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2017年5月13日 (土)

ローマの休日?

ローマ人の物語 41 ローマ社会の終焉 上  塩野七生  新潮社

 これからの3巻でついに最終章へ突入ってか…何事も終わりに向かって行くのは寂しいものじゃまいか?でしょか?ハッピーエンディング以外は(笑)そして、組織、手段、国、まぁ何でもいいんですが、人が複数形になったところでは適材適所が一番大切なんだなぁと痛感する本書かな(笑)それが上手く回っている時は右肩上がり、もしくは安定期を維持できるけど、生かすべき人が排除され、もしくは死すべき人、もしく退場すべき人が居座ると、国もしくは組織というのは衰退どころか真っ逆さまじゃねになるらすぃ…

 てな訳で、本書のメインキャラはスティリコだと思われ、いっその事、彼がローマ皇帝になっていれば、ローマの滅びへの道ももー少し待ったがかかったよーな気がするが…

 てゆー事で、時間は紀元395年1月、ローマ皇帝テオドシウス死亡から始まるのでごさるってか(笑)「「インペラトール」とは軍勢を率いて国土の防衛を担当するからこそ与えられる尊称だが、この名に値するローマ皇帝は彼が最後になる」とな(笑)

 まぁともかく、当時テオドシウスには三人の子供がいて、長男のアルカディウス、18歳。次男のホノリウス、10歳。そして五、六歳の娘が一人という構成らすぃ…

 そゆ事で、帝国の東側を長男に、西側を次男に譲る訳だが、これにより以後、ローマ帝国は東西に分割しますたとゆーのが、歴史的な定説になっているそな…父親のテオドシウス的には分担の予定だったらすぃが、結果は分離に…「兄弟ならば仲が良いとはかぎらないから」と「西方での軍事行動に出向く前に東方の統治を託した長子アルカディウスの側近たちに、西方からの分離を望む高官が多かったからである」からだそな(笑)

 そしてそれぞれの帝政が、「アルカディウスは東ローマ帝国の帝位に十三年、ホノリウスとなると、西ローマ帝国の帝位に二十八年間も座りつづけるのである」とな…神の啓示パネェ(笑)そして、この二人の後見にテオドシウスはスティリコ一人に託したとな…かくて、最後のローマ人と言われているらしーが、どちらかとゆーと最後のローマの良心じゃまいかなスティリコの奮戦記?奮闘記?キタコレってか?

 アリス的には、ローマ…どよ?ですが、うーん…アリスならばこの男の中の男、スティリコをどう評価するのか、気になるとこだよなぁ?男の意地の通し方って、一体?

 さて、本書の多分主人公であるスティリコとはどゆ人?とゆーと、表舞台に登場するのは「紀元三八三年、二十三歳の年である」そな…何故にと言えば「ペルシアとの不可侵条約の交渉に派遣された使節団」の一人だったらすぃ…でもって「この困難な交渉をまとめ上げたのは、二十三歳の若者だったのである」に至る訳で…

 「外交交渉には、相手側との間に妥協点を探る柔軟性も必要だが、引けない一線となれば絶対に引かない毅然とした態度も不可欠だ」って、それどこかの国の外務省に一番足りないものじゃまいか?むしろマイナスレベルじゃね(笑)

 まぁともかく、これにて「柔軟と毅然が、同時代人がスティリコを言及する際の形容句のようになっていく」とな…まさに当時から別格の人だったとな…

 かくて「皇帝テオドシウスは、帰任直後のスティリコを「皇帝護衛隊長」に任命することで功に報いた」そな…更に皇帝の弟の遺児である一人娘のセレーナを「公式に養女に迎え、自分の娘としてスティリコに嫁がせたのである」ですから、皇帝ファミリーの一員「パレンス」キタコレにもなった模様…

 後に、スティリコには一男二女を得るが、その息子のヘラクリウスは「テオドシウス帝の次男のホノリウスと同じ年頃」って事で所謂一つのご学友関係、更に実母も亡くなっていたので「セリーナが母代わりを務めたようだった」とゆー日常だったよな…

 こーして、スティリコは皇帝の行くとこにどこでもついて回る日々キタコレで、キャリアの詳細は本書をドゾですが、そんな訳で31歳の時には「軍司令官」に任命されると…これは「実働軍のトップという地位」だそな…

 さて、コンスタンティノープルの皇宮は既に「オリエントの専制君主の宮廷の影響」が強いのは今更じゃなく、更に「官邸としてよい部署で行政を担当する官僚のうち少なくない数が、「エウヌコス」(去勢された男)で占められている」そで、更に皇宮の奥ならば、全員がエウヌコスじゃねが当たり前の世界だったとゆー…

