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2017年2月18日 (土)

その向う?

街道をゆく 二  司馬遼太郎  朝日新聞社

 日本国内の道を歩く旅なのかと思っていたら、二巻目にしてもー海外編ですよ、奥さん(誰?)という事で、朝鮮半島編なんですが、いやぁ何だかなぁ…で、著者が訪った時って今から四十五年位前の話のはずなんですが、何かもー今でしょ(死語?)な気がするのは気のせいか?かの国は、40年以上前から変わってないよーな気がするのも気のせいか?著者の筆致はとても真綿に包まれたごとく儚く美しいですけど、現実って…と考えさせられるエピがいぱーいってか?

 だいたい初っ端の、韓国に行く手続き代行をお願いしているシーンからして、パネェ…旅の目的をたずねられて、著者が古代の日本も朝鮮もなかった頃の、そんな昔の「大昔の気分を、韓国の農村などに行って、もし味わえればとおもって行くんです、と私はたどたどしく話した」とこからして、凄い…何がってその韓国観光への代行者の韓国人曰く「「つまりゴウヘイしようとおっしゃるんですか」とおどろくべきことをいった。ゴウヘイ、合併である。かの悪名高き日韓合併をもう一度やりたいのか、という意味であった。冗談でいっているのではなく、本気である」から始まるんですよ、奥さん(笑)

 ツーリストと顧客の会話がコレですから…うわぁーっじゃね?もし自分だったら、この時点で行く気なえると思うんだが、著者はそれでも、かの地に行く訳で、しかも本一冊分の訪問をしてくる訳ですから…「日本人である私に対して、彼女は民族的立場をわすれて対座することはできないようである。しかも彼女は、サービスを売る旅行社の人である。私は客である。しかし彼女にとって客である前に、私は日本人なのである」なんだそな…

 でもって「この稿で、英語で単にKoreanというよび方、それ以外によび方のないこの民族のことをこの日本語の文章の中でどうよぶべきか。世界中で日本人だけが、韓国人とよべといわれたり、朝鮮人とよべといわれたりして、とまどっているが」の件からして、何だかなぁな気がするのも気のせいか…

 ちなみに著者によると「私はつねづね、朝鮮人は世界でもっとも政治論理のするどい民族だと思っている。政治論理というのは奇妙なもので、鋭ければ鋭いほど物事を生まなくなり、要するに不毛になってゆく性質のものだが、たとえば日本には板門店も三十八度線もないのに、それがあるかのごとく(それが政治論理というものだが)在日朝鮮人が真二つにわかれて、居留民団(大韓民国)と朝鮮総連(朝鮮民主主義人民共和国)とがにらみあい、たがいに別個の民族教育をし、そのためにしだいに子孫のつかう言語さえちがうものになってゆき、ぬきさしもならぬ状態になっている」って、ええとこれ本書発刊当時の話ですから、重ねて言いますけど…

 アリス的には、大阪的にあると思いますになるのだろーか?「大阪は、この原野に人間がほとんど住んでいなかったころ、百済からの移住者がきて拓き、そのころ百済郡という郡さえ置かれた。郡内に百済野という一大耕作地帯があったが、それが、いまの生野区とか、鶴橋、猪飼野あたりらしい。妙なことに、大正時代ぐらいから朝鮮人が大量に住みついたところも生野区であり、日本でもっとも在日韓国人・在日朝鮮人の人口が多いところとして知られている」そで…海奈良の鶴橋の焼肉って、その鶴橋なんだろか?アリス?

 まぁそゆ訳で、著者が見ている朝鮮半島は、今というよりも、四百年前の戦国時代というよりも、更に昔の白村江よりもっと昔の時間感覚かなぁ?と…太古と言っていいんじゃないか?の世界観だよなぁ…本当、まだどこも国ってあったのけ?の時代というべきか?だから「そういう時代、朝鮮人は日本へ冬にきた。冬になると、風が日本にむかって吹くからである。逆に夏になると日本から朝鮮にむかって風が吹く」のだそで…風に吹かれてと言う事は帆船がそのころからあったのだろか?

