« 50%プラス1は誰の手に(笑) | トップページ | おさえると浮いてくる。浮いてくるから、またおさえる? »

2017年4月15日 (土)

究極の共同幻想?

SとM  鹿島茂  幻冬舎

 うーん…何かとてもアレな響きですが、本書は著者が後書きで書いているよーに、実践指南書でもなければ、インサイド・レポートでもないとな(笑)本書はむしろシリアスな文明論・文化論じゃね?でして、どちらかというと歴史とは何か?人類とは何か?の世界観かなぁ?

 それより何より一般に普及しているSMのソレと、本来のSMとの定義というか、感覚の間に深くて暗い川がある位じゃ済まないくらい乖離していないか?じゃね?実はSとMというのは非常に個人的な関係性であって、単独でのソレみたいなのはどよ?かなぁ…

 どーゆー事かとゆーと、「Mはいたぶられて快楽を感じるとしても、相手は誰でもいいというわけではないのです。好きな人に、自分の気に入ったやりかたでいたぶられないとダメなのです」だそーで、パンピー的にはSMってSに主導権があるよーに見えて、中の人的にはMに主導権がある訳か?SとはMの望むSである、が正しいSMの在り方らすぃ…

 それはともかく、最近ではSMという単語、あると思いますだけど、実は「十九世紀の後半まで、人々は、Sという概念もMという概念も持ち合わせていなかったのです。その証拠に、それを表す言葉が存在していませんでした」とゆーから、SMとは非常に新しい単語であったとゆー事か?

 ちなみに名付け親(?)はクラフト=エピング(精神医学者/独)らすぃ…1886年サドの小説から「サディズムという症例名を与えることにしました」とな…マゾヒスムは「毛皮を着たヴィーナス」(ザッヘル・マゾッホ/墺)からその作家の名前にちなんでつけたとな…

 まぁ、何にせよ、加虐も支配関係も二人の関係性と信頼関係のなせるわざでしょかねぇ?つまるところ「SとMはあくまで相対的なものなので、「すべての相手に対してS」というのも、「すべての相手に対してM」というのも、どちらも、存在しないのです」とゆー事らすぃ…一方的な押し付けは存在しないとゆーSM関係とは相互依存関係か?

 アリス的には、今日は准教授のお誕生日でして、准教授永遠の34歳のお誕生日おめでとうございます。かくて、本書…何か准教授というと46番目のアリスの立て板に水の如くのプロフィール紹介を思い出し、その中でも燦然と輝く、変態性欲の権威…もーこれに勝る紹介はないよーな気がする…で、毎年、何か選択する本が偏っていっているよな…

 ちなみに「文明が発達し、人々が食べるのに困らなくなってくると、セックスに創造力がまじりこみ、SMをはじめとするヘンタイが現れてきます」って…変態ってそゆ事だったのか?准教授(笑)ある種、文化論、文明論か?

 アリス的にSMというと、白い兎かなぁ?でもって准教授の犯社的には、「現在、加虐衝動から生じる殺人事件が多発しています。これは、本来的なSMと無縁なもので、SMに関わっている人は、大いに迷惑しているという話をよく聞きます。サイコ殺人やDVはSの風上にもおけないと、Sの人は憤っています。それらは、SMに絶対的に必要な関係性を欠いた一方的な、自己中心的で幼稚な欲望の発露にすぎないからです」という事になるのか?SM界?

 まず、Sの定義が、Sは加虐を行うが、それは「Mがして欲しい加虐」の事…ここ一番大事とゆー事らすぃ…「Mがして欲しくない加虐」の場合は、「それはたんなる自己愛的な暴力になってしまうのです」だそーで、成程、白い兎ですかねぇ?まさにアレは自己愛というか、自己中の最たるもののよな?

 更に、准教授の専門領域と被るかも?で「猟奇殺人や虐待、あるいはレイプ」も本来的なSMとは無縁のもので「マッチョな国(アメリカがその典型)、もしくは、男性性が価値を持たなくなっている社会(日本の場合はこれ)で、なんらかの理由で傷つけられた(と思いこんだ)自己愛が、復権を図ろうとするときに、非常に歪んだかたちで噴出するときの表現行為のひとつと考えられます」とな…これってある意味、能力はアレなのに自己評価が妙に高い故の悲劇って奴だろか?汝自身を知れってか?

