« 夏は野菜? | トップページ | 美味しさの根源… »

2018年8月29日 (水)

文化、文化、文化…

知っておけば3倍たのしい 京都の古社寺  淡交社編集局・編著  淡交社

 表紙コピーは、古社5件と古寺40件を、創建年順に掲載。とか、世界文化遺産にふくまれる古社寺を網羅。とか、ちょっと知りたい京都の宗教史、末木文美士(仏教学者)、石川登志雄(伝統文化財保存研究所代表)とか、お寺の宗派や開創者がひと目でわかる。とか、拝観したい仏像やお堂が写真でわかる。とか、社寺の規模・地形がわかる境内図つき。とかあるんですが、所謂一つの神社とお寺のガイド本?

 この手のガイド本はいぱーい見てきましたが、今までで一番分かりやすい本かも?でもって、解説の情報量が平易なのにパネェ…歴史に裏打ちされている感が凄いです(笑)これは騙されたと思って読んでみてみての世界だなぁ(笑)タイトルに偽りなし、知っておけば3倍どころかもっと面白いんじゃね?

 にしても、京都観がちょっと変わるかもななエピがちらほらとかなぁ?例えば、「平安京が作られたときは、これほど神社仏閣だらけだったわけではない。都の中にあるのは東寺と西寺だけだった」(@末木)とか、「平安京はその周囲を墓場に囲まれ、死者の世界の真ん中で生者の生活が営まれているという構造でもある。東の鳥辺野、北の蓮台野、西の化野と三方が葬送地であり、しかも遺体はもともと野晒しで放置されるだけであったから、都の周辺は遺骸が散乱する荒涼とした地が続いていたことになる」(@末木)って、ホンマでっかぁーっ?

 まっそんな訳で、「死者の霊を慰めて彼岸に送り届け、生者に害を及ぼさないようにするために、次第に寺院が建てられるようになった」(@末木)結果、京都に寺院が増えていったとゆー事らすぃ…神社も右に同じってか…詳細は本書をドゾ。

 神社の歴史を見てみれば、アジアで見られる「祖先霊を祀ること」(@石川)キタコレらすぃ…詳細は本書をドゾ。歴史というより人類史とか宗教史の世界かも知らんが(笑)

 でまぁ日本的には「「古事記」では、伊邪那岐命から首飾りの玉が授けられた天照大神は、これを倉の棚に飾り「御倉板挙之神」としたとされる。これは神話時代の天皇が倉の棚の上に飾り玉(神璽)を安置して皇祖神を祀っていたことを示すものとされ、その際天皇は「神牀」に坐した。つまり神祭にあたりそこに居籠り(御籠り)したという」(@石川)のだそで、どゆ事とゆーと「神霊の依代である御霊代(御神宝)を安置する場所が倉になり、神殿になっていったと考えられている」(@石川)そで、「神社には祭礼の前夜祭と称して、夜を通して御籠りをする籠り堂が付帯する場合が多い」(@石川)のだそな…

 京都の開発は平安京以前からありますたとゆー事で、賀茂氏は京都の北、賀茂神社キタコレでして、「山陰から移住したとされる出雲氏は、出雲郷と呼ばれる出町西方の賀茂川西岸一帯に根付いた豪族」(@石川)、「八坂氏は山城国八坂郷と呼ばれる現在の祇園一帯に」(@石川)根付いていたそだし、京都と言えば秦氏を忘れてはいけないってかで、これらの詳細は本書をドゾ。

 アリス的には、まずは四風荘で相国寺でしょか?「室町幕府3代将軍足利義満が、初代尊氏が建てた天龍寺をしのぐ氏寺を発願して創建した」禅寺ですしおすしってか?「寺号を「萬年山相国承天禅寺」」というそで、「義満の位の左大臣を意味する「相国」と、中国の五山「大相国寺」に由来する」のだそな…