 で、著者は半島入りする前に対馬に寄っていらっさるんですが、この対馬の歴史も何だかなぁ…何かもー言葉にできない世界とでもいおーか?まっとにかく「対馬という島を上空から見おろすと、あたかも海中の山塊で、というより青い岩塊といってよく、海岸はことごとく岩壁で白波がさわぎ、島全体のかたちが複雑をきわめ、しかも平地というものがほとんどない」島らすぃ…そーだったのか?対馬?

 さて、本書、日本で観光の手続きを取ってくれたのがミス・チァで、現地で同行してくれたガイドの人がミセス・イムなんですが、初っ端のミス・チァもパンチの効いたお人でしたが、このミセス・イムも勇名をはせるお人だったらすぃ…「私はこのときより何ヵ月か前、東京のホテルで寝つかれぬまま何の刊行物だったか、ともかく活字を読んでいると、この任忠実氏のことが書かれていた。ブリヂストンの石橋幹一郎氏や、ソニーの盛田昭夫氏、東急の五島昇氏といったひとびとが韓国旅行をしたとき、全日程をこのミセス・イムが案内した。石橋氏らは彼女に人柄に感動し、帰ってからたった一人のガイドを東京へ招待するために重要人物のようなあつかいで計画をたて、実行した」なんて武勇伝のあるお人だったんでございます…

 で、そのガイド氏は生粋のソウルっ子だった模様…農村を巡る旅なんて、でもそんなの関係ねぇー(死語?)というより、ご存じないの世界だったらすぃ…「ソウル人が農村をまるで別国を見るようにばかにしているというのは李朝体制による伝統的なものだということをきいたことがある」けど、何と言っても「ソウル人の場合はもっと極端で、地方に出かけることをあまりしないようである」ですしおすしらすぃ…

 てで、そんな田園風景も「韓国の農村は、悠然としている。李朝五百年が、まだつづいているという感じなのである」でして、とても今時の農業、資本主義社会の農業には見えなかった模様…でもって山もはげているとゆー事で植林も行わないみたいです…なので山田がないのだそな「その理由のひとつは山に樹がないからであろう」で李朝の昔からはげ山って…よーするに近場の手入れの思想とか、生産拡大増産キタコレ、消費産品、地元ブランド品開発とかゆーノリはないらすぃ…

 いつものように国土が疲弊しているのは「それは暴虐なる日帝三十余年の支配によるものです」が、韓国の知識人の主張らすぃが、「李朝五百年が、朝鮮の生産力と朝鮮人の心を停滞せしめた影響力のほうがはるかに深刻なようにおもうのだが、しかし私の知りうるかぎりの朝鮮人で、このことをいったひとにただ一人しか私はめぐりあっていない」とな…

 でもってこれに続く文章が凄い…「「自分をこうしたのあいつだ、すべての不幸とすべての悪はあいつがもたらした」という式の、自分自身の抜け落ちた議論は白刃のようにするどく、さらには百バーセント正しくもあるが、しかしするどさや正しさがかならずしも物を生みだすものではないのである」って…うーん…

 蛇足ですが、「韓国の農家というのは家屋としての規模は日本の平均的農家よりずっと小さく、どの家もおなじ規格でできていて、一見、日本の辻堂のような感じである」そな…

 かくて半島を巡る旅に出るぅーなんですが、詳細は本書をドゾ。

 歴史的流れ的なとこでざっと見ると、朝鮮上代史の場合「はじめ三韓(馬韓、辰韓、弁韓)時代があり、ついで三国(高句麗、百済、新羅)時代がきて、やがて新羅が統一するということがいえる」のだそー…

 三国の位置関係的には、高句麗は北方にありで、「民族としての感じも、あるいは風俗や言語まで韓族とはちがっていたらしい」、で「韓族の国が、南のほうの韓族、新羅・百済だが、ところがこの両国にはさまれてちっぽけな国がひとつあった」ってホンマでっかぁーっ?

 「洛東江の下流がうるおしている穀倉地帯」、「いまの地名でいえば金海付近にあった」そな…その国の名は、「金官国」「駕洛国」「加羅国」「伽耶国」「任那国」「などとよばれる」とあって、名前がいぱーいってか?当時の住人達的には自国の名前はどー呼んでいたんだろぉ?

