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2017年5月 1日 (月)

南波照間へ(笑)

街道をゆく 六  司馬遼太郎  朝日新聞社

 今回は沖縄でござるの巻で、丸々一冊沖縄キタコレ状態なんですが、主に沖縄本島、石垣島、竹富島、與邦国島紀行記でしょか?

 さて、「沖縄諸島に日本民族が姿をあらわしたのは、とおく縄文式文化の昔であった」って、ドンダケェー(死語?)北九州が東と南に移動する波があって、この南下は「南九州の沿岸に住む、主として漁携民族を刺激して、南の島々に移動せしめたと考えられる」のだそな…そーだったのか?沖縄人?

 ちなみにこの移動の波は一度ではなくて「幾度となくくりかえされた」のだそー、で、「ここに、言語、習俗を日本本土のそれと共通する日本民族の一支族-沖縄民族が誕生する」に至るらすぃ…

 おおまかな民族的特徴になるのか?では「黒潮が洗っている沿岸地方は、みな背丈が矮小であるといわれている。沖縄から薩摩半島、大隅半島、土佐、熊野、いずれも背の低い人が多い」って、ホンマでっかぁーっ?黒潮って一体?

 その黒潮ですけど、「時速三ないし五ノット、幅五、六〇キロといわれるこの巨大な流れは、われわれ日本列島の住民の歴史と生活を、もっとも基底において決定しつづけてきている」そな…それは「八重山諸島の最南端から北海道の最北端にいたるまでの島々」に影響を与えてきた海流なんだそな…

 他にも民族的特徴になるのか?の笑顔で挨拶だろか?「顔を笑み崩しながらあいさつするというふしぎな対人動作は中国になく、朝鮮ではまったく無いと言っていい。日本の本土と沖縄だけにあり、これは習慣というより、もうすこし民族論的に深い場所から出ているのかもしれない」とな…顔中をくしゃくしゃな笑顔でなんて、太閤秀吉の十八番のよーな気がするのは気のせいか(笑)

 ちなみに「沖縄でよく実見することだが、県外の人間に対して必要以上に無口な人が多い」って、沖縄におけるコミュニケーションって?

 も一つ、飛行場での所作(笑)「機体まで小走りに走る民族は日本人しかない、おなじアジア人でもタイ人も走らず、インドネシア人も朝鮮人もむろん中国人も走らない」そな…なのに、現地の沖縄の人も、本土の日本人も皆、飛行機きたら「チョコマカ」と走るとはこれ如何に(笑)

 沖縄史的には、「本土の歴史より十世紀以上おくれている。本土の統一は四世紀末だが、沖縄は十五世紀初めである。沖縄における鉄器の普及の遅れというのは決定的なもので、十四世紀までは石器・土器の時代だったといっていい」って、ホンマでっかぁーっ?

 ちなみに沖縄の神話時代はともかく、「可視的な歴史時代は、舜天王(一一八七-一二三七)からはじまるとされる」のだそな…とゆーと、鎌倉時代と同じ頃にスタートって事でオケ?

 「沖縄は、資源としての鉄がないために、他から買わねばならなかった。より沢山買いあつめ得た者が富を得、大きな武力を得ることを知ったのは、本土の鎌倉・室町のはじめ、つまり十四世紀ごろかと思われる。この時代、鉄を得た諸豪族がたがいに攻伐しあい、十五世紀には「第一尚氏王朝」とよばれる最初の統一王朝が成立した」のだそな…とはいえ、「本土の発達史からいえば、比嘉春潮氏らは飛鳥朝時代にあたる、といわれる」って、そーだったのか?沖縄?よーするに鍋釜などは中国から買い、刀剣は日本から買ったのだそぉ…

 この鉄器購入という流れから貿易キタコレで、「島津氏の琉球侵略までの一世紀ほどのあいだ琉球王国は、世界史的な大航海時代の波に乗ってはいたとはいえ、貿易による黄金時代をつくりだすのである」になるらすぃ…

 詳細は本書をドゾですけど、「首里の黄金時代に、八重山諸島をその勢力下に置いた。西塘が頭職に任命されたのはそのごろ(一五〇〇)だが、このころから八重山諸島は首里王朝に収奪されることになる。首里王朝は八重山諸島を植民地としての位置におき、現地出身の西塘を総督にしたといっていい。その生産をあげさせるために、竹富島に鍛冶場を置いたのであろう」とな…

 何とゆーか、こちらから見ると石垣島一帯も沖縄という一つのくくりで考えしまうけど、沖縄的には、八重山を収奪した首里王朝を収奪した薩摩とゆー構図になるのか?まるでつつきの原理のよーと思うのは気のせいか?こーなってくると、今でしょ(死語?)的に、八重山諸島のみなはまと、沖縄本島一帯のみなはまの間の価値観って?

