« バックレる(笑) | トップページ | 五風十雨♪ »

2017年1月19日 (木)

倜儻不羈っ

この国のかたち 一  司馬遼太郎  文藝春秋

 所謂一つのエッセイ集だろか?日本昔話じゃないけど、日本昔エッセイだろか?何とゆーか、究極の温故知新みたいな(笑)ですかばーざぱんってか(笑)

 そんな訳で、まずは日本の古代ってどよ?で「どうして大和政権が、古代日本の代表的な勢力になったかについても、わからないのである」そな…何か色々うごめいて不明点多しなのに、七世紀になったら「あっというまに、大和政権による統一性の高い国家ができてしまうのである」って、当時的にはホンマでっかぁーっ?だよなぁ(笑)

 とはいえ、一夜にして成るパターンは「一八六九年(明治二年)の版籍奉還」も同じじゃね?って事で、これが日本のパターンなのか(笑)何とゆーか、外圧にはまとまって対応するとゆーのが習い性らすぃ(笑)明治の時には欧米列強が、古代の時は統一王朝隋勃興キタコレってか(笑)

 そして一丸とになって、外のものを取捨選択して取り入れて対応、対抗するとゆーのもこれまたいつものパターンらすぃ(笑)かくて古代には「律・令・格・式」キタコレになるけど、科挙とか、宦官はいらねって事になった訳で(笑)「さらに大きなことは、面としての儒教を入れなかったことである」じゃね(笑)よーするに「日本における儒教は多分に学問…つまりは書物…であって、民衆を飼い馴らす能力をもつ普遍的思想(儒教だけでなくキリスト教、回教など)として展開することなくおわった」とな…

 それなら仏教はとゆーと「六、七世紀の日本に入った仏教は、インドからみるとふしぎなものだった。隋唐で成立した鎮護国家の仏教であって、あくまでも王朝や氏族を守護する効能としてのものだった」そな…仏教って何だっけ?何だっけ(笑)

 よーするに「民衆個々を骨の髄まで思想化してしまうという意味での作用はもたなかった」とゆー事らすぃ…つまるとこそれは「日本人は、いつも思想はそとからくるものだと思っている」に尽きるんじゃねって事じゃまいか(笑)

 日本人は思想化しない、でも思想には憧れるぅーっと(笑)「歴世、輸入の第一品目は書物でありつづけた。思想とは本来、血肉になって社会化されるべきものである」でも、「日本にあってはそれは好まれない」とな…でもでも「思想書を読むのは好き」って…

 これが本当のオンリーインジャパンじゃねと思うのは気のせいか(笑)

 アリス的には、同じ作家、同じ大阪って事で司馬遼どよ?

 なるほろ、古代では、もしかして意味深なのか?の「古代日本にまっさきに入ってきた"中国文明"は、のちの隋・唐よりも、六朝文化だった。これは後世への文化遺伝の因子として決定的だったのではないか」じゃまいか(笑)なるほろ、呉ってか(笑)そんな訳で、後の公家まで「たっぷり六朝ふうだった」になった模様(笑)

 そして「仏教は、飛鳥・奈良朝においては、国家統一のための原理だった」とな…華厳経や廬舎那仏や聖武天皇についての詳細は本書をドゾ。

 なるほろ、平安時代では、女真族の襲来、被害は日本でも受けていたと見えて1019年3月末から4月にかけて、「「刀伊」という正体不明の異族が襲来した」そな…この刀伊が「満州東部の女真族であったことは、まちがいない」そで…「刀伊は五、六十艘の船でやってきた。襲撃をうけたのは津島・壱岐、それに博多湾とその沿岸地方で、殺された者三六五人、連れ去られた者一二八九人、それに牛馬は三八〇頭だったという」とな…当時の人口比率から考えれば、莫大な被害と言っていいお話らすぃ…大陸ってもしや拉致誘拐が伝統芸能なんでしょか?