 まぁ詳細は本書をドゾですが、ここからの豆知識的には、カラとは何ぞや?でしょか?「カラとは具体的には駕洛国をさし、次いで朝鮮半島一般をさすようになり、韓という漢字をカラと訓んだりしたが、そのうち中国大陸に隋・唐という巨大な統一国家が出現するにおよんで、中国のことをカラとよぶようになり、唐の字をあてた。はるかにくだって江戸時代には舶来品一般のことを唐物といったように、海外をさすようになった。要するにモトのモトは、洛東江畔の駕洛国から出たのである」って、ホンマでっかぁーっ?言葉の変遷って(笑)

 住んでいた人達はでは、「三国のころそうだが、三韓のころも、民族は一種類ではなかったらしい」で民族関係の詳細も本書をドゾ。一応、「朝鮮人はどこからきたの」か?で「南下者であろう」というのが常考らすぃ…「北方の満州からきた」んじゃねって事らすぃ…でもって昔の満州地域とは「大陸に農耕者である漢民族があまり入りこんでいなかったころ、満州は狩猟とわずかな農耕でくらしていた固有満州人(ツングース)の天地であった」そで、言語も「モンゴル語と姉妹関係にあり、日本語とは血縁関係にある」お言葉らすぃ…

 で、「韓族とはなにかといえば、南鮮に土着して農耕の歴史を古くからもち、遠祖の故郷がどこであったかも忘れてしまっているツングースたちということであろう」とな…

 も一つツングース関係で、「古代において巫人教(シャーマニズム)を奉じたツングースはいまでも政治的呪文に弱い」って…古代は(?)巫女と政治が伝統芸能だったのか?

 話は戻って、三韓の新羅キタコレで、その中の「新羅国の歴史は、九百九十二年つづく」でして、始まりは「紀元前一世紀」からとゆー事になるらすぃ…「新羅は、高句麗、百済とともに併立して栄えたが、やがて他の二国をぬきん出るようになり、第二十九代武烈王のときに名宰相金庾信が出て百済の討滅をはかり、唐と連合してそれを実現した」そで、これが日本史で言う白村江の戦いのとこじゃね?

 で「朝鮮民族の忌むべき事大主義は、新羅外交から出てくるのです」(@李夕湖)って事になるらすぃ…「朝鮮における歴代の国家において大に事えるという伝統的政治意識を身につけたのは新羅のこの時期からであった」そな…

 そゆ訳で、「新羅は大唐帝国と同盟した」に至る訳らすぃ…尤もそれは「同盟」ではなくて「臣従」ですが、何か?が本当のとこだったらしーけど…「唐の高宗は百済征伐に派遣する総司令官(大総官)として蘇定方という人物を任命したが、同時に新羅王も総督に任命した。ただの部将であり、蘇定方の配下ということになる」ってことですしおすし…

 そんな新羅が「長安へ使いを出すとき、使者が漢民族固有の名前を名乗っていると唐が親しみを持たないだろうというので、こんにち朝鮮人がことごとく中国風の姓名を名乗っているように、中国風の姓名に変えた」のだそな…

 で「モンゴル人は、自分によく似た仲間である固有満州人と区別するために、「われわれは銀である」と、馬上高らかに自称していた」そな…ちなみに「銀のことをモンゴル語ではムンクという。漢民族はその音を漢字にあてるとき、できるだけ汚らしく蒙古(ムンク)とあてた」そな…

 一方、「固有満州人は、「われわれは金である」といばっていた」そな、ちなみに金をモンゴル語では「アルトとかアルタン」というそーで、ツングース語では「アイシンです」という事になるらすぃ…ここから更に後の世にで「満州から興って清帝国をおこした愛新覚羅氏の愛新はそのアイシンですね」という事になるらすぃ…歴史って繋がっているもんなんですねぇ…

 で、朝鮮半島の方はとゆーと「朝鮮は半島国家であるだけにつねに政情不安がある。新羅は唐のたすけをかりたために唐の属領にちかいかたちになった」そな…えと今でしょ(死語?)じゃなくて、今から千四百年前のお話でございます…

