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2016年11月16日 (水)

やまとごころの(笑)

手妻のはなし  藤山新太郎  新潮社

 サブタイトルは、失われた日本の奇術なんですが、タイトルからして何じゃそら?かも?手妻とは何か?とゆーと「江戸から明治にかけて日本ではマジックの事を手妻と呼んでいた。手妻とは日本人が考え、独自に完成させたマジックの事だ」となる模様…

 ちなみに手品とゆーのは、「言葉は江戸時代から使われていたが、これは装置物の奇術をさすと言う説と、「品玉」というマジックの別称で、伏せたお椀の中に玉や小石を入れて隠したり、移動したりする手妻の呼び名だったと言う二つの説がある。この品玉の芸は室町から江戸時代にかけて大流行し、ほとんどの手妻師が演じたため、「品玉使い」「手品使い」と言えばマジシャンを意味するようになった」とな…

 そして「明治になって西洋のマジックが入って来ると、便宜上それまでの手妻を「和風手妻」、略して「和妻」と呼び、西洋のマジックを「西洋手妻」、略して「洋妻」と呼んで区別した」そな…やがて西洋マジックが主流になり、「明治の半ば以降は手品と奇術という言葉が一般に使われるようになる。手妻、和妻はその後、楽屋の符丁として生き延びた」そで、マジックも時代時代で、名前が違うってか?

 ちなみに名前の変遷だけをチョイスすると、「二千年前には幻戯と言い、千三百年前には散楽と言い、その後、奇術、外術、幻術、放下、品玉、手品、等々と名前が変わって行った」そーで、しかも「名前が変わると演じる場所も内容と少しずつ違うものになって行った」そなな(笑)

 そんな訳で、本書は手妻がメインとはいえ、全体的に日本奇術史じゃね?で、何事にも歴史ありって事を本気で考えさせてくれる本書かな、でございますっ(キパッ)これも一つの文化史、日本史なんだと思われなんですけど、マジックという切り口で見るとまた全然違った側面が浮かび上がってくるから凄い…日本人にとって日本史なんて手垢がついた感じがしない誰もが知っているストーリーかと思ってみたら、奇術から見ると、えええっ?な話がいぱーいってか?

 そゆ事で、まずは騙されたと思って本書をドゾ(笑)それにしてもおろろいたのは、「世界の国々の中で、伝統のマジックを持っている国というものは、中国とインドと日本くらいしかない、ということである」ってホンマでっかぁーっ?マジックというと欧米か(死語?)と思っていたら、確かにあちらもそれなりに歴史あるかもですけど、「自国のマジックのスタイルを持っている国というのは見ない」そな…そーだったのか?お国柄?ちなみに「ドイツ風、フランス風マジックというものを聞かない」し「朝鮮半島には伝統奇術がない」で「中国人もしくは、中国式の奇術で、それが発展して朝鮮独特の奇術にはならなかった」そな…

 蛇足ですが、「欧米のマジック教本と比べても、日本の伝承本は、歴史の古さといい、出された本の数といい、一国単位で見ると、質量共に抜きんでている」そで、また「それらを出した人も、又買い求めた人も、殆どは手妻愛好家であり、本職の手妻師ではない」そで…どっと窓口が増えていった模様(笑)、

 まぁそんな訳で、手妻というと日本人の方がピンと来ないけど、海外ではそれなりに名が確立しているらすぃ…「それは独自の文化に根ざして、千年以上続いて、なおかつ現役で活動が成り立っているというマジックが他の国にはないからである」って、これまたそーだったのか?手妻?日本人からすると着物みたいな普通の感覚だけど、その実無形文化財だったのか?手妻(笑)

 アリス的には、手品…アリスは物凄く好きそーな気がしないでもないが、どよ(笑)

 他にアリス的というと、「関西の言葉で「ほかす」というのは物を放る事だが、これは放下師が曲芸でお手玉をする事から、物を放ることを「放下す、ほかす」となった。放下という言葉はその後江戸時代になってもそのままま奇術、曲芸を意味する言葉として使われた」のだそー…そーだったのか?アリス?

