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2017年11月 2日 (木)

形態の充実?

セザンヌ物語  吉田秀和  筑摩書房

 タイトルに物語とあるからフィクションなのかと思いきや、セザンヌに関してのエッセイというか、19世紀から20世紀にかけての美術史かなぁ?もしくは仏、印象派とその周辺か?もしくは、それら全てひっくるめての小論文だろか?うーん…何せ、セザンヌをメインに据えて、文庫とはいえ六百頁に及ぶお話ですから…セザンヌだけで、これだけ書けるというか、書く事があるとゆーだけで、セザンヌぱねぇ、著者パネェでございます(笑)

 いやもーセザンヌというとリンゴの絵位しかパッと浮かばない己としては、絵画一つ一つをこーも吟味して見てゆくものなのかと…絵を見て、いいねか、無理っスか、どっちでもないどよ?かの三つ位のアバウトな範疇で見てたので、一枚の絵にこんなに微に入り細に入りするとは…何事もその道のプロってパネェとマジ驚嘆しますた…

 でまぁ、「なぜ、彼の絵には、局部的にみると一応わかっても、全体としてみると整合性が失われる不思議な画面が、こんなに多く、現れたのだろうか?」をひもとく旅に出るぅーみたいなノリかなぁ?セザンヌの絵の不思議発見?とか?プロとは、名画を前にして、真面目に解題するものであるらすぃ…

 でで、何とゆーか、本書は本当にまずは読めの世界かなぁ?もー著者とセザンヌ、双方、世界観確立されているので、読む(見る?)しかないよな?六百頁ありますよってにですけど、平易な文章なので、物凄く読みやすいです。トーシロ中のトーシロの己でもつっかえずに読めたので、多分、セザンヌをお知りの方ならば、スラスラとあっという間に読破できるはず(笑)

 いやぁ、線の一本、点の一つ、色の違いを一つ一つ吟味して解釈する…それが正しい絵画の見方なんですねぇ…何か、それだけでも目から鱗が…世界は意味のあるものに溢れているんだなぁ…おべんきょになり申した…ええマジで…

 アリス的にセザンヌ…美術というと、この人の出番ですで、天農画伯キタコレになるんだろーか?というか、アマノンに解説していただきたいんですが、どよ(笑)

 アリス的には、写真と絵画のとこかなぁ?「芸術作品を写真にとった「現実」と比較するのは、ちょうど、小説に出てくる人物をそのモデルと比較したり、小説の筋を事件の「実録」と比較するようなものではないか?」の件だろか?そーだったのか?アリス?そこがフィクションとノンフィクションの違いでしょかねぇ?もしくは歴史、ドキュメント?

 他にアリス的では、当時仏の作家的にどよ?で、「作家で美術批評の筆をとった人が数多くいたことに気がつくようになった。また、少なくとも新聞や雑誌の美術批評の類は、文士、作家といわれる人たちの手になるのが普通だったように見えてくる。要するに、こういう人たちが、世間と、実作家つまり画家との中間にいて、両者をつないだり、垣根をつくったりしていたらしいのである」って、ホンマでっかぁーっ?

 さて、本書、もー省略のしよーがないよーな気がするので、目についたとこだけをランダムにチョイスすると、

 芸術論になるのだろーか?で、「芸術的影響というのは、いつも精神的に似たもの同士の間から生れ、似たもの同士を生みだすという具合にゆくとは限らない」って、そーだったのか?アマノン?

 西洋美術といえばこれじゃね?でシンメトリーとアシンメトリーでは、「シンメトリーがパースペクティヴにつながるように、影はヴォリューム、それから絵画空間におけるものの位置に関する意識という問題につながってゆく」そな…

 でまぁ、ヨーロッパの伝統と浮世絵色々ちゃいまっせとゆー事で、「マネ以後ドゥガ、ロートレックらのこの種の絵はルーベンスの斜行の土台にあったあの重い重い手応えがない。むしろそれとは逆に、斜めになってゆく過程で、軽くなってゆくような感じさえあることが少なくなかった。そこにはパースペクティヴ的収斂ともいうべきものと逆のものがある」になるそな…そんな訳で、「セザンヌの絵にあるものは、そのロートレックたちとも、ルーベンスのものとも、またちがう、第三のものである」に至るらすぃ…

 そしてセザンヌへで、「ルネサンス以来のヨーロッパ近代絵画の伝統からはみ出した何らかの事態」がキタコレになったとな…「今の私たちは、セザンヌ以後の美術の展開-キュービズム、抽象絵画等々-を知っている。そうして私たちはセザンヌを、むしろ今日の眼から逆に遡って見ることに慣れてしまった」から、まず「現代絵画の先駆者」として見てね?そーすると「彼の絵に近代的幾何学的パースペクティヴとは矛盾する空間の捉え方があっても、それはちっとも不思議ではなくなる」ってどよ?かなぁ?虚心を捨てて絵に向えってか?

