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2016年11月10日 (木)

変わる事と変わらない事?

あやつられ文楽鑑賞  三浦しをん  双葉社

 ファン心理から見た文楽とゆーノリかなぁ?文楽にはまった人が文楽を語る、しかも突撃舞台裏もあるとゆー…まぁ最初から最後まで、ノンストップ劇場というか、乙女の好きってパネェなぁと思い知りました(笑)ある意味、心中行きの道行のノリじゃね?で、追いかけます、文楽の為ならどこまでもを実践していらっさると言って過言ではないと(笑)

 文楽とは何か?と言えば、人形劇なんですが、これがただの人形劇じゃないと…何せ江戸の昔から連綿と続いている訳で、その規模たるや凄いの一言じゃね?昔の人は観劇と言えば一日がかりが当たり前ですから、ドラマが延々と続く人形劇、日本のエンターテインメント凄いとしかいいよーがない(笑)やっぱ近松門左衛門は天才だったんだろなぁ…

 ちなみに文楽関係者、三業、「大夫・三味線・人形あわせて、全部で百人もいないぐらいだ」そで、「いつも同じメンツで一日中ずーっと舞台」という事らすぃ…多いか少ないかそれが問題だ?ですけど、この百人で東京と大阪、往復して、合間に全国回っているのか?

 まぁ文楽の詳細は本書をドゾですが、「文楽の根本は「語り物」だ。舞台の主導権は、大夫さんが握っている。もちろん、大夫、三味線、人形の三者が等しく芸をぶつけあい、融合させて、物語を表現するのだけれど、それらが生まれる源は、すべて大夫さんの語りによっている」という事で、全てが見えてしまいましたになりそーな悪寒(笑)

 その辺が歌舞伎と違うとこらすぃ…極論で言えば、歌舞伎は見るもの、文楽は聞くものになるんじゃね?

 アリス的に、文楽どよ?というと、文楽の本拠地は一応、大坂なんですよねぇ…

 他にアリス的というと、まずは南座(京都)だろか?南座についての詳細は本書をドゾですが、「京都南座では、大夫さんが登場するたびに、客席からさかんに「〇〇大夫!」と、かけ声が飛んだ。東京で文楽を見たときには、そういうかけ声を聞いたことがなかったので、「やはり文楽の本場・関西では熱心なお客さんが多いんだなあ」と実感した」の件かなぁ…オーディエンスとの一体感ってやっぱ東より西の方が垣根が低いと思うんだ(笑)

 後は、海奈良の近松門左衛門キタコレで、本書的には世話物、「女殺油地獄」だろか?所謂一つの不条理殺人、衝動殺人事件みたいなのだが、これは今でもあるかもしれんねぇーなお話かもなぁ…これを書いた近松の先見性というか、現代性ってパネェ…その内アリスも女殺油地獄殺人事件とか、出ないかなぁ(笑)

 近松絡みで、近松作品とは「近松門左衛門のおもしろいところは、稽古してても毎日楽しい。どっちからでも攻められるから。ある程度の狂言てのは、攻めかたがひとつしかないんだよ」(@豊竹朔太郎)とな…作品解釈って…「近松さんの場合は、油断も隙もならんね。やっぱり近松の文章はすごいわ。常に集中してないと。この文章に負けたら大変だと思っているから。もう近松との戦いよ」(@豊竹)という事に中の人的にはなるらすぃ…

 他に作家的には、其日庵先生だろか(笑)その著書「浄瑠璃素人講釈 上下」が凄いらすぃ…本書の著者による其日庵先生語りが面白すぐるので是非本書をドゾ。明治のお人って破天荒な人が多いと思うのは気のせいか?

 文楽あるあるでいくと、上演方式で、通しと見取りがあるとな…「「遠し」とは、ひとつの作品を一日中ぶっとおして、最初から最後までやりますよ、ということだ」そで、「見せ場となる段だけ抜粋して上演する場合は、「見取り」という」になるそな…

 ちなみにこの通しでの場合、一日中とゆー事になるらすぃ…「「仮名手本忠臣蔵」は朝の十時半から上演され、終わるのは夜の九時半なのである!」って、間の休憩時間がトータルで一時間位というから、演る方も見る方も最早耐久レースのノリじゃね?昔の人は気長というか、時間感覚が違っていたんだなぁ…観劇する日は観劇だけする日だったんだろか?うーん?