 後は紅雨荘の人形つながりで、からくり人形キタコレだろか?「元々散楽の中に人形遣いがいた」そーだから、相当に古い歴史ありか(笑)詳細は本書をドゾですが、室町時代になると「からくり人形は発達し、傀儡師は放下の仲間に入って盛んに人形芝居を見せた」とゆー事になったらすぃ…「この時代は幻術一座の中にいて」奇術とからくりは「同業だった」となる訳で…紆余曲折はありますが「室町末期から江戸初期にかけて今日の人形浄瑠璃が生まれる」とな…

 ちなみに「からくり人形は傀儡師(操り人形師)から発展した職業で、江戸以前は手妻と同じ放下の一門として活動していた。それが江戸時代になると放下から離れ、単独に興行するようになる」のだそな…とはいえ、関係は切れた訳でもなく、手妻の水芸の装置などは「からくり人形細工職人が作り上げたもの」なんだそな…

 で、歌舞伎や人形浄瑠璃や手妻よりも、「江戸の中期までの人気興行は、からくり人形芝居だったのだ」そな…からくり人形の興行は室町時代から行われてはいたけど、江戸になって「竹田近江というからくり細工の名人が現れた」そで、「竹田近江とその一族は代々からくり細工や人形を製作していた。製作のみならず、一連の作品を舞台の芸能として、からくり細工の興行を江戸時代の興行のトップに仕立て上げたのである」とな…そんな訳で「竹田近江のからくり人形一座は一六〇〇年代半ばから百数十年間に渡って、打てば大当たりが続く興行界の神様のような存在だった」って、ドンダケェー(死語?)

 ちなみに「初代近江には二人の跡継ぎがいる。一人はからくり細工を継承した二代目の竹田近江、もう一人は竹本座(人形浄瑠璃の芝居小屋)の座元になった竹田出雲(出雲は近江の弟、外記の子だという説もある)だ。この出雲の倅が二代目出雲で、「仮名手本忠臣蔵」、「義経千本桜」、「菅原伝授手習鑑」等を書き上げた作家である」そな…この辺りは海奈良の近松門左衛門、オノコロ島の文楽辺りとリンクするそれか?

 ちなみに、室町時代の人形浄瑠璃は琵琶を使用していたそだけど、この頃はさほど人気はなかったらすぃ…それが江戸に入って三味線使うよーになってから人気が徐々に右肩上がりとゆー事になったそな(笑)お人形も最初はからくり人形を使い、次に「直接手で動かす一人使いの人形」になって、やがて三人使いのソレになる訳ですが、これをしたのも初代出雲とな…なるほろ、近江はからくり人形界で、出雲は人形浄瑠璃界で君臨していたとゆー事か?

 その近江のからくり人形興行についての詳細も本書をドゾ。ある意味、今のテーマパークというか、キャラクターショー、全年齢に受けたとゆー事らすぃ…ざっつえんたーていめんと?で大人もビックリの世界だったらすぃ…更に人形ですからお子様もとびつくと…オランダ商館ご一同様もびっくりってか(笑)まぁこれだけ凄い一大興行だったのに、江戸末期には衰退して、今はほぼないのが何だかなぁ…

 モロッコ水晶かで「絶対に第三者が知らえない話を知っている、というのは占い師が政治家や、金持ちに近づいてパトロンにする時に使う手段だが」の件かなぁ(笑)今でもありがちなネタか(笑)

 さて、歴史に戻って、紀元前1-2世紀の頃から中国で幻戯キタコレでして…「幻戯は今日で言う曲芸、軽業、奇術など様々な芸能の総称で、いわば雑技の事だ。その中に今日まで続く不思議な術が数々ある」とゆーから、さすが中国四千年の国だものってか?とはいえ、その幻戯も「ベルシア辺りからもたらされた」(「めくらますのルーツ」/郡司正勝)や「インドからもたらされた」(「見世物研究」/朝倉無声)とゆーよーに余所から来たのの世界だったらすぃ…で、内容は?とゆーと、「口中放火」「自縛自解」「呑刀」「走火」「植瓜術」「屠人截馬」「手為江湖」「口幡眊」「挙足堕球玉」etc.だとか、こちらの詳細は本書をドゾ。

 そして幻戯は、「漢の時代に百戯と呼ばれるようになり、その後、散楽となった」そで…ちなみに「幻戯、百戯は皇帝が丸抱えして、祭事や、宴席の際の来客に見せていた。城の中だけでなく、幻戯は街中でも演じられていた」そで、この頃の手品って半公的機関的なノリだったんだろか?