 まず、SM関係になるには、「SM契約」が成立しないとありえへーんという事になるらすぃ…「SMは普通のセックス以上に、相手の合意が必要な行為であり、契約で結ばれていなければスタートできないものなのです」とな…ある意味、究極の性的嗜好の一致って奴でしょか?うーん…

 そんな訳で(?)「「ほんとうの理想的なSは、どこにいるのだろうか?」という思いはMの人すべての永遠の難問です」という事になるらすぃ…「なぜなら、自分こそSだと名乗っている人の大半は、「支配欲が強いだけ」の自己中心的な、粗暴な人にすぎず、Mの人から見ると、迷惑この上ないということになるのです」とな…理想の女王様を求めての世界が展開しているんだろぉか?うーん…

 でもって、絶対者が君臨しているとこでは「Mというものが現象的に大量発生することはありません」だそな…この絶対者って何だ?とゆーと「中世ヨーロッパ社会ならイエス・キリスト(神)」「近世社会ならルイ十四世」「現代社会なら、ヒトラーやスターリン、戦時中の日本の天皇、文革時代の毛沢東」「北朝鮮の金日成、正日親子」とか、個人レベルなら「権威主義的家族における父親」だとな…

 で、こゆのが存在しているとこは現実社会で支配・被支配があるのでわざわざ幻想でMに走る必要もないとな…現実見ろよの世界か(笑)もしくは日常で十分とか(笑)で、そゆのが崩壊した時に、ノスタルジーとして、心の空隙を埋める為に登場するのがMとゆー事になるそな…これはもしかして被支配欲って奴なんですかねぇ…

 ある意味、強いリーダーを求める心理も、国民総M化とゆー奴なんだろか?だとしたら、それも何だかなぁ…

 まぁSM以前に、「セックスについていえば、モテモテで異性との関係を結びやすい人よりも、モテない人のほうが数が多いに決まっています」というのは真理すぎて何も言えねぇ…ですが、「性愛資本主義がターゲットとするのは、こうした性的弱者たち(モテない人々)です」とゆー、市場はマジョリティーの為にあるってか(笑)

 となると「人間関係を作ることの苦手な人々は、「面倒臭い手順を踏んで、異性との関係を結ぶよりは、イメージの中のキレイな異性と想像の中でセックスするほうがいいや」ということになってしまうのです」となって、妄想処理サイクル稼働、更に過激化に進み「DVDや雑誌は、いわゆる鬼畜系と呼ばれるものに堕していくことになるのです」とな…想像なら何やってもいいじゃないって…ちなみに、萌えの全てとは言わないが一部は映像で「自己の欲望を満たしているだけ」で、「単方向的な関係でしかありません」とな…ここにあるのはエロスではなく「歪んだ支配欲だけです」だそで、「現実では満たすことのできない支配欲を、映像の助けを借りて生まれた妄想の中で、モノと化した対象を相手に満たそうとするにすぎません」とゆー事になる模様…モテない人の支配欲パネェ…

 で、ここで、SMの歴史的考察とか…それは宗教から始まったじゃないけど、「宗教の禁欲や苦行もまた苦痛愛好症、つまりMなのですが、このM的要素が圧倒的に強いのがキリスト教にほかなりません」って、そーだったのか?キリスト教?

 卑近な例として「SMプレイで使われるバラ鞭と呼ばれるものは、もとはキリスト教の苦行用に考案されたものです」って…「先がトゲトゲになっている鞭で、自分の背中をビシビシと打ちまくり、血みどろになるロシアの「鞭打ち派」」とか「イバラのようなトゲトゲの輪を巻き付ける「オプス・デイ」という宗教などがあります」って…鞭打たれて恍惚あると思いますの世界か?

 でもね、初期キリスト教では「キリストの復活、再生」がメインで、どちらかとゆーとピカァーっとしたイメージだったのに対して、あのキリストの受難、磔刑図が俄かに増えてくるのは12世紀頃の話になるそな…甦ったぜイェイから、血みどろぐったりへの変遷はいずこにありや?と言えば、ケルトとな…

 よーするにキリスト教伝播の過程で、北に進むもしくは西に進むにつれて、土着の宗教との対立、共存的なソレでしょか?「ドルイド教の生け贄の儀式にそっくりなものを被せて覆い被せたほうが、キリスト教に改宗させやすいのではないだろうか?」とゆー戦略ですか?そーですか?かくてキリスト教的に「キリストは人類の犠牲になって、血を流して磔刑で死んでいった」がジャスティスじゃけんになった模様…

 でまぁ彼らは森の民族ですから、森のイメージも大切にって事で、「神聖な森の雰囲気をそっくり再生したゴシック様式の大聖堂だったというわけです」って、そーだっのか?カテドラル?あれが森のイメージとは知らなんだ…

 でもって、その聖堂の中のキリスト絵は、「苦悩のキリスト」が圧倒的でして、これは「聖なる森の中で異教徒であるケルト・ゲルマンの農民たちが大地母神に捧げたサクリファイスの代用品として登場したのです」って、詳細は本書をドゾですが、これがやがて、恐怖や苦痛によって相互に一体感を高める云々となってくると、最早パンピーには次元を超えている話になってきているよーな気がするが、気のせいか…

