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2017年11月29日 (水)

本当に必要なんですか(笑)あるいはNI?

コンセプチュアル・アート  トニー・ゴドフリー  岩波書店

 とゆー訳で、タイトル通り、コンセプチュアル・アートとは何ぞや?が延々400頁を遥かに超えて書かれている訳ですが、うーん…もしかして今までで一番、歯が立たなかった本かもしれない…げいじつはむずかし(笑)いやぁその手のセンスは己には微塵にも無いとは自覚していたが、ここまでチンプンカンプンとは…げいじつって考えるな感じろの世界かと勝手に思っていたけど、全然違う世界だったよーで(笑)

 で、いつものよーに分からない時には目次に逃げろで、いくと…序 コンセプチュアル・アートとはなにか、1 初期モダニズムにおける反芸術の姿勢 デュシャンとダダ、2 戦後の時代 絵画に代わって、絵画の外から、3 ニセで、過激で、冷酷な 1960年代初頭のさまざまな現実、4 ほぼ脱物質化されたオブジェ 8つのコンセプチュアル・アート作品、5 頭脳警察は誰だ コンセプチュアル・アートの多様性、6 権威の危機 政治と制度の文脈、7 おしまいか コンセプチュアル・アートは崩壊または離散したのか、8 彼女たちはどこに? 女性コンセプチュアル・アーティストの独自の経験、9 他者への眼差し 写真を使うアーティストたち、10 お前の名前は? 1980年以降、言葉を使うアーティストたち、11 スタイルを取り締まるのは誰か 最近のアートにおける論争と文脈、なんですが、これで、分かる人には分かるんだろか?うーん…

 ちなみに序文によると「コンセプチュアル・アートの主眼はかたちや素材ではなく、思想や意味である。それを媒体やスタイルをもって規定することはできず、芸術とはなにか、その問いかけの方法がコンセプチュアル・アートの定義をなしている」そで、もーこの定義からして、何言ってけつかるねんの世界でして…トホホ…

 まぁ何とゆーか、権威とゆーか、権威主義、権威者etc.とのアンチそのものだろか?美術館とか、アカデミーとか、宗教とか、父権とか、政府とかとか、ノーと言える芸術家のみなはま達になるのかのか?うーん…

 取り合えず、コンセプチュアル・アートの頂点、絶頂期は1966-72年にかけての頃だそで、高度成長期というより、古き良き(?)学生紛争時代と被るのか?いやまぁ何とゆーか、芸術のフレームワークの破壊、取り壊している感じかなぁ?結局、いつの世も価値観の相違って、どの分野も大きいって事になるんでしょかねぇ?

 アリス的には、天農画伯の出番ですってか(笑)いえ、笑い事ではないので、アマノンが三日間集中講義、コンセプチュアル・アートの攻略徹底分析とかして下さったら、即通いまする…

 ミステリ的には、「遅れた列車の消息を待っているところへ、掲示板に予期せぬメッセージが点滅する。「殺人には性的な面がある」。」の件かなぁ?ジェニー・ホルツァーきたこれですけど、でもこれは変態性欲の権威准教授的にどよ(笑)

 さて、肝心のコンセプチュアル・アートの方ですが、これはもー本書を見てくらはいとしか言えねぇ(笑)

 ので、取り合えず、日本にも関係があるとこをチョイスすると、「日本では「具体」グループ(具体美術協会)がアートへの参与と政治的には超然たる姿勢を体現しようとしていた。これは抽象画家として高名だった吉原治良が1954年に大阪で設立したグループで、彼の主たる意図は新しい生命力に溢れたラディカルなアートを創造して、東京をはじめ日本各地で制作されていた二番煎じのアカデミックな抽象美術あるいは社会的リアリズムに反撃することだった」そで、「大阪で1955年と56年に催された野外の「具体美術協会展」の出品作はたしかに挑発的だった。だが、左翼的なつながりゆえに1920年代に日本のダダが弾圧されたことをよく知っていた吉原は、あからさまな政治的言及をすることは避けた」そな…

 そんな訳で、田中敦子や元永定正、それに吉原の作品についての詳細は本書をドゾ。蛇足ですが、取材にきた「LIFE」誌の記者の件の詳細も本書をドゾ(笑)

 とにかく、「「具体」のアーティストたちは見る者に芸術と自然への参加を呼びかけたのみならず、自然を呼び込んでの作品づくりもした。吉原いわく「地面と直接つながって、太陽、風、雨といった自然の条件に身をまかせる。それをしようとしているんだ」。このような生態学的な意図は、ずっと後になってから出現した西洋のアートの前兆だった。金山の歩行作品はスタンリー・ブラウンやリチャード・ロングの作品を予言していた」って、ホンマでっかぁーっ?