 とは言え、野の幻戯とゆーのもあったらしく、「個人のルートで日本に伝わった幻戯がある」そで、何とそれが日本書紀に書かれているとゆーからパネェ…「渡来人の仏教僧が奇術を見せた」とな、その名を鞍作得志というそな…尤もこれ渡来人が渡来先での話らすぃんだが、それをわざわざ日本書紀に掲載するとこ意味深だよなぁ(笑)

 も一つ修験道で伝わったのもあって、こちらは「山伏姿の修験者が時々里に下りて来て、様々な術を修行の成果と称して人前で披露した」とな…火渡りとか、刀の刃渡りとかキタコレってか?まぁこれらの詳細も本書をドゾ。

 まぁともかく、奈良時代には、散楽キタコレになるとな…「散楽とは奈良の政府が唐を真似て国の政治機構を作り変えた時に、唐の皇帝が抱えていた散楽と言う芸能一座をそっくり取り入れたもの」なんだそな…散楽は「音楽、舞楽、寸劇(コント)、物真似、曲芸、軽業、傀儡、奇術など」の芸能とな…そして「奈良の政府は散楽戸というセクションを作った。正式には「治部省 雅楽寮 散楽戸」である」って事で、散楽は国家公務員也ってか(笑)

 しかも芸人だけではなくて、「楽部、小道具、衣装を作る職人、道具方、管理者等と、裏から表の人までそっくり抱えたため膨大な数になった」とな…ある意味国家プロジェクトってか?散楽あります?もしくは散楽はじめました?だろか(笑)

 でもって、「その散楽を演じる人達の事を呪師と呼んだ」って、ネーミング的におどろおどろしーですけど「五穀豊穣、天下太平などの呪いをしてから芸能が始まったため、そう呼ばれた。呪いはその後、日本の様々な芸能が形を変えて継承して行った」事になると…昔は、マジックも祭事、神事だったんですねぇ…ハンドパワーですってか(笑)

 これに関しては「古代の芸能は神に捧げるものだった」からとゆー一事に尽きるらすぃ…「そのため呪いはとても重要なものだった」そな…で、その心は「生産性の低い時代は遊ぶ事も、宴会も、芸能を見る事も罪悪だったからだ。娯楽は浪費、浪費は不道徳だったのだ」そで、「娯楽を正当化する意味で、芸能はいったん神に捧げられた」とな…これはお酒もごち馳走も同じ事なんだなな…そしてそれらの「おこぼれを人が頂き、神と一緒に芸能を見て楽しだのだ」とゆー構図らすぃ…うしろめたさからの脱却ってか?

 そしてそれは芸人達も同様と見えて「芸能そのものが不道徳と言われていた時代に、ただ芸をする事は許されない。そこで呪いをし、神に奉仕する事で芸を演じる不道徳が許されたのだ。それゆえ、この後も長く芸人は神事仏事から離れられなかった」となる模様…

 いやぁ芸能の長い前振りというか、お約束ってか?このお約束の上に、演る側も見る側も成り立っていたんだなぁ…

 時代は動いて「呪師と呼ばれていた奇術師が、平安時代には「外術」と呼ばれるようになる」とな… と、その前に延暦元年(七八二年)、奈良時代の終わりと共に散楽戸は廃止される」と、一つは財政逼迫による仕訳か?本当に必要なんですか?ってか(笑)も一つが「散楽の民営化は散楽一座にも問題があった。ある時、コントを演じた者が相当卑猥な笑いを入れたために来賓からひんしゅくを買い、散楽は御所に出入り禁止になってしまう」事態勃発したらすぃ…