 平安初期の仏教では、天台・真言キタコレですけど、これらは「体系としては魅力的なものだったが、王朝貴族たちはこの二つの体系に対し、本来の仏教をもとめず、現世利益を願う祈祷をせがみつづけ、天台・真言もそれに応じつづけたために、高度な宗教性をうしない、鎌倉の新仏教に光彩をゆずらざるをえなかった」になるのか…理想は高くとも現実はいつも厳しーってか…

 なるほろ、鎌倉では、他の東アジアと歴史の趣きが異なるのは「鎌倉幕府という、素朴なリアリズムをよりどころにする"百姓"の政権が誕生したからである」そな…ある意味、これが日本の「誇り」らすぃ(笑)恥の概念ってここから来たよぉー(エコー付/笑)なのか(笑)

 なるほろ、戦国時代では、信長って日本には珍しい独裁者かな?かな?で結果アレになったんじゃね?なお話の詳細は本書をドゾ。まぁ日本の場合、独裁者になると殺されるというのがパターンらすぃ…この後の例としては井伊直弼キタコレってか…

 ちなみに「戦国時代の幕開けは、北条早雲からといわれる」だそで、「それまでの室町の守護・地頭が、行政なしの徴税のみの存在だったのに対し、領民の面倒のいっさいを見るという支配の仕方」を始めたのが早雲とゆー事になるそな…こちらの詳細も本書をドゾ。ちなみに「近世というのは、豊臣秀吉が全国の想から武器をとりあげて(刀狩り)兵農分離させたところから出発する」になるらすぃ…

 まぁ民政を始めたのが早雲とゆー事になって、これが全国区的に影響を与える現象となっていった模様…どのよーにはいずこの国も皆それぞれにですしおすしですけど、明智光秀や石田光成父子とかは経済学部的に、武田信玄や加藤清正は工学部的に領地と領民に対処したとゆー事になるじゃまいか?とな?

 ちなみに農業土木という言葉は、外国には「言葉もそういう学問の分野もないという」って…ホンマでっかぁーっ?なるほろ、この単語があるだけで、日本の国の人だものが端的に分かるんじゃまいか(笑)

 ある意味鎌倉以降、特に戦国以降はリアリズムきたこれだったんでしょかねぇ(笑)形而上学じゃメシは食えんてか(笑)

 なるほろ、江戸の場合では、江戸時代では官学が朱子学ですが、何か?だったけど、「江戸中期、多様な思想が出てきて、朱子学が唯一のものではなくなった」のでごじゃりますの世界だった模様…むしろ官学なのに朱子学攻撃されているしって…

 江戸の経済では、赤穂の塩キタコレってか?赤穂浪士の方ではなくて、お塩の方…当時から赤穂塩と言えばブランド塩で、「全国に流通していた」とゆー江戸の流通キタコレってか?

 それを言うなら、サブカルもじゃね?で「大坂や江戸で劇場がさかえ、相撲が常設的に興行化されていた」訳で、しかも「これらがすべて-貴族の保護によるものでなく-大衆の木戸銭で運営されていた」事じゃまいか(笑)日本のパンピーなめたらあかんぜよってか(笑)

 そして、江戸の思想人達もパネェでござるらすぃ(笑)「荻生徂徠は中国の儒教学説を信ぜず、モノやコトを合理的に見なおすことによって儒教をあたらしく世間把握の学問に仕立てなおした」そだし、「安藤昌益は、太平洋航路をつたって南部藩に入ってきた商品経済が金貸しを生むことによって自給自足農民が落ちぶれてゆく状態を見、社会のしくみを病理解剖学者のような態度で腑分けした」し、三浦梅園は「独自の弁証法的な論理学を展開した」そで、他にも富永中基の大乗仏教って後出しじゃんな説とか、山片蟠桃の「夢の代」とか、論理的でいこーってか…まぁある意味、江戸にも近代はあったけんの世界が展開していた模様…宗教権威の否定、科学的合理主義、人格の自立性、人間主義がここにもあるとな…

