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2020年4月15日 (水)

思春期であってしかるべき時期を子供のままで過ごし、思春期抜きで老成化が進んでしまっている人達?

性のタブーのない日本  橋本治  集英社

 

 というと、何か物凄い事になっていそーな悪寒ですけど(笑)これとセットで、性のモラルはある日本なんですよね(笑)何かとタブーがない方に注目されがちですけど、一番肝心なのかモラルがある方じゃね?

 

 でまぁ、本書曰く、「この先、私は「性のタブーのない文化」として近代以前の日本文のあり方を語っていくのですが、明治時代になるまで、日本に性表現に関するタブーがなかったことは確実です」とな…

 

 そんな訳で、イザナギ・イザナミの国生みから、今でしょ(死語?)まで、性表現って一体?な日本の性分化キタコレでしょか?古事記も万葉集もパネェで、源氏も和歌集もパネェで、絵巻ものもパネェで、浮世絵は勿論パネェじゃねで、絵画も文学も、芸術は爆発だぁーっもといエロスだぁーっで突っ走っていたのだろーか?日本ってか?でも、当時的には、でもそんなの関係ねぇーだった模様…

 

 とはいえ、日本には罪と穢れありますよってにでして、国津罪キタコレでしょか?古事記、延喜式の時代の話ですが、それによると、「上通下通婚、馬婚、牛婚、鶏婚、犬婚」って…よーするに「近親相姦と獣婚」はダメ絶対とゆー事らすぃ…でもって、「言うまでもないことですが、ここで「するんじゃない」と言われるのは、男の方だけです」で、日本だけじゃなく性のタブー終っているよな気がするのは気のせいか(笑)

 

 まぁともかく、「「古事記」が出来上がった時代には、もう大宝律令が出来上がって、日本はその制度の中にいます。それが本当に「罪」であるなら、刑法である律に従って国家が断罪すればよくて、わざわざ神様に頼む必要はありません」とな…よーする法律があるんだから、それで裁けはよくね?って事らすぃ…でも、わざわざ「神様に裁いて」もらわなきゃとゆーのは、「誰によっての「罪」なのか」じゃね?

 

 何とゆーか、日本の国の神様だものでして、罪と罰キタコレではなくて、「日本の神は、大祓で列挙される「罪」を罰せずに、捧げ物と引き換えに許して、ないことにしてしまうのです」しおすしで、日本の場合、罪を隠すのではなくて、オープンにするものとゆー考えに立脚してここまで来たよぉーって事らすぃ…悪い事をして、更に隠すとロクな事にならないから、「神様にお願いしてその「隠していたこと」をオープンにして、祓ってもらってすっきりする」とな…

 

 「そう考えると「我々はとんでもなく高度な文化地域に属していたんだな」と思ってしまいます。「タブーはないがモラルがある」という文化の高度性はすごいもんです」とゆー事になるらすぃ…悪い事はしてはいけない、でも隠し事はもっといけないで、それを認めて前に進めって、それどこの心理学(笑)

 アリス的には、本日は准教授の何回目か忘れましたが、永遠の34歳の誕生日でして(笑)そして、准教授のお誕生日と言えば恒例の、パターンきたこれってか(笑)ええ、変態性欲の権威に捧ぐで、本書のタイトルに飛びついたんですけど、如何なものか…

 

 他にアリス的というと、法学部卒のアリスって事で、「明治時代製の日本の刑法には「猥褻の罪」というものが存在して、刑法一七四条と一七五条で性表現に制限をかけています」そで、174条は「公然猥褻ノ行為」、175条は「猥褻ノ文書、図画其他ノ物ヲ領布若クハ販売シ又ハ公然之ヲ陳列」を禁止するよーんとゆー事らすぃ…そーだったのか?アリス?

 

 そんな訳で、エロ取り締まりの歴史もそれなりにアレなのか(笑)まぁ戦後日本というか、今でしょ(死語?)に至るまで、それは曲りなりにも続くの世界だったらすぃ…まっ公然の猥褻行為はともかく、二次元の方は今や風前の灯火というか、形骸化していると見てよろしいんでしょか?うーん?

