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2017年12月12日 (火)

遠つ川?

街道をゆく 十二  司馬遼太郎  朝日新聞社

 今回のぶらり街道旅は、十津川街道だそで、土地勘が全然ないのでアレなんですが、地図見る分には、奈良から和歌山、三重の方に下る感じだろか?何か、ある種ニッポンの秘境発見?探検?みたいなノリに見えるのは気のせいか?紀伊半島の内陸部って一体?

 取り合えず、十津川郷とは「いまの奈良県吉野郡の奥にひろがっている広大な山岳地帯で、十津川という渓流が岩を噛むようにして紀州熊野にむかって流れ、平坦地はほとんどなく、秘境という人文・自然地理の概念にこれほどあてはまる地域は日本でもまずすくないといっていい」そな…

 それにしても十津川って村なのか?21世紀の今でもそーなのか?は知らないが、本書発行当時は、「昭和初年までの東京市のひろさにほぼ匹敵する」大きさで、「「村」としての面積の日本一だが、人口密度においても一キロ平方あたり十数人で、古来、その過疎ぶりまでが日本一だとして村人たちは自慢する」のだそぉ(笑)

 そんな十津川の歴史は、「土地の伝説では、天武天皇が大海人皇子とよばれたころ、天智天皇の近江朝と皇位継承権をめぐって対立し、吉野に隠棲した。のち吉野方の兵などを動かしてついに近江朝をたおす(壬申ノ乱・六七二)のだが、このとき十津川の兵も天武方に味方し、その功で免租されたという」という訳で、「免租どころか、上代から戦国期まで、交通の隔絶した大山塊であるために、中央権力の及ばない一種の政治的空白地であることはたしかだった」という土地柄らすぃ…

 まぁ太閤検地で検地はしたけど、その結果、免租地ですから…税が取れない程山の中とゆー事らすぃ…ちなみに「徳川期における大和盆地の大半とその周辺の山々は天領(幕府直轄領)であった」そで、「大和盆地の南につらなる十津川郷も、幕府にとって無収入の地ながら天領になり、大和盆地同様、五條の代官所の支配になった」そな…

 そしてそんな十津川郷の住民は「十津川農民のふしぎさは、下界の体制が自分たちを百姓にあつかおうが扱うまいが、主観的には全村が武士だと大山塊の中で思いこんできたことだった」って、ドンダケェー(死語?)ここまで聞いている分には、農民というよりも山民って感じがするんだが?でも、現地的には、でもそんなの関係ねぇー(死語?)を地でいっていらっさると…

 その一例としては、幕末、京都に「「十津川郷士」という集団が、小勢力ながらも存在しつづけた。市中に藩邸じみた屋敷をもち、どうせ借家であったろうが十津川屋敷などと称されて、十津川から出てきた連中が合宿し、御所の門の衛士をつとめていた。むろん全員が苗字を名乗り、帯刀し、士装していた。なんとも妙な一帯で、十津川村民というのは、本来、百姓身分なのである」ですしおすし…

 アリス的には、暗い宿が地理的に近いのだろか?と思うが如何なものか?それから、異形の温泉で、「温泉地という小さな温泉場」も十津川にはあるらすぃ…

 ちなみに十津川への旅路、大阪からの道順なんですけど、富田林南下→河内長野駅手前→金剛山→観心寺→小深→千早峠のトンネル→五條とゆールートでどよ?らすぃ…戦後の日本の道路整備素晴らしスって事ですかねぇ(笑)

 ちなみちなみに、このルートは「文久三年(一八六三)八月十七日に天誅組が通った道であることに気付いた」そで…昔からある主要ルートの一つなんでしょか?うーん?

