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2017年6月21日 (水)

セレニッシマ?

ヴェネツィア物語  塩野七生 宮下規久朗  新潮社

 所謂一つのガイド本?なのかなぁ?でもって、本書は歴史と芸術・工芸に特化しているよな?水の都と言えばヴェネツィアを誰しも思い浮かべるんじゃまいかですけど、今や伊の一地方都市になった感があるヴェネツィアですけど、ここは千年近く続いたヴェネツィア共和国の首都だったところでして、それこそ山のよーにその残照が残っているでござるの巻か?

 で、ヴェネツィアの特色とは何か?と言えば、それはヴェネツィアン・カラーという事になるんだろぉか?「ヴェネツィア絵画では色彩すなわち美そのものの表現に重きが置かれている」(@塩野)という事になるそな…

 でで、その都市には都市を象徴する色があるとなり、フィレンツェは赤、ローマは紫となれば、ヴェネツィアはとゆーと黒なんだそー…色彩が鮮やかな程に、漆黒が似合うってか?なるほろ、そーいやあのゴンドラも黒かったよーな気が?

 そして、ヴェネツィア(とフィレンツェ)は、ローマと違って「ルネサンスの街」(@塩野)とゆー事になるらすぃ…そして、何故ヴェネツィアでルネサンス文化が花開いたか言えば、「芸術の"買い手"が存在したということが大きかった」(@塩野)とな…よーするに「芸術というのは、お金がないところには育ちません」(@塩野)とゆーリアルな事情が(笑)その他にも、政治が安定している事と、当時的には政教分離、よーするキリスト教からの自由も大きくね?とゆー事らすぃ…芸術とは、お金があって安定していて、更に自由である事が必要って、芸術ってかなり贅沢な嗜好じゃね(笑)

 ででで、ヴェネツィアにおけるその買い手とは誰か?といえば「個人ではなく、共和国でした」(@塩野)で、その心は「政治と芸術が、いわば持ちつ持たれつの関係を築いていたと言えます」に尽きるってか(笑)

 そんな訳でヴェネツィアにとっては芸術家は外交の武器でもあったとな…こちらの詳細は本書をドゾ。例えば、ティツィアーノの場合は、「当時の権力者にとって、ティツィアーノに肖像画を描いてもらうことは、一種のステータスでさえありました」(@塩野)からもお察し下さいってか(笑)

 アリス的には、本書全体的にアマノンの出番かなぁ?ほぼ、ヴェネツィア文化キタコレで、建築とか、彫像も出てくるけど、絵画がメインのよな?そーなれば天農画伯に登場願うしかないでしょー(笑)

 さて、ヴェネツィアに戻りますと、「ヴェネツィアが文化史上もっとも重要なのは、都市の成り立ちや景観よりも、その美術によってである」(@宮下)という事になるそで…「イタリアは中世から近代にいたるまで西洋美術の中心として、国際ゴシック、ルネサンス、マニエリスム、バロックといったムーヴメントを生み出してきたが、ヴェネツィアは、そのいずれの潮流にも独自の貢献をし、ローマ、フィレンツェと並ぶ美術の都であった」(@宮下)とな…そーだったのか?ヴェネツィア? 