 でもって、そんな日本のアート活動、運動、情勢、状態を著者は「短い時間だったとはいえ、これほどラディカルな運動が日本で起こったのはなぜだろう。それまでの日本の美術界はあまりにも隷属的なかたちで西洋のモデルを模倣していたというのに。第二次世界大戦敗北後、与えられた知識や伝統的な権威への信頼が失墜したことと関連づけられよう。また、西洋との通商のため開国を余儀なくされた19世紀半ばまで、日本には個別の自律的な概念としての「芸術」を意味する言葉はなかった。芸術の本質を考えるなかでこれらの芸術家たちは、この事実をとっかかりにしたのではないだろうか」とな(笑)

 又、「「具体」は自律的な芸術のかわりに、西洋のモダニズム芸術よりも強く自然やライフスタイルとつながりをもった芸術の出来を告げた。メンバーが西洋流の身振りとしての絵画に回帰する前の初期の穏やかな段階において、「具体」は新しい「高尚な」芸術であると同時に「日常の」芸術として存在した」のだそなもし…

 まぁ自然との一体とゆーのは、日本ではいちいち意識するまでのものでもないよーな?都市化都市化と言われて久しいけど、自然と共生はもーDNAレベルにインプットされてね?

 他には、ジョージ・マチューナスきたこれってか?「「フルクサス」として知られることになるグループの顔ぶれ、その多くを組織したのがマチューナスだった-ラ・モンテ・ヤングの仲間たち、ジョージ・ブレヒトらジョン・ケージの弟子たち、ヨーコ・オノら日本のパフォーマーたち、そのメンバー構成は流動的で一時的な関わりだけの人も多く、むしろ巡回社交クラブのような一面もあった」って…マチューナスについての詳細はこれまた本書をドゾ(笑)

 取り合えず、「「フルクサス」が「なにが芸術たりうるか」という疑問を提出し、60年代後半にコンセプチュアル・アートが生まれる気運を盛り上げたことは確かだ。それは極めて国際的で、日本からリトアニアにいたる全世界からのアーティストの運動だった」そな…ちなみに「メンバーの一人、リトアニアの音楽家ノヴァウタス・ランズベルギスは、後に同国独立のあかつきに初代大統領になった」って、そーだったのか?リトアニア?

 後は、「われわれはみんな、自由人のはずだ。が、そこでだ、ブランド名つきの商品を買えば、広告と販売活動の意のままに、われわれは命名、捕獲、いわんや所有までされる。こう考えることも可能ではないか、みんなが「三菱マン」や「グッチガール」になると」の件は、ブランド全盛の今でしょ(死語?)だと更にアレのよな(笑)

 でまぁ、コンセプチュアル・アート…後からなら何でも言えるじゃまいかですけど…うーん…一つの見方としては「1960年代のコンセプチュアル・アーティストたちの過激さは、実際のところどの程度のものだったのか、極めて不確かな問題だ」とか、「70年代も半ばに向かうにつれ、初期のコンセプチュアル・アーティストたちの多くが、言語哲学より精神分析理論への関心を深めていったのは事実だ、が、実際問題としては、60年代のコンセプチュアル・アートの多くも、すでに見てきたように、きわめて主観的だった」とか、「1970年代後半のコンセプチュアル・アートが「脇へ追いやられた」のには、ほかにもいくつか理由があった。アート市場もさることながら、華やかで見栄えのするアートを待望する娯楽産業の欲求もその1つだった」とか、「新しいコンセプチュアル・アートは以前のものより庶民的で大衆性があるが、それはみずからの矛盾を自覚したとき、もっとも大きな成果をもたらす、いぜん、油断大敵である。この種の「メタ歴史」の創出につきものの傾向として、コンセプチュアル・アートを単純化する、あるいは純化することがある、その旗のもとで生まれた多様な作品を出発点にせず、理論的な前提から考え始める場合に陥りがちな傾向だ」そで、「芸術における進歩という観念、それに対してコンセプチュアル派が仕掛けた攻撃を思いおこすと、この点はきわめて皮肉なことだ」って…何だかなぁ(笑)もしかして、はいここわらうとこなんだろか(笑)うーん(笑)