 その究極のいっちゃった感というか、M感の総体性がヨブ記らすぃ…こちらの詳細も本書をドゾ。かくてキリスト教では信者はM、でもってSとは「神さまです」となるそな…「ユダヤ-キリスト教の神さまこそSそのものです」って…で、これがキリスト教になった時に今度は「磔刑されるイエスがSとなって、Mである信徒を恐怖させ、惧れおののかせていたのですね」って…そして17世紀、ルネッサンスぅーとゆー事で、更に「神に代わって、人間が人間を鞭で打つという習慣の確立」登場ってか…欧米か(死語?)ってパネェ…

 ここまではまだSMは神様との関係で済んでいたのですが、ここであのサド登場で…結局これはサドによるS宣言、よーは神に代わっておしおきよの世界が到来したと…「極論すれば、これが「近代の目覚め」なんです」とゆー事に…ある種、人間宣言で、しかもアンチ・キリスト宣言になるのか…サドの履歴についての詳細は本書をドゾ。

 結局、どゆ事とゆーと、「ヨーロッパでSMが誕生した理由は、「キリスト教がセックスを「繁殖」と「快楽」に分離して、快楽を禁止した」という事実と密接に結びついています」に尽きるよな…

 宗教的な視点でいくと「世界的に拡大に成功した宗教というのは、たいていは、父系的な「荒ぶる男性神」なのです」「父系集団になって、初めて、「拡大、侵略、暴力」というものをはじめるわけです」とな…キリスト教もその一つで、広がっていったのは上記にある通り、でキリスト教・支配するものとケルト・支配されるもので吸収合併されていく過程で、この支配・被支配関係の肯定みたいな部分の一つがSM的な素地になったとゆー事ですかねぇ?

 で、これがセックス観にも反映されてね?とゆーのが「ヨーロッパの戦争の基本的パターンは、カッスル・キープ(城を守る)の思想で、そこからヨーロッパのポルノの伝統がひとつ生まれました」って、ホンマでっかぁーっ?「遥か彼方からやってきた騎士が、城内で孤閨を守っている貴婦人を落とすという騎士道風の恋愛がポルノに転化する」とな…そーだったのか?ポルノぉーっ?

 さて、SMとちょっと離れての近代化とは何ぞや?の件が非常に面白いので、是非本書をドゾ。近代の目覚めとは自我の目覚めであり、それは己の取り分の話に繋がると…神の取り分とか共同体の取り分なんかみんな止めて自分一人の取り分で何が悪いんですかぁー?とゆー奴である、どこかで聞いた覚えがあるフレーズだなぁ(笑)

 それでどーなったかと言えば、「最後はお互いに殺し合い」の世界に突入、でっとおああらいぶやねんの世界が展開すると…で、この泥沼の殺し合いを避けるには、友人関係を結び、そこはお互いに不可侵領域として手を出さないという協定を結ぶと…これが「友愛」とゆー概念らすぃ…何か友愛と聞くとろくな結果にならねぇーなイメージが昨今先行してますが、元は割りとまともだったよーで(笑)まぁ友愛についての詳細も本書をドゾじゃね?結局、この友愛関係は限りなく美しスですけど、それは友愛の輪の中にいればという限定付で、それ以外ならどよ?とゆー…とある研究者談のよーに「友愛を、近代の諸悪の根源」とゆーのもあったりするんですよ、奥さん(誰?)

 つまり、自分の一人勝ちを夢見てじゃ世界は殺伐とするので平和共存するにはどげんとせんといかんとゆーのが近代思想という事になるそな…それの最大アンチがスターリニズムだそで、できる限り「国家や共同体のために捧げよう」という考え方なんだそー…

 も一つ、これもご尤もな話じゃねで、「理想を語りはじめる時点で、その人はもうあぶない」…金言じゃまいか(笑)「ユートピストは不満の多い、爆発しそうなものを抱えた「危ない」人物といえるのかもしれません」の件じゃまいか(笑)

 素朴な疑問にSMでは何故、鞭を使うのか?ですけど、その答えは「ヨーロッパは家畜文化圏だから」だとな…まさに究極の欧米か(死語?)更に、「ヨーロッパのSMでは、馬用の「拍車」も利用されています」当然「血まみれの様相を帯びてくるのです」って…他にも「鳥人間」とゆーのもあって、「体に油を塗り、鳥の羽をつけたMがSのオモチャの鉄砲で撃たれて逃げまわる」とゆー趣向らすぃ…何とゆーか家畜趣味極まれりの世界らすぃ…欧米って…かくて「Mは馬、Sは馭者」という立ち位置らすぃ…

 ついでに言うと欧米には鞭はあっても縄はないそな…縄って日本独特のものなのだろか?