 そんな訳で、西洋絵画基本から見よーで、ドラクロワはティツィアーノを見ゆってか?「ティツィアーノは、由来、色彩家として最高に評価されてきたのだから、その人の中に、最大の素描家を見るというのは、十九世紀の半ばという時代を考え合わせてみれば、非常な卓見と言わねばならない。と同時に、この考え方は、ドラクロワを、デッサンというものの本質と役割について、時代を遠く超えた認識にまで導いてゆくことになる」そな…

 何とゆーか、形が先か?色が先か?それが問題だってか?になるんだろーか?うーん?まぁともかく「アカデミーの教育では、絵を描くことは、まず「デッサンする力をしっかり身につけ」、そのあとはじめて「色彩」でいろどることをはじめるのが、唯一の正統な道であるとされていた」ですしおすし…

 だがしかし、「ドラクロワはルーベンスを発見することによって、同じく絵画の構築の土台、ものの形の把握としてデッサンと言っても、二通りあること、早くから気がついた」とな…一つは「絵画構成の論理的骨組を目に見える形としたという意味でのデッサン」、も一つが「ルーベンスやティツィアーノに見られるような、絵画的・色彩的単位そのものにほかならないようなデッサン」とな…何かもー天才の系譜のよーな気がするのも気のせいか(笑)

 で、この違い、対比を視覚化したのがゴッホとな…「周知のように、ゴッホは、ドラクロワを評価し、彼を信じることにかけては、セザンヌに劣らなかった」ですしおすし…とはいえ、ゴッホのドラクロワ的な描線から、今度は日本的な描法キタコレもあると思いますってか?「ゴッホは、パリで印象派の画家たち、それから点描派の画家たちと接触するようになり、その画風からいろいろなものをとり入れたわけだが、その中のひとつに、ヴォリューム感ではなくて、輪郭をとって、より平べったい塗りをする手法があり、彼は、それを「日本的」と呼んで、深い愛着を覚えるようになったのである」って、ホンマでっかぁーっ?

 まぁそんなゴッホの日本流への流れは「西洋美術の伝統からの自由を求める戦いにほかならなかった」かららすぃ…所謂一つのアバンギャルド?でも、ドラクロワを踏まえてなんですよ、奥さん(誰?)

 そして、そんなドラクロワの描法は、「中心から描く」って事らすぃ(笑)

 ロートレックの場合、「あらゆる造型作用の重点の集約化を極度におしすすめ、画面の中央にさえ真空を作りだすのを辞さない-言葉を換えれば、西洋絵画の伝統の中堅にどっかと腰を据えていた「真空への恐怖」を克服した-ごく少数の画家の一人の請いにほかならない」ですしおすし…

 又、ロートレックは、「モデルの個性的特徴を強調して、戯画すれすれまでいった絵」じゃまいか?ですしおすし(笑)

 ゴーギャンの場合は、「自分の天才を展開してゆく上で、日本の浮世絵から深刻な影響を受けたヨーロッパ十九世紀の画家の一人である」になるらすぃ…また、ゴーギャンの絵画というものは「大半が、たしかに快活さとか快楽の上機嫌とかいったもの」から遠くね?って事らすぃ…タヒチの絵にも「ここの住人たちの上に大きくのしかかっている暗く、運命的なものの所在を感じさせずにはおかないものがある」って、そーだったのか?ゴーギャン?

 ゴーギャンは著者によれば「彼が当時のヨーロッパの-少なくともフランスで-主に身分にのし上がりつつあったブルジョア(市民)文明というものに、心の底からうんざりしていたということである」って、ホンマでっかぁーっ?

