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2017年8月 3日 (木)

諸行無常の響きあり?

ローマ人の物語 43 ローマ世界の終焉 下  塩野七生  新潮社

 ついにこの長い物語も最終巻にやってまいりました…いや長かったと灌漑にふける前に、もーちよっとだけ続くのじゃで、西ローマの最後の皇帝を退位させた男、西ゴート族族長のオドアケルから、本書はスタートしますとな…

 彼が西ローマを滅亡させた男として名を残したのは、この後、西ローマ皇帝を擁立しなかったからですけど、では彼は何をしたかとゆーと、「東ローマ帝国皇帝ゼノ」に自分をバトリキスに認めよと求めたんですね…よーするに「「イタリア担当の皇帝代官」に公式に任命」せよって事じゃね(笑)

 では何故、他の部族長達のよーに勝手に領土に侵入して、勝手に住み着いて、勝手に自ら王と名乗らなかったのか?となると、まずこの時代の蛮族のリーダーは三つのカテゴリーに分かれるそーで、一、「親の代からローマ軍で軍務に就いており、息子の彼も父の跡を継いでローマ軍内で昇進した人」よーするに「ローマ化した蛮族」、二、「自分の出た蛮族の長である人」、三、「一匹狼、現代で言えば外人部隊の兵士に似ている」よーするに「小部隊の長か、それとも何らかの理由で部族から離れ、それとも何らかの理由で部族から離れ、志願した先のローマ軍で昇進を果たした男たち」とゆー事になるらすぃ…もしかして雇われ社長みたいなノリか?オドアケルは三番目に所属し、よーするに権威、お墨付きが欲すぃとゆー事だったらすぃ…

 これにゼノは、西ローマの皇帝はダルマティアにいるネポスなんだから、そっちへドゾと態度を保留したとな…そーいや、そんな人もいましたねぇ…

 かくて、オドアケルは東ローマもネポスもあきらめて、自ら王を、イタリア王を名乗る事にしたんだとか(笑)それは「対象が、ローマ帝国の本国であったイタリアであるだけに、ローマ帝国の正統な継承者はもはや自分たちのみ、と思っている東ローマ帝国の皇帝に認めさせるのもむずかしくなる」とゆー事は、「公式の承認がないということは、敵視されやすい」って事じゃねで、波乱含みのスタートってか?

 アリス的には、ローマ…今回は巻末についている通貨は国情の繁栄であるの章のとこかなぁ?比類なき的に?まぁこちらは貨幣というか、お札じゃなくてコインですが(笑)

 オドアケルによる西ゴート族の伊統治スタートですが、「少数の勝者で多数の敗者を統治しなければならない場合の鉄則は、既存の統治階級の温存、につきる」そで、それってヴィシー政権とか、ド・ゴールの時の官僚機構みたいなものだろか?

 さて伊からちょっと離れて、その頃の他の西ローマ帝国内はどーなっていたのか?とゆーと、一番、ブリタニアの場合…「ブリタニアからは、ローマ帝国は紀元四一〇年からすでに引き揚げている」そで、時の皇帝はホノリウス。

 かくて撤退以後、「以前からしばしば侵入を試みていた北部のスコット族に加え、後代のドイツ北部から海を渡ってくるサクソン族と、後のデンマークからこれも海を越えて侵入してくるアングロ族の脅威を一段と強く受けるようになる」って、しかもこれに対して「ローマ化していたケルト系のブリタニア人だけでは」抗しきれなかったとなる訳で…かくて、ウェールズやコーンウォールに逃げるが、コーンウォールも危なくなってガリア北西部に移動、故にその地を「ブリュターニュと呼ばれるのも、ブリタニア人が住みついたからである」なんですと…そーだったのか?ウルフ先生?