 民俗・文化的なとこでは、「沖縄では万葉の歌垣(かがい)が昭和のはじめごろまで一般に残っていた」そな…元祖合コン?

 アリス的に沖縄…というと、ラフレシアの石垣島になるのだろぉか?

 まずは石垣島のタクシーの運転手さんからすると、関東も東北も「おなじようなものでしょう?」な感覚らすぃ(笑)そして、言葉の訛?方言?使い方?なニュアンスで、「関西弁はうまく聞きわけられるんですよ。これは、沖縄でも、この八重山でも、おなじです。よくわかります」という事らすぃ…この場合、沖縄も八重山もおなじようなものでしょうとはならないのか(笑)人の感覚って近い程に差異が分かるものなんでしょか?

 で、言葉の方ですけど、「上方-近畿地方と四国をふくめて-の言葉における抑揚、アクセントといった音としての調子は、中国地方や北九州ともひどく異なっていて、いわば日本の方言語のなかでは孤立しているにちかい。音の調子が似ているといえばかろうじて鹿児島弁が仲間といっていい」になるそな…そーだったのか?アリス?

 こちらの詳細も本書をドゾですけど、「琉球言語のなかでも、那覇周辺より八重山諸島の言葉のほうが、耳で音としてきいているかぎり、ずっと関西弁に近い」のだそな…

 「言語学のほうでは、沖縄方言は日本祖語から六世紀ごろにわかれた、といわれるが、沖縄での基本的な単語で、日本語ではすでに古語になっているのが多い」のだとか…また「沖縄言葉がわかりにくいのは、母音が二個欠けているためであろう」で「沖縄ではいつのほどかエとオが欠けてしまっている」って、そーだったのか?沖縄?

 さて、石垣の町は何故か、建物ばかりなりの世界だったらすぃ…ってホンマでっかぁーっ?ちなみに「町に樹を植えることに情熱を持たないのは、アジアのモンスーン地帯の住人に共通する精神的病弊といっていい」なんだそな…

 ちなみに「樹のないことで札つきの大阪も、遅まきながらいま府市をあげて植樹計画を勧めようとしているが、しかしそれらが都市の景観の役割をなすのは三十年後であるかもしれない」って、もしかして今でしょ(死語?)ってゆーか、そんなに緑の無い都市だったのか?大阪?

 商店街の建物についての詳細は本書をドゾですが、「この粗っぽくて白けた感じのどこかに台北か、もしくは南ヴェトナムのサイゴンに似ていなくもない」景観らすぃ…

 食材についてはお魚屋さんでは、「どの魚も冗談でそうしているみたいに滑稽な顔をしていた」って、どんな顔やねん(笑)南国らしく「青や黄の熱帯魚もいたし、深海魚もまじっていそうな感じだった」って、ドンダケェー(死語?)そして八百屋さんの方では、「青ネギも赤カブも、みな本土のそれより二廻りほど小さい」のだそな…沖縄(琉球?)野菜ってミニ系なんだろか?ちなみに「店頭にならんでいる野菜の顔ぶれを見ても、種子がそうなのか、台湾のものが多い」って、ホンマでっかぁーっ?

 また、石垣島の土地感覚でいくと、沖縄(本島)より台湾の方が身近らすぃ…「最寄りの大都会といえば、台湾の台北なのである」そで、「戦前、八重山諸島の人の多くが台湾に働きに行った」そで、復帰前も行き来は結構あったらしー、これはこちらからだけでなく、台湾からの「砂糖きび刈りの人などがたくさんやってきている」ですしおすし…

 石垣島観光で、「宮良殿内」「石垣島というより県下でもっとも貴重な住宅建築」とか、建物についての詳細は本書をドゾですが、邸宅には庭園がつきもので、お庭について「文政二年でしたよ。この家や庭ができたのは、庭は首里から庭師がやってきましてね、日本の山水の方式でつくりました」(@当主)なのだそな…ちなみに「私の目には中国風が加味されているように見えたが」とな(笑)現地的には「日本の枯山水です」(@当主)という事になるらすぃ…