 ままま、今でしょ(死語?)に拳振り上げ系もあると思いますですけど、その一方で、例えばドキメンタの場合、「全予算の95%はドイツ政府、ヘッセン州、カッセル市から出ていたのだから」もあると思いますで、御用学者、御用メディアで、御用アーティストの始まりってか?まままヴェネツィアの昔からの伝統もありますですしおすし…

 まっ、読後においても不可解なコンセプチュアル・アートについては、もー現物見てちょで、以下の作品群をドゾ(笑)美術品ですから、まずは見て見ての世界じゃね?

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。個人的にというか、日本人的に笑っちゃったとこが、ボブ・ディランの引用のとこかなぁ…「さざれ石ってか、コケなんぞむさねえよ!」の件だろか?なるほろ、米の正義はかの頃から通常運転乙だった模様ってか(笑)

 本書に掲載されている作品のみなはま(笑)
 泉/マルセル・デュシャン、LHOOQ/マルセル・デュシャン、無題/フェリックス・ゴンザレス=トーレス、1つと3つの椅子/ジョゼフ・コスース、100の生きると死ぬ/ブルース・ナウマン、私はどこにいるの/アネット・ルミュー、自転車の車輪/マルセル・デュシャン、聖家族とカーテン/レンブラント・ファン・レイン、フォリー・ベルジューのバー/エドゥアール・マネ、散文詩「骰子一擲」の一部/ステファン・マラルメ、椅子の篠張りと静物/パブロ・ピカソ、階段を降りる裸体No.2/マルセル・デュシャン、ボトル・ラック/マルセル・デュシャン、ローズ・セラヴィ、なぜくしゃみをしないの/マルセル・デュシャン、贈り物/マン・レイ、カコジル酸塩の眼/フランシス・ピカビア、裸体状態の若いアメリカ娘の肖像/フランシス・ピカビア、肥ったチェスの一夜/トリスタン・ツァラ、言葉とイメージ(部分)/ルネ・マグリット、ファースト・ペーパーズ・オヴ・シュルレアリズム展/マルセル・デュシャン、イジドール・デュカスの謎/マン・レイ、毛皮で覆われた茶碗/メレット・オッペンハイム、ランボーの銘のある水差しに向かうブルトンと信奉者/フランシス・ピカビア、花嫁は彼女の独身者たちによって裸にされて、さえも(大ガラス)/マルセル・デュシャン、
 ペリー・バーロウの漫画(ニューヨーカー誌)、マティ/アスガー・ヨルン、障害者/ルネ・マグリット、ウォーク・アラウンド・タイム/舞台、消去されたデ・クリーニングのドローイング/ロバート・ラウシェンバーグ、抽象画No.5/アド・ラインハート、そういうお前はなにを代表しているのか/アド・ラインハート、水/元永定正、鶏を塗る/吉原治良、無題のブルーの海綿彫刻とブルーのモノクロームの浅浮き彫り/イヴ・クライン、日曜日-たった1日の新聞/イヴ・クライン、イリス・クレールの鑑定モンタージュ肖像/アルマン、昼食/ダニエル・スポエリ、前衛はあきらめない/アスガー・ヨルン、「回顧録」の1頁/ギー・ドゥポールとアスガー・ヨルン、アクローム(無色)/ピエロ・マンゾーニ、
 カード・ファイル/ロバート・モリス、頭のない人魚姫/ユルゲン・ナッシュ、贈り物/ケネス・ノーランド、椅子のイベント/ジョージ・ブレヒト、ジ・アート・ショー/エド・キーンホルツ、移動式戦争記念碑/エド・キーンホルツ、「ザ・ストア(店)」展の内部/クレス・オルテンバーグ、エンパイア/アンディ・ウォーホル、ブリロの箱(洗い物たわし)とキャンベルの箱(トマトジュース)/アンディ・ウォーホル、「さまざまな小さな火と牛乳」の表紙のなかの頁/エド・ルーシャ、バンズ・ベート(汚い思考)/マルセル・ブロータース、コンポジション1960#7/ラ・モンテ・ヤング、フルクサス宣言/ジョージ・マチューナス、ジョージ・マチューナスのパフォーマンス(アドリアーノ・オリヴェッティ追悼)、ヴァギナ・ペインティング/久保田成子、フルックス・イヤー・ボックス2/フルクサス・コレクティブ、Pアート漫画(アーツ・マガジン誌)、レヴァー(梃子)/カール・アンドレ、シャフルベリー/アンソニー・カーロ、ソフトスピーカー/ブリンキー・パレルモ、ヴェトナム/ミケランジェロ・ピストレット、「必ずしも芸術として見られるつもりのない下絵と紙の上の視覚的なものたち」/メル・ボフナー、パランゴレ、P10、CapeoとGlass