 でまぁブリタニアでは、アーサー王伝説が始まるとゆーノリらすぃ…どちらにせよ、先住民との共生は「試みられることさえなかったのである」らしいぞ、キャ〇ロン(笑)

 ガリアの場合、紀元454年アエティウス死後、「事実上はローマ帝国から分離した状態」になりましたが、何か?だったらすぃ…「マルセーユから東のプロヴァンス地方はかろうじてローマ側に残っていたが、それ以外のガリア全土はゲルマン系の蛮族の共食い状態を経て、その一つであるフランク族が、北部ガリアを基礎に着実に勢力を拡大しつつあった」とな…ちなみにガリア東部にはブルグンド族も居座っていますが何か?で、「ガリア西部に一度は勢力を確立した観のあった西ゴート族は、ピレネー山脈の南に」追い払われていたそな…

 そしてフランク族のガリア支配というより、統治についての詳細は本書をドゾ。結局、行政的には、在住者に頼むしかなく、宗教もカトリック化する事で、ガリアでは宗教対立も比較的穏便に進んだらすぃ…「紀元四八一年から五一一年までフランクの王位にあったクロードヴィックは、四九三年にブルグンド族の王の娘を妻に迎えるが、その女人が熱心なカトリック教徒で、生まれた息子二人が洗礼を受けるのをフランク王は承知する」で、3年後に奇跡(?)が起こり「それに感銘したフランク王は、三千人の部下とともに洗礼を受けたという」とな…

 蛇足ですが、このクロードヴィック王が「自分の王国の首都はパリと決めた最初の人であった」そな…そーだったのか?巴里?

 ヒスパニアの場合、「北西部に住みついたスヴェビ族、ピレネー山脈にこもるバスク族を覗けば、ローマ時代はヒスパニアと呼ばれていたイベリア半島の大部分は、西ゴート族の支配下にはいっていた」そな…

 北アフリカの場合、「ヴァンダル族による北アフリカ支配は、勝者と敗者の矯正などは薬にもしたくないものであった」訳で、ヴァンダル族はアリウス派だったけど、現地住民はドナートゥス派とカトリック派に真っ二つで、その優位が逆転したのだから、今までと真逆の事が起こると…となれば、共生なんてそんなの関係ねぇーって事になれば、後に起こる事は「難民」の発生じゃまいか…これにより、資産と知識層が逃げていく事になり、結果「社会の機能」と「生産性」の低下がキタコレになったと…

 と、周辺地域はざっとこんな状況の中、伊は西ゴート族支配下に入ったとゆー事らすぃ…で、ここでの西ゴート族とローマ人の立ち位置は、客人と主人と規定したのだそな…他にも「「主人」の資産の三分の一を「客人」に贈与する、と決めたのである」で、こちらの詳細も本書をドゾ。

 とにかく「オドアケルは、農園という彼らの経済基盤の維持と銅貨の鋳造権を与えることで、敗者側の二大勢力の一つである元老院階級の心をつかんだのだった。もう一つの大勢力であるカトリック教会を、農園や手工業を温存することと彼らの信仰の自由を保証することによって、味方にしたのと同時に」とゆー事らすぃ…既得権益を大切にねってか(笑)

 まとめると「軍事は蛮族が担当し、行政や経済その他の諸々はローマ人が担当する」って事じゃね(笑)棲み分けによる共生キタコレって事らすぃ…ただしこれは「両者の「同化」ではなかった」とゆー事ですが、何か(笑)

 興味深いのは、「昔からゲルマン民族は、自分たちと征服した他民族の居住地の間に帯状の荒地を設置して、必要最低限の接触以外は交流しないという、支配のやり方で知られていた」って、それがゲルマンの伝統芸能だったのか?メ〇ケル?成程、EU(笑)

 また、一神教と多神教の教徒である違いも、共生と同化の違いに出てくるらすぃ…一神教では異教問題より、異端問題の方が先鋭化しやすいとゆー事もあるらすぃ…異端の場合は、結局どちらが正統か?で長く敵対関係を続ける事になるそな…とゆーかなったそならすぃ…「自分たちの考えかたこそが正統と信じてきたからである」って、正統は一つってか?

 宗教からして、同じ宗教であったとしても宗派が違ければ、同化はありえないとゆー事にならなまいか?で、他の分野もそーかもしれんねぇで、「一神教にでも期待できるのは、「共生」が限界であるかも」とゆー事らすぃ…結局そんなこんなで「「パクス・バルバリカ」が、「パクス・ロマーナ」よりもはるかに短命に終わるのも、このちがいによるものかと考えたりしている」と著者はおっさっておりまする…多神教と寛容性について、じっと手を見るってか?