 他にも御嶽あり〼でして、今ではその御嶽に「鳥居も拝殿もある」仕様に、「進歩」してたりして?とはいえ、著者が拝見した時には、かなり寂れたご様子だった模様…ここで著者の地元大阪の御嶽とは言わないが、村の鎮守の神様のぉな信仰?日常?お祭り?についてのエピの比較?詳細は本書をドゾ。ただ、「両親の代までは大切にしていた御嶽を、若い世代が見向きもせず、その現象について四十代の運転手さんが進歩で説明しようとする一連のことどもは、石垣島の人の心にとほうもない変化が相当な速度で進行しているという証拠であろう」とな…

 蛇足ですけど、沖縄の神道とは「本土の原始神道だとおもえばいい」そで、「首里王朝はこの原始神道を整備して祝女を任命制にし、政庁で統制されたこの宗教を通じて本来治めがたいかに思われた離島の統御に成功した」とゆー事になるらすぃ…どこぞの宣教師の政策のよーな気がするのは気のせいか?

 他に歴史的には、「石垣島は川や湧水が多いせいもあってマラリアが多かったと言い、室町期までは海浜の一部に人が住んでいる程度だった」のだそな…そんな訳で、今だと「水も豊富だから水田が多い。水田の中で、灰色の水牛が幾頭も働いており」でして、水牛がいるならモッツァレラチーズあるのだろーか?と、ふと思ってしまった(笑)

 そして今でしょ(死語?)では、「八重山諸島での交通の要衝は、石垣島なのである」ですしおすし(笑)

 後は、石垣島のお隣の武富島へのエピもなかなかに凄いです(笑)石垣島から竹富島への定期船が欠航していたので、「たまたま、波止場にいた船主のひとりが、竹富へゆくなら自分の船を出してもいい、といってくれたのである」で便乗するんですが、この「海上十数分」の乗船代が「片道五千円だという」って…今の五千円ではなくて、当時の五千円ですから…本書によると沖縄のタクシー料金が初乗り70円とかゆー時代ですから、700円じゃないんですよ、70円ですよ…船ってパネェ…

 それとこれは実にアリス的な表現じゃねで、「竹富島というのは波の上からみると、カレーライスの皿を伏せたようなかたちをしている」じゃなかろーか(笑)それは英都大の学食のそれも同じなんだろか?私、気になります(笑)

 で、そんな竹富島は、「島民の申しあわせによって、旅館・ホテルのたぐいは許されない。この島を訪ねる者は、住民の住まいに民宿するという規定になっている」のだそな…島内でキャンプも不可なんだとな…

 竹富島についての詳細も本書をドゾですけど、「集落は、じつに美しい」とありまして、何とゆーか、外の人間が思い浮かべる古き良き沖縄民家がキタコレ状態だろか?でもって島民にとってのこの島の名所が、犬が発見した水源(井戸)なんですよ、奥さん(誰?)なるほろ、島での生活ってまず水の供給量が一番大切って事か…でもって、日本的だなぁとゆーのは、その犬の飼い主が後に神として祀られているとこじゃまいか?島の御嶽の一つになっているらすぃ…でもって、御嶽ですけどこの竹富島内だけでも「八十六ヵ所もある」ですから、沖縄も八百万の神様というか、多神教の国だものだったんですねぇ…

 それにしても竹富島って、「ちっぽけな隆起したサンゴ礁なのだが、それが本土の室町期には、となりの大きな石垣島や西表島、またそれらをふくめた八重山諸島全体の総督府(蔵元)が置かれていた」のだそな…昔は、ここが八重山諸島の首府だったのか?

 他にアリス的というと、マレーの蛍で、提灯の木(もしくはゲタの木、お面の木)の実だろか?この実の詳細は本書をドゾですが、どゆの?とゆーと、「これに、ホタルを入れるのです」(オート三輪の運転手/竹富島)って…まさに自然そのものじゃね?大龍のとこにも、そゆのあるんでしょーか?

 後、大阪キタコレで、「大阪の都島本通で、篤志をもって「沖縄関係資料室」をひらいておられる西平守晴氏」の件があったりして…

 本書発行当時と、今でしょ(死語?)では、沖縄事情もどよ?ですが、著者の沖縄感もなかなかにアレかなぁ…例えば、「沖縄へは、私は復帰前に二度、復帰後に一度行った。復帰前に行ったときは足掻くような思いで復帰のことを祈ったが」とか、「今日、那覇の繁華街を歩いて、気づいたことだが、どの商店の看板にも、ローマ字表記および英語が使われていない」とか…