 そんな訳で綺羅星の如く、芸術家キタコレでして、こちらの詳細は本書をドゾ。初期の頃は宗教画(?)キタコレで個人名はまだの世界みたいですが、15世紀辺りからチラホラ名前が出てくる感じだろか?例えば、ドゥカーレ宮殿の「海側の中央の大窓は、1404年にダレ・マゼーニュ兄弟が製作」(@宮下)とか始まって、パルトロメオ・ポン、アントニオ・ブレーニョ、フィリッポ・カレンダーリオ、マルコ・ダマーディオ、マッテオ・ラヴェルティ、ジョヴァンニ・ボン、パオロ・ヴェネツィアーノ、グアリエント・ディ・アルポ、ティントレット、ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ、ヤコベッロ・デル・フィオーレ、ミケーレ・ジャンボーノ、ヤコポ・ベッリーニ、ジュンティーレ・ベッリーニ、ジョヴァンニ・ベッリーニ、パオロ・ウッチェロ、アンドレア・デル・カスターニョ、ドナテッロ、アントネッロ・ダ・メッシーナ、アントニオ・ヴィヴァリーニ、ジョヴァンニ・ダレマーニャ、バルトロメオヴィヴァリーニ、アルヴィーゼ・ヴィヴァリーニ、カルロ・クリヴェッリ、デューラー、ヴィットレーレ・カルパッチョ、ピエロ・デラ・フランチェスカ、アントニオ・リッツォ、ピエトロ・ロンバルド、トゥッリオ・ロンバルド、アントニオ・ロンバルド、マウロ・コドゥッシ、アントニオ・ガンベッロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ジョルジョーネ、ティツィアーノ、ヴァザーリ、プットー、セバスティアーノ・ルチアーニ、ミケランジェロ、ラファエロ、サンソヴィーノ、バルマ・イル・ヴェッキオ、ポルデノーネ、ロレンツォ・ロット、ヤコボ・パッサーノ、フランチェスコ・パッサーノ、レアンドロ・パッサーノ、サルヴィアーティ、ズッカリ、ヴェロネーゼ、ベッサリーニ兄弟、パルマ・イル・ジョーヴァ、パオロ・ピーノ、ロドヴィコ・ドルチェ、アンドレア・パラーディオ、バルダッサーレ・ロンゲーナ、ジュスト・ル・クール、アレッサンドロ・トリミニョン、ジュゼッペ・サルディ、アントニオ・ガスパリ、ジョルジョ・マッサリハインリヒ・マイリンク、ジュゼッペ・トッレーティ、ジュゼッペ・ポッツォ、アンドレア・ポッツォ、ドメニコ・フェッティ、ベルナルド・ストロッツィ、ヨハン・リス、アントニオ・パレストラ、アントニオ・ザンキ、ピエトロ・ネグリ、フランチェスコ・ピアンタ、セバスティアーノ・リッチ、ベッレグリーニ、アミゴーニ、ジョヴァンニ・バッティスタ・ピアツェッタ、ティエポロ、パラッツォ・ラビア、ジローラモ・メンゴッツィ・コロンナ、ジャンドメニコ・ティアポロ、ピエトロ・ロンギ、カナレット、ベルナルド・ベロット、フランチェスコ・グアルディetc.といばーい出てきますので、こちらの詳細は本書をどぞ(笑)さすが伊、石と投げれば芸術家に当たるんじゃまいか(笑)

 建物的には、サン・マルコ聖堂(11世紀後半)、ドゥカーレ宮殿(1172年)、カ・ドーロ(フランケッティ美術館)(1434年)、スキアヴォーニ同信会館(1451年)、サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂(14世紀後半)、サンタ・マリア・デイ・ミラーコリ聖堂(15世紀)、サンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ聖堂(15世紀中頃)、マドンナ・デッロルト(15世紀)、サン・ジョヴァンニ・クリソストモ聖堂(16世紀)、サン・ザッカーリア聖堂(16世紀)、聖ロクス同信会館(1549)、コッレール美術館(16世紀中頃)、レデントーレ聖堂(1592年)、サン・サルヴァドール聖堂(16世紀)、サン・セバスティアーノ聖堂(16世紀)、サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂(1610年)、ジェズアーティ聖堂(1668年)、サンタ・マリア・デラ・サルーテ聖堂(1687年)、ジェズイーティ聖堂(1714年)、ピエタ聖堂(1736年)、アカデミア美術館(1750年)、カ・レッツォーニコ(18世紀)とかもありまする(笑)

 さて、ヴェネツィア豆知識的には、ガリレオとヴェネツィア(笑)「ヴェネツィアは、パドヴァ大学を"国立大学"として振興してますが、ここでは同じテーマを二人の教授に並行して講義させました。すると、学生の評判の差が歴然としますから、教授もそれぞれ必死になる。パドヴァ大で数学を教えていたガリレオ・ガリレイは、そのやり方が嫌で、トスカーナに移りました。トスカーナでは、大公のお喋りの相手以外は研究に専念できたからでした」(@塩野)って事らすぃ…そのままパドヴァにいれば宗教裁判もなかったかもしれんねぇの世界かもかもってか?

 後、これも豆知識と言えるのか?「ヴェネツィアは、景観や美術だけでなく女性が名物であった。女といっても堅気ではなく、商売用の女、つまり娼婦である」(@宮下)ってホンマでっかぁーっ?

 「ヴェネツィアでは、遺産の分散を避けるために結婚するのは兄弟のうち1人に限ることが多く、16世紀には約半数の貴族が生涯独身であった」(@宮下)とな…とゆー事で「おびただしい数の独身者たちと船乗りたちの性的欲求のはけ口として、膨大な娼婦の需要が生まれたのである」(@宮下)そな…港、港に女がいるどころの世界じゃなかったのか(笑)

 「しかも、娼家からの税は政府にとっては重要な財源であった。政府自体が娼婦たちの最大の元締めであったのだ」(@宮下)って、それってどこかのくnゴホンゴホン…でもって、高級娼婦にもなると所謂一つのトップレディーの世界が展開していた模様…

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。伊は本当、都市ごとにあるもんが違うよな?そして、伊的三都物語的には、ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアになるんだろーか?

 目次参照  目次 国外

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