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2018年8月 9日 (木)

全ての道はドーダに通ずる(笑)

ドーダの近代史  鹿島茂  朝日新聞社

 所謂一つの歴史本なんだろか(笑)でもって、ドーダって何じゃ、そら?とゆーと、「定義 ドーダとは、自己愛に源を発するすべての表現行為である」とな…詳細は本書をドゾですが、「もしかすると、ドーダ理論は世界最強のグランド・セオリーなのかもしれないのである」ですしおすし(笑)単に、男の本音だからじゃね?と思うのは気のせいか(笑)行動原理はいつも、ドーダ、俺って凄いだろっから始まるって事じゃね?

 でまぁ、そんなドーダ心を踏まえて、日本史を見てみよーとゆーのが本書かな?それも「日本の歴史で、ドーダが一番強烈にあらわれている」「幕末から明治にかけての日本の近代」にスポットライトってか?何と言っても「他の時代に比べて、出現したドーダ人間の数が圧倒的に多い」って事になるらすぃ…てっきり戦国かと思ってみたら、ドーダ的には幕末明治の頃になるのか?成程、維新の元勲ってドーダ男の集まりだったのね(笑)

 さて、ドーダな人達を追う旅に出るぅぅぅですが、ドーダにも色々内訳がありまして、陽ドーダと陰ドーダ、外ドーダと内ドーダetc.あるらすぃので、こちらの詳細は本書をドゾ。字面からだけでも何となく分かると思うがどよ(笑)

 でまぁ、幕末・明治って日本の夜明けじゃあーっでもあったけど、ドーダの夜明けじゃあーっでもあったのか?でもって、「日本の歴史において、こうした政治的ドーダの一点突破全面展開が成功した例はというと、それは幕末の尊王攘夷運動に尽きる」のだそで、「この運動の発端には水戸学」じゃねとゆー事らすぃ…

 何故か?の詳細は本書をドゾですけど、まるめると「水戸人の最も得意とするのは貧乏自慢である」って、ホンマでっかぁーっ?しかも「この貧乏自慢ドーダが明治まで流れ込んで刻苦勉励であるマルクス主義とブレンドされてできた最悪の思想が日本の共産主義である。金日成の主体思想や毛沢東思想も、アジア的貧乏自慢ドーダのバリエーションといえる」って、マジかぁーっ(笑)

 で、水戸藩のそれは何とあの水戸黄門、水戸光圀の頃から始まるとゆーから、ドンダケェー(死語?)それでもまだ光圀の頃はまだ何とか回ったが、その次となると本当は増えてもいないのに石高勝手に十万石程上げてみますたまで実施している水戸藩の見栄っ張りパネェ…しかも大日本史関連で「知的見栄張りドーダ」キタコレで「貧乏学者という、およそ、ドーダ学においては最低のドーダ人間を大量に生み出した点」もありますよってにとなったらすぃ…

 そんな水戸藩の内情具合についての詳細は本書をドゾ。藩の政治、経済、学、人間関係、何か幕末に向ってクレッシェンドってか(笑)てゆーか、水戸藩の鬱屈って、光圀の大日本史編纂からして、そゆ事だとは知らなんだ…「歴史を書くことで、敵の正統性をひっくり返し、錦の御旗はこちらにあると示す、一発大逆転の試み」ってホンマでっかぁーっ?

 徳川の御三家という地位は、パンピーから見たら何不自由ない雲の上の人なイメージだけど、中の人的には「王弟の一族」の悲哀以外のなにものでもないらすぃ…かくてルサンチマンきたこれになるのか…

 そしてそれは水戸学へ脈々と流れていく訳で…こちらの流れの詳細は本書をドゾですけど、「後期水戸学は、自分たちに冷や飯をくわせている水戸藩の上層部、そして、それを支持している幕府をやっつけるために、日本の歴史を範に取り、仏教批判を展開したのである」って、ホンマでっかぁーっ?自己正当性の為に尊王攘夷に突っ走るってか(笑)