 でもって「沖縄を知るには、困難さが一つある。沖縄のほかに、「沖縄問題」というもう一つの世界がある」の件で、「論じられている沖縄というこの実体があるかのような無いかのような厄介なものを避けて通るわけにもいかず、かといってそれらの論旨にいちいち引っかかってゆくのは、私の旅の趣旨ではない」と続き、「さらに厄介なことには、私の中にも沖縄問題があることである」って…もしかして日本には一億通りの沖縄問題あり〼なんだろか?うーん…

 他にも「沖縄問題のなかに、独立論というのがある」の件で、こちらの詳細も本書をドゾですが、「沖縄人は、たとえば津軽人や長州人や肥後人がそうであるように、倭人の一派であることはまぎれもない」そな…それもともかく、独立論の後ろには、「日本とくっついていて、ろくなことがなかった」とゆーのがあるらしー…

 「「日本」になってろくなことがなかったという論旨を進めてゆくと、じつは大阪人も東京人も、佐渡人も、長崎人も広島人もおなじになってしまう。ここ数年そのことを考えてみたが、圧倒的におなじになり、日本における近代国家とは何かという単一の問題になってしまうように思える」の件は、そこに会津人も入れてつかぁーさいってか…

 そゆ点では、言語もどよ?で、「沖縄における共通語(かつては標準語)教育というのは戦前からやかましいものだったが、これを、国家主義による方言の抑圧だとし、沖縄を被害者の場に置く論議が本土のとくに東京の知識人のあいだでたえずおこなわれてきたが、なぜ沖縄だけが騒がれねばならないのか、私にはよくわからない。私の知っているかぎりでは、鹿児島県でも高知県の小学校でも、戦前戦後を問わず、同様のことがおこなわれてきた」そな…

 でも何故か「論者はつねに沖縄県だけがそのようにいじめられているように説き、併行して他県においてもその事がおこなわれていることには触れない」のは如何なものか?ってか?

 方言に対するスタンスって、一体?「方言というのは他方言の人に対してぬけぬけと押し出しにくいものだ」じゃね?ちなみに東京で「大阪人が生のままでやれば漫才師が出てきたのかと思われてしまう」って、そーだっのか?アリス(笑)

 まぁ何にしても「いわゆる沖縄問題の議論を青春のアクセサリーのようにして論じてきた東京の過去や現在の学生たちのなかで、それならば沖縄で骨を埋めようと決意した人が何人いるかと思うと」の件は、何だかなぁ…とゆーよりも著者、東京(の知識人?学生?)に相当思うところがあるのか?

 また別の沖縄問題というより、昔話になるのだろか?で、「終戦後、糸満では人身売買がありました」(@タクシーの運転手)とな…どゆ事とゆーと「労働力が足りなくて、十六歳ぐらいの男の子を買ってきて船にのせた。買われた男の子たちも、べつに差別を受けたわけでもなく、いまは立派に家庭をもって、糸満のよき中堅になっているという」とな…何とゆーか、人買いで労働って奴隷制みたいなイメージがパッと浮かんだんですけど、そこはどこまでもやはり日本なのか?むしろ強制就職なノリか?それにしても、その男の子達はどこから来たの?とゆー素朴な疑問が?

 さて、日本的な話題としては、「日本という国号は、あたらしい。たかだか千数百年前、日本に律令的気分が成立したときに、多分に対外的必要上命名されたもの」じゃまいかってか(笑)なるほろ、国の名前としては、千年、二千年なんて、たかが知れてる程度なのか(笑)

 そして鉄器の普及は、中国で「春秋戦国時代に鉄器が出現するものの、普及するのは紀元前三世紀以降」らすぃ…その流れで日本にもキタコレで、「日本では弥生式前期(紀元前三-紀元前二世紀)」に上陸し、普及したのが古墳時代という事になるらすぃ…

 ちなみに沖縄には普及しなかった模様…というのも「沖縄諸島では砂鉄を産しなかったからである」とな…

 まぁ、南北朝の日本と海というと倭寇キタコレになるのだろーか?で、「中国でいえば元末明初、後醍醐天皇の南朝が九州を制していた時期がある。この時期、中国の経済史でもあらたなエポックを劃した時代で、華南の沿岸で外洋船による貿易活動が活発になったころでもあった」そな…でもって「その活動が日本の九州をもその圏内にまきこんでおり、このため九州沿岸の海をおそれない連中が、華南のゼニ経済に積極的に参加しつつあった。それが、倭寇である」って、そーだったのか?倭寇?