 蛇足ですけど「半島国家であるために地続きの大陸からの侵略がふせぎにくく、つねに北方の脅威が地理的体質として存在する。さらには南鮮沿岸は、岬や島影ぞいに入りこんでくる倭寇の浸入を、海岸の地理的条件としてふせぐことができなかった。ふつうならこの民族はとっくの昔にほろんでいるはずなのだが、ところがほろびることなく、南北とも堂々たる近代国家として国際社会に存在している。こういう例は、世界史でもめずらしいほうではなかろうか」とゆーのが、本書発行当時の今でしょ(死語?)だったらすぃ…

 これまた太古に戻って「軋轢や政争というものが、日本への政治亡命者を間断なく出すはめになったように思われる」だったらすぃ…ところが「百済・新羅から渡来したひとびとはたがいに敵国だったため、日本にきてからも仲がわるかったらしい」とな…

 話はちょっと戻って、三韓の馬韓キタコレで、この「地域には五十三という数の部族国家にわかれていたが、やがてそのうちの伯済という部族国家が力を得、一大統一をとげて百済をつくった」そな…ちなみに「百済の始祖温祚王というのは、まだ原始部族国家の時代のひとだが、韓民族ではなく、朝鮮の歴代の王朝の始祖がつねにそうであるように北方の満州あたりから南下してきた扶餘族の出身であった」そな…

 で「諸種族の雑居国である百済には、もうひとつの異種族がいた。漢民族であった」そで、「この種族が朝鮮へ集団的に流れこんだのはじつに古く、漢の武帝のときであった」とゆーから紀元前の話じゃまいか?そんな訳で、「朝鮮に兵を入れ、いまの北鮮地方に漢の四郡(楽浪郡など)を置いた」んだそで「極東における文明の光源が、「漢の四郡」にあった」とゆー事に…「ついで、後漢末となると、帯方郡も新設され、灯台の数がふえた」になったりして(笑)

 どゆ事かとゆーと北鮮は漢民族領であった時期が「じつにながかった」とゆー事になるらすぃ…「シナで後漢がほろびると、魏が興り、そのあと晋の時代になっても北鮮は漢民族の領土であることがつづいた」とな…

 でもって「百済はそのどさくさにまぎれて、おなじく漢民族支配の帯方郡を併呑し、これを国土にすることによって漢民族の血液と文化を吸収した」とゆー事になるらすぃ…「以後百済の滅亡まで三百五十年間、朝鮮半島は北方の高句麗と東方の新羅、それに西方の百済といったぐいに三国の鼎立時代に入る」事になると…

 まぁこの後の六朝と百済の文化関係についての詳細も本書をドゾ。何とゆーか、文化って耽溺するものなんでしょかねぇ…

 でこれが朝鮮半島のパターンとな…「朝鮮にとって、政治的地震の震源はつねに中国にある。中国大陸に強大な統一帝国がうまれると朝鮮の独立はおびやかされ、中国大陸が四分五裂すると、朝鮮は息をつく」とゆー…

 ところが紀元1世紀頃から「満州で活躍しはじめていた「高句麗」という民族の勢力」拡大してきた頃からどよ?となって、「北鮮に侵入し、楽浪郡から中国官吏を追っばらってあらたに朝鮮民族の仲間に入るのは、四世紀のはじめごろである」そな…

 で「朝鮮は、李朝五百年だけでなく、新羅の後期や高麗朝あたりからすでに、「東方礼儀ノ国」であった。つまり中国的原理-礼教-をもって国家・社会・家庭体制の原理としてきた、という意味であり、中国をもって儒教的宗主国としてきた」そな…

 でで、これが昔の国家安全保障問題につながる話らすぃ…「つまり国家として礼教の秩序をもっているから同原理の中国としては、「朝鮮は安全である」という感じだったにちがいない。宗主国である中国への礼を紊す-たとえば侵略-などということは朝鮮はしない」となり、「朝鮮もまた、儒教原理をもって中国を本家として立てているかぎり「中国が攻めてくることはない」という安心感があった」そーな…凄いぞ儒教っ…

 傍から見る分には儒教万能主義に見えるんだが、そゆ訳で「高麗人にとっての恐怖は儒教的原理をもたない異民族が中国大陸の主人になることだった」そな…

 そしてその時が来たぁーっで、出てきたのが元、日本的には元寇のあの元ですよ、奥さん(誰?)ちなみに当時の半島の人達から見た元の人達というのは、「モンゴル人には儒教がなく、要するに儒教的にいえばけものに近い人間-夷狄-なのである」ですしおすし…そんな半島からしたら野蛮人中の野蛮人の国元も「百年足らずでほろび、漢民族の明朝」キタコレになって一安心ってか(笑)