 でまぁ、ゴーギャンって何派なのか?ですけど、「ピサロが好意的に解釈してくれたため、印象派の仲間に入れてもらいはしたものの、それは決して全員の心からの同意を得たものではなく、モネたちからはむしろ強い反感をもって接した」って、パリの画壇の中の人達も色々ある模様…

 又、画家として「さまざまなものに影響を受けながら、制作を展開していった」そで、「この人は極めて独創的のようにみえて、強度に折衷的な芸術家だったと言ってもいい」になるらすぃ…で、その影響を受けたものとゆーのが「ドゥガ、モネ、セザンヌ、日本の浮世絵、ジャワの仏教芸術、太平洋の島々の民族芸術と神話、エジプトの浮彫り」と「シャヴァンヌ」とな…

 「美しいアンジェール」(@ゴーギャン)をゴッホは一目で「日本の青色版画から由来するものと見破った」そで、「日本趣味は、当時のパリでの流行だった」そな…で、ゴーギャンはとゆーと「ルネサンス以来の伝統につながりながら、日本趣味の絵をつくり出す」という「ゴーギャン芸術の「知的な操作」」キタコレらすぃ…よーするに「「頭で考えてつくった」点、これが、ゴーギャンの魅力なのである。これが彼の芸術に、鋭い知的な切れ味とポエジーとが共存する「近代芸術」としての性格を与える一つの基礎になったのである」そな…

 蛇足ですが、「ゴーギャンはこの絵を描くと、モデルにした女性に贈呈したが、彼女は受けとりを拒絶したという。あまりにも醜く描かれていて、侮辱されたと感じたらしいのである」ですから、残念っ(死語?)取り合えず、ゴーギャンは「「個人」ではなくて、「タイプ」を描いた芸術」になるらすぃ…

 でまぁ、ゴーギャンの「ジャポニズムにはドゥガの先達があった」そで、「そのドゥガの影響は、もっぱら構図に関する点である」そな…

 更に、「ゴーギャンのほうはセザンヌを高く評価し、その画風に近づこうとしたわけだが、セザンヌにはそれが気に入らなかった。ひどく気に入らなかった」のだそな…「中国風のとるに足りぬ小品を描いた男!セザンヌがゴーギャンをこー言って批判したのは、私たちがこれまでさんざん見てきた彼の特徴、つまり平べったい色の塗り方、ちがう色と色とを直接隣合わせて塗り、その間は線ではっきり輪郭をとって区別する描き方を指しているのであろう」の件は、セザンヌの並々ならぬ色への執念感じるんですが?どよ?

 尤も、「セザンヌから目の敵にされ、少なくとも話が及ぶ時はいつだって手きびしい批判の的になっていたゴーギャンのほうは、相変わらずクロワソニスムを続けるかたわら、セザンヌを尊重することをやめなかった」そな(笑)もしかして永遠の片思い?

 ピサロの場合、画家として面白いのはこの人じゃないかと思うのは気のせいか?画家って孤高の気難し屋のイメージが勝手にあったんですけど、この人は、むしろ全画家とお友達というか、親交がありますが、何かを地でいってたんじゃあるまいか?

 「ピサロは、創造的な芸術家としては珍しいくらい、他人の仕事について客観的評論を下す冷静さと、美術を技術に分析し、判断することへの好みと能力をもっていた。その上、芸術バカでなく、社会問題にも関心が深く、一時はアナーキスト運動にも深く関与していたらしい」し、他にも「教育的情熱というものを強く持ちあわせていた」お人だそな…だから子供達にもしっかり教育しますたとゆータイプとな…元祖イクメンか(笑)はともかく、このピサロを定点観測するだけで、仏の画家、画壇の流れが見えてしまいましたにならね?

 ちなみに画風ですけど、「曲がったもの、傾いたものを、いろいろに組み合わせながら、画面を幾つもの面から合成されたものとして描くやり方」は、ピサロさん家の絵ではありがちなネタらすぃ…

 そしてセザンヌへなんですが、ピサロと出会って変りますたでしょか?1872年を境のビフォーアフターきたこれでは、「画面の構成のしかたにより多くの考慮が払われるようになったこと」と「筆の遣い方に大きな変化が生れたこと」と「色が、以前にくらべて比較にならないくらい、明るくなったこと」でしょか?

 ちなみに、そんなピサロは、セザンヌ絵画素晴らしスというのを、「誰よりも早く、誰よりも私心なく、誰よりりも強力に、世間にも仲間にもはっきり言明してはばからなかった」お人ですしおすし…「一八九五年パリの画商ヴォラールが、セザンヌの作品を集めて、大展覧会を開いて、この久しくパリから忘れられ、エクサンプロヴァンスの世捨て人も同様の状況の中で、ひたすら制作三昧の生活をしていた気むずかしい人の芸術を、世に知らせることになったというのも、まず、ピサロの強力な勧誘があったからである」でして、天才は天才を知るというか、まさにピサロらしーエピじゃね?