 とゆー訳でお寺の歴史についての詳細は本書をドゾ。そんな相国寺は「同志社大学の北側にあたる境内には相国寺本坊以下、12の塔頭がある。また、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、真如寺の3寺は相国寺の山外塔頭になる」って、ホンマでっかぁーっ?金閣寺って、あんなにキラキラしているのに禅寺だったのか?禅って、元祖侘・寂のモノクロームの世界かと思ってますた…

 ちなみに「境内は自由に参拝できるが、堂内の拝観は、特別拝観時に限られる」のだそな…とにかく見どころいぱーいですので、こちらの詳細も本書をドゾ。で、一つだけ、相国寺には若冲があり〼のとこだろか?「相国寺第113世住持梅荘顕常を師と仰ぎ、禅や絵画・文芸の指導を受けた。若冲は相国寺に、「動植綵絵」三十幅(現在は三の丸尚蔵館蔵)と「釈迦三尊像」三幅対を寄贈し、鹿苑寺大書院の障壁画を手掛けた。その障壁画の一部は、承天閣美術館に移され常設展示されている」そな…

 それから「相国寺の境内跡地に同志社大学が建っているように、上知され公有化された境内地の多くは学校地となったが、皮肉にもこのことが、その後の京都の町や寺院周辺が土地開発による景観破壊から免れる結果となり、「学問の府・京都」の基礎となったのである」ですしおすし…

 も一つ、アリス絡みのお寺としては、准教授の裏庭、銀閣寺キタコレだろか?こちらは八代将軍足利義政の山荘だったけど「義政が没した年(1490年)に禅寺となり、相国寺・金閣寺と同じく夢窓疎石を勧請開山とした」のだそな…でもって「1614年方丈が建てられたが、その南庭に向月台、銀沙灘が造られたのは、これ以後のこととされる」って、そーだったのか?アリス(笑)

 そんな銀閣寺の詳細は本書をドゾですが、「方丈、東求堂、弄清亭の3ヵ所は特別拝観時にのみ、ガイドの解説つきで入室できる」のだそな…

 他にアリス的というと、秦氏のとこで「推古天皇11年(603)聖徳太子より弥勒菩薩半迦思惟像を賜った秦河勝は、仏像を祀る峰岡寺(後の広隆寺)を平野神社(北区平野)付近に建立した」の件でしょか?聖徳太子的に?

 それから「寂光院は聖徳太子が、父用明天皇の菩提を弔うために、自作の地蔵菩薩像を安置して開創したと伝えられている」そで、「寂光院では聖徳太子の乳母玉照姫を初代住職」に認定キタコレですしおすし…

 他に聖徳太子的というと、西本願寺と東本願寺のとこかなぁ?真宗的にあると思いますだったらすぃ…というのも「親鸞聖人に夢告した聖徳太子」な逸話ありまんねんって事らすぃ…そんな訳で、西本願寺は「六角堂」に「聖徳太子の彫像」あり〼だし、東本願寺は「阿弥陀堂」に「聖徳太子絵像」があるそな…

 それにしても東と西って一体?と思っていたら、これって「第11代顕如の没後、長男教如が継続するが、豊臣秀吉はこれを認めず、三男准如に譲らせる。隠退し独自の活動をしていた教如に、徳川家康が烏丸六条に土地を寄進した(1602年)」そで、准如の方が西、教如の方が東という事になったらすぃ…

 後は西芳寺で、「苔寺こと西芳寺がある西京区松尾は、聖徳太子の別荘があった所といわれる」ってホンマでっかぁーっ?

 お寺の方の京都の歴史的流れの方は、平安京遷都キタコレで、これは「南都七大寺に代表される東大寺や興福寺など、平城京域内にあって都市仏教として大きな影響力をもち、世俗化した寺院勢力から逃れることも大きな狙いだった」(@石川)が本音じゃね?