 後は、文楽の内容はどよ?で、こちらの詳細も本書をドゾですけど、「女性陣がけなげで道理をわきまえたふるまいをするのに対し、文楽の男は感情に忠実で執念深いのだ」って、そーだったのか?文楽の登場人物達?とはいえ、「「日本女性はなでしこのようだ」なんて世迷い言、いったいだれが言いだしたことなんだろうか。はっきり言って「仮名手本忠臣蔵」には、大和なでしこは影も形も見当たりません」って…主義主張ははっきりきっばりとってか(笑)

 ちなみに「「仇討ちバカ」の由良助は、大切な計画が頓挫してはいけない、ということが常に一番に頭にあって、いつでもひとの心を試してばかりだ」というキャラらすぃ…大石内蔵助もそんな人だったんでしょかねぇ?

 他にも「桂川連理柵」とか、「女殺油地獄」とかについての詳細も本書をドゾ。著者の解説、感想が光ります(笑)

 さて、文楽の構成ですけど、「ひとつの演目において、前半は大夫'(が引っ張る)。後半は三味線(が引っ張る)というのが、浄瑠璃の形態だから。そういうふうに曲ができています。力量のある三味線さんに弾いてもらうと、後半は楽ですよ」(@豊竹咲大夫)という事になるらすぃ…そんな訳か「たいていの作品で、後半は曲が派手になっている。手数が多いというか」(@豊竹)という事になるそな…

 また「義太夫節に関してはですね。まず大夫が(詞章を見て)メロディーを考える。それを節づけと言いますけどね。大夫が節づけをして、あとから三味線さんが手をつけた。いまの新作の場合は逆になってるんだけどね」(@豊竹)とゆー流れだった模様…

 更に、「公演を三回やらないと自分のものにはならない、と言うんだけどね。三回やれば、ある程度自分のものになるという」(@豊竹)って事らしーが、だいたい一回の公演が一か月となれば、「本番の舞台を百回ぐらいやってようやく、その演目がある程度は自分のものになる」という世界観らすぃ…大夫ってパネェ…

 それと「文楽には、いわゆる「監督」と名のつく立場のひとがいない。その演目のときの大夫が、演出家的役割も兼ねている。それで大夫さんが、間の取りかたについてなどを人形さんに伝えるらしい。もちろん、人形さんと解釈や思いがちちがうときもある」とな…

 豆知識としては、楽屋編、国立劇場の場合、「楽屋は畳敷で、片側には大夫さんの鏡台が三つほど並んでいる。反対側は三味線さん用のスペースらしく、三味線置き場がやはり三つほどある。大夫さんと三味線さんは、一緒の部屋を使うそうだ。人形さんは人形さんたちだけで、いくつか部屋を割り振られる」という構成らすぃ…

 ちなみに「南座の楽屋は、国立劇場の楽屋よりも、一室あたりの面積が狭いようである」とな…楽屋も色々あるよーで…

 豆知識的に、三味線編、三味線って猫皮だというのは何となく知ってはいたんですが、何と犬皮のもあるのか?本書では練習用の三味線として出てきまする…ちなみにこの皮、ひと月の公演ごとに張り替えていらっさる模様…

 三味線の胴掛、「この胴掛は、こよりを編んで上から漆を塗ったもので、もちろん職人さんの手作り。注文生産で、一つ二十万円ぐらいするそうだ。三味線本体じゃなく、腕を置く部位のみで二十万円~」って…さすが、伝統芸能とゆー事じゃね?しかも「いまでは、「こより&漆」の方法で胴掛を作れる職人さんも、ほとんどいないらしい。早晩、胴掛作りの技術は途絶してしまうだろうとのことだ」って、ドンダケェー(死語?)どこぞの都議会議員達に払う給料があったらこちらに使う方が余程、文化国家日本だと思ふのは気のせいか(笑)

