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2017年10月26日 (木)

百年?二百年?五百年?千年?

図説 ヨーロッパの王朝  加藤雅彦  河出書房新社

 欧州というと王様がいぱーいなイメージでいたら、今でしょ(死語?)では「イギリスほか数ヵ国」なんだそな…でも一昔前の「二〇世紀初頭のヨーロッパでは、フランスとスイス、そしてイタリア山中の小国サンマリノを除けば、すべての国が君主制をとっていた」って、ホンマでっかぁーっ?とゆー訳で、今は共和国名乗ってますの国々も、元は王様の国だものだったゆー事らすぃ…欧州パネェ…とゆー事は、世界史というか、欧州史って、王制の歴史なのか?もしかして?

 そんな訳で、本書は独、墺、仏、西、伊、英、北欧、露、バルカンとベネルクスの王家についてのエトセトラかなぁ…G8の方の王家と歴史については世界史で一度は見た事があるよーな気がするが、その他の国々のはどーなんだろぉ?と例えば、ベネルクスってどよ?

 「九世紀にフランク王国が、東西フランクと中間のロタリンギアに三分裂し、さらにロタリンギアが東西フランクに分割されたとき、その北部のネーデルランドも二分割された」そで、その後「ネーデルランドは、それぞれ東西の支配下に入るが、東西の辺境に位置し、いわば「はざま」的性格が強かったこの地域には、多くの自立的な侯国が誕生した」とゆー事らすぃ…

 そして「一五世紀になると、ネーデルランドの大部分はブルゴーニュ(ブルグンド)公国の領有下に入る。ブルゴーニュ家は、もともとフランス王のカペー家から血を分けている」そな…

 そんな中、「一四七七年、ブルグンド家の一人娘マリアがハプスブルク家に嫁いで、ネーデルランドはハプスブルク家の所領に帰した」とな…でもって1558年「ハプスブルク家の皇帝カール五世(カルロス一世としてスペイン王を兼ねる)が退位すると、同家はオーストリア系とスペイン系に分かれ、ネーデルランドはスペインの領有するところとなる」そな…

 そして次代のフェリペ二世の時、「リベラルな気風の強い北部(オランダ)で、ナッサウ=オラニエ家を中心にして反乱が起きた」とゆー事らすぃ…こちらの詳細は本書をドゾ。かくて「北部七州は一六〇九年、「オランダ連邦共和国」として事実上独立した」とな…

 そして「一七九五年にフランスの共和制を範とする「バタヴィア共和国」が、従来の総督制共和国にとって代わり、さらにナポレオンが登場すると、彼の弟ルイを国王とする「オランダ王国」が一八〇六年に樹立された。そして最終的にオランダはフランスに併合されてしまう」とな…

 そしてナポレオン失脚の後、「イギリスに亡命していた共和国総督の息子ウィレムが帰国し、一八一五年に「ネーデルランド王国」初代国王ウィレム一世として即位した。今日のオランダ王朝のはじまりである」そな…で、この時、南部(ベルギー)を含み、更に「オランダ国王はルクセンブルク大公を兼ねることになった」そな…「一八一四-一五年のウィーン会議で行われたこれらの決定は、ナポレオン時代の苦い経験から、オランダを強化してフランスの再侵攻を阻止しようという列強の意図から出たものであった」とな…

 でも「オランダ国王ウィレム一世の差別的支配への不満は、一八三〇年にパリで七月革命が成功するとたちまちベルギーに波及し、独立を要求する反乱になって爆発した」そな…

 かくて1830年ロンドン会議で、「ベルギーの独立を承認し、さらに第二回ロンドン会議では、ベルギーを永世中立国とすることを決定した」そな…

 そして「王制を独立の条件とされたベルギー議会は、最初フランス王ルイ・フィリップの次男ヌムール公を初代国王に望んだが、フランスを警戒する列強に容れられず、一八三一年、ドイツのザクセン=コーブルク=ゴータ公国からレオポルド一世を迎えることを承認した」となりますた…