 蛇足ですが、元々、「セザンヌが、仲間に請われて、印象派の展覧会に出品したのは、一八七四年の第一回と、一八七七年の第三回の二度だけだった」そで、第一回目の時、「展覧会全体が手きびしい批判を受けたわけだが、その中でも特に猛烈な非難攻撃の的になったのは、ドゥガでもモネでもピサロでもルノワールでも、そのほかの誰でもなくて、セザンヌだった」ってホンマでっかぁーっ?それでもーそゆのは嫌だぁーってゆーセザンヌを、なだめすかしての第三回出展にこぎつけたらすぃ…「みんなは、セザンヌのために特に目立つ良い場所を提供するよう配慮したのだった。ところが、その好意、友情も裏目に出て、総じて悪口の目立つ批評の中でも、彼に対する風当たりは格別強く、ひどかった」そな…かくてセザンヌは「以来、彼は印象派の仲間の展覧会に作品を提出するのは一切やめてしまう」んですよ、奥さん(誰?)

 蛇足の蛇足ですが、その頃、パリの小さな絵具屋のタンギー親父キタコレで、「このおやじは、金のない絵描きたちに絵具を提供する一方、その作品をひきとるということをやっていた。セザンヌもその常連の一人で、絵具代わりに作品を渡していたらしく、そのタンギーの店にゆくと、このエクスの風変りな画家の製作の幾つかを目にすることができた。これが、パリでセザンヌの絵にふれる、ほとんど唯一の機会だったらしい」って、ホンマでっかぁーっ?蛇足の蛇足の蛇足ですが、タンギーという名でピンときた人がいるかも?で、あのゴッホのタンギー爺さんの絵のモデルもこのお人なんですよ、おぞーさん(誰?)

 そんなパッとしない画家のセザンヌが一躍スポットライト来たぁーっになったのが1895年の画商ヴォラールによる個展とな…パリにセザンヌ旋風キタコレってか?

 でまぁ、セザンヌの絵画に戻るんですけど、セザンヌの絵は写実的でも写実的に非ずなお話かなぁ?こちらの詳細は本書をドゾ。風景画にしてもリンゴの絵にしても、絵の通りのリアルはありまへんえって事らすぃ…形と色彩を見よ?かなぁ?こちらの詳細は本書をドゾ。というか、セザンヌの絵を知るなら今更か?所謂「形象の単純化、根元への集約化が、何という色彩の豊かさと精気にみちた力強い豊富さと、切っても切れない関係で出てくることだろう!」じゃね?

 後、セザンヌ自身が敬愛していた絵画というのが、ティツィアーノ、ヴェロネーゼ、ティントレットって事で、「ヴェネツィア画派」好きですねんとゆー事らすぃ…色彩か?色彩なのか(笑)こちらの詳細も本書をドゾ。それから、セザンヌはプサンに「強い関心を抱いていた」そな…で、こちらの詳細も本書をドゾ。

 それと、セザンヌの絵画の見方、絵画を前にしての捉え方についての詳細は本書をドゾ。ここまでくると微に入り細に入りの世界に突入で、最早トーシロにはなるほろしか言えませーん(笑)

 又、ベラスケスとマネについての詳細も本書をドゾですが、セザンヌは「何とかしてマネのタッチを自分のものにしようとつとめたことは事実だ」なんだそな…

 かくて、ピカソはセザンヌなしに考えられないという「歴史的連続の中にあることは事実」じゃねで、「だからセザンヌはピカソを生み、ピカソはセザンヌを継承したということよりは、違う地点から出発した二人の画家が、その創造の途上のどこかで出会ったあと、また、それぞれ別の地点に向かって歩いていった」とゆー事になるらすぃ…

 まっセザンヌエピでは、彼個人のソレで、世間でも画家として認められていなかったですしおすしで、「父をはじめとする一家の人々さえ、ポールにやさしく接するのは母だけで、あとはむしろ、能なしの一人息子として扱っていたらしい」ですしおすし…そんな中、手狭なアトリエでヒッキーして描いていたのが後に傑作認定キタコレになるらすぃ…世の中って…それにしても、息子が画家を目指す時、家族で認めるのは一人までというセオリーがあるのだろーか?と素朴な疑問が(笑)

 まぁセザンヌ個人的なエピでは、1885年の出来事はかなり大きくね?になるのかも?多分、恋に落ちてあり、翌年ゾラと絶交・絶縁、17年越しの同棲相手と正式に結婚とな…こちらの詳細は本書をドゾ。