 さて、では東ゴート族は当時どこにいたか?と言えば、「東ローマ帝国との間に「同盟者」協定を結んでおり、現代ならばドイツ南部になるドナウ河の上流地帯を居住地としていた」いたそな…でもって、8-18歳まで東ローマ帝国に人質に出された経験を持つ族長の息子テオドリックは、20歳にして族長に就任するとな…

 まぁ野心家で、それなりに能力のある若き族長となれば、勢力拡大これっきゃないってか(笑)こちらの詳細も本書をドゾ。ちなみに、「東ローマ帝国の「貴族」であり、三十歳で「執政官」にもなり、後代のバルカンに該当する東ローマ帝国西方が担当の「軍司令官」でもあった」そな…そして伊侵攻に「西ローマ帝国を蛮族支配から解放するための、東ローマ帝国公認の軍事行動」というお墨付きももらってしまうんである…

 そして「ゲルマン民族では、最終的な決定には部族の集会での承認が必要になる。紀元四八八年、三十四歳になっていたテオドリックはそれも得た」そで…翌年、伊侵攻始まるってか…かくて決戦は開かれたで、第一戦、第二戦共にテオドリックの優勢とゆー事に…

 紀元493年3月、講和条約が結ばれた…「イタリア全土は、オドアケルとテオドリックが共同で統治する」事になったのである…双方の身の安全も保障され、ラヴェンナにテオドリック入場する訳ですが、「十日目になって、突如、六十歳になっていたオドアケルが殺された。オドアケルの妻も息子も、彼の部下の主だった人々も、全員が、まるで一夜のうちに、という感じで殺されたのである」とな…

 かくて「テオドリックの支配は、三十九歳でオドアケルを排除した紀元四九三年から七十二歳で死ぬ五二六年までの、実に三十三年の長さにわたることになる」そな…

 彼の統治の詳細も本書をドゾ。また、東ローマ帝国は彼の支配の公認は与えなかったので、「テオドリックもオドアケル同様に、「イタリアの王」と勝手に名乗るしかなかったのである」になる訳で…

 しかし、オドアケルと東ローマが没交渉だったのに反して、テオドリックは、「東ローマ帝国皇帝に対して、丁重な態度をとりつづけた」そな…東の軍事力と宗教あなどりがたしとゆーとこか…しかも、他のゲルマン系蛮族との縁戚関係も築いていたとな…よーするに相互不可侵条約の締結みたいなもんであるが、狙いはゲルマン民族王国連合とな…最早西ローマそんなの関係ねぇー(死語?)も行きつくとこまでいった感が…ちなみに、「サルデーニャとコルシカの領有権を放棄するという代償まで払って、ヴァンダル王国との間に平和条約を結んでいる」事から、本気度が違うってか?そんな訳で、「スペインと南フランスとイタリアの海岸地方に住む人々も、「パクス・バルバリカ」の恩恵に浴すようになったのであった」とな…

 と、支配者にはなったけど、現実は「ローマ人に見られたいと願うゴート人は多いが、ゴート人に見られたいと願うローマ人はいない」(@テオドリック)ですから、文化度は一朝一夕では身につかないものでって事らすぃ(笑)相変わらず、軍事以外は全てローマの方が上じゃねで丸投げなんですね、分かりますですしおすし(笑)

 面白いのは識字率が限りなく低いので、サインすらできない人多しじゃね?でテオドリック、「各自が「印」を使えるようにした」ってゆーから、元祖判子は彼かもしれんねぇ(笑)

 まぁ「比較少数のゲルマン民族による支配がつづいていながら、比較多数であったローマ人による反乱は一度として起こらなかった。統治の内容が良かったからだけではなく、統治のプレゼンテーションも良かったからだろう。そして、人材を登用するだけでなくその人材を活用する能力が為政者には欠くことは許されない資質であることは、人種にも民族にも宗教にも関係のない、個々人の器量でもあるのだ」に尽きるのか…

 かくて、伊の経済も人口も上向きに転じる事になったとな…平和と安寧これ大切ってか…

 だがしかし、ここでも宗教は別なんでござるってか…ちなみにどちらのゴート族もアリウス派でござるでしたが、別にカトリックを異端として迫害なんかしてませんなんですよ、奥さん(誰?)

