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2017年6月27日 (火)

照葉樹林?照葉樹林(笑)

街道をゆく 七  司馬遼太郎  朝日新聞社

 さて、今回の旅路は、甲賀と伊賀のみち、明石海峡と淡路みち、それと砂鉄のみちの豪華三本仕立てになるのだろーか?著者的には、長年の疑問の答えを探す旅で、最後の砂鉄のみちが一番の見どころというか、読みどころなのかも?

 というのも、いつも風の向くまま気の向くままの旅風景なんですが、砂鉄のみち編では、前もって旅程もオファーも済んでますという、計画立った旅行なんですよ、奥さん(誰?)いつどこでだれとあうまできっちり決まっている旅って、今回が初めてじゃなかろーか?

 そこまでして行く砂鉄のみちってどこよ?とゆーと、それは島根(鳥取・岡山)の旅になるそで…出雲の国へ行ってみたいと思いませんか?の世界が展開している模様…

 鉄というか、鉄鋼について、何とゆーか歴史を知る上で逃れられない業のよーな気がしてきました(笑)

 まず「東アジアにおいて、日本地域は鉄器の後進地帯であった」そで、鉄どころか、青銅もないやんで、治金何それおいしいの?状態だったらすぃ…鉄器時代到来は「弥生式農耕」からじゃね?で「鉄器が大量に生産され、普及しはじめるのは、ようやく古墳時代(四世紀から七世紀)になってからである」そな…ちなみに中国では紀元前1100年前後の殷の末期には鉄器ありますたの世界だったらすぃ…さすが文明国は違うのぉー(笑)

 詳細は本書をドゾですが、「東アジアの製鉄は、ヨーロッパが古代から鉱石によるものだったのに対し、主として砂鉄によった」そな…で、ここで問題になるのが、原材料の砂鉄はもちろんの事ですけど、何よりも木炭じゃね?でして「一に粉鉄、二に木山」って事になるらすぃ…エネルギーを大切にねってか(笑)

 でまぁ、日本の製鉄業が栄えた、続いたのは、一重に日本の山(森林)があったからじゃね?なお話が展開されてゆきます…大陸の山ははげ山になったけど、日本の山は再生が早かったとゆー事で、製鉄続けられたって事らすぃ…日本の自然って一体?

 まっともかく「平安朝の中期ごろには、鉄生産がよほど盛んになって、鉄製農具も十分にゆきわたったかに見える」来たぁーっで、「室町期から戦国期にかけて、農業生産高が飛躍する。農業者一人が、何人もの非農業者-武士、商人、馬借、遊芸人、僧侶など-を食わせるだけの余剰分ができた社会といえるであろう」もキタコレってか(笑)

 そんな歴史を踏まえて、今でしょ(死語?)というよりずっとでしょなのか?の島根ってか?ちなみに「中国山脈は山陽道の側も古来砂鉄を出しつづけてきたが、実は雲伯国境のそれに劣っている」そで、「山陽道側や、山陰でも石見のほうの砂鉄は、鍛造でもおもに農具にむけられ、また溶かして鍋物用にもちいられてきた」そな…「古来、精妙な鋼の材料になってきたのは出雲砂鉄であり、とくに雲伯国境のものである」そな…そーだったのか?砂鉄?しかも「この出雲砂鉄が鋼塊のかたちにされて山から海岸に運び出され、この安来港にうかぶ和船に積みこまれて全国に送られた」そな…「江戸期、安来の栄えは、鉄によるもの」って事らすぃ…

 そして明治になって「やがてすたれた」らしーのだが「安来にはなお、砂鉄を採取し、それを良質の鋼にするという、原理としては古代以来の製鉄システムが生きているのである」って、ほんまでっかぁーっ?「安来(日立金属安来工場)で作られた鋼はYSS(ヤスキハガネ)とよばれて珍重されているが、とくに鋼材としての硬さとねばりを必要とする切削用の工具や電磁気材料または刃物鋼としてつかわれ」ているらすぃ…

 本当に詳細は本書をドゾですけど、日本刀なんかも「古刃が文句なしにいいというのは、製造される過程において秘密があるのではなく、モトであるという。鎌倉期ごろの鍛冶はもとの玉鋼(モトの鋼)をえらぶ段階において決定的に良質なものを選択したといわれているのである」そな…まずは材料の吟味からってか?

