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2017年12月21日 (木)

カルペ・デイエム?

仕事に効く教養としての「世界史」Ⅱ  出口治明  祥伝社

 サブタイトルは、戦争と宗教と、そして21世紀はどこへ向かうのか?なんですが、前回に引き続き、世界史パネェそれに尽きるよな?そんな訳で、四の五と言わず、本書をドゾ。それしか言えねぇ…

 恒例の目次に逃げてみよーで、はじめに 人間にとって教材は過去にしかない、第1章 激動の16世紀。世界史の流れはここから変わった-カール五世、新大陸への到達、宗教改革・歴史学に変革をもたらした2人の学者・ハプスブルク家の台頭・スペイン王、ドイツ王・神聖ローマ皇帝となったカール五世・フランス王フランソワ一世との対立・純粋なキリスト教国を目指したスペインと、実利重視のオスマン朝・ルターをめぐる宗教闘争・スペインの失政を挽回できなかったカール五世・アウグスブルクの宗教和議と破産の晩年・社長だったら失格だったカール五世・コラム ドイツにおける支配者の呼称について・第2章 イスラム世界が歩んできた道-21世紀のテロ問題を冷静に見つめるために・IS(自称イスラム国)のこと・ムハンマドの生涯とイスラム世界の形成・イスラム帝国はなせ急速に拡大したか・イスラム教が地中海の南半分を征服して、一神教革命が成立した・ギリシャ・ローマの古典を残したのは、ペルシャ人とアラブ人たちだった・ヨーロッパ世界とイスラム世界の相互関係・イスラム世界の派閥と、さまざまな王朝の興亡・ヨーロッパ列強の前に敗れた3つのアジアの大国、中国とオスマン朝とムガール朝・コラム シリアは治めにくい国であるという話・第3章 豊かなインド-なぜ始皇帝もカエサルも登場しなかったか・この国の独特な地形-巨大な陸の孤島・インダス文明の中心地・インダス文明が滅んだ後にアーリア人がやってきた・アレクサンドロスの来襲がインドをひとつにした・インド亜大陸を始めて統一した大国、マウリヤ朝・大乗仏教と仏像は、クシャーナ朝時代に生まれた・クシャーナ朝と同時代、インド南部ではサータヴァーハナ朝が東西交易に勤しんでいた・クシャーナ朝崩壊の約100年後に現れたのはインド古典文化の黄金期を生んだグプタ朝・グプタ朝のあと7世紀にヴァルダナ朝が登場・11世紀まで続く北インドの群雄割拠「ラージプート時代」・ガズナ朝の英雄マフムードの時代・デカン高原に首都を建設したイスラムの君主・ムガール朝の興隆と滅亡・インドになぜ統一国家ができなかったか・コラム アーリア人という言葉・第4章 エジプトはいつも誰かに狙われていた-「世界の穀倉」をめぐる支配の歴史・「エジプトはナイルのたまもの」・古代エジプト王国・新王国が滅亡すると、異民族の支配下へ・エジプトを支配した君主と王朝の系譜・エジプトのマムルーク朝が250年も続いた最大の理由は砂糖だった・ナポレオンが大勢の学者を連れてエジプトに進攻してきた・エジプトの近代化を進めたムハンマド・アリーはひとつの時代をつくったが…・第5章 日本文化に大きな影響を残した唐宋革命-平和はどのように築かれたか・派手さはないが重要な意味を持っている宋の時代・大帝国唐はどのように滅びていったか・五代十国時代に中国の古代王朝の残影が消えていった・宋の基盤は2人の兄弟が固め、澶淵システムが長い平和へと導いた・さまざまな変化を生んだ唐宋革命・宋の寿命を延ばした王安石の政治改革・王安石の新法と司馬光の旧法の対立・風流天子徽宗の失政と靖康の変・秦檜と岳飛の対立、南宋の終焉・第6章 ルネサンスは神の手から人間を取り戻す運動だった-里帰りの3つのルートとメディチ家・なぜルネサンスを取り上げるのか・古典・古代の文化は、どのように一神教革命の時代に継承されてきたか・[1] 3大大学-アカデメイア、ムセイオン、ジュンディー・シャーブール・[2] マアムーンがバグダードに建てた「知恵の館」・[3] 古典・古代の文化が500年振りに帰ってきて、12世紀ルネサンスが始まった・リベラルアーツの復活・シチリア経由で帰ってきた古典・古代の文化とユマニスト・神の手から人間を救い出したロレンツォ・ヴァッラ・クアトロチェント、イタリアルネサンスの盛期・[1] メディチ家はいかにして台頭してきたか・[2] メディチ家が開花させたフィレンツェのルネサンス・[3] ヴェネツィアのルネサンス・[4] ローマのルネサンスとメディチ家・[5] メディチ家がもう一度フィレンツェにルネサンスを興す・[6] ルネサンスの名著「君主論」はいかにして生まれたか・[7] 北方ルネサンスとヨーロッパへの広がり・ハムレット、ドン・キホーテ、ドン・ファンの3人が登場してルネサンスが完成したのではないか・コラム キリスト教徒の銀行家とパトロンの誕生・第7章 知られざるラテン・アメリカの歴史-スペインの支配、独立運動、キューバ危機・この章の最初に・縦に長いアメリカ大陸では文明間の交流が難しかった・メキシコのアステカ帝国とアンデスのインカ帝国がスペインに滅ぼされるまで・スペインの非情な銀山経営・ガレオン船貿易とペルーの日本人たち・スペイン継承戦争が南アメリカにも飛火して、カリブ海の海賊が登場した・イングランドの三角貿易と新大陸でのスペイン人人口の増加・アメリカ大陸での独立運動の展開・メキシコを率いた2人-軍人政治家サンタ・アナと先住民出身のベニート・フィレス・ナポレオン三世の傀儡政権と戦ったメキシコ建国の父・モンロー宣言とアメリカ各国の独立運動との関係・大国ブラジル、パラグアイとウルグアイ。そして太平洋戦争とピノチェトの汚点・アルゼンチンのペロニスタ・アメリカ合衆国とパナマ運河。キューバ革命とキューバ危機・この章の最後に・第8章 母なる大地アフリカの数奇な運命-暗転していく歴史と奴隷貿易・ヴェーゲナーの大陸移動説・大地は寄せ鍋の灰汁のようなもの・古代から中世、すでにサブサハラに文明が芽生えていた・暗転していくアフリカの歴史と奴隷貿易の仕組み・南アフリカをイングランドが勝ち取るまで・アフリカ植民地支配にインド人を投入した大英帝国・19世紀後半からヨーロッパ列強は、バターを切り取るようにアフリカを切り取った・アフリカ独立へ-冷戦、バンドン会議、ガーナ独立・なかなか自力でテイクオフできないアフリカの事情・アフリカは必ずもう一度飛び立つ・第9章 ドイツを統一したプロイセンと第一次世界大戦-フランク王国からヒトラー登場まで・プロイセンはどのようにして歴史に登場してきたか・ドイツ王国の東端ブランデンブルク地方にブランデンブルク辺境伯が生まれた・プロイセンに目をつけたドイツ騎士団・ドイツ騎士団はなぜプロイセン公国となったのか・プロイセン王国が成立するまで・プロイセン王フリードリヒ二世とオーストリア女王マリア・テレジアの闘争・ナポレオンによって目覚めたプロイセンは関税同盟を結成・ドイツ統一をめぐる大ドイツ主義と小ドイツ主義の対立・プロイセン王国がドイツ帝国になるまで・ビスマルク外交によってフランスは封じ込められたが・ドイツ帝国第三代皇帝ヴィルヘルム二世の政治・三国同盟と三国協商の対立が先鋭化。その原因はドイツの躍進にあった・シュリーフェン・プランというドイツの仮想作戦・第一次世界大戦の始まりからドイツの敗戦まで・ヒトラー登場と第二次世界大戦は、第一次世界大戦の終結時から始まっていた・歴史をゆがみなく総括するということ・コラム ハーメルンの笛吹き男の伝説が生まれた理由・第10章 21世紀の世界はどこへ向かうのか-超大国アメリカと世界の国々・20世紀をもう一度振り返ってみると・アメリカの軍事力に対抗できる国は、現在のところ存在しない・中国が抱える問題・「IS」のような集団が形成されるのを防ぐには何をすればいいか・21世紀の日本は何に左右されるのだろうか・21世紀の世界で注目したい国々とEUの明日・いつの世も人は逃げ出せる自由が欲しい、いつの世もそっくりな時代は存在しない・世界は良くなっている、なんですが…