 そゆ事で、京都遷都に「コントの連中だけは奈良に置き去りにされた。その奈良に残されたコントの連中こそ、後の能、狂言になる人達だ」って、そーだったのか?能、狂言?今だと伝統芸能で、古典芸能、敷居が高いと思われているソレも、元はコント集団で、下品だったのか?まぁ「元々能狂言は散楽の中の物真似や寸劇を発祥にしている」だそだけど…

 その結果「これ以降は自ら収入を得るためにあちこちで興行をしなければならなくなる」訳だったりして…かくて「寺院の庇護を受けて芸能を披露して行く事になる」と…

 そして「散楽が猿楽となり、それに連れて、中国的な衣装や演出が徐々に日本的に変化して独特のスタイルが生まれてくる」そな…「猿楽はその後、鎌倉時代にストーリーを持つようになってゆき、猿楽は演劇舞踊になっていく。これが能狂言の原型だ」とな…

 一座の中で分派、分裂が進んだのもこの時期らすぃ…例えば一方は寺社につき、一方は大衆の中で行うよーになり、また田楽と結びついていくものもありとな…

 この田楽ですけど、「官営の散楽とは違い、農村で起こった芸能で、元々は豊年満作を祈る農民の唄に、田植えや種蒔き等の農作業のしぐさが田舞となって芸能となった」そな…初期の土着なものへ、「散楽の中国のにぎやかな楽器が加わり、外術と呼ばれた奇術、曲芸、寸劇、物真似などプロの芸が入ってたちまち大きな芸能一座になっていく」とな…そーだったのか?田楽?かくて都だけでなく、日本中で興行キタコレになるのか?尤も、庶民の中での芸能活動は困窮と直面するかもの世界でもあったよーで、「彼らは「七道の者」と呼ばれ、その名称は賤民と同義語であった」とな…

 そして、寺社に養われた芸人達は何をしていたか?とゆーと、芸能だけではなく「呪術やお祓い」をしていたらしーのだ…こちらの詳細も本書をドゾ。何にしても「奈良の寺社に入った猿楽師は、寺社の雑用に関わっている間に田楽に人気を奪われ、鎌倉時代になると猿楽は全く影が薄くなってしまった」になってしまう訳で…

 とはいえ、現在「田楽と言う芸能のプロはいない」に繋がるそな、「田舞、田楽舞などの断片が地方の神社などに残されて伝統保存されている」にすぎなくなったよーで…結局栄枯盛衰は世のならいなのか、今でしょ(死語?)の田楽は室町後期以降「急速に下降し、規模は縮小していった」とな…

 まぁ、何せよ市井に広がっていった、いけたのは、「鎌倉時代くらいから、貨幣が行き渡り、商業が発展して庶民の生活に多少ゆとりが出て来たからだ」そで…庶民に至るまで貨幣経済がいきわたり、ついでにその貨幣を衣食住以外にも使用できる程、市民キタコレってか?でもくらしー?

 そんな室町時代ですが、「「外術は「幻術」(げんじゅつ、めくらまし)と呼ばれるようになる。また、「放下」の一座が生まれて「放下師」と呼ばれるようになる」とな…田楽の下火と共に、今度はそれまでくすぶっていた猿楽が「演劇舞踊をするようになって徐々に人気を集めるようになる」と…

 で、室町時代になると放下僧の僧がとれていったとゆー事らすぃ…パンピーが一座を作って勧進興行などと称して、村々を回って芸能を見せるようになる。これを「放下」、「放下師」といった」とな…

 そうして、室町から芸人の個人名キタコレになっていく模様…ついでに芸そのものもキタコレになるのか?で、本当は本書はこの辺り、芸人個人と芸内容がメインじゃまいか?なんだろなぁーと思いますので、詳細は本書をドゾ。何せ手綱の本ですから、手妻と名乗るのは江戸からで、室町末期から江戸時代、そして激動の明治、大正、昭和と続く訳でして、こちら手妻の浮沈についてはドラマというか、全米が泣いたな世界ですので、是非本書をドゾ。

