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2017年5月29日 (月)

ある晴れた昼下がり…あるいは、互酬、再分配、交換?

経済の文明史  カール・ポランニー  筑摩書房

 所謂一つの小論文集と思われ、うーん、読後の正直な感想としては、著者の文体がそーなのか?それとも訳者の皆様の趣味なのか?如何にも学者先生の書いた文章だなぁでして(笑)まぁ正確に伝える為に言葉を選んだ結果なんだと思うけど、専門用語が乱舞しているよーな気がするのは気のせいか(笑)

 そんな訳でトーシロにはとても歯が立たない本でございましたと、まずは敗北宣言から…何せ出てくるのが紀元前から(本書的)現代までですから…スケールが違うんですよ、奥さん(誰?)

 でまぁ、分からない時は目次に逃げるといういつものパターンで行くと…第一部 市場社会とは何か 第一章 自己調整的市場と擬制商品-労働、土地、貨幣 第二章 時代遅れの市場志向 第三章 貨幣使用の意味論 第二部 現代社会の病理 第四章 世界経済恐慌のメカニズム 第五章 機能的社会理論と社会主義の計算問題 第六章 ファシズムの本質 第三部 非市場社会をふりかえる 第七章 ハムラビ時代の非市場交易 第八章 アリストテレスによる経済の発見 第九章 西アフリカの奴隷貿易における取り合わせと「貿易オンス」 第十章 制度化された過程としての経済、なんですが…何かもーこの章題だけで、どんな世界か分かるっしょ(笑)

 後は、本書の時代背景が戦後とはいえ、今とはちょっと違うとこかなぁ?何がと言えば、まだソ連が健在だった頃なんですよ、奥さん(誰?)それは「市場なき社会として出発したソ連型西欧社会主義が、市場的分業分業化を部分的に導入する実験を遠慮深く試みてきている」(@玉野井芳郎)の件でお察し下さいの世界が展開している模様(笑)まぁそれを言えば「中国の社会建設が投げかける問題提起をあげておかねばならない。それは一九五八年以後に明確となってきた史上最初の"地方分権的社会主義"への道である。そこでは意識的にソ連型社会主義に対置する体制が築かれようとしており、しかも、その体制が西欧技術文明に対する挑戦的な意義をもちはじめていることを注目しないわけにはいかない」(@玉野井)だそーですよ、奥さん(誰?)

 よーするに共産国家が、まだ海のものとも山のものとも評価できませーん時代のお話らすぃ…そこで、市場とは?経済とは?何か?と問えば、どよ?って事にならね(笑)冷戦時代とは、経済もまた腫れ物に触るが如く、どよどよ?の中だったんだなぁ…

 まぁ、そゆ事なのか「ポランニー経済学がアメリカの経済学界のなかではほとんど無視され、むしろ人類学者として評価されてきたのが、最近になってイギリスのジョーン・ロビンソンをはじめ、新古典派の体系に批判的な論者たちによって注目をあびてきているというのも、ある意味でたいへん興味深いのである」(@玉野井)ですしおすし(笑)

 アリス的には、どよ?ですけど、こちら経済がメインキタコレですけど、でも経済学というよりは、人類学じゃね?で、更に社会学キタコレになるのだろぉーか?

 他にアリス的なとこでは、英関係のエピのとこかなぁ?例えば「イギリス史におけるエンクロージャーの惨害と、産業革命のあとに続いた社会的破局とのあいだの類似である。原則として進歩は社会的な地すべりを代価として購われる、とわれわれは述べた」「チューダー朝と初期スチュアート朝がイギリスをスペインのたどった運命から救い出すことができたのは、変化に耐えられるものにし、その破壊的な影響を破壊のより少ない方向に導くように、変化の進路を規制するということをしたからである。しかし、イギリスの庶民を産業革命の衝撃から救うことができるものは何もなかった」とな…何とゆーか、英の繁栄と悲劇はここから始まったなんだろか?

