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2016年11月25日 (金)

真の反逆者とは何か?

ローマ人の物語 39 キリストの勝利 中  塩野七生  新潮社

 さて、ローマ人にとっての東方の敵とは、長年パルティア王国で、紀元227年にササン朝ペルシアとなると…ちなみにこれ「現代ではこの一帯はイラクに該当する」のだそな…

 さてさて、では東方の敵とは何であったのか?で、「その東には、現代ならばイラン、アフガニスタン、パキスタンに該当する広大な後背地が控えていたからである」からとな…

 とゆー事で対東方戦というのは、それを頭に入れておかないと実感がわかないんじゃまいか?とゆー事らすぃ…

 蛇足ですが、「現代のトルコ、シリア、レバノン、イスラエル、ヨルダン、エジプトは、古代ではローマ帝国側にあり、ローマ帝国の東半分を構成していた」とな…「現代のトルコの東の端はアルメニア王国であり、ローマの同盟国だった。現代のシリアとイラクの国境線は、古代のローマ帝国とササン朝ペルシアとの国境線とほとんど重なっている」って、ホンマでっかぁーっ?成程、中近東、ローマ化、非ローマ化の視点で見てみたら、また違った見方が出来るのだろーか?

 まぁローマとギリシアと東方を見ると、それぞれに違うという事が明確に分かるんじゃね?とゆー事らすぃ…よーするに効率性と合理性というものを一番に尊重したのがローマ人とゆー事にならね?とゆー事か?

 ローマと東方の関係についての詳細は本書をドゾですが、よーするに対東方に対してのローマの外交は二択、「第一は、外交派」「境界はユーフラテス河に定め、それを帝国の「防衛線」として強化する。同時に、メソポタミア地方の北に位置するアルメニアに親ローマ派の王権が定着するのに援助を惜しまない」よーするにゆるい囲い込み戦略方式…「第二の対処法は、軍事で成功した後に有利な条件で防衛線を確立する考え方」戦果によって「北部メソポタミア地方の割譲を勝ち取る。そしてこの地方を、対オリエントの最前線化する」「この地域がローマ領に入るということは、ローマは、それがパルティアであれササン朝ペルシアであれ、東の強敵を一望の下に収めることを意味する」そしてそれは「アルメニア王国の戦略上の重要度も」低下するという利点があったとな…

 「アルメニア王国は、文化文明ともに、ローマよりはペルシアに断じて近い。この国を同盟国にしつづけることに、長年にわたってローマは、あらゆる面で苦労してきたのだ」って、それってどこぞのくnゴホンゴホン…

 とゆーのは、ローマ側から見た場合で、ペルシア側からすれば真逆の事が言えるとな…どちらも国家安全保障上の問題ですから、「この地方では、国際秩序の意味でもある「パクス」(平和)の確立はむずかしいのであった」って…今も昔の中近東って、もしかしてそれが伝統芸能なのか?のか?

 そして今でしょ(死語?)の四世紀半ば、「メソポタミアをめぐる情況は、圧倒的にローマが有利に立っていた」とな…「一、ニシビスとその東南のシンガラを最前線にして、そこから西を流れるユーフラテス河に至る北部メソポタミア全域を、ペルシアはローマに正式に割譲する」「ティグリス河の東側に位置する五つの地方への支配権も、ペルシアは露ローマに譲渡する」とな…これがどんだけ凄い事かの詳細は本書をドゾ。

 更にローマは、「防衛線の強化を徹底させた」訳で、「それも、ローマ領となった北部メソポタミア地方に留まらず、その南への延長線上に位置するシリアもヨルダンも、従来の「防衛線」はさらに強化された。ローマ人は「平和」を、タダで享受できるとは思っていなかったのである」の件は、物凄く考えさせられる課題じゃなかろーか?

 そして、ペルシアは挙兵するってか…

 アリス的には、ローマ…まぁ世界史的には外す事のできないとこですが、どよ?准教授の趣味の一つにケルトがあげられているけど、どちらかとゆーと、准教授ならローマじゃね?と思うのは気のせいか?