 まっ丸めると歴史って、「自由にお金儲けができなくなった大商人や特権階級の人々の、恨み、つらみの声」と、「こういう人々の声に弱いのが、いつの時代も政府という代物」の犠牲になったパンピーの、パナマ白書ってか(笑)

 アリス的には、やはり国名シリーズか?で、ブラジル蝶いってみよーってか?何とゆーか、世界史で、中南米ってどよ?と言われるとどよ?なんですが、どよ?本書も一章丸々ラテン・アメリカの歴史について語られているのですが、こちらも最初から最後まで、目が点の世界が展開している模様でして…いやぁ中南米って、激動の歴史じゃまいか?ジャマイカ?

 とゆー訳で、まずはメキシコ周辺、時はBC1200年頃、メキシコ湾側にオメルカ文化キタコレってか…メキシコ中央高原地帯にテオティワカン文明(BC2世紀~AD7世紀)もキタコレらすぃ…更にユカタン半島にはマヤ文明も同じ頃にキタコレとな…そして1325年、メキシコ中央高原のテスココ湖の小島に首都テノチティトランでけたで、アステカ文明来たぁーってか…そゆ事で、「1400年代になると、三都市同盟を結び大国化(アステカ帝国)への道を歩み始めます」そな…

 一方、ペルー周辺はとゆーと、「アンデス山脈の高原地帯」の「アンデス全域」にチャビン文化キタコレなんですが、BC200年頃に滅亡。その後「地上絵で有名なナスカ文化(南海岸、紀元前後~600頃)」、「北海岸のモチュ文化(100~700頃)」、「アンデス全域のワリ文化(800~1000頃)」、「北海岸のチムー王国(1000頃~1470年頃)」の流れらすぃ…そしてこのチムー王国を滅ぼしたのがインカとな…「インカは現在のコロンビア南部からチリまで、南北4000kmにわたって、言語の異なる諸民族を支配し、大帝国として発展します」そで…

