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2017年5月22日 (月)

公器?公器(笑)

TV博物誌  荒俣宏  小学館

 テレビ…21世紀の今となると、所謂一つの斜陽産業になるのだろーか?まぁこれはマスメディア全般に言える事かも知れないが?今でしょ(死語?)だと、果たしてテレビ視聴とネットとどちらが多いのか?それが問題だってか?

 でまぁ、タイトルがタイトルなので、テレビのハードとソフト両面から歴史的な流れで見てみよーの世界かなぁ?だから、日本の場合は、あの高柳健次郎先生来たぁーっからになるのか(笑)

 日常において、テレビもスマホもあって当たり前の世界にいると、それがなかった時代、もしくは初めてキタコレの時って、想像できにくいとこじゃね?まさにパンがなければお菓子を食べればいいじゃない?な感覚といおーか?

 でも現場的には、今でも現在進行形なお話なんだろーと思ふ(笑)でもって、こー言っては身も蓋もないんだけど、メールが普及しても手紙やハガキの郵送がなくならないよーに、テレビもネットがどれだけ普及してもなくならないんだろーなぁ(笑)となると、今後はテレビって伝統芸能として残ってゆく事になるのだろぉか?うーん?結構なお手前ですたとか(笑)

 まっ本書のタイトルからして博物誌でして、博物館に収納されるものって、やっぱ古物じゃね?と思うのは気のせいか?で、テレビもそこに収められるべき物となったとゆー事で賞味期限的にどよ?かなぁ?

 と、21世紀の今から見るとアレですが、本書発行当時は、まだ衛星放送とか、ケーブルテレビとか、多チャンネル化とかキタコレ時代でして、まだテレビに未来の大荒野が拓けている、かも?の世界観が展開していた模様…うーん、高柳先生から思えば遠くへ来たもんだ、なんでしょかねぇ?

 アリス的に、テレビ…そーいや絶叫城で准教授がチラっと映っていたみたいなシーンあったっけ?

 他にアリス的とゆーと、テレビによる異文化接触体験とゆー事での大阪キタコレってか?著者は東京生まれの東京育ち、そゆ視点からするとテレビで出合った大阪とは「ことばも違えば、笑いもエネルギーも違う。小学生のぼくには新鮮なショックだった」となるらすぃ…これも一つの異文化間コミュニケーションになるんだろか?

 「関西系の人びとはつねに「ふつうの家族」を相手にしてきた。かれがそのための方法論として使用してきたのが「コメディー」であり、「ふつうの家族」のためのテレビスターとして盛りたてたのが、関西系のコメディアンであった」とな…澤田隆治(@朝日放送プロデューサー/ディレクター)ワールドきたこれってか?

 ちなみ関東での関西系の台頭は「笑いだけで勝負しなければいけない大阪で、いわば楽な勝負手である泣きを使える全国向け(実は東京向け)番組をつくることは、鬼に金棒、盗人に追い銭を与えるようなものなのである。当然、視聴率がとれてしまうだろう」とゆー事らすぃ…

 何とゆーか、大阪での笑いとは次元が違うんだろか?こまちさんって事で、「照れ屋でわざと笑いとばす大阪人も、澤田が方法論化した「全国向けのフェイクな大阪ドラマ」なら、安心して泣くことができたのである」に至るらすぃ…こーして見ると大阪、むしろ普通に泣きの方が難しい気がするが気のせいか?

 も一つ、お笑いネタで、「笑ってる場合ですよ~」の裏話…「漫才ブームから流れてきたお笑い系の出演者がドタバタに終始し、楽屋でも交わされる会話が、金と女の話ばかりだったという。これではタレントの品性が番組の格を下げるだけだ。横澤さんはその情況をみて、あっさりと番組をやめてしまった」とな…所詮世の中、色と金ってか(笑)まっ正直者乙で、普通殿方ってそゆ人達プッシュ派が多いと見てたんですが、そーでもない人もいたとゆー事か(笑)

