« 水の都の島々にて? | トップページ | らびあんろーず? »

2017年10月17日 (火)

国家人民の為に立てる君にして、君の為に立てたる国家人民には無之候…

街道をゆく 十  司馬遼太郎  朝日新聞社

 道のあるとこへならどこへでもな旅ですけど、今回は羽州街道と佐渡・国なかみち・小木街道でして、それってどこ?とゆーと、山形と佐渡島のお話になるらすぃ…

 どちらも全然土地勘がないので、何かおろろいたとしか言えねぇ…

 でもって、佐渡って佐渡金山位と朱鷺位しか頭になかったんですが、そんな甘いもんじゃなかった模様…「もっとも古くは「古事記」の国生みのくだりに出ている。ということは、七、八世紀の大和盆地の人々の可視範囲に、当然なことながらこの北方の海に浮かぶ孤島が入っていたことになる」そな…ちなみに佐渡は佐渡だけでお米自給自足できるだけの収穫量があった島なんだそな…

 また日本書紀の頃の大和政権の版図には「新潟県にまではとてもおよんでいない」とな、でも佐渡は入っていたらすぃ…

 とはいえ、「佐渡は「遠国」とされながら、「国」として区分された歴史は古い。奈良朝時代はそうであったり、なかったりした。しかし、「続日本紀」の養老五年の記述とおりなら、天平勝宝四年(七五二)十二月からはずっと「佐渡国」である」そで…

 話は飛んで江戸時代の日本海航路、「新潟港を目指す北前船も、風待ちなどで大ていは佐渡に寄港することが多かった。このため佐渡の言葉は上方アクセントが基礎になっており、越後弁と異なっている」そな…そーだったのか?佐渡弁?

 佐渡と金山の歴史って江戸に入ってかららしーし、の前に室町末期、上杉景勝が「金銀をめあてに侵冠してからであった」ですけど(笑)それに連なって、江戸初期の大久保長安と、辻藤左衛門、幕末期の川路聖謨の三人は要チェックやでぇみたいです(笑)いつの時代も有能なお人はいらっさると、そして有能ゆえに不遇に至るもこれまたいつものパターンか(笑)

 他にも日下部定好もお忘れなくでしょか(笑)

 また幕末の対露の島防衛問題なんかの件も本書をドゾ。対馬の事を忘れちゃあかんってか(笑)