 その上「もともとからして行政を担当する者には、軍事担当者を良く思わない傾向が強い」んじゃね?で、更に「それが「エウヌコス」になると、この傾向はさらに増大する」とな…「去勢とは生殖能力を失ったということで、同性愛とは同じではない。男らしい男とは、この種の男にとって憧れの対象ではなく嫉妬の対象になる。嫉妬とは、自分よりも優越している者に対して憎しみの心をいだくこと、であるのだから」っ…いつの時代も、男の嫉妬程醜いものはない訳で…ただ、この当時は皇宮に渦巻くそれも「妻のセレーナが、皇帝の養女で皇位継承者の母代わりという立場を活用して、「盾」の役割を果たして」くれていたよーでスティリコ本人にはクッションおかれた模様…

 そして運命の「紀元三九五年」来たぁーっで、テオドシウスはスティリコを「軍総司令官」に任命し、ローマ帝国と二人の息子を託し、お亡くなりになると…この時、スティリコは35歳でござるな…実績も能力も、更には妻が皇女って事で、天下取りに名を上げれば一瞬で全てを手に入れられる立場とゆーか、境遇というか、環境にあったんじゃね?

 ですけど、スティリコは男でござるで、テオドシウスの遺志を貫き通す事を選択するんですねぇ…「この種の男は、その占める地位をもつ権力を快く思わない、敵が生まれるのを避けることは絶対にできない。だがその一方では、心酔者に恵まれることも多い。なにしろ、男が惚れこむ男、の典型であったのだから」で、シンパの一人が「エジプト生まれの詩人のクラウディアス」だとな…ちなみに後世にスティリコの足跡を書き残してくれたとゆー歴史的にありがたいお人登場ってか(笑)

 話を戻すと、テオドシウスはミラノでお亡くなりになりますたと…「四世紀の皇帝たちはローマ帝国西方での本拠を、ローマでなくミラノに置いていた」そで、理由は「蛮族の侵攻が集中しているライン河とドナウ河中域までの帝国の防衛線に軍を率いて駆けつけるには、南伊に位置するローマよりも北伊にミラノにいるほうが有利であったこと」と、キリスト教徒とって「どう言おうとローマは、異教的なローマ色が濃厚でありすぎたこと」なんだそな…ちなみに「帝国末期のミラノは、有能な指導者のミラノ司教アンプロシウスのおひざ下という事情もあって、熱心なキリスト教徒たちの都市として定着している」そな…住み心地って?

 皇帝の死、政権交代でのお約束その一は、蛮族襲来じゃなかろーか?いちばーん、西ゴート族いっきまぁーすっだろか?よーするに「同盟関係にあるのなら侵攻はしないはずだが、不都合になれば平然と協約を破るからこそ蛮族なのである」なるほろ、どこぞの中立条約(笑)ついでに「人的犠牲に敏感なのは文明の民であって、非文明の民となると、そのようなことには無神経なのが常である。これもまた「蛮族」の特徴の一つである」って、それって今でもどこぞのくnゴホンゴホン…

 そんな訳で、「ドナウの下流に沿ったトラキア北部を後に、大挙して南下」キタコレってか…かくて、軍総司令官のスティリコはアラリック率いる西ゴート族を討伐にうってでると…395年初夏、「アドリア海に沿うサロナエの町の近くの平原」で対戦キタコレで、スティリコの勝ち。軍勢を整えて第二戦で決着をつけるはずが、皇帝アルカディウスの命令書で待ったがかかると…曰く、「テオドシウス帝が東方から連れて行った軍勢はそのままコンスタンティノープルに送り、軍総司令官スティリコは、西方の軍勢のみを率いて西に引き返すように命じたものである」とな…千載一遇のチャンスをふいにしてくれたのは、「皇帝の補佐という名目で全権を握っている、宰相ルフィヌス」の差し金は明白ってか(笑)官僚とは他人の足を引っ張るのがお仕事ですってのは古今東西関係なしなんだなぁ…

 そして、その帰還式は軍最高司令官たる皇帝の大切な職務の一つで「アルカディウス帝も、コンスタンティノープルの市街から一ローマ・マイル(約一・五キロ)離れたところにある練兵場で、帰還してきた兵たちを閲兵」しますたとゆー、勿論ルフィヌスも皇帝の右隣にいるとな…その時行進中の兵が突然隊列を乱し、ルフィヌス成敗とな…

 こちらの詳細は本書をドゾ。この件に関しては実行犯の兵に対して全くのスルーであったとこからもお察し下さいの世界だよなぁ…すぐに新たな宦官が後釜について、全て世は事もなしでござるってか?ちなみにその後釜宦官は「皇宮の侍従長であったエウトロピウス」だそな(笑)

 コンスタンティノープルで内輪もめというか、中での権力闘争が全てですが、何か?では、その外では恰好の狩猟期間ってか(笑)この気を逃すはずもなく、紀元396年、アラリック再び参上キタコレですよ、奥さん(誰?)進軍は続くよで「ギリシアを北から南になめつくすことになる。マケドニアを荒らしまわった後でアカイア地方に入った西ゴート族によって、アテネが攻略されコリントが落ち」「エレウシスも略奪され」「アルゴスにまで及んだ」更にスパルタも…よーするにギリシア全土って事らすぃ…勿論、そこで「蛮行のかぎりをつくしていたのである」なんですよ、奥さん(誰?)

