の見えざる手でも働いているかのよーじゃまいか(笑)都心に八万人のスタジアム、無駄の極地のよーに見えて、もしかして必然の果てなんですかねぇ?まぁ五輪は半月かそこらの事ですけど、その後の使用法について、無駄にならないよーになればいいなぁとしか、言いよーがないよーな(笑)

 そんな訳(?)で他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。読みでがあるぞー(笑)

 目次参照  目次 スポーツ

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