 そして、「アステカ帝国とインカ帝国が、共に全盛期を迎え初めて、ほぼ100年後の1482年、コロンがバハマ諸島に到着しました」とな…米大陸第二章突入ってか?まぁともかく「コロン(コロンブス)交換」キタコレになった模様…そして「病原菌」と「エンコミエンダ制」もキタコレってか…

 かくて、「アステカ帝国は征服者コルテスによって1521年に、インカ帝国はピサロによって1533年に、それぞれ滅ぼされました」とな…

 そして、テノチティトランを廃墟にし、その上にメキシコシティを建設したと…また1536年、西はブエノスアイレスも建設すると…かくて1542年にメキシコ副王領(メキシコシティ)、ペルー副王領(リマ)に副王を置いて統治する事になったとな…

 メキシコでは、1546年サカテカスで銀山発見あったりして…

 さて、1808年、西と葡がナポレオンの属国になった結果、南米の独立の烽火が上がるってか?1810年、ドロレス(メキシコ)で、「ドロレスの叫び」キタコレとな…結果、首謀者の司祭「イダルゴの蜂起は失敗し、彼は銃殺されますが、この事件によってメキシコの独立運動に火がつきました」となる訳で…

 1820年リエゴ革命キタコレ、1821年「富と権力を握るクリオーリョたちが反自由主義の立場」から独立宣言キタコレで「アグスティン・デ・イトゥルビデという保守的な軍人が皇帝になって、メキシコ第一帝政」来たぁーっですけど一年で失脚…共和制となり「1824年に憲法を制定」したとな…そんな訳で、メキシコ統治下にあったグアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル、ニカラグア、コスタリカなどの中央アメリカ諸国が分離したとな…

 そんなメキシコは1833-55年までサンタ・アナ大統領で行こーでしたけど、「1824年憲法を廃止して中央集権化」キタコレで、これに反発してテキサス州独立宣言キタコレで「テキサス独立戦争(1835-36)」来たぁーってか…ちなみにテキサスは独立するけど、1845年にはアメリカ領になりましたが、何か?でアメリカ・メキシコ戦争(1846-48)勃発…これにてカリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコも米へ…

 かくてベニート・ファレスが法相になりますたとゆー事に…「軍人や僧侶の特権廃止法を提出し、ローマ教皇ピウス九世に破門」されると…更に「リベラル派は1857年に、ローマ教会の特権を認めず信教の自由を保証した1857年憲法を制定」したそで、保守とリベラルの内戦「レフォルマ(改革)戦争」キタコレってか…米の支援を受けたリベラル勝利で「1861年、ファレスは大統領に選ばれます」とな…

 そして、ファレスは国内経済立て直しの為に国債の利息支配2年間の停止を決行するんですが、債権国の英、仏、西は「共同でメキシコ出兵を決議して恫喝します」(1861年10月)とな…この結果、英と西は引き取ったが、仏は居残るとな…時は南北戦争真っただ中、米が動けないなら仏がのさばってもいいじゃないってか(笑)これに、「メキシコ国内の保守派も呼応」何事も「自分たちの利権に有利」な方をつくのがセレブの嗜みってか(笑)

 かくて、「ナポレオン三世は、積極的に増兵」し「ファレスを武力で追放して、メキシコ皇帝を擁立」(第二帝政、1864-67)来たぁーってか(笑)そのメキシコ皇帝にはハプスブルクの、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ一世の弟、マクシミリアンがついたとな…

 米も帰ってきて、地元民含めて大抗議キタコレで、フランス軍は撤兵、マクシミリアンは「1867年に銃殺されました」ですしおすし…再び、ファレスが大統領に就任するけど、72年に心臓発作でお亡くなりに…その後、「ファレスの下で活躍していた将軍ディアスが1876年にクーデターを起こして、政権を奪取すると、1911年までメキシコを独裁的に支配します」とな…

 そんな訳で詳細は本書をドゾですが、メキシコ革命(1910-20)、1917年憲法キタコレ…ついでカルデナス大統領(在任1934-40)と「彼の育てた制度的革命党が2000年まで一党支配を続け、今日でも勢力を保っています」って…墨の政治史もパネェ…

 ペルーでは、1545年ポトシで銀山発見キタコレ。ただし「アンデス山中の海抜4000メートル」地点にありますが、何か?状態でしたが…そんな高地で重労働をすれば、それは原住民が激減するのもある意味当たり前でしょか?しかも「スペイン人は先住民のインディオたちに、コカの葉を噛ませました」ですしおすし…麻薬というドーピングきたこれか…

 1569年、ペルー副王にトレド就任。合理的な「搾取システムを導入」「完璧な労働徴発体制をつくりあげました」とな…

 そんな「酷使と虐待」と、病原菌によって、原住民は「少なく見積もって4分の3、中には90%が死滅したという説もあるぐらいです」までキタコレってか…

 さて、スペイン継承戦争によって、仏(ブルボン家)は、西の南米支配を手に入れたとな…かくてペルー副王領は3分割され、ブルボン改革(1714年)来たぁーっですけど、焼石に水ってか?西の暴政甘くないって事で、「1780年、ペルーのクスコ地方で大規模なインディオの叛乱」キタコレってか…

 さて、ブラジルはとゆーと、印のサトウキビ移植で砂糖製造、「現在のブラジリアに近いミナス・ジェライス州に金鉱が発見」で「ブラジルの砂糖の時代は1549年から1640年、金の時代が1693年から1750年といわれています」がキタコレで葡ウハウハやんってか?