 アリス的には、ドーダとは何か?の解説のとこで、「流行作家が銀座の高級クラブに行って、出迎えたママに「寝てないんだ」と憮然としてつぶやくのは「忙し自慢ドーダ」であり」の件かなぁ?アリスも銀座で豪遊あると思いますなんだろか?片桐さん(笑)

 ちなみに「表現というものは、それがどんなかたちをとっていようともドーダなのであって、だれよりもドーダ意識が強い人間が表現者となるということだ」で、文学史も美術史も「みなドーダの歴史になってしまう」って、そーだったのか?アリスにアマノン画伯(笑)

 他にアリス的というと、仏の司法制度の件かなぁ?「一九七一年に司法制度が改正されるまで、フランスでは、弁護士と代訴人はまったく別の職業として扱われていた」の件だろか?法学部卒のアリスって?

 それからアンソロジーのとこかなぁ?仏には「ルクーユ・ド・モルソー・ショワジ」という「それぞれの作家の本質がよく出た箇所だけを集めた抜粋集」があるとな…何じゃそら?とゆーと、「リセやコレージュ、あるいはその補修を行う生徒は、授業時間には否応無く、これらのアンソロジーで、十七世紀の古典主義時代の作家(コルネーユ、モリエール、ラシーヌ、パスカル、デカルト、フェヌロン、ボシュエ、ラ・ロシュフーコー、ラ・フォンテーヌ、ラ・ブリュイエール)や十八世紀啓蒙主義時代の哲学者(ヴォルテール、モンテスキュー、ルソー)のアンソロジー、あるいはアンリ・マルタンやヴィクトル・デュリュイなどの歴史書の抜粋を読まされるのである」って、そーだったのか?一般教育?

 で、生徒は何でそんな事になるのかとゆーと、仏の試験って口頭試問、与えられた命題にYes/Noで答えなければならず、YesかNoかが問題ではなく、その議論を正しく展開できるか?がポイントなんだとな…で、議論は必ず「具体的な例によって証明されなければならない」となり、その論拠に「古典としてだれもが知っている有名作家のテクストを用いるのがベスト」じゃまいかで、アンソロジーきたこれになるらすぃ…

 よーするにアンソロジーに掲載されている名文をチョイスして、組み合わせて議論を展開してみんしゃいとゆーのが、欧米の常識とな…アンソロジーに出てくる文位知らないなんて、ありえへーんの世界とな…いつの時代もテストってあんちょこありきの世界なんだなぁ(笑)

 こちらは准教授的になるのかで、「学者の知的ドーダの激しさは、食いぶちのある無しと、そこから派生する党派争いが加わると、とんでもないレベルまで達する」の件かなぁ…「純粋な学問の対立のように見えながら、その実、根底には形而下レベルでの対立が存在しているということが、思いのほかに多いものなのだ」って、英都大はともかく、犯社の学会辺りもそんなもんなんでしょか?准教授?

 後、高杉晋作と吉田松陰の出会いの件、高杉晋作は「生まれて初めて、吉田松陰という「バカでない人間」と出会い、評価されたことで、ヤル気を見せた」「ドーダ人間は、その本質においては、愛情乞食、称賛乞食なのである」って、まぁここまでアレだとは思わないが、准教授とアリスの階段教室での出会いも通奏低音的にはそんなとこだったんでしょかねぇ?今日も元気だ、カレーが美味しいとか(笑)

 それから因幡さんから絡みで、メディアキタコレか?「禁欲性、倫理性からする政治家批判が、自由民権の時代から今日までずっと日本のマスコミの論調の基幹となってきた」そで、「右翼にしろ左翼にしろ、新聞の社説は、せんじ詰めれば、必ずや、この禁欲礼讃に行き着く」って、そーだったのか?清く正しく美しく?

