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2017年2月 9日 (木)

急がば歩け?

街道をゆく 一  司馬遼太郎  朝日新聞社

 サブタイトルは、甲州街道、長州露ほかなんですが、所謂一つの歴史エッセイでしょか?著者はその道に訪れて、その街道筋、地域一帯について語るとゆー…なるほろ日本史、半端ないでござるの巻か(笑)その時、歴史が動いたってか(笑)

 地理音痴なので、最初に略図が掲載されているのですが、それがどこかが今一ピンと来ない上に、歴史音痴でもあるのでその歴史と土地のリンク、及び歴史上の人物が思い浮かばなくて、己の勉強不足を痛感しますた…知の地平は果てしなくとほい(笑)

 ある意味、著者の博覧強記ぶりに本当、頭下がります…でもって、この旅路にその土地土地参加してくるメンバーがこれまた濃い(笑)この道行のみなはまだけでも十分ドラマになりそーな悪寒(笑)

 アリス的には、近畿にある街道は皆関係ありまするの世界じゃね?

 キャラ的に、近江路に登場する菅沼晃次郎氏の描写のとこで「大阪うまれで、いかにも大阪人らしい率直な物の言い方であった」の件だろか?そーだったのか?大阪人?他にも「上方の話し言葉は語尾が「て」でつづいてゆく」って、これまたそーだったのか?関西人?

 も一つアリス的に言葉系で、「「ジュンサイなこと言いなはんな」など「増補俚言集覧」という本に、「じゅんさい」とは大坂詞。じゃらじゃら言うこと。蓴菜より出たる詞なり」」とあったりとするんだそな…「上方語には、そういう感覚的なことばが多い」って、そーだったのか?アリス?

 更に、京都のカモ、下鴨、上賀茂のカモですが、「古代鴨族が住んでいたと思わしいこの地域を総称して単にカモという。モにアクセントがあって、カモゥと聞える。近江の鴨地帯は古くから蒲生の字をあてた。あの発音である。ついでながらカモとは、出雲族のことであろう」って、もしやあの蒲生氏郷なんかも関係あるんだろか?うーん?

 しかし、このカモさん一族は古代日本史的にはあちこちで散見する方々と見えて、今度は「古代のある時期の奈良盆地には、カモ・グループとミワ・グループが併存していたことはたしかである」ってホンマでっかぁーっ?そんな訳で「この二つのイズモの言語が、こんにちの日本語にいたるこの国のことばの主調をなすものであろう」とな…更に崇神王朝とか出てきますので詳細は本書をドゾ。

 ですが、一つだけ日本人として聞き捨てならないとこじゃねで(笑)「崇神帝はこの三輪山は土着の出雲族のうちのミワ族の神である以上、それを自分の族神にするわけにゆかず、あらたに三輪山の近くに笠縫(いまはその地がどこにあるかわからない)に天照大神をまつったことは、「日本書記」にあきらかである。その笠縫の宮がその後多少の経路をへていまの伊勢の地にうつり、伊勢神宮になった」そなってホンマでっかぁーっ?

 さて「「鴨」の人々は古神道を奉じ、よき巫人を出した。つまり神がその巫人の口をとおして霊異なことばを吐くという不思議を演ずるのだが、そういう宗教的能力者は鴨族にかぎるといわれ、大和朝廷のひとびとからそういう意味で畏敬されていた」そな…

 でもって。鴨族とは、正しくは鴨積と書かねばならないだろう。積とは種族をさす。アヅミ(安積)、イヅモ(出雲)いずれもツミ(ツモ)がつく」とゆー感覚らすぃ…

 さてさて、「大和朝廷の鴨のひとびとは、のちに山城(京都)平野の一角に住み、そのあたりを開拓して、鴨の地名をのこした。京都の北部の上賀茂、下鴨、それに鴨川などといった地名や、上賀茂社、下鴨社といった神社は、大和から山城にうつったかれら先住族の痕跡である」で、この族からの出身者が役小角や鴨長明なんだそな…

 で、元に居たとこでは「鴨族の祖神をまつるこの高鴨のやしろは古代鴨族の根拠地であり」「葛城の段丘式水田の壮大な風景の森をなしている」のが高鴨神社とゆー事になるらすぃ…何とゆーか、鴨族の跡地を追えってあると思いますなんだろか(笑)

 それと京都つながりで、「宮廷の諸門を守るという国樔びとの伝統は幕末まで生きてつづき、かれらは十津川郷士(この郷士は自称・身分は百姓)として大挙上洛し、御所の諸門の警衛に任じ、ときに市中で新選組と争闘し、たとえば十津川郷士中井某などは、新選組の斎藤一と花屋町の料亭でたたかい、最初、山で自得した居合をもって斬りつけたが、斎藤のために初太刀をかわされ、あえなく斬られてしまった」って…そーだったのか?十津川郷士?

