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2017年2月 6日 (月)

新しい、懐かしい?

カルティエ時計物語  「サライ」「ラピタ」編集部  小学館

 カルティエと言うと、どちらかとゆーとジュエリーのイメージでいたから、腕時計にこんなにリキ入れているとは知らなんだ…いえ、一昔前はキャリアウーマン風の女性はよくタンクをしていたよーな気がするが?最近はどーなんだろぉ?パシャなんかは名前だけはよく聞くけど、これまたどーなんだろぉ?

 てな訳で、カルティエと時計の歩みかなぁ?1847年に初代ルイ・フランソワ・カルティエが「パリの聖ウスターシュ教会にほど近いモントルゲイユ通りに小さな工房を開いた」そで、その後1853年に「ヌーヴ・デ・プティ・シャン通りに店を移転する」とな、時はナポレオン三世時代とゆー事で時の仏は景気いいぞーだったらすぃ…そんな訳で、顧客に「皇帝の姪のマチルド王妃を筆頭に、皇室と、それを取り巻く高貴な人々を顧客として迎え入れることになる」そな…

 皇室御用商人になって、息子のアルフレッド・カルティエをロンドンに修業、視察、営業に三年だしたりして、帰国後の1874年「アルフレッドが父の店を継ぐ」事になると…ちなみに時代は第三共和政時代キタコレで、皇室御用商人よさらばだったんだけど、景気はアレでも、今度は「銀行家や産業資本家など裕福な中産階級」キタコレになったらすぃ…

 そして1899年「アルフレッドはラ・ペ通り13番地に店を写す」とな…で、この頃から長男のルイ・カルティエが共同経営者に三代目来たぁーってか(笑)「ルイ・カルティエのその才能は、3代目を約束された時期から花開き、現在に続くカルティエの代表的なスタイルを生み出していく」事になったらすぃ…あの「ガーランドスタイル(花手編模様)」とか、宝飾品にプラチナ使いもキタコレで、「1906年、カルティエは初めて腕時計にプラチナを使っている」そな…アールデコ・スタイルもカルティエは「1907年から手がけている」そな…そしてWWⅠ中に腕時計のタンクも出たと…「この時計こそが、カルティエを腕時計の黄金期へと導いていったのであった」そな…

 それにしても、仏に王室はなくなったけど、世界中にはまだあるじゃんって事で、「1904年から39年にかけて、カルティエには、15に及ぶ王室から御用達の勅許状が授与されている」とな…セレブ御用達店ですが、何か?って事だろか?

 時は前後しますけど「1902年、ロンドン店をニューボンド・ストリートに開店。09年にはアメリカ進出。ニューヨークの5番街のビルの中に、後のニューヨーク店の基礎となる店を開く」事になったとな…かくて、パリ本店を長男のルイが、NY店を次男のピエールが、ロンドン店を三男ジャックが担当する事になりますたとな…兄弟で国分けって何か、どこぞのロスチャイルドと似てまいか?

 そして3兄弟それぞれに成功するとこも凄いんですが、こちらの詳細は本書をドゾ。一例をあげるとジャックはインド旅行にしてマハラジャも顧客としますたとゆー事らすぃ…

 でもって一番のポイントは、エドモンド・ジャガーとEWCCのとこじゃね?でこちらの詳細は本書をドゾ。

 アリス的に時計というと、スイス時計で、フランス時計ではないんですが(笑)まぁでも、雑学データベースのアリスならばカルティエを知らないとは思えないんですけど、でも、スイス時計の時の准教授共にブランド品に興味なしとゆーか、該当なしみたいなノリなんで、カルティエの時計…してるとしたら朝井さん位か?バブルの頃の女子大生ならあると思いますだけど、21世紀の女子大生的にカルティエの時計標準装備ってどの程度なのかなぁ?