 も一つ、「「文藝春秋」に載った「毎日新聞編集委員」の新井宝雄の「森氏の批判に答える」ていう今となっては「驚くべき」としか形容のしようのない文化大革命礼讃記事(こんな毛沢東盲従主義者が天下の「毎日新聞」の編集委員だったとは!)に衝撃を受けて書き留められた感想」を山本七平が「ある異常体験者の偏見」で書いているそな…

 で、著者によるその「森氏の批判に~」の引用部分の詳細は本書をドゾですが、「今になってみると、その引用部分だけでも、森康生の指摘が正しかったことがわかる。これぞ、大新聞の編集委員というものがいかにいい加減なものであるかを自ら露呈している記念碑的な歴史証言というほかないが」って、マスコミの体質も伝統芸能だったのか(笑)

 後は、法治国家の件かなぁ?法学部卒のアリス的に?大久保と大隈が目指した近代日本は「政権担当者がどんな馬鹿でも不道徳漢でも、そこから生まれる政治に変化のない法治国家」って、そーだったのか?今でしょ(死語?)

 さて歴史かぁ…その時歴史が動いたってゆーパターンは、「国内に打倒すべき敵がいた場合、その敵は侵略的な外国の手先だと断罪するのが革命なり改革の一番手っ取り早いやりかた」なんだそなで、その場合の条件一、「その敵が、贅沢や性的な放埓などにうつつを抜かしている(と見える)特権階級であること」、こゆとこにはそれに対する不平不満を感じるルサンチマンがいぱーい増殖しますですしおすし(笑)条件二は「漠然としたものであれ、外敵の気配が感じられること」で、敵の正体が見えなくても、その影が見え隠れすればOKとゆー事か?陰謀説キタコレ状態に突入ってか(笑)

 それにしても本書でしみじみしてしまった一文に「カタストローフを警告する者は、同時にカタストローフを待望する者でもあることを忘れてはいけない」の件だろか?狼が来るぞぉーっ?

 後、どこかで聞いた事があるよーなエピだなぁでは、大津浜事件の件もどよ?「打倒すべき体制の腐敗堕落分子は、外敵に対して軟弱であり、弱腰であることが判明したからである」、「外敵と内通したり、利益誘導をしているわけではない」にしても外敵に軟弱、弱腰な態度という事は「国益に反するという一点においては、まさに利敵行為であり、売国奴も同然なのである」って、何か今でしょ(死語?)と被るよーな気がするのは気のせいか(笑)いつの時代も政権って、軟弱者がデフォなんでしょーか?セイラさん(笑)

 でまぁ、水戸学的には、「外敵と腐敗堕落分子を背中合わせにして葬り去る一方で、自分たちをうまいこと救済し、権力奪取を可能にするウルトラCの論理」が「尊王」なんだとな…水戸黄門の遺産パネェ…単語って一人歩きするもんなんだなぁ…天皇を掲げて、外敵に対抗して、自分達がトップに立つ、話がうま過ぎて逆に胡散臭くなるんだけど、でもそんなの関係ねぇー(死語?)で、尊王攘夷にまっしぐらってか?

 とはいえ、現実見ろよもある訳で(笑)更にとはいえ、「世の中、正しい現状分析と正しい方針提起がかならずしも受け入れられるとは限らない」って事じゃね?「むしろ、正しがゆえに、権力を握る現状維持派には退けられるのが常なのだ」ですしおすしで、もしかしてはいここわらうとこなんだろか(笑)

 結局、「ある組織(国家、藩、会社etc.)において権力を握っているものにとって、最優先されるべきは、自分たちの権力の維持であり、組織の運命ではないからだ」って、そーだったのか?霞ヶ関(笑)もー本書、この一文だけで、天晴れでも、三ツ星でも、五つ星でもつけていいんじゃね(笑)もしかして、ここは最近の若い者は、もとい爺どもはと声を大にして言っていいとこなんだろか(笑)

 後、言葉的なとこで、本来は攘夷がまずあって、その為に尊王キタコレのはずだったのに、攘夷尊王とならず、尊王攘夷となったのは何故か?の詳細は本書をドゾ(笑)

 他には一つ面白いと思わされたとこで、「革命運動というのは、その元になる思想や主義主張が論理的にはかなりおかしくとも、いやむしろ、飛躍と短絡を繰り返すようなハチャメチャなものであればあるほどパワーを持ちうるという性質がある」の件じゃなかろーか(笑)結局、革命って、狂気か、祭かの世界なんじゃろか?