 

 というのも、文書の場合…「伊藤整氏の訳したD・H・ロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」(一九五〇年)や、澁澤龍彦氏の訳したサド侯爵の「悪徳の栄え」(一九五九年)とか、それ以前に「芸術か、ワイセツか」という論争をやっていたのが嘘のようで、「活字表現だったらワイセツは存在しない」ということになっていたらしいです」になっていた模様…何かもーエロ小説(という表現でいいのだろか?)も、「担当編集者の答えは「活字だったら今はなんの問題もありませんよ」でした」って、そーだったのか?片桐さん?

 

 性表現の自由って一体…ちなみに「性表現に対する規制は、まず「自制」という形で当人の中にも生まれるはずのものだと思います。法的な規制があるから自制するのではなくて、性というものが個の中から生まれて外部と対峙するという性質のものだから、そうなってしまうのも不思議のないことだと思います」とゆー事らすぃ…性表現って、自己の中の一線を越えるべきか?べからずべきか?それが問題だってか?

 

 ちなみに、世間的には、「一九八〇年代の前半までは「ヘアが一本でも見えていたら警視庁に呼ばれる」という状況になっていましたが、いつの間かヘアヌードの写真は当たり前に存在しています」ですしおすし…そんな訳で、「今じゃ、写真でも全裸の丸出しヌードは、性行為を明示、暗示していなかったら、男女どちらのものでも法的規制は受けないというところへ行っているみたいですが、ということになると、「性表現の自由」を求めて戦えるのは、時折取り締まりに遭うエロDVDの密売業者だけかもしれません」って、ホンマでっかぁーっ?

 

 蛇足ですけど、エロDVD密売業者の皆様が、エロ表現に対して思想的に戦う訳ではなくて、経済的に戦うのだそな(笑)「本番丸出しのエロDVDへの規制がなくなってしまうと、どこでも自由に手に入って、密売業者の存在理由がなくなり、営業が困難になると思われるからです」って…規制に引っかかる業者が、一番規制の存続を願っているとはこれ如何に(笑)それにしてもネットの時代に、それってアリですかぁーっ?じゃね?ネットエロ最前線もしかして凄い事になっているのだろーか?うーん?

 

 まぁこれもとはいえの世界なのかなぁで、「「猥褻」の規定がなくなって、(今更ですが)ポルノ解禁ということになると「町中にへんなものが氾濫してよくない」という心配も生まれるかもしれませんが」、そんなの一時的な事じゃね?って事で、「性的な刺激を与えるものには「一時は大盛況になるのに、しばらくするとはやらなくなってしまう」という、へんな傾向があるからです」で、本当に猥褻なんですかぁ?な世界が展開している模様…かくて草食時代参るってか(笑)

 

 それはともかく、文字表現に戻るならば、「「人の感じ方次第」なので、「性道徳の変化」というやつによって、「取り締まってもしょうがない」になり、「活字に制限はないですよ」になってしまいました。でも「官能小説」と名を変えたエロ小説は、やっぱり「いやらしさを感じさせる」のが目的のはずですから、全然「猥褻」のままであるはずですけどね」って、今時の官能小説って、一体?

 

 こーして見ると猥褻って、明治の法がつくった文化なんでしょかねぇ?起源は明治刑法、イイハナシだなぁ(笑)まぁ当時の人は、笑いごとではなくてリアルでマジだったんだろーけど、でもマジであるだけにワロエルじゃね(笑)

 

 というのも、明治以前には、日本に性表現のタブーはなく、性のタブーもほぼなかったとな…とゆー事は、「その昔の日本には「変態性欲」という概念がなかった」って、そーだったのか?変態性欲の権威准教授(笑)

 

 他にアリス的というと、オノコロ島で、イザナギとイザナミの国生み神話キタコレでしょか?例の「成り成りて」の件に始まる最初のエロス描写でしょか?うーん…

 

 も一つオノコロ島で、人形銃瑠璃キタコレでは、「女の人形に下半身がないというのも、着物の中から女が肉体をあまり露出させないという前提があってのもの」なんだそな…

 

 それと、芸術的に天農画伯の出番ですで、浮世絵キタコレで春画キタコレでしょか(笑)「江戸時代の日本は春画の全盛期で、当時の日本はこの方面では世界一です」しおすし(笑)ちなみに浮世絵のジャンルには「あぶな絵」というのがあったそな…よーするに春画ではなく春画一歩手前みたいな、今でいうグラビア位のレベルの表現とゆー事になるらすぃ…

 

 でもって、「喜多川歌麿は、浮世絵最高のオッパイ画家と言っていいでしょう」って、そーだっのか?アマノン画伯(笑)胸がある女性とゆー肉体美って、当時的にはバツでしょらすぃ…ええ、「あまり体に凹凸のない「柳腰」がよいとされた時代」ですから(笑)となると、江戸時代的目線でいくと、ミロのヴィーナスなんてのも全然評価されないどころか、ブス判定キタコレもありえるのか?