 それでも「宗教とか信仰が理性の分野のものでない以上、不都合ではないからというだけの共生は、神の意に背く背信行為になり、それゆえに糾弾されるべきだと考える人が必ず出てくる。そのように考える人々にとっては、アリウス派という異端の支配を受け容れていることからして背信行為であり、それを排除してカトリックというキリスト教の真の教えに回帰することこそ、神の意を受けて生きることになるのである」って、一神教の正義パネェ…

 テオドリック統治時代の紆余曲折についての詳細は本書をドゾ。何にしても72歳でテオドリック死去。王位は「十歳の孫のアタラリック」が継ぎ、統治はその母アマラスンタきたこれってか…が、ローマ式のエリート教育を息子にさせたかったアマラスンタと違って、ゴート族の重臣達は反対、ゴートの王に必要なものは武術、武勇であるとゆー事らすぃ…でもって、少年王を母からとりあげると、かくてアタラリックは「八年後、忘れられた身のままで死んだ」とゆー事になると…

 かくてアマラスンタが女王になり、「ゴート族の中でも有力な家出身のテオダトゥスと再婚」して、政権継続をはかったが、心細い女王は東ローマ帝国の皇帝に接近すると…かくて内紛キタコレで、夫であるテオダトゥスは妻を幽閉し、殺害させたとな…

 そして「これが、東ローマ帝国の皇帝に即位していたユスティニアヌスに、イタリア侵攻への恰好な口実を与えることになるのは明らかだった」になる訳で…テオダトゥスは東ローマとの関係改善に走るが、これが弱腰外交と取られ「強制退位」させられると…紀元536年、東ゴート王国の王にヴィティジスが就任すると…

 さて、東ローマに目を転じると、ユスティヌスからユスティニアヌス帝キタコレってか?ちなみにユスティヌスはユスティニアヌスの伯父にあたる人で、このユスティヌスも「軍隊でまじめに勤めあげたところに帝位が舞い込んできたという感じの人」で、目立つ人ではなかったお人にお鉢が回ってきたのは「前任者の死後に候補者が乱立し、これらの高位高官たちの間の調整が不可能になったからである。この間隙を縫うという感じで帝位をものにしたユスティヌスだったが、皇帝になるや直ちにこれらのライヴァルを皆殺しにした」とゆーから、実に東ローマ的なのか?

 その後をついだユスティニアヌスという人のプロフィールの詳細は本書をドゾ。一言で言うなら不思議な人だったらすぃ…まっともかく紀元527年、ユスティニアヌス皇帝になるで45歳の時とな…で、この人は後に大帝付きで呼ばれる三人の内の一人の皇帝とゆー事になるらすぃ…それは何故かといえば、「一、ハギア・ソフィアの建立」「二、「ローマ法大全」の編纂」「三、旧西ローマ帝国領の再現」という事になるそな…こちらの詳細も本書をドゾ。

 問題は三番目とゆー事になるんじゃね?で、こちらの詳細も本書をドゾ。よーするに西ローマ帝国を異端者に支配させておくのはあきまへんえとゆー聖戦キタコレらすぃ…その為に、常態となっていたペルシア戦を講和をもって終わらせ(一時停止?)、イタリア半島奪回に突き進む事になると…よーは自分を東西ローマ皇帝にとゆー夢をもう一度って奴ですか?そーですか(笑)

 そして、「ユスティニアヌスに旧西ローマ帝国の領土の奪還作戦は、紀元後五三三年に開始される。それを率いる総司令官は、三十三歳になったばかり」の将軍ベリサリウスだったでござるってか…

 もー既に東ローマ帝国というより、ビザンチン帝国と言った方がええんじゃね?ですが、本書によると「ビザンチン帝国の歴史上、最も有名な皇帝はユスティニアヌスであり、最も有名な将軍はベリサリウスである」とゆー一文で、お察し下さいのノリじゃね?

