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2017年9月 2日 (土)

月はひとつ、影がふたつ(笑)

世界のなかの日本  司馬遼太郎 ドナルド・キーン  中央公論社

 サブタイトルは、十六世紀まで遡って見るなんですが、主に近世日本をメインにした対談集でしょか?室町後期から江戸辺りかなぁ?そして今でしょ(死語?)にも影響あるよね?でしょか?

 前書きによると「日本人や日本文化について外国人が最初に思いうかべるのは、現在の日本の工業的生産物によるものである場合もあるが、大方は日本の近世、とくに江戸時代に生みだされたものによっている」(@キーン)とな…

 大きく見ると鉄砲伝来のポルトガル人キタコレからですけど、メインは出島の蘭じゃなかろーか?鎖国ですけど、ドアは開いてなくても窓は開いていたとゆー事だろか(笑)そしてその蘭との関係は「一六〇〇年の関ケ原の戦いのすこし前にウィリアム・アダムズ(三浦按針)がオランダ船リーフデ号で豊後、いまの大分県の臼杵湾に漂着したところから始まります」(@司馬)とな…

 ここで「そのときのオランダの人口は一五〇万人ですね。一五〇万人であれだけの文明の力を持っていたオランダはじつにえらい」(@司馬)という事になるらすぃ…江戸初期というか、戦国末期のあの頃、世界的に人口分布ってどーだったんだろぉ?ちなみに今現在は1650万人位だから、400年位で人口十倍になっているのか?

 他にも蘭関係では、ホテルオークラってアムステルダムに支店出した時、「ホテルの食堂に、"DESIMA"という名前にしてオランダ船のレリーフをかけました。でも、だれも"DESIMA"の由来を知らなくて、「これ、何でしょうか」と言ったそうです(笑)。いろいろ説明しなければならないので、いまは"DESIMA"という名前をやめてしまいました」(@司馬)そな…日蘭友好とか言うけど、所詮その程度の認知度だよなぁ(笑)

 他に、蘭関係からいくと、まだまだエピつきませんで、例えば、蘭の道路…「一六〇〇年前後にできたライデンの町を歩いていると、こぶしほどの石で舗装されています。オランダには山がありませんから、どこから石を買ったにちがいない」(@司馬)って事にで、当時石一個一ギルダーでキタコレになったらすぃ…蘭の石畳パネェ…

 そんな蘭とは「ヨーロッパ人が歩くよりは日本人が歩いたほうが刺激的かもしれません」(@司馬)なとこらすぃ(笑)

 そして「江戸時代の日本人は、レンブラントの名前を知っていました」(@キーン)ってエピだけでも、今も昔も日本人って…

 アリス的には、シーボルトの遺品の記念館?博物館?みたいなのか蘭にあるらすぃのですが、そこの艦長さんが「外交官で学者で、推理小説を書いた人の息子さん」なんだそな…ミステリ作家の子孫って…

 尤も、シーボルトが蘭に持ち帰った日本の品々は結構にアレだったらすぃ…「工芸的にもよくないものが多く」って、一体…シーボルト的には一点豪華主義ではなくて、取り敢えず質より量で勝負ってか?

 他にアリス的というと、ジャバウォッキーの准教授の天体少年のそれで、「星を見る文化は、もう奈良期のときからありません。日本はどうも水蒸気が多いせいか、星には関心がなかったみたいです」(@司馬)って…だから「大和言葉の星の名は昴くらいのものですね」(@司馬)って事になるみたいです…

 後は、「大阪宗右衛門町は、いまは騒々しい場所になりましたが、私たちが子どものころはまだお茶屋さんの街で、風情がありました」(@司馬)の件かなぁ?詳細は本書をドゾですが、「大阪には芝居茶屋というものがありました」(@司馬)って事らすぃ…

 他には、大阪の画家、菅楯彦の掛け軸が出てきたりします。こちらの詳細は本書をドゾ。「もう大阪でも忘れられましたが」(@司馬)って、そーだったのか?アマノン画伯?