 

 まぁそんな訳で、当時のエロティックな描写としては、胸丸出しは全く入らず、むしろ脚チラ見せの方がナンボかエロいって事になっていた模様…足袋から上の素足部分がどれだけ見えるか?まるで今日の絶対領域みたいな気がするのは気のせいか(笑)

 

 それはともかく、春画とあぶな絵の違いは、「非日常的なら春画」で、「日常的ならあぶな絵」とな(笑)というのも「うっかりすると「呪術的な力」を宿してしまう性器は「日常の具」ではないので、肉体を見せるあぶな絵は性器を描かないといういうわけです」って、日常と非日常の区分けには性器にありっ(キリッ)ってありか(笑)

 

 それにしても春画って「浮世絵版画の中では「高級品」のジャンルで、彫りも刷りも手が込んでいますし、版木の色版も数を重ねます」って、マジか?さすが色には金がつくって事で需要があったんだろか?うーん、もしやこれは今のグラビアとオフセットの違い?

 

 そんな日常だか非日常だかの究極奥義みたいな春画ですが、「江戸時代に春画は「ワ印」とも言われました」そで、そのワとは「「笑い絵」のワです」とな…エロも行き着くとこまで行くと笑いを誘うものになるらすぃ…むしろ微苦笑みたいなノリか(笑)

 

 蛇足ですけど、「日本の近代以前に春画はやたらと存在していたのに対して、「文学によるポルノ」というのはあまり聞きません。なぜかと言えば、そのものずばりのエロシーンは絵で描いてしまえばいいからです」って、そーだったのか?アマノン?

 

 他にアリス的というと、比類なきのお香キタコレで香文化もどよ?だろか?ちなみに「平安時代は「お香の文化」が発達した時代で、貴族達は衣類にお香を薫き染めていましたが、これは現代のように「体臭を消去した上で人工的な匂いをまとう」というのではありません」で、彼らは、お風呂も洗髪もあまりしないし、衣服も煩雑に着替えはしないし、寝間着もなくて着物のまま寝てるぞと…そゆ訳で「平安時代の人間達は「人体生理の匂い」に馴染んているのです」って、ホンマでっかぁーっ?こーして見ると護摩やら何やらで焚いているのも匂い消しみたいな意味もあったんだろか?うーん…

 

 それから、こちらは異形のと関連するんかもで、醜貌恐怖キタコレってか?「女ばかりではなく男にもあります。男だって身分が上の方の人間になれば、「他人から直に顔を見られる」ということがあまりなくなります。人から見られず、自分は一方的に見るだけということになれば、「自分の外貌はどんなものか」ということを意識しなくなり、自分の容貌を把握するということが出来にくくなります」なんだそな…どゆ事とゆーと、「自分のあり方が観念的になってしまうことで、平安時代の女流文学に深い人間洞察が宿ったのも、「自分の顔を他人から見られない」という、女達の自分に関するガードがしっかりしていて、客観性が確保出来たからかもしれません」とな…見てるだけぇーってのは、結構ポイントなのか?

 

 後、こちらはアリス的というより准教授的になるのか?猫キタコレですけどで、源氏物語の柏木の夢のとこ…「当時的には「獣の夢を見るのは妊娠したということ」の考え方があるので、「猫の夢を見た」は、ストレートに「柏木は女三の宮とやった=妊娠させた」です」になるって、ホンマでっかぁーっ?

 

 それとアリス的には作家エピも入るのか?で森鴎外、東大入学すの件だろか?「年齢を二歳水増しして合格、入学」しますたですけど、「若すぎる彼は、学校へ行くのに懐剣を隠しもって行かねばなりませんでした。なぜかというと、十三歳の少年は学校へ行って「貞操の危機」に遭遇しそうだったからです」って、ホンマでっかぁーっ?