 対するローマはどよ?というと、その一、宦官官僚の陰謀キタコレで、「少なくない数の有能な将たちが、皇帝暗殺の陰謀の罪を着せられた処刑された」よーするに指揮官クラスの激減→ローマ軍の戦力低下。その二、いなくなった将の代わりの任命の人事に、「戦場での能力よりも皇宮官僚たちに受けが良いことが基準になってしまった」って、現場をないがしろにしたらその後はどーなるか?本田宗一郎に訊いてみよーってか(笑)

 詳細は本書をドゾですが、紀元359年アミダ攻防戦キタコレってか…そして、ローマの最前線でも「ローマ軍では、共和制帝政問わず、前線に送られた司令官には大幅な自決権が与えられていた」このローマ伝統の方法が「四世紀半ばともなれば機能しなくなっていたのである。元首政時代でさえも、前線の司令官が軍を動かすのに条件をつけた皇帝はいなかった。それなのに四世紀ともなると、「前線」は「後方」の指令になかったことには手を染められなくなっている。しかも、「後方」が「前線」の自決権を制限するこの傾向は、リスクを冒さず責任も取りたくない消極的な人物に、決定的な行動に出ないための恰好の理由を与えることにもなっていた」ってそれってどこのフクシマ?

 さて、こちらの詳細も本書をドゾですが、北部メソポタミアのリメスに穴を開ける事は、ローマにとっては重大な国家安全保障問題以外になにものでもないとな…「ディオクレティアヌス時代にペルシアに認めさせ、大帝コンスタンティヌスが老齢にもかかわらずその確立のためペルシアまで遠征しようとしていたほどに戦略的に重要な北部メソポタミアを、その子のコンスタンティウスは元の木阿弥にしてしまうことになる」とな…

 かくてコンスタンティウスが参戦となる訳ですが、皇帝が戦場に立つとなれば、最早地域限定紛争に域をこえて、敵地まで完膚なきなで叩き潰す事を意味している訳で…まず挙兵の為に兵を集めないとねとなるとな…そしてそれはガリアにいるユリアヌスの兵もよこせという指令キタコレなんですよ、奥さん(笑)ちなみに当時のユリアヌスが保持していた兵力は2万3千人位、その内1万人位供出せよとゆーのだから、ドンダケェー(死語?)

 ガリアを転戦しているユリアヌスには死活問題じゃねな無帽な数ですけど、それでもユリアヌスは一応、その皇帝命令に従う所存だった模様…ところがどっこい、部下達はそーではなかったとゆー事なんですよ、奥さん(誰?)まぁ誰だって、できる上司、信じる上司の下で働きたいとゆーもんじゃね?人間だもの(笑)

 紆余曲折の果てにユリアヌス蜂起とゆーか、どちらかとゆーと政権交代なノリか?そしてこちらも色々ありますが、紀元361年11月3日、コンスタンティウス病没となる訳で、実にあっけなく、皇帝位はユリアヌスにくる訳ですよ、奥さん(誰?)

 さて、新任の支配者の施政には二つ道があるよーで、「第一は、それまでの既得権層を刺激しないようにしながら、獲得したばかりの権力基盤を固めるやり方」よーするに何も変わらないとゆー事じゃね?で、「第二は、権力をにぎるやただちに、既得権層も非既得権層もいったい何が成されているのかわからない早さで、次々と政策を打ち出し実行に移すやり方」とな…改革が難しいのは既得権層が大反対するのは勿論だけど、非既得権層が正否が分からず様子見、もしくは消極的な支持しかしない事なんだそな…かくて、既得権層を抑え込む為に矢継ぎ早に実行するしか改革に成功なしってか?

 で、ユリアヌスはまず行政改革というか、皇宮の簡素化、よーするにリストラに手を下す事にしたと…「官僚機構は、放っておくだけで肥大化する。それは彼らが自己保存を最優先するからで、他の世界とはちがって官僚の世界では、自己の保存も自己の能力の向上で実現するのではなく、周辺に同類、言い換えれば"寄生虫"を増やしていくことで実現するのが彼らのやり方だ」とな…成程、霞が関、伝統芸能に精通してますってか(笑)

 かくて彼らに「自己改革力」はないという事らすぃ…だから「官僚機構の改革は、官僚たちを「強制して服従させる力」を持った権力者にしかやれないことなのである」とな…いやはや全くご尤も(笑)もしかして、はいここ笑うとこなんだろか(笑)

