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2018年7月20日 (金)

賦、比、興、風、雅、領?

大人の散歩道 東京老舗歩き  日地出版、

 表紙コピーは、江戸のこだわり、ぶらっと商店街、街で見つけた美術館・博物館、東京を遊ぶ20コースなんですが、所謂一つの東京ガイド本でしょか?何とゆーか、本書は東京歩きというより、江戸歩きとゆーよーな気がするのは気のせいか(笑)

 さて、土用の丑の日きたこれで、鰻っきゃないでしょ(笑)で、本書を開いたら、最初に紹介されているお店が、鰻屋さんだったんですよ、奥さん(誰?)これはもー運命を感じて、読むっきゃないでしょ(笑)

 掲載されているのは、やっ古(浅草)でして、「創業は寛政年間(一七八九~一八〇〇)」というから、ゆうに200年はたっているとゆー事らすぃ…そんな訳で「蒲焼は生粋の江戸前」「背から割いて中骨と腸を除き、皮と身の間に竹串を差す」そな…そして「強火で素焼きし、蒸した後、タレを三~四回付けながら焼く」スタイルらすぃ…

 ちなみにこちらのお店、「江戸後期の「蒲焼番付」では評判を取っていた」そーで…歴史と伝統ってパネェ…

 蛇足ですけど、こちらのメニューに松竹梅はないそーで、うな重と蒲焼は「梅、桜、桐」で、白焼は「菊」「藤」、のランク訳らすぃ(笑)

 良心的だなぁと思ったのはランチタイムが「十一時三十分から十六時まで」なんですよ、奥さん(誰?)これなら昼時をずらしてゆっくり行けるんじゃね?

 そんな訳で、「江戸に鰻屋が多くなるのは、江戸時代も中期以降、江戸前というのは江戸の前の海という意味だから、もともと、隅田川河口から品川沖あたりの東京湾でとれた新鮮な魚介やその料理を指した」そーなんだけど、「時代が下がると、江戸前というと、ほとんどうなぎを指すようになった」とは知らなんだ?今でしょ(死語?)だと江戸前というとお寿司のイメージだが?どよ?

 その鰻も、「深川や神田川産のものが上品とされた」そで、「江戸以外のものを旅ものといい、通の人はよその川でとれたうなぎはあまり好まなかったという」って言うからドンダケェー(死語?)てな訳で江戸っ子に人気の鰻でしたけど、「庶民にとっては高価で、アナゴなどで代用した」そな…今も昔も鰻って高級品だったんだ(笑)

 アリス的には、東京というと神保町キタコレでしょか、「江戸時代には界隈は武家屋敷だった」そで、明治になると「本郷から駿河台にかけて多くの大学」キタコレになって、その学生相手に「書店」キタコレになったらすぃ…「最初の古書店が店を出したのは明治八年(一八七五)」だそで、今じゃ「蔵書数としては世界一を誇る古書店街」となりますたとな…

 そんな訳で「大正七年(一九一八)刊行の「東京新繁昌記」で「書生の神田」と呼ばれた神田は、まさに大正時代に私立大学の増設や印刷・出版業界の進出で、「本の街」として急激に発展した」そな…有名どこの古書店とゆーと「演劇シナリオ専門の矢口書店、音楽書・楽譜の古賀書店、洋書のタトル商会、総合的に古書が探せる神田古書センター」とかあるそな…蛇足ですけど、「神田古本まつり」は「十月下旬から十一月上旬」に開催されるのだそー(笑)

 ちなみに「学生が多いため、食事に関しても安くてうまい店が多い」になるらすぃ…そーだったのか?片桐さん?

まずは、ダリ繭の寿司折で、築地寿司清新館(築地)、笹巻けぬきずし(神田小川町)とか、201号室他のソーセージで、ライオン銀座七丁目店(銀座)とか、スウェーデン館のすきやきで、人形町今半(日本橋人形町)とか、朱色他の蕎麦で、室町砂場赤坂店(赤坂)、永坂更科布屋太兵衛(麻布十番)とか、スウェーデン館のシチューで、ランチョン(神田神保町)とか、暗い宿の天丼で、天満佐(本郷)とか、