 関西ネタでもう一つ典型的大和顔とは何ぞやで「丸顔に属するが、こまかくいえば五角形で、あごがよく発達し、えらが出、ぜんたいにぶが厚く、頭髪が強い」のだそな…そーだったのか?大和人?

 大和つながりで、「大昔(大ざっぱな言い方だが)は、日本人は山麓の高所にムラをつくっていた。それが排水技術がすすむようになってから、どんどん低地におりてきてムラや宮殿をつくったようにおもえる」とな…「大和国のとなりの河内国(大阪府)なども古墳時代ぐらいまでは、生駒山系のふもとに張りついたようにしてムラをつくっていて、平地(河内国はとくに低く沼沢が多かった)には降りようとはせず、古墳その他の先史的痕跡なども山麓に集中している」って、そーだったのか?アリス?

 他にアリス的というと太閤秀吉で、「秀吉は商人の親方であった面がつよい。かれはその政権の財政基盤の大きな部分を、堺と博多といったような貿易収入源に置いた」そな…今になってみると豊臣政権ってバブリーでイケイケそのもののよな?

 後は准教授の多彩な趣味の中の一つ、ケルトきたこれで「はるかな古代、ヨーロッパの原文明の一環を担った民族で日本的規模にわざと誤訳すれば、この稿のはじめに出てきた安曇人のようなものであろう」って…で今でしょ(死語?)では「イギリスにはケルト意識をもったケルト人が堂々と存在している。一般に背はあまり高くなく、皮膚は浅黒いといわれている」らすぃ…そーだったのか?ウルフ先生?

 も一つ、アリス的というとこで文学論議(笑)「作家にとって知識は敵であるさということだけは、どうもそうらしいと思っている」って…「年をとって知識がふえればふえるほど、物事に感動することがすくなくなるが、それだけのぶんだけ創作力がなくなってゆく」って、そーだったのか?アリス?

 そして、アリス的に外してはいけない夕陽で(笑)「葛城をあおぐ場所は、長尾村の北部であることがのぞましい」のだそな…「大和盆地からみれば夕陽はこの山に落ちる。その西陽の落ちるあたりに、中世の浄土信仰の一淵叢であった当麻寺があり」なんだそーで、「大和で、この角度からみた景色がいちばんうつくしい」とゆー事になるそな(笑)

 も一つ、これは朱色系になるのか?占いキタコレで、「古代日本の卜占は、東アジアで孤立したものではなく、古代中国で亀ノ甲を焼いて吉凶をうらなったように、古代日本では牡鹿の肩骨(肩甲骨)を焼いてそれにあらわれるヒビによって吉凶を見た」そな…「それを「太占」という」で、それを焼く木は「ハハカ」(ウワミズザクラ)と決まっていたんだそな…

 近江の歴史的なとこでは、「中世では近江の湖賊(水軍)という大勢力がこの琵琶湖をおさえていて、堅田がその一大根拠地であった。この小松は堅田に属し、伊藤姓の家がその水軍大将をしていた。織田信長は早くからこの琵琶湖水軍をその傘下に入れ、秀吉は朝鮮ノ陣に船舶兵として徴用し、かれらに玄界灘をわたらせた」とな…湖賊って…海賊や山賊は聞いた事はあったが、湖賊ってのもあったのか?

 穴太では「「穴太の黒鍬」といわれ、戦国期には諸国の大名にやとわれて大いに土木工事に活躍した」そな…石組みとゆーから、石工の皆様の土地だろか?ちなみにその歴史は「延喜式にも重要な駅として指定され、駅馬五頭がおかれていた」土地なんだそー…更に古く成務帝の時代「志賀高穴穂の宮」からありますよってにで、やっぱ近畿の歴史はどこまでも都で戻れるとこがパネェと思うのは気のせいか?

