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2018年1月 7日 (日)

ナレーションとドキュメンテーション?

歴史の作法  山内昌之  文藝春秋

 サブタイトルは、人間・社会・国家なんですが、うーん…歴史指南書…なのかなぁ?いやまぁ何とゆーか、歴史への心構えのよな気がするのは気のせいか?虚心を持たずに歴史に向えみたいな?

 本書、新書でさして厚い本でもないし、更に文体は非常に平易で分かりやすく読みやすいんですが、新年しょっぱなから敗北宣言…教養がおっつかない(号泣)

 とにかく、引用文献、参照文献の数が並じゃない訳で、これらを全て読破し、更に身になっていないと、まるで歯が立たない本書かな?しかも、これだけいぱーいの事例を出しておきながら上から目線乙感がないのが凄い…たいていこの手のは、俺ってこんなに知ってんだぜ、凄いだろなドーダ感がチラ見えするのが普通のよーな気がするが、本書はどこまでも謙虚でござるかなぁ…ええ、歴史に対して謙虚であれかも?

 それにしてもこの参考文献の山よで、有名どこも幾つか入っているので、そーいや昔読んだよな?もあるんですが、カーの歴史とは何かとか、ホイジンガのホモ・ルーデンスとか…授業で読まされたよーな記憶が薄っすらと?でも、今でしょ(死語?)では読んだ記憶はあっても、何が書かれていたか、せぇーんぜん覚えていない鳥頭…己の読書している意義を、じっと手を見るってか(号泣)読んでもこんなに簡単に忘れてしまう記憶力で、読書する意味あるんだろーか?教えて、お爺さんー?もとい本の神様?

 という情けない嘆き節から始まってアレですが、本書を拝読してまず思ったのは、歴史の間口の広さかなぁ?だから、あれも歴史、これも歴史、多分歴史、きっと歴史って奴じゃね?そんな中で、歴史ってどよ?と言われても、何か青い鳥探しのよーな気がするのは気のせいか(笑)

 そんな訳で、歴史を志す人は相当に太っ腹じゃないとやってけないんじゃなかろーか(笑)メタボ駄目絶対ってか(笑)

 ちなみに著者が本書を執筆した目的は、「第一は、歴史を決定する時間の流れと人間の営みとの関係について考えることです。問題の核心は、どの地域の歴史においても人間世界の運命が、必ずしも「正義」や「公正」と考えられる価値観を体現する方向に進まないという点にあります」って事で「人間の営みは、こうした歴史の流れや歴史のプロセスの前で無力なままに消え去るだけにすぎないのでしょうか」とな…

 続いて、「第二の目的は、私が年来こだわってきた歴史と叙述との関係を整理することです。歴史叙述の軽視は、日本の現代歴史学に見られる大きな特徴のように思われてなりません」じゃね?で、「歴史は科学なのか、それとも文学なのか」それが問題だってか?

 そして、「第三は、現代のイスラームや国際政治などの事象について発言する際、私が根拠とする歴史と現実政治との関わりについて自分の理解を整理することです」そで、今でしょ(死語?)になるのかなぁ?「危機を政治学や経済学の文脈でなく、歴史学の構造のなかで説明しようとする試みにもなるはずです」しおすし(笑)

 でもって、本書は真にグローバル・スタンダードを目指しますたとゆー事になるのかなぁ?よーするに、近代の学問はどこも似たよーなもんだと思うけど、西洋中心、ヨーロッパ中心、の視点じゃね?って事で、そこにちょっと待ったぁーって事らすぃ(笑)まさに全世界が舞台ってか(笑)

 アリス的には、歴史…うーん、准教授もアリスも文系なんで、歴史学もあると思いますかなぁ?