 ナポレオンによる余波は、1808年、葡にナポレオンが進軍すると英によるポルトガル王室のブラジル退避キタコレってか…ナポレオンの弟の支配下になるが、彼の失脚によって、1821年王室は再びリスボン帰還となると…ただし、王太子のドン・ペドロはブラジルに残しましたが、何か?ってか(笑)そして、1822年、ブラジル帝国樹立、本国からの独立宣言キタコレとなるらすぃ…

 1889年、「クーデター(共和制革命)によって共和国に移行したブラジルは、その後、大珈琲農園主たちによる寡頭政治の時代に入ります」でしたが、世界恐慌キタコレで1930年代、ヴァルガスのクーデターによって政権交代でヴァルガス時代キタコレってか…1964年から軍政下キタコレでしたが、1985年に民政に移管されたとな…

 さて、アルゼンチンはとゆーと、「ブエノスアイレスを中心に独立を目指す勢力が強く、ラプラタ連合州として自立宣言」キタコレですけど、当然「ペルーに本拠地を置くスペインの硬軟両戦術による、独立運動を切り崩す行動には激しいものがありました」ですしおすし…とはいえ、1816年アルゼンチン独立宣言キタコレってか…

 かくて、ペルー(西)とアルゼンチンの国境付近(ボリビア)での闘争状態に突入したとな…アルト・ペルー(高地ペルー)のスペインの本拠地を叩くことが、アルゼンチンの真の独立に直結することはみんなが知っていましたが、アンデス山脈が邪魔をしていました」とな…

 そんな訳で詳細は本書をドゾですが、独立運動の頭目、サン=マルティンは1817年にサンチャゴ入り、1818年チリ独立。1821年リマ(ペルー)に入り、この年にペルー独立。ただし「リマを含む海岸地帯」のみ、「この独立国をペルー第一共和国」と呼ぶそな…

 そして現地では、「クリオーリョの既得権を認めないサン=マルティンに対する支配層の反対は根強く」サン=マルティン苦境ってか…

 さて、アルゼンチンに戻ると、「19世紀半ばから国家を統一して安定させ」、「20世紀初頭にはGDPにおいて、世界の五指に入る大国に成長しました」とな…とはいえ、国の内情は一部のセレブと大多数の「貧しい労働者」ですしおすしで中間層いませんか、何か?状態展開中ってか(笑)

 かくて1929年の世界恐慌で大打撃、1930年、軍事クーデターきたこれで一挙に政情不安へゴーってか…そしてフアン・ペロンによるペロニスモ(ペロン主義)キタコレですけど、「ペロンの政権はポピュリズム(大衆迎合主義)の最たるもので、経済も国政も好転しませんでした」とな…

 そして1955年軍事クーデターでペロン亡命に至ると…1973年ペロン帰国、大統領就任、1年後に死去で、後妻のイザベルが後を継ぐけど、指導力なしで、1976年に軍事クーデターリターンってか…もしかして軍事クーデターはアルゼンチンの伝統芸能なんだろか?それはともかく、1983年に民政に移管して、現在も「ペロニスタの力を衰えず」なんだそな…ペロニズムもお家芸とか?

 一方、チリは、「1833年にポルターレスが憲法を制定して国政を安定」させたとな…さて、チリ北部のアタカマ砂漠は、「以前は一部ボリビアの領土」だったそな…そこに渡り鳥の糞による大硝石床キタコレってか(笑)

 「この硝石床を採掘するチリとイングランドの企業にボリビアが多額の課税をしたことで、1879年、チリはペルー、ボリビア両国に宣戦布告」来たぁーっ…現地でこれは「太平洋戦争」と呼ばれているそな…かくて負けたボリビアは海なし国に…

 民主化の国チリでは、「世界恐慌後の1932年に百日社会主義共和国が成立するなど、人民戦線の勢力」キタコレ状態だったらすぃ…そんな訳で1970年で「人民連合のアジェンデ大統領」の当選来たぁーっで「世界初の民主的選挙によって成立した社会主義政権」なんだそな…

 ところがどっこい「西半球に第二のキューバが生まれることを恐れたアメリカがピノチェト将軍の軍事クーデターを支援し、1973年にアジェンデ政権」が倒れ、「ピノチェト時代が1990年まで」続くとな…その軍政がどんなに苛酷だったかの詳細は本書をドゾ。さすが米の正義半端ない(笑)「1990年の民政移管」キタコレで、こちらの詳細も本書をドゾ。

 さて、ベネズエラにはシモン・ボリバルがいるの世界が展開していた模様…ですが、ベネズエラの独立運動も難産につぐ難産ってか?1811年ベネズエラ独立宣言、1813年ベネズエラ第二共和国独立宣言、1817年ベネズエラ第三共和国独立宣言…詳細は本書をドゾですけど、ボリバルは「戦いに敗れるたびに、ジャマイカやハイチに亡命し、再起を図ります。ハイチはボリバルを助けました」って、昔のハイチってそゆ国だったのか?