 後は、「中央ヨーロッパは、長年イギリスの経済的困難のきびしさを正当に理解しようとはしなかった。すなわち、中央ヨーロッパは、イギリスのバンク・レートがいまだに低すぎるから、ポンドの長期的な安定化は不可能であろうと、みずからの経験をもとに、独断してしまったのである。実際には、一九二五年から一九三一年のあいだに、同レートが四・五%以下であったことはほんの二ヵ月もなく、イギリスにとっては不釣合なほど高水準であったのである」で、それに続く歴史の詳細は本書をドゾ。1927年当時のシティの状況は、何かどこぞのウォール街のソレがデジャブに見えるのは気のせいか(笑)

 他にアリス的というよりこちらは准教授的になるのか?で「経済の問題に触れる時、アリストテレスはつねに社会全体に対する経済の関係を明らかにしようとしていた。その時のフレーム・オブ・レファレンスは、機能しているあらゆる人間集団のなかに依存するさまざまなレベルの共同体であった。つまり、今日の言葉でいえば、人間の問題に対するアリストテレスのアプローチは社会学的であったということができる」の件だろか?アリストテレスって社学的だったのか?

 さて、本書の方はとゆーと、本当に全然、歯が立たなかったので、気になったとこをランダムにチョイスするでヨロ(笑)

 「経済システムと市場を別々に概観してみると、市場が経済生活の単なる付属物以上のものであった時代は現代以前には存在しなかった」って、ホンマでっかぁーっ?よーするに経済って独立していたものというより、「原則として、経済システムは社会システムのなかに吸収されていた」とゆー事らすぃ…

 でもって、市場とは「農民の家計の自給自足と国民生活における自給自足の両者を助長するような、集権的な政府の規制のもとで繁栄したのである」そで、「規制と市場は連れだって発達したのであり、自己調整的な市場は未知であった」とな…

 また、「市場経済とは、市場によってのみ制御され、規制され、方向づけられる経済システムであり、財の生産と分配の秩序はこの自己調整的なメカニズムにゆだねられる」そで、「この種の経済が生じるのは、人間は最大の貨幣利得を達しようとして行動するものだ、という期待からである」って、そーだったのか?ウォール街(笑)

 そして「自己調整とは、すべての生産が市場での販売のためになされ、すべての所得がそうした販売から生じることを意味する。したがって、産業のすべての要因にとって、つまり、財(つねにサービスを含む)だけでなく、労働、土地、貨幣にとっても市場が存在する」そで、商品価格、賃金、地代、利子キタコレってか(笑)

 更に国家政策として「市場の閉鎖性を阻止するものがけっしてあってはならないし、所得は販売以外の方法で形成されてもいけない」し、「市場状態に変化に対する価格の適応-その価格が財の価格であろうと、土地、労働、貨幣の価格であろうと-を妨げるものであってもいけない」んですよ、奥さん(誰?)

 かくて「望ましい政策とは、市場を経済領域における唯一の組織力にするような条件をつくり出して、市場の自己調整を保護するのを助ける政策だけということになる」そな…ってなるほろ連邦政府ってか(笑)

 尤も、それが重商主義時代は「ギルドや都市や地方が慣習と伝統に訴えたのに対して、新しい国家権力は法律と政令を好んだだけなのである。だが、それらはいずれも労働と土地の商品化という考え方-市場経済の前提条件-にはひとしく反対した」じゃまいかとな(笑)何つったって「十八世紀の最後の十年に入るまでは、自由労働市場の設立が議論されたことさえなかった」ですしおすし(笑)とゆー事は、これが仏辺りならば仏革命まで、ありえへーんの世界だったのか?

 そんな訳で「民主制と代議政治への移行が時代の流れの完全な反転を含意していたように、十八世紀末における統制的市場から自己調整的市場への移行は、社会構造の完全な転換をあらわすものであった」とな…

 また「経済的秩序は、常態としては、それを包みこむ社会秩序宇の一機能であるにすぎないのである。すでにみたように、部族制のもとでも、封建制のもとでも、重商主義のもとでも、社会のなかに分立した経済システムは存在しなかった」じゃまいか?とな…かくて「経済活動が単独なものとされ、特殊な経済的動機に帰せられるようになった十九世紀の社会は、まったく、特異な新しい展開であったのである」になるそーですよ、奥さん(誰?)

 そゆ事で、「市場経済は市場社会においてしか存続できないのである」で、よーするに何でもかんでも市場の中にありまっせって事になるらすぃ…

 となれば、もー市場で始まり市場で終わる市場社会ってどよ?となり…「われわれは今、市場経済の制度的本質と、それが社会にもたらすさまざまな危険を、さらに具体的なかたちで明らかにすることができる。第一に、市場メカニズムがどのように産業生活の現実の要因を統制し、規制することができるのか」「第二に、そのようなメカニズムが社会をその動きに従属させて、どのような影響を及ぼしているか」を見てみよーじゃまいかってか?

