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2017年10月15日 (日)

水の都の島々にて?

須賀敦子のヴェネツィア  大竹昭子・文・写真  河出書房新社

 ミラノに続くヴェネツィア編なんですが、ミラノが生活空間としたら、ヴェネツィアは旅先とゆー事になるのだろーか?メインは、ミラノ生活の最晩年辺りにヴェネツィアに行きましたとゆー話らすぃ…でもって、その頃須賀敦子は、夫と祖母と父を立て続けに亡くした心身ともにキタコレ状態で、またコルシア書店の方も時代の波にのみこまれて翻弄されている時、更に国際社会での日本があまりに米よりで評価がた落ちとゆー、海外にいる日本人にとっては相当に生き辛い時だったらすぃ…

 「夫を亡くした翌年の冬、ミラノから日帰りで訪ねたのが、その後も長くつづく須賀敦子とヴェネツィアとの出会いだったのだ。ヴェネツィアは夫が「きっといつか僕が連れて行くと約束した場所のひとつ」だったが、それを果たせないまま彼が亡くなったあと、書店の主催する講演会で知り合った生粋のヴェネツィアっ子に誘われて、島で短い一日を過ごしたのだった」そで、何とゆーか、癒しとゆーか、再生の土地みたいなノリになるだろーか?須賀敦子的に?

 そして、そんなヴェネツィアへの追想の旅が始まるって事でしょか?

 とはいえ、須賀敦子も初めての訪問時には、ヴェネツィアの魅力を即座に把握できなかったそーで、その後何度も訪れる内に知る事になるとな…「なにごとを理解するにも時間をかけるのが須賀敦子のやり方だった。いや、かけるんじゃなくて、かかってしまうのよ、と主張する声が聞こえてきそうだが、知識で理解するのではなく、対象の前に素の状態で立ち、感じたものかを手掛かりに肉体的に受容しようとつとめた」そで、だからガイドブックも読まないタイプだったらすぃ…「知識は他人が開拓したものだが、感覚は自分だけのものであり、感覚の地図が描けたときにはじめて知識が生き、対象が自分のものになるのだった」とゆーのが須賀敦子流の生き方らすぃ…

 もしや須賀敦子って、考えるな、感じよのお人だったんだろか(笑)