 まぁともかく、1819年ボリバルはボゴタ(コロンビア)制圧しますたってか…ボリバルによる大コロンビア(ベネズエラ、コロンビア、パナマ、エクアドル)、「コロンビア共和国」はじめましたとな…

 その勢いで南下、「キトを落とし、エクアドルの港町グアヤキルに進駐してきたのは、1822年7月」、そして「7月26日、運命のグアヤキル会談」、ボリバルとサン=マルティンの会談ですよ、奥さん(誰?)とはいえ、意見の一致をみず、破談…二人の英雄の一致を見なかった事は中南米的には、天は我々を見捨てたかぁーっなノリだよなぁ…まぁそんな訳なのか、失意のサン=マルティンは結果的に退場(仏へ)する事になると…

 ボリバルの方はボリビア建国(1825年)したそーですが、「ボリバルは1826年に、パナマで国際会議を開催し、南北アメリカ諸国の旧大陸に対する共同防衛組織の結成を提案しましたが、不調に終わっています」ですしおすし…

 だいたいからして、「1827年から1830年に至る間にベネズエラ、コロンビア、パナマ、エクアドルが、すべて独立してしまいました」だし、ボリバルの死後「彼の部下であった多くの将軍は、解放戦争で得た名声を利用して各国の支配層に成り上がっていきました」で、結局、独立はしたけれど支配層の入れ替えで終わったのだろーか?中南米ってか?トップがどんなに義の為に戦っても、下につく人達は欲に忠実だというのは、洋の東西問わない訳で…

 ボリバルの詳細も本書をドゾなんですが、そんなボリバルについて一つだけ、「アメリカ合衆国は自由に名において、アメリカ大陸を災難だらけにしようとしているように見える」と言ったそな…けだし名言とはこれに尽きるよな気がするのは気のせいか(笑)

 さて、パラグアイですけど、「16世紀にはスペインのイエズス会の大規模な伝道区が建設」されたとな…「それ以降、イエズス会の修道士が大きな権限を持つようになりました」そで…イエズス会士達はインディオ達を擁護した為に、「1768年、スペイン王室の決定によりイエズス会は追放されました(1773年、ローマ教皇クレメンス十四世はイエズス会を禁止。しかしロシアのエカチェリーナ二世は教皇の決定を拒否。1814年、教皇ピウス七世によってイエズス会の復権が許可されました。現在のローマ教皇フランシスコは、史上初のイエズス会出身の教皇です)」って、そーだったのか?上智(笑)

 そんなイエズス会と因縁浅からぬパラグアイですが、1811年、南米で最初に独立宣言キタコレ、1814-40年まで、フランシア独裁政権で鎖国政策キタコレ、その後フランシアの甥のカルロス・ロペスが初代大統領 就任、更にその後長男のソラーノ・ロペスに…そこで三国同盟戦争(ウルグアイ・アルゼンチン・ブラジル対パラグアイ。1864-70)で人口1/2、国土1/4を失うとな…更にボリビアとチャコ戦争(1932-38)キタコレで「その後も政情不安と経済不況は長く尾を引き、今日に至っています」って、ホンマでっかぁーっ?

 ウルグアイはとゆーと、1516年にスペイン人が探検し、スペイン領になりましたそーですが、放置プレイしていたら、葡が「コロニア・デル・サクラメントを商業都市として建設し、交易の利潤をあげました(1680)」とな…1814年独立しよーとしたら、アルゼンチンとブラジルの介入と、連邦制か中央集権国家かで長き紛争へ、更にアルゼンチン・ブラジル戦争(1825-28)キタコレってか…

 それを英と仏の仲介で、「バンダ・オリエンタルが独立国となり、ウルグアイとして独立」(1828年)とな…よーするに「この国はブラジルとアルゼンチンの緩衝地帯として、独立したのです」って…ホンマでっかぁーっ?

 キューバはとゆーと、元は西領でしたが、1868年以来キューバの独立運動キタコレ状態に突入…1898年、支配権を巡って「スペイン・アメリカ・キューバ戦争」勃発、1902年、キューバは米の保護国のような形で独立…キューバでは植民地状態に反対運動キタコレで、1959年「カストロとゲバラが、時のバティスタ政権を打倒し、キューバ革命を成功」させたとな…「社会主義国としてソ連圏に入り、アメリカは1961年に国交を断絶」、更に「ビッグス湾事件」も勃発…そして1962年、キューバ危機も起こると…そーだったのか?南沙諸島(笑)半世紀前の米は米してたんだなぁ…それはともかく、2015年7月、米との国交回復しますたとな…

 後は、カリブの海賊について、あれってスペイン継承戦争の余波だったのか?戦争終って英で軍縮したら、軍人がリストラいぱーいで、その人達が何になったか?とゆーとバッカニア、海賊でござるってか…ちなみに英自身はこの戦争で、西のジブラルタルや北米のハドソン湾地方など獲得し「アメリカ大陸のスペイン植民地への奴隷供給圏(アフリカの黒人奴隷を新大陸へ輸送して販売する権利)」も得たとな…

 かくて、英と蘭の三角貿易が大成功っ自国の雑貨(工業製品)をアフリカで奴隷に変えて、それを米で砂糖とラム酒に変えて自国へ」という…これで「経済は成長」ウハウハやーんって事になったとな…

 後、パナマ運河も忘れてはいけないってか…「スエズ運河の建設者であったフランス人のレセップスが開削を始めた」けど失敗。その後を米が、「パナマ共和国をコロンビアから独立させてパナマ運河条約(1903)ほ結び、アメリカの事業として開削し、1914年に開通させました」そな…これによって米の国益キタコレについての詳細は本書をドゾ。