 そして市場へなんですが、「市場のメカニズムが産業生活のさまざまな要因と歯車をかみ合わせることができるのは、商品概念のおかげである」じゃね。ちなみに「商品を、市場での販売のために生産されるものと経験的に定義し、市場もまた、買い手と売り手の現実の接触と経験的に定義しよう」となれば「産業のあるゆる要因は、販売のために生産されたものとみなされる」って事でFA(笑)でもって「あらゆる産業要因が、価格と相互作用をもつ需要・供給メカニズムに従属すること」キタコレってか(笑)ある種、みんな市場のコマで、みんなプライスついていて、そんな市場がみんな関連しているとゆー(笑)あなたもわたしも市場ってか(笑)イイハナシだなぁ(笑)

 で、著者の立ち位置というか、主張?正義?もしくは自明の事?として「労働、土地、貨幣が本来商品でないことは明白である」来たぁーっ(エコー付)なんですよ、奥さん(誰?)詳細は本書をドゾですが、「これらは商品ではないのである」とドきっぱり言い切っていらっさいまする(笑)

 でもって、それを市場に全て委ねて本当にええんかいっ?ってのが、著者の主張だろか?こちらの詳細も本書をドゾ。いやもー何とゆーか熱いっス…ある種、市場の奴隷になっている今の社会をどけんとせんといかんっの世界が展開しているよな?まさにこれは人間性の問題に行きつくんではなかろーか?

 てな訳で労働とは何か?も詳細は本書をドゾ。ただ「労働とは、雇用者ではなく、被雇用者という資格での人間に対して用いられる述語である」っでお察し下さい…

 まぁ何にせよ、「世界商品市場」「世界資本市場」「世界貨幣市場」キタコレでウハウハやんウハウハやんかになった模様(笑)一部の人にとっては(笑)

 そしてその危害を被った側もいぱーいありーの、これまたその反動もありーの?で今でしょ(死語?)来るってか?つつがなきや?ってか(笑)もしくは陽はまた昇る?

 とまぁ、最初の一章だけでもこんな感じで本書進んでゆくんですよ、奥さん(笑)本書で凄いのは、この調子で紀元前のソレから、現在(近代)まで網羅してるとこじゃまいか?経済というと、どーも20世紀、それもWWⅡ以降のお話がメインな事多しですけど、特に最近は90年以降の新自由主義が大手を振るっていますけど、そんな短期で真実だとモノ言うなんて甘くね?って世界かなぁ(笑)

 とゆー訳で本書はそのスケール感が実に著者の真骨頂だと思われでして、これはもー本書を拝読してくらはいとしか言えねぇ…時間も空間も自由自在って感じだもんなぁ…何とゆーか、世の中にこーゆー頭の人もいたのだとゆーのが、凄いとしか言えねぇ…世界って広いや(笑)とゆーか、本当に広いとゆーのを教えてくれる人キタコレかもなぁ…

 まぁ資本主義という、もしくは市場主義というこの病みたいなノリかもなぁ(笑)薄々そんなもんじゃないか?とパンピーも肌感覚で察知しているけど、ここまで言われるとどよ(笑)例えば「一世紀前にロバート・オーウェンも利潤動機は「個人の幸福と公共の幸福にまったく有害な原理だ」とおっさっていらっさいますし(笑)

 また「デイヴィド・ヒュームが示したように、権力の究極の源泉は意見であり、そして、これこれの意見をもたせるように誰ができるか、ということである」ですしおすし…

 何事も自由選択じゃあーっとなれば、「ハイエクのように、自由制度は市場経済の産物だったのだから、その経済がひとたび消滅すれば、農奴制がそれに取ってかわるはずだと論じる人々があり、また、バーナムのように、「経営者主義」という名の新しい形の農奴制が不可避であると断定する人々もある」ってか?自由の未来って一体?