 後、作家的には、夏目漱石のエピが何だかなぁ…漱石の英国留学って、何か隠々滅々なイメージなんですけど、これって当時の海外留学生事情につながる話なのか?理系と文系ってそんなにも違う感覚らすぃ…

 文学的に、漢文、漢詩の世界から、欧米文学キタコレで、翻って日本はとなると、ノイローゼにもなるとゆー事か?ある意味、漱石も真面目な人だったんだなぁと…まっ全肯定か、全否定、これは切り捨てご免である意味楽なんだろーけど、どちらも良いとこどりで折り合いをつけよーとすると…うーん…パイオニアって大変…

 対欧米以外にも、明治、新時代の日本語どーするよ?とも格闘したお人とゆー事にもなるらすぃ…かくて「漱石がいったん多目的で、だれもが参加できる文章をつくったけれども、なかなかうまく根付かなかった」(@司馬)となるらすぃ…

 ちなみに「尾崎紅葉が文語で書くべきか、それとも口語で書くべきか、非常に迷いました」(@キーン)そな…芸術家としてどよ?って事らすぃ…そして自然主義文学キタコレになるのか?最早これは「文学ではない」(@キーン)もあると思いますだろか(笑)戦前の文学史も半端ない(笑)

 それと聞き捨てならないのは(笑)「私小説というのは、近代文学の定義での小説ではないと思っています」(@司馬)って、あれはフィクションではないの世界が展開している模様(笑)

 ちなみに「ヨーロッパにはゴッドがあって、ゴッドの伝統がだいぶかぼそくなってきたころに近代文学が起こります。作家がそれぞれ自分の「絶対」というものを奉じて、フィクションの中央にすえる」(@司馬)とな…そーだったのか?西洋文学?

 他に日本の作家としては芭蕉のとこが秀逸かなぁ?「芭蕉というのは面白い人で、自然こそむなしいが、手で書いた文章は永遠のものだということ」(@司馬)って、それどこの唯脳論?

 それと、「近世の日本では、ヨーロッパのどの国よりも本を読む人が多かったと思います。ヨーロッパの場合、二六の文字しかないのに、教育はそれほど進んでいなかった。おそらく日本の読書人口は、世界で一番多かったと思います」(@キーン)とな…まっ読み書き算盤の国だもの(笑)

 でもって、「江戸時代で一番、識字率が高かったのは大阪だと思います」「読み書きそろばんの塾がたくさんあり、寺子屋の数が多くて、寺子屋ごとに教科書が違っていますでしょう。大阪は出版の町でもありましたから、出版される往来物という教科書が一万種類あった」(@司馬)らすぃ…商人の町だけに必須アイテムってか?

 そんな訳で「十九世紀の初めごろのヨーロッパと日本とを比べると、きっとヨーロッパのほうが文字の読めない人が多くて、日本のほうが教育は進んでいたでしょう」(@キーン)になるとな(笑)

 ちなみにそんな日本の出版事情、「江戸の末期の大ベストセラーは、頼山陽の「日本外史」でした。江戸の幕末期の大ベストセラーは、福沢諭吉の「西洋事情」で、これは明治までつづきます」(@司馬)とな…目指せ、ベストセラー作家ってか(笑)

 他にアリス的というと、美術系かなぁ?で、「パリの現代美術館に著名な画家の一人ひとりのコーナーがあり、その真ん中に彼等のアトリエにあったものが保存されていますが、すべての人のアトリエに、浮世絵がありました。ゴッホなどは浮世絵をはっきりとまねています」(@キーン)って、そーだったのか?天農画伯?

 でもって「浮世絵は美しい。しかし、浮世絵と同時代、あるいはそれ以前のヨーロッパの美術にあったような悲劇的な面とか、あるいは人生の悩みなど、そういうものはまったく現れてこない。美しさだけだと思います」(@キーン)に見えるのか?浮世絵って?

 そゆ訳で印象派は勿論他の画家のみなはまも「浮世絵にひかれましたね」(@キーン)となるらすぃ…「西洋の伝統として、人物を描く場合、その顔がその人の魂と変わらないものだと思われていたので、どうしても顔を丁寧に描かなければならなかった」(@キーン)にも拘らず、浮世絵の顔の描き方はちゃいまんねんってか(笑)下手したら顔も描かれていなくね?ってどよ?という、西洋絵画的にはディープインパクトだったらすぃ(笑)

 そんな訳で西洋画って肖像画がメインじゃねな世界らすぃ…絵とは人物描いてナンポの世界か?風景画って、一体?

 でまぁ現代の日本画でも、やっぱふつくしいがメインにきてね?って事らすぃ…絵画一つでも未だに日本と世界じゃ、ちよっとスタンスちゃいまんねんなんでしょかねぇ?