 さて、大航海時代、中南米を制覇した西ですが、「1521年にマゼランが太平洋を横断して、フィリピンに到達しました。スペインは、メキシコから兵を送って、1571年からマニラを根拠地にしてフィリピンの植民地化に着手します」そな…そしてフィリピン産のチーク材をみつけたで、「船舶用材として最適」じゃまいかで、「ガレオン船の大船団」でけたぁーってか…かくて、メキシコの銀をアカプルコに運び、ガレオン船でマニラに着くと、その銀で、中国のお茶・絹・陶磁器を購入し、中南米に戻るという交易キタコレってか…

 蛇足ですけど、この頃の日本人ってパネェというか、商人がパネェのか?何と、その取引に一枚噛もーじゃまいか?じゃないけど、当時、ペルー副王領のリマに日本人が20名程住んでいたんじゃねって事らすぃ…あの頃、銀を求めてかは知らねども、既に日本人が南米に住んでいたとこが何だかなぁ(笑)

 というのが大まかな中南米の歴史の流れだろか?詳細は本書をドゾですが、一つだけ「コロン交換により先住民がほとんど死滅してしまったこと」だけでも、何だかなぁ…中南米史半端ないです…

 そして半端ないでも凄いと思うが、これまた全然知らなかったぁーっで、アフリカ史も見てみよーじゃまいか?ってか?所謂、サハラ以南、サブサハラとは一体?でございます…

 BC10世紀後半、「エジプト新王国の影響を受けてナイル川上流のスーダンのナパタあたりにクシュ王国」キタコレってか…「全盛期には(BC8世紀)、エジプトを制圧し、エジプト全域を100年近く支配しました(第25王朝)」そな…

 「アッシリアの侵攻によってエジプトを追われたクシュ王国は、首都をナパタからさらに上流のメロエに」移転。「メロエのクシュ王国は4世紀半ば、アクスム王国によって」滅亡…

 そのアクスム王国は、紀元1世紀前後、「現在のエチオピアとエリトリア、そしてジブチを勢力圏」にして建国、10世紀中頃にイスラム勢力によって滅亡したとな…その後、ザグヴェ朝キタコレなんですが、1270年、「現在のエチオピアの地にソロモン朝」キタコレとな…こちらの詳細は本書をドゾ。「ケプラ・ナガスト」パネェというか、ソロモン王とシバの女王伝説パネェと言うべきか(笑)

 一方、東アフリカ西南部の内陸地にはグレート・ジンバブエ王国キタコレってか…15世紀にはモノモタパ王国キタコレで、それもポルトガルの侵入で瓦解したそな…

 さて、西アフリカ、ニジェール川領域では8世紀頃、ガーナ王国キタコレってか…砂金によって11世紀頃には大国に…その金はエジプトに、更に伊にと流れていったとな…このガーナ王国も、1076年「モロッコから南下してきたムラービト朝に滅ぼされました」とな…

 ムラービト朝とは、11世紀にサハラ西部のベルベル人がメッカ巡礼の帰途、カイラワーンでスーフィー(イスラム神秘主義)に出会ったとな…それを伴って帰郷したけど、地元の村では受け入れられなかったので、「スーフィーとともに西アフリカのセネガル川の川中島に城塞を築くと、そこに住むようになりました」とな…そこに住む人達をムラービトゥーンと呼ぶようにもなったと…そして勢力拡大したムラービトゥーンは、「アトラス山脈にあった重要な隊商都市シジルマサを制圧」したそな…さらにモロッコ全域に勢力拡大展開すると…

 そして、アブー・バクル・イブン・ウマルの代に、モロッコを従弟のユースフに委ね、自身は南下、苦節15年、ガーナ王国を滅ぼしたとな…ちなみに、ユースフはモロッコを制圧し、マラケシュを首都としたとな…さらにタンジールを落としてイベリア半島の大半も支配下におくと…

 アブー・バクル・イブン・ウマルの方は1087年に「貢納をとっていたサラコレ族の叛乱の鎮圧」に向かい死亡したそな…その後のニジェール川流域には、1230年代に「スンジャータ王がマリ帝国を建国」したそで、1324年にこの国のマンザ・ムーサがメッカ巡礼で豪遊して、「マリ帝国の交易都市トンプクトゥの「黄金伝説」」が生まれたとな(笑)そのマリ帝国は、「15世紀後半に、トンプクトゥの東にあるガオを都にして建国されたソンガイ帝国(1464-1590)に滅ぼされました」とな…

 また、「西海岸ギニア湾から少し南下したコンゴ川流域には、14世紀の末にコンゴ王国が誕生」し、「この国はポルトガルの奴隷貿易の中心地となり、16世紀の後半にはポルトガルの属国」となったとな…

 一方、東アフリカ海岸の小島にある都市ザンジバルに、1107年シラツィ・モスクが建設されたとか、この当時、「アフリカの東海岸のモガディシュ、マリンディ、モンバサ、キルワなどの港湾都市には、イスラム文化が深く浸透していました」そな…11世紀から12世紀はイスラム化の時代という事になるらすぃ…

 南アの場合は、まず蘭の東インド会社キタコレってかで1652年、ケープタウン建設しますたとな…これによって蘭は、「インド洋交易の主導権を握りました」になった模様…ナポレオン戦争によって、ケープタウンが仏領になる事を恐れた英は、ケープタウンを占領(1795年)したと…尤も1803年、ナポレオン戦争の力学で、英は蘭にケープタウンを返還、しかし1806年、ケープタウン周辺を奪還すると…しかもウィーン会議のお墨付きになりましたとな…