 他にアリス的なとこでは、「大阪から五條、天辻峠、坂本をへて十津川にやってきた大阪の漢学者藤沢南岳が、簡潔な紀行文を書いている。南岳は周知のように作家藤沢恒夫氏の祖父にあたる。紀行は明治十九年八月のことで、そのころすでに一部、新道が開削されていた」そな…何か本当に道なき道を踏みしめての世界だったんだなぁ(笑)

 後、アリス的というと、幕末じゃなくて、維新後の京都とは?で、「明治維新成立早々の京都は、どの時代史にも書かれていない。この町は遅れてやってきた志士たちの巣窟になった。その喧噪と殺伐と不服の充満は幕末どころではなかった」そな…

 それから言葉だろか?谷の読み方…お名前編ですが、「谷をヤと読むのはヤト、ヤツから出た東国語、奥羽もそうであり、近畿地方では古来、ヤト、ヤツという語がないため、自然、人名、地名でも必ずタニとよむ」って、そーだったのか?アリス?確かに大阪はタニマチだし、東京はシブヤだよなぁ(笑)

 まぁともかく、十津川民、外に出るでは、「十津川郷は、壬申ノ乱に兵として出たかどうかはべつとして、平安朝末期の保元ノ乱(一一五六)には出た形跡が、「保元物語」にある」そな…「十津川の兵は、南北朝ノ乱にも、竹原八郎という者を首領として南朝方に加担するが、はるかにくだって、大坂冬ノ陣にも出てくる。十津川の兵は、保元ノ乱でも南北朝ノ乱でも、悲劇的な敗北をとげる側に味方するが、このときはどういうなりゆきか、家康方についた」とな…

 まぁとにかく、そんな訳で、本人達的には武士で名字帯刀のはずなんですが、世間的にはどよ?とゆー事だったらすぃ…江戸も後期になると「苗字を公式に名乗れないということについて十津川村の村民はよほど自尊心の傷つくことがあったらしく、しばしば五條代官所に交渉している」って、ドンダケェー(死語?)

 悲願の武士階級ゲットの為にか、「幕末の騒乱のときに全村の壮丁が士装し、薩長の庇護のもとに京都で活躍した。一種の「藩」のようなかたちで、藩校までできた。かれらは薩長土肥の藩兵とともに戊辰戦争にも出、それらの功ということで、明治初年、全村一戸のこらず士族になった。いったい、どういう情熱なのであろう」ってか(笑)

 又、吾妻鏡の場合は、「十津川は、頼朝の追捕をうけている義経の吉野潜行にからんでいる」とな…「十津川は古い文献では主舞台とか主役としては出ず、「人馬不通ノ所」として敗者の潜入地としてか、もしくは「吾妻鏡」より一時代前を舞台とした「保元物語」にあるように、平素は世間からわすれられているが、中央でなにごとか政権を争う合戦がおこなわれる場合、たれがよぶのか、この「人馬不通」の大山塊から十津川兵が出てくる。つまりささやかながら一種の兵力の貯蔵地として登場するようである」って…ドンダケェー(死語?)何とゆーか武家の隠れ里っぽいとこでは、朽木を思い出したが?秘境度が違うか?

 まぁ伝説に事欠かない十津川らしいので、「神武天皇が十津川を通った」なんてのもあるらすぃ…これを歴史ととるか?都市伝説ととるか?それが問題だってか(笑)ちなみに「「古事記」にも「日本書紀」にも、十津川という地名は出てこない」ですしおすし…

 国学が流行るまでの記紀の認知度って一体?の件もどよ?かなぁ?「江戸後期になって国学がさかんになり、宣長の注釈書である「古事記伝」も大いに読まれ、「日本書紀」も、一部読まれるようになり、記紀は流行の書名になった。というよりも、国学者以外の知識人のあいだでは、記紀をも参考にした頼山陽の「日本外史」を読むことによって神武天皇の名を知り、神話時代の概略も、新知識として知った」という事らすぃ…

 詳細は本書をドゾですけど、よーするに「神武天皇が、十津川郷の伝承のなかで古来その南北縦貫の道を歩きつづけてきたわけでなく、幕末・明治の流行からうまれた新伝承なのである」って、伝説はここから生まれたってか(笑)

 それから、十津川と歴史イベントというと、「文久三年八月十七日、にわかに天誅組が暴発し、新任代官鈴木源内の首を刎ね、「五條御政府」をつくり、つかのまながらも大和における幕府直轄領七万石の支配をした」の件だろか?