 蛇足ですけど、大名が持たなければならない三種の神器じゃないけど、スリーアイテムがあったそな…それは「正宗の短刀」「洛中洛外図」の屏風「牧谿」の絵なんだそな…牧谿とは「非常にマイナーな」中国の画家だそーで、これが何故か日本の大名家では大人気って奴だったらすぃ(笑)でもって、洛中洛外図の屏風には、必ずポルトガル人が一人でも描かれていないといけないモチーフだった模様…ええ、鎖国になってもいるんですってか(笑)

 海奈良の近松キタコレで「近松が描いた大坂の世界は、大変印象深いもので、私の非常に好きな文学です。しかし、登場人物は人形です。人間のような臭みがないといいましょうか。あるいは人間にような深みがない」(@キーン)と、捉えるらすぃ…そーだったのか?文楽?

 とはいえ、「彼の書いた浄瑠璃、歌舞伎を読むと、一番記憶に残ることは、悲劇の主人公に町人がいたということです。ヨーロッパでは、農民とか町人が喜劇に出ることはありましたが、悲劇の主人公に町人が出ることは、ずっと後までなかった」(@キーン)となるらすぃ…

 何とゆーか、日本からする日本から見た世界とは何ぞや?とゆースタンスになりがちですけど、その時欧州では?もあると思いますなのか(笑)例えば「日本から古伊万里焼がヨーロッパに入るまで、ヨーロッパにどういう陶器があったか、もっとはっきりいえば、ヨーロッパ人が食事をするときにどういうお皿を使っていたかというと、金属のものが多かったでしょう。あるいは陶器でも、その絵はきれいだったかもしれませんが、物が悪くてあまり上等なものではありませんでした」(@キーン)って、そーだったのか?欧羅巴?

 そんな訳で「日本の陶器とか磁器がヨーロッパに入ったときには、裕福な人たちの生活をかなり変えたと思います。あるいは衛生的にもよかったかもしれません。陶器とか磁器だと、洗えばきれいになりますが、木のものだと、小さな穴があってばい菌がつく可能性も大いにありますから、いろいろな病気のもとになったはずで」(@キーン)っててて…天然痘とペストも流行しますたってか?

 また、「外国人となると、日本美術をとおして日本はこういう国だと思っています。どういう美術かというと、安藤広重(一七九八~一八五八年)とか葛飾北斎(一七六〇~一八四九年)のあたりでしょう」(@キーン)って事で、どーも外国から見たジャパネスクって、江戸文化キタコレらすぃ…忠臣蔵も明治に翻訳出て読まれていたそな…でもって「日本人の美徳のことを考えると、「忠臣蔵」との連想が強いのです。いろいろいな意味で外国人も日本の伝統のことを考えると、やはり近世です」(@キーン)となるらすぃ…そーだったのか?お江戸文化?

 蛇足になるのか?鹿鳴館…日本からしたら日本の西欧化の展示会場みたいなノリだったらしーけど、あれは欧米では一気に悪名高い鹿鳴館になったらすぃ…「日本は猿まねの国だという評判がはじめて出てくる」(@キーン)「そういう日本は猿まねだという評判は、つい最近までつづいた。私がはじめて教鞭をとるようになった第二次大戦の戦後直後には、英国ではすべての人が、日本は猿まねの国だと確信していました。いま、そういう人はいないと思いますが…」(@キーン)って、何とゆーか、昔から日本ってディスカウント・ジャパンから逃れられない運命なのか(笑)今も昔も外務省って本当におステキ(はぁと/笑)

 後、欧州から見た日本って事で、ケンペルの「日本誌」キタコレってか(笑)「ケンペルは日本のことを高く評価したにちがいないです」(@キーン)の件でしょか?「日本人にとって一番大切なところは、ケンペルの「日本誌」の最後のところですが、その日本語訳が志筑忠雄(一七六〇~一八〇六年)によって徳川末期の一八〇一年に出まして、「鎖国論」と訳されていました」(@キーン)そで、ここで初めて、鎖国という単語でけたになったらすぃ…「翻訳として「鎖国論」ができたときまで、日本人は自分たちが鎖国のなかにいるとは気がつかなかったようです」(@キーン)って、ホンマでっかぁーっ?