 後は、関西と言う事で随所に吉本の話題が出てくるのですが、一例をあげると「関西の吉本興業が東京にまで大進出した原因のひとつは、システム化されすぎたテレビ界の怠慢にある」そな(笑)

 ちなみにテレビCMの場合「大阪でつくるCMは、電気紙芝居なら電氣紙芝居のすごさをかえって強調する方向にひらき直ってしまった、ともいえるのではないだろうか」なモノになったらすぃ…そーだったのか?アリス?今でしょ(死語?)では「きれいな女の子に代わって元氣なおばさんが多数CMに登場しはじめた今、大阪の恰好悪さはむしろ最先端になりつつある」そな…

 こちらはアリスならばもっと分かるの世界かなぁ?で、「CMで一般に伝わるのは、ことばなんですよ」(@山川浩二/電通)という事になるらすぃ…「商品をワッとはやらせるのはテレビの場合でもことばなんです!」(@山川)とな…絵がついても記憶に残るのは言葉ありきなんでしょか(笑)

 それと、テレビの制作とは「作家性を出そうとしてもできない」(@今野勉/テレビマンユニオン)とゆー事らすぃ…「作家性を出すんだったら映画に行くか小説家になるべきなんです」(@今野)とな…確かに作家性のない小説家って、どよ?だろか?アリス?

 後、こちらは片桐さんの出番になるのか?「奇妙なことに、出版社はわりあい権力の弾圧に強い。印刷設備など出版メディアの道具そのものを政府が握っていないことに原因がある」からなんだそな…そーだったのか?珀友社(笑)ちなみに「ラジオとテレビは電波の所有者が国であり、各局はそれを借りているにすぎない。当然、権力としてはラジオとテレビはコントロールしやすい」とな…あんだーこんとろーるってか(笑)

 他にもミステリ的にあると思いますでは、刑事ドラマの場合、「犯人が使っているものがスポンサーのものだといけないとか」あると思いますか(笑)

 も一つ、アリス的かもなぁなドラマで「私だけが知っている」もどよ?「スタジオに集まった池田弥三郎ら推理好きの著名人が、短いドラマを見て討議しながら犯人を割り出していく形式」なんだそな…そんな番組あったのか?アリスならば絶対はまりそーと思うのは気のせいか(笑)

 さて、世界で初めてテレビを作った人とは誰か?は、日本だと高柳健次郎じゃね?ですけど、米的には、「ウラジミール・ツウォーキンとみなしている」なんだそな…何だってぇーっ?なんですけど、よーするにテレビって「画像を電波に変えて送りだすこと」「その電波を受けて画像に戻すこと」の二つできてナンボの世界だった模様…よーするにテレビカメラとテレビ受像機の両方あって初めてテレビきたこれになるとな…更に、実に米らすぃというべきか、最初にパテント取ったもん勝ちって事ですね、分かります(笑)

 特許云々についての詳細は本書をドゾですけど、これはお国柄も出ているんじゃなかろーか?完璧にしてからじゃないと特許取得ありえへーんな日本人に対して、思いつき状態でもバンバン出願しちゃいけないんですかな米人では、およそ特許の在り方が違うんじゃね?

 後、やっぱ物に対する感覚の違い大きいんじゃなかろーか?かなぁ?テレビとは、感覚的には、日本の場合「絵のあるラジオ」であったのに対して、米では「絵のある電話」というイメージだったそな…これが「放送」と「通信」の違いじゃね?に収斂されするらすぃ…もっと言えば、公と見るか?私と見るか?それが問題だってか(笑)

 も一つ、米との違いは、量に対する感覚だろなぁ?初期の日本のテレビって一つ一つが手作りで、それこそ匠の世界が展開していた模様…だからテレビの大きさとか、形とか、みんな違ってみんないいとゆー…それが米の場合は、T型フォードじゃないけど、みんな同じ規格でドーンとな、ですしおすし(笑)

 蛇足ですけど、物量の点からすると、あの八木アンテナもご同様とゆー事になるらすぃ…どゆ事かとゆーと「一個だけなら世界一だけれど、アメリカのように何万個も均質につくれて、それを広く普及させるという基礎工業力がありませんでした」(@橋本侑/NHK放送博物館副館長)とな(笑)