 そんな訳で「世界でもっとも良質な砂鉄が出る」山とは、鳥上山なんだそな…しかも「鳥上山というのは、スサノオノミコトがその山で八岐大蛇を退治して天叢雲剣を猟た所として知られる」って、ドンダケェー(笑)さすが出雲というべきか?

 そして島根と言えば神話の国ですから、治金の神様キタコレあり、話題にはこと欠かない周遊記なんですよ、奥さん(誰?)

 アリス的には、オノコロ島で淡路海峡と淡路のみちのとこ来たぁーっなんですが、その前に、アリスと言えば、これじゃねの好奇心、人一倍の好奇心をスルーする訳にはいかないでしょ(笑)

 「日本の島々に住むアジア人が、他のアジア人とくらべてすべてに好奇心がつよく(アジア人の一般的特徴の一つは好奇心の弱さにあるとおもうのだが)」とか、「好奇心という、この人間のときに高度な能力と結びつく心理は、その低次元の段階(幼児もしくは未開の段階)では、物欲のなかにくるまれて存在する」の件かなぁ?

 何とゆーか、日本人って老若男女関係なく皆好奇心の塊みたいなノリじゃね?これってやっぱ、この国の特徴なのか?日本人だものってか(笑)

 さて、淡路島ですけど、明石と淡路島の間、あの明石海峡って4km位しかないのか?そりゃ橋渡そうと思うよな…日本人なら(笑)ともかく、明石の詳細は本書をドゾで、淡路島行ってみよーってか(笑)

 とはいえ、著者の頃はまだ船で渡るところとゆー事で播淡汽船でゆくのだが、これが実にのどかな雰囲気なのだ…ベタ凪でのんびり船旅、日常におけるちょっとした優雅さのよーな気がするのは気のせいか(笑)

 地理的なとこでは「淡路は小さな島でありながら、海をへだてて隣接する北の播磨、東の摂津、おなじく和泉、おなじく紀伊、さらには西の阿波という五ヵ国と同格の「国」である」そな…

 他には、洲本にはお城が二つあるとか、どよ?「豊臣期に築かれた旧城」と「江戸期の新城」とな…

 「淡路国で、上代から中世にいたるまでの政治上の施設の痕跡は、すべてこの全長四〇キロ未満の国道28号沿いにあるといっていい」のだそな…そんな訳で街道をゆくキタコレってか(笑)かくて、「沿道に、国衙などという、いかにも律令時代の言葉を残した地名がある。淡路国の国府はこの国道ぞいの三原郡の「市」という所に置かれていたことは確かなのだが、いまはその痕跡はなにも残っていない」とな…

 そゆ古い地名的なとこでは「郡家」キタコレでしょか?「ふつうグゥケと読むのだが、淡路ではグンケというらしい。郡家というのはいうまでもなく、上代における郡司の政庁である。淡路のこの郡家の場合、律令郡の郡家のことで、いまは海岸の僻村でありながらも、郡家の所在地だけに上代以来の国道が、島を横切って大阪湾の志筑にまで走っている」そな…古代から続く道もあると思いますなのか?思うに道の寿命ってどの位なんだろぉ?と素朴な疑問が(笑)

 淡路島の歴史的なとこでは、「「日本書紀」の記述を信ずるわけではなく、これを想像の手がかりにするとして、応神天皇の五年八月のくだりに、諸国に令して「海人部」と「山守部」をさだめたとある。そのときに淡路の漁民が、海人部という、王朝直属の技能民として支配された」そな…そんな訳で、「淡路の海人は古代天皇がひきいる海軍だったという証拠がいくつかある。おそらくは日本最初の海軍だったであろう」って、ホンマでっかぁーっ?