 後、忘れてはいけない二人のソウルフードのカレーで、とん丼(玉ろじ/新宿)でしょか?こちらは「丼いっぱいのご飯に一口大のロースかつを二切れ乗せ、上にカレーソースを掛けた」ものだそな…それとトンテーキ(田原屋/神楽坂)じゃね?「ソテーしてなお一・五センチほどの厚みのある豚ロースを、カレー風味のソースで食べる」のだそな…

 朱色他の蕎麦で豆知識的にいくと、「寛文四年(一六六四)に「けんどん蕎麦切り」の店が始まったのがきっかけで、そばは上下の区別なく江戸っ子に親しまれるようになった」そな…ちなみに「けんどんとは、愛想のないこと、一杯盛り切りで他には何もサービスしないことから、けんどん蕎麦切りと呼ばれた」そな…もしかして、このけんどんって、つっけんどんのけんどんなんだろか?

 でもって、江戸時代の蕎麦売りって、お店と屋台があって、「屋台をかついで売り歩く形態」かつぎ売りキタコレってか?この「かつぎ売りを京阪では夜泣きうどんといい、江戸では夜鷹そばといった」そな…

 それから、異形のボタン鍋で、イノシシは山くじらと言いましたの件だろか?「江戸末期の天保(一八三〇~四四)のころになると、肉食もおおっぴらになり、肉食ブームが起きる」そで、こちらの詳細も本書をドゾですけど、「肉屋の看板は、落楓と紅葉を描き、山くじらという文字が書いてあった」のだそな…

 他に本関連というと、「吉原の近くで育った蔦屋重三郎は吉原大門口で本屋を開き、「吉原細見」で成功を収め、やがて喜多川歌麿や東洲斎写楽などの才能を育て、江戸文化に多大な貢献をした」ですしおすし(笑)

 作家ネタでは、「長命寺桜餅」の「店の二階に正岡子規が下宿していた」そな…それと、榛原(日本橋)だろか、こちら「創業文化三年(一八〇六)の和紙の店」なんですが、「山本周五郎の「さぶ」にも登場し、また永井荷風はここで原稿用紙をあつらえたという」お店なんですよ、奥さん(誰?)

 それと菊坂(文京区)の裏て辺りの路地でしょか?「ポンプ井戸が残る樋口一葉の旧居があり、近くには一葉が通った質屋の伊勢屋が残っている」し、「宮沢賢治も菊坂下の路地の二軒長屋に住み、働きながら執筆を続けた」ってホンマでっかぁーっ?何か宮沢賢治というと最初から最後まで東北住まいのイメージですた…

 また炭団坂を上ると「坪内逍遥の旧居跡がある。「当世書生気質」で高名を馳せた逍遥の自宅には「浮雲」の二葉亭四迷がたびたび訪れた」のだそで、「菊坂の北側にあった菊富士楼(菊富士ホテル)は長期滞在客相手のの下宿」だったそで、宿泊客に「正宗白鳥、尾崎士郎、宇野千代、石川淳、直木三十五、谷崎潤一郎、坂口安吾」キタコレでして、その菊富士ホテルの隣の下宿、赤心館には「金田一京助が住み、そこに一時、石川啄木が転がり込んでいた」のだそな…

 も一つ、千駄木キタコレで、「夏目漱石、森鴎外を始め多くの文学者が、この地を執筆活動の場とし、作品の舞台としている」って、ホンマでっかぁーっ?

 他にアリス的というと、アポロンの亀で、「浅草寺の総本坊、伝法院」の「小堀遠州作と伝えられる伝法院の閑寂な庭園」の「心字池には、多くの亀が住むという」ですから(笑)東西問わずお寺の池には亀がつきものなんだろか?

 それから201号室の紀尾井町のホテルで、「尾張藩屋敷は皇宮地付属地から現在では上智大学のキャンパスとなり、紀伊家屋敷は北白川宮邸から赤坂プリンスホテルの敷地、井伊家屋敷は伏見宮邸からホテル・ニューオータニの敷地となっている」ですしおすし…とはいえ、「今は高層ホテルなどが建っている屋敷跡も、明治に入った頃は殖産のため桑や茶が育てられていた」ってホンマでっかぁーっ?

 後は、四風荘の神楽坂の菓子折りのとこで、善国寺キタコレか?「歴代将軍の祈願所であり、また神楽坂の毘沙門天として古くから庶民に信仰されていた寺」なんだそな…ちなみに神楽坂、「明治から大正にかけては山の手銀座といわれる東京でも有数の盛り場だった」って、そーだったのか?片桐さん?