 結局、20世紀とは何事も大量生産大量消費、大衆の時代キタコレなんじゃね?で、テレビもその波にどっぷりつかって進んでいく事になると…とまぁ、こんな事がWWⅡ前後に起きていた事なんでございますとゆー事らすぃ…こちらの詳細は本書をドゾ。ちなみに高柳先生の「ブラウン管を使って、画像を受ける方面をいち早く電子化した」のが1927年の事だったりするんですよ、奥さん(誰?)

 時代は戦後、日本にもテレビきたこれになった時、秋葉原って「輸入テレビの組み立てと販売」始めましたの世界だったのか?ちなみに当時のテレビって物凄く高額だったらすぃ…国産14インチで18万円ってドンダケェー(死語?)普通のサラリーマンの月収よりはるかに高いとなれば、そりゃ売れないって(笑)

 歴史的な証言というか、日本人として覚えておいた方がいいんじゃねで、「GHQがテレビ研究を禁止し、(昭和)二十一年まで再開を許さなかった。ようやく二十三年にテレビ実験を再開できたNHKは、ブランクを取り戻そうと焦った。昭和二十五年には全国巡回ラジオ列車と称する移動スタジオをつくり、テレビカメラと受像機を積んで全国十五都市、百四十万人の人々にテレビを公開するのだ」そな…

 まぁ尤も、「昭和二十八年二月一日、午後二時にNHKは本邦初の本放送を開始するという大業を達成したのである。その記念すべき開局日に流したプログラムのことを、ほとんどの日本人は憶えていない」ですからぁー、残念っ(笑)ちなみに日テレの初放送は八月の事でございましたで、こちらの詳細も本書をドゾ(笑)

 さて、戦後のテレビ局ってでは「当時、アメリカ占領軍に信任されたマスコミ人がいた。柴田秀利という人物である。かれは昭和二十一年、共産党に乗っとられかけた読売新聞の第二次争議に際し、社長を助けて闘争に勝利した実績をもっていた。連合軍総司令官はその腕をみこんで、昭和二十二、三年ごろ、これまた共産党に牛耳られつつあったNHKに、柴田をニュース解説者として送りこんだ。目的は、いうまでもなく、放送局からの共産党勢力排除であった」とな…戦後直後の共産党って…

 まぁ米の方も負けてはいないで、「ワシントン情報政策の生みの親といわれるカール・ムント上院議員」来たぁーっでしょか…「ムントは、日本とドイツが共産主義化するのを防ぐため、かれ自身が創立した「ボイス・オブ・アメリカ」に加えて、「ビジョン・オブ・アメリカ」というテレビ・ネットワークを張り巡らし、日本の情報機能をアメリカの手で握ってしまおう、と主張していたからである」って…さすが米の正義、歪みない(笑)かくて「柴田は戦後日本の新メディアの切り札、テレビ網を日本人の手で築かないと、アメリカに先手を打たれてしまうと懸念したのだ」に至る訳で…日本人の手による日本の全国ネットが急務ってか(笑)

 ちなみに「柴田は、まもなく渡米し、問題のムント議員に面会して、「日本人の手でテレビ網を築く」と啖呵を切って帰ってくる」とゆーから、柴田秀利、漢でござるの巻か?こちらの日米間の軋轢についての詳細は本書をドゾ。

 そんな訳で、帰国してそれに着手しなきゃの件がまた凄い…「ニュース解説者としてNHKにも足を突っこんでいた柴田は、テレビ網設立をNHKにもちかけてもよかった。ところがラジオに熱中するNHKは、テレビにきわめて冷淡であった。正力と力をあわせてテレビをやるから、と辞表を提出した柴田に対し、NHKは「そんな夢、二日で醒める悪酔いみたいなものだ、すぐに戻ってくるのが、落ちだ」と応じたという」とな…ちなみに「NHKが示した冷淡さは、日本政府自体の態度でもあった」そーですから、まさにその頃、テレビ放送網というものを理解していた日本人って殆どいなかったとゆー事らすぃ…