 まぁともかく、「淡路の海人は宮廷に食物を送りこむ義務を課せられていた。その長官である安積氏は、中国式国家になった奈良朝になっても内膳司という官職を世襲し、天皇の膳をつかさどった」そな…

 「源平時代から戦国期にかけて熊野水軍が大きな存在として登場するのだが、淡路水軍というものはない。室町末期に、京の将軍が熊野水軍をけしかけて淡路全島を統括させたのも、淡路は古来の海人の漁法をつづけていたからであろうし、続けられるだけに魚がここでは豊富だったといえる」となるらすぃ…

 「戦国期に紀州熊野を本拠地とする熊野水軍がきて城々を築いたことがあった」そで、尤も「岩屋城は、周防から水軍をひきいて出てきた大内義興が築いた」そな…とゆー事で、「室町の乱世に、淡路島の浦々が、紀州から押しよせてきた安宅水軍(あたぎとも読む)のために併呑されてしまったことさえある」ですしおすし…

 「観応というのは室町初代将軍の足利尊氏のころである。尊氏の子の義詮の命令で安宅水軍が紀伊水道を北上して淡路に入り、淡路の浦々の水軍を支配してしまったという」って「以後、室町から戦国にいたるまで、安宅氏が、この島の浦々に城をきずいて島を支配した」んだそな…

 そして織田がやってきたになるのか…「天正九年(一五八一)だから、二百三十年後のことである。二百三十年間も熊野水軍の支配下にあったともいえるし、また別の見方をすれば、二百三十年間、淡路の内陸部は海上勢力の支配下にあったともいえる」らすぃ…

 後は、志知城、「淡路の一豪族だった野口氏の代々の城」とかの件の詳細は本書をドゾ。信長とか秀吉とか官兵衛とか、ビックネーム出てくるよぉ(笑)

 江戸期の淡路島は蜂須賀家の支配下にあった訳で、淡路島はその家老の稲田氏の支配下にあったみたいです…

 その蜂須賀家ですけど、「文化・文政の江戸文化の爛熟期」には「天下に志があった」とゆーあわよくば天下取りあると思いますだったらしーが、「家政以後の蜂須賀家というのは幕府に対してひたすらに忠実なだけで、ただの大名としてつづいた」のだそな…だから「幕末になっても、動かなった」そー…土佐とか、宇和島とか、あっても、でもそんなの関係ねぇー(死語?)だったらすぃ…

 神社仏閣系でいくと、石屋神社のとこでは「この神社は延喜式だから由来がふるいが、古すぎて、むかしから祭神がわからない。社殿の前の海ぎわの絵島を祭ったともいう」ですしおすし…

 「この島は伊弉諾・伊弉冉の国生みの「記紀」神話で知られるように、古代国家の誕生神話のなかにでも主流をなす伝承をもっている。この男女神はまずはじめにおのころ島を生んだ。おのころ島は、神話だからそれがどこということもないが、淡路島の属島である沼島であるといわれたり、淡路島そのものだともいわれたりする。この島の神話は元来、ふるくから淡路島にあったものを畿内政権がとり入れたものかと思える」「この両神の国生み神話が天皇家の神話の最も重要な話の筋に組み入れられているということは、淡路には大阪湾沿岸の権力(大和をふくめて)が古くから及んでいて、古墳時代がはじまっても、この島に大土豪を成立させなかったのかもしれない。古代天皇家そのものが、淡路を直轄領とする大土豪だったのである」とな…

 また、「住吉大社は大阪の住吉区にあるお宮だが、古代、応神・仁徳という天皇名で残っている大阪湾沿岸の王朝のころから、現在の場所にあったらしい。その王朝が、安曇とよばれている九州から瀬戸内海にかけての海人族を支配下に置いたとき、海人たちがそこに自分たちの海の神を祭ったのだろう」って、そーだったのか?古事記?