 江戸の人を知るでは、「日本語をみがく教範として武士階級は謡曲をならい、町人階級は浄瑠璃をならいつづけたこと」だそな…何事もまず母国語ができんと、世界でも通用しないとな…

 後は、軍隊ではなく組なんだそな…「戦国以来、江戸期の幕藩に定着していた軍制では、軍の組織単位は「組」だった。例としてあげるならば、先手組とか、鉄砲組とか、更に新選組とか(笑)そゆ点では、長州の奇兵隊の隊って何よ?とゆー事になるらすぃ…「当時の長州人は、多くの漢字の中から使用頻度のすくない隊というめずらしい文字をさがしてきて、この辺りしい仲間組織の概念名称とした」のだそで、この辺りに長州人気質が出ているんでしょかねぇ?とゆー訳で、隊の起源は長州らすぃ(笑)

 江戸人の感覚を知るでは、「天下は天下のもので、徳川家の私物ではないという思想をもっていた」そな…だからこそ、あっけないまでも簡単に大政奉還キタコレにもなったらすぃ…なるほろ、カエサルのものはカエサルへですね、分かります(笑)

 なるほろ、明治では、維新とは何か?で「革命思想としては貧弱というほかない」じゃまいか?とゆー事らすぃ(笑)「スローガンは、尊王攘夷でしかないのである」って、そんな身も蓋もない(笑)「フランス革命のように、人類のすべてに通ずる理想のようなものはない」って…もしかしてはいここわらうとこなんだろか…まぁ攘夷なのに開国ですからぁー残念ってか(笑)

 意味深というか、今でしょ(死語?)なとこでは「人間というのは、よほどの人でないかぎり、自分の村や生国に、自己愛の拡大されたものとしての愛をもっている」そな…母校愛とか、地元愛とか(笑)「社会が広域化するにつれて、この土俗的な感情は、軽度の場合はユーモアになる」そな…ところが「重度の場合は血なまぐさくて、みぐるしい」ものになっちゃうよって、それって、どこかのくnゴホンゴホン…ちなみに「単なるナショナリズムは愛国という高度の倫理とは別のものである」そな…

 そして「ナショナリズムは、本来、しずかに眠らせておくべきものなのである」そで、「わざわざこれに火をつけてまわるというのは、よほど高度の(あるいは高度に悪質な)政治意図から出る操作というべきで、歴史は、何度もこの手でゆさぶられると、一国一民族は壊滅してしまうという多くの例を遺している」って、それってまさに今でしょ(死語?)じゃねどこかのくnゴホンゴホン…

 思想的なとこでは、「革命政権というのは革命思想を守るものなのである。あとからきた思想は、当然危険思想あつかいにされてしまう」って…革新と言って一番古いのはおてめぇだってコレ如何に…「とくに維新後、尊王が拡大され、イデオロギーの常として、善玉と悪玉が設けられた。マルキシズムもふくめて、イデオロギーが善玉・悪玉をよりわけたり、論断したりするときには、幼児のようにあどけなく、残忍になる」の件も、自分(達)だけが正しいって信じ込むのは、もしかして世界で一番甘い毒なんだろか?

 明治人もいぱーいいるけど、やっぱ物事、器じゃね?になるんでしょか?そゆ訳で山県有朋は「テゲがなかった。陰湿な部内策謀力をもち、自分を頂点とする権力構造をつくるについては名人だったが、自分自身を象徴化する人格のもちぬしではなかった」そで、細部まで指図し、「人を竦ませるようなところがあった」お人だったらすぃ…それにしても、山県をよく言う人にはあった事がないんだが?知れば知る程、いいやつの対極にいるよーな人物だったよーで…まっこちらの詳細も本書ドゾ。

 元、佐賀藩士、大隈重信の場合も、何故に早稲田を創立したか?ある意味アンチ佐賀藩校だったかもねかもねってか?こちらの詳細も本書をドゾ。ちなみに江戸期では「大藩より小藩のほうが精度の高い学問をした」そで、「江戸末期の蘭学をになったのは、多くは越前大野、石州津和野、備前大村、伊予宇和島」の出身者とな…