 ルクセンブルクの方は、「ウィーン会議で大公国として独立を承認されたものの、ルクセンブルク大公位はオランダ王が兼ねていた」そで…でも「第三代国王ウィレム三世が一八九〇年に男子の世継ぎがないまま他界すると、オランダでは以後三代にわたる女王の時代を迎えることになる」そな…

 だが待って欲しい(笑)「ルクセンブルク大公国では、「サリカ法典」により女子の大公位継承権を認めていなかったため、オランダ国王がルクセンブルク大公位を兼ねることは不可能になった」とな…

 そゆ事で「一八九〇年、ナッサウ家のアドルフ一世が引き継ぐことになり、ルクセンブルク大公国はオランダ国王の支配から解放され、名実ともに独立を達成することになった」そな…そして「一八六七年にルクセンブルクはベルギーと同様、永世中立国としての保障が外国より与えられた」とな…

 そんなルクセンブルクですが、ヴィルヘルム四世に男子の世継ぎがなく、「女子の継承権を可能とする法改正が行われて、一九一二年に」マリー・アデライドが一八歳で即位したとな…

 WWⅠ後、「彼女の親独的態度が国民から非難を浴び、彼女は一九一九年に退位して妹のシャルロットに大公位を譲った」そな…またベルギーの「第四代国王レオポルド三世は、第二次大戦でドイツ軍に降伏したため、戦後退位に追い込まれた」そな…ちなみに「先王のアルベール一世は、第一次大戦ではベルギー軍を率いてドイツ軍とたたかい、国民から「騎士王」とあがめられた」そで…まぁともかく、ベルギーではボードゥアン一世に譲位されたとゆー事らすぃ…