 そんな中で、テレビ立ち上げ、旗揚げした柴田と正力って…四面楚歌も何のその?ってか?他にも「昭和二十七年七月三十一日に開かれた電波監理委員会」によって、テレビ放送の免許を取得したのは、「日テレ一社」のみとゆー事態キタコレってか(笑)

 さて、この委員会の一日?一会議?についての詳細は本書をドゾ。日本の放送界の一番熱い日の一つに上げられるんじゃまいか(笑)まっともかく「この会議の途中、当時の電気通信大臣佐藤栄作さんが、未決定にして次の新設機関に引き渡してくれ、と申しいれてきたり、事務局の長官以下全員が辞表を出したり、実に多難な一日でした。わたしはあの日を最後に、官僚生活と別れを告げ、民間の仕事にはいったのです」(@網島敦/電波監理委員会委員長(当時))のお言葉でお察し下さい…

 も一つなるほろなお話で、放送方式6メガか、7メガか、それが問題だで、「日本でテレビ放送をはじめるかどうかを討論していたとき、たいていの人は実物を眺める機会なんかなかったんです。だから学者とか先生とか理論的に考えて、実際の絵なんか見ないで、周波数の幅が広いほうがいい、たくさん使ったほうがいい、と意見を出しただけなんです。技術屋からいえば、周波数の幅が広くて、たくさん使えるほうがいいに決まっていますよ。しかし、周波数の幅を広げれば、それだけチャンネルの数が減って、あとから申請する人が枠をもらえなくなるんです。つまり、寡占状態になってしまう。ですから、わたしたち行政側からいうと、あとからくる人のために、チャンネルの数ができるだけ多くて空があるほうがいいんです」'@網島(とな…何かもー、昔から御用学者って伝統芸能だったのか(笑)

 何とゆーか、こちらも昔からそゆー体質というか、中の人だったんだなぁNHKで、「七メガに固執するNHKの論拠は、御大高柳健次郎を擁して、技術屋の発想と日本独自路線の二つでした。NHKはこの独自路線に自信をもっていたんです。自前の技術でテレビもやれると。しかしこれに対し、八木博士が、とんでもない。日本はテレビについて欧米に二十年遅れている。それよりもアメリカの進んだ技術を学んで、一日も早く世界と同じスタートラインにつくべきだ、と力説されたわけですね」(@網島)って…成程、NHKアナログハイビジョン(笑)まっ世間でよく言うよーに、世の中二流のエリートが一番ヤバいってか(笑)

 そゆ事で、NHKに、高柳健次郎に、日本のメーカー「東芝、日本電気、松下、コロムビア、ビクターなど」をむこうにまわし、喧々諤々な世界に突入した模様…こちらの詳細も本書をドゾ。

 でもまぁそれだけの圧力キタコレの中でも、挫けなかったのは「終戦直後の昭和二十年九月はじめ、通信院総裁の松前重義さんが、わたしを呼んで、こう言われたんですよ。戦前の日本には情報局があってNHKだけに絞って情報コントロールしていた。こんどは短波も公開して、民放もやらせるようにしたい、とね。これが翌日閣議でも決定されて、戦後は民放を育てようという方向が生まれたんですよ。ただ、極東委員会ではソ連が日本に民放ができることに大反対しましたけどね。コントロールがきかなくなるからです」(@網島)って…大本営発表って、アレNHKが流していたのか(笑)なるほろ中立、公正、公平(笑)

 さて、モノクロからカラーへの歩みでも再びキタコレになるらすぃ…正力は「カラーの正式免許申請は昭和三十二年四月十九日」に出したもんねぇーなんですが、「開局当初、日本テレビが主張するバンド幅六メガに対抗し、七メガをぶつけてきたNHKは、その根拠が「すぐにカラー放送化する予定だから幅を広げる必要があるけというものだった。ところがNHKは、日テレがカラー申請を出すや否や、「カラー放送は時期尚早」として、またも否定的見解を出してきた」とな…

 そんな訳で、「昔とちがって郵政省が牛耳るようになっていた放送行政当局は、ほぼ三年にわたって許可を出さなかった。多分、正力が政界に進出し閣僚になっていなかったら、申請は握りつぶされたままだったろう。カラーは三年半後の昭和三十五年にやっと認可された」とな…もしかして、NHKって郵政省の天下り先の一つだったんでしょかねぇ?