 アリス的には、ヴェネツィア…ミステリの舞台としては世界一のよーな気がするが?クローズドサークルものやるならこれ以上のものはないよな(笑)
 ホテルか幾つか出てくるのですが、アリス的にはスウェーデン館のペンションで、リド島のペンションかなぁ?伊にもペンションがあるんですねぇ…でもって、須賀敦子の作品にもペンションに宿泊したとこが出てくるそで…
 後はアリス的というより変態性欲の権威の准教授的にどよ?で(笑)ヴェネツィアには「オッパイ橋」とゆーのがあるそな…「この橋のたもとにあった娼婦宿の女たちが、乳房を出して窓辺に座って客引きをしたからだという」というのも「ヴェネツィアでは男色が流行り、政府は子供の数が減って国力が衰えるのを恐れた。娼婦たちが豊満な胸を誇示して男どもを挑発したのも、そんな理由からだったのである」って、ホンマでっかぁーっ?
 ガラス細工の職人さんのとこの話なんですが、でもこれって作家的にもありじゃね?で「ものを作るには、一からやり直さなければならないことがよくある。だが、やり直しは無駄ではない。少なくともそう信じられなくては、物作りはつづけられない」の件は、作家的にどよ?アリス?
 作家つながりで、伊の翻訳事情…「イタリアでは現在でも翻訳者の名前が本のカバーに載ることはまれで、翻訳の仕事は一般にはあまり重要視されていない」のだそな…
 さて、ヴェネツィアあるあるで、「リアルト橋の周辺は標高が高くて高潮の被害が少なく、海まで距離があって外敵が来襲しにくかったため、早くから人が住んだという。当時、サン・マルコからこの橋のあたりまでの一連の島を「チヴィタス・リヴォアルト」(高い岸の都市)と呼んでおり、この「リヴォアルト」がのちに「リアルト」に転じたのである」って、そーだったのか?リアルト橋?
 そして「サン・マルコが政治の中心地であるとすれば、リアルトは商業の中心地だった。塩と魚しかとれなかったヴェネツィアには、物資の流通と中継ぎで生きる道しかなかったから、商業の発達は早かった」そで、銀行キタコレで、魚市場キタコレ、よーするに市場が発展したとゆー事じゃね?
 また「十六世紀、サン・ジロラモ水路に近い町の一角に、イタリアでもっとも古いユダヤ人居住区「ゲット」ができた。「ゲット」という言葉も、ユダヤ人をひとつところに隔離するという考えも、ここからはじまり、各地に広がった」って、ホンマでっかぁーっ?ちなみに「「ゲット」の語源は鋳造を意味する「ジェターレ」からきている。昔、大砲の鋳造所があったことからこの地域に「ゲット」の地名が付けられたが、ユダヤ人が移住したのちもその名が受け継がれ、「ゲット」がユダヤ人街を指す言葉になった」って、そーだったのか?ベニスの商人?
 そして「「ゲット」は、ユダヤ人の経済力に脅威を感じる一方で、その財源を頼みにせずにいられなくなったヴェネツィア共和国のジレンマを解消すべく考えられたものだった。彼らを町の一か所に住まわせて管理しながら、活動の範囲を広げて経済に貢献してもらおうという、いかにもヴェネツィアらしい実利主義がそこにあった」そな…
 そんなヴェネツィアの管理政策についての詳細は本書をドゾですが、それも「一七九七年フランス軍の占領によってゲットの隔離はとかれ、三百年近く存続した門は取り壊されたが、すぐにフランスとオーストリア間の密約によってヴェネツィアはオーストリアに割譲され、ユダヤ人はふたたびゲットの中に閉じ込められた」そな…
 その後、「イタリア統一後ようやくふつうの市民と同じ権利を得たが、平穏な状態は長くはつづかず、ファシズム体制下では法的な人種差別を受け、ナチズムが拡大すると強制収容所に送り込まれた」そで、「イタリア全土で収容所送りになったユダヤ人は八千人。そのうちヴェネツィア出身者は二百人で、生きてもどってきたのはたったの八人だったという」ですしおすし…独に限らず、ユダヤ人にとっては欧州中で激動の歴史だったらすぃ…
 さて、ジュデッカ島に行ってみますたでは、「ジュデッカ島は、かつてスピーナルンガ(長い骨)という名だったそうだが、そう呼ばれるのがうなずけるほど、東西に細長い弓なりの形をしている。現在のジュデッカという名前は、九世紀に反体制派貴族をこの島に追放することを決めた判決"ジュディカート"に由来するという説と、中世にこの島に住みはじめたユダヤ人"ジュディ"が関係しているという説が伝えられているが、後者の信憑性は薄いそうだ」って…そーだったのか?ジュデッカ島?