 蛇足ですけど、「エウセピウスが頂点に立って皇宮を牛耳ってきた宦官グループを養うのに要する一年の費用が、ガリアで蕃族撃退戦で血を流している兵士たちに払う年給の総額を越える」とゆーのだから、宦官官僚パネェ…官僚っていつの時代にも大いなるムダなんだなぁ(笑)

 そして、もう一つの権力キタコレで、ストップ・キリスト教だろなぁ…よーするにミラノ勅令に戻すよとゆー事で、それ以後のコンスタンティヌスとコンスタンティウスによって進められたキリスト教への特権を全廃し、逆に放置されていたというか、打ち捨てられていたギリシア・ローマの神々の復活ってか?まぁ何でコンスタンティヌスが大帝なのかと言えば、「キリスト教側から、「大帝」の尊称を捧げられた」からですから…まさに互いの癒着関係パネェからって…

 とにかく、ユリアヌスは信仰の自由を復活させたとゆー事になるとな…「信仰の完全な自由を保証する以上は、「異教徒」という蔑称も、「異端」という排斥の想いも、あってはないないというのが、直訳すれば「全面的な寛容」の名の許に公表された、皇帝ユリアヌスの勅令であった」とな…

 寛容…何とゆーか、意味深な言葉だよなぁ…「この言葉には、自分とはちがう考えを持つ人でも認め受け容れる、という意味がある。この面でも、一神教とのちがいは明白だ」という事に尽きるんじゃまいか?

 まぁ結果論にはなるけど、一度右(左でもいいけど/笑)に思いきりぶれた路線を中道に戻そうとすれば、中道に指示しても戻りは甘く、これまた一度思いっきり反対側にふってから戻さないと戻らないとゆー事なのか?政局ってむつかしい…

 この時、ユリアヌスがコンスタンティウス並みに政権をとったら、邪魔者は皆消せを実行していたら、これまたこの後の展開はかなり違っていったんだろーなぁーとは思ふ…まっユリアヌスの性格からして絶対しないだろーけど(笑)

 キリスト教では、もしくは一神教ではか、「現実世界における、つまりは俗界における、統治ないし支配の権利を君主に与えるのが、「人間」ではなく「神」である、とする考え方の有効性に気づいたとは、驚嘆すべきコンスタンティヌスの政治感覚の冴えであった」とな…権力の委託も剥奪も「それを決める権利は「可知」である人間にはなく、「不可知」である唯一神にあるとしたのだから」よーする長期政権の為、自分の正当化の為のキリスト教キタコレだった訳で…その神意を「キリスト教では、神意は聖職者を通して伝えられることになっていた」それもキリスト教会の中では司教が決めますが何か?の世界だとな…となれば、「司教たちを"味方"にしさえすれば、「神意」も"味方"にできることになる」と…

 故に「どうやれば司教たちを懐柔できるかに、問題は集約されるからであった」って…コンスタンティヌスもコンスタンティウスも宗教を甘くみていたんじゃないかもなぁと…よーするにキリスト教もローマ帝国、ローマ皇帝のコントロール下で制御できるとふんだんだろなぁ…

 それも「決めるのは「人間」ではなく「神」となれば、皇帝への反乱も皇帝殺害もなくなり、政局は安定すると踏んだのであろう」から…まぁ先の話はともかく、ユリアヌスの帝位の時代は、キリスト教優位に立ってはいたけど、世界の宗教観はまだ混沌としていた時代という事になるらすぃ…

 かくてユリアヌスの対キリスト教対策についての詳細は本書をドゾ。まぁ今で言う政教分離政策キタコレに近いと思ふ…しかし、あの自由平等博愛とやらのおフランスでさえ、その法律20世紀に入ってから施行されたんじゃね?で、学校からの宗教分離もそんなとこなはずですが、まっこれは今でしょ(死語?)まで続く茨道ですから…

 ちなみにユリアヌスは「キリスト教を信ずる教師は、教会へ行って教えればよいのだ。彼らが信じている、聖書を教材に使って」と言い放ったそな…「現代のローマ史の専門家でも、このユリアヌスの言い分を、「論理的にはかなり正しい」と評している。私などは微笑をこらえ切れず、「ならば、熱心なキリスト教徒のローマ史学者に、ローマ精神の真髄への肉迫は可能なのか」と問いかけてみたくなるのだが」って…それは寅さんなら、それを言っちゃーおしめぇーよっと言いそーだが、ユリアヌスの弁を米大統領が発言したとしたら、どーなるのか?は興味あるなぁ(笑)