 そして三国の王家は今でしょ(死語?)に続いているとゆー事らすぃ…いやまぁ何とゆーか、ベネルクスの歴史も半端ねぇーでございます…

 アリス的には、国名シリーズ的には、英、露、瑞典になるのかなぁ?
 でまぁ、まずはヴェロニカさんとこのスウェーデン、ひいては北欧史キタコレになるんだろーか?「北欧三国の王家はいずれも長い歴史を持つ。デンマークが最初に王国を樹立し、遅れて誕生したスウェーデンとノルウェー両王国に対し優位に立つが、やがてスウェーデンがデンマークを圧倒する。しかしそのスウェーデンも、ロシアに敗れて欧州列強の地位を失う。この間にノルウェーは他に二王国の支配に甘んじてきた」そーだそな…また「一九世紀の北欧では、欧州紛争の圏外にあって国富の充実に努める傾向が強まった。彼らは国の将来を中立に託し、両世界大戦でそれを貫いた。北欧の王家が安泰を保ちえたゆえんもここにある」そな…とゆーのが北欧史のおおまかなまとめだろか?
 では、中を見てゆこー(笑)で、ヴァイキング来たぁーっでしょか?「彼らが歴史に初めて登場したのは七九三年、海を渡ってイングランド東部のリンデスファーン大修道院を突然襲い、略奪と破壊と殺戮を行って廃墟とした」って、ホンマでっかぁーっ?でもって「以後二五〇年以上にわたって、彼らは侵略や海賊行為をくり返し、近隣諸民族の恐怖の的となった」のだそな…うーん、796年が平安京キタコレの頃ですから、平安時代直前からヴァイキングやってますが、何か?の世界だったのか?ヴェロニカさん?
 そんな訳で、デンマーク・ヴァイキングは、911年仏北部に領土を獲得して、ノルマンディー公国キタコレになったらすぃ…ちなみに「首長のロロ(ノルウェー人であったともいわれる)は、フランス国王により公に任ぜられた」ですしおすし…で、この「ロロの子孫ノルマンディー公ウィリアムは一〇六六年、イングランドに上陸する。彼はノルマン朝を開き、最初の英国王になった」って、そーだったのか?ウルフ先生?蛇足ですが、「ノルマンの一派はさらに地中海に進出し、一二世紀にシチリア王国を樹立した」そで、世界に広げようノルマンの輪ってか(笑)
 一方、スウェーデン・ヴァイキングの方は、「首長リューリクに率いられてロシアに向かい、その後継者オーレグは八八二年、キエフを都とするロシア初の国家キエフ・ルーシを樹立した」そで…リューリク朝キタコレってか?
 では地元スカンディナヴィアの方はどよ?とゆーと、ヴァイキング時代の族長乱立から、「主要三民族は、それぞれ自らの王国を樹立しはじめる」になるそで、ついでにキリスト教も伝来すると…一番、デンマーク、10世紀に王国樹立しますたになるらすぃ…「イェリング家のゴーム(老王)とハーラル(青歯王)キタコレってか?ちなみに11世紀前半には、クヌーズ(クヌート)大王の時、「一時、デンマークのほか、ノルウェー、イングランド、スウェーデン南部をふくむ「北海帝国」の実現を見た」もあると思いますらすぃ…
 でもって、スウェーデンは、「一三世紀、フォルクンガ家のヴァルデマールによって統一された」そな…ちなみに、それ以前に「エリック聖王がフィンランドに「十字軍」を進めて以来、この地への支配を強め、その領有は以後およそ七〇〇年間にわたってつづく」のだそな…
 更に、ノルウェー統一は11世紀、「聖オラフ(オラフ二世)によって達成された」のだそな…そして「アイスランド、グリーンランドに進出していった」そで…この頃のノルウェーの合言葉はゴー・ウエストだろか?
 歴史的には1397年カルマル同盟来たぁーっでしょか?独のハンザ同盟に対する北欧三国同盟みたいなノリですが、何か?で、これで頂点に立ったのが「デンマーク女王のマルグレーテ一世」って事になるそな…後に、スウェーデン、ノルウェーの王家も彼女は継ぐ訳で、「彼女を含めて六代にわたってスウェーデンとノルウェーの王も兼ねて北欧を支配した」に至るらすぃ…