 かくて、「紀元五三三年六月、北アフリカのヴァンダル王国妥当を目指す軍勢が、コンスタンティノーブルから出航した。一万五千の兵士を乗せた、五百隻を越える大船団の出陣である」とな…それにしても「敵地に、しかも母国から遠く離れた敵地に攻め入る場合には、大軍よりも精鋭で固めた少数の兵を率いるほうが有利である場合が多い」って、ホンマでっかぁーっ?

 迎え討つヴァンダル王国の方はとゆーと、ゲンセリックの死後は内紛が吹き荒れていた模様…故に、東ローマ軍が来襲してくると知っても対応できる状態じゃなかったらすぃ…そして二度の戦闘に二度とも敗北し、「ヴァンダル王国はあっけないくらい滅ぼされてしまったのであった」とな…とゆー訳でその後の詳細も本書をドゾですけど、結果的にジブラルタルまで東ローマ帝国に戻ったぁーっとゆー事らすぃ…

 そしてその後の統治はコンスタンティノーブルから送られてきた宦官の高級官僚達によって行われていく事になったそで、「宦官の行う統治が厳しく圧政的で、徴税も情け容赦もなく施行され、しかも収賄・贈賄は日常茶飯事」となった訳で…官僚って、どこぞの霞〇関ももしかして宦官の群れかもと思わせるのは気のせいか(笑)

 これは「戦後処理もそれにつづく統治の確立も、「善」にすべきところができないまま終わることになる。これは、北アフリカに留まらず、東ローマ帝国が再復に成功した、すべての地方でも共通する現象になった」とゆーから、東ローマの行政能力って…本当にありがとうございました(笑)

 紀元534年秋、ベリサリウス、コンスタンティノーブルに凱旋。紀元535年秋、イタリア奪還へ出兵する。ちなみに今度の兵力は7500人…前回の半分で、東ゴート族20万を打ち破れとゆーのだから、東ローマ帝国ってパネェ…

 少数精鋭主義とは聞こえがいいけど、「少ない兵力しか投入しないということは、戦争が長期におよぶ危険を招きやすい」とゆー事じゃまいか?「戦争は、弁解の余地もない「悪」である。その「悪」に手を染めねばならなくなった軍事関係者が頭にたたきこんでおかねばならないことの第一は、早く終える、に尽きるのであった」じゃね?何かもー始まる前から泥沼が見えてくるよーですが、蓋を開ければ?

 数が少ないので、まずは講和をベリサリウスは試みると、締結寸前まではいったらしーが、「テオダトゥスは家臣の全員から弱腰と非難され、退位を強いられただけでは済まず、その後しばらして殺される」と…次に東ゴート王国の王位についたのは「対ビザンチンでは強硬派のヴィティジス」とな…開戦待ったなしってか…

 紀元536年春、ベリサリウスは「シチリアから南伊、ナポリまで進軍すると…こちらの詳細も本書をドゾですが、ナポリ戦でベリサリウスは水道橋から市内に潜入するという戦術を使うのであった。でもって、これからローマの二大インフラの水道が閉鎖される事になると…敵が侵入してくるかもとなれば、どこも埋め立てちゃうもんねになるよねぇ…水道とは平和があってこそ享受できるものらすぃ…

 紀元536年12月10日、「ゴート族の将兵たちがローマの北西に開いたフラミニア門から堂々と体形を組んで出て行くのと入れ代わるように、ベリサリウス率いるビザンチンの将兵たちは、ローマの南東に開いたアジナリア門から歓声をあげながら入城してきたのだった」に至る訳で…一応、これは無血開城なのかのか(笑)

 そしてベリサリウスはローマ防衛の工事を敢行し、紀元537年3月、「古代では伝統的に、戦闘期の始まりは三月と決まっている」そで、まっそれはともかく、「フラミリア街道とサラーリア街道の二本を使って南下してきたゴートの軍勢は、ローマの城壁の前に陣を布いた」とな…

 ちなみに「都市をめぐる攻防戦は、城壁を前にした両軍が、ただ単に睨み合っているのではない。開かれた城門から出撃して闘い、再び城壁内にもどってくることのくり返しになるのが普通で、このときの攻防戦もそのように進んでいた」そな…