 でもって、歴史って実際にあった事(のはず)で、それをどう見るか?となれば、まさにミステリーというか、犯行現場と似たよーな世界かも?なのか?「歴史家は、事件の意味を理解することに努めるだけでなく、それが実際に起こった事件であることをも確証しなくてはなりません」ですしおすし…

 特にアリスに捧ぐじゃないですけど「試行錯誤や単純な「過ち」を犯すにしても、また結果として幻想に終わるかもしれない「推測」や「考証」であったとしても、それは挑戦の結果なのだ、と」の件は、アシスタントの有栖川さんの面目躍如じゃまいか(笑)

 歴史とフィクションの違いで、「フィクション作家が人物はおろか事件さえ自由に「創造」できるのに、歴史家は史料に「束縛」されているのです」の件かなぁ?また、「文学やフィクションの帰結は、作家の思いのままに描かれます。そこには不確かな試みを入れる必要は必ずしもないのです」とな…そーだったのか?アリス(笑)

 まぁ文学と歴史とゆーとこでは、「歴史学は文学とは違います」し、「歴史家に文学者の書くような文章を期待するのもお門違いというものです」と一言おことわりが入ってはいますが、「全体の上には溌剌とした息吹きが通い、全体をおおう内的な性格をとらえないと叙述さえできないのです」し、「歴史が学として成立する上で重要な条件が想像力と構想力にあるという点です」とな…想像力と構想力って、それって作家に一番必要なものじゃなかろーか?アリス?

 後、こちらは准教授的になるんじゃね?で、「アカデミズムとは、職人的な「掘鑿」に頼りながら「専門家」であることを根拠に、現在と過去から超然とし、人びとや社会に向かって客観的な評価を下せると妙な自信をもたせる制度ともいえるかもしれません」とな…でもってそれは「「権力」の場とは別に「権威」の場ができたわけです」にならね?って事で…かくて「反「権力」を自負する学者たちが専門家としての「権威」を自明のものとし、自分たちの閉ざされた世界で「権力」を誇示する現状に無自覚なのは、あまりにアカデミズムの環境にどっぷりと浸かっているからでしょう」とな…

 ちなみに「ジョン・アーノルドによれば「専門家」であることは「公平」であるという事実を意味せず「仕事に対して報酬を受けている」だけの事実を意味するとのことです」って、そーだったのか?御用学者(笑)

 それからこれも准教授的になるのかなぁで、時間性とは何ぞや?かなぁ…「歴史という学問が重視する時間性であり、時間的な構造やメカニズムを明らかにする自らの使命」じゃね?かなぁ…「時間のもつ複雑さを短期性と長期性とりまぜながら理解できるのは、歴史学者であって、人類学者や社会学者ではないのです。ましてや、他の社会科学の時間概念はかなり大雑把ではないかという印象を私はもっています」って、そーだったのか?社学?

 歴史ってどよ?は、まさに色々あってなの世界でして、こちらの詳細は本書をドゾ。幾つかピックアップすると、「ギリシア人やバルバロイ(「訳の分からない言葉を話す者」、異邦人の意)の地理や民俗にたいする素朴な関心が、やがて「調査・研究」(ヒストリエー)に発展して、歴史学の著作を生み出したのです。調査と研究をまとめた歴史とは、学としての歴史の嚆矢だといってもよいでしょう」とか、「中国では「歴史」の「史」とは、簿書や矢の容器とされる「中」を「又」(手)でもつ字であり、的中の数を記録したのが「史」だという説があります。また、史は祭祀を意味する字であり、転じて「祭祀の記録、ふみ、その記録者、公事の記録者、ふひと、史官」の意味を帯びるようになったようです」とか、記録キタコレなんでしょかねぇ?

 本書細かく見ていくとどこまでもアレなので、心得の条っぽいとこをチョイスするので逃げていいですかぁー(笑)

 で、一番、イブン・ハルドゥーンの歴史に対する「資質や条件」は、「①無数の資料とさまざまな知識を必要とする」「②良き洞察力と実証性を必要とする」「③他人の名声をけなすために、自分の卑屈さを過去の人びとを引き合いに出すことで弁明しようとしてはならない」って、なるほろいかにもごもっともなんですが、でも三番目ってそれってどこかのくnゴホンゴホン…

