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2016年12月31日 (土)

たいとひらめとぐるくんと(笑)

海上の道  柳田国男  角川学芸出版

 所謂一つの小論文集でしょか?うーん…民族学か、文化人類学か、そこが問題だってか(笑)それにしても、「戦前はアメリカ風の「文化人類学」などとは言わず、ドイツ風の「民族学」という呼称がふつうだった」と解説で中沢新一が語っているんですが、そーだったのか?民族学?トーシロには民族学と民俗学もどよ?だもんなぁ…

 まぁ困った時は目次に逃げろで、「海上の道、海神宮考、みろく船、根の国の話、鼠の浄土、宝貝のこと、人とズズダマ、稲の産屋、知りたいと思う事二、三」なんですが、まさにそーだったのか?日本の羅列かなぁ?

 読んでみると身近な非常に小さな事から、この国の起源とゆーか人類史じゃねな壮大なスケールまでにおよんでいて、世界は広いってか?それにしても、これ著者晩年の作でして、いやぁこれだけでも凄い…著者の年齢的にもだけど、時代的にもとゆー事になるらすぃ…

 というのも南方起源説は当時的に、戦後「南方に展開された日本人による民族学なども植民地主義に便乗した学問的侵略として、まことに肩身の狭いものになってしまった。こうしてしばらくの間、日本人の起源を南方に求めるこの種の探求は、なかば封印されてしまう状況が続いていたのだった」(@中沢)って…さすが戦後民主主義(笑)学問の自由パネェ…かくて「かわって読書界で流行したのが「騎馬民族説」である。民族学者の江上波夫らによって主張されたこの学説は、日本列島の先住民が騎馬の軍団とすぐれた鉄の武器を携えた北方からの移住者によって征服されることによって、日本という国ができたことを主張した」(@中沢)とな…しかもそれは「騎馬軍団の遺構や征服戦の跡が発見されていないなど、考古学的にはきわめて薄弱な根拠しかもたない説であるにもかかわらず、この説がいっとき一世を風靡したのは、戦後アメリカの占領下にあった日本人の自虐心情が映し出されている」(@中沢)という事になるらすぃ…

 そゆ空気感の時に、著者は南方論を展開して提示してみせたとゆーから、まさに当時的にはドンダケェーどころの話じゃなかったんじゃね?らすぃ…

 しかも「そのさい柳田國男は世間でよく言われているような、朝鮮半島からの移住者が、最初の稲作の技術をもたらしたという説をとってない」(@柳田)とな…著者が見つめた先は、「日本列島における稲作が、稲作技術そのものの発祥の地である、揚子江下流域から直接にもたらされたと考えたのである」(@中沢)ですけんとな…

 当時では大胆不敵とゆーか、画期的な説ですが、現在の発掘調査から稲作発祥の地、「東アジアにおける稲作のはじまりは南中国にあり、それをになった先住民はおそらく今日の少数民族の苗族である」(@中沢)なんだそな…

 まぁ更に現在ならばDNA鑑定からも見えてしまいましたもあると思いますだろしなぁ(笑)まっそれもともかく、これは日本という国、民族に対する壮大なロマンじゃね?と思ふ(笑)しかもただのメロドラマじゃないとこがパネェでござるで、熱意にうたれても感情には流されない著者の気迫が全面に繰り出されているよな(笑)

 アリス的には、地理的にはラフレシアかなぁ?沖縄的に…よーするに島づたいに南から来たんじゃね?とゆー…しかも日本の南北の交通は「後に使わなくなった東海岸を余計に使っていたのではないか」と著者は推測しているんですよ、奥さん(誰?)

 ちなみに「日本では首里と那覇を中心点と見ることに決めてしまったので、東海岸の文化や言葉は後になって変化したものだと考えている」って、そーだったのか?沖縄?よーするに鹿児島から下のあの島々は西海岸派と東海岸派があったんじゃね?とゆー事らすぃ…

 「日本人が主たる交通者であった時代、那覇の港が開けるまでの間は、東海岸地帯は日本と共通するものが多かったと想像できる」そで「言葉なども多分現在よりも日本に近かったのだろうと思う」とな…とゆーのも「首里那覇地方は一時盛んに外国人を受け入れて、十ヶ国くらいの人間がいたというから、東側とは大分事情が違うのであった」とな…そーだったのか?メ〇ケル(笑)

 時間スケール的には「那覇を開いたのは久米島の方を通ってくる北の航路が開始されてからであるが、それは隋時代とされている」ってか(笑)まさにドンダケェー…(笑)

 まっ戻って言葉的に、沖縄の言葉ってこちらからするとずぇんずぇん分からないのが普通だと思っていたら…「最初は日本本土の人が移住したのではないかと思うほどこちらの言葉によく似ていた」「もともと内地のことばとそう変わっていなかったということに勘づいた。東海岸と西海岸はいくらも距たっていないけれども、文化発達の経路が違うために言葉や住民の構成などが異なっているのである」とな…ちなみにこれ戦後の話ですから…ホンマでっかぁーっ?そーなると、こちらからあちらへ訪う時は、どの島でも東海岸の方が話は通じやすいって事なんだろか?うーん…