 でもって「ケンペルは、鎖国は非常にいいと言っていました」「ケンペルは「日本に何も欠けているものはない。すべてのものがあるから、鎖国がいい」と言っています」(@キーン)って、そーだったのか?ケンペル?更に「彼が何よりりもうらやましく思ったのは、日本には戦争がないことです」(@キーン)で、当時の欧州は、「しょっちゅう戦争が起こって、何のための戦争か、みな途中で忘れてしまうほどでした」(@キーン)って、ドンダケェー(死語?)ちなみにケンペル自身も「自国へ帰ろうと思っても、戦争中でドイツに入れないために当分帰れなかったほどです」(@キーン)って…マジか…

 そんな訳で新造語のはずの鎖国が幕末になると、黒船キタコレで開国しろやとなった時に「開国に反対した在野団体の人々は、神代の時代から日本は鎖国してきたように思っていたんですね」(@司馬)で、頼山陽の「日本外史」キタコレってか(笑)「「日本外史」には、「鎖国」という言葉がないので、神代の時代から国を閉ざしていたと思い込んでいて、開国に反対したわけです」(@司馬)って、ホンマでっかぁーっ?

 後、こちらは幕末ですけど、「下田にいたハリスでも、日本について言えば、不満はあったでしょうが、日本人が特別に貧しいとか、飢え死にするようだとはまったく書いていない」(@キーン)そで、むしろ「当時のヨーロッパと比較してみますと、どちらかというと日本の生活水準のほうが高かったと思います」(@キーン)って、そーだったのか?幕末日本?

 他には、「ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」を読むと、わざわざ日本のことを少しずつサービスして書いてあります。武士道も一つの遊びである、騎士道も遊びであった、と言うときに、騎士道だけを書かずに日本の武士道も入れてくれているのに私は満足しました。遊びでなければ切腹もできませんし、遊びでなければ貧しさにも耐えられない。ホイジンガ的な意味での遊びですが、そういう遊びの精神は、江戸時代には濃厚にありました」(@キーン)って…遊びか?遊びなのか?

 それと「近世の初め、徳川初期のヨーロッパの人たちは、日本を見て、日本の文化はだいたいヨーロッパの文化と同じ水準に達していると言っていました。もっと客観的に考えますと、当時の日本の文化の水準は、あらゆる点でヨーロッパよりはるかに上だったと私は思っています」(@キーン)とな…

 ちなみに当時の宣教師がおろろいたの中に、日本は清潔だぁーっとゆーのがあるらすぃ…清潔って今でしょ(死語?)に続くオハナシなのか?そーなのか(笑)でもって「日本にはキリスト教がないから、その文化に非常に大きな穴があると、ヨーロッパ人たちは信じていました。そして、当時のヨーロッパ人が仏教に接触したとき、仏教があまりにもキリスト教に似すぎていたから大変困りました」(@キーン)となるらすぃ…こちらの詳細も本書をドゾ。

 他には、地動説と日本人…初めて地動説来たぁーっも「何の批判もありませんでしたね。ヨーロッパでは、初めのうち、地動説を支持する人はみな殺された」(@キーン)なのに、日本人は、あっそー、で済んでしまったらすぃ…

 また、当時の日本人って「ヨーロッパから一番遠い国であり、その上に鎖国でしたから、日本人が外国へ行くこともできなかったのに、ヨーロッパについてはそのすぐ近くにいたアラビア人よりもくわしかったのです」(@キーン)ってな…当時のアラビア人的には「ヨーロッパの研究はまずありませんでした」(@キーン)そな、今だとあるんでしょかねぇ?

 まぁ、日本は思想から外からやってくるの辺りは今更のよーな気がするが、神道、仏教、儒教と「三つの思想があったから、三つの事実を認めざるをえませせんでした。まったく同じ人物が同時に仏教も信じ、神道も信じ、儒教を学んでいた。そうすると、思想が三つあっても四つあっても五つあってもいい」(@キーン)じゃまいかってか(笑)だから、この後、蘭学もキリスト教もどよって事で「そういうふうに寛容だったと思われます」(@キーン)とな…日本人って…

 それと、日本人による近世の評価も時代と共に変わりまっせとゆー事らすぃ…ちなみに「明治時代の人たちにとっては、旧幕時代は悪い時代だったのでしょう」(@キーン)ですしおすしでお察し下さいってか(笑)

 ちなみにかの有名な福沢諭吉の「封建門閥制度は、親の敵でござる」キタコレってか?こちらの詳細も本書をドゾ。諭吉の父親って相当にできた人だったらしーが、他藩や学者に認められても、自藩では全く評価されなかったらすぃ…秀才をつかえなかったって、何てもったいないの世界ですが、しかも45歳で亡くなってしまうし…でもって、父親の顔も知らない諭吉はファザコンに育つし(笑)何事も、適材適所ってあると思いますだよなぁ…