 そして1520年ストックホルム血浴事件キタコレになるのか…で、スウェーデン貴族グスタヴ・ヴァーサ蜂起で、「彼はデンマーク軍を破り、一五二三年にグスタヴ一世としてスウェーデン国王」になりましたとな…ちなみにこの方、「近代スウェーデン発展の基礎を築いた」「建国の父」と言われているそな…そーだったのか?ヴェロニカさん?
 デンマークのノルウェー支配は、「この後もデンマーク・ノルウェー連合王国として、一八一四年までさらに四〇〇年以上つづいた」そな…
 まぁともかく、デンマークから独立したスウェーデンはバルト海の覇権を目指せってか(笑)かくて「北欧で「バルト帝国」を築いたのみならず、ヨーロッパで列強の地位を確立した」そで、ヴァーサ家六代目、グスタヴ二世アドルフ「北方の獅子」きたこれとな…
 ちなみにこの時のデンマーク王はクリスティアン四世「建築王」でして、「デンマーク歴代の王のなかでは最もその名を知られる」王様だけど、両王の二つ名から分かる通り、こちら文科系なのよねでして、どー見ても体育会系の獅子に「惨敗を喫した」訳で、「デンマークは広大な領土を奪われ、北方の覇者の地位をスウェーデンに譲り渡す」事になると…
 そんなスカンディナヴィア情勢ですけど、ここに露キタコレってか(笑)「ロシア、ザクセン、デンマークの三国王の間で結ばれた「北方同盟」が、一七〇〇年にスウェーデンに宣戦布告、二一年間にわたる「大北方戦争」」キタコレに突入したそな…かくてスウェーデンは「バルト海の対岸にもっていた領土のほとんどを失った」そで、「バルト帝国」も崩壊、「スウェーデンはヨーロッパ列強から脱落した」に至る訳で…
 そしてスウェーデン弱り目に祟り目なのか?1792年国王暗殺事件キタコレで、グスタヴ三世死亡ってか…時代は仏革命ですしおすしでして、この後ナポレオンもご登場じゃあーりませんか(笑)全欧州激動の時代でして、「ロシアは一八〇八年、スウェーデン支配下のフィンランドに侵入し、イギリスは一八〇七年、コペンハーゲンを奇襲してデンマークを破った」そな…結果、「スウェーデンは七〇〇年間領有してきたフィンランドをロシアに譲り、デンマークも四〇〇年余り支配したノルウェーを放棄させられた」そな…そんなノルウェーはとゆーと「デンマーク国王に代わってスウェーデン国王を君主として戴くことなり、その連合王国は一九〇五年にノルウェーが独立するまでつづく」とな…
 ちなみにスウェーデン王室では、「敗戦の責任をとって一八〇九年に国王グスタヴが譲位」して「カール一三世」が即位したけど、世継ぎがない…そこで「国会は、ナポレオンの義弟で彼の側近でありながら、のちに反ナポレオンに転じたベルナドット(ベルナドッテ)元帥を国王として迎えることを決定し、元帥は一八一八年、カール一四世ヨハンとして即位した」って、これが「現スウェーデン王家ベルナドッテ家の創始者となった」って、ホンマでっかぁーっ?欧州の王家って?
 でもって、1813年のモスクワから敗退するナポレオンに、プロイセンとオーストリアと一緒にライプツィヒで戦ったのが、スウェーデン的には「史上最後の戦い」となったそで、その後は今に続く中立路線キタコレになったらすぃ…
 一方、1864年、「プロイセン・オーストリア連合軍に敗れたデンマークは、実に国土の四〇パーセントにあたるこの地域を失った」そで、デンマーク南部よさようならとなったらすぃ…そんなこんなで「一八六三年に現王家のグリュクスブルク(グリュクスボー)家に移った」らすぃ…
 ノルウェーはノルウェーで独立機運キタコレで、「一九〇五年、ノルウェー議会は独立の決議を行った。スウェーデン国王オスカル二世も結局これを了承する」で、「独立ノルウェーの新しい国王として、デンマーク王家の王子(のちのクリスティアン一〇世の弟)が迎えられ、ホーコン七世として即位した」とな…欧州の王家って…
 そんなこんなで三国揃って中立路線を進むぜの世界でしたが、WWⅡ来たぁーっで、辛うじて中立を守れたのはスウェーデン位のもので、デンマークとノルウェーにはナイス・ドイツ来たぁーっでしょか?詳細は本書をドゾですけど「第二次世界大戦中も北欧では、南欧やバルカンのようにファシズムに傾く王もなく、三国とも王朝が揺らぐことはなかった」とゆー事らすぃ…