 他にアリス的というより、准教授的になるのかで、シガレット・ケースのエピが凄い(笑)「1932年にチャーチルがカルティエ・ロンドンに注文したシガレット・ケースは、封筒の形を模し、表面には七宝細工の切手が貼られ、息子の住所と名前が刻まれていた。これはすぐにものをなくす息子に、「たとえ紛失しても、すぐに戻ってくるように」というジョークを込めた贈り物だったのである」って…これがブリティッシュ・ジョークなんでしょーか?ウルフ先生?それにしても英人の紛失ものネタって、多い気がするのは気のせいか?ちなみにこのシガレット・ケース、フォルムといいデザインといい、実に美しい一品です。

 カルティエに戻ると、カルティエの時計の成功というのは、大量生産の真逆を行くそれを最初から貫いた事じゃね?になるんじゃね?ですかねぇ(笑)「カルティエが造った腕時計第一号は、戦争とは全く無関係な、飛行家アルベルト・サントス・デュモンとのプライベートな友情の証である特別な時計だった」事は周知の事実なんですが、これによって「同時代の時計メーカーならば陥りがちな、利潤を約束する枠組みから大きく逸脱するこのできごとが、かえってサントスという腕時計のモデルとカルティエの地位を神話的に高めることになった」とな…

 ちなみにベル・エポックの時代は紳士は懐中時計一択とゆーご時世だったらしい…腕時計なんて女子供のする事よってゆー風潮だったよーで…でも、サントスは飛行機操縦するのにいちいちポケットから懐中時計出して見てられっかいって事で、これを友人のカルティエに話したら、腕時計のサントスきたこれになったらすぃ…需要が供給を生むってか?

 その後のカルティエと名士万歳では、あのジャン・コクトーもその一人だし、エドワード七世もキタコレだし、その後のエドワード八世(ウィンザー公)もだし、印のマハラジャもなんですよ、奥さん(誰?)って事で、こちらの詳細も本書をドゾ。

 その後、ハリウッドスターきたこれでルドルフ・ヴァレンティノ、グロリア・スワンソン、マレーネ・ディートリッヒ、グレース・ケリー、マリリン・モンロー、カトリーヌ・ドヌーヴ、エリザベス・テイラー、リチャード・バートン、ウォーレン・ビューティ、ジーン・セパーグ、アラン・ドロン、ウィリアム・ホールデン、アントニオ・バンデラス、ジュリア・ロバーツetc.と綺羅星の如く顧客いまっせの世界らすぃ…こちらの詳細も本書をドゾ。

 豆知識的には、「熱狂的なイギリスかぶれのことを「アングロマニア」という」そで、「フランス革命前夜、難を避けてイギリスに逃れたフランスの貴族たちは、こぞってアングロマニアになって革命後のフランスに帰国し、イギリス的な趣味や習慣を熱心に布教したといわれる」って、ホンマでっかぁーっ?で、これによって「ダンディズム」も全世界にキタコレとなった模様…いつの時代もマニアというか、おたくって凄い…

 「理想的な支配階級のあり方として、イングリッシュ・ジェントルマンのライフスタイルに熱い視線が注がれていた」そで、これにロンドン・ダンディ付加されて、「ダンディズムがフランスに認められて以後、イギリスは男性ファッションの世界の中心地として揺るぎない地位を築くことになり、その威光は20世紀に入ってますます光り輝いていく」のだそな…

 英国ファッションきたこれなんですかねぇ?で「毎朝の散歩の装いが、ヨーロッパ中につまびらかに報道されるほどのカリスマだった、エドワード7世の功績は大きい」って、ピ〇子のファッションチェックっか(笑)

 ちなみに何故カルティエが世界の王室御用達になったかとゆーと、「エドワード7世が認めた店だったからである」だからだそな…それで世界中の王族が御用達にしますたとゆー事らすぃ…歩く広告塔か?エドワード7世?

 豆知識的には、サントス関係で、「ブローニュの森のサッカー場の一角に、サントスの飛行船の発着所跡と記念碑がある」そで、「ル・ブルジェの「航空宇宙博物館」では、彼の偉業を表した模型や、サントスが設計した飛行機のコピーを展示」してるそな…

 も一つ、博物館つながりで、カルティエの場合、「スイスにミュージアムがあり、バリ本社のアーカイブと共に、カルティエのヒストリカルな面を担う重要な拠点となっている」そな…

 他にもたくさんたくさん本当にたくさん時計満載、エピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。個人的には、ダリのデザインじゃねな面白い形をしている、ベニュワール・クラッシュを見て見たいものよのぉ、越後屋かも(笑)

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