« 満月に絞る? | トップページ | ロマンティストに捧ぐ? »

2018年4月14日 (土)

ふる雪の白きを見せぬ日本橋(笑)

100年の味 店100選  毎日新聞社

 表紙コピーは、日本橋/銀座/上野・浅草/神田/新宿・赤坂・六本木/横浜、巻前言:中村吉右衛門、巻頭特集:池波正太郎が愛した100年の味なんですが、所謂一つの東京ガイド本でしょか?

 東京の場合、江戸からですから、400年位の都市年齢キタコレで、その内、100年位続いているお店は、それなりにあった模様(笑)

 でまぁ、本書を手に取ったのは、天丼食いたしでして、東京とつけば江戸前で寿司のイメージが先行していきそーなものなんですが、何故か、東京というと、天丼か、うな重が浮かぶんですよねぇ(笑)

 そんな訳で本書に掲載されている天丼はとゆーと、A丼(銀座天國/中・銀座)、天丼(ロ)(土手の伊勢屋/台・日本堤)、海老天丼(大黒家天麩羅本店/台・浅草)、上天丼(雷門三定/台・浅草)、揚げ定食(てんぷら天庄湯島店本館/文・湯島)、大かき揚げ丼(天吉/横浜・中)とありまする…まぁ他にも天麩羅屋さーんいぱーいなので、詳細は本書をドゾ(笑)

 でで、この手で不思議なのは、天ぷらも天丼も普通に載っているんですが、何故か天茶は掲載されていないよな?とゆーか、あまり見た事ないよな?天ぷら屋さんの究極のメニューって天ぷら茶漬けだと思うんだけど、どよ?マイナー路線すぎなのだろか?そーいや、鰻屋さんのとこでもうな重もうな丼も出てくるけど、うな茶もひつまぶしのとこ位で、うな茶単独では出てこないよな?お茶漬けの立ち位置って…

 まぁそれもともかく、東京の天丼は、ごま油の黒い天麩羅に、照り焼き的な甘辛しょうゆのつゆだくまではいかないがどーんとかけた、黒々しー丼だと思うんだけど?どよどよ(笑)

 ちなみに「江戸時代のファーストフードと言えば屋台の鮨、蕎麦、天麩羅たった」そで、「天麩羅の屋台では揚げ立てを客が選んで食べていた」そで、「つけ台には専用のタレが置いてあり、客がつまんだ天麩羅をそこに付けて食べていたのだが、それを丼飯にのせたのが「天丼」の始まりだという」って、ホンマでっかぁーっ?

 

 アリス的には、朱色他の蕎麦で、神田まつや(千・神田須田町)、藪伊豆総本店(中・日本橋)、室町砂ぎ日本橋本店(中・日本橋室町)、茅場町長寿庵(中・日本橋茅場町)、そば所よし田(中・銀座)、虎ノ門大坂屋砂場(港・虎ノ門)、蓮玉庵(台・上野)、江戸蕎麦手打處あさだ(台・浅草橋)、尾張屋(台・浅草)、かんだやぶそば(千・神田淡路町)、翁庵(新・神楽坂)、浅野屋本店(千・内神田)、総本家更科堀井(港・元麻布)、永坂更科布屋太兵衛(港・麻布十番)、芝大門更科布屋(港・芝大門)とか…

 ダリ繭の寿司折で、吉野鮨本店(中・日本橋)、蛇の市本店(中・日本橋室町)、辨天山美家古壽司(台・浅草)、笹巻きけぬきずし総本店(千・神田小川町)、おつな寿司(港・六本木)、三吉橋小嶋屋(横浜・南)とか、アポロンのお造りで、割烹嶋村(中・八重洲)とか、スウェーデン館のすき焼きで、人形町今半本店(中・日本橋人形町)、今朝(港・東新橋)、ちんや(台・浅草)、江知勝(文・湯島)、いし橋(千・外神田)とか、異形のぼたん鍋で、もゝんじや(墨・両国)とかとか…

 蝶々の蟹で、かに玉(龍公亭/新・神楽坂)とか、雛人形のシュウマイで、シウマイ(ビアレストラン亜利巴゛巴゛/横浜・西)とかとかとか…

 ダリ繭他のサンドウィッチで、千疋屋総本店(中・日本橋室町)、タカノフルーツパーラー(新・新宿)とか、46番目のメロンで、千疋屋総本店(中・日本橋室町)、タカノフルーツパーラー(新・新宿)とか、異形のお饅頭で、塩瀬総本家(中・明石町)とかとかとかとか…

 あちこちで出てくるビールで、ビヤホールライオン銀座七丁目店(中・銀座)、ランチョン(千・神田神保町)もあるよと…

 それから、忘れてはいけない二人のソウルフードのカレーで、カレー南蛮そば(日本ばし やぶ久/中・日本橋)、ハイカラビーフカレー(日比谷松本楼/千・日比谷公園)、三色ライス(洋食一新亭/台・浅草橋)、純印度式カリー(新宿中村屋/新・新宿)キタコレってか(笑)

 さすが東京、江戸の名残かお蕎麦屋さんが多いよーな気がするのは気のせいか?ちなみにそんな蕎麦ネタでは、「今で手打ちブームですが、昭和の頃には製麺機械の普及と保健所の指導が厳しくなったことで、東京の手打ちがなくなった時期もありました」(@小高孝之/神田まつや六代目)ってホンマでっかぁーっ?