 アリス的には、佐渡は出てきてないのは覚えているが、山形?人食いのとか、天空のは東北が出てきたよーな気がしたが?あれって、山形でしたっけ?日本全国、どこに対しても地理的音痴で、今一頭に入っていないのですが…
 とはいえ、本書の著者も大阪人でして、そゆ著者からしてみれば「私は東京を知らないために東北についても昏い。中学生のころ、箱根以東は一つの世界で、その東北の勢力が西南にのびることによって東京という町が形成されていると錯覚していた」そで…ちなみに「この話を東京うまれの友人にすると、かならず笑われる」とな(笑)なるほろ、関西からすると関東とは物凄くとほいところなのはよく分かった(笑)
 それにしても「上方には東北出身者がほとんどいない。東北人の人名に接するのは新聞のその種のニュースのとき以外、まず無いのである」って、そーだったのか?アリス?
 まぁ著者の回想というか、所信表明というかは知らんが、生まれて初めて山形に参るってか(笑)とゆー事で空路山形入りをして、最初に向かうのは立石寺とな…
 それにしても「奥羽の地に正規に仏教が伝わるのは、よほど遅かったらしい」とは知らなんだ…「奥州ぜんたいに面として仏教がひろまってゆくのは元禄時代ぐらいからだという極端な説さえある」って、ホンマでっかぁーっ?
 歴史的に俯瞰するなら、「奈良朝から平安朝初期までは、東北六県は中央政府から独立したかたちであったといっていい」ですしおすし…かくして「中央政権は奥州征伐というものを繰りかえしたが、要するに弥生式農耕をすすめてまわる運動だったといってよく、その意味からいえば初期律令国家というのは水田農耕を推進して租税の増収をはかる公社といったような性格があった」とな…
 そんな訳で、「公社に従った者は、「山夷」に対する言葉として、「田夷」と呼ばれた。あるいは別に俘囚と呼ばれた。非服従者は、夷俘である」って…「単に水稲耕作者であるかないかというだけで民族が異るように表現するのは、ことごとしく華夷の差を立てる中華思想の悪癖といってよく、これが原型になって後世にまで悪影響をおよぼしている」って(笑)
 奥州とはそんなとこな訳で、「正規の仏教が入りにくかった」とゆー事になるらすぃ…「律令初期、奥羽の状態が不安定(中央政権から見て)だったときに、中央政権がわざわざここに官寺を建てるなどという条件は、例外がわずかにあったにせよ、不可能に近かった」とな…
 という前振りをしておいて、実は立石寺は、平安初期に建立されたとゆーからお立会いってか(笑)
 まぁ立石寺についての詳細は本書をドゾですが、アリス的にインパクトあったのは、「この地方では、死者が出ると、その縁者が遺骨の一部とくに歯骨を立石寺奥の院納骨堂におさめ供養してもうら慣習がある」の件だろか?ホンマでっかぁーっ?と驚いたら「全国的にいまもそうである」って著者断言するしで、実は「大阪なら四天王寺や一心寺に持って行って納骨堂に収めてもらうし、京都なら本願寺の大谷廟や知恩院がそれを受けつけているし、その風習でもっとも有名な存在は高野山である」って…そーだったのか?アリス?
 ちなみにこちらのお寺開祖は円仁という事になっているそで、こちらのお人についての詳細は本書をドゾ。まぁ実際に山形まで足をのばした、またはのばす時間はなかったらしーけど?
 とまぁ、山形の旅は続くってか、詳細は本当、本書をドゾ。後は、置賜平野のとこで、「置賜という地名は、「日本書紀」の持統三年(六八九)という上代にすでに出ている。記録された地名としては奥羽では古いほうに属する」そで、「山形県というのはこの当時まだ陸奥の国に区分されており、陸奥国を離れるのは七一二年(和銅五年)出羽の国が創設されてそれへ隷せられてからである」って、東北の行政区分にも歴史ありってか?
 ちなみに「封建時代の山形は、植木鉢に似ている。いろんな藩がやってきては鉢に移植され、土の養分を吸ってはどこかへ行った。譜代の大名が多いというのは、譜代大名が幕政を担当するという家康以来の幕是により、かれらのほとんどが江戸で幕閣の諸役についているということなのである」とゆー事は、お役が忙しくて「藩をかえりみるいとまがない」し、江戸にいて仕事ありますですから「入費もかさむ」と…どゆ事とゆーと、「山形の領民はそれを背負いこまされる上に、藩政上の面倒を見てもらえないというつまらぬ立場にあった」とゆー事らすぃ…譜代大名領民も辛いよって事か?
