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2018年3月15日 (木)

ひなたみち?

街道をゆく 十四  司馬遼太郎  朝日新聞社

 担当のHさんによると趣味の会ですの、ぶらり街道〇人旅(笑)今回は、愛媛から土佐への街道になるんだろーか?日本全国土地勘のない奴なんで、地図を見る分には四国の西海岸を下る旅路みたいだが?とゆー事で、主に宇和島藩の辺りを行くって事でOK?

 それにしても日本の藩割ってどーなっていたのか?まず国割?土佐とか、伊予とかの境が今一なのに、更にその中に藩がいぱーい分裂しているので、どこがどこやら…これがピンと来ないと日本史は厳しいってか…しかも、鎌倉、室町、戦国、江戸とトップの出入り激しいし…

 まぁでも、何とゆーか、今までの街道をゆくシリーズの中でも本書が一番のほほんとした雰囲気が通奏低音のよーにあるよなでして、読んでいて一番ストレスフリーだったよーな気がするのも気のせいか(笑)どこの歴史にも暗部はあるんですけど、それでもこちらにはおてんとうさまが光っている感じが最初から最後まであるよな(笑)

 それにしても愛媛県はどーして愛媛県になったか?の件がなかなかにスリリングというか、笑えるというか、幕末の空気感がパネェで、最初の県令で赴任した「土佐人本山茂任(只一郎)」に対する著者の評価が厳しい(笑)幕末に「あぶない橋は決して渡らなかった。同志のほとんどが幕末に死んだあと、維新でその果実をひろった男である」「人物力量のいかがわしさ」なお人って…ドンダケェー(死語?)この辺って企業内人事のよーだよなぁ…出来る人は何かしらプロジェクトを担当するから成功もするけど、失敗もありで失脚となり、結局、無能程何もしないから査定に引っかからず残り出世するみたいな(笑)

 まぁそれはともかく、愛媛のネーミング的には、「「古事記」に、イザナギ、イザナミの夫婦神が国生みをする記述がある。最初に淡路島を生み、次いで四国を生んだ」そで、その四国とは「身を一つにして面四つ有り」とあるそな…で「それぞれ男女の人名が命名された」そで、「讃岐は男性で飯依比古」「阿波は女性で、大宣都比売」、「土佐は男性で建依別」、「伊予は愛比売」だそで、意味は「文字通りいい女」とな…かくて「「いい女」などという行政区の名称は、世界中にないのではないか」って、ホンマでっかぁーっ?

 ついでに言うと松山という地名の方は、「秀吉のころここに城と城下をつくった加藤嘉明が、正木(松前)の城からいまの松山城の丘に城を移したのだが、赤松の美しさを見て松山と命名した」のだそな…

 まっそんなこんなで、土佐街道、今でしょ(死語?)では国道33号線を下る旅に出るぅーってか(笑)

 アリス的に愛媛、高知、宇和島、四国…うーん、むしろ学生アリスの方かなぁ?後、著者が松山空港ビルでの昼食が、カレーライスのとこだろか(笑)しかも食券って、まるで学食のよーじゃまいか(笑)

 他にアリス的というと大阪人とゆー事で、太閤秀吉所縁の類か?「秀吉の子飼いの大名には土木家が多かった」そで、「城普請の藤堂高虎」「石畳と灌漑土木の加藤清正」にはじまり、「加藤嘉明や福島正則」もそゆ事らすぃ…こーしてみると秀吉って土建屋さんとゆーか、ゼネコンの親玉か?

 ちなみに「関ケ原以前、伊予で六万石の身代でしかなかった加藤嘉明(後年、会津に転封させられる)は二十万石に加増され、関ケ原から三年後に家康に乞い、道後平野に新城と城下町を築くことを許可される」そで、それが松山城と松山旧市街という事になるそな…それ以前の松山は「一望の田畑と葦の野で、めだつほどの集落もなかった」ってホンマでっかぁーっ?