 ところがどっこい「十七世紀後半になって、またまた異民族の騎馬兵団が中国大陸を襲い、清帝国が成立した」とな…まあでも「清朝は異民族ながら徹底した儒教原理をもって中国を治めはじめたために朝鮮人は大いに安堵し、これを以前どおり宗主国とした」そな…

 まぁ一連の流れを見ると半島の歴史は、儒教一択原理主義というか、儒教文明と一蓮托生、心中してきましたが何か?とゆー道筋らすぃ…文化ではなくて、文明というとこがキモか?日本からすると文明ではなくて文化だけど、大陸は文化ではなくて文明なんですよ、奥さん(誰?)

 でもって、「文明というのは元来厄介な面もあり、そのことは中国の儒教文明の末期をみても、あるいはインド文明と回教文明にこんにちなお押しひしがれているインド民族をみてもわかる」って…大きいものは大きいだけにその後に与える影響もこれまた大きいって事なんだろか?うーん…

 近・現代史的には、「一九五○年六月二十五日、北方から三八度線を突破して南下した朝鮮軍はわずか三日でソウルを占領し、一週間で韓国軍主力を壊滅し、さらに一ヵ月余で国連軍を釜山まで追いつめた」とな…

 その後「米軍を主力とする国連軍が仁川に上陸し、ソウルを回復して平壌まで攻めこみ、さらに北進したところ、この年の十月末、にわかに中国義勇軍が朝鮮軍に参加することによって戦勢が再逆転し、国連軍はふたたび潰走して一度は奪還したソウルを再放棄し、南方にむかって退却した。事実上の米中戦争であったであろう」とな…

 その間の紆余曲折は本書をドゾですが、お次は米のターンでB29キタコレで戦略爆撃ってか…かくて、「ソウルを回復し、三八度線ちかくで対峙して、一九五三年七月二十七日の休戦協定の成立を見、こんにちにいたっている」になるそな…なるほどオバマってか(笑)

 というのが朝鮮動乱の流れらすぃーが、その後「李承晩博士の長期政権というのは韓国の国土を肥やすことについはほとんど何もしなかったも同然であった」とゆー…

 豆知識的には、「釜山付近が良港であることを発見したのは、対馬人であった。かれらが朝鮮国と条約をむすんで最初に倭館をつくったのは、いまの釜山より東北の東萊だったという」のちに釜山の都心に移転して明治まで続くのだそな…もしや、釜山の日本領事館ってその跡地って事はないよね?

 今でしょ(死語?)を彷彿させるエピにもなるのか?明治維新キタコレで、日本が開国してこんにちはの時のお話…「新政府は東京から三人の外交官をゆかしめた。そのうちの一人は天誅組の生きのこりである。彼らは釜山の倭館に入り、韓国側の応接者である釜山府と東萊府の府使にその旨を通じたが、相手にされず、滞留して一年半待たされた。ついに得た返答というのは、返答の無期延期ということであった。守旧をもって国是としている韓国は、鎖国方針をつらぬこうとし、開国した日本が気にくわなかったのである」ですしおすしって、これってどこかで聞いた話と似ている気がするのは気のせいか(笑)

 まぁ、「李朝五百年のあいだ、韓国官界の大官というのはいわばろくでもない連中が多い」って、著者、そんなにハッキリ言っていいんですかぁー(笑)その中でも「武科出身の武臣ながら、李舜臣ばかりはきわだって高雅清潔で、しかも死にいたるまでこの民族の大義のために挺身し、さらにその業績をみても文章を読んでもその功をすこしも誇るところがない」お人もいたらすぃ…

 それにしてもそゆ人が国の危機に立つ時でも、そう簡単に引き受けられるものでもなかったらすぃ…「このあたりが当時の官界のむずかしいところで、うかつに立ちあがればあとでどういう罪科をもって陥られるかわからない」って、それってゴホンゴホン…

 まぁともかく、国の為に活躍しましたである意味救国の英雄のはずなんだが、「そのあと李舜臣はべつに功を賞せられることなく、牢に入れられてしまう。まことに李朝の官界というのは苛烈で反目嫉視が多く、やることがじつにめめしい」…でもって、また危機がきたら戦場に出て国を救い、戦死するって…まぁその後のこの有名人の扱いの行方の詳細は本書をドゾ。ただ戦後「ソウルにりっぱな銅像ができ、釜山にも銅像ができた」そーですよ、奥さん(誰?)