 でまぁ、本書はドーダをゆくですから、ドーダ人間と革命の接点はといえば「「本来ならオレたちはオマエたちの上に立つべきなのに、現実には、オレたちはオマエたちに虐げられている」という、現状を理不尽と感じる階級的被害者意識が不可欠」って、それってどこかのゴホンゴホン…何とゆーかへんに自信家のモテない殿方の言い分に似ている気がするのは気のせいか…

 カチカチの身分制の中では陽の目を見ない人達の群れが、それを打破する尊王攘夷運動に結びついたとゆー事らすぃ…まぁそれで四民平等を目指したというのならば、なるほろの世界だが、本音は自分(達)だけが上にとってかわる事だもんなぁ…革命というよりは下克上の権力闘争じゃね?

 とはいえ、本書的には「革命はドーダが階級的ルサンチマンと結び付いたところからのみ生まれるのである」ですしおすしとな(笑)

 そして「ドーダ人間の本質は、「オレほどすごい奴はこの世にいない。世界でオレが一番」と、なんの根拠もないのに思い込むことである」って、それってどこの白雪姫の継母(笑)更に「たいていの者は「自分のすごさ」を言葉に表出する能力もなければ、その発露の道も見つけることができない」って、それって継母より分が悪くね?

 そんな訳なのか「ドーダ人間は、放っておけば、おのれの「すごさ」の表現手段を、最も単純な「腕力」というよりも「暴力」の中に発見するものなのだ」そな…力で、拳で決めてまえって…幕末、脳筋の世界だったのか(笑)まっそゆ事で尊王攘夷というビックウェーブに乗ろうじゃまいか、力づくて事らすぃ(笑)

 さて、幕末・明治の日本史を巡る旅、ドーダ視点で見るとで、本書は、主に高杉晋作、西郷隆盛、徳川慶喜、中江兆民、頭山満に焦点を当てている感じだろか?で、こちらの詳細は本書をドゾ。高杉は人望がなかったとか、西郷の底抜けの自信家ぶりとか、慶喜は徳川というよりも一橋な人とか、偉人も人の子というより、ドーダ極め付けキタコレのお人だったのねぇですが、やはりここは、中江兆民を見てみよーじゃまいかでしょか?何といっても著者、仏専門家ですから、兆民とこのエピが仏絡み多くて、テラ面白スなんですよ、奥さん(誰?)

 でまぁ、中江兆民とは「日本の近代思想史において」彼程「強烈なドーダの持ち主はいないし、また、そのドーダの質が、その後の日本のドーダの典型となったから」って、ホンマでっかぁーっ?経歴を見ると、典型的な草食男子な生まれと半生のよーな気がするが、一皮むけば、何だかなぁな殿方そのもののよな(笑)例えば「普段はフランス仕込みの紳士なのだが、酒が一滴でも入るととたんに傍若無人な壮士に豹変し、乱暴狼藉に及ぶ酒乱の気味があった」って、それってまさに貴方は病気ですそのものじゃね(笑)又、日本の男女交際についての兆民的には「日本の男はセックスがらみの接待を専門とする芸妓などばかりを相手にしているため、令嬢令夫人と接する場合でも、ついいつもの癖が出て、下品で猥褻な振る舞いが出ることが多い」って、これまたまさに貴方は病気ですアゲインってか(笑)何とゆーか「中江兆民は、ことプロの女性に関する限り、完全な性差別主義者だったのである」の件は、今でしょ(死語?)の殿方の本音を聞いてみたいものよのぉ越後屋ってか(笑)