 他にアリス的ならば、英とか、露になるんだろーけど、こちらは他の資料にパスで、トーシロには殆ど未知の世界のバルカンの方をチョイスしたいんだが(笑)
 ちなみにそんなバルカンの概要は、「中世バルカンでは、強大な帝国や王国が興ったが、オスマン・トルコに征服されて、五〇〇年の長きにわたり、その支配下にあった。一九世紀にいたって、バルカン諸民族はようやく独立の君主国を樹立するが、セルビアとモンテネグロ以外はドイツから君主を迎えた。領邦国家としての歴史が長いドイツには、当時由緒ある王家や公家が数多く存在していた」そな…
 そころがそんな新生バルカン諸王家は中世の夢、「大セルビア主義、大ブルガリア主義、大ギリシャ主義…。彼らは二〇世紀初頭、二度のバルカン戦争で、領土をめぐって激しく争った。そして第一次世界大戦で、一部の王朝が脱落する。残る王朝も、第二次世界大戦前のファシズムの嵐、そして戦後の共産化の波の中に姿を消していった。唯一生き残ったギリシャ王国も、一九七四年に共和制に移る」事になると…
 で、一国ずつ見ていくとゆー事で、まずはセルビアから…「一四世紀には、バルカンを圧倒する繁栄を誇ったセルビア王国も、一三八九年の「コソヴォの戦い」でオスマン・トルコに敗れ、没落の運命をたどる」事になるそな…あれから四十年もとい四百年…「一八一五年、他のバルカン諸国に先駆けてオスマンに対して蜂起し、一八三〇年、自治を獲得した。一八七八年のベルリン会議で、欧州列強によって独立国として承認された(当初は公国、一八八二年以後は王国と称した)」そな…
 そしてWWⅠ後の「一九一八年に、セルビアは、崩壊したハプスブルク帝国領のクロアチア、スロヴェニアとともに「セルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人王国」を確立し、のちのユーゴスラヴィア王国」(ユーゴスラヴィアとは「南スラヴ人の国」の意)と国名を改めた」キタコレってか?
 そんな国家の中では、「セルビアのカラジョルジェヴィッチ家のペータル一世のもと、セルビア人中心の統治が実施された」そで、当然ながら「対立するクロアチア人との争いが絶えず、その民族抗争は一九三四年、二代目国王アレクサンダル一世が訪仏中にマルセイユで暗殺される事件」までキタコレってか…
 また、WWⅡでは「ペータル二世はナチス・ドイツの侵攻を逃れて、モンテネグロの山中から飛行機でロンドンに亡命する。大戦中のユーゴスラヴィアでは、チトーのもとに組織されたパルティザンが反ナチスの抵抗運動を展開し、国土をナチスから解放した」とな…
 「連合国はチャーチル英首相を中心に、戦後ユーゴスラヴィアに君主制を復活させる計画をすすめていたが実らず、一九四五年一一月、チトー政権は人民共和国の樹立を宣言」しますたとなったらすぃ…
 さて、モンテネグロなんですが、「第一次世界大戦終結まではれっきとした王国で、首都ツェティニエには欧州列強の外国公館が軒をつらねていた」って、そーだったのか?モンテネグロ?「モンテネグロ王朝の起源は古く、この国がゼータと呼ばれていた一四世紀にさかのぼる。バルカンに君臨したオスマン・トルコも、モンテネグロ(「黒い山」の意)だけは完全に支配するにいたらなかった」って、ホンマでっかぁーっ?
 そゆ事で「他のバルカン諸国では、トルコの支配下で土着の王朝は絶えてしまったが、モンテネグロでは、小さいながらも独立の君主(主教、のちに公)国が形成された」のだそな…
 そして1878年に欧州列強から独立国(当時は公国、一九一〇以後は王国と称した)として承認された」そで、「初代の公には、一五一六年に興ったペトロヴィッチ=ニェゴシュ家のダニロ二世がついた」とな…