 ただ、何事もアレンジ上等、魔改造の国だものですので、平安から日本化してきているんですが、室町末期から江戸に入ると一気に日本路線待ったなしの世界に突入か(笑)

 取り敢えず、江戸の流れは「初期は、常設の小屋掛け興行が許可された。それにつれて手妻師からどんどんスターが出て来た」とな…「中期になると、手妻は素人まで普及するようになった。座敷遊びなどが一般化し、接客のために隠し芸を見せる事が流行ってくる」手妻愛好家増えるし、マジック本発行されるし、地方でも芝居小屋キタコレってか?そして、後期は「日本中で小屋掛け興行が煩雑に行われ、芸人はスケジュールを作って日本各地で興行するようになった」とな…

 まぁ江戸になると、対芸能というより、対幕府、対町民って感じにシフトしていくよな?よーするに需要と規制をどげんとせんといかんの対応関係で進んでいくよな?こちらの詳細も本書をドゾ。一例としては、若衆歌舞伎のとこか(笑)女歌舞伎が風紀乱すからあかんで、若衆歌舞伎になり、それもあかんで今の男の人だけ歌舞伎に至るのは歌舞伎の歴史的に知ってはいたんですが、これにマジックも関係していたのか?女歌舞伎が禁止された時「奇術曲芸をする者の中で美少年を集めて派手な歌舞伎衣装を着せ、それに踊りの達者な美少年を加えて、踊りや放下をする若衆歌舞伎を考え出して奉行所に許可を願い出た」そな…奉行所側からすれは既に放下の許可は出ているし、男子ぃならば踊りも問題なかろーと許可する事になって、若衆歌舞伎キタコレになった模様…

 この後、マジックが手妻と呼ばれるよーになり、また手妻の名人、有名人がいぱーい出てきますので詳細は本書をドゾ。また、手妻の二大マジック、蝶と水芸についても詳細は本書をドゾ。

 パンピー的には、江戸中期に手妻ブームきたこれで、本が出たり、「手妻の指導をする「伝授屋」、手妻の小道具を販売する「手品屋」と言う商売」もキタコレになったとな…

 対幕府という点では、芸人って無税だったのか?「入場料は全て現金で貸し借りない」し一日に何公演しよーと制約はないし、雑用なんかの人も安く雇えたとゆー事で、この手の興行は当たれば、まさにあぶく銭の世界だった模様…水野忠邦って…禁止するより遊興税だろ?

 まぁ、そんな引き締め対策の江戸キタコレですけど、そゆ時は、そうだ京都へ行こうじゃないけど、京都、大坂に拠点を移し、地方巡業に行けばいいじゃないだったよーで…水野のソレって全国区じゃなかったのか?でもって、芸人は景気の良い場所に常に移動するものなんだなぁ(笑)

 蛇足ですが、幕末、幕府の力が弱まって「参勤交代が廃止されると、たまたま江戸勤番の侍が帰郷して人口が半減してしまった」とな…江戸の人口の半分は「侍で占めていた」訳で、そーなれば「お上りさん目当ての興行など閑古鳥である」で、これまた江戸、不景気でござるに至ったらすぃ…参勤交代って経済政策的意味合いもあったのか?

 地方巡業に戻ると、小道具大道具もあるじゃまいか?で、道具は船便キタコレになった模様…まぁ日本の場合、島国だものですから、どこでも港あるし、川にも船あるしで…たいていの都市はこれで、人は手ぶらで陸路あると思いますか?って事は、その頃から宅急便並の流通が整っていたとゆー事か?

