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2017年2月 7日 (火)

動中の工夫は静中にまされり♪

一澤信三郎帆布物語  菅聖子  朝日新聞出版

 何とゆーか、京都の鞄屋さんのイメージでいたら、恰好のワイドショーねたになって全国区で名前をとどろかす羽目になったけど、街の鞄屋さんの立ち位置はどこまでも変わらずって事でオケ?

 一澤帆布のあの赤く縁取りされたロゴは、京都から遠く離れた東の地でもチラホラ見る位ですから、京都、及び近畿圏ではそれ以上のネームバリューがあるんじゃまいかと推察いたします。それが、骨肉の財産争いというか、遺言書の偽造問題で大騒ぎさとなった経緯についての詳細は、本書をドゾ。

 尤も、本書は世間が面白おかしく書きたてた裁判沙汰のお話がメインではなくて、タイトル通りの街の帆布店、鞄屋さんの日常を描写しているとこじゃまいか?ざ・にほんの手仕事みたいな?昭和のかほりというと、どーも昨今は良いイメージが今一ですけど、こちらはまさに日本の20世紀と歩んできた道って感じが…でもって、傍からみればもー十分老舗と名乗ってもおかしくないと思うけど、京都的にはまだまだ新しもんかもねな帆布屋さんに、突如起きた大騒動の果ての再スタート物語だろか?

 まぁ、中の人はあまり変わっていないけど、でも、心機一転リフレッシュで新装開店だろか?何とゆーか、凄いとしか言えねぇの世界かなぁ?そんな訳で、本書は淡々と出来事を並べているだけなんですが、出てくる人達が皆一癖ある人達ばかりで、京都人気質の真髄を見たって感じでしょか?

 これまた大変失礼な言い方でアレですが、京都人というと、イケズとか、はんなりとかクールな世界の住人で人情厚いイメージがこれまた薄いんですけど、いやー京都人熱いっ。そんな訳で、本書は終始一貫して、京都は燃えているか、じゃね(笑)

 それに付随しては「京都というところは、人間関係がクールやと思われるかもしれませんが、ちゃんと仕事をしてこられた人に対する評価は非常に熱いんです。それに「長男やから店を継ぐのは当たり前」というような古い発想はありません。長男があかんかったら次男や娘婿が継ぐという話はそこらじゅうにある。地道に積み上げてきはった人が継ぐべきで、そうでない人には評価なんて与えられへん。京都やからこそ、そんなことは許されないのです」(@小島富佐江)だそーですよ、おぞーさん(誰?)

 アリス的には、京都ですから、アリスもこちらの鞄の一つや二つは持っていてもおかしくないと思われですけど、何より、准教授が持ってそーだよなぁ?ええ、46番目の多趣味人間准教授の趣味の一つの登山キタコレで、登山関連グッズ、こちらで扱っていたそーで…

 ちなみに一澤帆布的には、戦後「綿規制が解除されたころ、戦後の登山ブームがやってきて、本格的な登山用ザックを展開していくことになる。きっかけは、大阪で登山用品店「好日山荘」(日本初の登山用品専門店。大阪で大正13年に開店。輸入販売などを行っていた)を営んでいた西岡一雄と、信夫の出会いだった」そな…キスリング(帆布製の登山用大型ザック)、テント、オーバーシューズetc.とキタコレになったらすぃ…こちらの詳細も本書をドゾ。

 後は、今回の二通の遺言書の筆跡鑑定のとこから、筆跡鑑定って一体?どよ?の件かなぁ?臨床犯罪学者的に(笑)実態はとゆーと、「現在、日本で行われている筆跡鑑定は、非常に問題が多いのです」(@魚住和晃/神戸大学大学院国際文化学研究科教授)って事らすぃ…

 どゆ事とゆーと、刑事事件の場合は「犯人を追跡する手がかりとして、各都道府県警の科学捜査研究所で行うもの。その内容は捜査に触れるために、詳細が世に出ることはありません」(@魚住)とな…ところが民事裁判だと「犯罪捜査とは性質が異なり、争う両者に弁護士がつくように、筆跡鑑定人も双方に雇われる。彼らは仕事として対価を受けて鑑定するため、依頼者に都合のよい鑑定書を、それぞれの方法論で作成するんです」(@魚住)って、ホンマでっかぁーっ?よーするに、鑑定人って、お雇い鑑定士って事で、御用鑑定人って事か(笑)

