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2018年3月21日 (水)

江戸は萌えているか(笑)

女子のためのお江戸案内  堀江宏樹  廣済堂出版

 サブタイトルは、恋とおしゃれと生き方となんですが、何とゆーか、江戸時代の江戸での都市生活の女性の人生ってどよ?かなぁ?

 でまぁ、江戸というのは江戸中期まで男性多しの都市だったらすぃ…人工都市ですからねぇ、「ガテン系の男性労働者」と「単身赴任の武士」の街だものですしおすし(笑)そゆ訳で、「女性はまさに売り手市場でモテモテ」とな…

 詳細は本書をドゾですが、そんな江戸は「文化・文政期では、上方に負けないくらい、江戸の街も発展しており、経済力をつけた町人が中心の文化が花を開きます。この頃になると江戸の男女比は同じくらいとなり、庶民の恋愛文化も多彩になってきました」となる模様…

 そんな江戸の恋愛事情は、出会いの場所は「神社などで開かれるおまつり、つまり縁日」だそで、「男性が、気に入った女の子のお尻をつねるのがナンパの合図」って、ホンマでっかぁーっ?しかも盆踊りが、今でしょ(死語?)の「クラブで踊り明かす一夜」と一緒じゃねって、そーだったのか?盆踊り?

 でまぁモテる男になる為に指南書まで出ていたみたいで、時代は鬚もじゃよりツルツルらすぃ(笑)でもって、「火消しの頭、力士、与力は「江戸の三男」」と言われてモテたそな…

 それにしても本書でおろろいたのは、好色って「女好きとかセックス好きという意味ではなく、身だしなみやセンスがよく、教養や芸事に優れ、トークが上手で気づかいもできるなどコミュニケーション能力が高く、そのうえ色恋の楽しみかたも知っている…つまり「風流だ」という意味」だったって、そーだったのか?井原西鶴?

 お江戸、恋愛事情もアレだが、更に妾事情、不倫事情もパネェでござるで、こちらの詳細は本書をドゾ。そんな訳で春画のエピも本書をドゾですが、一つだけ「一八六〇年、勝海舟率いる咸臨丸がアメリカへ渡った時、乗組員がお守りとしてもって来ていた春画が現地のご婦人の目に触れたとして、勝海舟は訴えられたといいます。このエピソードにはねくだんのご婦人も裁判所の裁判長もじつは春画をほしがっていた、という笑いを禁じ得ない後日談があります」そで、これが噂の米の正義か(笑)まぁ今でしょ(死語?)では、大英博物館で春画展が開催されるご時世ですから(笑)

 アリス的に、江戸…上方のアリス的には、でもそんなの関係ねぇー(死語?)でしょか?あるとしたら、海奈良のとこの近松門左衛門で、曽根崎心中のエピがちらっと出ているとこかなぁ?

 後は、お菓子のとこでの桜餅のとこで、江戸で生まれた「長命寺タイプの桜餅」キタコレですけど、「この桜餅をヒントにして上方の菓子屋が生み出したのが関西風の桜餅」だそで、「上方生まれの「桜餅」は、水にひたして蒸したもち米を干して粗めにひいた「道明寺粉」と呼ばれる専用の粉を砂糖水で戻して使います。手間暇かけたリッチな味わいが魅力です」って、そーだったのか?アリス?

 他にアリス的というと朱色他の蕎麦で、江戸のファストフードの蕎麦キタコレでしょか?二八蕎麦って、「二かける八で十六文(今の金額にして四百円程度)」という値段から来た呼び名です」ってホンマでっかぁーっ?

 それからダリ繭の寿司折で、お寿司はとゆーと、「最初に江戸に登場した鮨は、握りではなく押し鮨でした」で、にぎり壽司は文政期(1818-30)からって、これまたホンマでっかぁーっ?寿司ネタは、卵焼き、穴子、コハダ、鮪、鮑、海老とな(笑)

 当時のお寿司とお蕎麦の軒数は「江戸後期にはひとつの「町」に一軒か二軒は鮨屋があって、蕎麦屋はふたつの「町」に一軒あったそうで、鮨がメジャーだったことがわかります」って、江戸はお寿司の街だったのか?

 とはいえ、「女子を口説きたい江戸の独身男子は「今度オレんちで蕎麦でも食わねぇ?」と手打ち蕎麦を振舞うこともあったそうです」って、蕎麦でナンパ、あると思いますだったのか?今でいう三ツ星レストランとか、日本初上陸のノリなんだろか?うーん?