 まぁ日本史は本当に切り取り方だよなぁ?例えば「大化の改新という、天皇家一つを残し、かつてはそれに比肩していた、豪族(もしくは部族国家的なもの)が否定される革命的エポックがあってから平城京が出現するまでわずかに半世紀しか経っていないことを思うと、この間の事情が大掴みながら想像しうる」ですしおすし…
 他にアリス的というと、異形他の温泉のとこかなぁ?で、小野川温泉…こちらは「以前はずいぶん繁昌したものらしい。京都あたりの絹関係の商人が米沢に買いつけにきてここに逗留したからだが、いまは交通が便利になってしまって、逗留客はすくない」のだそな…後、上山にも温泉あり〼とゆー事らすぃ、こちらの詳細は本書をドゾ。
 豆知識的には、くれないとべに…「「万葉集」のころは、べにとはいわず、くれなゐとよんでいた。その植物およびその色を指す」そで、語源は「呉の国からきたあゐ(藍)-呉愛」とな…でもって「「万葉集」の時代では、べつに「末摘花」ともよんだ」で、源氏の末摘花もここからきているのだろか?ルドルフ?
 また、青苧キタコレってか(笑)「多年草の草で、茎の皮から繊維をとり、糸にして越後に送られれば、小地谷縮になり、奈良に送られれば奈良晒になった。べに花とともに米沢藩の二大産物であり、江戸後期にはこの藩は原料輸出だけではうま味がないとさとり、縮の技術をとり入れ、藩営工場で完成品をつくるまでになった」そな…
 土地の言葉では、「山形県には、「ザワ衆」ということばかある」そで、「越後から会津を経て上杉氏の武士団が大挙米沢に移住した家々がいまなお米沢市民の大半を占める。かれらのかつての士風や頑固さなりが米沢文化をつくったが、そういう気風の保持者をいまでも他の土地の者は「ザワ衆」とよぶ。頑なで口やかましいという意味も入っているかもしれない」って、そーだったのか?直江兼続?
 蛇足ですけど、「直江と石田三成は、初対面から仲がよかったらしい。どちらも二十六歳で、同年配であった。類似点が多い。どちらも補佐官としての才に長け、双方容姿もすずしく、この当時の武将としては漢学の教養があり、対座していて頭の回転数の速さもよく似ていたから、会話が双方にとって愉しかったにちがいない」って(笑)また「双方、友を見出した思いであったであろう。両人は、この当時の武将にしてはめずらしく正義漢であった。この当時、大名の政治感覚というのは利害計算のみであったが、この両人は何が正義であるかということを考えすぎるという点で、いわば時代のなかにおける奇人であったといえる」となるらすぃ…更にどちらも「民政が好きで、人民の暮らしを安堵させ、羊飼いのように民を牧するということに異常な情熱をもっていた」って、庶民派宰相乙ってか(笑)
 そーいえば直江は、この時代のもう一人の奇人、前田慶次郎とも仲が良かったよな記憶が薄っすらと?もしや、直江、奇人好きか(笑)
 言葉に戻って、苗字の大場さんの場合、「私ども上方は母音を長く引っばる発音に慣れているからオーバと長くひっぱるが、東日本の発音は母音を長くひっぱらないから、大場はオバになるにちがいない」ってホンマでっかぁーっ?
 また、おべんきょになるなぁでは(笑)「中国大陸は大地こそ広大だが、しかし面積と可耕地の比率は日本列島のほうが大きい。また天候によって不安定な支配をうけつづけている地域はむしろ日本により多く、一面、安定度の高い地域も多いが、それらが大陸の中で斑に入りまじっている。ひとたび大旱魃や大冷害をうけて一地域に食物という食物がなくなると、人々は流民化し食える地域へ流れてゆく。流れてゆく過程において指導者-英雄-を得ると軍隊化し、それら地域ごとの流民軍がそれぞれ英雄をいただき、たがいに戦いあい、ついに天下大乱になり、やがて天命革ルで王朝が交代する。中国では紀元前後から繰りかえされてきた歴史である」のが、中国史って事で、今でしょ(死語?)ってか(笑)
 そんな訳で、「中国の場合、英雄とは流民をかためて食わせる親分のことであり、英雄の大小は、五、六万人の流民しか食わせられない者を小とし、その小がふえてくる流民の数をもてあまし、配下の流民ごとたとえば五十万人を食わせる大なる者のもとに馳せ参じる」というのがパターンらすぃ…