 にも拘らず、コンスタンティノープルは静観。「将軍ガイナスに与えられた皇帝アルカディウスの命令は、首都の防衛を固めよ、の一事だけであったのだ」とな…

 そして紀元397年、アラリック率いる西ゴート族は、進路を北に向けるとな…今度は「ギリシアの西海岸地帯が、南から北に徹底的に荒らされたのである」となな…ここでついに静観していられなくなったスティリコが出陣すると…

 ここで西からスティリコ、東からガイナスで挟撃できれば、一挙に勝つるの世界だったのですが、「紀元三九七年の春も、コンスタンティノープルからの軍勢は、いつになっても姿を現さなかった」とな…この時、スティリコが実質動かせた軍勢は1-2万人位じゃね?って事で、これで対アラリック@西ゴート族は無理ゲじゃねって事らすぃ…

 ああそれなのに、詳細は本書をドゾですが、ここでもスティリコ勝利なんですよ、奥さん(誰?)とはいえ、逃げ足だけは超一流のアラリックには逃げられたんですけど…でもって、この結果に、「コンスタンティノープルでは、スティリコに対する非難がわき起こっていたのである。スティリコも蛮族出身ならばアラリックも蛮族。蛮族同士の仲とてスティリコが戦闘に手加減したのだ、というわけだ」でして、いやもー、これから先ずっとこんな中で進んでいくスティリコって一体?元祖、おまいうはコンスタのみなはまだったとは(笑)

 だって、一番の功労者に対して「コンスタンティノープルの元老院では、スティリコを「国家の敵」として認定すべきだという声まであがった」とゆーから、これ如何に(笑)

 さすがのスティリコも追撃を止めて伊に戻るとな…で、当然の事ながらアラリックに再起のチャンスを与える事になる訳で…で、今度はアラリックご一同様は、ギリシア北西部を蹂躙し始めたとな…

 今度の戦場はコンスタンティノープルから本人達にしてみれば近いじゃないか?って事で、コンスタ住人皆夜も眠れませんの事態に突入、そして皇宮(実権はフランク族出身の将軍の娘から皇妃になったエウドシアと宦官のエウトロピウス)の下した判断は、「西ゴート族の族長アラリックは、公式にローマ帝国の「軍司令官」に任命されたのである」「イリリクム地方担当」の…

 この土地がどれだけローマ帝国での国家安全保障においての最重要地であったかは今までさんざん出てきたので、先に進めて、結果どゆ事になったかとゆーと、これからは襲撃も強奪も略奪も必要なくなったと、よーするにアラリックが「供出せよ、と命ずるだけで、何であろうと手に入るようになったのだ」って…ある意味、強盗を警視庁菅に任命したよーなもんか?それで治安が保たれるかどーかなんて、でもそんなの(コンスタには)関係ねぇー(死語?)って事らすぃ…よーするのもー皇宮は、帝国内コンスタ以外がどーなろーとかまやしねぇーに突入した模様…

 そしてこれが、その他も含めて蛮族ご一同サマ達にとって「ローマ帝国も脅せば屈するという事実を、白日の下にさらしたことにある」になったとな…

 東西ローマ帝国的に、亀裂がはっきりしたとゆー事態にもなったゆー事らすぃ…テオドシウス的には東と西を兄弟仲良く支え合えだったはずが、兄弟仲悪く別け合えになった模様…「主として東方に、西方と手を切る考え方が支配的になっていったからである」で、「コンスタンティノープルの皇宮をにぎっていた人々が、ラテン系のローマ人からギリシア系のローマ人に移っていった時期と合致していたのである」そな…成程、EUってか(笑)

 蛇足ですが、東が与えたイリリクムですけど、「地勢的にも防衛上の理由でも、西ローマ帝国側に帰すのが当然のイリリクムを蛮族に与えたのだから、無責任であり意地の悪いやり方でもあった」って、だって、宦官だもーんなのか?それとも官僚なんだもーんなのか?それともどっちもなのか(笑)