 又、司馬遷(史記)をどう読むか?とらえるか?で、宮崎市定的には、第一は「司馬遷は仁すなわち「自由」を強調することで、権威や誘惑に負けず自己の信念に従って行動する人間を列伝などで生き生きと描きました。どの時代においても政治や経済の閉塞を打破するのは、都市の自由人なのです。また、富貴に恵まれず、生物としての生命が失われたとしても、人はその名によって不滅たりうる。名を後世に残し「歴史的人間」として生きることは、とくに政治家に限らず、世に責任をもつ人間ならば心すべきことかもしれません」だそで、第二は「対立の中から新たな統合が生まれるという司馬遷独特の弁証法」でしょか?「起承転結の四段弁証法」キタコレになるらすぃ…第三は「歴史認識において理想と現実が不断に往復することの重視です」で、第四は「「史記」「平準書」に見られるような経済と理財の感覚の鋭さを挙げておきましょう」で、「官吏というものは人民の租税で養われるべきで、商人のように人民と利益を争うべきではないのです」の件かなぁ…最近は何でも民営化ですけど、さてどよ(笑)まるで今でしょ(死語?)なとこでは「貨殖列伝にもみられるように、貨幣をもつ者は、官僚制度の圧迫を避け隠匿した事実がありました。市場に現れない貨幣は、社会的にはないも同じなのです。これでは「資本主義」は起こらない。そして無用な金銭は海外に流出し」の件は、リアル経済の世界じゃね?なるほろ、人間の営みって史記の昔から変わってないのか(笑)

 更に「「歴史的人間」として司馬遷のとるべき態度は、宮崎市定に習うなら、「第一に、孔子にならって、知己を後世に求めるということです」と「第二に、司馬遷は、孔子の後を継承し孔子のように歴史家の立場をとることが考えられます」の件もあるよと…司馬遷の生き方もまたアレですし、司馬遷一人で、歴史、幾らでも切り口ありそーな悪寒かなぁ?歴史の巨人は違うってか…まぁこちらの詳細も本書をドゾ。

 後、歴史書として何を読むべきか?それが問題だですが、本書では「危機を打開する歴史書」というので著者は三冊の本をあげています。「北畠親房「神皇正統記」」、「新井白石
「読史余論」」、「伊達千広「大勢三転考」」なんですが、ちなみに内藤湖南の場合は、これに後二冊、「大鏡」と「愚管抄」をあげているとな…

 こちらの詳細は本書をドゾですけど、本書にはもーたくさん文献が縦横無尽に登場してきますので、一応日本以外に出てきたそれらは下記参照でヨロ…日本関係のは上記以外にいぱーいですので、こちらは本書をドゾ。歴史的には、これだけ頭に入っていても、まだその一部に過ぎないんだろなぁ…歴史という大海パネェ…

 蛇足ですけど、歴史学のアウトプットに入るのだろか?で、「難解な文章で知られる或る外国史研究者は、大部の学術書を出したとき、「自分の仕事は一般市民には読んでもらわなくてもよい。学者の仕事とはそういうものだ」と語って、私を驚かせたことがあります。また、自分たちの研究成果が読まれない日本という国は、歴史家にとって不幸な国だという趣旨の発言をした学者もいました」の件は、どこの業界もありがちな話じゃね?特に学者なんて、学会内の評価と研究費というスポンサーが全てじゃないのけ(笑)

 でも著者は「本質的に不幸なのは、読者として熱心に読みたくなる歴史家の仕事をもたない市民の側ではないでしょうか」と続けるんですよねぇ…まぁそーゆースケールの大きい大家がどこの業界もいなくなって久しいのは何とも…

 それから、これも歴史に対する疑義、提言になるのだろか?で「ある「価値判断」に立ちながら、事件の原因究明に際して、合理性と偶然性を区別することは、果たしてそれほど簡単な作業なのでしょうか。これは歴史解釈の本質に関わる大きな問題といってもよいでしょう」の件かなぁ…もしやこれってモノの見る目があるか?否や?なんだろか(笑)

 日本史的なとこでは、「神皇正統記」の北畠親房のとこでは、世の乱れをどよ?と指摘しているとこかなぁ?「公家たちが政治エリートたるにふさわしいノブレス・オブリージュを熱心に説きました」の件は、公家にノブレス・オブリージュ精神なんてあったのけ?と素朴な疑問が?ちなみに親房は公家サイドの人間なんだが、「武士ではあっても清廉潔白だった北条泰時」を評価しているし、「後鳥羽上皇らが朝権の復活を企てた承久の乱(一二二一年)についても、人望失わず失点も格別にない幕府政権を追討する前に自らの統治資格を問題にするべきではなかったろうか、と大胆に疑義を呈したのです」って、それってどこかのゴホンゴホン…