 しかも「今の日本には筆跡鑑定士の公的資格はなく、手法も統一されておらず、そこには社会正義もなにもありません」(@魚住)って、職業倫理って、何だっけ?何だっけ(笑)

 そんな素敵な鑑定人とは「現在、国内で筆跡鑑定人と名乗る人は警察の科捜研OBが多いという」「民事裁判のために鑑定人が鑑定書を作成する場合、一般的に一件につき40万~50万円の費用がかかる」のだそな…

 悪く言えば、依頼人サマの言う通りぃーに鑑定しますがまかり通るとすれば、偽造文書なんて幾らだって出来まっせの世界じゃね?オレオレ詐欺なんてかわいいもんになりそーな悪寒ってか?天下のお墨付き、筆跡鑑定ついてまっせー(笑)何か筆跡鑑定士のイメージ変わったなぁー、むしろ鑑定書ついている方がヤバくね?

 さて、裁判の方は敗訴敗訴でこの世に正義はあるのかぁーっ?なノリで進みますが、三度目の正直じゃないけど、新たなる戦いじゃないけど、遺言書無効裁判リターンマッチってか?とゆー事は必然的に筆跡鑑定再びなんですが、今度の助っ人は、魚住先生は勿論、「京都在住の医師であり、骨董や刀剣などのすぐれた目利きである加藤清允、池修の3人だった」とな…

 こちら紆余曲折についての詳細はホント本書をドゾ。最終的に勝訴に行きつくんですけど、それまでの山あり谷ありの裁判合戦がパネェ…でもって、もののプロというか、目利きって並じゃねぇーとゆーのが強烈に残った感が…ついでに言うと「京都科捜研によって筆跡鑑定が行われ、再び2通の遺言書は「同筆」と結論づけられ、嫌疑不十分となった」のとこでしょかねぇ?「その鑑定書を要求したところ、京都地裁からの提出があった。それに目を通した加藤や魚住は、科捜研の鑑定書の「レベルの低さ」にあらためて驚くことになった」そな…

 まぁ裁判とは疑わしきは罰せずが基本ポリシーとはいえ、京都の裁判所及び裁判官及び科捜研及び筆跡鑑定士(警察OB?)って、大丈夫なのか?とマジで気になるとこなんですけど?京都だけがレベルが低いのか?それとも、全国区的にこんなもんなのか?日本人なら、ついでに納税者ならなおさら、気になるとこじゃね?

 本書は本当に中立、公平であろーとしてか淡々と書かれていますが、本書的に誰やねんそれは?は、裁判長と鑑定した人のお名前じゃないかなぁ?そして、逆転勝訴の判決を下したのが京都ではなく、大阪高裁というとこも、何だかなぁ(笑)京都の市民の心意気と、京都の公務員の志に接点はあるのか?と(笑)

 外野がとやかく言うのも何なんで、「裁判というのは、恐ろしいもんやなあ。裁判官は真相を見きわめてくれるもんやと思うてたけど、最初はそうやなかった。その結果、これだけの年月と労力がかかったわけや」「世の中に悪いことがまわり通ったらあかんということ。うちだけに限った事件ではないし、筆跡鑑定のことも含めて、世の中に一石を投じ、警鐘を鳴らす結果になったと思うてます」(@信三郎)って事だろなぁ…

 でもって、最近はともかく、どちらかとゆーと裁判沙汰って低めの日本でこれだから、あの三度の飯より裁判が好きなんじゃねの裁判の本場、米サマでは勝訴敗訴で凄い事になってんじゃねと、ふと思ってしまった…まぁあちらは弁護士の数からして尋常じゃないからなぁ(笑)

 後は、同志社カラーが紫色とか…そーだったのか?准教授?あっそれと忘れてはいけないのは、「大学は同志社に行ったんやけど、学園紛争でぶらぶらしていたので親父に「手伝え」と言われ、いろいろなことをしました」(@信三郎)とか(笑)

 さて、渦中では、本当色々あってなの世界が展開していくんですが、判決に不服としたのは、本人達もだけど、むしろ回りの人の憤りの方がパネェじゃまいか?かなぁ?当事者達はむしろ当惑の方が大きいみたいにお見受けするが?