 西ローマ的に一大事でござるなんですけど、その問題を保留にしておかないといけない理由がこれまた西ローマ的に出てきたでござるで、スティリコは今度はマウタリア、北アフリカで問題キタコレになったとな…

 異民族との同化はローマのポリシーの一つでずっと続いてきた事だけど、それでまとまっていた時代の終わりって事ですかねぇ…五百年続こーが「共生にメリットが見出せなくなれば、離反の方向に向う、ということでもあった」そな…成程、メ〇ケル(笑)

 更にこれが宗教問題も忘れてはいけないで、「帝国の西方での強力な司教区は、ローマとカルタゴだった」とな…四世紀後半に皇帝の弾圧から殉教した「カルタゴの司教キプリアヌス」がいますたでこちらの詳細は迷走する帝国の巻を参照して下されって事らすぃ…でもって、そんな生ぬるい事でやっていけっかぁーっと立ち上がったのが、「同じ北アフリカの司教だったドナートゥスだった。ゆえに、キプリアヌスたちの寛大派と一線を画すことになる恐慌派を、「ドナティスト」と呼ぶのだそな…

 ドナティスト達についての詳細は本書をドゾ。まっとにかく、北アフリカではカトリックとドナティストの人数比的にドナティストの方が多かったらすぃ…でも、先の公会議でカトリック以外は異端と認められたよねって事で、一件落着になる訳がねぇーってか(笑)ここでも体制側と反体制側キタコレになったとな…

 ちなみにムーア人の有力家族、ローマ軍の将軍三兄弟のジルドさん家の長男が反体制暴動起こして沈めたのがジルドだったとゆー事件が、テオドシウスの時代に既に起きていて、「テオドシウスは、その後の北アフリカの防衛の責任者に、ジルドを任命したのである」でして、「アフリカ担当の軍司令官」になったどーだったそな(笑)

 そして時が来たじゃないけど紀元397年北アフリカは西ローマじゃなくて東ローマに所属する宣言をぶちかまし、更に「北アフリカからイタリアへの食糧の禁輸」を実行しましたが、何か来たぁーっ(エコー付/笑)よーする小麦がストップしたと…ローマとカルタゴの小麦関係についての詳細は本書をドゾ。農業、海運業、流通、貿易、食料保証みんな絡んでますですしおすし(笑)

 しかも、「北アフリカの民衆の半ば近くがジルドを支持している」んですよ、奥さん(誰?)で、その支持基盤が、「それまで一世紀近くカトリックに反抗してきた、ドナートゥス派のキリスト教徒たちを味方につけていたのである」とな…しかも「宗教上の理由がからんでくると、妥協ということはありえなくなる」ですしおすしで、これはまさに今でしょ(死語?)な話な気がするのは気のせいか(笑)

 さて、そこでスティリコ登場…詳細は本書をドゾ。いやまぁ何とゆーか、スティリコのやる事はそつがないとゆーか、正論じゃねそのものなんですよ、ただし、これも毎回そーなんですが、そゆ事は私利私欲の前には微塵も力を持たないのもいつもの事で(笑)先のコンスタのみなはまと同じよーに、今度はローマの元老院が賛成しないんですよ(笑)たとえ、国家の危機だろーが、自分以外のローマ市民に実害と飢饉がこよーが、自腹を少しでも切るのはいややねんって…自分とこの農奴を徴兵されるのも、罰金払うのも、お、こ、と、わ、りって事らすぃ(笑)大農園を経営できるのも平和あって事なんですが(笑)

 まぁこの既得権益抵抗勢力に対しての詳細も本書をドゾですが、何とか対北アフリカ戦キタコレで、でもあの西ゴート問題がある以上、スティリコが伊半島を留守にする訳もいかず、これに参戦するのはマシュゼル、実はジルドの次兄が抜擢される事になる…それにしてもこの時代の兄弟って、みんな仲が悪いのがデフォなのか?こちらの詳細も本書をドゾ。一応、正統派キリスト教徒軍であると宣言したマシュゼル勝利で終わるとな…

 ちなみにジルド総資産ボッシュート全額を「東ローマ帝国の皇帝アルカディウスと西ローマ帝国の皇帝ホノリウスの名によって」ローマ市の「水道の全面修復作業にあてることに決めた」とゆーから、スティリコぱねぇ…そして自分の実娘マリアをホノリウスに嫁がせたと…実績なら向かうとこなしのスティリコですけど、足元すくう勢力は東にも西にもいぱーいいますから(笑)

 さて、紀元401年「東ローマ帝国軍で軍司令官の地位にあったガイナスが、失脚し殺されたのである」それも「東ローマ帝国に巻き起こった蛮族排斥運動のあおりを食ったから」とゆー理由で…こちらの詳細も本書をドゾ。対北方蛮族問題で危機に瀕しているのに、内輪の異端問題が席巻しているってどよ?