 とはいえ、琵琶湖近辺の歴史ドラマ的には、信長の話題が多いのは当たり前なんでしょか(笑)時は、対朝倉戦で、朝井に裏切られて退却する時のお話…「この天才の凄味はむしろ朽木街道を疾風のごとく退却して行ったところにあるであろう」らすぃ…そーだったのか?第六天魔王?

 歴史的IFなとこで、徳川慶喜の対官軍戦…小栗上総介らの決戦案がパネェ…「箱根の関所をとざし、そこに兵力を集中し、江戸をめざしてくだってくる官軍が遠州灘沿岸あたりまできたときに軍艦を陸地に近づけ、艦砲射撃によって官軍の隊列をみだし、分断し、その混乱するところを箱根軍をもって撃つというのものだった」そな…決戦は静岡でってか?

 まぁ徳川慶喜のあはれは何だかなぁ…詳細は本書をドゾですけど「この人物は幕府の根拠地である江戸を離れてほとんどひとりで京に駐在し、大した陪臣ももたずにひとりで反幕勢力の権謀をたたかった。ひとりでこれだけの仕事ができるのは、徳川歴代の将軍を見みても、最初の家康と最後の慶喜しかいない。が、それだけやっていてもなお、江戸の幕臣たちから、「二心殿」といわれて、幕府を天朝にうりわたすのではないかとうたがわれていた」そな…

 幕末的には、長州人とは何か?とゆーのも問題になっていたのか?「中国者の律儀」という伝統がある一方で、「幕末では逆に、水戸あたりでは「長州人は怜悧という評判があり、うかつに手を結べない。結べばかんじんなところで体をかわされるおそれがある」という逆の観察もあり、水長同盟というものがこれで流れたこともある」そな…

 「水戸ッホ、土佐ッポ、薩摩ッポと幕末にいわれた。ッポというのが付くのは、利害をとびこえてなりふりかまわず突き進んでゆく性格の集団に場合にいうのだが、ついに長州ッポとはいわれなかった」で、お察し下さいってか…「長州の複雑さは、仁者的風格の思想人を生むくせに、仁者的風格の革命家や政治家を生まない」とこにあるらすぃ…

 ちなみに高杉晋作は、長州人を「兵としても強くない」と嘆いたそーなんだが、でも確か戦国の尾張も弱兵として有名だったはずで、何故か弱いと言われたところが、歴史を動かしていく訳だから、世の中って…

 更に長州、軍艦事情で、当時は「長州の軍艦は、洋式帆船が多かった」とな…でも藩のみなはまは「蒸気軍艦」が欲すぃと熱望してた模様…でも「当時ロシア帝国の大海軍でさえまだ帆船時代であり、日露戦争の当時でさえ、古い士官は帆船艦隊あがりで、機械軍艦というものに理解のうすい者が多かった」とは、まさに時代じゃね?

 ところが当時でも薩摩は「堂々たる機械軍艦を揃えており」で、それが「鹿児島・下関・兵庫といった海を間断なく往来していた」のだそな…どゆ事とゆーと「京都情勢に機敏に反応してつぎつぎに手をうったのは、たえず兵庫沖に藩の汽船をつないでおいたためだった」そで、手紙一つでも船を出せる薩摩パネェって事ですか?そーですか(笑)

 日本の権力構造は「独裁者の存在をゆるさないというふしぎな原理をもっている」そで、「鎌倉幕府もそうである。源頼朝は自分の兵力をもたずに、関東武士同盟に押されて成立したために、絶対権力ではなく、一種の調整機能というべき存在であった」そな…北条執権勢力も、織田信長も、豊臣秀吉も、独裁的になりだすと倒される運命にあった模様…徳川幕府は最初から調整機関じゃね?で、唯一の例外があの井伊直弼で、これまた排除されたと…

 歴史的に海外系では、「平安初期、いわゆる満州あたりにあった渤海国からしきりに日本に国使がきている。日本を兄の国といったかたちの礼をとり、いわば朝貢してきている。渤海は多分に中国化したツングースの国で、この国の女性は乙姫のような服装をしていたであろう。いまでも若狭湾の沿岸に浦嶋伝説が多いのは、日本海をへだてて渤海国に対していたからにちがいない」って、そーだったのか?浦島太郎?