 それからアリス的というと、住吉神社(佃島)のとこで、「摂津国佃村から移住してきた漁師の森孫右衛門らが故郷の住吉神社を勧請して正保三年(一六四六)に創建した。鳥居の扁額は全国でも珍しい陶製で、明治十五年(一八八二)の制作。文字は神道総裁有栖川熾仁親王の筆による」って、ホンマでっかぁーっ?

 それと、大阪あるあるになるのだろか?で、げんこつ(評判堂/浅草)のとこのあられのとこで、「もち米でつくるあられは、もともと東海、関西のものだったが、初めて関東風にアレンジしたのが評判堂の「げんこつ」」とな…あられって西の食べ物だったのか?

 これお寿司もそーで、「延宝(一六七三~八一)のころ、炊いた飯に酢を混ぜる「早ずし」が大坂から持ち込まれると、何事につけ気ぜわしい江戸っ子気質に合ったようで、たちまち人気になった」そな…そーだったのか?お寿司?

 それから、笹乃雪(根岸)の豆富のとこで「江戸時代、絹ごし豆腐は京都の、しかも身分の高い人の食べ物で、庶民の町江戸には木綿豆腐しかなかった」そな、「その江戸に絹ごし豆腐を持ち込み、風雅な食べ物として広めたのが」笹乃雪の初代・玉屋忠兵衛とな…

 「忠兵衛は京都で宮家へ納める絹ごしを作っていたが、輪王寺宮が上野寛永寺の門主に就く際に同行、お抱え職人を努めるかたわら、元禄四年(一六九一)、音無川沿いに豆腐を出す茶店を開いた」のが始まりらすぃ…絹ごし豆腐ってWWⅡ以降と言われていたよーな気がしたが、実は江戸時代からあったのか?

 他にアリス的というと、月とゆー事で、六義園の渡月橋でしょか?

 豆知識的には、団子の歴史…「縄文時代に櫟や楢の実を粉にして、丸めて食べたことに始まるといわれている」ってホンマでっかぁーっ?ちなみに「庶民のおやつに広く流行ったのは江戸は元禄期で、「花より団子」の言葉もその頃に生まれたらしい」って…

 他にも、「甲武信岳を水源とする荒川の下流部分が隅田川」だそで、隅田川って「「住田川」や「角田川」とも書き、浅草川、大川とも呼ぶ」ってホンマでっかぁーっ?ちなみにそんな隅田川沿いに「浅草観音戎殺碑」が立っているそで、「浅草の観音が出現したこの一帯の川筋での魚鳥の殺生を禁じたことを示したもの」なんだそな…

 川つながりで、深川の地名って「新田の開発にあたったのが摂津の人、深川八郎右衛門らであったことによる」って、これまたホンマでっかぁーっ?

 土地のネーミング的なつながりでいくと、銀座のみゆき通り、「江戸の頃は、将軍が浜御殿行幸の際に利用した「御幸の道」だった」からとは知らなんだ…

 寺社系なのか植物系なのかアレですけど、善福寺(麻布十番)の「山門近くに立つ銀杏の巨木」は「推定樹齢七百年」で、「都内最古の木として国の天然記念物に指定」されているとは知らなんだ…

 芸術あるあるで、明治生命館(丸の内)が「「東海道五十三次」の歌川広重生誕地」だそで、「江戸時代、ここに火消屋敷があり、広重は火消同心の子として誕生している」って、ホンマでっかぁーっ?

 それから、相撲あるあるで、今のよーな興行相撲って江戸からなのか?でもって「勧進相撲といって、寺社修復の費用を集める目的で開催された」のだそな…でもって、「相撲集団は江戸、京都、大坂にあり、江戸よりも京阪のほうが盛んだったが、それが谷風が出たころには逆転する」そで…詳細は本書をドゾですけど、「京都大相撲は大正時代に自然消滅。大坂(大阪)相撲は大正二年(一九一三)に東京相撲と合併、大日本大角力協会が設立された」って、そーだったのか?アリス?

 相撲関係で、も一つ蛇足で、江戸の相撲の頃は「相撲観戦は男だけのもので、女は観に行かなかった」って、そーだったのか?朝井さん?

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。

 目次参照  目次 国内  目次 食物

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