 如何にもなエピとしては、次のニコラ一世は、「娘をそれぞれセルビア王妃、イタリア王妃、ドイツのバッテンベルク公妃、ロシア大公妃と、ヨーロッパの有力王家や公家に嫁がせ、古くからの名門ぶりをいかなんく発揮した」って…姻戚外交キタコレってか?
 歴史的には、WWⅠで「モンテネグロはオーストリア軍に敗れ、国王二コラはイタリアに亡命、一九一八年にセルビアに併合されて由緒ある王家もその幕を閉じることになる」ですしおすしとゆー事らすぃ…
 そしてルーマニアの場合は、「一八五九年、モルダヴィア(現ルーマニア東部)とワラキア(南部)の連合公国の成立に始まる」のだそで…「当時は土着のクザ公による統治」だったそーだけど、反対派キタコレで「一八六六年に退位」…結局「ドイツのホーエンツォレルン=ジークマリンゲン家のカールがカロル一世として迎えられた」そな…ちなみに「同家はプロイセンのホーエンツォレルン家の分家にあたる」とな…ちなみにちなみに「カルロ王妃のエリザベータは、ドイツのヴィート家の出」とな…
 かくて「一八七八年のベルリン会議の結果、ルーマニアの独立は正式に承認され、一八八一年には国王カロル一世のもとルーマニア王国が誕生した」となるらすぃ…
 カロルに世継ぎがないので「兄レオポルドの次男フェルディナンド」キタコレで、「一九一四年に即位したフェルディナンド一世の妃マリアは、ザクセン=コーブルク=ゴータ家の公女、ヴィクトリア英女王の孫にあたり、母はロマノフ王家の出身であった」とな…
 何かもーいかにもな王室家系図なんですが、その息子のカロルがパネェ…「ギリシャ王女と結婚しながら、あろうことか、恋人とともにパリへ駆け落ちし、王位継承権まで放棄した。ところが父王逝去の三年後の一九三〇年、彼は突如帰国し、息子のミハイから王位を剥奪、カロル二世として国王の座におさまった」って、ホンマでっかぁーっ?しかも「彼は国王独裁制をしき、枢軸国と手を結ぶが、一九三九年に第二次世界大戦が勃発すると、翌年ミハイに譲位して亡命する」って…ルーマニアの王様業もパネェ…
 お次はブルガリアなんですが、「オスマン・トルコの支配下にあったブルガリアは、露土戦争(一八七七~七八)でロシアとともにトルコと戦い、終戦の年に「サン・ステファノ条約」によって、いったんはロシア保護下の「大ブルガリア公国」としての独立が決定した」んだそな…でも「ロシアのバルカン進出を懸念する欧州列強の介入により、同年に開かれたベルリン会議の結果、領土を以前の五分の二まで大幅に縮小され、「ブルガリア公国」として発足することになった」そな…
 そんなブルガリアは、「初代のアレクサンダル公をドイツのバッテンベルク家から、次いでフェルディナンド公をザクセン=コーブルク=コハーリ家(ザクセン=コーブルク=ゴータ家の分家)より迎え、一九〇八年には完全な独立を達成した」のだそぉ…
 とはいえ、バルカン戦争(1912-13)で敗北、広大な領土を周辺諸国に譲渡キタコレってか…WWⅠでも、ドイツ・オーストリア側について敗戦、フェルディナンド退位。「息子のボリス三世が即位」すると…そのボリスはナチス側につき「一九三九年に第二次世界大戦が勃発すると、ブルガリアは日独伊三国同盟に加盟し参戦するが、四三年ボリスは、ヒトラーを訪問した直後、宮廷内で謎の死を遂げた」って、ホンマでっかぁーっ?「六歳のシメオン二世が即位したが、翌年ソ連軍がブルガリアに侵入した」ですしおすし…
 「大戦後の一九四六年に人民共和国が樹立され、王制は廃止された」とな…亡命後のシメオン二世の数奇な人生の詳細は本書をドゾですけど、「二〇〇一年、彼はブルガリア総選挙に出馬して当選、二〇〇五年まで首相の座にあった」とゆーから、ドンダケェー(死語?)
 そしてアルバニアの場合は、「アルバニア人は自らをシュナブ(「鷲の子」の意)を称し、民族としてはヨーロッパでも最も古い起源をもつといわれる」そな…とはいえ、「オスマン・トルコの支配を排し、独立を達成したのは、バルカンで最も遅く、バルカン戦争のさなか一九一三年(ロンドン条約)」の時ですたとな…