 後、寄席の歴史も興味深い…よーするに小屋のあるとこまでは遠いとゆーか、一日がかり、今でいうならディズニーランドに行くぞーなノリだけど、寄席は町内、ご近所にあるから、ちょっと仕事帰りにでもよれるスタンスだったのか?そゆとこで落語キタコレになるらすぃ…こちらの詳細も本書をドゾ。とゆー事で、小屋と寄席では規模が違うみたいです…でもって、当時はテレビもパソもスマホもない時代ですから、毎日の娯楽に寄席キタコレになった模様(笑)

 さて、手妻はとゆーと、幕末から万博で海外公演キタコレもあるし、明治になって世界に広げよう手妻の輪ではないけど、これまた海外で活躍する手妻師キタコレになるらすぃ…こちらの詳細も本書をドゾ。ただ、手妻、浮き沈みの激しい商売じゃね?で、これも明治末辺りから、手妻何それおいしいの?の世界に突入していくよーで、激動の20世紀手妻史にでして、こちらの詳細も本書をドゾ。そして、戦後、昭和の中から末にはほぼ絶滅に近い状態になってしまった模様…

 まぁ逆に西洋マジックの台頭もキタコレだったり、大阪と東京では有名無名違うと思いますもあると思いますらしーし、その中でも健闘しているとこは健闘してたみたいだしで…まっ色々あらーなってか(笑)

 その中でも一つ、天勝一座の人気は凄いぞとゆーエピ(笑)当時「どこの都市の劇場でも、天勝来援のポスターは一週間前からしか張り出さなかったらしい」それより前に貼ると、今公演中の芝居も周囲の劇場も「急に入りが悪くなってしまうから」って、ドンダケェー(死語?)「余りの人気のすさまじさに、阪急電鉄の小林一三が、天勝一座のようなチームを作りたいと考えて出来たものが今日の宝塚歌劇団である」って、ホンマでっかぁーっ?宝塚って、女の子ばかりのマジック一座の後追いだったのか?

 豆知識的に、火渡りって今でも結構あると思いますですけど、これのタネって「初めに地面を少し掘っておいて、そこに水を張って水溜りを作っておく。その上に薪を梯子のように組んで、水溜りを隠すように並べる。その上に更に薪を並べて火をつける。火は下火になってから、上から清めと称してたくさんの塩とカンスイを撒く、これは熱を下げるのに有効らしい。その上で梯子の隙間を縫って水溜りを歩く」という手順らすぃ…そーだったのか?心頭滅却すれば火もまた涼し?

 これも豆になるだろか?で田楽、食の方のそれで「豆腐や蒟蒻を串に刺して焼いて、たれを付けた料理はなぜ田楽というのか」で、「外術の「連飛び」(聯飛)と言う軽業が元になっている」のだそー…どのよーな芸能なのかの詳細は本書をドゾですが、この「連飛びをしている姿が豆腐の串刺しに似ている事から豆腐の串刺しを田楽と言うようになった」とな…やっこと言い、豆腐って常に何かに似ているの世界だったんだろーか(笑)

 能狂言あるあるになるのだろか?で「室町の頃、能の観阿弥、世阿弥が足利義満の庇護を受けた時に、ある貴族は「将軍ともあろう者が七道の者を屋敷に上げるとは何事か」と非難した。世阿弥は功なり名を遂げても、なお七道の者と呼ばれたわけで、称賛と蔑視は紙一重だったのだ」って…ホンマでっかぁーっ?

 豆知識的に「マジック教本の印刷物というのは世界的にも珍しく、イギリスで出されたマジック教本「ディスカバリー・オブ・ウィッチクラフト」が世界初の伝授本とされている。その後「ホーカスボーカス」(ホーカスボーカスは呪いの言葉でアブラカタブラと同じ)が出たのが一六三四年である」って、そーだったのか?ウルフ先生?ちなみにその半世紀後の、日本では「商業ベースに乗って伝授本が販売されてヒットしていた」って…世界的にも類を見ないって事になるらすぃ(笑)

 豆知識的に言葉、言語では、散楽とは「チベット語のサンロー(新しい遊び)と言う言葉が語源」じゃねとな(笑)他にも、外術は「仏教の三宝から外れた術の事で、外法と言う意味から外術と呼ばれたと思われる」(「見世物研究」)となるらすぃ…

 また「「放下」というのは、本来は芸能一座ではない。禅仏教の言葉で、全ての欲を捨てて生きる事で、仏教ではほうげと読む」とな…「「放下僧」と呼ばれる人々が、あちこちの村を回って京の話を聞かせたり、余興などを演じながら仏の道を説き、布施をもらって布教活動するようになって行った」とな…