 実に意味深だなぁと思わされたとこは「問題の重要性に気づいているアメリカ人のなかには、二つの傾向が認められる。その一つは、エリートと上流階級を信じ、経営者主義と企業体を信じる人々である」そで、も一つが「真に民主主義的な社会では、産業の問題は生産者と経営者がみずから計画的に介入しあうことで、おのずと回避されると信じる人々がいる」らすぃ…まぁ21世紀になってもサブプライム・ローンとかですから(笑)

 他に米関連としては、「アメリカが戦争で儲けた、想像を絶するほどの利益が投資先を求めていた。ヨーロッパの再建は、アメリカのヨーロッパに対する債権の救出につながるばかりでなく、それよりはるかに高次の偉大な事業-先見の明ある博愛行為-であるとみなされていた」そな(笑)「連合国間の債務総額は二百五十億ドルであった。ジェノア会議の雰囲気を左右していた背後関係に目を注ぐならば、ロシアの石油利権の分割をめぐってその会議が空中分解してしまったこと、およびロシアから債券を取りたてようと熱心になっていたのは一国だけではなかったということに思いいたるにちがいない」ですしおすし…

 また「一九二九-三三年-ヨーロッパの戦勝国と敗戦国の赤字の総和はアメリカへ移転され、そこで恐慌の形をとって現れた」とな…

 後「戦後の経済史のなかでもっとも誤解を生みやすい現象は、おそらく、この期のアメリカにおける生活水準がおとぎ話的ともいえるほど高かったという事実であろう。この高い生活水準は、現実の富の大きさの結果でもあったが、いわば世界経済の総体を分断するような干渉行為-アメリカによる高保護関税政策と移民禁止策-に由来するところでもあった」の件は、今の米人絶対認めない気がするんだが?気のせいか(笑)「アメリカは、安い人的資源と安い商品の流入を禁じることによって、みずらかの生活水準をヨーロッパの圧力から守ることができたのである」ですしおすし…

 他に独的なとこでは、独をどげんとせんといかんで独国内喧々諤々だったらすぃ…例えば「ドイツの民族主義者たちは一九一八年以前に戻れという。モェラー・ファン・デン・ブルックのような反動的ロマン主義者たちは一七八九年以前という。シュパンやドイツ・キリスト者はルネッサンスへの反逆を唱え、退行の時間を五百年にも広げる。またドイツ信仰運動は、たっぷり二千年も時計を逆戻りさせなければ、この反動の安定性も永続性もありえない、と自覚している。さらに、キリスト教を破壊しても十分ではないことを示したのはクラーゲスの業績であろう。彼にとっては、一万年(?)もさかのぼれば目標に近づくということになろうか」って、ホンマでっかぁーっ?いつの時代も独、歪みねぇー(笑)

 さて、豆知識的には、「原始社会においては商業的な交換は基本的な貨幣の用法ではないのである。ほかの用法よりも「基本的」な用法が何かあるとすれば、それはむしろ非商業的な支払いおよび標準のための使用法である」って、そーだったのか?貨幣?

 まぁ貨幣の歴史も何だかなぁで「ギリシャに鋳造貨幣が導入されたのは紀元前六世紀頃のこと」だそで、「古代帝国、ことにローマ共和国において、貨幣的財政が基本物質の財政に取ってかわりはじめたのである」そだけど、「プトレマイオス朝エジプトは基本的物質財政の伝統を保ち、これを比類なく高い効率をもつ水準にまで高めたのである」そな…そんな「プトレマイオス朝のエジプトでは、銀行の支店業務さえも高度に発達していた。その役割は、市場や交換の手段としての貨幣のないところで、高度の現物計画経済を推進することであった」とな…

 またバビロニアでは、「計算貨幣としての銀の機能、支払い手段としての大麦の使用、交換手段としての石油、羊毛、なつめやし、レンガなどの多くの基本物質の同時的使用にもとづいて、精緻な物々交換の制度が行われていた」らすぃ…

 それと「交易人のあいだでの負債勘定の清算は、プトレマイオス朝エジプトよりも千五百年前、価格決定市場ばかりか、鋳造貨幣さえもなかった「初期アッシリア」の貿易で、すでに行われていたのである」ですしおすし…

 他には貨幣の意味の拡張で、「一つは加盟の定義を物理的な物体以外のもの、つまり、観念的な単位にまで拡張するもの」「もう一つは貨幣の通常の三用途に並んで、貨幣素材を操作的な用具として使用することを含むのである」とな…

 市場の豆としては、「ヘロドトスは、紀元前四七〇年と四六〇年のあいだのある時期にバビロンを訪れたが、「ペルシア人たちは市場には通わない。実際彼らの国には市場は一つもない」(ヘロドトス一・一五三)ことを、これ以上強調しようがないほど強く断言していた。ところが、メソポタミア経済史家はこの一部を一貫して無視してきたのである」って、ホンマでっかぁーっ?