 まぁそんな訳で「一澤信三郎さんを応援する会」が有志によって立ち上がったと…ちなみにその中の人達は「大徳寺真珠庵の山田宗正住職、割烹料理店なか一の主人須原陽一、京町屋再生研究会でNPO活動を行う小島富佐江などを中心とするメンバー」だそな…

 蛇足ですが「いつごろでしょうか。「一澤さんとこ、ややこしい話があるみたいや」と、ちらほら聞こえてきました。でも京都人としては「どうなった?」と聞くことは絶対にできひんし、お身内の問題やと思うてましたので、あえて口にもしませんでした」(@小島)とゆー…まずは静観の姿勢の京都人達だったのに、蓋を開けてみてばみんなアンビリバボーっ?誰かがやらねばってか?

 また「帆布や金具など、一澤帆布と長年取引をしてきた企業の幾つかは、「信三郎さんが代表でなくなった一澤帆布とは、取引しない」と表明した」りとか、その他大勢についての詳細は本書をドゾ。これが京都の正義か(笑)

 そしてその中でも極め付けは「いざというとき、男はあかんな。女性は強いもんや。何度も難しい局面にぶち当たったけれど、そのたびにうちの人に「3合目まできた」「峠は越えましたよ」「あと少し」と、ハッパかけられて、息切れしながらも前に進んできました」(@一澤信三郎)のとこじゃまいか?女は弱けど母は強しなんでしょーか?奥さん(誰?)

 も一つ「社員のみんなに対しては、本当に悪いことをしたという思いがありました。こうなることは想定外やった。もう少しわたしが着々と手を打っていたら、もっとカンを働かせて動いていたら、こんなことにはならなかったはず…」(@信三郎)の件も、トップが口にする想定外でも、責任感の違いが浮き彫りってか(笑)この国には、バックレないトップもまだいたんですねぇ…

 リストラ上等とか、サービス残業当たり前とかが昨今の風潮ですが、「ベテランの職人さんたちの中では、ぼくはまだまだ勉強不足。でも、ここにいるとチャンスはいくらでもめぐってくる。自分が本気で働いて、よいものを上げれば、ちゃんと認めてもらえるんです(@竹内洋二郎/社員)の談は、社員のやる気を上げて、活用する職場…今、日本にいったいどれだけあると言えるのだろー…現場は現場で大変だとは思うけど、うらやましい限りだよなぁ…

 まっ「うちのスタッフはほとんどが正社員。労務経費はぎょうさんかかるけど、これも流通費用がかからない分でカバーできる」(@信三郎)とゆー事らすぃ…製造直販ってある意味産地直送ですけん…それにしても、街の工房でちゃんと正社員として雇う、その心意気が凄くね?小さくてもやれます、そのものだよなぁ…大企業が軒並みアレなのと、つい比べてしまふ(笑)

 まぁそんなこんなでこんな科白も出てくるんだろーなぁで「東京では、お金や力で相手を評価することが多いやろ?でも、京都ではその人の人柄や生きる姿勢や、商売のありようが問われる。大きいことがすごいとは、おそらく京都の人間は誰も思うてへん。そういう風土が残っている土地なんや」(@信三郎)の件かなと(笑)ええ、東京砂漠ですから、うるおいありませーんてか(笑)成程、京都から見ると東京とはこーゆー風に見えているんだなぁと、ちょっと笑いますた(笑)

 ままま、政治や行政が一番にしなくてはならない事は、正直者が馬鹿を見るよーな社会にしてはいけないですけど、今の永田町と霞が関がアレですから(笑)

 さてさて、鞄屋さんなエピもいばーいあって、その一つ一つがこれまた実になるほろな世界でして、例えば「わたしは、かばんのデザインというものは、みんなで相談しながらではなく、個人がそれぞれのやり方で考えればええと思うているんです。誰もが納得する平均的な形より、個人的な思い入れがあるほうが、断然おもろいもんができるはずやから」(@信三郎)とゆー方針が、経営者から出るとことか(笑)

 新作で柄物に挑戦の件も、「信三郎は流行に乗った柄を生み出そうと考えていない。思いがこもったひとつひとつの柄を、長く世に送り出していければそれでいいと言う」の件も、昨今のコンテンツ寿命が極端に短くなっている傾向から、完全に逸脱しているよな…何とゆーか、これが日本のアート&クラフトじゃね?