Bolic;e 5、モンドリアン頌と踊っているモスキート・オヴ・マンゲイラ/エリオ・オイティシカ、Glass Bolicle 10 B-331(マレーヴィチ頌)/エリオ・オイティシカ、リジア・クラーク(手の対話)/エリオ・オイティシカ、
 アーティストのディベッツとルーテンベックにより、本物の鋼鉄棒をへし折るまでに変容された本物の英国式朝食のエネルギー/ヤン・ディベッツ、ライナー・ルーテンベック、薔薇は歯がない/ブルース・ナウマン、さめてしまってぶちまけられたコーヒー/ブルース・ナウマン、スタジオを歩き回るあいだにヴァイオリンで単音を弾く/ブルース・ナウマン、歩行によって作られた線、英国/リチャード・ロング、鏡の転移(ポートランド島、英国)/ロバート・スミッソン、有題(観念としてのアートという観念、普遍的)/ジョゼフ・コスース、ブリタニカ百科事典/ジュリオ・パオリーニ、委嘱絵画/ジョン・バルデサーリ、「やっと一人っきり」のインスタレーションの中のジュリオ・パオリーニ、情報室(第3次調査)/ジョゼフ・コスース、
 フランク・ザッハと「マザーズ・オヴ・インヴェンション」の「金目当てでやってるだけ」のアルバム・カバー、「カントリー・ジョー・アンド・ザ・フィッシュ」/ウッドストックにて、無題(FO-29)/ペーター・レール、4色のドローイング(合成)/ソル・ルウィット、1973年3月4日 ダカール/河原温、OPALKA 1965./1-00 ディテール/ロマン・オルパカ、アスファルト降下/ロバート・スミッソン、この絵がやろうと目指していること/ジョン・バルデサーリ、アムステルダムの「アート・アンド・プロジェクト・ギャラリー」での「ギャラリー閉鎖」に際しての掲示/ロバート・バリー、無題(具象)/ダン・グレアム、1966年3月31日/ダン・グレアム、どんな時間も/ヴィクター・バーキン、アート=ラングエージ誌の表紙、ズボン=言葉の作品/キース・アーナット、パリ市近代美術館に設置されたモノクローム絵画群/アラン・チャールストン、パリ「新進絵画展」でのデモンストレーション/ビュラン、モセット、パルマンティエ、トローニ、パリ 装飾美術館での抗議展示/ダニエル・ビュラン、オリヴァー・モセット、ミシェル・パルマンティエ、ニエーレ・トローニ、無題/イアネス・クネーリス、無題/イアネス・クネーリス、脂肪の椅子Ⅰ/ヨーゼフ・ボイス、
 書き込みのあるヘルメットをかぶった兵士たち、ヴェトナム、「プロパガンダはお前の家にも入り込む」情況派のポスター、私はこれ以上、退屈なアートはつくりません/ジョン・バルデサーリの学生たち、ヘイヴァリル=ウィンダム・ニューヨーク・マーカーの作品/ダクラス・ヒュブラー、不活性気体ヘリウム/ロバート・バリー、すべて電話で/ウォルター・デ=マリア、写路(フォトパス)/ヴィクター・バーキン、「557.087」展に出展されたカタログ・カード、「インフォメーション」展でのインスタレーションに使った投票箱、火葬のプロジェクト/ジョン・バルデサーリ、暖炉としてのテレビ/ヤン・ディベッツ、(…不整合)からの写真8枚/ロバート・バリー、ロサンゼルス