 

 男子校だからなのか?それにしても軟派と硬派とよく言うけれど、軟派は概ねそんなもんとして、硬派って「「年下の男」を恋愛対象」にする人達の事を指すのか?しかも「「恋愛対象」という言葉が美しすぎれば「性欲の対象」です」って、ドンダケェー(死語?)それにしても男尊女卑が進んだとこ程、男色に進むのか…

 

 そゆ訳で、万葉集の恋愛事情とか、平安時代の恋愛事情とか、光源氏は強姦男なんてのも詳細は本書をドゾ…それにしても平安時代の「男が求めるのは「女との縁」であることよりも、「女の父との婿となる縁」であったりもします」で、男社会乙ってか(笑)結局、殿方の動機、行動指針って、色と金が当たり前っていつの時代も真理だよなぁでしょか(笑)

 

 かくて「「身分の高い貴族の娘」より「身分は高くないが地方に転出して蓄えを得た受領クラスの男の娘」を妻にするようになる。前者だと、その妻の生活を支えなければならないが、後者だと、自分の生活をバックアップしてもらえるからです」とな(笑)結局、男の本音乙で歴史は進んでゆくと(笑)

 

 又、見るという事がそゆ事で、会うがそゆ事な前提の世界観では、顔を見るとゆーか、顔がはっきりしているとゆーのも相当な意味を持つらすぃ…ええ、絵画の世界ですよ、奥さん(誰?)平安時代の引目鉤鼻で殆ど金太郎飴状態の人物描写が、鎌倉時代に入ると人物の顔と身体がはっきりしてくるとゆー…武士になったから身体の時代になったと勝手に思っていたら…

 

 「随身庭騎絵巻」とかの人物がちゃんとそれぞれ描かれているのは、「一つとして「描かれた彼等は、高貴なる人の男色の相手だったから」というのもあります。「顔を明らかにしてしまう」ということの中には、そういう性的なニュアンスも含まれていたのです」だそで、藻分が高ければ高いほど似顔絵なんて、もってのほかなのかも?

 

 そして後白河天皇・上皇・法皇キタコレってか…まぁこちらの詳細も本書をドゾ。ちなみに後白河法皇は絵巻物がお好き?で、いぱーい作ったらすぃ…その中にあの「権大納言絵巻」ありますよってにでして、ピンとくる人にはピンとくるのではなかろーか?

 

 まぁとことん見るにこだわったのが日本人という人達なのかも?ただ見るはそゆニュアンスきたこれですけど、源氏物語なんかは造語もキタコレで、それが「女とて見ばや」じゃね?とゆー事らすぃ…男が男を見て、相手を女として見立てるとゆー表現らすぃ…で、これがストレートに「女として(女とて)やりたい(見む)」で、まるで男色のすゝめみたいなノリですが、男色家でないからこそ女性に変換して、もってこーのノリらしーが、よーするにこの当時の人間の関係性を築くにおいて、対等とか、友達とかとゆーのがないそで、あるのは主従とか、身分の上下とな…だから間に、女性をおかないと関係性が構築できないとゆー事らすぃ…婿と舅とか…こちらの詳細も本書をドゾ。もしくは「一人の女を共有することによって男同士が親愛の情を成り立たせる」みたいな(笑)

 

 で、まぁそんな平安を終わらせた男の一人が後白河法皇とすれば、もう一人のキーマンが藤原頼通ではないでしょーか?ちなみにこちら「宇治平等院鳳凰堂を造ったお人でもありんす(笑)そして藤原道長の息子…

 

 まぁこのお人の屈折した生き方についての詳細は本書をドゾ。でもって、この辺りから男色がぐっと浮上してくるよーに見えるのも気のせいか?うーん…何か男色というと稚児とか若衆といった「可憐な美少年相手の少年愛」みたいなイメージが先行しますが、それだけじゃないのがリアルって事らすぃ…

 

 も一つ平安から鎌倉へで、まぁ院政期ともいうですが、でもって男色期じゃねですけど、これも出世の為とゆーのキタコレか…武士なら武功で地位が上がるもあると思いますですけど、「貴族にはありません。生まれた身分を超えて出世をするための武器は、男でも「体」しかないのです」って、元祖枕営業か?殿方ってつくづく、色、金、地位しか頭になよな…

 

 で、僧侶って草食系の優男のイメージでこれまたいたら、当時の僧侶ってマッチョ系多しの世界だったのか?そりゃ僧兵キタコレの世界だから、ガタイで勝負ってか?ちなみに「江戸時代になると僧侶の扱いは中世的なもので「坊主はカッケの薬」などというとんでもないことも言われます。「カッケになったらオカマを掘れば治る」というへんな都市伝説があったので、坊主は「薬」になったのです」って、ホンマでっかぁーっ?