 同じ頃の人で、日本に「朝鮮から捕虜がきていた。姜沆という高官で」学者とゆーお人らすぃ…で帰国後の日本見聞録みたいなのを書いたみたいで、こちらの詳細は本書をドゾ。「その文章を見るに、「虚実ヲ得ン」と意気ごみながらも、現実直視能力というものは残念ながらあまりない。このこと姜沆だけでなく、概して朝鮮知識人の通弊であるようである」って…

 名前の豆的には、「みずからの言語による固有の名前をすて、かれらにとって異民族であり外国である中国名を名乗ることにしたという重大な歴史については、かれらはなんの感じももっていない」そで、この「朝鮮固有の名前がなくなり、うまれもつかぬ漢民族の姓名」になったのは、「どうやら新羅のころらしい」とな…

 「通説では、六世紀のはじめごろの新羅の王室や貴族のあいだでは金姓、朴姓があったようだが、同時に固有朝鮮名ももっていた。すべての人民が漢姓をもちいるようになったのは、新羅の最盛期以後に、おそらく政治的理由以外の-たとえば氏族の自然膨張といったふうな-社会的事情でそうなったのかもしれない」そな…

 でもって、それだけでなくて「朝鮮の姓にはそれぞれ本貫の地がある。姓の故郷である」とゆーのがあるらすぃ…同じ苗字でも、どこそこの○○、本貫地と苗字を言えて普通とゆー事らしー…

 でで、この本貫意識っていうのは、「韓国の場合は民法にまで組み入れられており、南鮮の場合、その本貫によって旧新羅か旧百済にわかれるのである」って…

 後は、朝鮮半島特有の身分制である両班についての詳細も本書をドゾ。定義的には、「朝鮮、高麗および李朝の官僚組織、または社会的な特権身分階級」とな…

 でもまぁ続けるとするならばで、「李朝五百年の凄さは、その民族を、他民族の原理を導入することによって飼いならしてしまったところにある」そな…「朝鮮人のもつ観念先行癖-事実認識の冷静さよりも観念で昂揚すること-やそれがための空論好きという傾向は、民族の固有の性格などというようなものでなく、李朝五百年の歴史がこの民族に対してほどこした大原理というものを考えなければ理解しがたいように思われる」って…

 しかも、「そのゆがめ役をつとめたのが、在郷の両班階級であるように思われる」ちなみに「儒教原理の本場である中国では、むろんこういう特権階級はなかった。その必要もなかった」そな…「李朝にあっては両班階級の出身者でなければ大官への関門である科挙の試験をうける資格がなかったが」中国では「だれでも受験することができた」そで…

 「李氏朝鮮では、両班を必要とした。人民を儒教へと飼いならしてゆく調教師として、在郷の両班は必要であったのだろう」で、どこの世界も一つの原理で行くならば、そのまとめ役が必須アイテムって事らすぃ…

 また人間関係的なソレでいくと、「韓国にあっては、李朝式の儒教によって、十親等までが濃厚な身内とされる」んだそな…どゆ事とゆーと、その中の「たれかが大官になる。すると十親等までの人数が押しかけてきて、商人ならば利権をもらい、学歴のある者なら官職につけてもらおうとするし、げんにそうなる」のが普通らすぃ…これが「もし政府の大官のところへ」だったら…皆まで言うなか…

 言語的豆になるのか?で、「慕夏堂記」の件は歴史的なソレの詳細は本書をドゾですが、文章とは何か?のとこで「大体、唐宋以後の漢文というのは多分に文飾の作業で、極端にいえば文飾そのものであることが多く、場合によっては漢文を書くという作業そのものが、あたまからウソをつく作業であるということもいえる」って、著者そんなにキッパリ言い切っていいんですかぁーっ(笑)

 後、これも豆になるのか儒教キタコレですが、「儒教国家というものは自然のままの人間というものをみとめない。人間は秩序原理(礼)でもって飼い馴らしてはじめて人間になる。そうなっている」そで、この「一原理によってぼう大な数の人間を飼い馴らすというのが中国古来の国家の仕事であり、専制皇帝もまたこの飼い馴らしから自由ではなく、みずから礼教の範をたれるというのが人君たるものの理想とされている」とゆー事らすぃ…よーするに儒教も一神教的とゆーか、原理的って事だろか?ちなみに「毛沢東氏による新中国も儒教原理を他の原理にかえただけ」とゆー事らすぃ…もしかして一党独裁って、儒教的でもあるのか?