 そんな訳で「一九一五年に、ドイツのヴィート家からヴィルヘルムを公として迎えたが、即位後四ヵ月で第一次世界大戦が波及、彼は亡命した」そな…戦後「一九二八年に、かつて対トルコ戦で勇名を馳せたというこの国の伝説的な人物の子孫のアフメド・ゾグが国王ゾグ一世となり、君主制国家を再建」するも、「一九三九年、イタリア軍に占領されてゾグはギリシャに亡命」しますたですしおすし…結果、「アルバニア王位は、イタリアのヴィットリオ・エマヌエレ三世が」兼任ってか…
 そして、WWⅡ後、「一九四六年に人民共和国の樹立が宣言され、王制は廃止された」とな…
 さて、最後に控えしはギリシャなんですが、「ギリシャは、バルカンでは最も早く王国として独立を達成し、第二次世界大戦後も王制を維持した唯一の国である」そなんだが、その内容は波乱万丈ってか?
 まず、「ギリシャがトルコから独立したのは一八三二年、ロンドン協定により英仏露の保護下に承認された」そで、1833年「ドイツのバイエルン王国ヴィッテルスバッハ家の王子オットー(ギリシャ名オソン)が国王として」キタコレってか…ところが「一八六二年に反国王派の反乱が起きるとギリシャを去った」そな…
 そんな彼には世継ぎがいなかったので、今度は「デンマーク王家(グリュクスブルク家)から王子が迎えられ、同年ゲオルギオス一世として即位した」とな…しかも、「ゲオルギオスのもとで、ギリシャはイオニア諸島、テッサリア平原、クレタ島、港湾都市テッサロニキと、一連の領土獲得に成功する」とな…でも、そんなゲオルギオスが「一九一三年、テッサロニキで凶弾の犠牲」となってしまうんですよ、奥さん(誰?)
 後継者のコンスタンティノス一世はWWⅠで連合軍側につくのをしぶり、「一九一七年に連合国の圧力で退位させられ亡命した」とな…「王位はアレクサンドロス一世によって引き継がれるが、彼が猿にかまれて死亡すると、コンスタンティノスはいったん復位する」って…しかも「大戦後、トルコとの領土戦争でギリシャ軍が致命的な敗北を喫すると、コンスタンティノスはまたもや亡命を余儀なくされるという有様だった」って、ドンダケェー(死語?)
 かくて「一九二二年に即位した後継のゲオルギオス二世も、政局の混乱に乗じて共和派が台頭したため、即位後一年余りで亡命に追い込まれた」ですしおすし…ところが「一九三五年、王制派のクーデターにより共和制は崩壊、ゲオルギオスは復位するが、第二次世界大戦でドイツ軍の侵略を受けると再び亡命」キタコレってか…
 「戦後、国民投票の結果ゲオルギオスは帰国するが、半年で死去。一九四七年、王位は弟のパウロス一世によって引き継がれた」そで、「パウロス没後の一九六四年、コンスタンティノス二世が即位するが、六七年に軍事クーデターが起き、一家は亡命する。一九七四年には軍政が廃止され、国民投票をへたのち、ギリシャは再び共和制に移行した」というのが一連の流れらすぃ…
 蛇足ですけど「ロンドンに亡命中のコンスタンティノス二世は、二〇〇四年のアテネオリンピックのさい、IOC(国際オリンピック委員会)の名誉委員として三七年ぶりに故国を訪れたが、国民からとくに歓迎されることはなかった」そな…
 他にも、英、仏、独、露、伊、西、墺と王家いぱーいですけど、そちらの詳細は本書をドゾ。いやぁどこの王家も波乱がいぱーいってか?王家というと、一歩前へというより、一歩後ろへなイメージですけど、「ベルリンの壁崩壊とともに冷戦が終結、ソ連も解体したが、新生ロシアではロマノフ王家の家紋「双頭の鷲」が国章として復活した。ロシア人本来のアイデンティティの回帰とみるべきであろう」ですしおすしで、まさに今でしょ(死語?)らすぃ(笑)
 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので興味のある方は本書をドゾ。
 目次参照  目次 国外

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