 住吉の神は「もとは筑紫で奉ぜられていたのだが、海人族の東進とともに、大阪湾沿岸の墨江の浜に移された」そな…ちなみに元の住吉神社は「福岡市の博多駅から南西へすこし行ったところにあり」「古代はこの付近一帯は海部郷といわれ、海人族の根拠地であった」とな…住吉大社にも歴史ありだったんですねぇ…

 後、国分寺に行くと、奈良期の中心がどこだったのが分かるらすぃ…「現在の中心の感覚とは、ひどくちがっているのである」そで、各地国分寺巡りあると思いますだろか?「現在の中心感覚は、豊臣秀吉の感覚を祖にしている。秀吉は行政の府を、ちょうど大坂がそうであったように、内陸部から湾入した海浜に持ってきた」って、そーだったのか?アリス?

 ちなみに、「中世の武家の本拠地は内陸の要害地が多かった」そで、「それ以前の奈良期の国府の場合は」「内陸の穀倉地帯の中心」で「租税としてとりあげる農作物をあつめるのにもっとも便利な所というのが、選定の基準」とな…安全か、金か、それが問題だってか(笑)

 でもって、淡路の国分寺はどーかとゆーと、本当は律宗のお寺なんだそな…でも「律宗などという奈良朝以来の戒律体系を守っているだけでは庶民の信仰に結びつかないため、真言宗のお経をあげたりして地元の要求と結びつくべく努めているのだ」そな…何事も都民ファースト、もとい地元ファーストですしおすし(笑)ちなみに淡路は「真言宗の多い国の影響をうけて、たいていの家の宗旨が、真言宗なのである」って、ホンマでっかぁーっ?

 更に伊弉諾神宮のとこでも詳細は本書をドゾですが、「古来、広大な境内をもち、ほとんどが森林であった。森林に神が天降りをするという古代信仰からいえば、たしかに神聖林であったであろう」そで、なのに「徳川中期に境内地が半分に減らされたというが、それでもいまなお一万坪以上ある」そな…何とゆーか、名前負けしてませんって事だろか?

 漁師関係でいくと、本書当時で「淡路島に漁業協同組合が二十七あります。由良だけで、三つあります」ですしおすし…由良の三つは、漁業形態で分割という事らすぃ…網と一本釣りとモグリ(潜水)と…ちなみに「潜水は日本人の伝統芸だから、その名人たちにアクアラングなどを着けさせると漁獲があがりすぎて水産資源が減ってしまうのである。だから、由良では禁止されている」って、ドンダケェー(笑)

 それにしても室町末期から戦国時代にかけての中国への貿易で、輸出品ランク上位が干し鮑とは知らなんだ…「アワビなど中国沿岸にも十分棲息しているはずだが、猟り手が日本地域に圧倒的に多かったせいでそうなったのであろう」って…ホンマでっかぁーっ?

 でもって近畿ではウニ食べなかったのか?「練りウニは、古くからあったらしい。しかし生ウニが京・大阪あたりで賞味されるようになるのは、にぎり鮨の移入以後のはずだから、せいぜいここ五十年ぐらいのことかと思われる」って…だって現地の漁師さんさえ「わしらが子供のころ-大正末年から昭和初年-海へゆくとウニがごろごろしていて、だれも食べられるものだと知りませんでしたな。むろん食べ方を知っている者もおらんかったです」しおすし…鮪のトロといい、今でしょ(死語?)とは違う事多かりき?ってか?

 歴史だなぁと思わされたとこは、「由良の漁師は、由良の瀬戸(紀淡海峡)が仕事場である。この海峡は、淡路島南部が東の海にむかって拳骨のように突き出た部分と、紀州の加太の沖にうかぶ友ヶ島のあいだをいう。幅は四、五キロというところであろう」の件なんですが、詳細は本書をドゾなんですが、「なんといっても、紀州は徳川の御三家でしたから、このあたりの海のいいところ(漁区)は、既得権で、和歌山がもっています」の件かなぁ…戦後であっても、未だ江戸時代の慣習がのさばってるなんて、それってアリですか(笑)

 これは豆になるのか?今でも漁師の方は赤色がお好きとゆー事らすぃ…「宗像大神を奉じていた古代の海人である安曇族以来の伝統で、いまも漁師は、鉢巻や下帯に赤を好んでいる」そな…還暦だけじゃないんですってか?