 それと、付随してじゃないけど、科挙キタコレもあると思いますか?「科挙の制は、一見理想的な制度のようにみえる。儒教原理による皇帝専制の中国体制にとっては、体制維持のために欠くべからざるもので、試験は形式上皇帝が直截する。これによって採用された官吏はことごとく大官になり、皇帝の手足になるのだが、現実はアジア特有の官僚腐敗をつくりだす結果になっただけでなく、文章の文飾能力をもってテストするため、西洋でいう"学問"や技術の発見がはばまれ、いわゆるアジア的停滞の原因のひとつになった」とな…今も昔も文官官僚とはただひたすらに腐ってゆく者なんだなぁ…歴史の皮肉なとこは、江戸の武家官僚の方が「はるかに機能的で」「はるかに清廉であった」とこだろか(笑)田沼意次なんて、まだまだかわいいもんよの世界か(笑)

 後、蛇足ですけど今でしょ(死語?)な仏教関係のエピかも…韓国における仏国寺、「この国には仏国寺以外に古い仏教建築がほとんど遺っていない」そな…ちなみに著者は「「たくさんあったから、みな清正(加藤清正)が焼いてしまった」と、いつか在日朝鮮人の若い人からはげしく罵られて閉口したことがあるが、これも朝鮮人の思考方式といっていい。怨念が強烈な観念になって事実認識というゆとりを押し流してしまう」そで、「かれらの思考も行動も赤はだかのツングース的精神体質を露呈してくれたからであり、かれらが政治的呪文をとなえて集団発狂するとき、着衣をぱらりとぬぎすてたようにモトノモクアミのツングースにもどってしまう」って…更に「昭和三十年代のいつごろだったか、韓国から中学生の旅行団が日本にきたことがある。京都の太秦の広隆寺を参拝し、ヤスパースが絶賛したという例の弥勒の半跏思惟像を見て、-これも日本が韓国から略奪してきた。と叫んで大さわぎしたという新聞記事を読み、ぼう然とした思いをしたことがある」って…「反日教育がそれを作りあげたのにちがいないが」「なぜ引率の教師がそうではないと教えなかったのだろう」と著者の素朴な疑問が続くのですが、昭和30年とゆーと、今から五十、六十年前?…なるほろ仏像に、お地蔵さまに、おきつねさま…

 ちなみに「この種の観念による大爆発という精神体質は、おなじ東アジアでも漢民族にはあまりなく、おたがいツングース人種に多い」とゆー事になるらすぃ…

 さて、本書は行先が韓国と言う事で、朝鮮半島と中国のエピ多しですけど、他にもモンゴルとか、ロシアとかのエピも幾つか出てきているんですよ、タタールの軛とかとか…こちらの詳細は本書をドゾ。世界は広いっス(笑)

 まぁ著者のしみじみとした述懐が各所のツボな気がしないでもないので、そこも本書のポイントか?例えば、「多分に国家の面倒見を必要とする近代的産業というのは、官僚の清潔さの上にしか成立しえないものだともいえる」とか(笑)

 日本関係のとこは白村江前後のその時歴史が動いた辺りの詳細は本書をドゾ。頼まれて援軍だしたら、あちらの独立運動は、「王族の鬼室福信」と「僧道琛」の対立来たぁーっで「苛烈な内輪もめ」キタコレで、道琛殺害されるとゆー事態に…で王子豊璋が王となり福信殺害…その他独立運動の闘将達も内紛でそして誰もいなくなったに至ったよーで…瓦解したとゆー事らすぃ…「すでに日本の主力である第三次派遣郡が博多湾を発して海上にあった。かれらは百済独立運動軍の内情を知らない」ですしおすしで、お察し下さい…