 こちらの詳細も本書をドゾですけど、その手の豆がズラズラと並んでいて、七番目に「A・L・オッペンハイムから、一九五三年二月につぎのような言葉で、部分的な確証が得られた。「あなたのこの御質問に関しましては、考古学の証拠によれば、古代近東の都市に「市場」があったということは否定されるようであります」」って、マジか?

 まぁ「市場制度の起源はそれ自体複雑で曖昧な問題である。その歴史的なはじまりを正確に跡づけるのは困難であるし、初期の交易形態が市場交易へ発展していった段階をたどるのは、さらに困難であろう」ですしおすし…

 ちなみに「交易は、起源においてなかば戦闘的な職業であり、つねに政府と結びついていた。政府との結びつきがなければ、どんな小規模な交易も古代の状況では行われなかった」そな…そーだったのか?交易?

 ちなみにちみなにアリストテレス的には、「商業的な交易は不自然な形の交易であるとみなし、自然な交易は自給自足性を維持するためのみのものであるから、もうけのないものであるとした」ですしおすし(笑)

 時代は下って、アフリカでの現地とヨーロッパ側との交易の接点って一体?でしてこちらの詳細も本書をドゾ。現地の交易は「管理交易」だったのに対して、「ヨーロッパ側のきわめて異なった交易は「市場交易」と呼ぶことができるであろう。それは価格差にもとづいて貨幣的な利潤を得ることをめざすものである」でして、奴隷貿易における両者の感覚の相違が、何だかなぁで詳細は本書をドゾ。

 他に市場に関しては、「市場が経済のなかの支配的な力へと台頭していった過程をたどるためには、土地と食糧が交換をとおして流通化させられた度合いと、労働が市場で自由に購入される商品に転化されられた度合いに注目すればよい」の件だろか(笑)もしかしてはいここわらうとことか(笑)

 後、交易する人とはどんな人?で、「一方では名誉と義務、他方では利潤がきわめて明確な主要な動機」なとこも、何だかなぁ(笑)人間だものってか(笑)ちなみに「たいていの古代社会には、通常、社会階級の最上層か最下層に属する交易人しか存在しない」ってホンマでっかぁーっ?)

 そして交易は三つに分類できるそで「贈与交易」「管理交易」「市場交易」とな…こちらの詳細は本書をドゾ。

 他に豆では「近代社会とは対照的に、古代国家では、私人に対する義務は必ずしもつねに厳格であるとは限らないのに対し、公人に対する義務は「法的に厳格である」」そな…何か、昔の方が倫理観あったんじゃね?と思うのは気のせいか(笑)

 後、これも今更ですけど、経済って?な豆で、「経済には、人間の動物的生存のための食糧供給の重要性を伝えるような、いかなる言葉からも名前は与えられなかった。物質的な生活条件の組織を統括するような名称は、ごく最近まで、文明化した民族の言語のなかにさえ存在していなかったが、これは単なる偶然ではありえない。二百年前にやっと、フランスの神秘的な思想家の一派がこの用語をつくり出し、自分たちを「エコノミスト」と呼んだのである。自分たちが経済を発見したというのが彼らの主張であった」って、さすが仏人、歪みねぇ…

 ちなみに「経済的という言葉の実体的な意味は、人間が生活のために自然とその仲間たちに依存することに由来する」そな…そーだったのか?経済?

 他に労働と、地位とゆーかで、「農民の地位がつねに尊敬されることに明らかなように、筋肉労働がサービスを提供する人間を蔑視する原因になるのではなくて、他人の個人的な気まぐれや命令のままに従属することが、蔑視の理由になるのである」の件は、そーだったのか?越後屋?

 それと「ソロンの詩には、人間の富の欲求は無限であるといった」の件は、それってウォール街で聞いてみよーってか(笑)

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。何とゆーか、経済人類学なめたらあかんぜよ、そのもののよーな気がする(笑)

 目次参照  目次 文系

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