 当時的には大陸の国家安全保障問題絡みだったはずだけど、日本って昔からこの手の話に疎いからなぁ…案の定というか、渤海国の寿命も200年位で滅び、「ほろぼしたのは、熱河の草原であらあらしい野生を養っていた契丹(モンゴル系)である」そな…でもって、そんなの関係ねぇー(死語?)と「日本は知らぬままに亡んだ」とな…

 19世紀中国事情的には、「皇帝専制による中央集権的中国(清帝国)がその肉を列強に食われつつもなお悠然として新技術にめざめることがきわめておそかったのは、ひとつにはその体制内に制度上の批判勢力をもたず、健康な競争力をもたなかったことによる」そな…まっ今も昔も思想も権力も唯一絶対なんですかねぇ?

 後、実に大国かな話なんだろなぁで「中国の政治家も西洋の政治家も、歴史に対して演技をします。歴史に対して演技をしないのは野蛮人ですよ」(@貝塚茂樹)とな(笑)

 これも入るんだろか?で、孔雀…「キジ科の鳥はインドの原産である。悪食で、毒草だろうが毒虫だろうがなんでも食ってしまうらしく、それに驚嘆した古代インド人が、この鳥を思弁して一個の大概念をつくりだしたのが、孔雀明王である」ってホンマでっかぁーっ?

 豆知識も満載で、近江の場合「近つ淡海という言葉をちぢめて、この滋賀県は近江の国といわれるようになった」そな…琵琶湖キタコレってか(笑)蛇足ですが、「遠江はいまの静岡県ではなく、もっと大和にちかい、つまり琵琶湖の北の余呉海やら賤ケ岳のあたりを指した時代もあるらしい」ってホンマでっかぁーっ?

 言葉的には、カイロ大の総長と医学部長的には賀茂川はリバーではないらすぃ(笑)彼らが川といって想像するのはナイル川みたいな川とな…なるほろ、ところ変わればシナ変わるですねわかります(笑)でも、彼らからしたら日本の川なんてみんな川じゃねぇーになるのだろーか?

 尤も、言葉的には、旅の道連れに出てきたロジャ・メイチン氏の履歴がパネェ(笑)「日本語学者である」「ケンブリッジで言語学をやり、日本語学の修士号をとった。その後京都大学にきて、ここで日本語学を仕上げるべくうろうろしていたが、しかし適当な先生を見つけることができず、ぼう然としていたところへ泉井久之助教授の目にとまり、妙なことに西洋言語学の修士課程をやってしまった。気の毒というほかないが、言語学としての日本語研究というのは世界的にも特殊であるだけでなく、日本においてすらきわめて特殊で、その学問は盛大というわけにはいかない」って、そーだったのか?ウルフ先生(笑)

 蛇足ですが、メイチン氏、「日本人が変な英語をしゃべると」「耳をおさえたくなるほどに暗い気持ちに陥るらしいのである」はともかく、「極端なアメリカ人ぎらいで、その理由もアメリカ英語にあるらしく、そういう言葉をしゃべっている人間が側に来ると、血相をまで変わるような様子で、席を立ってしまう」のだそな…英人の米人嫌いって、都市伝説かと思っていたが、かなりマジなんでしょかねぇ?

 それと「天誅」…これって長州からなのか?「幕末の文久二(一八六二)年から同三年までの、京都の市民を旋律させた天誅ばやりから出ている」のだそな…

 後は文化論で(笑)「キザという精神は日本の地方文化のなかでは江戸文化にしかない」「キザはキザとして調子をあわせ、その場の会話を無意味に楽しんでゆくのが大事なところで、それをからかったりする態度を一種の江戸っ子からみれば、これは田舎者なのである」って、そーだったのか?片桐さん?

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。最後に一つ本書で一番へーへーへーと思わされたとこを「物事を立証する上でもっとも便利な態度で、現実を頭ごなしに否定してしまえば評論というものはじつに鋭利になる。現実を全面的に否定しながら、否定する自己のみを肯定するわけだから、その陶酔はとびきり上等の酒をひとりひそかに飲んでひそかに酔うがごとく純粋な酔いを得られるにちがいない」の件って、まるでそれってどこぞのくnゴホンゴホン…

 掲載されている街道は、湖西の道、竹内街道、甲州街道、葛城みち、長州路

 目次参照  目次 国内

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