 他に音楽系というと、「舞台下手にも小幕はあるし、その上部には御簾内がある。下手の御簾内は、三味線以外の鳴物を担当するひとがいる場所だ」そな…例えば、太鼓とか、鉦とかとか(笑)「この鳴物担当のひとは、文楽の出演者とはまったく関係なくて、「望月太明蔵社中」という専門集団らしい」とな…鳴物のプロというか、伝統芸能のプロ集団って、色々あるんだなぁ…

 大夫の豆的には、大夫さんはカラオケが上手いんだそな…「カラオケでマイクを握っても、歌詞にただごとならぬ情感をこめて歌うらしい。演歌など歌われた日には、あまりの哀切さに居合わせたものはただ涙、だそうだ」って、ドンダケェー(死語?)大夫って何者?

 豆知識的に文楽的世界では、「昔からすごく合理的で実力主義社会」らすぃ…なので「能や歌舞伎のような「家元」や「家柄」という意識がない」って、そーだったのか?文楽?「国立劇場が「伝統芸能伝承者要請研修」というのを行っているのだが、いまや文楽の世界で活躍中のひとの半分ほどは、この研修所出身なのだ」そな…意外と風通しがいいんだなぁ文楽っ。

 も一つ、お人関係では、「文楽の大夫・三味線・人形に眼鏡をかけているひとが一人もいないのは、「舞台に上がるときは、金気のものは身につけない」という暗黙のしきたりがあるからだそうだ」って事は皆さんコンタクト?

 他にも、自分の出番が終わったら直帰あると思いますじゃなくて、「一応しきたりとしては、長老格の大夫さんの出番が終わるまで、楽屋で控えていることになっているらしい」とな…年功序列というか、上下関係というよりも、その芸を盗めの世界らしー…本物を直に知れって事か…

 後は、観劇しての著者の素朴な疑問がおりにふれて出てくるんですが、それがツボ(笑)例えば「「三本の矢」じゃないけど、組織を束ねる立場のおっさんって、どうして妙なたとえ話が好きなんだろ。しかもまずは若者に、「このたとえの真意がわかるか」と聞かずにはいられないんだろ」の件は、新入社員は皆思っている事じゃね(笑)

 まぁ何にしても、人形師でも足で十年、左で十年で、主遣いになるには最低二十年やらないとなれないんじゃねの世界で、どっひゃーと思っていたんだが、大夫も「四十ぐらいまでに、義太夫道の一般常識が身につくもんで、そっからだからねえ。人生の経験を含めて、そっからスタートだから。六十になったからって、急にやれる商売じゃないから」(@豊竹)とゆー、実に長丁場なお仕事なんである…下積み20年で初めてスタートラインに到達となると、これはもー一生もんだよねぇ…石の上にも三年じゃなくて、二十年?更に倍率ドンみたいなノリなのか?

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。最後に個人的に本書で一番なるほどと納得したところ…それは「女殺油地獄」は初演だけで、昭和になるまで再演されなかった演目らすぃ…それは何故か?というミステリーの一つの推測の件なんですが、「僕の友人が、大変おもしろいことを言いだしてね。油ってのは、ものすごい利権があるんだってね。江戸時代には、お米の次に油で、油カス売っててももうかった。それでどうも竹本座に対して、「「油地獄」は石油連盟のイメージを損なう」と…」(@豊竹)「゛こういうの(油屋で陰惨な殺人事件が起きる芝居)をやられては困る。切符買いませんよ」と言ったんじゃないかと。そういう新説を言ったひとがいました。」(@豊竹)って、まさに、今でしょっ(死語?)もありがちな話のよな(笑)そゆ事なら、新作文楽で、「住民殺原発地獄」とか上演したら、凄いよなぁと素直に思ふ(笑)どこぞの電力会社及び原子力村は如何に如何に(笑)

 目次参照  目次 文化・芸術

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