 まぁともかく、頼山陽の日本外史キタコレに戻ると、これによって日本の通史来たぁーっになると…結構これは凄い事らすぃ…「中国の通史でも、中国人自身にはなくて、桑原武夫さんのお父さんの桑原隲蔵さんが、大正の初めぐらいに中学の教科書として書いた「中等東洋史」が初めてだと思っています。古代を別にして、中国には通史がない。だから、通史は自分の民族がつくるものではないらしいですね」(@司馬)って、ちなみに「その次にはポンと貝塚茂樹さんが岩波新書で「中国の歴史」を書いたのが、中国に関しては二度目です」(@司馬)って、ホンマでっかぁーっ?歴史を忘れた民族に未来はなiゴホンゴホン…

 戦後は、55年頃までは「近世は日本の歴史で一番悪い時代だと思われました。和辻哲郎の「鎖国-日本の悲劇」がその代表例です」(@キーン)って事になるそな…よーする封建的はあきませーんってか(笑)

 ところが62、3年頃からは「鎖国は悪いことではなかったという考え方が出てきました」(@キーン)とな…ケンペル見直し、近世の文化水準なめたらあかんぜよってか?

 まぁ幕末、明治、維新ときて、学問、思想、文化的にどよ?となると、「明治の政府は、中程度の教養をもった低い身分の人たちがつくったものです。彼らは主として、江戸時代の学問の多様な流れを汲まずに朱子学だけを汲みましたね」(@司馬)とな…かくて、最初は「西洋バンザイでした」けど、やがて「日本的に国をつくろうと思い始めて、教科書の編纂にしても何にしても、朱子学の価値観とイデオロギーで編纂したのです」(@司馬)となったらすぃ…

 日本と儒教の関係についても本書をドゾ。まぁ幕府がメインに朱子学訴えても、日本の儒学今一稀薄でんねんの世界じゃね?「日本人は十八世紀つまり徳川中期から、役立つもの、国の用になるものとかを、非常に重大視するようになりました。それは絶対にいいという意味ではなくて-儒学的な日とはどちらかというと、絶対によいとか悪いとか、そういうふうにあらゆる現象を見ますが-、国のためになるようなものなら、やったほうがいいと蘭学者などは考えていました」(@キーン)とな…まぁ儒教、儒学的な原理主義はこの国に一番肌に合わないもののよな(笑)

 これも世界か?で、幕末の英公使だったパークスの逸話で、実はノンキャリのたたき上げらしーんですが、そんな彼の少年期の頃…「清朝の知事が英国領事館で領事と話をするということがあって、知事が行列をつくって音楽を鳴らしてやってきました。ところが、会議をする場所は、中国側の人数がふえたのか、にわかに椅子をたくさん並べなくていけない。イギリスの領事さんが腕まくりして、椅子を並べていたそうです。そこへ中国の知事閣下が入ってきて、「ああ、これは小人である(笑)。こういう人と話はできない」と帰ってしまった。こういうことが中国の近代化を非常に妨げたうちの一つだと思います」(@司馬)とな…差別じゃありません、面子ですってか(笑)

 まぁこの点では、朝鮮通信使の「海游録」(申維翰)の件もあると思いますか?来日旅行記らしーのですが「頭から日本人を人間よりちょっと下の、獣に近い存在としてした見ていない」(@司馬)とな…儒教が浸透していないとこはみんな人間以下って、昔から価値観がパネェ…そゆスタンスだと「「礼」というのは、自分と階級が同じかどうかという測定が多分に入っている」(@司馬)って事で、階級、差別、身分、封建的なとこでは大陸サマにはかなわないってか?

 そんな訳で、「当時の朝鮮では、中国を訪ねましても、「中国人はわれらほど礼を知らない」と言ってました」(@キーン)ですしおすしで、てずしおすし(笑)

 こちらは豆知識になるのだろーか?で「英語のなかに入っているフランス語の割合は七〇パーセントだそうですが」(@司馬)の件だろか?これは日本語における漢語じゃね?みたいなノリらすぃ…そゆ訳で英語とは「二つの系統の言語が合流して新しい言葉をつくりました」(@キーン)となり、「外来語を喜ぶところです」(@キーン)となるらすぃ…そーだったのか?ウルフ先生?ちなみにWWⅡ後の英の大学寮のメニューすら仏語で書かれていたって、ホンマでっかぁーっ?そーいや、オックスブリッジの英語って、仏なまりだという話がどこかで聞いたよーな覚えが?