 そして1835年、現地のボーア人達はケープタウンを捨て、グレートトレックでゴーノースってか…そんな奥地でズールー人との血の川の戦い(1838年)もありで、ボーア人によるオレンジ自由国とトランスヴァール共和国がでけたとな…

 一方、英の方は、ケープタウン近辺の領土拡大って事で、「ズールー王国と衝突し、これを滅ぼしました」(1879年)って…1885年にはトランスヴァール共和国で金鉱発見って事で、1899-1902年までオレンジ自由国も含めて大戦争ってか…でまぁセシル・ローズが「ケープ植民地首相」となり、「アパルトヘイトの原型となるような法律を制定しています」ですしおすし…

 そして負けたオレンジ自由国とトランスヴァール共和国は、1910年「南アフリカ連邦の自治領となりました」とな…

 さて、南アを手にいれた英ですが、人手不足は否めないとゆー事で、そーだ印人を使おうで、南アに印人がやってきたになった模様…で、その中にあの「ガンディーは1893年から1914年まで、弁護士として南アフリカの地でインド人の人権擁護のために活動しました」になる訳で、歴史は巡るってか…

 ポルトガルとアフリカでは、トンプクトゥの黄金伝説が欧州を席巻ってか(笑)そんな訳で葡のエンリケ航海王子が海路でアフリカへの原動力になった模様…「彼はマディラ諸島に始まって、アゾレス諸島を征服し、ついにダカールにあるヴェルデ岬にまで到達」(1445年)、更に1488年、パルトロメウ・ディアスがアフリカの南端、喜望峰キタコレで、1497年にリスボン出港したヴァスコ・ダ・ガマは喜望峰経由で印のカリカットへ到達したのが1498年、アルプルケが、1506-11年にかけて「紅海の入り口のスコトラ島、ペルシャ湾の入り口のホルムズ島を占領し、インドのゴアとマラッカをも占領してインド洋の制海権を確保した」そな…ポルトガル艦隊が「現地グラジャート政府・マムルーク朝・オスマン朝の連合艦隊を撃破したディーウ沖の海戦は、1509年」の事だそな…こうして大航海時代の航路が開けたってか?

 そゆ訳でアフリカにポルトガル人がやってきたなんですが、当時の「アフリカの西海岸地域では、黒人部族国家が互いに勢力争いを繰り広げ、勝った部族は負けた部族の男たちを、奴隷のような形で労働に使役していました」そな…そして「ポルトガルは、この黒人たちを交易商品として購入し、新大陸に販売するようになりました」とな…

 「15世紀末から16世紀前半にかけて、このような形で黒人奴隷を新大陸へ販売する貿易が始まりました」とな…そして「1580年からおよそ60年間、同君連合の形でスペインの支配下に入ったため、奴隷貿易はスペイン自らが行うようになります」そで…

 この奴隷貿易の中心地が、西アフリカのニジェール川流域から、ギニア海岸を経てコンゴ川流域なんだそな…そんな訳で、ソンガイ帝国(ガオ帝国)は「奴隷貿易によって栄えました」になる訳で…そーして戦争捕虜の奴隷達だけでは供給不足になり、「ガオ帝国の役人が人買いになって、アフリカの奥地に行き純朴な青年たちを誘うようになりました」とな…こーしてガオ帝国ぼろ儲けとなった模様…でもそれって長期的に見れば自国の労働者不足になるんじゃね?は、でもそんなの関係ねぇー(死語?)だったらすぃ…「いま、自分が支配している時期が豊かであればそれでいい」ですしおすし、「これはいつの時代の支配者にも見られることですが」もまさに今でしょ(死語?)じゃね(笑)

 この「奴隷貿易は、スペインの独占」ですしおすしで、英も蘭も仏も割り込めなかったらすぃ…ところがスペイン継承戦争のおかげで、「奴隷貿易の主役は、イングランド、ネーデルランドやフランスに移ります」なんですよ、奥さん(誰?)そして、アフリカ側の仲介人となった国は、「ガオ帝国の他、アシャンティ王国(現在のガーナ)、ダホメ王国(現在のペナン海岸部)、ベニン王国(現在のナイジェリアの海岸部)、コンゴ王国など」なんだそな…ちなみに「リヴィングストンの建策によりザンジバルの奴隷市場が閉鎖されたのは1871年のこと」とな…ついでに言うと最後まで奴隷制粘ったのが「1883年、スペインが最後にスペイン植民地での奴隷制度を廃止しました」になるらすぃ…葡で始まって西で終わる、イベリア半島ってパネェ…

 また、奴隷貿易だけでなく、「1887年にイタリアがエリトリアに持ち込んだ牛疫ウイルスが10年でアフリカ全域に拡がり、ウシが全滅しました」ってホンマでっかぁーっ?でもそのせーで「野生動物の楽園(今日の国立公園や国立動物保護区)が蘇ったのです」って、そーだったのか?シー〇ェパード?