 そしてその年の秋に今度はドナウ上流一帯の北辺に住む蛮族が、独南部、墺西部に大挙して侵攻してきたとな…こちらの詳細も本書をドゾですが、「スティリコがドナウ上流に行っていることを知ったアラリックが、配下の西ゴート族を総動員して、東からアルプスを越え、イタリアの北部に侵攻してきたのである」とな…

 「バルカン防衛が任務のはずのアラリックのイタリア侵攻は、越権行為であるだけでなく、東ローマ帝国の軍司令官である以上は越権行為でもあった。本来ならば、皇帝アルカディウスが禁止しなければならないことである」でも、そんなの関係ねぇー(死語?)、蛮族であり、異端のアリウス派のアラリック&西ゴート族のみなはまですから、「「東」を出て「西」に行ってくれるならば、それに越したことはなかったのである」って、厄介払いキタコレってか?これが東ローマ皇帝の正義なのか(笑)

 戦いの場は二正面になったじゃないか?ですけど、優先順位を決める時の迷いのなさというか、正当ですってのがスティリコの選択だよなぁ…

 そしてそんな彼の足を引っ張るのは今度は元老院でも、東ローマの皇宮でもなくて、西ローマ皇帝ホノリウスなんだな、これが(笑)時に16歳の少年、青年になっていたけど、この時代にミラノを脱出して南伊に逃げるしか口にしないって、皇帝としてどよ?こーして、皇帝、皇妃、セレーナがローマに避難する事になったとな…

 こちらの詳細も本書をドゾ。そんなこんなの中略(笑)で、紀元402年4月6日ポレンティアの野で両軍は向き合ったとな…そして今回もスティリコが勝利、でもって逃げ足だけは凄いアラリックは妻子が捕まったというのに自分は逃げてんだな、これが(笑)こちらの詳細も本書をドゾ。

 そしてさすがスティリコと言うべきか、人々か勝利の歓喜に酔っている間に、必要な法律を通していたんである(笑)これが紀元402年秋から403年の秋にかけて。内容は「イタリアの防衛、次いで属州、それもとくにイタリアの安全と密接に関係するガリア南部の防衛」に関するものだとな…こちらの詳細も本書をドゾ。

 リアルには、ガリア全域のローマ勢力の本拠地をトリアーからアルルに移動させたと…その心は、北部、中部ガリアを棄てる事じゃまいかとな…勿論、ブリタニアも…

 現在の西ローマ帝国では帝国領として維持できるスモールサイズへのシフトダウンとゆー事らすぃ…まっ現実見ろよって事ですか?そーですか(笑)なんですけど、これが「「元老院階級」という名で一括される、地位でも資力でもローマ社会の上層に属していた男たちの間に、スティリコへの反撥が芽生え始めていた」に至るとな…これまた詳細は本書をドゾですが、よーするに、自分達のご先祖様が苦労して手にいれた領土を放棄するなんて、ふざけんなっ蛮族風情がって事らすぃ(笑)まっ頭では分かっていても、感情がついていかないとゆーそゆ事ですね、割り切れませんの事よってか(笑)

 そんな訳で、404年の秋、凱旋式が挙行されると…建前はともかく本音は「スティリコへの反撥を解消することにあったからである」に至る訳で…そして、その気をつかんで法案を可決させているからスティリコも半端ない…結局、この当時のローマは、金(軍事費)と人手(軍)が足りないとゆーそれに尽きるよな(笑)国家防衛、どげんとせんといかんなんですよ、奥さん(誰?)

 ちなみに兵員の減少ですが、東と西を比較した場合、東より西の方が成り手が少ないとゆー事は西の方がダダ減りって事ですが、これは別に東の方が国力とか、士気とか、そゆ要素ではなくて、単に対戦相手の違い…東は対ペルシア、西は対ゴート族を始めの蛮族の皆様…何が違うかとゆーと、対戦相手の富裕度(笑)豊かななペルシアと、食い詰めた蛮族では、戦利品の違いは歴然じゃね?とゆー事に…よーするに同じ戦って勝利しても手ぶら確実な蛮族より、実入りがあるペルシアの方がマシやんけとゆー…

 もー既にここからして、昔の国家の為になんてそんなの関係ねぇー(死語?)で、個人主義キタコレになっていた模様…

 そしてどこに行っても逃げるしか能のない男、もとい皇帝ホノリウスは、ミラノから安全なローマに逃げて、ここでも居心地悪いから今度はラヴェンナに居を移すもんねを挙行すると…

