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2017年8月22日 (火)

江戸前島?紅葉山?

地下鉄で読み解く江戸・東京  富増章成  PHP研究所

 どゆ本とゆーと、本書、二部に分かれてまして、一部は東京というより江戸の歴史だろか?で、二部の方は駅とその所縁でしょかねぇ?

 ちなみに、江戸の言葉の由来からして「「荏草の生えているところ」なので「荏土」、これが転じて「江戸」になったという説」「湾(いまの東京湾)に面しているところから、「江戸の江は入り江を指し、戸は津、すなわち船着き場」という説」「さらには、それを狭義に解釈して、日比谷の入り江にあるから江戸」とゆー説もありで、諸説色色あらーなの世界らすぃ…そーだったのか?江戸?

 でもって、都市の江戸の方はとゆーと、「平安時代、武蔵国つまり現在の東京都と埼玉県周辺に勢力を築いた秩父重綱の子に、江戸重継という武将がいたといいます」で、12世紀の初めに「江戸湾を望む台地上に居館を」建てたと、そこが「近世の江戸城本丸のあった場所と推定されることもあります」とな…

 その重継の嫡子・江戸重長が、頼朝に「江戸の荘園を安堵された」とゆー事らすぃ…こちらの詳細は本書をドゾ。そんな訳で「江戸重長は、武蔵国の棟梁とよばれるようなり、その子孫は二百年の長きにわたって、江戸の居館を守り抜いていきます」となるらすぃ…

 ところが「十五世紀半ば、衰退した江戸氏は喜多見に退き、そのあとに江戸に入ったのが、室町時代後期に活躍し、名将として知られる太田道灌(一四三二~八六)でした」とな…太田道灌って応仁の乱の頃の人だったのか?

 ちなみに「太田道灌は、鎌倉公方を補佐する関東管領上杉氏の一族。扇谷上杉家の執事」だったとな…そーだったのか?セバスチャン?まっともかく「品川に拠点を持っていた道灌は、利根川以東に勢力を持つ古河公方に対抗するために、利根川の河口に城を」築かねばって事で、江戸氏の居館があったじゃないって事で、「江戸館を、中世的城郭様式の江戸城として改修しました」となったとな(笑)

 江戸に歴史ありで、本当詳細は本書をドゾ。まぁ紆余曲折の末、「文明十八年(一四八八)、主君・上杉定正によって謀殺されてしまいます。これによって江戸城は上杉氏のものとなりますが、やがて台頭してくる後北条氏が治めることになりました」とな…

 でまぁ、江戸城も江戸も今でしょ(死語?)になるのは、徳川家康キタコレになってからとゆー事は今更なのでパスだぁー(笑)

 かくて、江戸・東京物語はじまるよーんって事だろか?前振りが長くて済まぬ(笑)