 でもって、弱者ビジネスも中江兆民からキタコレになるのか?まぁ自称弱者の味方のメディアの姿勢もどきのお手本になったのは確かなよーで…「自らを人民大衆という「弱者」の立場に置き、何人も非難しえないその有利なポジションから、時の政府を「卑劣漢」「弱腰」「売国奴」などと激しく弾劾し、大衆の単純な怒りをかき立てるという自由民権運動(のちの社会・共産党的)戦術が、じつに、ルソーをお手本にした中江兆民に端を発するのではないかと疑われるからだ」って、ホンマでっかぁーっ?なるほろ中江兆民、元祖モラハラの申し子だったのか(笑)

 歴史的にどゆ流れかとゆーと、「西郷隆盛が西南戦争という「革命戦争」によって開始した「陰ドーダ」公式」キタコレは、今度は「中江兆民によって「ペンの革命戦争」に持ち込ま」れた先が、「純粋さと清貧を絶対的価値基準とする自由民権派的マスコミにおいて大輪の花を開かせ」て、行き着いた先が「あの愚かしい十五年戦争の「革命の方法論」にたどりついたのではないか」って、日本の明治からWWⅡって一体…

 そんな中江兆民のプロフィールについての詳細は本書をドゾ。ただ、兆民ってシニフィエではなくシニフィアンのお人だったらすぃでお察し下さいってか(笑)本書ではサルトルとの対比が面白いです。兆民とサルトル似たよーな気質の持ち主って事か…社会や政治や経済よりも、哲学、観念論じゃあーってか(笑)

 でもって、「高級オタクはフランスを目指す。それもドーダのために」の件は、自分の興味のある事以外はとことんどーでもいいとこが凄いよなぁ(笑)「語学と女の子との遊びが大好きで、政治や男同士の付き合いが苦手」な人柄というのも何だかなぁ(笑)

 この兆民の仏語遍歴というか仏語偏執、もしくは仏語ストーカーか(笑)仏語の為ならどこまでもで留学までもぎとる訳だから凄い…「兆民にとっての目標はフランス語をマスターすること、これに尽きる。他のことは、たとえ日本がなくなってしまったとしても、まったくどうでもいいのだ」って、マジか(笑)兆民という人は、仏語と私で完結してしまうよーな人物だったらすぃ…ただひたすらに仏語があるのみって、いっそ天晴れってか(笑)

 ただ、現地に行ってしまえば当たり前だけど、どんなに他所で仏語に優れていたとしても、現地のネイティブには敵う事はないのが道理(笑)母国語って結局そゆ事なんでしょねぇ…語学の才能があって、どれだけ勉強したとしても、埋められない溝があり、出来る人程気付き、たどり着けないソレが…かくて我らが兆民も「シニフィアンの使い手の自分に絶望したことで、ようやくにして、フランス語のシニフィエに」「思想」に行くぜっとなったらすぃ…

 まぁ詳細は本書をドゾですけど、そこで兆民はルソー(の文?本?)に出会ってしまったとゆー訳でんねんってか?まさにどーしてどーしてぼくたちであってしまったのだろおそのものかもなぁ?かくて、兆民は日本のルソーへの第一歩を知らずに進む事になるのだろか?ルソーについての詳細も本書をドゾ。何か聞けば聞くほど、ルソーと兆民って五十歩百歩のよーな気がするのは気のせいか(笑)

 ちなみにカッシーラーが「後世のあらゆるルソー論の先駆となる」エッセイが出たのが「一九三二年のハンブルク」にてとな…で、「カッシーラーは「社会契約論」を虚心坦懐に読めばファシズムとスターリニズムの国家論そのものだよ、といっているのだ」ですしおすし…それなのに「フランス革命の際には、「解放の書」として広く民衆から歓迎され、革命のバイブルとされた」の何故か?の詳細は本書をドゾですが、「仮借なき自由剥奪の書であるはずのものが、無限の自由を可能にする書であるかの如くに誤読されて、フランスでも日本でも「解放の書」扱いされて熱狂的に歓迎されてしまったのである」そで、その誤解はソ連崩壊の冷戦構造終焉まで続いたとゆーから、世にも奇妙な物語ってか(笑)人間の思い込みってパネェ(笑)