 そんな訳で「平城京から平安京への大寺院の移転は禁じられ、新京域内で建立を許可されたのは南端の九条に朱雀大路を挟んで、東寺と西寺の二寺のみ」(@石川)ですしおすし…後に東寺が空海への件は本書をドゾ。

 又「平安京成立後も私寺の建立が厳しく制限され、平安時代を通じて京域内に正規の寺院建立は許されなかったが、貴族の持仏堂である平等寺(因幡堂)や、民衆の町堂である頂法寺(六角堂)・行願寺(革堂)など一部の小寺の建立は認められた」(@石川)そで、その他奈良、平安期にでけたお寺は平安京周辺に建てられたとゆー事らすぃ…そして、平安時代に二代スーパースター、最澄と空海キタコレになるのか(笑)

 そして鎌倉キタコレで、鎌倉仏教もキタコレになって、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮という始祖誕生ってか…ちなみに栄西って「わが国臨済宗の初伝者として知られているが、初めから禅宗を学び伝えるために入宋したのではなかった」(@石川)ってホンマでっかぁーっ?まっこちらの詳細も本書をドゾ。

 豆知識的には、延暦寺のとこで慈恵大師(元三大師)が出てくるんですが、なんとこの方「おみくじを考え出した人とされ、元三大師堂では自分の悩みを紙に書くと、僧侶が読経し、おみくじを引いて、教えを授けてくれる」って、そーだったのか?延暦寺?

 他の豆では、三千院のとこで、「比叡山を水脈とし、境内をはさんで流れる二つの川は呂川と律川と名づけられている」そで、「呂と律は「呂律がまわらない」というときの呂と律で、声明の音律に由来する」って、ホンマでっかぁーっ?

 それから、聖…「大きな寺には属さず、個人で活動した僧を「聖」というが、つねに市井にあった空也はとくに「市聖」とよばれる」のだそな…空也上人パネェ…

 これは豆と一口で言っていいのか?アレだけど、何がと言えば日野氏のとこなんですが?「平安京南部に位置する日野は、藤原鎌足を祖とする藤原北家につながる日野氏の里」なんだそな…でもって「浄土真宗の祖親鸞も日野氏で、1173年に日野で生まれた」って、親鸞平安末期生まれなのか?でもってお年頃の頃は鎌倉時代とか?

 まぁともかく日野氏に戻ると「室町幕府3代将軍足利義満が日野資康の娘康子を正室にして以来、室町将軍家は代々、日野氏から正室を迎えるならわしになり、日野家の栄達は頂点を極めた」そな…で「8代将軍義政の正室・日野富子の専横は応仁の乱の原因となり」ますたとな…まっこれによって「日野氏の権勢も失墜した」そな…なるほろ応仁の乱、教科書的にはいきなり日野富子キタコレで何じゃそらと思っていたら、そゆ前振りがあったのか(笑)それにしても、藤原鎌足から今までの藤原北家の功罪ってのを並べてみたら、相当にアレな気がするのは気のせいか(笑)

 何か信長とお寺というと本能寺がすぐに浮かぶんだけど、「戦国時代には、知恩院に本陣を構えて足利義昭と戦った織田信長が、戦勝を感謝して諸堂修復料や寺領を寄進」したってホンマでっかぁーっ?ちなみに知恩院、この後も秀吉、家康、秀忠、家光と寄進者キタコレ状態だったらすぃ…やり手のおしょさまでもいたんだろーか?

 ビッグネームきたこれでは、建仁寺のとこだろか?で「秀吉の外交顧問であった僧恵瓊は広島の安国寺の方丈を移築」の件が出てくるんですけど、恵瓊って毛利の外交担当じゃなくて、秀吉の外交担当だったのか?となると、毛利の外交は誰に?小早川隆景か?

 それから古文書でやたら出てくる御家流ですけど、「伏見天皇の皇子で17代門主の尊円法親王は、武家勢力をも味方につけて天台座主につき、青蓮院の勢力を強大にした」お人だそで、「名筆家だった親王の書跡は青蓮院流とよばれ、のちに徳川幕府の公文書の書風に指定され、御家流の名がついた」って、ホンマでっかぁーっ?