 

 まぁそれもともかく、平安後期からというか、鎌倉からというべきかは僧侶とは、ムキムキやんムキムキやんかだったらすぃ…「出世の見込みのあまりない名門の子弟が出家して僧になる」はありがちなネタですが、それには当然お供もついていて、お供も当然出家するけど、経典読むより身体の鍛錬って事で、当時的には、武士なんかより僧兵の方がずっと強いとゆーのが当たり前だったらすぃ(笑)なるほろ、僧兵ってそゆ事だったのか(笑)

 

 さて、「男色を成り立たせるのは、身分の上下です。つまり、上の人間が「やらせろ」と言ったら、身分が下の男は脱がなきゃならない」「初めから顔が見えている男同士の場合は、社会的な位置関係がそのまま投影されてしまうのです」って、それどんなパワハラ?セクハラか?

 

 そんな訳で、よくお気にを、元服させずに小姓のままの少年形なエピ出てくるけど、それって美しいかぁーっで時よ止まれ系ではなくて、「元服前の未成年なら、成人男性より一段下だからやりやすい」とゆー理由からだったとは…何事も常に上下関係でしか考えられない男性思考ってパネェ…

 

 更に「男の欲望を刺激するのは「美しい」というものではありません。人間関係の補強のために、男と性的関係を結んでしまうのです」に至るそな…出世欲と保身半端ない…そして院政・武士の時代キタコレで、それは男色の時代キタコレになるらすぃ…

 

 かくて葉隠とか武士道とはのエピは本書をドゾ。まぁともかく、「武士の時代になると、女という異分子は抑圧される。女ばかりではなくて、政権担当となった武士が第一に考えるべきことは、体制維持だから、男だって「規律」という鎖をかけて抑圧される。「葉隠」はその美学と義務を説くもので、町人の男は「低レベルの男」に属するようなものだから、そのうるさい規制には引っ掛からない。だから、江戸時代に政権を担当した武士の文化はパッとしなくて、江戸時代の文化といえば町人文化-それで、やりたい放題の春画の全盛期になってしまう」のだそな(笑)所謂、一つのパラダイム・シフト?

 

 後、江戸時代の吉原、よーするに政府公認の遊郭システムって、「「平安時代の結婚」を踏襲」しているのか?あの手続き煩雑なソレ…詳細は本書をドゾですが、三回通わないとあきまへんえとか、その他いぱーい…

 

 でもって、遊女=売春婦と考えるのはちゃいまんねんとゆー事もあると思いますらすぃ…こちらの詳細も本書をドゾ。遊女とは文字通り、寝る女というより遊ぶ女で、この遊ぶの範囲が現代人が考えるよりはるかに広い範囲を指す模様…まずはお茶をたてて一服とか…

 

 豆知識、言葉編では、猥褻の猥って一体?とゆーと、「やたらと犬が吠えまくるようなうざったさ」なんだそな、さすがケモノヘン…でもって褻の方は、「「晴れと褻」の「褻」で「日常的な穢れ」のことです」とな、また「「褻」の文字の本来の意味は「普段に着る日常着」」とのな…だから文字の下に衣の文字ありってか(笑)

 

 言葉的には、目交う…よーするに目が合う事なんですが、今でも目交ぜとか使うらすぃが…これ、まぐわう、なんですよ、奥さん(誰?)まぐあう、まぐあいって、漢字で書くと「交合」とか「媾合」になるそーですが、元は目交うだそで「視線が合うことなのです」とな…

 

 それは何故かというならば「昔は、家族は別として、男女が顔を合わせることはありません。だから、他人である男女が顔を合わせてしまったら、もうそこに「性交の合意」が出来てしまうのです-そういう背景があるから、「視線が合うと性交渉」になるのです」って、ホンマでっかぁーっ?そんな訳で、古代からずっとキタコレらすぃ…

 

 他にも言葉的には、「日本の和歌では「髪の乱れ」はほぼ「性行為の後」を意味しています」って、そーだったのか?与謝野晶子?