 まっ話はユリアヌスに戻ってキリスト教関係の免税は全撤廃した模様…ギリシア・ローマの神々の復活ですが捗々しく行かなかったよーで、よーするに地方自治体と私人がそんなの関係ねぇー(死語?)になっていたと…とっくの昔にノブリス・オブリージェはなくなっていたとゆー事か…

 とまぁ内政も問題山積みだけど、外交もとん挫したままじゃねで、何がと言えば対ペルシア戦でございますよ、奥さん(誰?)そんな訳で、ユリアヌスはアンティオキア入りを果たすと…

 そして運命の地、アンティオキアかなぁ…古代においては世界に冠たるアンティオキアで、大都市の代名詞にさえなったんじゃまいかとゆー繁栄ぶりだったんですけど、忠誠には完全につぶれた都市とゆー事になるのか?今となってはそれどこ?の世界だし…

 こちらでの「有力者たちの投機で深刻化した食料不足や、ダフネのアポロン神殿やイェルサレムの大神殿の火災、更には度重なる地震と問題勃発いぱーいてか…それと非キリスト教徒と、キリスト教関係者という既得権層と、皆腹に一物も二物も持っている人いぱーいってか(笑)いやーしかし、同じ市内の隣人が飢えて餓死しよーが儲かりゃいいんだとゆー商人根性は、何かもー行きつくとこまで行った感半端ないんですが、如何なものか?上も下も耐性がないという事では一致しているよーな気がするが、まっこれじゃあ、都市を維持しよーとか、再建しよーとか、上も下も一致団結とかは…何とゆーか、都市が寂れた、滅んだとゆーのも分かるよーな気がするのは気のせいか?まっこれには皇帝も辟易として、ミソポゴンなんて本出しているし(笑)

 運命のペルシア戦役の詳細は本書をドゾ。もし、これをユリアヌスが思い描いたよーに大々的に勝利していたら、その後のローマ帝国の行く末は大分違っていただろーなぁとゆー事だよなぁ…内にも敵、外にも敵、本当にお気の毒としかいいよーがないんですが、ユリアヌスを見て何を思い出したかとゆーと、ティトゥスでしょか?善人というか、まともな感性の皇帝は何故か、皆短命なんだよなぁ(笑)

 そして、その後の皇帝は「誰よりも能力は劣るが、害をもたらす怖れは誰よりも少ないと思われる人物が、浮上」しますたとなってヨヴァアヌスきたこれってか…そしてペルシアと講和条約を結び、アンティオキアに撤退、そこでヨヴィアヌスはユリアヌスが出した条例を全て撤廃、そしてコンスタンティノープルに帰還途中で死亡。「死因は、前夜の暴飲暴食」とな(笑)

 こーして逆襲のキリスト教キタコレで、ヴァレンティニアヌスが帝位につくとな…全てこれ事も無し、ユリアヌスなんて最初からいなかったんだぁーっのノリに戻るとな…既得権層ってパネェ…一周廻って、キリスト教優遇政策は永遠に不滅ですってか?

 豆知識的には、「日本語では「異教徒」と訳される「パガヌス」という言葉も、もともとはキリスト教徒がギリシア・ローマ教徒を指して言った。いまだに迷信を信じている田舎者、の意味を込めた蔑称であった」とな…こゆのは差別発言とか、ヘイトとか言うのとは別なんだろか?

 さて、他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。何とゆーか、ユリアヌス、この時代に異彩を思い切り放ったお人だったよなぁ…古き良きローマ人らしいローマ人であったとゆーか…きっと五賢帝の時代に生きていたら、普通に幸せな一哲学者で終わったかもしれないのに…

 そして「宗教が現世をも支配することに反対の声をあげたユリアヌスは、古代ではおそらく唯一人、一神教のもたらす弊害に気づいた人ではなかったか、と思う」の件の意味は重いよなぁ…そして著者にこれが言えるのも、日本だからこそだろなぁ(笑)

 目次参照  目次 文系

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