 これも豆になるんじゃね?のテグス…樟脳の木につく芋虫キタコレで、これが蛾の幼虫なんだそな…そしてこれが「「魚釣りのテグスにする虫だよ」と、紀州の熊野海岸のうまれであるかれは教えてくれた」ですしおすし…

 「中国で楓蚕とよばれ日本でテグス蚕とよばれる虫からつくるという。要するに、イモムシである」そで、「最良のテグスがとれるのは樟の葉につくテグス蚕だという」そな…つくり方は「テグス蚕を水桶に入れて殺す。ついで虫の体内から絹糸腺をとりだし、薄い酢酸溶液(中国の古くは、おそらくすであったろう)にひたし、さらにこれを展糸板の上でひきのばして、陰干しにする。それでもう、粗テグスができ、それをさらに精製して商品化する」って…そーだったのか?テグス?ナイロンのそれしか知らなかったけど、テグスに歴史ありだったんですねぇ…

 とはいえ、最初から魚釣りに使用していた訳でなくて、「江戸時代中期の阿波の堂ノ浦の漁師たち」が始めたそな…ちなみに「中国では、このつよい糸を、梱包用のひもにしていたらしい」で、日本でこのひもは釣りに使えるってゆーで、中国からひも(糸)だけを輸入するに至ったらすぃ…かくて「大坂にたくさんのテグス問屋ができた」そで、「堂ノ浦の人たちが瀬戸内海の漁村を売り歩いたのは、売りかつ教えなければならなかったからである。これにより、瀬戸内海で一本釣りによる漁獲高が大いにあがり」一本釣り猟キタコレになったらすぃ…

 何が凄いって、「それまでの漁は、夜の漁が多かった。古代から漁火ということばがあるように、舟の上で火をたいて、アジやサバをあつめた。このため、家族か゜みな船にのって生活したりせねばならなかったのが、テグスの発見とともにに一本づりは昼漁でなければならなくなり(山を見て海の位置を決めるため)昼だけで十分暮らしがたつだけの水揚げを得るようになった」そで、船上生活から地上生活キタコレにもなったとな…テグス一つで生活革命ってか?

 生活が変わった系では近代?現代?では、著者が訪ねている当時で「「わしらの父親は、浦島太郎みたいなかっこうをしていました。腰ミノ締めて」」の件かなぁ…「日本の漁師も古代以来そうだったに違いないが、舟に小さな焼玉エンジンが入ったとともに操作する者の服装まで変化するというのは、おもしろい」ですしおすし…今の漁師さんの恰好っていうのは、20世紀の半ばに入ってからなんだろか?手漕ぎの頃は浦島太郎な漁師さん…それはそれで絵になっていたよーな気が(笑)

 農業関係の方は、「弥生式農耕が入って、銅鐸などもおなり出ている。その後古墳時代に入ってからは、漁民こそこの国の代表のように「日本書紀」などに登場する」とな…でもって山守部キタコレで、「山守部は山林に入ってしごとをする人である。猟もする。これも王朝直属の民である。山守部には木材だけでなくシカやイノシシも獲って送り出す義務があったのであろう」って…

 淡路島の豆でいくと、「淡路島には、動物が本土へわたるという伝承が多い」のだそな…「「鹿の瀬」にも、淡路の鹿が浅瀬づたいに播州の浜へ行ったという伝承がある」とか、「芝右衛門狸の伝承」とか、ちなみに「この狸は淡路狸の大将で、大坂の道頓堀の芝居すきだった」って…狸も芝居見物って道頓堀おステキすぐる(笑)何か、平成ポンポコならぬ淡路ポンポコか?