 それと、オノコロ島で、「江戸の一番の娯楽は、芝居見物でした。お芝居といえば歌舞伎と人形浄瑠璃に人気は二分されました」そですが、江戸的には歌舞伎とゆー事になるらすぃ…文楽はやはり西の文化って事なんでしょかねぇ?

 江戸が女子の方が売り手市場だったとはいえ、やはり男性社会で、身分社会で、女性が独り立ちできる職がない世界では、恋愛、婚活事情も世知辛い感が否めない訳で、例えば、妾も就活の一つだったりするんですよ、奥さん(誰?)何とゆーか、男女比が女性の方が少なくね?でも、本妻だの妾だの一人の男性が複数の女性を独占していたら、ますますあぶれ男性増えるだけのよーな気がする素朴な疑問が?

 まっ読んでいて一番分かりやすいグルメ事情のとこでも見てみよーじゃまいかで、江戸時代の甘味というと、「まんじゅうやだんごなどの素朴な和菓子」と「ポルトガルやスペインからやって来た宣教師がもたらした、カステラやコンペイトウなどの南蛮菓子」じゃねだったそな…

 それが17世紀後半になると、「上方を中心とした元禄文化(一六八八~一七〇四年)が盛り上がるなかで、雅やかな名前(銘)をつけられたお菓子が登場します。それが「上菓子」の始まりでした」とな…

 そんな上菓子ってとってもお高い貴重なお砂糖で作る訳ですから、これまた高価でセレブしか口にする事はできませんがなの世界だった模様…「京都で生まれた上菓子は、将軍がいて、大名の集まる江戸でも売られるようになります。上方のお菓子は、江戸に"くだった"わけで、その名も「くだり京菓子屋」は元禄五年(一六九二年)の時点で、すでに江戸に四軒ありました」そな…

 そして「大名家同士のお付き合いにも上菓子は活用されました」そで、更に「江戸で食べた上菓子を気に入った大名たちは、参勤交代が終わった時、腐らないものでしたらお菓子の現物を、あるいは技術職人をスカウトし、国元に連れて帰りました」そで、こーして「全国各地で京都生まれの上菓子が食べられるようになり、それぞれ独自の発展を遂げました」となるそな…

 何とゆーか、大名は甘味がお好きというか、殿方でも甘いものが好きだろ常考だったんですねぇ…なるほろ准教授の甘ったるいもの好きもあるあるなんですねぇ(笑)

 では庶民の方は?とゆーと、パンピーにもお菓子が普通に食えるぜになったのは「十八世紀も半ば以降。輸入に頼っていた砂糖が国内でつくられ、値段も下がったのをきっかけに、お菓子が身近なもの」になったとな…ちなみに19世紀の半ばには「農村部でも菓子屋が当たり前に見られるようになりました」ってホンマでっかぁーっ?

 他には、野菜のブランド化キタコレだろか?こちらの詳細も本書をドゾですけど、江戸の野菜って、「江戸近郊の農家だけでなく、じつはお武家様のお屋敷も耕作スポットだったのです」ってホンマでっかぁーっ?「一説によると江戸の七割ほどの面積を占めていたのが武士のための屋敷地」で、みんな屋敷内で野菜作ってましたが、何か?だったらすぃ…ええ、江戸城内にも畑はあるよと(笑)

 ちなみに「武士の代表的なアルバイト(幕府公認)」ってこれまたホンマでっかぁーっ?でもって、これ全然知らなかったんですが、江戸の土壌って「隅田川を堺にして土壌が異なります」だったのか?「現在の東京二十三区東部にあたる墨田区、江東区、江戸川区、葛飾区などの「下町エリア」は荒川や江戸川の氾濫に見舞われたぶん、押し流されてきた土砂のおかげで肥沃な土地が広がり、水源も豊かでした。このため、レンコンやネギ、サトイモ、コマツナなどが名物となりました」って、何かそれナイル川な気がするのは気のせいか(笑)

 又、「江戸のいわゆる「山の手エリア」から武蔵野にかけての地域は火山灰の堆積した関東ローム層」で、「水はけがよく、耕作地が深くまで掘れたため、ダンコンやニンジンなどの根菜類がよく育ちました」そで、綱吉の頃には「練馬のダイコン、滝野川のニンジン、早稲田のミョウガなど」のブランド野菜キタコレ状態になっていたらすぃ…

 で、これまたお菓子同様、参勤交代の大名によって全国へ広がったとな…

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんお江戸エピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。いやぁいつの時代も女の子は大変って事でしょか(笑)

 目次参照  目次 文系

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