クレール・コブリー画廊での展覧会/マイケル・アシャー、ヴァレーゼの玄関部屋/ロバート・アーウィン、ホメロスの理想的容姿/ジュリオ・パオリーニ、イン・シテュ作品(現場作品)/ダニエル・ビュラン、友人たちとビールを飲む行為は芸術の最高形態である/トム・マリオーニ、融ける氷の音/ポール・コス、アパートメントの事物Ⅱ/ライナー・ルーテンベック、旅、あるいは「レムシャイド嬢とアマゾンの旅」という星空のもとの冷蔵庫の旅の記録/ロタール・パウムガルデン、マクナイマ/ロタール・パウムガルデン、触媒Ⅲ/エイドリアン・パイバー、安全保障地帯/ヴィト・アコンチ、螺旋の防波堤/ロバート・スミッソン、ランド・ショーの広告/ウォルター・デ=マリア、パリクティン・プロジェクト/ピーター・ハッチンソン、
 質問:で、赤ん坊は?回答:赤ん坊もです/芸術労働者連合(ロナルド・ヘバリーとピーター・ブラント)、マネ・プロジェクト74/ハンス・ハーケ、アスパラガスの束/エドゥアール・マネ、10番目のパネル、樫の木/マイケル・クレイグ=マーティン、三角と四角の数学/メル・ボフナー、スプリティング/ゴードン・マッタ=クラーケ、近代美術館、ワシ類部門、図像課/マルセル・ブロータース、ベルギー人男性の大腿骨/マルセル・ブロータース、フランス人女性の大腿骨/マルセル・ブロータース、北海での航海/マルセル・ブロータース、空間の征服-アーティストと軍部御用達の地図/マルセル・ブロータース、ジャクソン・ポロックのスタイルによりV.I.レーニンの肖像Ⅲ/アート・アンド・ラングエージ、インスタント寺院/ミラン・クニザック、1956年の記念碑/ギュラ・コンコリー、観客の運動/「集団行動」グループ、赤い水平線/エリック・ブラートフ、汚物捨て時間割/イリヤ・カバコフ、形而上学/ヤロスラウ・コズロウスキー、官僚制/ジョアン・ブロッサ、伝統的田舎のパン焼き窯の製造/ヴィクトール・グリッポ、南十字星/シルド・メイレレス、疑似映画、コスモコカ、CC3、メイレリンによる黒い実験/エリオ・オイティシカ、
 鬚移植/アナ・メンディエタ、レイプの光景/アナ・メンディエタ、再建された「大ガラス」を通して見えるイヴ・バビッツとチェス盤に向かうマルセル・デュシャン/ジュリアン・ワッサー、これはなにを表象しているのか、あなたはなにを代表しているのか/ハンナ・ウィルケ、台所の記号論/マーサ・ロスラー、マックスのカンザスシティのための無題のパフォーマンス/エイドリアン・パイバー、無名のアーティストたちに捧げる/スーザン・ヒラー、私の自由意思による罰/アネット・メサジュ、住みつかれた絵/エレナ・アルメイダ、
 所有/ヴィクター・バーキン、誤解(写真の理論)/メル・ボフナー、可変的作品34番(部分)/ダグラス・ヒュブラー、景観の手引き/ジェフ・ウォール、みずからの状態を記録するカメラ(絞り7種、シャッター速度10種、ミラー2枚)/ジョン・ビリヤード、死因?(3)/ジョン・ビリヤード、紐に吊るされた本/ハンス・ペーター・フェルドマン、アメリカのための家/ダン・グレアム、回転する塔/ベルント・ベッヒャー、ヒラ・ベッヒャー、クリスティアン・ボルタンスキーの10枚の肖像写真1946-1964年/クリスティアン・ボルタンスキー、鉛筆物語/ジョン・バルデサーリ、ザ・サークル・ライン/ビル・ベックリー、奇跡的なるものを求めて「ロサンゼルスの一夜」/バス・ヤン・アデル、1枚下はみんなラヴァブル(愛らしい)/広告、敬礼する黒人少年兵を掲載した「パリ・マッチ」誌の表紙、動物園78/ヴィクター・バーキン、ラブ・ストーリー2番/ヴィクター・バーキン、ルリッキ/ボリス・ミハイロフ、ソッツ・アート/ボリス・ミハイロフ、ウォーカー・エヴァンズにちなんで(ウォーカー・エヴァンズによるアリー・メイ・バローズの肖像写真にちなんで)/シェリー・レヴァイン、女性たちのための写真/ジェフ・ウォール、無題(英雄はもうたくさん)/バーバラ・クルーガー、拡大(綿紗幕にインクジェットによる版画、遺留品の写真、額縁)/クリスティアン・マルクレー、泣く/ジョジーナ・スター、ここでアタシなにやってんの/ケン・ラム、自分がそれに言わせたいことを言ってくれる記号、誰かが自分に言わせたがっていることを言う記号ではなく/ギリアン・ウェアリング、