 さて、ハード的なお話もありましたが、他にもソフト的なお話もいぱーいってか(笑)何とゆーか、箱が揃っても、映すものがないとお話にならない訳で(笑)野球にプロレスにお相撲キタコレってか(笑)

 結局、民間でやりますとゆー事はスポンサー来たぁーっで、スポンサー様のご意向は無視できる訳もなくとゆー事らすぃ…ちなみに「なかでもスポンサーがいちばん大歓迎したのは、スポーツ番組だった」ですしおすし(笑)

 プロレス興行?後楽園?更には「ブロ野球中継の奇妙なカラクリ」とか、今でしょ(死語?)に至るイベント業の何ちゃらでしょかねぇ?他にも全国ネット、マイクロウェーブ網問題とか、相変わらずテレビ界は丁々発止が続くとな…こちらの詳細も本書をドゾ。初期の日本のテレビ界って、何とゆーか、NHK対日テレでFA?ってノリだったんだろか?

 さてさて、スポーツ以外のソフトもキタコレで、テレビ映画来たぁーっ洋画来たぁーっ歌番組やらお笑いやら、ショービスの方のこちらの詳細も本書をドゾ。

 最近のソフト力、海外新作、流行、ニーズに対してのソレでは「テレビ局が儲かって、みんなお金持ちになるとリサーチや企画の力がどんどん落ちていくんですね。下請けまかせにするとかね」(@乾直明/「映画之友」編集/博報堂テレビ向け外画輸入部門担当)とな…

 蛇足ですけど、「今、なぜ外画がダメかというと日本語吹きかえにかけるお金がないんですね」(@乾)とゆー事らすぃ…よーは吹き替え版でないと、大多数の大衆受けはしないとゆー事らすぃ…

 後、これは今でしょ(死語?)でもありがちなネタだと思われの電通の不思議(笑)「ぼくは、つねづね感じている電通の過度な権威というか、もっとはっきりいうと横暴に近いふるまい」、「電通の下請けとしてCMづくりやイベントにかかわると、使える予算が半分になったり、仕事を一緒にする業者を自由に指定できなくなったり、といろいろ枠をはめられる体験を味わされたからだ」の件は、もしかしてはいここわらうとこなんだろか(笑)

 ちなみに「電通…というよりも日本の広告代理店はね、本質的にみてメディア側のエージェントなんですよ。新聞とか放送とか雑誌とか、そういうメディアの代理として働くわけです。ですから、基本的には報酬はメディアからいただく。メディアが広告主から得た収入の十五パーセントぐらいを、戻してもらうわけですね」(@山川浩二/電通CMプランナー)とゆー事て、おきゃくさまはかみさまですってか(笑)

 ちなみに米では「エージェントはメディアのためでなく、クライアントのためにある」ですしおすし…らすぃ(笑)「日本の広告代理店がなぜメディアの方を向いてきたかというと、それは戦前の事情に原因があるのだという。たとえば電通は、もと「日本電報通信社」という名だったことからもわかるように、共同通信などと同じ配信の仕事を受けもった。共同通信が全国のメディアに記事を流すネットワークをもっていたのに対し、電通は広告のネットワークを握っていた。ただし、戦前はラジオ放送に民営は事実上なかったので、ネットワークといっても、新聞と雑誌があるだけ。そこで電通は新聞社を押さえ、神田に本社を持つ博報堂が雑誌社を押さえるという「棲み分け」をおこなった」とゆー歴史があるそな…