 蛇足ですけど、松山城もそーですけど、大阪城でも「この時代には奴隷労働がなく、賃銀(米で支払う)労働」だったそな、でも「農事以外の労役を農民はきらったから、施工主」は大変だったらすぃ(笑)かくて建築とは祭事であるってか(笑)

 それからホテルシリーズで、大洲での宿の件かなぁ?「こんにち、むかしの旅籠の外観をのこしているのは、もはや大洲のこの油屋だけではあるまいか」って、ホンマでっかぁーっ?まっ古き良き日本の建物って、もー無いに等しい今日この頃だもんなぁ…

 それからあるYや紅雨荘の映画で、大洲の城下町のエピだろか?「漱石の「坊っちゃん」を映画にするときは、たいていここを撮りにくるという」って…街並みそのものがまだあるって事らしぃ…本書執筆当時だから、21世紀の今でしょ(死語?)はどーなっているのか?は神のみぞ知るかもしらんが(笑)でも四万十川といい四国ってタイムカプセルみたいなとこがあるからなぁ…

 他にアリス的というと、文学系で「太平記」の件でしょか?大森彦七とかの詳細は本書をドゾ。そんな太平記は「題名とちがって南北朝の争いの合戦ばかりをあつかっている」って、そーだったのか?太平記?

 そんな太平記は「成立は、主要登場人物の一人の足利直義の在世中だったようで、京の法勝寺の僧恵珍が三十余巻をもって直義に見せた。直義は玄恵法師という者に朗読させ、「ずいぶんまちがっていることが多いよ」といって、いちいち指摘した」そな…歴史とはフィクションであるの世界が早くも展開していた模様…ポリティカルコレクトってか(笑)

 それから、松山といえば俳諧キタコレで、「明治後、松山から出た正岡子規、内藤鳴雪、高浜虚子、河東碧梧桐らがいなければ、日本の俳句はこんにちのようではないということは、ごく平凡な常識である」そな…それにしても俳句の巨匠、みんな松山出身だったのか?

 他にアリス的とゆー事で大阪キタコレで「私の住んでいる町は大阪の場末だが、市がかつて植えた街路樹の三割ほどが住民の手で伐りたおされている」ってホンマでっかぁーっ?公共財じゃないのけ?大阪人パネェ…

 それから「古代以来、西日本の先進文明圏は、奥座敷の奈良、京都と北九州の一部をふくめた瀬戸内海の沿岸」って、そーだったのか?アリス?

 さて、四国の地理が今一なのでこれまたピンと来ないんですが、「宇和島は、ごく最近まで、日本国の街道のゆきつく果てといわれていた」ってホンマでっかぁーっ?鉄道もそゆ事らしーんだが、そーだったのか?JR四国?宇和島駅ってテルミニなんだろか?うーん?

 そんな宇和島、南伊予の歴史についての詳細は本書をドゾ。ざっくりいくと「室町期に京都から西園寺という食いつめた公卿の一族が流れてきてこれをかついだという時代がある」そで、「豊臣政権のときには、南伊予は戸田氏、藤堂氏、富田氏がそれぞれみじかい期間、領主になった」そで、江戸になってから伊達氏が入り明治維新の廃藩置県まで続くとなるそな…

 この伊達はあの伊達政宗の伊達で、「政宗の第二子忠宗が仙台伊達家を嗣ぐ、第一子である秀宗が」「宇和島まできて初代藩主となる」そな…何とゆーか、ネーミングからも薄っすら透けて見えそーなエピでして、詳細は本書をドゾ。ええ、秀宗の秀は秀吉の秀、忠宗の忠は秀忠の忠なんですよ、奥さん(誰?)

 それにしても秀吉にしても、ねねにしても子供好きで通っているけど、でもって子飼いの子達を大切に育てたとゆー逸話キタコレですけど、後の事を見てみると豊臣家って子育て、教育が下手だったんとちゃうかいな?と思うのは気のせいか?

 まぁこの宇和島藩創世記のエピでは山家清兵衛のエピが凄すぎるでござるので、詳細は本書をドゾ。ちなみに「奥州人が奥州人だけで一個の行政組織を編成して白河ノ関以西に領地をもつというのは、私の知るかぎりでは史上最初のことで、その後もない」画期的事業だった模様…

 で、「清兵衛が宇和島藩の行政をやった期間は、六年間ほどである」にもかかわらず「いまなお神(宇和島市和霊町・和霊神社)として、市中だけでなく旧宇和島藩領ぜんたいから大きな崇敬をうけているのは多少の凄味を感じさせる」位、当地では今でもビックネームって事らすぃ…いつの世も清廉潔白な能吏って殺される運命にあるとゆー事らすぃ…セレブからすれば一番目障りなのが、そゆ人なんだろなぁ…勿論事件の影には藩主の意向もあると思いますらしー…領民の為の政治より、藩主や重臣の為の政治ですよねぇ(笑)

 しかも後に「秀宗は後悔したのではなくタタリを恐れたのであろう」で、死後も慕われる清兵衛に、領民の恨みキタコレになったらあかんで、神社つくりましたをしたらすぃ…何かこの辺りは、菅原道真のそれと似てないか?トップにやましさがあると神社つくってまつりますがパターンなんだろか?うーん?