 で紆余曲折はともかく、紀元405年秋、ラダガイソ配下の東ゴート族の他に、スヴェビ、アラニ、ブルグンド族の蛮族が雲霞の如く来たとな…で、勿論これを迎え撃つのもいつものスティリコなんですよ、奥さん(誰?)何せ相手は40万(?)、圧倒的にローマは人不足…全領土に応援要請しても皆自分とこで手一杯しかも移動させるにも移動中の安全が保障されないじゃまいか?でハドリアヌスの頃はまさに夢のよーなローマかな、のていたらく…それでも紀元406年初夏、「スティリコは三万の軍を使えることになったのである」ですから…

 そんな訳で「この状態では、総司令官にはただ一つの戦略しか残されていない。兵の損失が許されない以上」「敵が一箇所に集まるのを待って、そこで一挙にことを決する戦略しかなかった」とゆー事態に…かくて決戦はフィレンツェででして、こちらの詳細も本書をドゾ。ある意味兵糧攻めのよーな気がするが、フィエゾレの戦闘の詳細は本書をドゾ。

 またもスティリコ勝利、でもって蛮族10万人敗走とゆー…3万人で40万人を蹴散らしたんだから、大勝利と思われですけど、喉元過ぎれば熱さ忘れるで…半年もしない内に今度はスティリコ批判キタコレになったとな…「ガリアに十万人も逃がしたことを言いがかりにして、ガリアを犠牲にすることでイタリアを救った、と非難した」とな…ローマ元老院って、どこまでも元祖おまいう路線突っ走るよなぁ…

 そして紀元406年12月、ゲルマン系蛮族がガリアに襲来ってか…今度は総勢15万人だそで…更に凶事は続くで、ブリタニアのローマ軍団兵が、英じゃやってけねぇーって言うので、ガリアに侵攻してきたのである、ちなみにこちらは自分達の皇帝を擁立しての決起である…

 ある意味、ガリアの地はカオスでんな状態でしょか?でもスティリコとしては、この元ローマ軍団兵達の方が蛮族より問題か?で、まず皇位簒奪者、その簒奪者がガリアの支持を集めているだけに、「西ローマ帝国からのガリア全域の分離」も孕む状況に…そしてこの軍団はヴィエンヌを攻撃中…そこはアルルのすぐそこ、伊までもすぐそこじゃね?とゆー、最終防衛ライン突破寸前というやばい状態に突入ってか?

 かくて、紀元407年、皇位簒奪者のコンスタンティヌスを公敵に元老院に採択させて、何とか防衛戦をキープ…水面下でアラリックとの同盟キタコレなんですが、こちらの詳細は本書をドゾ。一説によると404年から準備されていたらすぃですが?

 で「アラリックを西ローマ帝国の「軍司令官」に任命して防衛の一翼を担わせることで、アラリックとその部下の西ゴート族にも帝国の防衛の責任をもたせる。その報酬として、アラリックの要求どおりに四千リブレの金塊を支払う」という取引キタコレ(笑)

 こちらの紆余曲折も本書をドゾ。よーするに自分のお金は出したくないという本音を出したくないとゆー元老院議員のみなはな…でも支払い能力はあるんですけどね、でもでもな中で何とか、話は通ったんだが、これによって、「人間はしばしば、見たくないと思っている現実を突きつけてくる人を、突きつけたというだけで憎むようになる」とゆー話に進む訳で…「軍司令官でも蛮族の出身者に、蛮族との共闘しかローマ帝国を救う道はないと説かれ、しかもそれに同意するしかなかった苦い現実が、彼らを、スティリコへの憎悪に向かわせたのだった」って…プライドだけは一人前以上のエリートって…とはいえ、名門と言ったって、そんなに古いとこねぇーよだったらすぃ…

 しかも、ここにきて、何とスティリコの妻も反スティリコ来たぁーっで、ミラノも右同じ、更にそれに感化されたパヴィアの兵士達もで、紀元408年春、スティリコの味方は、ボローニャに宿営している兵士と、パヴィアの将官達だけとなった模様…兵士は感化されても、最前線を知る将官達は現実が見えていたとゆー事らすぃ…

 そして、その五月、東ローマ帝国皇帝アルカディウス死去、ホノリウスとスティリコは七月に知ったとな…その後は、七歳の息子テオドシウス二世が次ぎ、摂政に母である皇妃エウドシアがついたとな…

 ここで、西ローマ皇帝のホノリウスは東ローマ行きを提案、建前は幼い甥を助けたい、本音、東ローマの帝位も自分に。そしてこれにスティリコ反対、建前は今の西ローマの状況で皇帝不在は許されない、本音、反スティリコ機運真っただ中でスティリコの立場を保証してくれるのはホノリウスだけじゃね。こーして、ホノリウスとスティリコの蜜月(?)関係は瓦解する事になると…