 かくて「中国史の例でいうと漢楚の抗争時代というのは、麦の穀倉地帯である関中をおさえて百万の流民でも食わせるぞという漢の劉邦と、一方、江南の稲作地帯をおさえて北から流入する流民を食わせつつそれを戦力化していた楚の項羽との戦いであった」とな…
 よーするに「流民が大量に出て大量に動くという中国史においては文字どおりの絶対権力が成立する」という事らすぃ…文句があるならベルサイユへいらっさいってか(笑)
 また「中国史はそのまま官僚史といってよく、裏返せばそれ以上に、それによる民衆の被害史であるともいえる」って…「歴朝の中国民衆は、匪賊の害を村落や同業組合やその他の自衛組織で、いわば自前でふせいできた。地方の官や吏は、その匪賊よりたちが悪いというのは歴朝の民衆にとってのごく平凡な常識で、いかにすれば彼ら地方官吏の強欲な私益追求から、よりすくなく害を受けられるかということが、中国史が官僚史である反面での中国民衆史であったといっていい」って、まぁ腐っていない官僚なんてどこにいるんだぁーってのが、古今東西、右を向いても左を見てもの世界共通語であったらすぃ…ましてや中国には宦官文化もある訳で…
 でまぁ、「中国の臣民は、歴史の中でも、ごく個人的な現実の暮らしの中でも、この種の経験を無数にしてきた。専制的な中国皇帝の分身が地方長官だが、長官のおさめるべき地域が広すぎたり、あるいは流通経済を管理する場合、かれ自身が私的に採用した者に権能を持たせたりして仕事をさせる。その者が、長官にとっては金魚にすぎないが、現場では孫悟空でも歯が立たないほどの権力者になってしまい、私利の追求のためにどんなことでもする」とな…中国四千年だか、五千年で、この強欲に対するストッパーがあったのか?あったとして機能したのかと言えば、皆まで言うなか…
 また、日本的なそれでは、「意地悪は、日本人の民族病といっていい」の件で、むしろ、いびり、仲間外れの類ですが、これらは「日本では男の社会でおこなわれるのが特徴的である。それも庶民の世界でなく、官僚社会、学界、画壇、文壇、記者クラブといったところでおこなわれる」そで…「組織内の日本人の宿疴ともいうべき意地悪は、場ちがいにやってきた当人に対し、それとなくお前はそこにすわるべきでないということを集団的に暗に気づかせようとする作用で、拠りどころはあくまでも組織内部の隠微な正義である」そで、まぁ古今東西正義を口にする人に…
 この手のグループ内序列意識ってゆーのが「日本の差別感情の源泉になっている。こういう日本的感覚は江戸期に育てられたもの」って事らすぃ…なるほろ、封建制度は親の仇ってか(笑)まっ何にしても、今でしょ(死語?)の会社内人事から、ネットの上から目線乙まで、日本人って相手が上か下かに物凄くこだわる人種らすぃ…
 他に日本的なとこでは、「江戸幕府では、勘定畑(長官は勘を決する制度である。しかしながら、幕府の勘定奉行配下の役人ばかりは、門閥でその職を得るという例はほとんどなかった」とな…詳細は本書をドゾですけど、それが江戸幕府が長く続いた理由じゃね?って事らすぃ…
 
 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。それにしても、貿易をしよーと思えば、まず金(銀)なのか(笑)例えば、平安後期に奥州平泉で金が採れたどーじゃまいかで、奥州藤原なんちゃらよりも、「平安末期の平家の時代、清盛の旺盛な貿易欲を支えたのは、この奥州における産金だったにちがいない。貿易のもっとも有力な交換物資は、金銀だったからである」ですしおすし…そゆ事で室町末期、戦国末期ともいうのだろーかで、鉱山開発キタコレになったのも、大名が貿易にやっきになったからとゆーのもあるのだろーか?なーむ…
 目次参照  目次 国内

|

« 水の都の島々にて? | トップページ | らびあんろーず? »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

国内」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 国家人民の為に立てる君にして、君の為に立てたる国家人民には無之候…:

« 水の都の島々にて? | トップページ | らびあんろーず? »