 ちなみに「十八世紀に入ってから現在の英語に非常に近くなります」(@キーン)って事で、それ以前は、英語も古語って事でオケ?

 言葉の取捨選択って、国民性とか、土地柄とかあるんでしょか?で「アントワープのオランダ語を用いる人々は、あまり外来語を信用しないらしいですね。オランダ本国のオランダ人は、いきなり言葉を借り入れてしまうらしいですが」(@司馬)って事になってるらすぃ…でもって、蘭人って、相手の言語に即座に対応切り替え可能な人達らすぃ…コミュ能力高すぎと思うのは気のせいか?英語の発音一つですら突っつかれる日本人としてはうらやましい限り…蘭人って総バイリンガル、トリリンガルな人達だったのか?

 ちなみに室町末期に日本に来た宣教師のみなはまは、日本語で大変苦労した模様…でもって、それは幕末の仏の神父サマもご同様だったっよーで「「日本語は、われわれ神父たちの仕事を妨害するために悪魔がつくった言葉」というふうに書いています」(@キーン)とな…

 日本語についての言葉の変遷とか、新造語とかについての詳細も本書をドゾ。言葉も変わってゆくのねなんですよ、奥さん(誰?)ちなみお父さんお母さんも明治三十年代からキタコレらすぃ…

 も一つ、日本語的特徴として、日本語にはでしょうとであろうがいぱーいってか(笑)「西洋人として聞きたがるのは、「である」か「でない」かのどちらかです。「であろう?」という場合は何パーセントの推測なのか、それを聞きたいところですが、日本人としては、そこをぼかせることが日本語そのものだと思っている」(@キーン)って…かくて「はっきりしている言葉は日本語ではないといえます」(@キーン)になっちゃうらしー(笑)曖昧にぼかす表現が品がいいだし、そのぼかしからどれだけ汲み取れるかが、その人の教養って事になるのが日本文化だしなぁ(笑)欧米の絶対に対して、日本は空なんだそな…目指すものがちゃいまんねんってか(笑)

 それにしても、この絶対という感覚、宗教、信念?は相当に強固って事だろか?「「絶対」という大うそ、これがあったればこそヨーロッパができたけれども、日本は目で見たものしか信じない相対的世界でした」(@司馬)となるらすぃ…

 後、これは本書発行当時の話だと思われですけど、「現在の中国で、日本語ブームがあります。日本語学校があって、中国人がそこで日本語を勉強しています。昔の常識からいうと、きわめて珍しい現象です。というのは、中国人は昔、日本語は中国語の方言にすぎないというような態度だったし、覚える値打ちはまったくないと思っていた」「それは、彼らにとって唯一の逃げ道なのです。彼らにとって、日本語をマスターすれば日本へ行けるかもしれない。ともかく、いまの行き詰ったような状態から逃げられると思っています」(@キーン)とな…あれ、明治というか、日露辺りからアジアの留学生キタコレあったよな?その頃の日本語(新造語)がどっと中国に流れていったよーなのは気のせいだったか(笑)それにしても、中国って、今も昔のこの世の中心、中華じゃなかったのだろか?そこから逃亡って?

 さて、日本の国の人だものの究極奥義(?)では、何でもあります、何でもやってみよーじゃまいか(笑)スポーツでも、ダンスでも、どんな種類のものも日本にはありますなんだそな…でもって、そんな国、多分世界で日本だけじゃね?って事らすぃ…

 どゆ事がとゆーと、「二十世紀初めに清国がフランスに油絵の留学生を派遣しましたが、あんな俗な絵はとてもかけないと言って、全員が帰ってきたそうです」(@司馬)しおすし…

 何とゆーか、もしかして日本ってブラックホール的な何かがあるんじゃね(笑)何でもかんでも丸のみゴックンで、丸ごとありますと魔改造しますたの二刀流じゃいけないんですか?をずっとずっと、ここまで来たよぉーの習い性なんですね、分かります(笑)

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。最後に本書で一番なるほろと思わされたとこを一つ…数寄と好きについての考察のとこなんですが、「芸能というのは、お茶でも「好き(数寄)というのが基本にある心ですが、その「好き」というのは怖いものだ。身を滅ぼすものだと、室町時代の人思っていた。お侍なら、城を守るのを忘れて、お茶道具に凝る。「好き」というのは、日本語で一番怖い言葉です」(@司馬)の件でしょか(笑)好き好き好き好き好きっ好き(笑)

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