 又、「大勢三転考」の伊達千広のとこでは、19世紀の空気感パネェなんでしょか?「欧米の圧力を受けた近代の危機意識は日本だけに留まりませんでした。ドイツのシュペングラー(一八八〇~一九三六)の「西欧の没落」を引き合いに出すまでもなく、鋭利な歴史観をもつ書物が生み出される背景に、しばしば時代状況にたいする研ぎ澄まされた危機意識があるのは偶然ではないのです」しおすし…まさに今そこにある危機じゃけんっ(キバッ)

 とはいえ、「甲子夜話」の松浦静山のとこでは、日本と欧米の対比のとこで、「軍事技術や海洋航海術を除くと、西洋文明が日本文明や中国文明に優っていたとはいえないのです。いわゆる「鎖国」によって日本がヨーロッパに門戸を閉ざしていたとしても、そのマイナスはさほど大きくはありませんでした」とな…全ては欧米の正義の為にってか(笑)

 かくて「ヨーロッパは資本主義と科学技術が刷新した近代文明の力によって、アジアやアフリカへの膨張と支配を達成することになりました。これは、多くの産業部門の不均衡を拡大したばかりではありません。その近代性は、イギリス人のいう「白人の責務」やアメリカ人が信じる「明白な運命」といった文明論的使命感のもとに、アジアなどでの植民地支配や経済搾取を道徳的にも正当化しました」ですしおすし…「資本主義の近代性とは、ヨーロッパでは個人の進歩や自由を象徴し、明治維新前後の日本やイスラーム世界などアジア・アフリカでは革新や開花の名において不平等や圧迫を体現したことも忘れてはなりません」とな…そーだったのか?ウルフ先生(笑)

 幕末・維新の頃の現実見ろよでは、「オスマン帝国からムガル帝国ひいては清朝にいたるアジアの老大国がいともたやすく欧米の支配を受けるか、強い内政干渉にさらされた現実にほかなりません。そして、その矛盾は資本主義の二面性という性格につながっていくのです」しおすし…

 面白豆知識的には、「フランスの歴史家で興味深いのは、研究や教育の上では他国のナショナリズムを賞賛するのに自らの国家や愛国心については懐疑的もしくは否定的になりがちな日本のウェットな一部歴史家とはっきり違う特性です。フランス人のドライな愛国心の感情や戦争に対する態度が保守・進歩といった政治性や、学問の現代性とは関わりのない点が面白いのです」って、そーだったのか?ヴィシー政府?

 も一つ豆で、「バーナード・ショー(一八五六~一九五〇)の言葉だったと思いますが、無駄にただ好きなことをやみくもにやっている歴史家にはまったく報酬を与える必要はない、とは言われたくないものです」の件かなぁ…さすが、ショー、皮肉のパンチが効いている(笑)今だと、この歴史家のとこは御用学者にするといいと思うよ(笑)

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。まぁ本書で日本的に一番今でしょ(死語?)かなぁと思わされたのは、「斉は秦の隣国蚕食をみながら、秦の甘言にのせられ、全方位外交と中立政策を守り紛争の局外に立とうとしました。しかし斉は、秦が長駆燕を滅ぼした後、秦におそわれ一矢も交えずに降参したのです。斉が平和を謳歌できたのは、隣国がいずれも秦に対抗していそがしく、斉の帰趨を顧みるいとまもなかったからです。しかるに斉は、君臣あげて、自ら戦わなければ平和は自然に生じると信じて疑いませんでした。これは政治リアリズムの欠如です。現実感覚の鈍さと主義主張は、時空を超えて安全保障の問題でいちばん軽快しなければならない点です」の件かなぁ…

 あっも一つ、陸奥宗光の至言だろか?で「陸奥は人智の進歩を妨げる存在として、「頑迷なる宗教家」「僻古の道学者」を列挙しただけでなく「偏見なる政治家」をあげていました」の件かなぁ…お後が宜しいよーで(笑)