 更に、その宇和島藩の分知で吉田藩できますたとゆー件も詳細は本書をドゾ。当時世は分知ブームだったらすぃ(笑)その吉田藩は紙商売で富商法華津屋ぼろ儲け、「つくり手の農民はほとんど只働き」で一揆キタコレになった模様…結局、施政者とは領内を富ませるのは当然の事だけど、その富の再分配で不公平感をなくさないと必ず崩壊するのがパターンか(笑)一人勝ちは滅びへの道一直線ってか?しかも小手先の空約束をすると更にエスカレートするとゆー(笑)パンピーは口先で騙せばいいんだものの役人根性も昔からの伝統芸能だったんだなぁ(笑)

 それから幕末の宇和島藩で忘れてはいけないのは江戸から遠い小藩でありながら、「ペリー来航後、わずか三年というとき、世間にさきがけて蒸気船をつくった」とこじゃまいか?こちらの詳細も本書をドゾですけど、何かを造るって時の技術何ちゃらは日本、昔から健在か(笑)

 それとも一つ、宇和島藩で一人上げるならば二宮敬作でしょーで、シーボルト・イネもかかわってくるとは…こちらの詳細も本書をドゾ。更に村田像六もなんですよ、奥さん(誰?)

 寺社系の豆で、伊予豆比古命神社のとこかなぁ?こちら「延喜式」にも掲載されている古社なのに、「氏子はこのあたり一郷にかぎられていたらしく、明治後の社格も県社にすぎなかった」のだそな…でも「お宮の規模の大きさや結構の重厚さを見ると、県社にすぎなかったことがふしぎなほどである」位立派らすぃ…地方には隠れた名所がいぱーいあるってか?

 も一つ余所者からしたら不思議系ネーミングで、富士山…フジサンじゃないんですよ、トミスヤマと読むんだそな…何かミステリで使えそーと思うのは気のせいだろか?アリス?

 後、本書の名所の一つとしては開明学校(卯之町)のとこが圧巻…説明だけでも凄いので、実際目にしたら相当なものなんだろなぁと…トーシロでも思ふ(笑)まだあるのなら一度目にしてみたいものよのぉ越後屋ってか(笑)

 それから本書的に不思議さの指摘でいくと「徳川封建時代のふしぎさは、山間僻地にまで学問への刺激がおよんでいたことで、こういう奇妙さは十九世紀以前のアジアにはなかった」って、そーだったのか?二宮敬作?

 というのも「江戸末期のある時期、蘭学は宇和島といわれたときがあった。わずか十万石の、それも江戸や上方からはるかに離れた南予という僻遠の地であたらしい学問の花がひらくには、それなりの経済の裏打ちが必要であったろう」でして、こちらの詳細は本書をドゾ。宇和島藩なめたらあかんぜよってか(笑)

 後、後世に残すでは平場の遺構のとこかなぁ?詳細は本書をドゾですが「自然を人為的に保護するという思想は西洋で発達したかに思われるが、日本にもある。かつての叡山、高野山、伊勢の朝熊山などがそうで、さらには江戸期の城で平山城の形式をとった城山」とか、「京都の嵐山」とかあると思いますらすぃ…詳細は本書をドゾですが、嵐山、あれ江戸幕府が保護して残してきたものなのか…

 蛇足ですが、アリス的には高師ノ浜(大阪府の堺付近)、「高師ノ浜だけでなく、北から浜寺、羽衣、それに高師ノ浜につづく長い汀は砂が象げ色で、磯馴の松が大小とりまぜてはるかにつづき、歌の名所として古くから知られていた」ってホンマでっかぁーっ?江戸期は幕府の天領で「幕府の手でその松原は保護されていたらしい」…ところが維新後は、その松切っちゃってお金にしたそな…景観、環境、でもそんなの関係ねぇーってか(笑)なるほろそれが大阪の行政の伝統芸能か(笑)更に、戦後高度成長期によって跡形もなくなくなったとな…

 豆知識的には、典型的な伊予顔というのが、「丸顔で、ほっぺたが甘柿のようにふくらみ、両眼が小さい」タイプらすぃ…ホンマでっかぁーっ?いい女の顔はそゆ作りってか?