 それとMの人はクールビューティがお好きらすぃ…ツンデレも守備範囲ってか?

 ミクロ的なSMはともかく、マクロ的なSMを見ると、「支配欲しかなければ戦争は起こっても文化はなかなか生まれません」とゆー事になるのだろぉか?ある程度文化が進まないとSM文化は花開かない模様…SMって…こちらの詳細も本書をドゾ。てもって、「文明の開放度は、女性の開放度に正比例する」(@フーリエ)だそーで…ついでに言うと「支配欲からは政治は生まれるが、文化はなかなか生まれません」ともあって、だいたい殿方がとりつかれるのが、戦争と政治だから、成程男性の文化度って…皆まで言うなのの世界か…結局、どゆ事かとゆーと一人勝ち一人占めの世界に文化はないとゆー事じゃね?

 てな訳かは知らんが、世界的に見た場合「チンギス・ハーン的な「支配する」「人間をモノ化する」というプロセスの進行した中国、中東、モンゴルなどでは、SMは歴史的にほとんど見かけられないようです」だとな…翻って日本はどよ?というと「こじつけではなくて、SM的なものがかなりあります」ゆー事で、実は理想のSって光源氏だったんだぁーっ?っホンマでっかぁーっ?

 とはいえ、欧州のSMは苦痛が原点にあるとすれば、日本のSMは自由への束縛にあるらすぃ…何かもーSM文化論として見ていくと、世界史もまた違って見える事になるんじゃなかろーか?いや実にすっごいですねぇーっとしか言えないよな…

 豆知識的には、キリスト教的にはアナル・セックスが死罪ってどよ?というか、あれゲイ関係の話かと思っていたら、婚前交渉のせーだったのか?よーするに処女性とかに拘るならば、その迂回路としてアナル・セックスすればいいじゃないとゆー事らすぃ…で「禁欲を旨とするキリスト教社会は弾圧を行い、「死罪」というヒステリックな地点に到達したのです」となる模様…

 も一つ、欧米か(死語?)で、実は露出プレイがお好き?もあるみたいで…どゆ事?とゆーと「愛人のヌードを自慢したくなることが多い」とな…で、どーするか?とゆーと「たいていの権力者は、愛人の裸を自慢するために、愛人のヌードを画家に描かせ、それを聖母マリアの絵画にしてしまうのです」って…「聖母子」(ジャン・フーケ)のモデルはシャルル七世の愛人だったアニュス・ソレル…「オダリスク」(プーシェ)はルイ十五世の愛人の独の美少女、でもその少女を見出してのはカサノヴァ…「ウルビーノのヴィーナス」(ティツィアーノ)もその系列じゃね?な説もあるとな…

 更に、宮廷恋愛絵巻inヨーロッパの場合…12世紀の仏のアリエノール・ダキテーヌから始まるってか?詳細は本書をドゾですが、アキテーヌ女王で、後に仏女王、次に英女王にもなったお人ですが、「自分の城で吟遊詩人たちを集めては自分を賛美させる詩を書かせていました。それが円卓の騎士の物語というものでした」でもって、それは「絶世の美女に男たちが純愛をささげるのだが、肉体を求めることはない」というストーリー…「この宮廷風恋愛が「純愛」のはじまりといわれています」って、そーだったのか?純愛?

 で近代になって「サドの時代」「S男原理の時代」がやってくるですけど、19世紀デカダンスがやってくると今度は「ファム・ファタール」の時代がキタコレになるのか?運命の女に翻弄される恋に生きる俺にうっとりってか(笑)で、時代は一挙にMの時代へとシフトチェンジらすぃ(笑)

 豆知識的にも一つ、「毛皮を着たヴィーナス」からの派生で、間男というか、第三者的介入者とでもいおーかで、「ギリシャ人の青年」が登場するらすぃのですが、「以後、そういう役割の男は、マゾヒスムの中では「ギリシャ人」と呼ばれることになるのです。今でも、いわゆる「3P」の三人目については「グレック」(ギリシャ人)という言葉が使われているのです」ってホンマでっかぁーっ?

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。文化って、本当に凄いですね、ではさよならさよならさよなら(笑)

 目次参照  目次 文化・芸術

|

« 50%プラス1は誰の手に(笑) | トップページ | おさえると浮いてくる。浮いてくるから、またおさえる? »

文化・芸術」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 究極の共同幻想?:

« 50%プラス1は誰の手に(笑) | トップページ | おさえると浮いてくる。浮いてくるから、またおさえる? »