 参考資料、
 「歴史のための弁明-歴史家の仕事」(マルク・ブロック)、「社会経済史年報」(マルク・ブロック、リュシアン・フェーヴル)、「奇妙な敗北-フランス抵抗史家の日記」(マルク・ブロック)
 「歴史をどう書くか」(ポール・ヴェーヌ)、「パンと競技場」、「詩におけるルネ・シャール」、「歴史と日常」
 「歴史学研究入門」(シャルル・ラングロワ)
 「モンテーニュ・エセー抄」(モンテーニュ)
 「歴史とは何か」(E・H・カー)、「ソヴィエト・ロシア史」
 「歴史・レトリック・立証」(カルロ・ギンズブルグ)
 「古典学史・古代史論集」(モミリアーノ)
 「歴史」(ジョン・アーノルド)
 「歴史とは何ぞや」(エルンスト・ベルンハイム)
 「歴史」(ヘロドトス)
 「歴史の観念」(ロビン・コリングウッド)
 「アリストテレース 詩学」(アリストテレス)
 「ガリア戦記」(カエサル)
 「歴史哲学」(ヘーゲル)
 「ある思想史家の回想-アイザック・バーリンとの対話」(バーリン/ラミン・ジャハンベグロー)
 「歴史の文体」(ピーター・ゲイ)
 「歴史と自然科学」(ウィンデルパント)
 「イリアス」(ホメロス)
 「戦史」(トゥキュディデス)
 「カティリーナ戦記」、「ユグルタ戦記」(サルスティウス)
 「歴史家の課題について」(フンボルト)
 「地中海」(フェルナン・ブローデル)
 「ブローデル伝」(ピエール・デックス)
 「ローマ史」(テオドール・モムゼン)
 「ローマ帝国興亡史」(エドワード・ギボン)、「ギボン自伝」
 「フランス史」(ジュール・ミシュレ)、「魔女」、「愛」、「女」、「鳥」、「虫」、「海」
 「中世の秋」、「ホモ・ルーデンス」(ヨハン・ホイジンガ)
 「ミルトン伝」(トマス・マコーリ)、「ジェームス二世登位以後の英国史」
 「失楽園」(ジョン・ミルトン)
 「悲しき熱帯」(レヴィ=ストロース)
 「近代イギリスの歴史家たち」(ジョン・ケニヨン)
 「人間本性論」(デヴィット・ヒューム)
 「クリオの顔-歴史随筆集」(ハーバート・ノーマン)
 「イギリス文明史」(ヘンリー・バックル)
 「ヨーロッパ文明史」(フランソワ・ギゾー)
 「ランケ自伝」(レオポルド・フォン・ランケ)
 「法の精神」(モンテスキュー)
 「文明の衝突」(サミュエル・ハンチントン)
 「遥かなる目的地-ケンペルと徳川日本の出会い」(ベアトリス・ボダルト=ベイリー他)、「ケンペルと徳川綱吉-ドイツ人医師と将軍の交流」
 「アメリカの民主主義」(アレクシス・ド・トクヴィル)、「旧体制と革命」
 「シャルル十二世の歴史」、「ピョートル大帝治下のロシア帝国史」(ヴォルテール)
 「英雄伝」(プルタコス)
 「皇帝カール五世の治世の歴史」(ウィリアム・ロバートソン)
 「道徳および立法の諸原理序説」(ベンサム)
 「試練に立つ文明」(アーノルド・トインビー)
 「歴史学の革新-「アナール」学派との対話」(アーロン・グレーヴィチ)
 「史記」(司馬遷)
 「漢書」(班固)
 「史通」(劉知幾)
 「春秋」(孔子)
 「論語」、「易経」
 「十八史略」
 「文史通義」(章学誠)
 「歴史序説」(イブン・ハルドゥーン)
 「ムハンマド伝」(イブン・イスハーク)
 「預言者と諸王の歴史」(タバリー)
 「サヒーフ」(真正集)(ブハーリー)
 「集史」(ラシードゥッディーン)
 「エジプトの情報における偉大な成功とイスマーイール族の結合の光」(タフターウィ)
 「近代アラブ歴史学」(シュアイリー)
 「チュニジア史概観」(ハサン・アブドゥルワッフーブ)
 「四世紀にわたるカルタゴ」(アフマド・マダニー)
 「伝記と歴史における事績の驚くべきこと」(ジャンバルティー)

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