 何とゆーか、ルソー的史観でいくと「権力の座にある者については、たとえそれがどんな者であろうと、正当な権利など持たない強欲な利益集団、私的利益だけを図ろうとする私党であると解釈する」の件は、まぁこれによって、己の立ち位置を正反対の完全正義キタコレに置けると(笑)まっ世の中「じっさい、歴史は、私的利益集団による権力奪取の連続であった」ですしおすし(笑)まさに、儲けちゃいけないんですかぁーな権力者がルソー以前のマキャベリ的思考だったと…

 ところがどっこい、ルソー以後はちょっと待ったぁーっキタコレになったとな…こちらの詳細も本書をドゾ。社会契約論を深読むヨロ(笑)まっとにかく、どゆ事になったとゆーと「私的利益(本能)という行動原理が「正義」に代わったということ」なんですよ、奥さん(誰?)

 さて、話は戻って日本のルソー、中江兆民キタコレで、「三酔人経論問答」を見てみよーじゃまいかで、こちらの詳細も本書をドゾ。どゆ本とゆーと、南海先生と紳士君と豪傑君の三人による酒を囲んでの時事放談、居酒屋談義だろか?一例としては、「それなら、もしどこか酔狂な国が、われわれが軍備を撤廃したのにつけ込んで出兵し、襲撃してきたらどうします」(@豪傑君)に「私は、そんな狂暴な国は絶対ないと信じている」(@紳士君)で、それってどこかのゴホンゴホン…

 何とゆーか凄い…ルソー的とゆーか、兆民的とゆーか、正義とは何か?ここに極まれりじゃね?で「私的利害による無秩序な闘いが激化して人間の存在を脅かすようになったとき、人間は生存形式を変え、自然状態から社会状態に移行せざるを得なくなるが、そのときに、社会契約としての正義や道徳を誕生させるのだ」って、ホンマでっかぁーっ?

 正義誕生ばんざぁーいでめでたしめでたし…自然状態から社会状態になったら本能より正義にシフトチェンジするとは(笑)だが待って欲しー、「正義という概念を獲得した人物は、必然的に自分以外の者を不正義な人間とみなして蔑視するはずだから、人間同士の闘争は自然状態におけるよりもっと仮借なきものになるだろう」じゃね?その具体例として、仏革命の恐怖政治、「以後、ソ連、中国、北朝鮮、ベトナム、カンボジアなど世界の国々で革命が起こるたびに繰り返されてきたこと」「ジェノサイドは、正義と道徳という概念が生まれて初めて可能になるのである」ですしおすしで、正義の木の下には死体が埋まっているってか?

 更に、紳士君のそんな狂暴な国云々のとこで、一例として「フランス革命によって全国民が生きた道徳と化したフランス共和国」の場合、それによって「フランス第一共和国は、非武装になったわけではない」そで、むしろ「全国民が志願兵となって武器を取り、前線に赴いて不正義の侵略国たるプロシャやオーストリアの軍隊を撃破した」そで、「道徳で武装した国家というのは必然的に好戦国家となるのである」って、そーだったのか?米の正義(笑)かくて、「ソ連の行ったポーランド侵攻、満州侵略、ハンガリー侵入、チェコ侵入、中国のチベット侵略、北朝鮮やカンボジアの自国民ジェノサイド、すべてスターリニズムという「道徳」によって合理化された蛮行である」ですしおすし…

 まぁこちらの詳細は本当に本書をドゾですけど「紳士君のいう道徳国家こそはスターリニズム=ファシズムの温床にほかならない」し、「非武装中立論者が北朝鮮を例外なく讃美していたのは、ゆえなきことではないのである」に至る訳か(笑)