 まぁ「四面海をもって囲まれて、隣と引き離された生存を続けていた島国としては、この海上生活に対する無知はむしろ異常である」とな…しかもこの後に続いて「いよいよその様な気楽なことを、言ってはおられない時代が到来して」の件は、何かまさに今を見据えての発言のよな…今でしょっ(死語?)とはこの事じゃね(笑)

 沖縄的にどよ?では「沖縄神道史の特徴として、何よりも目に着くのは荒懸かり 、または新神とも荒神ともいう神の出現である」そな…これは「予期せられざる神の来臨が、稀ならずあったことを意味し、言わば信仰の最も活気ある部分であったように思われる」とな…ついでに言うと「ともかくもアマミヤ世の遠い昔から、アマミは一つの海の国の名であった。本州ではこれを南の島の名とし、沖縄ではまたこれを隣の島の名としていたことに不思議は無く」とな…まっ「海をアマといい、天をアメという二つの日本語」からもお察し下さいってか?各島々の神話系も複雑なのか?単純なのか?それが問題だのつながりがありそーじゃね?

 西南の島々については色々ありますが、中でも宮古島がパネェ度高いよな?「いわゆる琉球三十六島の中でも、宮古は異常に歴史の進化の歩みが激しく、しかも天災地変の圧迫が強烈であって、人は悩みかつしぱしぱ入れ替わり、従って言語文物の錯雑が著しいこと」って…そーだったのか?宮古島?

 で、更に「浅ましいまで烈しい闘諍の数々が、久しい歳月を越えてなお記憶せられていた。器量骨柄が尋常を絶した人々も、一代の間にはこの小さな島さえ統一し得ず、次々と衰えて子孫は永続しなかった」「一方にはやや大きな隣島の懐柔に服し、他の一方にはより弱き島々の隙を狙って、仲間争いの焦点を外に移そうとした計略などは、かつて沖縄本島でも試みられ」って…凄いな琉球史、さすが平和の島々は歴史が違う…赤峰本瓦の乱etc.とかマジ歴史についてのそれは本書をドゾ。

 他に与那国の南島の炭鉱?西表炭鉱の件も何だかなぁ…「島の人たちはちっとも来て働こうとしないので」労働力不足に、「囚徒を入れまた浮浪者や貧窮人」を導入すれば治安がどうなるか?は後は分かるなの世界か…

 も一つ、昔話的には、猿が亀に乗って「得々として海の都に行く絵様」があるらすぃんだが、「ところが誰でも言っているごとく、沖縄諸島には猿という獣はいない」とな…そーだったのか?沖縄?蛇とマングースはいても猿はいないのか?何か猿って南のイメージだったが…そんな訳で、この昔話はどこから来たんだぁーって事にもなると(笑)

 昔話つながりで、なるほろなとこでは「人が何万何十万とある中に、そのたった一人が選ばれて、そういう幸福の国へ遊びに行くことが出来た理由は、説明を求められるのが自然である」とな…「その説明には二つの方向があった」そで、一つが「当人にそれだけのねうちがあったこと」、も一つが「何等かの功労によるもの」とな…成程、選ばれし者だったのにぃーってか(笑)ファンタジーとは昔話であったのか(笑)

 こちらはもー神話か伝説みたいなノリだと思われだけど、「アマミキョは天に禱って、鷲をニライカナイに遣わし求めさせたら、三百日目に三つの稲を咳えて還って来た云々と「御規式之次第」にはあり、奄美大島の方では鶴がその稲穂を持って来たことになっていて、伊勢の神宮の周辺にあったという言い伝えともやや接近している」って、鳥が草木咥えて帰って来るパターンで全世界的にはありなのか?鳩がオリーブみたいに?

 後、沖縄貿易史的なとこでは宝貝、子安貝の件で、「宣徳九年(一四三四)という年に、明の朝廷に輸送せられた琉球の貢物目録には、海巴五百五十万個という大きな数字が見える。これは恐らく一年ばかりの特例ではなかったろう。率直な言葉でいうならば、沖縄ではこれより以外に何一つ、あちらに無いものは出せなかったのであろう」とな…よく言われる仲次貿易とゆーのも、自分とこで宝貝とって、それ持って西南の諸国で「蘇木胡椒等」と交換して、それを売ったとゆー…ある意味ベネチア商人みたいな事していたのか?もしくは三角貿易みたいなノリだろか?まっ宝貝の価値が高い時はいいけど、貨幣価値とゆーか、貨幣として通用しなくなったら、これも皆まで言うなか…

 後、豆知識的には、「旭日が昇って来る方角に、目に見えぬ蓬莱または常世という仙郷のあると思う考え方は、この大和島根を始めとして、遠くは西南の列島から、少なくとも台湾の蕃族の一部までに、今日もなお分布している」とな…西方浄土ならぬ、東方仙郷ってか?