 というのがだいたい19世紀位までのアフリカの流れで、それから以後は、欧州の草刈り場としてのアフリカきたこれになるのか…

 まず英の場合、1875年、エジプト、英にスエズ運河の株式売却。その後財政破綻、よって、英の「事実上の保護国」(1882年)へ。1899年、スーダン制圧。1885年にケニアを植民地化。ザンビアも獲得。

 仏では、1659年、西アフリカのセネガル川河口に植民都市サン・ルイを建設。1895年、フランス領西アフリカ(モーリタニア、セネガル、マリ、ギニア、コートジボワール、ニジェール、ブルキナファソ、ベナン)を成立。中央アフリカやチャドにも触手を伸ばし、総督府をサン・ルイから1902年、ダカールへ移転。

 そして、続いて、独が、南西アフリカ(ナミビア)、東アフリカ(タンガニーカ)、ギニア湾のカメルーンやトーゴを獲得。白が、中央アフリカのコンゴを手中に。

 そんな訳で、20世紀初頭には、アフリカでの独立国は、エチオピアとリベリアの二ヵ国しかなかったとな…

 そしてWWⅠが来たで、独は全植民地消滅、英仏で山分けになると…一応、この時に、伊が「エチオピアの東にある湾岸地帯のソマリアを獲得」したとな…そんな訳でWWⅡ、独のロンメル将軍はリビアからエジプトを目指したそな…ヒトラーは穀倉地がお好きってか?

 そのWWⅡ以後、「アジア・アフリカ諸国は、米ソの両陣営に属さない第三勢力として発言権を確保しようとします」とな…ちなみにその中心人物が、「インドのネルー首相、エジプトのナーセル大統領、インドネシアのスカルノ大統領、中国の周恩来首相など」だそな…中国が第三勢力に甘んじていた時代があったとは?既にG2ぶっちぎってG1に振り切っているよーな気がするのは気のせいか(笑)まっそれはともかく、1955年にバンドン会議開催で、「世界に向けて「平和十原則」をアピール」って…イイハナシダナァ(笑)

 さて、アフリカの方ですが、1957年英国領ガーナが、黒人アフリカとして初の独立共和国キタコレとな…1960年には17ヵ国が独立し、1963年に「エチオピアのアジスアベバでアフリカ独立諸国首脳会議が開催」され「アフリカ統一機構OAU」創設キタコレってか…

 そんな訳でアフリカ諸国、みんな独立して明るい未来がの予定が、1960年、コンゴに民主共和国樹立。軍事クーデター勃発、詳細は本書をドゾですが、コンゴ動乱は1963年まで続くとな…

 ナイジェリアでは、石油利権と民族対立でビアフラ戦争(1967-70)が起き、こちらの詳細も本書をドゾですが、「現在では、ボコ・ハラムと呼ばれる過激なテロ集団が北東部を根城にテロを繰り返しています」って、ホンマでっかぁーっ?

 また、ソマリアでは、1988年から内戦勃発。ルワンダでも、1990-95年まで部族対立から内戦勃発。スーダンでは、1983年から北のイスラム対南のアラブの内戦勃発、2014年に南スーダン独立したとな…

 南アでは、1994年にネルソン・マンデラが大統領に就任し、アパルトヘイト解体へで、明るい話題というとここ位しか見当たらないよな気がするのは気のせいか?

 何とゆーか、独立はしたもののWWⅡ以降アフリカは内戦祭に突入したかのよーな日々ってか…で、アフリカの国づくりの超低空どころか離陸できていないのは何故なんだぜ?に、著者的には、「アフリカの場合、ほとんどの指導者たちは、そのお金を自分たちのポケットに入れてしまったのです。あるいは、私欲におぼれてクーデターを起こし、清廉な指導者を殺して金と地位を奪ってしまうケースもありました」ですしおすし…「アフリカの精神風土は、眼前の大金を自分の欲望に使うことしか、考えられないものになっていたのではないか」の件は、欧州列強による搾取と切り取りがこんなアフリカにしたんじゃね?とゆー事らすぃ…よーするにこんな私に誰がした?とゆー事か…アフリカもどこぞのくnゴホンゴホン…

 他にもたくさんたくさん本当にたくさん、何せ二章分の要約でもこの長さですので、他の世界各国の歴史いぱーいですしおすしで、興味のある方は本書をドゾ。世の中知らない事はいっぱいあるなぁと、じっと手を見るってか(笑)

 最後に、本書、前巻も合わせて、読後の率直な感想を言えば、男の人の書いた文章だなぁで、商人の文章だなぁで、多分、東の人の書いた文章じゃないなぁでした(笑)本書の最後の方で、著者三重の出身とゆー事で、経済圏的には東海だけど、歴史・文化圏的には近畿だろか(笑)まぁ個人的には、この手の本を農民の方か書いたら全然違うものになりそーな悪寒ってか?漁民でもいいけど、あっ海賊と交易人は除くの一次産業の方で(笑)

 これまた勝手にそー見えただけですけど、著者は中国と中央アジアのファンなのかなぁとも?そして男の人は何故か遊牧民がお好きだよなぁ(笑)でもって、古代ローマはパス一かなぁと(笑)後、見てみたいものよのぉ越後屋では、オセアニアというか南太平洋だろか?それと東南アジア諸国とか?も一つ加とアラスカ辺りか?こーしてみると太平洋一周かも(笑)

 まぁ何はともあれ、本書の締めとしてキケロの名言を一つ、「戦争はお金で始まり、お金で終わる」お後が宜しいよーで(笑)

 目次参照  目次 文系

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