 てな訳で豪傑君の方の方法論についての詳細は本書をドゾ。マキャベリ風味も忘れてはいないってか(笑)

 さて、兆民の思想はどよ?とゆーと、「ルソーにおいて、自分自身を発見したこと」になり、「自らとルソーの自他一体化が、そのまま自己愛の充足となった」そで、最早ルソーは兆民にとって他人ではなく自分だの世界が展開していた模様…しかも「ルソーの文体の持つ論争的な力」、これによって「情緒的でありながら、論争相手を秋霜烈日のごとく残酷に切りさいなんでいく裁断力の強さ」って、それってネットの「はい論破」と変わりないよーな気がするのは気のせいか?文科系、草食系の男子って今も昔も強い文体に憧れるらしー…腕力がないから言葉の暴力、力強さに惹かれるのだろか?

 まぁともかく、兆民はルソーに惹かれ翻訳しますたで、翻訳本は「明治の青年はルソーを理解したわけではなかったが、ルソーがとてつもなくエライ異国の思想家である(らしい)と納得し、その紹介者にして翻訳者である中江兆民に対する尊敬がフツフツと湧き上がってくるのを感じたのである」って、明治パネェ…かくして「豪傑君いうところの「社会のガン」を大量発生させることなる」って、もしかしてはいここわらうとこなんだろか?著者?

 で、結果、中江兆民というお人は「左右両翼の全体主義的革命家のアイドルとなってしまったのである」とな…そりゃ「酒ばかり飲んでいる」に行き着くしかないってか(笑)何とゆーか、思い込みって本当に凄いですね?ではさよならさよならさよならってか(笑)

 と、中江兆民だけでもドンダケェー(死語?)でして、他の三人についての詳細は本書をドゾ。高杉はともかく、西郷も頭山も清貧の人として有名ですけど、それってどよ?の著者の解説は圧巻ですので、是非本書をドゾ。

 後は、ドーダ学にも色々あらーなでこちらの区分けの詳細も本書をドゾですが、お手本ドーダどよ(笑)ちなみお手本ドーダとは「これはと思い定めた(あるいはそう強いられた)お手本(古いところでは、マルクス=エンゲルス、レーニン、スターリン、毛沢東、新しいところではフーコー、デリダ、ドゥルーズなど)の思想に自分がいかに忠実であるかを競い、その競争に於いて少しでも忠誠度が強いと思った者がかませるドーダ」ってマジか(笑)何か宗教における原理主義に近い気がするのは気のせいか?

 で、このお手本ドーダに選ばれやすい人物には三つのパターンがあるそで、一「難解な用語や晦渋な文章で、なにやら深遠で高邁な思想を述べているようだが、その実、なにを語っているのかよくわからないような「難解系」」で、「フーコー、デリダ、ドゥルーズ」「サルトルやカミュ」がこの系列に入るそで「インテリはこうした難解タイプに公さんすることが多い」らしー(笑)二「難解でも晦渋でもないが、その文体が硬質で切れ味するどく、読んでいるとまるで呪文にかけられたかの如くにカラ元気が湧いてきて、自分が一端の論争家にでもなったような気分になれる「アジテーター系」で「レーニン」が代表格らすぃ(笑)でもって「弱っちいくせにアグレッシヴな人間」がこのタイプにはまるそな(笑)三難解でもなく、切れ味も鋭くなく、思想も凡庸で「二番煎じにすぎないが、その人物のまわりに立ち込める神話によって、いわば「全人格的」にお手本と仰がれる「大人物系」」で、これは「いまとなっては信じられないが、スターリン、毛沢東」が「人民の鑑」と仰がれていたそな(笑)そして「知力では劣るが生真面目さでは誰にも負けないという下士官・兵士型の人」がはまるらすぃ…