 まぁそれもともかく、水攻めもキタコレで「紀元五三七年、八百五十年にわたって生きてきたローマの水道は完全に死んだ」とゆー事態にもなったとな…

 そして、空気が変わるってか、籠城中の東ローマ人はローマ市民達の歓迎モードから嫌悪モードに切り替わったのを嗅ぎ、ローマ市民を信用しなくなる。また、東ゴート族も、ローマ人を信じられなくなり、「ラヴェンナに滞在中の元老院議員の全員を殺せとの命令が送られる」「北イタリアの上流階級を形成していたこの人々の全員が殺された」こーして、ゲルマンとローマの共生も幕が下りたと…

 この攻防の紆余曲折は本書をドゾですが、紀元538年3月、ひとまず休戦とあいなって候ってか(笑)

 とにかく圧倒的に兵力が少ないベリサリウスの嘆願によって、増援部隊7000が到着するのですが、こちらにはおまけにもう一人の司令官、将軍ナルセスもキタコレってか(笑)そして「優れた二将は凡なる一将に劣る」とゆー格言通りに話は進み、東ローマ軍はこれから一年を無駄に過ごす事になると…

 事態はかなりヤバくね?に突入した模様…まず、時間を与えた為ゴート軍が再結集された事。様子見をしていたフランク族の王が、今でしょ(死語?)って事でアルプスを越えて北伊に侵攻始動中な事。ゴート族に攻められミラノが壊滅状態であり、それが伊の他の地方に知られれば住民は皆反ビザンチン派になってしまう事。二将体制で身動きとれないビザンチン軍の為に、ゴート軍によって中伊蹂躙中な事。このまま事態を放置しておけば、ビザンチンの勝ち目は何一つないに1ジンバブエドル、もとい1銅貨賭けてもいいってか(笑)

 まぁどれもヤバいと言えばヤバいですけど、この時のミラノは相当に打撃をこうむった訳で、それがどの位というと多分「村でさえもなくなった」位の壊滅状態…ひとっこひとりいないみたいなノリになった位と見ていいのか?「このミラノが歴史に再び顔を出すようになるのは、中世も後期に入ってからであった」とゆーから、向う千年位眠りにつく事になるんだろぉか?こーして見ると現在のミラノって新しい都市になるのか?

 しかもその年というか、紀元538年は凶作というか、不作の年となる訳で、農民不足も極まれり、治安が安定しないと耕作どよで、栄養失調だと病気も蔓延するよね、ともー弱り目に祟り目キタコレ状態に突入ってか?伊中が緊急状態かもかも?

 紀元539年にナルセス帰還で、ベリサリウス一人に指揮権が戻ると、彼は怒濤の反撃に出る事になる訳だったりして(笑)ベリサリウス、ラウェンナ攻略、紀元539年12月落城。

 ところが、コンスタティンノーブルから来た指令は、ベリサリウスの帰還命令である。変わりの司令官を送ってくれる訳でなし、で今度は残された部下の11将による乱立で、こーなれば後は会議はもとい、現場は踊るじゃね(笑)

 帰還したベリサリウスは「一年もしないうちに」「オリエントに送られている」で、対ペルシア戦ヨロってか(笑)むしろ、捕囚としてコンスタンティンノープル送られたはずの東ゴート族の王ヴィティジスの方が余程快適生活だったりして、それというのもカトリックに改宗したからだそで、敵できなくて客人とな…凄いな、ビザンチン帝国基準…

 一方伊では、紀元540年秋、東ゴート族の新王トティラの下に再結集に成功していたりして(笑)そしてイタリア半島中が戦場となり4年が過ぎるってか…しかもビザンチン帝国は、統治にも失敗すると…税金は取り立てるけど安全保障はしないとなれば、人気爆発とはならないよねぇ(笑)むしろ、絶賛反ビザンチン帝国来たぁーっでしょか(笑)

 結果どーなったかとゆーと、イタリア半島内の「ラヴェンナからローマに至る帯状の地方」以外は全て、東ゴート支配下に入ってしまうんである(笑)かろーじてアドリア海とティレニア海の制海権だけはビザンチンが死守していただけとも言うでしょか…

 紀元544年、対ペルシアに派遣されていたベリサリウスが呼び戻されて、再び伊に送られるでござるってか…時にベリサリウス44歳でございました(笑)しかも、ベリサリウスを投入したのはいいとしても、給料も兵量も武器も充分に保証せずで(笑)