 そしてホノリウスの側近オリンピウス登場ってか?勿論ご注進ですよ、奥さん(誰?)そして、パヴィアの将官、よーするに司令官や大隊長、スティリコに理解あった人達を、高官全員を抹殺する事に成功すると…

 事態を問う為にラヴェンナのホノリウスを訪ねたスティリコは、死刑宣告を受ける事になる、しかもそれが国家の敵ですってよ、奥さん(誰?)紀元408年8月23日斬首刑とな…ちなみに後にローマにいた妻のセレーナも斬首刑、ホノリウスと結婚していた娘は結婚無効で尼僧院へ…

 いやもー何とゆーか、テオドシウスの遺志をつぎ、二人の皇帝を支え、矢面に立ち、帝国を支え続けた重臣、しかも、清廉潔白で私服をこやした事もなく、部下思いで待遇をキープしていた人の末路がこれって…

 さて、スティリコが死亡した事によって、物事は動き出すで、アラリックの北伊侵攻キタコレ、そしてローマ侵攻…恐喝成功の後、再びローマへ…スティリコのいないローマなんて赤子をひねるより簡単なお仕事ですと…

 それまでのゴタゴタはあるのですが、紀元410年8月24日、ローマ劫掠キタコレってか…十万人で六日間、ローマは蹂躙されたとゆー事らすぃ…詳細は本書をドゾですが、身代金目的にセレブが捕囚になって、その一人に「ホノリウスの妹にあたる、ガッラ・プラチディア」も含まれていたとな…

 こーして、800年もの間不落であったローマも落ちたとゆー事らすぃ…勿論、ラヴェンナの皇帝ホノリウスは一貫して動かずですが、何か?ですよねぇ(笑)

 さて、アラリックは南伊移動中に死亡、跡目は息子のアタウルフが継ぎ、彼は奪ってきた皇女のガッラ・ブラチディアと結婚する…

 かくて永遠のローマ、世界の都市ローマの黄昏キタコレってか…

 豆知識的には、バチカンあるある(笑)キリスト教会は、「教えを守り抜いて死んだ殉教者の墓の上に建てられるということになっていた」そで、「聖ピエトロ大聖堂は使徒ペテロが殉教したとされているヴァティカンに建っているし、聖ピエトロや聖ジョヴァンニとともにローマの四大教会の一つである聖パオロ教会も、「フォーリ・ムーラ」(城壁外)の呼称が示すように、パウロが殉教したと伝えられている城壁外の街道ワキに建てられた」んだそな…そーだったのか?教会立地?

 とはいえ、聖ジョヴァンニ・イン・ラテラノ教会は違うそーで、「この一角には、コンスタンティヌスとの権力抗争の末に敗れたマクセンティウス帝配下の騎兵集団の兵舎があった」とこだそで、そんなとこに教会を建てたのは「反キリスト教でもあった仇敵の勢力基盤を破壊し、その上にキリスト教の教会を建てることは、たぐいまれなる政治的人間のコンスタンティヌスにとっては、勝利者としての自分を、マクセンティウス派であったローマ市民に示唆する行為でもあったのだ。と同時に、この一年後に公布される「ミラノ勅令」の前奏曲の意味もあったのである」だったとは、さすがだ、越後屋ってか(笑)

 でもって当時のローマ法王は「紀元三一四年に早くも移り住んでいる。そして「アヴィニョン捕囚」の名で有名な十四世紀初期のフランス王によるローマ法王の拉致までの一千年間、ラテラノ教会はローマ法王の座所でありつづけたのだった」そな…日本人的感覚で言うと、ラテラノの方は奈良で、ピエトロの方が京都みたいなノリだろか?

 それにしてもローマ法王とはローマの司教と兼務であり、ローマの司教座教会としてのラテラノの地位は未だに変わっていないそで、「法王に選出されて最初に訪れるのはラテラノの教会なのである」ってホンマでっかぁーっ?

 これも豆知識的になるのか?五世紀当時の蛮族カテゴリー(笑)その一、「蛮族第二世代」父親からローマ化(軍)してローマ市民権持ち、「ローマ帝国の内部でキャリアを重ねた蛮族出身者」とな、その二「自らの出身部族を離れずにその同胞を統率する部族長でありつづけながら、ローマ帝国とは「同盟部族」の関係で結ばれるケース」とゆー一種の傭兵関係、その三「彼らにとってのローマ帝国は侵攻し略奪する対象でしかない」その上、ローマに居座るよーになってしまったとな…

 も一つ、当時の宗教カテゴリー…「第一種に属す蛮族は、コンスタンティヌス帝が主導したニケーア公会議で正統と決まった、三位一体派とも言われるカトリック流のキリスト教徒」、第二種は「アリウス派のキリスト教徒」、第三種は「蛮族にとっての宗教だが、ゲルマン系であれアジア系であれ、「異教徒」であることで共通していた」とな…カトリックの立場からすると唯一絶対の正統、異端、異教とゆー仕訳になるんだろか?