 そして電通は「戦時中の企業統合で記事通信業の機能を失い、広告代理業だけが残される形になったという」でもって、戦後、「社長であった吉田秀雄が「電波広告」を提唱する」とな…まずはラジオ来たぁーってか(笑)そして正力のテレビCM構想キタコレってか(笑)こちらの詳細は本書をドゾ。

 ちなみに「現在民放でドラマを作成する場合、一時間につき三千万円はほしいという」そで、その辺りが相場か?「かりにA社が「制作費」として四千万円を広告代理店に支払うとすれば、代理店は十五パーセントから二十バーセントぐらいを天引きしてテレビ局に手わたす。するとテレビ局は営業費という名目でその中から二十から三十パーセントを差し引く。こうして残ったものが実質の「制作費」で、この場合二千万円ほどになってしまう」とな…「スポンサーはこれ以外にも電波料、ネット料といわれる番組を全国に流すための費用も負担しなければならない。これは製作費とほぼ同額である」って…ドンダケェー(死語?)

 そーなれば、スポンサーはこんだけ大金だしているんだから、納得のいくデータがあるんだろぉなぁーっ?とゆー、広告代理店がスポンサーへの説得最良筆頭が、かの視聴率とゆー奴になるらすぃ…かくゆー訳で、広告代理店もスポンサーも番組の内容なんてそんなの関係ねぇー(死語?)視聴率の数字で売り、視聴率に対して金を払う、これが業界のジャスティスって奴らすぃ…

 でもって、その視聴率というのは、「企業の交渉やスポンサーとの折衝に使われる視聴率は、東京を中心にした関東地区だけだという」なんですよ、奥さん(誰?)地方や、お年寄りによる高視聴率には「スポンサーはまったく評価しない」そで…「東京のようなマスマーケットでの商品の売り上げ増につながらないからである」で、商品が売れなきゃお話にならないとゆー非常にシビアに事情があるらすぃ…まぁ日本全国の市場規模からすると、一昔前で確か六割は関東圏だったはずだしなぁ…

 まぁテレビはスポンサーありきな商売ときたもんだな訳で、どゆ事とゆーと「排除されるテーマが膨大にある。企業そのものは取り上げられない」(@今野)とな…「テレビはなんでもやるといいながら、じつは、現代が企業社会だとすると、その企業社会の孕んでいるおもしろさ、問題、ドラマ性ができないということは、現代のおもしろさの九割をデレビがやっていないということになる」(@今野)じゃまいかってか(笑)まっ昨今の紙媒体のメディアがコンビニ批判ができないと一緒って事でしょかねぇ?

 後は、ソフトに舵きって業界人キタコレで、三木鶏郎かなぁ…名言いぱーいですけどテレビとは「いちいち絵を用意しなけりゃいけないテレビは、予算がないとまともなものができないんだ」(@三木)の件でしょか?まず画ありきで、それも見れる画となると、それなりアレって事か(笑)

 他にも「結局ね、テレビ局も電通もそうだけど、初期の放送界に集まってきたのは、文士の卵とか大学中退組とか、まともに勉強もせんのに自分は偉いんだと思いこんでいた連中なんだよ」(@三木)キタコレってか(笑)

 でまぁ、初期のテレビ界って、どこも出る杭は皆、NHKと対立するという構図、仁義なき戦い勃発でんねんになるのだろぉか?で、「昭和二十九年に発生した三木のNHK追放事件は示唆的といえる。視聴率七〇パーセントを超える超人気番組を、NHKはその影響力のゆえに潰さねばならなかったのだ」ですしおすし(笑)さすが、中立、公正、公平、昔から歪みありませーんってか(笑)

 他にも日本のソフト内容事情で、「日本人は海外で放送されるという可能性をぜんぜん考えてないね。すぐ裸と下ネタとくる。おまけに社会への影響を考えていない。「おしん」や姑の嫁いびり、「家なき子」にしても、いじめてじょ。あんなの流してりゃ、学校でいじめも起こるってのよ。「進め!!電波少年」で戦乱の最中のヘルツェゴビナ難民収容所に行ってバカなことをやらかすのも国際感覚の欠如としかいいようがない」(@井原高忠/日本テレビ第一制作局長)とな…まっ中身より視聴率、それが一番大事ぃーっですから、日本のテレビ界では(笑)

