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2017年11月22日 (水)

ある意味、時代の最先端?

ギュスターヴ・モロー  鹿島茂  六耀社

 サブタイトルは、絵の具で描かれたデカダン文学なんですが、どゆ人とゆーと、「美術史において、音楽史におけるワグナーと同じような位置を占めている」そな…

 それは何故かとゆーと、一、「彼らが選びとった芸術分野以外のところで計りしれぬほど大きな影響を及ぼしながら、そのジャンルの内部においては結局ついに一人の後継者も持ちえなかったということ」と、二、「その独特のスタイルも、他の芸術分野から影響を受けたもののほうがはるかに多く、そこから他の誰にも真似のできない芸術を作り出していったということ」だそで、そゆ事から、「メイン・ストリームからは外れた孤高の芸術家として扱わざるをえないこと」なんだそな…

 身内の美術関係では何ソレ?でも、他の芸術関係では神降臨って奴ですか?そーですか?って事らすぃ…何だかなぁ(笑)

 でもって世紀末デカダンス来たぁーって感じで、絵画の方も倒錯的といっていいのか?うーん…耽美といっていいのか?うーん…一種独特の世界観なのは確かのよーな気がする、トーシロから見ても(笑)

 モロー絵画のパターンは、「女が強くたくましく挑発的で、男が美しくて無力で受動的というこの倒錯は、モローの性的なオブセッションを表しているばかりではない。それは、一つの時代的兆候であった」ですしおすし…19世紀末仏、何かあったのか?うーん…

 アリス的にモロー…何かシュールレアリスム的にあると思いますかなぁ?「シュルレアリスムの総帥アンドレ・ブルトンは、十六歳のときに、ギュスターヴ・モロー美術館を訪れ、そこで、自らの文学の中心となる啓示を受けたとさえいっている」ですしおすし(笑)

 後は、こちらは准教授的になるのか?デカダン派画家キタコレで、「彼らは、モローと同じように、女を、その肉体的・精神的誘惑によって男を堕落させ、その力と情熱をむさぼり喰う存在として嫌悪したのである。ひとことでいえば、モローを頂点とする、女嫌い(ミソジニー)の系譜が世紀末の象徴的な絵画風土を覆っているのである」の件だろか?女性嫌い的に(笑)

 さて、モローのプロフィールについての詳細は本書をドゾ。とにかく、パリの画家ならばバリの画壇キタコレで、アカデミーもキタコレってか(笑)で、そゆのっていつもその手の基準がつきものじゃね?

 「一般に、アカデミー歴史画というのは、人物がまとまっている歴史的・神話的コスチュームにもかかわらず、それは常に「現代風俗の絵画」なのである」じゃまいか?ところがどっこい、モローの歴史画は、抽象絵画、幻想芸術へれっつらごなんである(笑)

 でまぁ、美術関係からダメ出しされたとゆーか、無視されたゆーか、スルーされたゆーかのモロー絵画は、1840年代生まれの文学者達とゆー新世代によって絶賛されていく事になるんですよ、奥さん(誰?)

 ちなみにモローの絵の特徴、歴史画・神話画、「女が男を誘惑している図を好んで神話や聖書に求めるという点」で、「男が無力な美青年として、「宿命の女(ファム・ファタル)」の攻撃性に身をさらすという共通性」もキタコレってか(笑)まぁ何とゆーか、殿方ってファム・ファタル、本当に好きだよなぁ(笑)

 そゆ事で、その表現において、英雄なはずの男性側が「妙に女っぽいなまめかしい肉体をしている」のに対して、「女はというと、いずれも、乳房は比較的小さめで、腹部や臀部もふくよかさに欠け、むしろ男性的といったほうがよい特徴をもっている」そで、まとめると「男も女もアンドロギュノス的なのだ」ですしおすし…って、ホンマでっかぁーっ?

 まぁ、そゆー一連の絵画キタコレになった時に、美術史的には、何じゃそらでスルーでしたけど、文学史的には、「象徴主義、デカダンス、世紀末文芸という風潮をもたらすことになる」んですよ、インスパイアぁぁぁぁぁっ(笑)

 何とゆーか、モローの凄いところか所属する美術関係からはほぼスルーなのに、文学関係からは熱烈ラブコール轟く羽目になったとこじゃなかろーか?むしろ、モローの作品は美術史で見るよりも、文学史で見る方が正統かもしらんってか?

 ちなみにユイスマンスから見たモローの絵画は、「過激化されたボードレール、即物化されたマラルメと映っているのである。この意味で、ユイスマンスのモロー理解は、きわめて文学的なものであったと理解することができる」になるんですよ、奥さん(誰?)さかしま万歳ってか(笑)

 まぁそんな訳で「一八六四年におけるモローの発見」、「当時の文学界で最先端を走っていた人たちは、ブリュッセルにいてモローを見ることのできなかったボードレールを除くと、この年のサロンによって一斉にモローに注目し始めたということである」で、文学界の時代の寵児にキタコレってか?

 でもって、「同時代の文学者の中でモローに一番近い美意識を共有していたのは、むしろ小説家のフロベールではないかと思われる」ですしおすし…そんな訳で、「フロベールは、古代へのビザンチン風の夢想を共有するモローのうちに、アンテル・エゴ(もう一人の自分)を見いだしていたのだろう」ですしおすし…

 で、これまたちなみに、祖国仏ではスルーされたモローですけど、美術的には海外から評価されてますたとゆー事になるらすぃ…「とくにドイツ語圏やベルギー、イギリスなどで大きな影響を与えたのだった」って…

 まぁともかく、モロー讃美者の究極キタコレでは、「「世紀末のプリンス」と呼ばれた最高の耽美主義者で社交界の花形だったロベール・ド・モンテスキューにとどめを刺す」そな…

 まぁ何とゆーか、文学界の盛り上がり最高潮って事だろか?サロメからオデット(失われた時を求めて)まで、モローの影響ありまんねんの世界が展開か?むしろ、モローなくしてどーしろとまでいっちゃってるかも?

 ある意味、モローとは文学界のミューズみたいなノリみたいに見えるけど、「文学者たちは、自分たちが描こうとして描きえない理想や象徴が、モローによって視覚的映像として実現されているのを見て、感動するわけだが、モローにしてみると、自分が描く絵は、文学から主題を取ったものでもなく、また文学を解釈したものでもない、ただ、純粋に絵画的な必然性から生まれたものだといいたいのである」でして、本人的には、解せぬ、これに尽きるんじゃね(笑)

 いつの時代も自分の想定しているソレと世間とのギャップは激しいってか(笑)

 そんな美術界との距離がいかんせんのモローですけど、実は「一八九二年にエリー・ドローネーのあと」をうけて「エコール・デ・ボザールの教授」となったのでごわす(笑)そんな訳で、そのアトリエから「マチス、ルオー、マルケ、カモワン、マンギャンなど、二十世紀の絵画史に名を成す画家たちが巣立っていった」そな…

 しかも「自分のエピゴーネンしか作ることのできない教授が多いなか、弟子の創造性を育てることに情熱を燃やしたモローこそは、真に偉大な教師だったのである」ですしおすし…

 何とゆーか、絵のスタイル以外は実は物凄くまともな人だったんじゃねなモローかな?

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。

 目次参照  目次 文化・芸術

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