 何とゆーか、幕末の騒乱は続くよどこまでもぉーって事で、天誅組と十津川郷士の詳細は本書をドゾ。まぁ戦いというのは、どれだけパンピーをだまして引きずり込むかって事なんだろなぁ?攘夷のシングルイシューで政権奪取、即開国みたいな(笑)ええ、騙された方が悪いんだぁーでございますよ、奥さん(誰?)

 それと大塔村の歴史についての詳細は本書をドゾ。まぁ「北隣の十二村荘はなにごともなかった」そな(笑)

 も一つ十津川歴史イベントでは、明治22年8月の天候不良で大水害の件かなぁ…こちらの詳細も本書をドゾで、これによって、「そのあと多くのひとびとが水害の再来をおそれて北海道の「新十津川村」移住してしまっただけでなく、昭和三十年代に入ってこのダムができた」の件もありまするでして、急峻な山の中の川って、大雨ダメ絶対の世界だったのか?

 そんな訳で十津川への旅に出るぅーなんですが、で、旅の始めは五條かららすぃ…「五條の町は、江戸期、大和における天領七万石の治所であったにしては、地理的に南へかたよりすぎている」とこにあるらすぃ…

 でもって、そんな長らく行政府のある都市というか、街だったとこに、本書発行当時に飲食店がないんじゃね?とゆーのは、ホンマでっかぁーっ?

 それにしても「奈良県五條というのこの町は、吉野川に沿うことによって出来あがっている。ところで、おなじ川を下流へ十キロくだった沿岸にも似たような規模の町がある。橋本である(おなじ水流が、上流の奈良県を流れているときは吉野川とよばれ、和歌山県に入ると紀ノ川になる)。天領の治所である五條と高野山領の治所である橋本は旧分国および県を異にしなから、神酒徳利のようにおなじ川筋にならび、似たような都市条件をもち、昔から嫁とり婿とりなどさかんであったといわれる」って、そーなると海奈良の方が近いんだろか?片桐さん?

 まぁともかく、何とゆーか、こちらは日本史と共にあるというか、古さが違うエピが多いよな?例えば、栄山寺の場合、「天平以前の養老三年(七一九)の創建だからこの大和において創建年代のもっとも古い寺のひとつになる」ですしおすし…

 道なき道をゆくとゆー感じで、「唯一の縦貫道路である十津川街道(正称は西熊野街道)上にはさすがにそういう「やえん」はないが、この縦貫道路でさえ昭和二十年代、五條から十津川村へゆくのに、車で七、八時間はかかった。(こんにち、十分に舗装されたが三時間はかかる)」って、ドンダケェー(死語?)と思ふ…三時間あれば新幹線なら東京-大阪間なんて余裕じゃね?のぞみにのったよってか(笑)

 そゆ事で、「五條から入ってくる山路は、行政区分の順でいえば、西吉野村、大塔村、十津川村」とゆー事らすぃ…吉野って事は桜も多いのだろか?

 とにかく秘境中の秘境の十津川は、太古の昔から明治維新まで税金おさめたことがありませんな、政治的空白地というか、自治国、「十津川共和国」みたいなもんだったとゆー事らすぃ…詳細は本書をドゾですけど、よーするに「外界から軍勢をさしむけるのに天峻がこれをはばむ上に、たとえ入ったところで租税がとれるわけではかった」とゆー事に尽きるらすぃ…

 でもって、十津川郷の方も、「天下を統一しようとする大勢力に抗せず、逆にその側に兵を貸すことによって自分たちの別天地(免租と共和制)を守ろうとした」とゆー事らすぃ…何かある種、スイス的な感じがするのは気のせいか?十津川の土地で狩猟で食べていけなかったら、スイスみたいにスイスガードの世界になっていたのだろーか?