 これも豆になるのか?砥部焼きのとこのエピが凄い…元は砥石の産地だったんだが、この砥石の欠片、くずから焼き物作れという殿様(大洲藩主加藤秦侯)の無茶ぶりも凄いが、それを受けて、何とかしちゃう砥石業者の杉野丈助もパネェ…こちらの紆余曲折のエピの詳細は本書をドゾ。何か、この辺りの経過は今でしょ(死語?)の日本を彷彿させるエピのよーな気がするのは気のせいか(笑)

 ちなみに「明治以前、諸藩の重要な産業のひとつは蝋」だったそで、櫨の実キタコレってか?「採ったばかりのなまの蝋を天日で晒して白蝋にするのである」って、そーだったのか?蝋燭?

 それからこちら武士の豆で、「戦国のころはどういう先進的な大名でも兵道(兵頭)という者を置いていた(ひょっとすると織田信長だけは兵道を置かなかったかもしれない)」の件だろか?武士が迷信深いというよりは、「兵を鼓舞する」為に兵道が勝つと見たから大丈夫ってノリか(笑)士気上げ効果用らすぃ…

 ちなみに「薩摩の島津家にかぎっては江戸時代になってもこの職を廃せず、多くは郷士階級としてとどめた」のだそな…で、薩摩は薩摩藩内の人が自藩から外に出る事を許していなかったそだけど、「藩医と兵道にかぎっては藩外留学をゆるした」のだそな…

 で、兵道の場合、どこに行くかとゆーと、「山伏(修験道)の本山である聖護院に修法の勉強にゆくのである」ってホンマでっかぁーっ?聖護院って修験道だったのか?聖護院って聞くとかぶらしか思い浮かびませんですた…食い気ばかりで申し訳ない…

 それから、言語的なとこで、オトウサンとオカアサンって明治以後の言葉なのか?「母親のことを河内の下層農民はオカンとよび、江戸の市井の人はオッカサンなどという。旗本の家庭ではチチウエ、ハハウエであり、同じ階層でも幼児はトトサマ、カカサマ」だったそで、「公家貴族ではオモウサマ、オタタサマであり、鳥取藩の士族家庭では母親のことをオターサンとよんでいた」そな…「近畿の真宗僧侶の寺族では、京の公家言葉をまねてオモウサン、オタタサン」だったし…で、「明治の新政府は文明開化的な全国統一の必要から」オトウサン、オカウサンという言葉を創り出したのだそな…

 まあそんな訳で、東京の山の手の生徒の母親が学校に抗議したとゆー逸話もあるらしー…オトウサン、オカアサンなんて「そういう下品なことばを教えるとはなにごとか」とな(笑)新語って、まさにどこから来たのだよなぁ(笑)

 本書的に言いえて妙だなと納得したのは「われわれが持続してきた文化というのは弥生式時代に出発して室町で開花し、江戸期で固定して、明治後、崩壊をつづけ、昭和四十年前後にほぼほろびた」そな、「いまあらたな文化が興ることをためらいつつ混乱している」最中って事らすぃ(笑)21世紀の今でしょ(死語?)もまだカオスでんなの中か(笑)

 も一つ、なるほろと思わされたとこで、砥部の町のエピ…「ここは、排他性がないな」(@森和)と口にするとこだろか?ちなみに氏は他県からの移住者で、こちらにきて陶芸を始めた陶芸家…陶芸の町でこれって、なるほろじゃね?「まったく分けへだてしない」そな…

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。最後に一つ、高知と愛媛の関係性の件で、「憎悪のほうは戦国期にさかのぼるであろう。戦国期に、侵略してくるのはかならず農業生産のひくい土佐のほうからで、生産力の高い伊予側から押し出すということは、まずなかった」ですしおすしで…それって21世紀の今でしょ(死語?)でもどこかのゴホンゴホン…

 目次参照  目次 国内

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