 なるほろ、日露戦以後では、「戦争の実相を明かさなかった政府の秘密主義にも原因はある」けど、民衆、国民を「煽るのみで、真実を知ろうとしなかった新聞にも責任はあった。当時の新聞がもし知っていて煽ったとすれば、以後の歴史に対する大きな犯罪だったといっていい」って、今も昔の新聞社って…メディアの責任感の欠如は伝統芸能だったんだなぁ…

 そして、もう一つの諸悪の根源は「参謀」じゃね?とゆー事になるらすぃ…関東軍の参謀の独走、そして東京の参謀本部の暴走…参謀という「得体の知れぬ権威を持った者たちが、愛国的に自己肥大し、謀略をたくらんでは国家に追認させてきたのが、昭和前期国家の大きな特徴だったといっていい」だそな…犯人は貴方ですってか(笑)

 参謀とは「他者からみれば無限にちかい権能をもちつつ何の責任もとらされず、とりもしないというこの存在に対して、しばしば悪魔!とよんで絶句された」存在だったらすぃ…中の人にも忌み嫌われていたとゆー事か…責任を取らないトップ集団って、まるでどこぞのフクシマのよーじゃまいか?と思うのは気のせいか?

 「明治憲法はいまの憲法と同様、明快に三権分立の憲法だったのに、昭和になってから変質した。統帥権がしだいに独立しはじめ、ついには三権の上に立ち、一種の万能性を帯び始めた。統帥権の番人は参謀本部で、事実上かれらの参謀たちはそれを自分たちが"所有"していると信じていた」って、ホンマでっかぁーっ?何事も正義だと狂信する人達が一番アレな気がするのも気のせいか…

 更にこの参謀という名のメンバーズ・クラブは、統帥参考とかの「最高機密・門外不出」の本を出していた模様…で中身はとゆーと「われわれの職務だけが憲法外におかれている」とした模様…「国民にはむろん洩らすことはなかった。しかも敗戦のとき、敵にも後世にも知られぬように配慮したのか、かれらの手で一冊のこらず焼きすてたのである」って…どこまでも責任を取らないその態度、そこにしびれるあこがれるぅーっ(笑)

 よーするに「昭和十年以後の統帥機関によって、明治人が苦労してつくった近代国家は扼殺されたといっていい。このときに死んだといっていい」になったらすぃ…

 後、日本の統治、もしくは統治者のパターン的には、独裁者とか、専制者とかじゃなくて、たいていいつも合議制的なそれじゃね?らすぃ…でもって、この手の独裁が強い人が出てくると、一早死に、二暗殺の2パターンのいずれかで、歴史上からさっさとご退場とゆー事になるのが鉄板とな(笑)例としては、後醍醐天皇とか、織田信長とか、井伊直弼とか…平安からずっと「君臨すれども統治せずという伝統」が、日本のジャスティスってか(笑)そんな訳で、天皇もいれば、将軍もいるし、その他諸々もいるよってゆー…ある意味、日本程、ヒーローとか、リーダーシップとかから離れてナンボの国もそーはないのかもしれないのだろか?

 さて、中国史キタコレでは、春秋戦国の場合「諸子百家の思想群が、やがて儒教の勝利になり、国教化した」となるらすぃ…

 それにしても中国と儒教の因縁は物凄く深いのだなぁとこれが延々と今でしょ(死語?)まで続くのだから凄いとしか言いよーがないよな?そして「儒教は地域を公としない。孝の思想を中心に、血族を神聖視する」そーですよ、奥さん(誰?)