 こちらの帆布屋さんで使用する帆布についての詳細は本書をドゾ。原材料からして特別らすぃ…でもって、その染色のとこで「くすんだ淡い色のものが多いでしょう。あれは一澤さん独特の色合いですが、冴えた色味よりも、よほど出すのが難しいんです」(@Aさん/染色と防水加工の加工会社)とな…染色、奥が深い…くすんだ色より冴えた色の方が難しいのかと思ってますた…

 何よりもこちらの凄いとこは販売した商品は全て修理を引き受けるとこ…「たいがい修理は採算が合わんなぁ。それでも修理を受けているのは、製造責任やと思うてるから」(@信三郎)の件じゃね?成程、壊れても想定外だから責任ありませーんと丸投げするどこかのトップとは心根が真逆なんだなぁ…日本の良心がここにありますってか(笑)

 豆知識的なとこでは「帆布の材料となる綿が、日本へ初めて渡ってきたのは799年やと言われています。三河の国に背の高い、瘦せた色の黒いおっさんが漂着した。おそらく印度人でしょう。そのおっさんは、片手に「弦の楽器を持ち、片手に壺を持っていた。彼はその一弦琴でもの悲しい歌を歌っとったそうです。そして壺の中には綿の種がいっぱい入っていた。それが瞬く間にパーッと日本中に広まったという話です。それから5年ほどして、最澄や空海が中国に渡り、織物の技能が入ってくる。その後、木綿は日本の温暖な地域ならどこでも作られるようになりました」(@一澤信夫)という説もあるとな…帆布の歴史は綿の歴史か…当時からインド綿みたいなのも輸入されていたんでしょかねぇ?

 尤も、栽培が一般的になって、庶民にもになるのは16世紀、戦国以降という事になるらすぃ…「綿は日本各地で作られるようになり、帆布も手織で作られましたが、それを機械織りにしたんが島津藩やった。これが江戸時代から明治の初期にかけてのこと。その機械は今も鹿児島に残ってるそうや」(@信夫)とな…更に「明治の終わりから大正のはじめにかけては、国を上げて紡績の工業化が進んでいった時代、「近江帆布」とか「横浜帆布」とか「倉敷紡績」っちゅう会社ができて、帆布は工業生産されるようになる。丈夫なええ帆布が量産され、一般に普及するようになって、テントや袋などいろいろな用途に使われ始めたわけや」(@信夫)って…下手な日本史より実感がわかね(笑)

 それと一番肝心な事を一つ、「帆布とは、綿や麻でできた、縒りの強い生地のこと。1平方メートルあたり8オンス(227g)以上の厚手の布だ」そな…基本のキはここからだよね(笑)

 豆知識的にも一つ、「明治のころの牛乳屋はんは一斗缶に牛乳を入れて、杓のついた枡ですくって売っていました。びんで売られるようになるんが大正時代、昔は牧場から牛乳を運んできて、朝の4時ごろに牛乳屋がびんに詰めて蒸気で蒸して、アツアツを箱に入れ、荷車に乗せて引いていました。大きな牛乳メーカーができたんは昭和の7、8年やないかと思います」(@信夫)って、最早先代、生き字引じゃね?

 本日の教訓、「悪いことをしたらあかんというのは、今回一番学んだことでした。どこかで見てはる人がいるんやから、ちゃんとせんとあかんのや、ってね」(@小島)、お後が宜しいよーで(笑)多分、閻魔サマも見てるだと思ふ(笑)

 他にも色々、本当に色々エピいぱーいですけど、興味のある方は本書をドゾ。でもって、本書で一番、なるほろと思ったとこを一つ。一澤帆布の騒動が表沙汰になった時「報道後、いちはやく電話をくださったのは、俵屋旅館のおかみ、佐藤年さんでした。そして真っ先に「職人はどうしたの?」と言われたんです。わたしたちについて来ると言ってくれてることを伝えると、彼女は安心した声で言ってくださいました。「よかったわ。こういう仕事は職人が一番大事やからね。職人さえついて来てくれれば、あとは何とかなる」って」(@一澤恵美)とな…どんな時も人を大切にする、これ人として基本中の基本じゃなかろーか(笑)

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