 同じ差異/ウィリー・ドハティ、無題/フェリックス・ゴンザレス=トーレス、言語の山/ロバート・スミッソン、ロック・フォール・エコー・ダスト(カナダ北極圏バッフィン島での12日半の歩行、1988年夏)/ハミッシュ・フルトン、イエス・ブルース・ナウマン/ジェシカ・ダイアモンド、こわい/ローゼマリー・トロッケル、コギト・エルゴ・スム/ローゼマリー・トロッケル、手が形作った空洞に設置された火と硫黄/ローレンス・ウィーナー、零と非/ジョゼフ・コスース、無題/ロバート・バリー、モニュメント/スーザン・ヒラー、南米の先住民族のための記念碑/ロタール・パウムガルデン、サン・クアンタン・アン・イヴリーヌ/タニア・ムロー、モンキー・ビジネス(悪ふざけ、猿類の来し方、両方の意味をかけている)/サイモン・パターソン、大熊座/サイモン・パターソン、カフカの回文/ロニ・ホーン、ディッキンソンが目を閉じたとき974番/ロニ・ホーン、無題(静かな通路の肖像)/フェリックス・ゴンザレス=トーレス、孤独のための200の言葉/キャシー・ブレンダーガスト、無題(冷たく白い背景に投げつけられたとき、僕はもっとも濃い色がついていると感じる)/グレン・ライゴン、自明の理(可燃性のエッセイ)/ジェニー・ホルツァー、アルンヘムの橋/レミー・ゾーグ、
 群から離れて(ヴァージョン3)/ダミアン・ハースト、洞窟/キャヴィン・ターク、強度と表面/アーニャ・ガラッチオ、無題(家)/レイチェル・ホワイトリード、複数のピラミッド/ソル・ルウィット、計測-言明の空間から事態の空間まで(ピート・モンドリアンの1929年<フォックス・トロットB>と)/メル・ボフナー、作品選集#2#3#6#23/ジョン・マーフィー、ニュー・フーパー・コンヴァーティブル/ジェフ・クーンズ、スヌーピーのいる棚/ハイム・スタインバック、無題(ラヴァー・ボーイズ)/フェリックス・ゴンザレス=トーレス、なぜくしゃみしないの/ハンナ・ウィルケ、無題/モーリーン・コナー、泉/シェリー・レヴァイン、黒ミサ/アネット・ルミュー、やさしいボタン/ジャニーヌ・アントーニ、無題(口の彫刻)/ローゼマリー・トロッケル、案内つき鑑賞(バケツ)/ソフィ・カル、ヴェネツィア サン・ラッザロ・デリ・アルメーニ島の修道院中庭でのインスタレーション/ダニエル・ビュラン、50番のブラシを等間隔(30cm)で反復して動かした痕跡/ニエーレ・トローニ、禁句遊戯/ジョゼフ・コスース、美術館発掘/フレッド・ウィルソン、私の小さな人形、アフリカの彫刻/アネット・メサジュ、掛けられていない絵/イリヤ・カバコフ、1日-ルイジアナへの提案、1996年5月15日-9月8日-歩行の理論/ジョエル・トールリンクス、物好きな観光客/ガブリエル・オロスコ、ピアノに一息/ガブリエル・オロスコ、すばわしき屍体-マネの絵画の総体、556点のうち132点-メキシコのマクシミリアン皇帝の処刑、1867年/スティーヴン・プリナ、無題(自由)/リクリット・ティラヴァニジャ、無題(動物園社会)/リクリット・ティラヴァニジャ、インスタレーション、ミュンスター(キャラヴァン)/マイケル・アシャー、土地所得(ティプスシュトラッセ、フロイルの角、ミュンスター)/マリア・アイヒホルン、質問とはなにか/ジェイムズ・リー・バイヤーズ、都市のパフォーマンスNo.1(パリ)/タニア・ムロー

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