 中国古代と稲作の関係では、「稲作民族は、中原からは異民族とされ、たとえば孔子の時代は荊蛮などいわれた」とな…

 宋の場合は、「対異民族問題のために終始悪戦苦闘した漢民族王朝下での所産で、思えば、宋ほど政権としてあわれな統一王朝はなかった」って、そーだったのか?宋?ちなみに宋学は「朱子によって大成し、精密化された。以後、元・明・清においては、科挙の試験は朱子学によるべきものとされた」そで、「やがて朝鮮において」もそゆ事になるらすぃ…ちなみにちなみに「朱子学の理屈っぼさと、現実より名分を重んずるという風は、それが官学化されることによって、弊害をよんだ」の件はともかく「朱子学を唯一の価値とした朝鮮」って…ホンマでっかぁーっ?とゆーより、今となるとなるほろな話なのかのか?

 女真族についての件もなかなかにアレかなぁ…「ある時期の漢民族にとって夷の代表だった」そな…「東北地方(満州)に住み、よく人を攫った」「本業は騎馬による狩猟で、その体は頑健というほかない。三日も食べずに騎走できるといわれた」って、ドンダケェー(死語?)豚肉を食べ、「ハッタイ粉を水でこねたものを食べ」ていたそで、農地も持っていたそな…ただし「耕作を厭い、隣接地域から人をさらってきて、農作業をさせることがしばしばだった」って、これまたドンダケェー(死語?)よーするに、略奪が国是もとい民族是ってか?

 ちなみに女真族の名称は色々あって、「ジュルチン」「ジュルチ」とも呼ばれていたそで、「紀元前は粛慎とよばれた」そで、「三世紀の頃は挹妻または勿吉」で「髄・唐時代は靺輵」と色々と変遷してきている模様…昔の名前で出ていますってか?

 採集生活、河川漁業に山林狩猟、「低地に穴を掘って住み、その上を樹皮による三角錐状の屋根でおおう」居住生活、「「人尿で手や顔をあらう」」(「魏書勿吉伝」)って、ホンマでっかぁーっ?「十世紀ごろから、いまの遼寧省あたりに住んでいたグループは中国文化にふれることで半農化し、熟女真などとよばれた」そな…そして詳細は本書をドゾですが、12世紀「金という強力な女真人の帝国が興り、華北を侵したのである」とな…

 当時、中国的には宋の時代でしたけど、「つねに金帝国に圧迫されつづけ、一一二六年、ついに滅亡した。以後、南に遷り、南宋としてつづき」となったとな…

 そんな、南宋の時代背景からキタコレになったのが「宋学(とくに朱子学)における尊王攘夷思想」とな…この攘夷の夷は言うまでもなく女真族、金帝国じゃねって事らすぃ…でもって、そんな「金も宋もやがて北方のモンゴルによって前後してほろぼされる」って…ちなみに「女真人はふたたび東北の山林や河川に帰り、古代以来の暮らしに戻った」とな…

 振り出しに戻るでおしまいといかないのが歴史の凄いとこだよなぁ…時は巡って17世紀、゛女真人はふたたび雲が湧くように興って清という征服王朝を樹てるのである」って、因果は巡るってか?「人口わずか五、六十万、兵として動員できる数は十数万ぐらい」の清が明を倒して「中国を支配することになる」のが、日本でいうと江戸時代初期とゆーから、中国って…

 さて、そんな清朝も末期は、「英国をはじめ欧米列強の言いなりになって、多くの土地を割き、利権をわたし、このため中国は半植民地化した」になっていた模様…

 そして1911年清朝滅亡…その後中国で「各地に軍閥が割拠し、たがいに古代の王族のように私を張りあった」とな…

 も一つ、買弁キタコレでしょか?既に死語(?)らすぃのだが、「簡単にいえば中国に進出していた西洋の商社や銀行の現地支配人のことだが、時代によって内容がちがう」のだそな…「最悪になるのは英国がアヘン戦争の果実として、中国における圧倒的優位権を軍艦コーンウォリス号の艦上で確立した南京条約(一八四二年)のあとである。この条約によって買弁たちは清朝という自国の拘束から離れ、意識として無国籍人になった。というより西洋や軍閥の手先になり-すこし強くいえば-中国という生体を食いちらす豺狼になった」とな…いつの世も、身内の裏切りが一番アレなんですけど、これ絶対、今の中国人は認めないだろーなぁ、中国って身内によって売られたんだよっとはとは…