 まぁそんな訳で「十津川は壬申ノ乱以後、兵を出してきたが、恩賞をもらったことは一度もない」とゆー事にもつながるんじゃね?手伝い戦はするよ、だからこっちは守護不入ってか?それにしても、税を払う、払わないは、その後の土地の気質を全く変えてしまうものなのだろか?で、十津川は免租できたけど、隣の大塔村は「徳川時代、租税をさんざんとられてきた村」ですしおすし…

 それから、十津川名所で、玉置山でしょか?玉置三所権現、今でしょ(死語?)では玉置神社、ありますよってにとゆー事らすぃ…「江戸期には山内に七坊十五ヵ寺という多くの建物があった」そで、「平安期から鎌倉にかけて栄えた。京都の貴族まで巻き込んだ熊野詣での流行が、熊野とは川で結ばれている十津川にまでおよび、玉置山が熊野信仰の圏内に組み入れられた」そな…いつの時代にもプロモーターっているもんだってか(笑)

 豆知識的といっていいのか?で、「近代国家(国民国家)という、住民を国民にしてしまった人類史上もっとも重い国家は、さほど古い歴史をもっていない。この国家は、その出発(フランス革命)において国民皆兵を前提としたから、その程度の古さでしかない。フランスの場合、フランス革命を守るということで国民皆兵をやりながら、こんどはフランス革命を普及させるという名目でナポレオンがこの制度を徹底的にこきつかい、ヨーロッパを席巻した」というノリになるらすぃ(笑)ヨーロッパの正義って(笑)

 で、中国の場合は、「中国の耕地に住む少数民族の種類はじつに多いが、おそらく紀元前からその俗を守ってきたといえるであろう。山郷で武をみがいて低地人の近づくことを阻みつづけ、低地でもって多くの漢族や騎馬民族の王朝が交代したが、苗族ら高地に籠るひとびとは、そういう権力や歴史といっさい無縁であるという態度を持しつづけた」そな…

 更に「苗族の剽悍さは、よく知られている。自分たちの領域に武装した低地人が近づけば容赦なく射殺してしまう。低地の権力が軍隊を派遣してかれらを馴化しようとしてもなびかず、かならず武力で抵抗し、低地人たちにその目的の無意味さを気付かせるまで戦いにたたかう」って、どこのレジスタンス?

 「いまの中国の場合、これらの少数民族の居住地をそのまま小規模な自治区にしてしまうことでかれらに安堵をあたえ、逐次、低地の人民なみに扱ってゆこうとしているために、重要な反乱はおこらなかったかのようである」って、そーだったのか?チベット?  

 豆の人の方で、孝明天皇だろか?「「今夜は十津川の者が門を守っているから、安心してねむることができる」と、孝明天皇がつぶやいたという話が十津川につたわっている。この天皇は尊王という長州に攻め入られ、さらにはのち統幕を決意した薩摩藩を黒幕とする公家の岩倉具視によって毒殺されたとされる」ですしおすし…なるほろ政治と陰謀渦巻く京都にあって、「ただ「安堵」だけをねがって上洛してきている山村の醇朴な兵に門を守られていることは、たしかに安心だったであろう」ってか…イデオロギーに安心感はないってか(笑)

 十津川と関係のある人物も色々あるんですが、十津川に逃げ込んだお人の「当時無名の木端志士だったが、明治後、田中光顕」「田中光顕は土佐人で、ごくつまらない人物だったが、ただ生き残ったのと、遊泳術のうまさで伯爵になっていた」「田中光顕は明治三十一年から十一年間宮内大臣をつとめ、権限の私物化という点でずいぶん醜聞のあった男」etc.と著者相当にアレな気がするが、維新政府勢の人格面については、これも皆まで言うなか(笑)

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。本書のシリーズで、毎回なるほろというか、ホンマでっかぁーっ?と思わされるのは、その土地土地のタクシーの運転手さんの対応かなぁ?土地柄なのか?それとも個人的資質なのか?運転手さん達の個性パネェと思うのは気のせいか?

 目次参照  目次 国内

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