 更にハーフという言い方は差別だっでダブルという言い方の方が政治的に正しい言語になるのだろーか?ですけど、ここでは、ローマ人と蛮族の間の子供は一体何人になるのか?なんですが、それまではローマ人の父親に蛮族の母親のケースが多かったけど、「四世紀以降は、蛮族の男とローマ人の女の組み合わせが支配的になる」になったそな…しかも「ローマ社会は父系社会であり、母は蛮族でも父がローマ人ならばその子はローマ人だが、母がローマ人でも父が蛮族では、その子はあくまでも「蛮族」なのであった」って、そーだったのか?ローマ?ちなみに、かのスティリコも後者のバターンで、あれだけローマに尽くしても、半蛮族、セミ・バルバルスと呼ばれていたらすぃ…何だかなぁ…

 人種的なとこではムーア人の場合、「身体つきは猛々しくなく、肌の色もより明るい。通商の民でもあったので、陸路でも海路でも、彼らは実に行動的だった」そな…そーだったのか?オセロ?

 ちなみに「ワーグナーの代表作である「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々のたそがれ」の四部作から成る「ニーベルングの指輪」の登場人物たちは、ローマ帝国末期の蛮族で、ローマ領への侵入をくり返していたブルグンド族である」ってホンマでっかぁーっ?

 ちなみにちなみにワーグナーの生地ライプツィヒは、「ローマ帝国が征服を断念したゲルマニアの奥深くに位置し、中世になって生まれた町」なんだそな…それに対して、モーツァルトの生地はザルツブルク、ベートーヴェンの生地はボンという事で「こちらはローマ側に入る」とな…この違いが曲に出てまいか?ってそーなのか?どーなのか(笑)

 土地的な豆では、独の黒い森、ローマの頃は未開の森と呼ばれていたそな…

 まぁこれは豆知識ではなくて著者の意見、思想だと思うけど、「人間社会は大別して、二種の人々で構成されている。生産者と非生産者に」とな…生産者とは、農工商と流通で、非生産者が「政治と行政と軍事を担当する人々」というのが著者の仕訳らすぃ(笑)でもって、「非生産者階層の責任のほうが重い」んじゃねと…「なぜなら、ハード・ソフト両面でのインフラストラクチャーを整えるのが彼らの職務であるからで、インフラとは、個人ではいかに努力しても不可能な事柄を社会が代わって行うこと」だからだそな…まっ、そんな人達が、面と向かって悪びれずに、想定外だから責任ありませーん、法律的に問題ありませーんとのたまってはばかりないご時世ですから、日本もヤバくねって事かもなぁ(笑)今も昔もセレブにないのは、公共心と責任感ってか(笑)

 後、経済力の低下についての件も見逃せないものが(笑)それによって「人口の減少」キタコレで、「結婚できない人が増える」で、「出生率の低下」で、食の低下は栄養の低下で「肉体の抵抗力」も低下して罹患率上昇ってか…かくて病人と死人の上昇もキタコレになると…これも多分、今でしょ(死語?)でワロエナイ話になるんだろか?ローマ的には大農園になったけど、治安悪化で自衛しなきゃならんねんで、更に自営農が農奴になれば、生産効率が上がる訳でないで…皆まで言うなか…

 うーん、今回は男の生きざまというか、生き方とは何か?が如実に出ていた回ではなかろーか?まぁ往々にして高潔な人は、報われずにお亡くなりになるパターン多しなのは世のならいなんですが、それにしてもスティリコ…ある意味、生き方下手すぎるコンテストで優勝できそーな悪寒だよなぁ(笑)男の誇りというか、人間としての在り方とか、そのぶれなさは圧巻です。この人程ストイックなお人はいないんじゃまいか?で、彼が、最後のローマ人と呼ばれる所以も分かろうとゆーものだよなぁ…本来ローマ人とはこーあるべき人だったはずだから…

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。まぁ本書の教訓は「人間の運・不運は、その人自身の才能よりも、その人がどのような時代に生きたか、のほうに関係してくるのではないか」じゃまいかってか(笑)自身の才能を思う存分に発揮できる時代が、人にとって一番幸せなのかもなぁ…も一つ教訓は、いざという時はセレブなんて一文の役にも立たねぇーって事かも(笑)

 目次参照  目次 文系

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