 他にアリス的というと、大阪関係キタコレで、まずは単語「魚島」キタコレで、「陽春の季語でもある」そな…「魚が内海の底で冬ごもりしているのが、海面が暖かくなるにつれ、明石から淡路あたりに出てくる」「魚島というのは島をあらわす地理的用語ではなく、魚が美味になるという季節をあらわす時間的用語なのである」そで、魚魚魚のアリスならば、もちろんご存知じゃね(笑)

 また、シャコも…昔は「ほとんど肥料にされたり捨てられたりしていた」そで、「それが食用になるというのを上方の人間が知ったのは、昭和初年、にぎりずしがそろそろ移入されはじめてからだと思うのだか、どうであろう」って、ホンマでっかぁーっ?ちなみ「東京湾沿岸でシャコがよろこばれていたように、大阪湾沿岸ではタコがやたらに好まれた」って、明石のタコは全国区で有名だもんなぁ…しかも大阪といえばたこ焼き来たぁーっだし(笑)

 面白エピとしては、高松塚古墳のとこで、知人と旧交を温めあうシーンで、「「この人は、推理小説を書いている人です」と、私を紹介した。推理小説などとても書く能力がないのだが、どうせ縹緲たる上代の幻想が墳丘の前のひとびとの中に出来上がっているのだから、少々厚顔でいてもかまわないとおもった」の件でしょか?そーだったのか?アリス(笑)

 作家的エピになるのだろーかで、「江戸後期の思想家佐藤信淵」のとこを(笑)ちなみにこちらの御仁「生涯に三百部八千巻の著述をしたという精力家」だそーで、片桐さんが泣いて狂喜乱舞なお方じゃなかろーか?詳細は本書をドゾですが、その人となりの一つに「信淵は並みはずれた好奇心のもちぬしだった」って、日本人は何かと好奇心の強い民族といわれるけど、作家業の人って特に多くね?と思うのは気のせいか(笑)

 興味深いエピとしては、「中国大陸人は海岸で漁業することをきらったし、また島へ渡って島で住むこともきらった。たとえていえば、中国大陸の南部に接して台湾というあれだけ大きな島がありながら漢民族の農民の移住がはじまるのはやっと十七世紀になってからで、海南島にいたってはそれ以後である」って、そーだったのか?南シナ海、東シナ海(笑)

 また、「七世紀の新羅の統一以後、中国の制度を導入して古のみを良しとする-停滞そのものを文明とする-儒教体制をとり、とくに十四世紀末から二十世紀初頭までつづいた李朝は、本場中国以上に精密な儒教国家をつくりあげた」そな…「このことは、鉄器の不足と無縁ではない。鉄器の不足が商品経済をこの国で成立せしめず、農村は原則として自給自足経済を保った」かくて「能力を十分に反映した社会を近世まで持ちえなかった理由の一つは、鉄器の不足」じゃね?って事らすぃ…そんな訳で、「農業生産力を飛躍させず、旺盛な商品経済を成立せしめず、せしめなかったからこそ、李朝五百年の儒教国家がゆがなかったともいえるかもしれない」そな…

 豆知識的には、松の木じゃね?で、「古今・新古今で定着した日本の名勝には、かならずといっていいぼと松がある」そで、「日本三景といわれる天橋立、松島、厳島も、松がなければ成立しない」とな…そー言われてみれば、あの三保の松原も松原ですしおすし(笑)

 樹木つながりで、「カツラの木は、古代以来、山で砂鉄を吹くひとびとにとって、聖木なのである」そで…「山中でタタラをおこすとき、そばに鉄の神の金屋子神を祭るのが常だった。その金屋子神というのは天から天降りするときにカツラの木を伝って降りてくる。そのため、タタラのそばにかならずカツラの木が植えられた」って、ホンマでっかぁーっ?

 でもって「桂の木というのは、同名のものが中国の古代説話に、月の桂という、空想上の樹木として出てくる。しかし現実の植物である桂の木は、日本の山野にのみある植物で、中国や朝鮮にはない」そな…そーだったのか?ウサギの餅つき?

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。時流に沿うのであれば、忍者キタコレで甲賀・伊賀の方の道の方でしょけど、まぁそちらは本書をドゾ。ニンニン(笑)

 目次参照  目次 国内

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