 

 これも言葉の豆に入るのだろーか?のオナニーの起源オナンのお話もパネェ…これって「旧約聖書」の「創世記」からきてるのか?オナンの兄エルが亡くなって、兄嫁のタマルとオナンが父親の命で結婚する事になると…オナンが兄の後をついで家長になる訳ですが、兄嫁との間に生まれた子供は、タマルとオナンの子供ではなく、タマルとエルの子供として認識されるとゆーのが旧約聖書の世界観だったらすぃ…どゆ事かとゆーと「兄の家系は続いて自分はそのための種馬にしかならないことをいやがって、オナンは精液を地面に漏らしてしまうのですね」…「これが神の怒りに触れてオナンは殺され、オナンのした行為-オナニズムは「神の怒りに触れる性的不品行」になってしまうわけです」って、ホンマでっかぁーっ?さすが、産めよ増やせよ地に満ちよの世界観…避妊行為ダメ絶対だったんですねぇ…かくて「ローマ法王は長い間「避妊」を認めなかったのです」になってたらすぃ…

 

 ところが、近親相姦もダメじゃね認定なんですが、ロトとその二人の娘のエピを見よでしょか?よーするに第一命題は、産めよ増やせよ地に満ちよなのに、「山の洞窟の中にはロト以外の男がいません」という事態に、そんな時どぉーするぅぅぅとゆーのが、ロトに酒飲ませて娘が襲うという構図…「姉も妹もその結果妊娠して新たなる一族の祖となる男の子を産むわけですが、もちろん立派な近親相姦です」しおすし…

 

 そして「怒って気に入らない人間を殺してしまう「旧約聖書」の主なる神は、この二人の娘を殺しませんでした」とな…しかも「酔って寝た父は、娘達のしたことを知らなかったのですね。だから、免責です」となるらすぃ…まとめると「「近親相姦はよろしくない。しかしそれしか手段がなかったら、子孫を遺すためには仕方がない」というのが、性的なことにはやたらとうるさい「旧約聖書」の論理のようです」となるらすぃ…なるほろ、旧約聖書の正義…

 

 更に旧約聖書最大の性的タブーときたら、アダムとイヴのそれじゃね?で、こちらの詳細は本書をドゾ。

 

 まぁそんな訳で、あちらさんの「FUCK」という単語も「アダムとイヴの時代から続く「神の怒りに触れちゃうようなよろしからぬ行為」という色彩を性交が背負ってしまっているからでしょう」の件にもなってしまうらすぃ…こちらの詳細も本書をドゾ。ちなみに日本語には、「FUCK」に対応する動詞がないそな…

 

 日本文化的な豆になるのだろーかで、「平安時代の「帝のお妃になる女の入内の行列」って「真夜中に行われます」だったのか?それは何故とゆーと、「夜は「性交の時間」であって、性交につながることは夜の中で行われます」からなんだそな…よーするに入内の行列も「性交にも続く秘め事」って事らすぃ…

 

 豆知識的に、映画の場合、成人指定と一般映画の違い…明確なボーダーラインがあるのかと思っていたら、「映画の審査をする映倫に、一般用と成人用の二つの窓口があって、成人用の方に提出してしまえば成人映画で、映倫が成人指定をする以前に、制作側が「どっちにしようかな」を決めるだけで、中身は関係ないというのが、今はなきにっかつロマンポルノの実情でした」って、ホンマでっかぁーっ?じゃあ、何で成人側に提出してまで成人指定にするか?の理由が「一般向けにしちゃうと客足が落ちるんです」って…金か?金なのか(笑)何か、本書、エロ文化とは何か?とゆー思想系、文科系の話かと思っていたら、その実、色と金の話になってね?男社会ばんじゃーい、まさに色と金中心主義、至上主義なんだなぁ…殿方はいつの時代も色の為なら、お金惜しみませんよって、ただそれだけの事のよーな気がするのは気のせいか?

 

 後、これは豆というより、今でしょ(死語)かもしれんねぇーで、「原理主義というのは辺境で発達するもので、現実からはずれてしまった思想が、思想としての復権を図って「架空の本来」を創り上げてしまいます」の件だろか?これも一つの「辺境文化」?

 

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。最後に一つ、准教授、お誕生日おめでとうございます(キバッ)

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