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。最後に一つ、なるほろ朝鮮半島なエピを一つ、著者が旅の疲れが出て、ホテルにて按摩師(マッサージ師)を頼むとこのお話…フロントに電話を入れて頼んだら「「値段は三千ウォンですよ」と、フロントは値段の数字に力を入れていったのである」そな…ちなみに当時「物価の高い日本でさえ、ホテルでの一時間のマッサージ代というのは千円と幾許か」のご時世での話でございます…「さらにはフロント自身が用件を承るや否や「三千円ですよ」といきなり値段をいって切りかえすようなことはまずありえない」ですしおすし…

 よーするに「日本人は韓国人にとって一般に憎悪の対象であるが、カモであるしかないことが、この一事でもわかる」に至る訳でして…しかも、件のフロント氏曰く「「先金ですよ」と宣言した」そな…

 で「間髪容れず、ドアがノックされた。私がドアをあけにゆくと、若いフロントが、釜山空港の税管吏と共通するあの独特の無表情さで入ってきた。(マッサージ師は?)とおもって俺の背後を見たが、だれもいない。彼はただサキガネを取るためにのみ私の部屋のドアをノックし、私にドアをあけさせ、部屋に入ってきたのである。フロントはサービス従業員でもある。どこの世界に、マッサージの先金をとるために客室に乗りこんでくるフロント係がいるだろうか」とゆー著者の感慨なぞ、そんなの関係ねぇー(死語?)とばかりに「彼は私のてのひらから金を巻きあげると、身を翻し、一礼もせずに部屋を出て行った」そな…

 多分「李承晩大統領時代の骨の髄液まで沁みこむほどの反日教育をうけていたにちがいなく、彼にとって私は憎むべき悪魔だったにちがいない。その悪魔を三千ウォン程度こらしめたところで、それはかれにとってはむしろ民族の寛大さを大きく示したことであるにすぎず、かれにすれば悪魔たる私をその程度の軽微な刑罰で済ませたことを嚙みに感謝すべきだということになるであろう。韓国の新聞などでみる反日的論文の論理からみれば、ほぼそのようになる」とゆー事らすぃ…そして、件のフロント氏がマッサージ師をつれてきたそな…

 かくてマッサージ師と二人になって、マッサージ中に思考を飛ばすと…「些事のなかに韓国というものの宿命的な命題が含まれているように思える」じゃねってか(笑)

 「要するにあの三千ウォンのうちの大部分は、三人のフロント係がいそいそと分けどりしたにちがいなく、その情景まで想像することができるのである。それが、わがアジアというものである」なんだそな…

 ちなみにマッサージ師との会話で、このマッサージ料は三百ウォン位という事が分かるんですね(笑)ちなみにこのマッサージ師の「態度はあきらかにフロント係を怖れている風であった。フロント係こそがかれの収入の大部分をにぎっている権力者であり、出入りの職人であるかれにとってはおそるべき官僚なのである」で、ホテルも官僚化していらっさるらすぃ…

 日本でも出入りのマッサージ師は出入りのホテルとかに「幾許かの冥加料」を収めているかもだけど、「その上にフロント係からピンハネされるという没義道なことはない」そな(笑)

 かくて、三千ウォンの行方は「フロント係が山賊式に分ける」だけの事らすぃ…「それが、アジア式の"官吏"というもので、中国でもむかしむかしはこれが普通であった。むしろこの式でもって社会が出来上がっていたし、国家も動いていた。それが、体制としての儒教というものである」そな…

 そして「このホテルにおけるフロント係とマッサージ師と客の関係を国家に拡大してもかわらない。つまりアジア型国家というものはそういうもので、近代中国では清朝がそうであった」とな…どゆ事とゆーと「李鴻章や袁世凱の政治力は偉大なものであったが、かれらはマッサージ師-外国資本-から国家の名において金をうけとり、また借款し、その何パーセントかを国家のためにつかうだけで他は自分の懐に入れた。そのことは悪ではなく、体制としての伝統であり、決して汚職ではない」となるらしい…それがあちらの伝統芸能ってか…

 初っ端の旅行代行業の女性から、ホテルのフロントまで、かの国のサービス業のジャスティスを見よかもなぁ…

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