 も一つソフト事情で三木氏も語っているけど、見れる画を作るにはお金がかかるとゆー、まずそこを頭に叩き込んでおくと、次の事が言えるのが?お金かけない為にも「スタジオでチマチマとつまらない絵を撮るしかなくなる」とな…で「絵がおもしろくなければ、あとはどうしてもセリフとかストーリーとかで設定や話をおもしろく運ぶしかない」となり、その結果「放送作家主導のドラマづくりにすすむしかなくなるという流れ」になりますたとゆー…

 なるほろ、放送作家の冠増える訳か?でもって、最近のドラマは、決め科白か、決めポーズか、決めダンスの路線じゃまいか(笑)

 また一円でも高くCM枠を売る為に、テレビ局内で視聴率しばりが上がったらすぃ…こーなると、放送作家もディレクターも何もかもぶっとばして、視聴率キタコレを狙えの世界らすぃ…いきつくとこは「作家がダメで、ディレクターが能なしでも、出演者がおもしろいことをしてくれたら、それで作品は成立するんです」(@今野)とな…もしかしてはいここわらうとこなんだろか?

 面白豆知識的には、中継の時のマイクロウェーブの割り当てって、「各社、二波しかないんですよ」(@笠原健正/日本テレビ広報部視聴者センター)そで、「大事件なんかおこると中継が集中しちゃうでしょう。一緒に電波出すもんですから。絵が別の局に受信されてしまうこともありました」(@笠原)って、ホンマでっかぁーっ?それって放送事故じゃね?

 他にも、テレビ初期に出現したという街頭テレビ…「街頭テレビに使われたRCA社製は、ブラウン管がまんまるだったんですよ。今のように四角じゃなく。ブラウン管は中が真空ですから、幾何学的に一番無理のないのは丸誠でした。カラーテレビだって、初期の三色ブラウン管は丸かったんです」(@高野博/東映無線商会次長)って、なるほろ言われてみればその通りってか(笑)

 後は放送免許の条件のとこかなぁ…例えば、教育テレビの場合は、「全放送の七十五バーセントを教育番組にすること」とか、テレビ東京の場合は、「科学技術教育番組六十パーセント、一般教育番組十五パーセント、教養・報道番組二十五パーセント」とか…テレ朝も教育テレビが前身だし(笑)

 豆知識的なとこで、なるほろと思わされたとこが、「地方の文化を担っていたのは、新聞社とお医者さんだったんです。だから、地方局はどこでもお医者さんが役員なんかにはいっていたんですよ」(@笠原健正/日本テレビ広報部視聴者センター)とな…なるほろ、地方と言わずとも今でもアレだもんなぁ(笑)

 も一つ、豆で、「アメリカの統計では歯医者とテレビディレクターがいちばん短命なんです」とな…医者の不養生はよく言われるけど、そゆもんなんでしょかねぇ?何か医者って、政治家や、僧侶や、弁護士と並んでものすごーく長生きしそーなイメージですけど?

 後、こんなのもあったのかで、米にはテレビジョン・ラジオ博物館がNYにあるそーな…NY近代美術館の近くにあるそーだけど、何より凄いのは入り口で「ここは特殊な博物館で常設展示といったものは何もない。何か調べたいことがあるのか」と訊かれるそですから、お察し下さい(笑)

 他にもたくさんたくさん本当にたくさん人も番組もいぱーい、機械も技術もいぱーいですので、興味のある方は本書をドゾ。

 最後に一つ本書で一番笑えたとこを、三木鶏郎氏のとこで「「汽車」の替え歌-「♪今は国会、今は赤坂、今は小菅へはいるぞと、思う間もなく法律の、盲点くぐって、抜けて出る」お後が宜しいよーで(合掌)

 目次参照  目次 文化・芸術

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