 他には、妙法院門跡のとこでしょか?こちら「幕末の妙法院は、「七卿落ち」の舞台」として有名なとこらすぃ…「幕末の混乱期、薩摩・会津藩士による1865年8月18日の政変で三条実美ら尊王攘夷派の七公卿が失脚した」しで、「彼らは妙法院で長州藩と密儀をこらし、長州へ落ち延びることになった」そな…このシーンを「毎年10月の時代祭行列のなかでも再現されている」って、ホンマでっかぁーっ?京都的には未だに会津じゃなくて長州なのか?

 さて、いずこの寺社も皆それぞれに参拝・拝観色々あってなですけど、西芳寺どよ?かなぁ?というのもわざわざコラムで「訪ねるのはそう観点ではない」とことわりがきがあり、「往復はがきでの申し込みにより、西芳寺から返信された参拝証を持って、指定の日時にうかがう」方式らすぃ…いつでも誰でもウェルカムという訳ではないらすぃ…

 神社系の豆では、宇治上神社だろか?「宇治川の東側には、宇治神社と宇治上神社が隣接して鎮座」してるそで、「二社は宇治離宮明神と総称され、宇治神社は離宮下社、宇治上神社は離宮上社」と呼ばれていたそな…そして祭神は、応神天皇、仁徳天皇、菟道稚郎子とな…

 応神天皇は「宇治木幡でこのあたりの首長丸迩氏の娘宮主矢河枝比売と出会い、角鹿の蟹の歌をうたって求婚し、皇子をうんだ。これが菟道稚郎子である」そで、ちなみに「第16代仁徳天皇は応神天皇の皇子で、菟道稚郎子は仁徳天皇の異母弟になる」そな…「菟道稚郎子は才気にあふれていたので、父に可愛がられ皇太子に指名されたが、応神天皇の没後、兄に皇位を譲ろうとした。二人は3年間互いに譲り合い、菟道稚郎子はとうとう自ら命を絶ったと「日本書紀」には書かれている」ってホンマでっかぁーっ?

 ちなみにこの宇治上神社、「現存最古の神社建築である」そで、この辺一帯は世界遺産なんだそな…世界遺産、地元の観光業的にはあると思いますですけど、それ以外にとってはどよなんだろー?どよ(笑)

 掲載されている神社は、
 上賀茂神社(京都・北)、下鴨神社(京都・左京)、宇治上神社(宇治市)、八坂神社(京都・東山)、伏見稲荷大社(京都・伏見)
 掲載されている寺院は、
 寂光院(京都・左京)、鞍馬寺(京都・左京)、清水寺(京都・東山)、神護寺(京都・右京)、延暦寺(滋賀/大津)、三千院(京都・左京)、曼殊院門跡(京都・左京)、東寺(京都・南)、永観堂禅林寺(京都・左京)、醍醐寺(京都・伏見)、大覚寺(京都・右京)、仁和寺(京都・右京)、六波羅密寺(京都・東山)、清凉寺(京都・右京)、浄瑠璃寺(木津川市)、法界寺(京都・伏見)、平等院(宇治市)、青蓮院門跡(京都・東山)、妙法院門跡(京都・東山)、建仁寺(京都・東山)、高山寺(京都・右京)、御寺泉涌寺(京都・東山)、知恩院(京都・東山)、東福寺(京都・東山)、西本願寺(京都・下京)、東本願寺(京都・下京)、南禅寺(京都・左京)、大徳寺(京都・北)、妙心寺(京都・右京)、天龍寺(京都・右京)、西芳寺(京都・西京)、等持院(京都・北)、相国寺(京都・上京)、金閣寺(京都・北)、龍安寺(京都・右京)、銀閣寺(京都・左京)、智積院(京都・東山)、高台寺(京都・東山)、萬福寺(宇治市)、法然院(京都・左京)

 目次参照  目次 文化・芸術

|

« 夏は野菜? | トップページ | 美味しさの根源… »

文化・芸術」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 文化、文化、文化…:

« 夏は野菜? | トップページ | 美味しさの根源… »