 それと「傀儡」のかいらいとくぐつってどよ?で、「くぐつとは貝取りをする海女が持ち歩いていた籠のことで、莎草と言う草で編んで、籠になったものを裏と言う。傀儡師が裏に人形を入れて持ち歩いていた事からそう呼ばれるようになった」って、ホンマでっかぁーっ

 後、「「ドサ」というのは佐渡をひっくり返した言葉で、江戸初期に佐渡で金山が見つかった時に、佐渡は好景気に沸き返った」「芝居小屋も立ち並び、そこに行けば江戸の数倍の給金が貰えたため」芸人が殺到したらすぃ…だがしかし「佐渡に行くというのは都落ちをするようで聞こえが悪いため、「ちょっとドサを廻ってくる」と言ったのが言葉の始まりで、以来、地方公演をドサ廻りと呼ぶようになった」のだドサ(笑)

 豆知識的に音、音楽編では、「今日でも、日本の楽部演奏は舞台上で譜面を使わない。口唱歌という方法で口伝えで丸暗記する。これは雅楽、散楽以来伝統だろう。口唱歌は古代の暗譜方法である。それを現代の舞台の上でも継承しているのは先進国の中では日本だけではないか」って、ホンマでっかぁーっ?まぁ古いものは何かと口伝多しだけど、今でしょ(死語?)というか、今でも頑なに守って続けているとこが日本の国の人だものなのか(笑)

 時代だなぁな豆知識では、江戸時代の官位…貴族の収入源は「下位の資格を金で与える」事で糊口をしのいでいたらすぃ…彼らは京都に住んでいたけど「資格を与える窓口は各大都市に窓口があり、江戸にも嵯峨御所という資格を管理する家があった」ってホンマでっかぁーっ?で、その嵯峨御所は「実力と資産がある芸人や、商店などのところへ出掛けて、声をかけて資格を勧めた」んだそな…資格の御用聞き、そんなんあったんだ…ちなみに資格って取得する時だけにお金がかかるだけじゃなくて、その後もお布施祓い続けないといけないらすぃ(笑)

 そんなお金のかかる官位ですが、どんなに下位でも持てば貴族の端くれ扱いになるので、江戸の身分制度では、町方とか奉行所とかに小突かれる事もなくなるとゆー塩梅らすぃ…まさに文句があるならベルサイユへいらっさいキタコレってか(笑)身分制の時程、肩書ってモノを言うんだなぁ…

 現代豆知識編では贔屓客との宴席…「ビートたけしさんはシャイで、客あしらいが上手くなく、その上、一人でする芸を持っていなかったので、客に呼ばれるともっぱら私が一緒に行って、マジックをお客に見せた」のだそな…芸人の接待もそれなりに苦労があるご様子…

 ただ、一昔前の芸人には芸人の意地というか、職業倫理があった模様で著者の父親曰く「プータローから貰った三千円の当たり馬券は、金持ちから貰う十万円のチップより価値があるぞ」と豪語していたそな…ボロは着てても心は錦ってか?今が全てでどこぞの元大統領じゃないけど、マネーだが前面にも全面にも浸透している世の中ですが、一昔前までは心意気がまかり通っていたんでござるってか(笑)昭和なめんなよかな(笑)

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。ええ、これでも本書の中のほんの一部なんですから、凄い濃い内容の本でございまして、手品に興味のある人には物凄くインパクトのある本だと思ふ…マジ、日本の手妻パネェ…

 でもって、最後に一つ、手妻、何が凄いとゆーと、その精神性かなぁ…日本人的には当たり前の感覚が通底しているとこじゃまいか?ですかねぇ(笑)蝶の演目には無常観が、水芸にも和の伝統キタコレなんですよ、奥さん(誰?)

 伝統芸能も、昔から連綿と続くソレもあり、今でしょ(死語?)の改革ありで、来ているんだなぁと痛感する一冊じゃなかろーか?本書における個人の経歴はほぼスルーしましたが、先達のみなはまって凄い、本当に凄い…

 目次参照  目次 文化・芸術

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