 豆知識的と言っていいのか?日本の年号…それにしても昔は「後代は革令革命の理論に基づいて、定まった年次にそれが行われていた以外、大抵は何か望ましらかぬ異変があった次の年に、改元があるものときまっていた」って、そーだったのか年号?

 まっ上はそんなとこだったらすぃが、下もそんなもんで「応仁の乱後、世上が極度の窮乏と動揺の底に沈んでいた際に、弥勒の信仰が突如として目ざめて来たらしく、弥勒二年という私年号が、弘く東国の各地に使用されていた証拠がある」そな…「弥勒という年号などは、京都の教養人にはもとより意外であり、また滑稽でもあったろうけど、これがあるためにこの種の他力信仰の時代色、もしくは中心とも根源とも名づくべきものが、少しずつ模索していかれるのである」って、そーだったのか?弥勒?となると差し詰め弥勒2.0か?まさに今でしょっ(死語?)まっでもよくない事があった翌年に改号していくなら、21世紀なんて毎年じゃね(笑)

 更に豆知識的なソレで、伊勢の御師とか有名ですけど、鹿島にも御師があったのか?てゆー事は全国の有名どこの神社には皆それなりにいますたになるのかなぁ?まぁそれはともかく「伊勢の御師などは最初から、札配りが言わば表の任務で、祈祷はただ取次をするのみだったのに反して、鹿島の御師は事触の名が示すごとく、もとはこの二つのほかに、なお路頭の託宣を公認せられていて、到るところの辻々の群衆に対して、次の年の吉凶禍福を、神の言葉として触れあるいていたようである」って、そーだったのか?鹿島?

 も一つ、日本人というと米、米、米の国民かと思っていたら、「日本の古来の農村でも、米は重要なる食料という意味で、主食ということは出来たか知らぬが、常食ということは事実に合しなかった」そで…五穀豊穣ってか?

 後、豆的とゆーか、へーへーへー的とゆーかで「今から千年あまりの前までは、日本は頸飾りの最も普及した国だった」って、ホンマでっかぁーっ?

 他に、著者的ご意見として、漢字に対するソレも何だかなぁ(笑)「多数帰化人の文字の知識を重用して、国の口語の相応に発育し複雑化して後まで、なお久しい間自分の表記法を設定せず、いわゆる万葉式の不自由極まる書き方を、最近の候文時代まで、守りつづけていた公けの過失のためであった」って…よーするに音に簡単に漢字あてはめてんじゃねぇとゆー事らすぃ…ネは根にあらずってか?

 ちなみに「日本は不思議に意味の取りにくい古い地名が多く、これを北隣のアイヌ居住地の、ほとんど片端から命名の動機の明らかなのに対照して、ことに理由を知るのに苦しむことは、ずっと以前に神保小虎博士も強く説かれた」とな…そーだったのか?地名?ってゆーか、この辺りアリスが好きそー(笑)

 まぁ本書、何が凄いって、その姿勢だろなぁ…解説的に言うならば「客観的な世界史から見たら(そんなものが存在すればの話であるが)、おそらくそれは矛盾だらけである。しかしじっさいの世界は、そういう「内在から理解された」複数の諸歴史でできている。その意味では、単一の視点からとらえられた「世界史」などというもののほうが、よっぽとフィクションなのである」(@中沢)とな…正義とは何か?ってか(笑)

 でもって著者的なソレでいくと、「よその国の現状を熟知し、それを同胞の間に伝えることをもって、学者の本務の極限とするような、あわれな俗解はこれで終止符を打たれるだろう」じゃまいか…で、「京人の知識は昔も今のごとく、むしろ文字を媒として外国の文化に親しみ、久しく眼前の事実を看過して、ただ徒に到来の記録の、必ずしも正確豊富でないものを捜索していたことは、独り椰子の実の経験ではなかった」とな…そーだったのか?准教授、もといフィールドワークってか(笑)

 も一つ付け加えると「学問の中心は必ずしも京華文雅の士の、間にのみは存在しなかったということである」じゃね(笑)まっこれを学者先生自身がおっさるとは(笑)

 とはいえ、「夢かも知れないが将来の民族学が、一般にこの一国民俗学の方法を採って、隅々の埋もれたる真実を、少しの疑いも無いものにする時が、やがては到達するであろうことを、実は私たちは予期している」ですから、前向きに(笑)まっこの位ポジティブじゃないと学問なんてやってらんないだろぉなぁ(笑)

 まっ大晦日ですので、明るくポジティブに、日本には海の道がある、ニッポンの夜明けじゃあぁぁぁーっで(笑)と毎年初日の出キタコレってか(笑)ええ、おわりなきよのめでたさよなんでございますよ、おぞーさん(誰?)てな訳で、時代は東海岸か(笑)

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。個人的に、なるほろと思ったのは、「日本の昔話の竜宮には竜はいない」でしょか(笑)「そうしてしばしば乙姫様という美しい一人娘がいる」とな…まっ男のロマンとしては、龍より美女じゃね?じゃね(笑)本当にありがとうございました(笑)

 目次参照  目次 文系

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