 そして16世紀になると「畑や庭園のある貴族のヴィッラや修道院が建てれらた」そで、「現在も東端にはヴェネツィア映画祭のVIPがおしのびで泊まるような高級ホテルがあり、ヴェネツィア唯一の海水の温水プールを備えている。本島からはホテル専用のボートなどで直接ホテルの敷地に入るらしく、河岸からはたどり着けないし、入口がどこにあるかすら分からない」って、何かこの手の入り口が分かり辛いホテルって伊に多いよーな気がするのは気のせいか?
 他にもリド島もどよ?で「リド島はラグーナとアドリア海のさかいに横たわる細長い島で、古くからの高級リゾート地として世界に知られている」んだそな…そーだったのか?リド島?
 例えば、リド島二大ホテルの一つ「グラン・オテル・デ・バン」の場合は「映画「ベニスに死す」の舞台になったことで知られている」って、そーいやそんなシーンあったっけ?ホテルつながりでは、ヴェネツィア映画祭の「正式招待客が泊まるホテル・エクセルシオール」もありますよってにってか(笑)
 また、「マッゾルボ島はワイン用のブドウ栽培が盛んな島で、フラーノ島とは長い木の橋でつながっている」とかあって、ヴェネツィア本島の周りに結構島がある模様…こちらの詳細も本書をドゾ。
 須賀敦子のヨーロッパが目の前に展開していゆく感じだろか?石の街かなぁ?「石が養ってくれたもの、それは「だれも自分の欲しいものを察してなんかくれない土地柄に向って立つ力のようなもの」だった。石の感触は須賀のヨーロッパ体験を支えてきた柱だったともいえるだろう」って、まぁ欧米に空気嫁なんてムリゲのよで(笑)
 そしてそれは「自然に手を加え、人間のための土地を作りあげようとしたヨーロッパ人の英知に魅了され、それを徹底して学ぼうとした時期が須賀にはあった。二十代から四十代にかけてそうした時期を過ごし、日本にもどり、ヨーロッパでの体験を距離をもって眺める時間の中から、「ヴェネツィアの悲しみ」を感じとる眼が育まれた」そな…
 ヴェネツィアも一見、石の都市に見えてその実、水の都市なんですよ、奥さん(誰?)
 それと須賀敦子の作品に登場するインゲ(ハンジィ)・ケスラーのとこもどよ?かなぁ?「妻ある男と愛人関係を結びながら、大聖堂の見えるペントハウスに独りで暮らし、ドイツの新聞に演劇関係の記事を書いていたというインゲ」さん、独人なのに伊暮らし…ワケアリぶんぷんな気がするのは気のせいか(笑)そして須賀敦子は彼女に対して「外国人どうしの気やすさ」で、年齢が離れていたにもかかわらず友人関係を結んでいたらすぃ…
 「ふたりはまず異国に暮らしている者どうしの共感があった。言葉をいかに自由に操れても、文化や習慣をどんなに深く理解していても、ひとの国に住んでいれば不自由さや孤独と無縁ではいられない。そうした感情をわかちあえるのは、おなじ立場にいる外国人の友人であり、ときには両者のあいだに単なる友人を越えた一種の"同志"の意識すら芽生えるものだ」そな…どんなに馴染んでも、異邦人は異邦人ってか?
 そしてそのインゲさん、「言葉ではイタリア人をたたえながら、心の底のほうでちょっと見下しているようなところが、インゲの言動に感じられたのだろう。人は自国にない異質なもに惹かれてよその国に住む。ところがその感情は自意識との微妙なバランスに支えられており、憧憬の気持ちがふとした拍子に厳しい批判に傾くときがある。他国への一方的な愛は、憎しみと表裏一体の関係をまぬがれないのだ」ですしおすし…結局、人ってそこしかなければ、それだけなのに、他を知れば比較せずにはいられない生き物って事じゃね?
 後、須賀敦子を巡る人々では、ヴェネツィアではこの人を忘れてはいけないの、アドリアーナかなぁ…今でしょ(死語?)ではヴェネツィア大学東アジア学科日本学専攻主任教授とな…こちらの詳細は本書をドゾ。
 豆知識的には、ヴェネツィア、ミラノよりも寒いそで…いや何か逆のイメージでいたからおろろいた?そーだったのか?ヴェネツィア?
 それから「ヴェネツィア人は裏道に詳しいから舟にはなるたけ乗らない」(@ルッチラ)とゆー事らすぃ…ヴェネツィアの市街ってまるで迷路のよーとは言うが、それは土地っ子にとっては、でもそんなの関係ねぇー(死語?)なんですね、分かります(笑)
 
 しかも「急ぐときほどヴァポレットに乗らずに歩く、というヴェネツィアの人たちの常識」キタコレってか(笑)
 後、リド島のとこで、島の突端に「ムール貝の養殖場」があったそで…ムール貝、養殖していたのか?地中海的にはあると思いますなんだろか?そーいやローマ帝国時代には、帝国内で牡蠣の養殖もしていたよーな記憶が薄っすらと?
 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。
 目次参照  目次 国外

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