 アリス的には、江戸・東京…でもそんなの関係ねぇ(死語?)なノリかなぁ?アリス、神保町以外は興味あるんだろーか?と素朴な疑問が(笑)
 そんな訳で、まずは神田でしょか?神田神保町的に(笑)「八世紀に完成した大宝律令(七〇一年)、さらに養老律令(七一八年)では、不輸祖田(税を払わなくてもよい田のこと)として神田が規定されていた。この神田を起源とするのが「神田」と言われている」って事は、あの辺りって元田んぼ?
 神保町とゆーと、「元禄年間(一六八八~一七〇四)のころ、旗本の神保長治がこの辺りに、広大な屋敷を所有しており、そこを通っていた小路が「神保小路」と呼ばれたことから町名がついたとされる」そで、でも江戸時代には神保町じゃなくて、神保小路と呼ばれていたそな…って事は神保町って明治になってからなのか?
 ちなみに「江戸時代の神保町は、武家屋敷の並ぶ武家地で、その広い地域が小川町と呼ばれていた。神保町と東隣の小川町から北方の駿河台まで、すべて武家地だったという」ですしおすし…
 後、神保町的にというか、アリス的に忘れてはいけないでは、新島襄先生生誕之地碑があるんですよ、奥さん(誰?)
 神保町近辺とゆー事で、お茶の水もあると思いますか?確か、絶叫城でチラっと出ていたよーな記憶が薄っすらと?で、こちらは「鷹狩りを終えた二代将軍・徳川秀忠が、高林寺(現在の順天堂大学付近にあったが、明暦の大火が焼失し移転)に立ち寄ったときに、境内の湧き水でいれた茶が献上された。将軍は茶の味がたいそう気に入ったので、この水が将軍家のお茶用のお水として毎日献上された」そで、そこからきたのってか(笑)
 マレーや阪神の虎キタコレで、虎ノ門もあると思いますか?ちなみに虎ノ門の由来は四神相応、風水からきたみたいで、「江戸城の西(白虎)の方角に門が位置するため「虎ノ門」になったとされる」らすぃ…
 乱鴉の烏で、新橋の烏森口もどよ?かなぁ?「江戸湾沿いの武蔵国櫻田村の一帯は松林だったので、「枯洲の森(空洲の森)」」と言われていたからとか、「カラスが生息していたので後には「烏の森」とも呼ばれた」とかあるそな…まぁ都内、森はなくても烏はいぱーいだからなぁ(笑)
 後は、海奈良他の東京かなぁ?ちなみに東京駅というと、丸の内口と八重洲口ですけど、この丸の内とは「江戸城の曲輪の内(城郭の中)のことを指している」そな…とゆー事は、あの辺りも江戸城内って事でオケ?
 同じく海奈良で六本木かなぁ?「六本の松の木」があったからとゆーのと、「この地域は武家屋敷が建ち、青木氏、一柳氏、上杉氏、片桐氏、朽木氏、高木氏と、木に関連する苗字を持つ大名屋敷があった」からとゆー説もあるすらぃ…
 それと四風荘の片桐さんの差し入れで神楽坂キタコレかなぁ?由来は「神楽の音が聞こえてくる坂ということ。ここに市谷亀岡八幡宮の旅所(祭礼の仮宮)があった」そな…
 片桐さんつながりで、本駒込の諏訪山吉祥寺のとこかなぁ?「吉祥寺の由来となった寺である。もともとこの寺は太田道灌によって江戸城郭内に創建され、後に水道橋際に移転となった。ここで、明暦の大火によって焼失し、現在の地に移転した。またこの移転の際、この寺の門前町も区画が整理され、門前町の住人は新たな土地を求め、開墾にあたった。それが現在の武蔵野市吉祥寺である」そな…片桐さん家にも歴史ありってか(笑)
 後、これもどよ?で、西日暮里の本行寺だろか?「太田道灌の嫡孫が開いたとされる日蓮宗の寺」なんだそーだけど、何故にアリス的かとゆーと、月にちなんで(笑)ちなみにこちらのお寺のまたの名が月見寺とゆーそーな(笑)
 も一つ、アリス的にこちらもどよで?桜田門も(笑)「江戸時代、桜田門は内桜田門と外桜田門があった。内桜田門には桔梗門という別名があり、現在警視庁と向かい合っているのは、外桜田門である。そのため、警視庁をさす隠語として、「桜田門」が用いられることがある」ですしおすし(笑)
 警察つながりで、森下もどよ(笑)「江戸時代に深い森があったことが起源とされている。「深川森下」の名称でよばれていた」そな…
 他にアリス的というと、広尾のとこの有栖川宮記念公園のとこかなぁ?「江戸時代は南部藩下屋敷だったところで、明治維新後、有栖川宮熾仁親王の弟・威仁親王の御用地となった。その縁で、公園内に熾仁親王の馬上姿の像がある」そな…
 さて、興味深いのは小川町のとこで、洋学所、蕃所調所跡の碑のとこかなぁ?「幕府は十八世紀半ばに洋書の翻訳をはじめた。翻訳ではとくに蛮書和解御用という部局をもうけて洋書の翻訳を行った。安政二年(一八五五)、洋学所が事情によって神田小川町に置かれた。しかし、安政の大地震で倒壊し、九段坂下に移され、名称も蕃書調所となる。開成所の前身で、さらに東京大学の源流の一つである」そな…そーだったのか?東大?
 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。最後に一つ、門前仲町のとこで「津波警告の碑」がありますよってにかなぁ?「寛政三年(一七九一)の大津波で多く犠牲者を出したことから、幕府は深川付近を更地とし、これより海側に人が住むことを禁じ、警告の碑を西と東の二ヵ所に建てた」そな…どこぞの、絶対に安全ですを繰り返した政府と比べると…これまた皆まで言うなか…
 目次参照  目次 交通

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