 藪伊豆総本店の場合となると、「蕎麦は江戸文化であり、町人たちに愛された食べ物。その観点から、食べやすい雰囲気と価格設定を貫いている」って、石臼の伝統の蕎麦が1コインでお釣りくるってホンマでっかぁーっ?

 それから室町砂場日本橋本店のとこでは「かき揚げの入った温かい汁に冷たい蕎麦をつけて食べる「天ざる」はこの店が元祖。夏でも美味しい天麩羅蕎麦を提供したいという思いから、昭和23-24年頃に考案されたという」とゆー事らすぃ…

 茅場町長寿庵のとこでは「昔は、蕎麦屋は生ものを扱ってはいけないという不文律があって、酒の肴も「板わさ」や「焼き鳥」みたいに蕎麦の材料で作るものが、「天ちら(天麩羅の盛り合わせ)」ぐらいしかなかった。うちは場所柄、宴会が多く、刺身を始めたのも早くて、実は蕎麦屋酒屋のはしりの店なんです」(@吉田博昭/四代目)って、ホンマでっかぁーっ?

 虎ノ門大坂屋砂場のとこでは、「豊臣秀吉が大坂城を築城する際、その砂置き場に生まれた蕎麦屋が現在の「砂場」のルーツとされている」って、ホンマでっかぁーっ?「おそらく徳川家康の江戸開城の際、大工たちと一緒に大坂から移ってきたのだと思います。それが江戸での砂場の始まりです。今もって大阪には砂場が一軒もありませんから」(@稲垣隆一/五代目)って、そーだったのか?アリス?

 それから忘れてはいけない二人のソウルフードのカレーで、日本ばしやぶ久のとこでは「名物の「カレー南蛮そば」」来たぁーってか(笑)ちなみに温かいのと冷たいの、辛さも普通と辛口があるって、そのこだわりが日本の蕎麦屋ってか(笑)

 又、お寿司屋さんのとこでは、鮪キタコレで、「漁船で捕る鮪は鮮度が落ちやすい。骨に近い赤身は脂分が少ないため、色が変わりにくく、鮮度を何とか保てるが、それでも醤油漬けにしなければ保存が効きにくい。脂分の多いトロとなると当時は捨てていたといわれる」って、「それは間違い」だったのか?「実は一膳飯屋では鮪鍋にして食べていた」(@吉野正一/吉野鮨本店四代目)って、ホンマでっかぁーっ?「大正7,8年頃のこと。鮪が不漁となって、赤身が高騰し、脂身部分を売ったところ意外にも人気を呼んだが、まだ呼び名はなかった」そな…それを「常連客の三井家の番頭が注文した。「霜降りの…食べるとトロっとしたあの鮨を」。それがトロという名の始まりとなり、吉野鮨がトロ発祥の店となったのだった」って、これまたホンマでっかぁーっ?

 ボタン鍋って、「江戸時代、「山くじら」と呼ばれていた猪肉を、今のようにすき焼き風にして食べるようになったのは明治時代以降のこと」なんだそな…

 も一つ、シュウマイ…「「横浜に名物を」という想いから生まれた崎陽軒の「シウマイ」」なんだそで、冷めても美味しい崎陽軒のシウマイについての詳細は本書をドゾ。

 塩瀬総本家のとこでは、「創業者林浄因は中国から日本の奈良に渡り、祖国の「饅頭」をヒントに、1349年、日本で初めて餡入りの饅頭を作った。小豆の汁を甘葛と煮詰めた餡を皮にくるんだ饅頭は評判になり、禅宗の茶会などでもてなされたという」そな…「さらに1467年から応仁の乱の頃、浄因の子孫の紹絆が中国で宮廷菓子を学び帰国。山芋をこねて皮を作る技術を持ち帰り、現存の「志ほせ饅頭」の元になるものが完成した」のだそな…お饅頭一つで日本と中国をいったりきたり…菓子職人の本気を見た?

 他にアリス的というと、きくの家(中・日本橋久松町)のとこでしょか?「繊維街という場所柄から関西企業の支店が多く、関東ならではの醤油主体の味付けにこだわっていない。"高級ホテルの和食レストランの味を普段着で楽しめる"がコンセプト」って、なるほろ大阪な空気感のよーな気がするのは気のせいか?

 後、カレー的には、松本楼の10円カレーもどよ?多分、アリスは行った事あると思うんだ(笑)

 豆知識的には、榮太樓總本舗(中・日本橋)のとこで「粳米を原料にした「銀鍔」はすでに京都にあり、焼くと銀色になる。それに対して江戸の金鍔は、餡がはみ出さないように小麦粉で溶いた液(タネ)でコーティングするのが相違点」って、そーだったのか?きんつば?ぎんつば?

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんお店いぱーい、エピいぱーいですので、興味のある方は本書をドゾ。

 目次参照  目次 食物

|

« 満月に絞る? | トップページ | ロマンティストに捧ぐ? »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

食物」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ふる雪の白きを見せぬ日本橋(笑):

« 満月に絞る? | トップページ | ロマンティストに捧ぐ? »