 そして紀元546年夏、ローマは再び、ゴート軍の攻撃にさらされることになると…そしてビザンチン側の将の質も落ちていたのである…まぁ今更ですが(笑)12月、「ゴート軍がローマに入城。ローマの城壁の破壊、ローマの元老院の解散。奪えるものだけ奪ったゴート軍が去り、2月、ベリサリウス入城。ローマの復興に力を貸すが、ここで再びコンスタンティノープルからの指令で、「南伊とシチリアからのゴート勢一掃を優先せよ」キタコレ(笑)

 紀元548年一掃に成功した途端、今度はコンスタンティノーブルへの帰還命令キタコレ(笑)もー哀愁のベリサリウスですけど、彼が戦場にきてから上向きに転じているとはいえ、未だに東ゴート軍を駆逐できていなんだから、責任とれよなとゆー更迭らすぃ…「専制君主国では、君主は決定はするが責任はとらない。そして臣下は、決定権はないが、責任は取らされるのである」とな…まぁトップが責任を取らないってのは、どこぞの新橋を見るまでもないけど(笑)

 そして、ベリサリウスが去った後の伊は、皆まで言うなの世界か…再びどこもかしこも戦場状態が4年続くのであるとな…勿論、ユスティニアヌスは放置プレイである(笑)よきにはからえってなもんだときたもんだってか(笑)その間、ベリサリウスはほぼ無益な名誉職扱いだったの飼い殺し状態ってか…

 紀元552年、総司令官に70歳のナルセスがついて伊入りをすると…彼が連れて行った兵士の中にロンゴバルド族もいるとゆーとこがポイントだろか?会戦の結果、ゴートは負け、トティラも戦死。そしてナルセスはローマに入城すると…

 この後、紀元553年の秋、ビザンチン対ゴートの決定戦が、南伊の平原で対戦。これにて、「東ゴート王国最後の王のテイアも死んだ」そで、東ゴート族は伊を去る事になったとな…

 こーして18年に及ぶ戦争に終結がやっときたとゆー事らすぃ…伊中がこの戦役で疲弊していた訳ですが、今度は皇帝代官に変貌したナルセスが、「ビザンチン帝国領になったイタリアとシチリアの住民に、すさまじいと言うしかない重税を課したのである。人口は激減し、耕地は荒廃し、生産も低下した状態での重税である」しかも、ナルセスは15年も居座るんである(笑)こーして伊とローマの息の根を止めたのは、「蛮族ではなく、同胞であるはずの東ローマ帝国だったのだ」に至る模様…

 そして、紀元565年3月ベリサリウス死去、11月にユスティニアヌスも死去。一つの時代が去ったとゆー事らすぃ…

 とはいえ、現状の問題は山積みで、対ササン朝ペルシアとの不毛な戦い続行中、バルカン半島にスラブ人とブリガリ人侵攻中、先のゴート戦役で財政危機の以上三点ですっうがぐぐ(笑)

 更に続けると紀元568年、ナルセス死去。同年、ロンゴバルド族の南下による伊蹂躙。この辺に関しては成程バルカンってか…そして時代は中世へとコマを進める事になるらすぃ…

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。しみじみと思うのは専制君主制、神意による皇帝権になって、政権安定の為、長期政権樹立の為に宗教を政治に持ってきて、確かに長期政権にはなったが、皇帝としての能力がない人がトップになってそれが長く続く事が果たして国と国民の為になるのか?とゆーのは、どよ?と思ふ…まだ、これならコロコロ変わるなんてと言われよーが、民意で変わる短期政権の方がマシのよーな気がするが?ええ、川を渡る途中で馬を変えてはいけないとゆーけれど、乗っている馬が溺れていても乗馬しているのはヤバいと思うんだ(笑)

 まぁローマ帝国に対しては、「ヨーロッパと北アフリカと中近東で二百年にわたって戦争がなかったという一事だけでも、あれから二千年が経っていながらタメ息が出る」に尽きるよながよかった探しならば、ローマ帝国敗因の最大のポイントは、女性を活用できなかった男社会の限界と見るんだけど、どよ(笑)

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