 後、仏関係のとこで、「十九世紀も八〇年代の末ともなれば、それまであんなに頑強に印象派を認めまいとがんばっていたフランス人、バリ市民たちも、それまでの冷笑、軽蔑、悪罵をもって接する態度から、彼らを受け入れようと、徐々に転換しつつあった時期に当たる。というのも、元来が印象派こそ、この十九世紀ヨーロッパ文明の先端をゆくパリ市民の生活の咲かせた、もっとも美しい花だったのだし、芸術家のほうだって、その市民文明に異議があるどころか、むしろ、それを謳歌する歌い手の側に立っていたのだから」ってホンマでっかぁーっ?そんな訳で「ルノワール、モネらの絵は、その意味でも十九世紀ヨーロッパ・ブルジョアジーの代表的芸術だった」になるのか…

 まぁそんな訳で、「印象派が官学派にとりかわって徐々に支配的位置を占めつつある」もあると思いますってか?

 尤も、本書で一番仏らしーエピでは、著者がシャトー・ノワールに向った時のエピじゃまいか?「この建物が見たくて、出かけたのだが、行った時は、街道から左に入って間もなく、大きな木が横倒しに道をふさいだ形におかれていて、タクシーは、その時を進めない」事態が勃発(笑)そしたら、タクシーの運転手が「-これはまた気さくというか、何というか-フランス人には珍しい親切な男で、私の落胆ぶりをみると、気軽に車を降りて、バリケードのかなり大きな木を両手でひきずって、のけてしまった」の件じゃね?やっぱ、仏人の親切って物凄く珍しい出来事なのか(笑)

 伊の場合は、「近代的パースペクティヴというものが、いかに、あの国の建築様式と緊密に結ばれたもの」かを知れってか(笑)「シンメトリーを根幹とした当時のイタリア建築の中に足を入れ、その中を歩きまわってみれば、その空間におかれ、その中の壁面に飾れる絵画や彫刻が、透視法に準じて描かれるようになるのは、自然の理のようにさえ感じられてくる」そな…君よ知るや南の国ってか(笑)

 後、日本的なとこでは、「十九世紀パリきっての日本美術通の一人、S・ピングがはじめて公共の場に名乗り出たのは、一八八八年のことだった。この年の秋、パリに「白と黒の美術の国際展」が開かれ、ピングはそこで日本の版画浮世絵の部門を担当し、彼の秘蔵品のなかから、粒よりの作品五十点を展示したのだった」そで、かくて「展覧会の人気を一手にさらってしまった」そな(笑)

 というのも、浮世絵の最高峰は北斎でしょー?というのが、好事家と美術商の了解時だったのが、歌麿キタコレで、一気に来たぁーって事になったらすぃ…「歌麿の名は、少なくともフランスの蒐集家たちにとって、決して色褪せる恐れのない美術品の分野に属するにいたった」ですしおすし…よーするに歌麿に開眼したとゆーか、歌麿記念日キタコレってか(笑)

 ちなみに歌麿のお披露目会になったみたいなこの展覧会には、「ゴーギャンも出かけている」って、ホンマでっかぁーっ?

 とはいえ、浮世絵というか、日本絵画についてはセザンヌみたいなお人もいる訳で…「セザンヌは、日本の浮世絵については、ゴンクールの「歌麿」も「北斎」も読んでいたという」ですしおすし…でも、「浮世絵を受けつけない、あるいは一時はその影響を受けたが、のち離れていったというヨーロッパの画家は、ほかにも大勢いたかも知れないが、セザンヌの頑強な拒絶は、非常に大きな意味がある」になるらすぃ…

 それから、北斎の浮世絵ですけど、「私たちの意表をつく北斎の大胆さは、その構図にあるのであって、運筆ではない」ですしおすし…

 豆知識的には、南仏につきものの風、ミストラルきたこれってか?「ミストラルが吹くのは南仏だけではない。スイスから南ドイツにまで及んでいて、スイスやドイツの人たちがフェーンと呼んでいるのがそれに当る」って、ホンマでっかぁーっ?もしや、日本でもよく使うフェーン現象ってここから来ているのだろか?

 も一つ豆で、リンゴとは…「元来がヨーロッパ人にとってはアダムとイヴの楽園喪失の話以来、りんごは、性愛の表現と切っても切れない関係にある」そな…なるほろ、白雪姫?

 うーん、全ての道はセザンヌに至るじゃないですけど、仏美術史的には、セザンヌを無視して通る事はできないんじゃまいか?でしょかねぇ?同時代的なものもあるし、それ以前の連綿と続いてきた美術、絵画もありますしで、つくりてとは、影響を受けて、影響を残すものなのかも?

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんセザンヌのエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。

 目次参照  目次 文化・芸術

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