 そして「南朝が倭寇の大親玉になっていた気配がある」って、ホンマでっかぁーっ?ども北朝が「土地を制し、農業を基盤」とした所謂農本主義だったのに対し、南朝は「華南の貿易船の刺激でおこった日本国内のあらたな商業活動者(内外の貿易商や馬借・車借といった運輸業者までふくめて)を財政的基盤にしていた様子があった」とな…よーするに「九州においては倭寇の元締-とまではゆかなくとも倭寇に対して権威をあたえる卸元-だったことはたしかである」って、これまたそーだったのか?南朝?

 ちなみに、倭寇問題どげんとせんといかんで、「明の太祖は建国して二年目の一三六九年使者として趙秩という莢州府の官吏をやり、大宰府で懐良親王に会わせている」そな…ちなみにこの親王、後醍醐天皇の皇子とな…何か、規模の大小はともかく、これって葡のエンリケ航海王子みたいなもんなんだろか?うーん?

 それにしても、この商業vs農業って、まるで秀吉vs家康のよーな気がするのは気のせいか?でもって、日本の場合、この手の争いって何故か農業側の方の勝利に終わるパターン多しな気がするのも気のせいか?

 また、中世日本の「評判といえば、当時、ヨーロッパ人からみた東南アジアでの日本商人の人格的印象は決して悪くないし、さらには、フランシスコ・ザビエルらの日本人評にいたっては、日本人として照れたくなるほどにいい」って、ホンマでっかぁーっ?

 だがちょっと待って欲しい(笑)で、「ヨーロッパ感覚でなくアジア人の共通感覚からみれば日本人は中世末期からすでに異質でいやらしく、南蛮商人そこのけに「譎訴」で「狼貧」で「狡猾」だったということはいえる。なぜアジアで日本だけがこうであり、またアジア人からそう見られるのかという奇妙さについては、いまは触れない」とな…何とゆーか、昔から日本ってアジアの孤児だったのか?それとも当時からグローバルスタンダードですが、何か?だったのか(笑)

 後は、インパクトあったのは、著者の軍隊に言及しているとこかなぁ?「軍隊というものは本来、つまり本質として機能としても、自国の住民を守るものではない、ということである。軍隊は軍隊そのものを守る、この軍隊の本質と摂理というものは、古今東西の軍隊に通じ、ほとんど稀有の例外をのぞいてはすべての軍隊に通じるように思える」とな…

 かくて「軍隊が守ろうとするのは抽象的な国家もしくはキリスト教のためといったより崇高なものであって、具体的な国民ではない。たとえ国民のためという名目を使用してもそれは抽象化された国民で、崇高目的が抽象的でなければ軍隊は成立しないのではないか」とな…なるほろ、殿方はイデオロギーがお好きな訳か(笑)

 他に沖縄あるあるの豆知識的には、西表島には「島の西半分の地下」に石炭があるそな…尖閣諸島の辺りは石油云々のお話があったけど、石炭もあると思いますだったのか?

  さて、現代沖縄事情としては、「首里から那覇にかけての車のラッシュは世界一だそうです」(@タクシーの運転手)って、今でもそーなんでしょか?沖縄は車社会の最右翼だったのか?

 後、建物事情では、「琉球式の建築は赤レンガ色の屋根瓦」キタコレらしーんですが、何と「一般的に樋がない。這樋も軒樋もない」ってホンマでっかぁーっ?でも「沖縄の民家は、本土の民家と先祖を同じくしているような感じがする」のだそな…

 さて、他に與邦国島にも上陸しているのですが、こちらの詳細は本書をドゾ。こーしてみると沖縄って、島の一つ一つで物凄く個性が違うと思うのは気のせいか?いやもー、沖縄というと、東シナ海のあの辺りの島々全部ひとまとめにして認識してましたが、現地に行けば、そんなもんじゃないんですらすぃ…

 後、本書で気になったとこが、糸満の漁師を語るのとこで、「たとえば熊野水軍の後裔という誇りをもつ紀伊半島の太地の鯨とり(ちかごろはあまり鯨をとっていないだろうが)とか、この糸満とかいったような漁村の名門になると、他からみても人間の傑作という感じがあるし、そこにいるひとびとも、「おれは糸満(太地)の漁師だ」ということで、漁師という職業をあらわす言葉が、胸を張った美称のひびきさえあるのではないか」の件かなぁ…

 糸満の漁師の風貌、漁港の存在感が半端ないとゆーのが、本書の文からビシバシと伝わってくるので、詳細は本書をドゾなんですけど、糸満はともかく、太地の今でしょ(死語?)それ程に誇り高い漁港が…歴史と伝統の継承と理解って…

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。

 目次参照  目次 国内

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