 でで、お手本ドーダは、「イメージ的なソックリ性にこそドーダ・パワーの淵源がある」ですしおすしで、「物真似がうまければうまいだけお手本ドーダをかましやすい」ってホンマでっかぁーっ?更に「当人がお手本と自分を同一視してしまうようになれば最高」って、ドンダケェー(死語?)て゜もって、「お手本に取って代わってしまう」にはお手本が遠く(外国、死亡)している方が都合がいいって事になるとな…

 ででで、中江兆民の場合、表のお手本ドーダがルソーならば、裏のお手本ドーダが西郷隆盛であったって、ホンマでっかぁーっ?「中江兆民は「東洋のルソー」にはなったが、「小型西郷」にはなれなかったし、なりたいとも思わなかった」が、「晩年には、盛んに「西郷ドーダ」をかませようと努めたのである」そで、こちらの詳細も本書をドゾ。ちなみに「頭山満こそ、中江兆民がかくあらまほしと願いながらそうなることができなかったある種の理想像」なんだとか…

 何とも複雑怪奇な、もしくは物凄く単純なドーダ道…貴方のドーダはどのドーダ?で、快刀乱麻なバッサリぃーはこの他にもいぱーい出てくるので、重ねて言いますが本書をドゾ。歴史って、もしかして男のドーダ合戦の結果なんだろか(笑)

 豆知識的には、幕末というと、尊王攘夷運動に武士って皆、賛否はあれどどっぷり関わっていたイメージがあるけど、関わった人達って「同世代の武士の中で多くて五パーセント、少なければ二パーセントくらい」って、ホンマでっかぁーっ?薩長土肥に水戸でも「九〇パーセント以上の武士は」「無関心派」ギリ「日和見」であったとな…

 豆知識、仏偏では、19世紀後半のパリの教育現場事情になるのか?でパリでは「予備校兼下宿がたくさんあり」だったらすぃ…というのも「リセやコレージュ(私立の高等学校)の寄宿舎のイジメや不潔さを嫌うブルジョワの親たちの子ども」がキタコレになっていたとな…イジメって時代も国も問わないのか…まぁこの時代でも「フランスでは、東洋人はみなシノワになる」そで、東アジアは皆チャイニーズでひとくくりこれ仏(当時の?)常識だったらしーからこれまたお察しくらはいか(笑)

 でもって「高等師範学校受験やバカロレア(大学入学資格試験)受験のための予備校であると同時に下宿屋も兼ねている私塾」で、外国人の生徒もこゆとこにいますたとな…

 後、これを豆に入れていいのか?で、革命家は急進派を捨て駒にするの件だろか?「己の命を捨てて戦ったこうした急進派、先兵の切り捨てという現象は、革命を進行する過程で必ず生じる一種の「必然」」なんだそで、レーニンも毛沢東も「職業的革命家はすべてこれを遂行している」そな…切り捨て御免の「利用主義がなければ、革命家という職業はやってはいけないのである」って、革命パネェ、建前は全ての人民、市民の為で、本音は人民、市民を見殺す事とは…

 それから、これは西郷のとこのエピなんだが、西郷が朝鮮に全権使節となって赴きたいの件…よーは「礼を尽くせ」の外交使節行きますよってになんですが、西郷視点では命懸けの大仕事って事になるんじゃね?己の「暴殺」も見込んでの外交使節派遣どよ?なんですが「いかに朝鮮が鎖国的であり、排外主義的であろうと、その政府が、日本からの全権使節を「暴殺」するなどということはありえないからである。そんなことをすれば、即、戦争になるくらいは当時の朝鮮政府とてわかっていたはずだ」って、そーだったのか?リッパード?

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。本書通して色々ドーダな人達がご登場なさっていますが、「歴史はときとして、ドーダ人間を切実に必要とする。ただ、それはほんの一瞬のことである。それが過ぎ去れば、あとは、バカで足りるのだ」の一文は、歴史の真理って残酷だよなぁとしみじみしてしまうんですが、どよ?

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