 半島の場合…韓国語・朝鮮語で「オランケというのは女真の一派の野人女真のことをさす。ときに女真族一般への蔑称、転じて野蛮人というふうにつかわれたりした」そな…

 そゆ訳で「近代までの朝鮮人は、みずからが文明(華)であることに自足し、それらを誇り、また華であればこそ世の秩序もおだやかであるとしてきた。ひとつには北方にそういう具体的な夷-おそろしい者たち-がいたから、より一層"華"たらざるをえなかった。恐らく思弁性においては中国以上に"華"だったろう」だそーですよ、奥さん(誰?)

 さて、朝鮮半島では長年、女真族の事を蛮族、オランケと呼んで化け物扱いして、北方の脅威の夷としてきましたが、何か?だったのに…中国で清キタコレとなっちゃったと…よーするに「朝鮮にとって"オランケ"が華になってしまったのである。この間、李氏朝鮮ほど苦しんだ国は、世界史にもめずらしい」とゆー事になそな…

 それまで「朱子学一色である李氏朝鮮は、明の皇帝に対し、礼教をもって事えてきた」とな…「礼教としての"本家"であるため、明は"分家"を搾取することは原則してなかった。むしろ、"本家"であるがための持ち出しが多かった」って、これも伝統芸能か…

 ちなみに「女真(清)は力をもって朝鮮に服従を強い、明との関係を断つことを求めた」そな…かくて朝鮮半島でも尊王攘夷キタコレになる模様…面従腹背ってか?詳細は本書をドゾですけど朱子学パネェ…

 そして「清の世になると、朝鮮は清朝に対して前代の明朝と同様、これを「天朝」ととなえ、清国皇帝に手厚く事えた」とな…勿論「内々においては清朝をもって夷狄とののしり、また女真風に辮髪させられている中国人民についてはこれを「犬羊」であるとした」とな…

 うーん、朝鮮半島から見た、中国、女真族、皇帝、華というのもの捉え方が如何に凄いかについては本書をドゾ。ねじれ国会なんて足下にも及ばない腸ねん転具合でございます…朱子学パネェ…

 ちなみに「朝鮮にとって尊王の王は(思弁的な屈折はありつつも)清国皇帝のみをさすのである。日本の場合は、当時の朝鮮からみれば恥知らずにも自国の天皇をさしている。日本に礼教という秩序感覚はないのか、というのが明治政権成立早々の朝鮮側の不快と不満だった」そな…よーするに「尊王攘夷一つとっても、歴史的な日本と韓国とはよほどへだたった国だといわねばならない」になるんじゃね?も、これも伝統芸能の域に達しているよな…

 英国の場合、帝国主義って何だ?で、色々言われるけど「商品と資本とが過剰になったある時期からの英国社会をモデル」じゃね常考ってか(笑)よーする「過剰になった商品と、カネのはけ口を他に得るべく-つまり企業の私的動機から-公的な政府や軍隊をつかう、というやり方」なんだそな…その一例としては「英国はこのやり方を中国に対しておこなった」とな…

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。今読んでも古さを感じさせないとこが文豪たる由縁だろか…

 そして露の場合、高田屋喜兵衛キタコレってか?江戸後期、露に抑留された日本人としての記録パネェって事で、詳細は本書をドゾ。「喜兵衛にとって自国の海で外国船にいわれなく拿捕されるなど、まことに事態は唐突だった」の件からお察し下さい…今も昔もこれが露の伝統芸能ってか…何せ、時代は「あるロシア軍艦が、右翼テロ的な衝動から、カラフトの日本人施設を焼き払ったり、択捉島を襲ったり、千島列島を航海する日本船を何隻か襲ったりした」してますしおすし…

 目次参照  目次 未分類

|

« バックレる(笑) | トップページ | 五風十雨♪ »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

未分類」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 倜儻不羈っ:

« バックレる(笑) | トップページ | 五風十雨♪ »